1. Dialogue cafe
  2. #22-1 バイオリンの街クレモナ..
2023-12-20 32:48

#22-1 バイオリンの街クレモナのリサさん【北イタリアに耳をすませば ゲスト:バイオリン職人 坂本リサさん】

▼内容:
初めてのオンライン収録/バイオリンの街クレモナ/夫婦で営むバイオリン工房/バイオリン職人になるには/リアル「耳をすませば」?天沢聖司君みたいにストイックな旦那さん/子どもが生まれてから始まったイタリア社会との関わり/元服飾デザイナー/「やりたいことをやる!」若干11歳、病気をきっかけに生き方を決意/海外での生活と12年ぶりの帰省

▼出演:
ゲスト
坂本リサさん(バイオリン職人、ステークホルダーマネージャー、ブロガー、イタリア クレモナ在住、3児の母)
リサ@会いたい人に会いに行くfrom IT

MC
田中優子(元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、1児の母)
岡澤陽子(ブランドコンサルタント、戦略リサーチャー、ビジネスメンター、2児の母)

▼番組への質問・感想はこちらまで

サマリー

イタリアのクレモナに住んでいるバイオリン職人の坂本リサさんがお招きされました。クレモナはバイオリン作りの町であり、世界中からバイオリン作りを志す人たちが集まる工房がたくさん存在します。バイオリン職人として活躍する坂本リサさんは、クレモナのバイオリンの価格や制作プロセスについてお話しになります。また、甲状腺の病気になったことをきっかけにバイオリン作りに没頭し、イタリアに移り住むことになった坂本リサさんの生い立ちや海外生活についてもご紹介いたします。

00:01
坂本リサ
Dialogue cafe。この番組は、40代で組織を離れ、ワーク&ライフシフト中の田中優子と岡澤陽子の2人が、身近な出来事から社会課題まで、最近気になるあれこれを好奇心のまま語るポッドキャストです。
田中優子
Dialogue cafe。この番組は、40代で組織を離れ、ワーク&ライフシフト中の田中優子と岡澤陽子の2人が、身近な出来事から社会課題まで、最近気になるあれこれを好奇心のまま語るポッドキャストです。
坂本リサ
Dialogue cafe。この番組は、40代で組織を離れ、ワーク&ライフシフト中の田中優子と岡澤陽子の2人が、身近な出来事から社会課題まで、最近気になるあれこれを好奇心のまま語るポッドキャストです。
田中優子
Dialogue cafe。この番組は、40代で組織を離れ、ワーク&ライフシフト中の田中優子と岡澤陽子の2人が、身近な出来事から社会課題まで、最近気になるあれこれを好奇心のまま語るポッドキャストです。
Dialogue cave days.ores improper
Dual live.パ Minecraft centraontop观賞
Dual live.パ Minecraft centraonop
岡澤陽子
Dual live.パ Minecraft centraonop
これ今うちの犬
坂本リサ
リサさんは
田中優子
イタリアの
クレモナのバイオリン町
坂本リサ
クレモナっていう
バイオリン製作の街に住んでいて
田中優子
場所で言うとミラノの近くです
ミラノの近くなんだ
田舎ですか
坂本リサ
田舎ですね
でもね
人口で言うと
6、7万人都市くらいで
大変だとまあまあ大きくて
ブランドのお店とかも
マックスマーラとかあったりする
みたいな感じの
ミラノからどれくらいの距離なんですか
ミラノはね
距離だと100キロくらい
電車で
1時間ちょっとくらい
岡澤陽子
ですね
そんなにすごい離れてるわけでは
坂本リサ
ないんですね
田中優子
クレモナからですね
坂本リサさんに
今日はおいで
おいでいただいてないですね
つないでます
めっちゃ遠くとつないでます
リサさんは
ちょっと前に出てもらった
田中健次郎さん
田中健さんと一緒に
働き方ラジオっていうね
ポッドキャストをやってたりとか
田中健さんとはいろいろ
いろんな活動を一緒にしてるんですかね
ライターゼミとか
坂本リサ
コミュニティ活動とか
仕事も一緒にしてるし
ポッドキャストもしてるし
ほぼほぼいろんな活動を一緒にしてますね
最近ここ
田中優子
田中健さんを通して
田中健さんを通してでもないんですよね
突然リサさんからDMが来た
坂本リサ
っていう
田中優子
きっかけ
坂本リサ
田中健さんと
田中優子
一緒にやってる
リサですみたいな感じで
