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2024-05-06 19:32

ゴールデンウィークも終わりますし真面目な話をします

サマリー

ゴールデンウィーク最終日には、人生を楽しむ方法や仕事とのメリハリの重要性について考えています。労働を最小限にして余暇を楽しむことや新たな経験を広げることができるというアマチュアの美学に触れています。最近、40代になると自分の限界が見えてくるという話が出てきました。客観的には、最近、自身は得意なことにフォーカスしなければならないと感じています。

ゴールデンウィークの充実
はい、どうもこんにちは、earlyのつぶやきです。
今日でゴールデンウィーク最終日、いかがお過ごしでしたでしょうか。
僕はですね、今年、過去、数、数えるほど有数の割といいゴールデンウィークだったんじゃないかと思いました。
どっかで旅行行ったとかでは全然ないんですけど、何が良かったのか。
あんま混んでるとこ行かなかったっていうのでストレス少なかったし、
あとは、なんだかんだ好きな銭湯ですね、行きつけの銭湯に短期間で3回ぐらい行けたのと、
とはいえなんか結構非日常的なキャンプっぽいこととか登山したりとかもできたっていうのと、
あと映画も2回オッペンハイマーと「名探偵コナン、100万ドルの五稜星(みちしるべ)」、映画館で見れたっていう、
なんかそういうところで比較的充実してた感じがしますね。
休みにして換算すると、1、2、3、4、5、6、7、8、9、9ですね。
1日だけ間仕事したみたいな、10連休にすることもできたんですけど、2日休みましたね、1と2を。
本来なんかそういう長期休暇だったら海外行かなきゃとか思うんですけど、今海外高いらしいじゃないですか。
あとは別にどんぐりFMでなつめぐさんも言ってましたけど、別にこの期間にあえて狭いとこ行かなくていいのと、
暇と退屈の倫理学
あとは僕はなんか当たり前ですけど気づいたのが、この期間混んでる場所があるってことは相対的に空いてる場所もあるっていうことで、
その一つがひょっとしたら銭湯だったのかな。普通に混んでたんですけどね。
あと、旅行とか行かなかった代わりに地元の千葉県とかその辺からアクセスできる、そこそこいいところをちゃんと使うみたいな。
一つが清水公園っていう大きなキャンプ場があるところで、デイキャンプもできたりするところで、ロビー、コテージみたいなの借りて、夜はバーベキューしてみたいな。
あそこはもっと多分ポテンシャルあるし、その翌日に日本最大級のフィールドアスレチックで水上コースみたいなとこがスーパーマリオになったような気分でですね、
本当に水浸しになるリスクを追いながらやったり、あとは筑波山、筑波山も日本の「百名山」って言われてる筑波山に子どもたちと一緒に登ったりして、
しかも結構タイムスケジュールギリギリかつ、筑波山結構登るの大変で、下の子3歳、上の子8歳みたいな感じで、よくやりましたねって感じですね。
そんな感じで、適度なチャレンジと非日常と、やっぱり常に日常生活で頭の中考えなきゃいけないことにとらわれてるのと、
水上アスレチックで足元滑ったら水浸しになるぞとか、もっと登山登って足踏み外したら大変なことになるぞみたいなところで、今この場に集中しなきゃいけないっていうのはすごくいいとされていたりするじゃないですか、目の前のことに。
っていうのがよかったし、あと昨日思ったのは、登山とかそういうのって、とにかく僕も以前富士山とか一回登ったときとかに、エネルギー不足が一番危険なので、適度に水分補給だとか糖分とかエネルギー取らなきゃいけないと思ってて、
自分の生命体としての機能が働いているなっていう、足し算引き算でいうと、なるべく足し引きでマイナスになるように体重を少なくしてみたいな、
なんかこう、すごく贅沢なというか、身体機能としての本質を見失ったようなボディと向き合ってるのと比べると、自分の体の特徴と、足腰の筋肉と手足の長さとみたいな。
エネルギーがどれだけ蓄えられてみたいな。
あとその場その場の判断力とみたいなのが、すごく目の前で発揮する。
頼るのは自分の体しかないみたいな。
そういう状況がすごく疑似的に作られるというか、
登山一度登り始めたらリアルなので、やっぱりこういう年代になって、当時最初の職場で結構登山にハマってる先輩がいて、
休みのたびに登山に行っててすげーなと思ってたんですけど、なんかその人もIT系エンジニアだったんですけど、なんかひょっとしたらすごくそれがリフレッシュというか、なってたのがよくわかる。
