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はい、というわけで、昨日の続きです。
次男の面談に行ったことで、自分が言葉の裏をもともと読み取る力が弱いというのもあるのかもしれないですけど、
ただ読み取るということ自身、完全にスイッチをオフにして久しぶりということに気がついたと。
それによって自分なりのコミュニケーションスタイルみたいなものが見えてきて、
それは人によって違うんでしょうけど、それが自覚したのが面白かったなと思ったという話だったんですけど、
その続きを話したいんですが、言葉の裏を受け取らなくなったというので、
例えばなんですけど、僕が新入社員か、入社2年目くらい、本当に20年近く前ですよね、
ぐらいの時にですね、ちょっとすげえはっきり覚えてることがあって、
電話をプルっと鳴って受け取りましたと。ガチャって言って丸々編集プレイって言って、
電話を受け取ったらですね、そしたら相手の人が一般の消費者の方だったんですけど、
その人がですね、あのーすみません、なんたら雑誌構成委員会の電話番号を教えていただけますか?って言ったんですよね。
で、もちろんこっちはですね、雑誌を発行している側の編集部なわけですじゃないですか。
その雑誌の発行している編集部に対して、その雑誌の発行が適正に構成に行われているかという
委員会、協会みたいなのの電話番号を一言目で聞いてくるっていう電話だったんですよね。
つまり、その言葉の裏は当たり前ですけど、
あんたの雑誌は、やってる雑誌はそれに違反しているようなことがあるから、
俺通報しちゃおうと思ってるんだけど、電話番号を教えてくれる?
っていうか、こうやって聞かれたらドキッとするでしょ、みたいな感じなわけですよね。
で、俺言っちゃうよ、そのこと、みたいな感じなわけですよね。
電話をパッと受け取った時に、僕はその時すでにめちゃくちゃ多忙な編集部の業務とか、
嫌な人とかもいたりとかして、そんなのに揉まれて1年とか経ってる頃なんで、
たぶん今の言葉の裏を読む能力っていうのを完全にスイッチオフにするっていう戦略をすでに取ってたと思うんですよね。
でですね、協会の電話番号を教えていただけますかって言われて、
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あ、少々お待ちくださいって言って、保留にして、ネットでサクサクって調べて、
じゃあ電話番号申し上げますねって言って、ゼロサンノーみたいなことを言い始めたら、
相手の人が、ちょっとちょっとちょっと、そういうことじゃないんだよって言って、
つまりオタクの雑誌がそれに違反してるんじゃないかっていうのを言ってるんですよって言って、
じゃあその違反内容っていうのはどのようなところで感じられてるんですか?みたいな感じで話すみたいな感じだったんですよね。
これはですね、僕基本的には特に仕事上ではこのスタイルなんですよね。
普段の日常生活でこのスタイルってことはないと思うんですけど、
仕事上では少なくともそうやってやっていると。
でもね、学校の面談もそうだったわけですから、日常でも結構やってるんだとは思うんですけど、
つまりですね、相手の言っている言葉の意味しか受け取らないと。
その裏にどんな意図を持っているかみたいなことは、それは言ってもらわないとわからないというような感じなんですよね。
僕自身もそう勤めていると。
言葉に裏を持たせたりとか、含みを持たせたりとか、伝わるよね、こういう態度を取るということはどういうことかみたいなことは自分も一切しないと。
僕はなるべく率直に、なるべく言葉にすると。
だからそれは僕の一つの取り得る誠実さというか、自分が誠実な態度、考える誠実な態度というのはこれであると。
自分はだから誠実な態度を持ってやっているから、相手の不誠実なコミュニケーションというのは僕は聞きませんと。
何かを思っているんだったらそれを言ってもらわないとわかりません。
僕は思っていることをちゃんと言っています。
僕と話したいんだったら、同じようにちゃんと自分の思いというのをなるべく言葉にして伝わるようにしてください。
というのが基本的な自分のコミュニケーションスタイルだと気がついたんですよね。
めちゃくちゃガチコミュニケーターというか、ホラーリングに上がってこいよみたいな、俺はもリングにいるぞみたいな。
そんなようなコミュニケーションの仕方をしていたんだということに気づいたと。
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言葉の裏とか、もしくは態度とかで自分の不平不満だったりとか、真意みたいなものを含ませて、
それは大体当たり前ですけど、嫌なことが多いわけですよね。
嫌なことを直接言うのがある種、言葉にするのが怖かったりとかするので、気づいてくれよ、これでみたいな感じで、態度だったりとか言葉の裏に含ませると。
気づかなかったら逆に言うと、鈍感だよねみたいな感じというか、
みたいな感じのコミュニケーションスタイルだと思うんですけど、
それは後で知ったんですけど、パッシブ・アグレッシブというらしいですね。
受動的攻撃性というか、心理学用語らしいんですけど、
消極的なんだけど攻撃的であると。
面倒も勝手に悪いことを言ったりとか、ぶん殴ったりとか、そういう攻撃性ではなく、
ため息をついてみせることで、自分の不平不満というのを相手に伝えるみたいな、
そういうコミュニケーションの仕方とかのことをパッシブ・アグレッシブ・ビヘビアとか、