DMを送っていただいて
いただいて
坂本リサ
それで
田中優子
どうもみたいな感じで
オンラインで一回お話ししました
坂本リサ
なんでだっけ
働き方ラジオに
田中さんがゲストで出ていただいて
あ、と思って連絡して
私も話したいと思って
連絡して
会いたい人に会いに行く活動家と
名乗って
いろんな方にお会いして
お話ししているので
連絡しました
田中健さんには言ってなかったと思う
田中優子
田中健さんは知らないけど
坂本リサ
突然
知らないけど
田中優子
そういうことなんですね
坂本リサ
だから
田中優子
なんか突然ね
だからリアルにお会いしたことはなく
オンラインで
っていう感じなんですけど
イタリアに住んでるっていうだけでもね
我々はこうやって
こうやってお話しできるだけでも
すごい嬉しいんだけど
なんか聞くと
さっきの
なんだっけ
リサさんのバイオリン製作
田中優子
バイオリンの話が出ましたけど
バイオリン作ってるんですか
坂本リサ
そうなんですよ
なんか実は
メインの仕事は
バイオリンを作る仕事をしていて
日本人の夫と2人で
クレモナで
バイオリン工房をやっています
岡澤陽子
その時点でね
田中優子
なんかね
岡澤陽子
耳をすませばでしょ
坂本リサ
これ
耳をすませばの
浜沢誠二くんが
修行に行った町に
田中優子
まさに
でしょ
ストラティバリウスでしたっけ
の町なんでしょ
坂本リサ
町なんですよ
そうだから
ストラティバリウス
ストラティバリウスが
住んでいた場所とか
工房があった場所とか
そういうゆかりの場所が
たくさん残っていて
お墓を買った場所とか
そういうのを
いつもお散歩しながら
見ながら暮らしています
岡澤陽子
楽器の工房とか
工房系が多い町
とかなんですか
坂本リサ
それがメインの
商業の町
っていうわけではないんですか
もともとバイオリン作りが
ストラティバリの前から
アマチュリとガルネリっていう
作ってた人がいるんですけど
1600年代ぐらいから
バイオリン作りが
盛んだったっていうことで
それが一つの
町の
名物じゃないけど
一つ大きな
テーマみたいになって
今も学校が
あったり有名な工房があるので
世界中から作りたい人が
集まってきて
工房も増えて
っていう町ですね
でも工房自体は
登録されてるとこで言うと
ちょっと正確なとこは分かんないですけど
100件前後とかそれぐらいだと思います
田中優子
バイオリン
日本でバイオリンって作ってんのかどうか
知らないけど
なかなかバイオリン工房が100個集まってる
坂本リサ
町っていうのもやっぱすごいなって思うんだけど
そうかも
一つの町にそれだけ工房があるっていうのは
世界的に見ても少ない
実は知られてないんですけど
日本の個人のバイオリン工房
弦楽器工房っていうのは
全国にいろいろある
あるんだ
岡澤陽子
そうなんですか
坂本リサ
そうなんです
なんか日本で勉強して
工房開かれてる人がいたり
海外で勉強して戻って
工房やってる人とかもいたりしているんですよ
意外と
バイオリンを作ってる人っていうのは
もともと
田中優子
バイオリンを作るっていうのは
坂本リサ
旦那さんが
田中優子
やってた
ところに
イタリアに来てから
伊沢さんは始めたんでしょ
坂本リサ
そうそうそう
うちの主人はもともと
高校まで
ジュニアオーケストラで
チェロを弾いていた人で
弾いていたんだけど
作る方に興味があって
中学生ぐらいから
職人になるって決めていたそうで
大学を出た後に
クレモナに単身渡ったんですね
私はその時
時々遊びに来ていて
クレモナの主人のところに
何回か遊びに来て
田中優子
どこで知り合ったの?
どこで知り合ったの?
坂本リサ
東京です
田中優子
何歳の時に?
坂本リサ
19歳の時に
田中優子
大学生?
坂本リサ
そう
2人とも大学生の時に
主人は福島の
郡山出身で
大学で東京に来ていたので
そこで知り合って
でも単身
イタリアに渡っちゃったんで
私は時々その後遊びに来ていて
主人は
ずっとバイオリンを作っていると
私が来ても
どこにも行かずに
レストランにも行かないし
旅行にも行かないし
クレモナ
出ないっていう
ずっとバイオリンを作ってるっていう
ところに私は遊びに来て
でもそれが
すごい生き生きと作っていて
すごいと思って
そんなに楽しそうに
夢中になれるものなんだって思って
作れるなら私も作ってみたいって言ったら
作れば?って
教えてくれるの?って言ったら
教えてくれるって言うんで
私も作り始めたというのが
最初に
最初?