だから身体と向き合う。一定程度の年齢になるとみんなマラソンおじさんになるし、トライアスロンおじさんになるっていうのね。
ベタですけどよかったですね。
あとサウナおじさんになる。だからベタベタベタ、ベタを繰り返したみたいな感じで。
もうそんなんでいいんじゃないか。
なのでゴールデンウィークだからすげー特別なことをするというよりも、週に1回それがあったらご機嫌に過ごせるみたいなのを、2日に1ぺんぐらい畳みかけたみたいな。
ずっとたぶん楽しいことばっかしてるとそれはそれで疲れちゃうんで、それをやる人やらない人、オフの人。
今日とかは結構オフの日なんですけど、あと本も読むようにして。
今読んでるのがネットでホームの人が紹介して、結構みんな読まれてる。
前も紹介したかもですけど、「暇と退屈の倫理学」https://listen.style/p/early/dd5dbskm?t=441.18 っていうのと、その人の同じ目的への抵抗っていう、国分巧一郎先生の本を読んだりしてて。
この辺もなんかでも考え方がすごく似通ってるというか。
まさに今、暇と退屈っていうものに向き合うゴールデンウィーク。
そもそも長期休暇が何のためにあるのかとか、考えようになったらすごく不思議ですよね。
労働と余暇のバランス
なんとなくみんな休みとはいいものだとか、なるべく資産を形成して早めにリタイアなりファイヤーしたいんだとか。
でもファイヤーなんかしても、若いうちから仕事を失ったらそれこそ退屈に我慢できないじゃないかってよく言うんですけど。
それは多分本当そうだと思いますね。
なのでいかにして、誰か言ってましたけど、人生なんて死ぬまでの暇つぶしだみたいな。
それは本当ひとつ心理なんだろうな。
で、暇ってあんまりネガティブな意味じゃないみたいですね、この文脈でいうと。
で、退屈はたぶん暇じゃなくても退屈ってことはある。
だから退屈はあんまり良くないもの。
あとはすごくこの暇と退屈の倫理学を読んでるときに、阻害?阻害論みたいな言葉があって。
ざっくり言うと、労働は阻害、人にとっては阻害、避けるべきものってことで。
これからたぶんまた平日が始まる、ずっとゴールデンウィークだったらよかったのにみたいな。
本来人は労働するためにできてないみたいな話とかあるんですけど、
でも当たり前ですけど、人が働かない限りマクドナルドでハンバーガー作ってくる人もいないし、
ヤマトさんで物運んでくる人もいないしってことで、
必要のある社会インフラとか、それを担う。
ただ、僕の中でこの本を途中まで今読んでる、暇と退屈の倫理学を読む中で思ったのは、
当たり前ですけど、仕事をゼロにすることもない。
ただ、仕事だけで人生を楽しいことを仕事にするのがいいよねみたいな話が分かるんですけど、
そうすると結局メリハリがなくなるんですよね。
なぜかというと、だって楽しいことやってるんだから土日も仕事し続けて別に苦じゃないじゃんみたいな。
ただ、そうすると同じことばっかりし続けちゃうんですよね。
もちろんそれですごく飛び抜けるっていうことにつながるかもしれないんですけど、
それ面白いかっていう話。
あとは、めぐりめぐって同じことばっかりしてると結構、自分が面白いと思ってることも面白くなくなると思うんですよね。
ずっと甘いもの食べてたら飽きちゃうのと同じでしょっぱいの食べたくなるなみたいな。
労働っていうのが決して遊びとは違うと思うんで、この本で言ってたのは、
労働仕方ないから必要最小限の時間に留めようぜってことで、
僕は分かったのは残業しないで働くみたいな。
それでいいんじゃないかなって思ったわけですよ。
で、残業しないでそれ以外の日常生活、趣味だったり、子供との時間だったり料理だったり、
そういうことを、しかも自分は本業がプロフェッショナルだけど他のこと、
じゃあ登山やるから登山家って言うと登山家じゃないし、
サウナやるからサウナ専門家かって言うとサウナ専門家でもないし、
何でもかんでも突き詰めると勝手に専門家になっちゃうこのご時世。
僕はそれ結構いいと思ったんですけど、なんかよしよしだなと。
アマチュアの美学というか、別にいろんな側面あっていいけど、ただ趣味でやってるだけっすみたいな。
その方がいろんなことが経験できていいなって思いました。
なので中途半端な経験値を広げていくことで、
自分の限界とフォーカス
多様性なりいろんな経験値を自分の中に取り込むことができて、
それが気づいたらすごくピシッとハマるものになるのかなと。
最近40代ぐらいになると人生の自分の限界が見えてきて、
