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はい、みなさんこんにちは。エイドリアンです。
10分1テーマのお時間になりました。
この番組は、私エイドリアンが興味のあるテーマについて1日10分話すという内容でやっていきたいと思います。
今回は記念すべき第一回なんですけど、
きっかけは、僕本職は編集者をやってるんですけども、
使うコンテンツも作ってみたいなというような編集者なんで、
テキストベースというか、そういうコンテンツを作ってるんですけども、
一度、僕が普段はいつも家事しているときとか、
音声コンテンツ、ラジオだったりとか、YouTubeの音だけ聞いたりとか、
ポッドキャストとか、音声コンテンツばかり聞いてるので、
自分が一番接しているコンテンツを1回自分で作ってみたいなというふうに思ったのがきっかけです。
最初はそれを仕事っぽく会社でやろうかしらと思ったんですけど、
まず自分で自由にやってみたいなと思いまして、
こういうような題材で1人で始めようと思いました。
本当にこれが人生初の録音なので、完全に1人で喋ってるんで、
これでいいのかなという気持ちが満載なんですけども、
そういう感じで始めていきたいと思います。
第一回でテーマは何でしょうかなと思ったんですけど、
まさに話すことと聞くことについて話してみようかなと思いました。
というのは、自分で音声コンテンツをやりたいなと思って話そうかな、
何で話したいんだろうとか、話すって何だろうとかみたいなことを最近考えてたので、
どうしてもそのことについて結構頭が持っていかれていたので、
結構第一回のテーマとしてはいいかなと思って、
話すこと、聞くこと、ひいて言うとコミュニケーションみたいな話だと思うんですけど、
について最近考えていることを話してみたいと思います。
コミュニケーションについてというときに最初に思い浮かぶのが、
マネジメントと書いてあるドラッガーの言葉で、70年代くらいの言葉らしいんですけど、
これからは情報で溢れるので発信というのは全く意味がなくなると、
何かを発信することというのは全く意味がなくなって、
コミュニケーションしか価値を持たなくなると。
そしてそのコミュニケーションというのは発信側がやるんじゃなくて、
受け手がするという言葉があるんですよね。
何かすごい頑丈かありそうなんですけど、
何か分かったような分からないようなところがありまして、
まず情報が溢れているから発信の価値がなくなるというのはこれは分かりますよね。
こんなに情報が溢れていると、ただ発信するだけってなると、
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やっぱり新聞の部数が落ちるみたいなことはもちろん起こるわけで、
やっぱりその発信しているということだけだと価値が少なくなるよね。
一方でコミュニケーションしか価値がなくなっているんですけど、
例えば今SNSとかでコミュニケーションが溢れていますよね。
何か言うても70年代ぐらいの言葉なので、
昔の言葉なのかなと思っていたんですけど、
それはそれで置いておいて、2つ目の言葉。
コミュニケーションを受け手がする。
これも確かに言われてみればそうだなと。
なんか僕がお腹すいたなって言って、
例えばそれを聞いた後輩が僕の仕事を待たせてるから、
この人ご飯行けなくて怒ってるんだって思うかもしれないしとか。
なんかそんな感じで受け手によってコミュニケーションっていうのは全然違うものになるっていうことですよね。
それは言われてみればそうかって感じなんですけど、
分かる。だから何?っていうところ。
なんかすごい頑地変わる言葉だな、一部分かるな、
でも何を言わんとしてるかなんだろうな、
ちょっとあまり理解しきれてねえなっていうような感じだったんですけど、
昨日たまたまエールという会社の篠野さんという方の話している動画を見まして、
それでちょっとこういうことかっていうふうに思ったんですけど、
エールという会社はどういう会社かっていうと、
会社の例えば管理職の人とか現場の人とかの話を、
外部のスタッフを用意してただただ聞いてもらうっていう会社らしいんですよね。
あなたの会社の社員の人とかの話をただただ聞きますよっていう会社らしいんですよね。
で、それってどういういい効果があるの?っていう話なんですけど、
一言で言うと、それをしてもらうことによって、
心理的安全性みたいなのがすごく上がるんだと。
それは狙いってわけでもどうもなさそうだったんですけど、
結果的に誰しも社会の人は話を聞いてもらっていないと。
聞いてもらっていなくて、だから聞いてほしいんだと。
それを十分聞いてもらった人っていうのは、心理的安全性というのが芽生えて、
他人の話を聞けるようになると。