岡澤陽子
バイオリンを作り始めた最初に
旦那さん
中学の時に
もうすでに職人になるって
決められていて
それでちなみに大学は
坂本リサ
何の専攻されたんですか?
大学は経済学部
岡澤陽子
え?
田中優子
なんでなんでなんで?
岡澤陽子
そこはなんでなんで?
坂本リサ
そこはもう
職人になる
クレモナに行くっていうのも決めてて
職人になるっていうのを決めてたんだけど
ちょっとその前に
違うこともやってみようかなってことだったみたいで
田中優子
それはなんか
親とかが
職人になるなんてみたいな
なんかそれ反対があったとか
そういう
坂本リサ
全然全然
田中優子
そういうのもなく
坂本リサ
全部自分で
もう全部自分の意思で
そういうことだったみたい
田中優子
経済学院に行ったんだ
岡澤陽子
面白い
坂本リサ
ねえ
田中優子
でもいつ
絶対職人になるんだったら
坂本リサ
絶対職人になるんだ
田中優子
でも決めてたんでしょ?
坂本リサ
もうそれは決めていて
そうなんですよね
でもなんかいろいろその頃
やっぱ大学行ったこととか役立ってるみたいで
あのバイオリン職人って
バイオリン作ってるだけじゃ生きていけないので
やっぱり
それこそ経営とか営業とか販売とか
全部やるんですよ
一人でっていうか
工房の中だけで
でうちは私と主人二人でやっているので
やっぱりパソコンでいろんなものを
作業するものとかも多いし
なんか個数字を扱うことも多いから
いろいろ役立ったようなことは言ってましたね
うん
販売まで
岡澤陽子
工房ですけど販売までやられるんですか?
坂本リサ
そうなんですよ
あの作っただけじゃなくて
売りに行かないといけないから
岡澤陽子
お客さんってこう
なんですかね
その個人のお客さんですか?
坂本リサ
個人の方もいるし
あとはお店に置いてもらってるところも
楽器屋さんにもあるし
もう楽器作った
オーダーもらったりとかすることも
本当にたまにあるんですけど
本当に稀で
売らなきゃいけない
田中優子
バイオリンってやっぱり
バイオリンの種類と価格
田中優子
基本的には手作りのものしかないんですか?
坂本リサ
いやバイオリンの種類だけで言うと
手工品と工場
手作りのものと工場製のもの
あと半工場製とかいろいろあって
田中優子
あるんだ
へー
坂本リサ
お稽古用ですごく手軽な金額で買えるものとかだと
田中優子
あーそういうのもある
あーそうなんだ
でもじゃあ
そういうこう職人さんが作ってるっていうのは
高級なものってことだよね?
坂本リサ
高級っていうか
全部手作り
田中優子
いくらぐらいするんですか?
分かんないけど
一般で売ってるのは売ってるもの
坂本リサ
人によってそれぞれなので
田中優子
あー
バイオリンの価格
田中優子
作家さんみたいなものとか
坂本リサ
そうかもしれない
あとは例えばイタリア人のマエストロの楽器はすごく高いとか
田中優子
なんか時々そう
一個1000万とか
なんかそういうの時々聞くじゃないですか
坂本リサ
それはね多分古いオールドがある
田中優子
あーなるほどね
坂本リサ
古い楽器はまたちょっと別で
新作とオールドっていうのがあって
田中優子
あーなるほど
坂本リサ
古いのはなんかこうやっぱり
何なんだろうな
本当にその例えばストライバリーが作ったとか
もう本当その後の世代の方とかでも
有名な方が作ったとか
有名な人が弾いていたとか
音がいったとか
そういうので値段が上がっていくので
ちょっとまた新作と違って
骨董じゃないけど
コレクターの方がいたりとか
別世界なんですよね
バイオリン職人のプロセス
坂本リサ
そっちは
岡澤陽子
なんかもうヴィンテージとか
もうプレミアムの世界なんで
コレクションというか
坂本リサ
そうコレクターがいたり
あとオークションがあったりとかで
ちょっとうちはそういうのは
新作メインだから
取り扱いがほとんどないんですけど
だから幅
バイオリン工房って
一言で言っても
何をメインにしてるかっていうのは
工房によってバラバラなんです
田中優子
えー
岡澤陽子
なんか職人って
こう
弟子入りして
坂本リサ
うん
うん
田中優子
うん
うん
うん
うん
うん