得意なことにフォーカスしなきゃいけないっていう話が出てきたんですけど、
僕は最近、今大きく法務ってところからプライバシーみたいなところにシフトしたように客観的には見えるんですけど、
その選択自体がどうだったのかっていうこと自体もなんとなく諸説分かれる感じがするんですけど、
まあまあまあ今のところなんとなくうまくいってる感じもするし、
あとは逆に言うと別に客観的な正解もないし、
好き勝手やって爆死するもんよし、何かに撤退できないかって言って撤退できないわけでもないし、
だから理屈上はチャレンジに関してのコストはゼロだろうから、
なんかいけるとこまでいっちゃえばいいのかなって思って、で、その結果うまくいく。
で、昨日読んだモエルペンか何かで、どうやったらプロの漫画家になれますかみたいな。
炎もゆる先生が漫画予備校の学生に対するアドバイスが秀逸で、
もうイメージするんだと、プロになった瞬間を。
本当にイメージできたものから本当になっていくと。
で、結局漫画家っていうのは自分が信じた嘘を人に信じ込ませるのが仕事だから、
それをまず最初に自分に対して信じ込ませられなかったら他人なんか到底できないだろうと。
イメージすることが大事なんだっていう話をしてて、
で、そんなこと本当にできるんですかって。やればわかる。
やらなかったら一生わからんっていう名言がネットとかでもよく出てくるやつの元ネタがそうでなんですけど。
2つあって、やってみるとわかんないってことと、
なんとなく僕の今のモヤモヤってきた感覚は、やってみたってわかった。
逆に僕が今が成功してますっていうふうに当てると、成功の定義も多様なんですけど、
少なくとも何か自分が数年前に絶対成し遂げられなかっただろうということが一つ成し遂げられてるんですね。
で、それって結構こんな方法があったんだっていう感覚に近いんですよ。
端的に言うと職業的なポジショニングの話なんですけど、
で、それをいやいやいやっつって引き下がることも正しいし、
健全な違和感を持って軌道修正することも大事なんですけど、
このままなんだろうな、うまく自分を騙して、
いい意味でブレーキをぶっ壊して突き進むことも場合によっては必要なんじゃないかなっていうふうに、
いろいろ本を読んだりして自分の中で考えた。
そういう視点の多様性とか、バランス感覚みたいなところって結構自分って二枚舌だなって思ったことがあるんですね。
バスケ部やりながらも生徒会もやって、リスクヘッジしてる自分ってちょっと嫌いみたいな。
でもそのリスクヘッジって、あと小学生の時にいじめっ子を守っていじめっ子グループからはぶられて、
自分もいじめられたみたいなリスクを俯瞰的に見た時に、
とはいえそのままいっても自分的にはリスクばっかだしみたいな感じで、
多分こう考えてるんですよね。
そういう俯瞰してた視点ってどこから生まれるのかというと、
いろいろ漫画を読んだり、本を読んだり、インプットしてた中で無意識に伝わってきてたんじゃないかなって今思うんですね。
思った以上に自分ってものの複雑性とか、小鶴がしこさとかっていうものはあるんだろうなというふうに、
自分なりに自分の気質というか性質を認めてみたいなと思ったんですよ。
そういうふうに自分の棚下ろしとかができてる感じがするのは、本を読む時の良さ。
すごく自分に刺さるなって思うとこがあって、いろんな本を読むと面白かったですね。
最近ゴールデンウィーク中読むぞって言ってたプロダクトマネージャーの仕事っていうオライリージャパンが出てる本を読むと、
すごく家庭生活における学びがあるなとか思ったり、
例えばすごくこれ大事だなと思ったのが、コミュニケーションを多く取ることが大事で、
コミュニケーションを取らないことで起きるミスは致命的だけど、
コミュニケーションを取りすぎたことでは苦言を受けされるとか鬱陶しがられるぐらいしかないから、
トータルで考えたらめちゃくちゃうざがられても、どんどん伝えることって大事だよねっていうのは、
いろいろ学びがあるなと思って。
ただこのプロダクトマネジメントの勧めは、あまりに仕事に対して学びがありすぎたので、
僕は休み中に途中で読むのを少しやめました。
なぜかというと、頭の中が仕事っぽくなっちゃう。
それだと自分の中で仕事っぽいモードとそうじゃないとあるのかなと思いましたけど。
お昼ご飯なんでこんぐらいしておきます。
最後ゴールデンウィーク過ごしましょう。
バイバイ。
19:32

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