そういう人のことをパーソンとか言ったりする、パッシブ・アグレッシブ・パーソンとか言うらしいんですけど、
そういうようなコミュニケーションスタイルっていうのを相手に許さない、自分にも許さないみたいな、
自分は自分にも許さない、そっちの方が特に仕事とかだと絶対いいよと思うし、
仕事じゃなくても実生活でもいいですよね。
このパッシブ・アグレッシブっていうのはやっぱり嫌なものなんですよね。
本当に僕はこれが一番嫌なんですよね。
だから嫌なんで、もうそれを受け取らないことにしたんだと思うんですけど。
そんな感じのガチコミュニケーターであるということを結構自覚したんですが、
ただですね、自分の思い、自分の考えっていうのを相手にそのまま伝えることができないという人もいるわけですよね。
そのコミュニケーションの弱さみたいなのを抱えている人もいると。
それに対してずっと、ほら、かかってこいよってリングの上で、おめんもリングに上がってこいよみたいな感じの、
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ずっとガチにコミュニケーターで位置づけるというのは、その人の弱さを受容できないというか、
その人の弱さを受け入れられない、受け入れないっていう部分もあるわけですよね。
そこをどうするのかっていう問題はあるんだよなと思ったんですけど、
実際そういうことは結構仕事上起こることなんですよね。
例えば最近だと、ある仕事上の付き合いの人がとんでもない理不尽なこと、
それをそういう発言をした、そういう要求をしたっていうことが、
世間にばれたら何をバカなことを言っているんだってみんなに思われちゃうぐらい、
理不尽なことをガーッと膜仕立てるみたいなことがあったんですよね。
あったんですけど、それはつまりまさに言葉の裏にあるんですよ。
言葉の裏に真意があって、その言葉の表にの要求を、
本当はその要求を飲んでほしいと思っているわけじゃない。
この要求を出したくなるぐらい僕は今つらいんだ、みたいなことを伝えたいわけですよね。
だから僕はそれは一種の悲鳴だと思ったんですよね。
悲鳴を前に受けるのはかわいそう。
悲鳴を上げている、コミュニケーションが弱い人が悲鳴を上げているっていうのを、
ほらお前ちゃんとリングに立って物を言えよみたいになるのはあまりにもっていう感じもするんで、
さすがにその悲鳴は悲鳴の裏を読み取って、
遊んでるだけつらいんですね、みたいな感じの話をしてたんですけど。
それぐらいだったらさすがにそうしますと。
でもそこまでじゃない。
ちょっと意地悪なことを言ってやろう、でも真意は別にあるんだよね、みたいな。
態度っていうのもあるんですよね。
それぐらいだったら、僕はそれをするのを受け付けてないんで、
リングに上がってちゃんと言ってもらっていいですかっていうようなことをやりますと。
例えばそれがちょっと理不尽な要求とか変な要求だとしたら、
分かりました、それしますって言って、いろんなとこ測ってみますねって言ったら、
相手としてはそれを受け入れてほしいわけじゃないからびっくりしちゃうんですよね。
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すいません、そういうことじゃなくて、
ようやくそこから普通のコミュニケーションが始まるんですけど。
僕としてはこの人段落いらなかったよね、みたいな。
だから次からはそこから始めてねっていうメッセージとかあるんですけど。
でですね、そんな感じの態度で対応していると。
それはどうなんでしょうね。
僕はそうやってその結果、ちゃんとお互いが普通にストレートな言葉をちゃんと伝え合う、
態度に伝え合うっていうのがいいのかなと思ってそうしてるんですが、
もう一つのやり方としてですね、
そうやって真意は別にあります。
でもちょっと理不尽なことを言って困らせてやろうみたいな感じで来ましたっていうときに、
まあまあまあまあまあまあって言いなせる人もいるんですよね。
なんかどうしたんすかまあ、みたいな感じで。
どうしたんすか、飲みに行きましょうよみたいな感じの言いなし方もできる人もいると。
で、何だろう、実はそっちを求めてる気もするんですよね。
なんていうか、単純にですね、そうやってこう、
なんていうか、目の前の人を、
なんていうのかな、なんかちょっとあれなんですけどね、
そういうちょっとある種の寂しさとかちょっと追い詰められた感情とかになると、
頼りになる人こそ困らせたいみたいなところがあったりとかして、
ほんとは寂しいからちゃんと相手をしてほしいっていう人こそ困らせたいみたいな感じになるところがあって、
そのですね、言葉を言葉通りに受け取ったり、
その末、ちゃんと思っていることを言うまで、
本当に花を木でくくったようなですね、言っていることにしか、
本当にそれはあなたの心から出た言葉として僕は扱いますよみたいな風に扱うより、
そういうのをですね、さらーっと流して、まあまあまあどうしたんですかみたいな感じの方が、
本当はその人が望んでることな気もするんですよね。
その弱さをですね、ちゃんとくるんであげてる感じがするんですよね。
で、僕のですね、この恋をリングにみたいな、
そういうのよりはですね、まあそういうこのまあまあでいなせるっていうのも一つのコミュニケーションなのかなという風に思いますね。
という感じでですね、いろんなコミュニケーションのスタイルがあるなという風に思いましたという話です。
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本日は以上です。ありがとうございました。