坂本リサ
うん
うん
坂本リサ
うん
岡澤陽子
the 方について
10年何十年みたいな
すごいイメージがあるんですけど
そのバイオリン職人になる
こうプロセスってどういう
どういうプロセスなんですか
しかも大学経済学部を出て
その後
坂本リサ
プロセスはもう
その人その人で違うと思っていて
例えばあの
えー
制作学校に行く
っていう方もいるし
直接工房に弟子入りするって方もいるし
私みたいにたまたま来てたまたま作り始める人もそんなにいないですけど
クレモナでの生活
坂本リサ
いたりとか
かな
なんかプロセスっていうと
一般的なプロセスで言うと
あの
制作学校に入る
あの
最後終わりの方で
インターンみたいな感じで
どこかの工房にちょっとお世話になる
でそこでまたちょっと
あの
技術を磨いて
一人立ちで
するみたいな
田中優子
旦那さんは
制作学校に入ったんですか
その
クレモナの
坂本リサ
クレモナの制作学校に入って
えーとすぐ辞めました
田中優子
あそうなんだ
坂本リサ
あのクレモナの制作学校が
日本の学校教育でいう
高校に
あたるんですね
そうするとあの
高校がイタリアは5年生なんだけど
あの
制作の時間以外に
体育とか
岡澤陽子
そうなんですね
普通に
田中優子
あるんだ
坂本リサ
ソセージとか
ソセージ社会とか
あのイタリア語とか英語とか
普通にあるから
あの
うちの夫はそこは別に
やりたかったわけではないと
制作をしたいということで
入ってくるから
学校じゃなかったなと思って
直接
イタリア人の
あの
マエストロのところに
行って
工房に通って
岡澤陽子
作ってくる
坂本リサ
作っていたっていう
田中優子
じゃあ弟子入りしたってことかな
坂本リサ
弟子入りしたってこと
うんそうかな
まあ教えてもらって
田中優子
日本人でその
バイオリン作りたいって
クレモナに来る人って
坂本リサ
はい
田中優子
いる
結構いるんですか
そんないないような気もするけど
坂本リサ
いっぱいいる
いっぱいいる
いっぱいいる
本当
田中優子
それ何耳をすませば
効果
坂本リサ
そうでもあるのかな
ちょっと分かんないけど
あの
本当に年齢も
様々な人が
中学出てすぐ来る方もいたり
あとは
サラリーマンやってたけど
例えば40代で
脱サラっていうか
辞めて
夢を叶えに来る
っていう方もいたり
あと60代で来られた方も
いたりしたし
女性も多いですね
意外と
岡澤陽子
女性が多いんですか
坂本リサ
男性の方が
どうかな
どっちが多いのかな
女性も普通に
田中優子
そうなんだ
坂本リサ
女性の方が
田中優子
なんかその
一人前のバイオリン職人になるのに
どれぐらいかかるとか
それも個人差ありそうだけど
なんかあるんですか
旦那さんは
その修行から独立までって
どれぐらいかかった
坂本リサ
ちょっと覚えてないんだけど
うちの主人は
実は日本でこう
いいのかな
こんなに主人のことばっかり話してる
田中優子
いいなら聞きたい
坂本リサ
実はシェロを弾き
ながら
ジュニアオーケストラで
シェロを弾きながら
高校生の時に
日本で
ある楽器作りの方のところに
通って作ってたみたいです
岡澤陽子
高校生で
田中優子
作ってたんだ
坂本リサ
作ってみたい
っていうこと
田中優子
もうリアル耳を
坂本リサ
過ごせば
田中優子
ちょうどだって映画やってた頃でしょ
坂本リサ
やってた頃かもしれない
それに触発された感じは
全くない
ないですね
田中優子
でもりささんが出会った時には
職人になるだっていう話で
いずれイタリア行くんだって
坂本リサ
言ってたってことでしょ
もう行くんだって言って
お金貯めてた頃
岡澤陽子
すごい
田中優子
なんかブレない
すごいね
しかもどこも行かずにずっと
バレオリンだけを作る日々のところに
りささん遊びに行ってたって言ってたから
そういう
坂本リサ
もう今でもそんな感じなんですか
主人はそうかな
でもやっぱり子供
子供が3人いるんですけど
こっちで生まれ育っている
年中も大きくて
19歳17歳13歳で
子供が生まれてから
もう激変した感じはありますね
私たちの生活が
田中優子
そうなんだ
うん