他人の話を聞けるようになると、職場でお互いに学びというか、
あの人の話を聞けるようになったりして、
すごくパフォーマンスが上がるみたいなことで、
社会社で導入されてるらしいんですよね。
その話がすごい面白いなと思って、
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まさに僕が、じゃあ俺なんで話したいんだろうと思った時に、
そうか、聞いてもらいたいからだっていうすごいシンプルなことに気がついたんですよね。
ということは、そのように社会の人みんな、
自分の話を聞いてもらいたいと思って生きてるんだなと思ったんですよね。
暴走族の人がすごい騒音で走って、
その騒音っていうのは、「俺の話を聞いてくれ!」という叫びだって言ってた人がいるらしいんですけど、
同じような感じで、とにかくみんな、
会社に勤めてようが、暴走族やってようが、話を聞いてほしい。
話を聞いてくれる人っていうのがめちゃくちゃ貴重なんですよね。
でも話を聞いてくれる、聞いてもらうためには、
話を聞くためには話を十分聞いてもらう必要があって、
でもみんな話を聞いてもらってないんで、なかなか他人の話を聞けないっていうような状況なんだなと思ったんですよね。
つまり僕が、SNSとかでコミュニケーションが溢れてるじゃん。
コミュニケーションしか価値がなくなるって言ってるけど、どうなの?とか思ってたんですけど、
結論から言うとこれ、SNSでコミュニケーション溢れてなかったって話ですよね。
っていうのは、コミュニケーションっていうのは受け手がするわけなので、受け手がいないわけなんですよね。
だからこう思うんだとか言っても、誰もそれに対してフンフンと聞いてくれなければコミュニケーションは成立しないんだと。
つまり、やっぱりコミュニケーションっていうのは、発信ばかりがまだいっぱいされていて、
それをフンフン聞いてくれる人がいないので、コミュニケーションっていうのは実はあまり発生しないんだと。
全然足りないんだってことに気が付いたんですよね。
そういうふうに、いろんな人がいろんな人の話をちゃんと聞けるようになって、
コミュニケーションっていうのが発生していくと、
暴走族はわざわざデカい音を立てて走る必要もなくなるし、
あと何と言っても、これも面白いなと思ったんですけど、
人間はなんで出世したり偉くなりたいのかっていう、
それも僕40歳くらいなんで、
自分がそういう欲はどんどんなくなっていくんですけど、
そういう欲がある人を見ると、
なんでなのかな、これは一体どこから来てるんだろうなって思うことが結構多かったんですけど、
それって一言で言うと、偉くなると自分の話を絶対に聞いてもらえるんですよね。
上下関係とか権力のヒエラルキー構造みたいなのの中で、
下の人が自分の話を聞いてくれると。
自分の話を聞いてもらうために偉くなりたいんですよね。
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逆に言うと、
いいからこうしろ、はい、っていうようなコミュニケーションじゃないんですけど、
ほとんどパワハラみたいなものなんですけど、
いいからこうしろと偉くなれば言えると。
偉くならないと、いいからこうしろと言われて他人にコントロールをされてしまうということなんですよね。
そうなると、こんなふうにコントロールを他人にされるくらいだったら自分がコントロールする側に回りたい。
そして俺の話を聞いてほしいと思うから、
みんな頑張ってしこしこ働いて修正したいと思うようになるんだなっていうふうに思いました。
でもそんな頑張って普通の裏舐めながら、
これで俺もいつか話を聞いてもらうようになるぞってなるよりはね、
別に誰か横並びでもいいし、
エイルって会社の外の人でもいいんで話を聞いてもらったりすると、
ちょっとホッとして、心理的安全性みたいな。
他人にコントロールされない。
例えば話を聞いてくれる人も、
それは君がこう考えた方がいいんじゃないとか言われたら、
いやめっちゃコントロールしてくるやんけってなるんですよね。
上司とかにそう言われたらめちゃくちゃ嫌な気持ちがするわけですけど、
でも自分がこう思うんですよねって、
自分を侵されないということになって、
心理的安全性が生まれますよね。
そしたらもう結構それで幸せな感じがするんじゃないかなと思って、
頑張って出世とかしなくても良くなるんじゃないかなっていうふうに思いました。
なのでそう言ってみんな足りてないから、
これで話を聞けってなるんですけど、
それを誰か少しずつ聞いてあげることで、
みんなが他人の話を聞けるようになるといいなと思いました。
僕もこれからもちゃんと人の話を聞いていきたいなというふうに思いました。
何よりこの放送が一人でも多く聞いてもらえるといいなと思いました。
以上です。