坂本リサ
ずっと作った
もう二人でずっと作ってた生活が
やっぱりそれだけじゃなくなる
から
子供を病院に連れて行ったりとか
保育園
みんな1歳前後から
地元の公立の保育園で
お世話になってるんですけど
送り迎えが始まったり
やっぱりその
保育園に関係する
行事に参加したりとか
そういうのがやっぱ増えてきたから
逆になんか
私はそれがすごい良かったなと思って
そこで一回
自分の
世界が広がった
イタリア社会と
やっと繋がったなっていう感じを
一回そこで
岡澤陽子
はいはいはい
それはすごい分かります
子供が生まれると
地域社会との繋がりが
生まれますよね
田中優子
そうだよね
坂本リサ
そう
なんか
妊婦さんの時から
みんなすっごい優しくて
なんかもう
イタリア自体が
子供は神様からの贈り物で
って言われていて
なんかもう子供もすごく
みんなに愛されるし
妊婦さんもすごい優しくしてもらって
なんか妊婦特権がなくなるよね
産んだらみたいな
よく主人に言われていて
それぐらい
よくしてもらって
3回経験できたんで
すごい良かったなって思って
田中優子
リサさんも
こっちに来てから
結婚をして
するタイミングでイタリアに来た?
坂本リサ
先にこっちに来て
2000年に私は
こっちに引っ越してきたんですけど
結婚したのが2004年
2003年で
長女を産んだのが2004年なんで
田中優子
最初の2,3年は
結婚はしてないけど
坂本リサ
一緒に住んでた
田中優子
それ時々日本に帰ったりしてて
普通に
観光ビザで来てたってこと?
坂本リサ
その時
はどうだったかな
時々来てたのは
2000年より以前の話だから
住むってなってからは
こっちで
ビザを取って
岡澤陽子
リサさんは
大学時代から
ご主人が
先にイタリアに行かれてたから
遊びに行ったりしてて
卒業してから
日本で就職はせずに
そのままイタリアに行かれたら
坂本リサ
私はまたちょっと
バイオリンと全然違う仕事を
もともとしていて
日本でもともとの専門分野は
服飾
洋服をデザインして
製造して作るっていう
そこが大好きで
今でも大好きで
専門なんですね
イタリアにちょくちょく遊びに来てた頃は
服を作る仕事をしてました
フリーランスで
田中優子
フリーランスで
岡澤陽子
フリーランスで
坂本リサ
それも語学とか文化系の短大に
高校卒業した後に
そこはそこで楽しかったんだけど
やっぱり私服作りたかったんだと思って
その後
服飾の専門学校に通ったんですね
その後は
自分で
バイトもしながら
服を作る仕事をして
おかげでたまったら
クレモナに行くっていう生活をしてました
岡澤陽子
どういう系の
デザインから全部
ご自分でされて作って
坂本リサ
なんでも子供服から
紳士服からスーツから
ウェディングドレスから
なんでも
田中優子
納品するところまで全部のプロセスを一人でやる
全部
服は好きだった?
坂本リサ
服大好きで
小学生の頃の将来になりたいものも
ファッションデザイナーって
書いてたぐらい大好きで
夢は
お洋服屋さんを一軒買うとか
そういうこと言ってたぐらい
岡澤陽子
かわいい
田中優子
服は作ってないんですか?
坂本リサ
服はね
売るものは作ってないけど
子供たちが小さい頃は
すっごい作ってましたね
岡澤陽子
すごい
田中優子
あとは
坂本リサ
いろいろ
ミシンで何かやったりとかができるから
すごい頼まれるんですよね
友達に
ちょっと直してとか
ファスナーを
壊れちゃったから
買えたいんだけどとか
もう生地買ってきたから
カーテン作ってほしいとか
いろいろそういうのできるよって
言ってると
頼まれるので
それは特に
すごくお金も払うから
って言うから
いただくんですけど
楽しくてやっているというか
収入のためにというよりは
バイオリン作りに没頭するきっかけ
坂本リサ
頼まれたら
全部やる
みたいな感じで
やってますね
岡澤陽子
手先が器用なんですね
きっと
坂本リサ
小さい頃から
本当に細々したものを
やったり書いたりが大好きで
何か作ってたりとか
折り紙とかも好きだし
絵描くのも好きだし
とにかく
クリエイティブなことが
子供の頃も好きだし
今も変わらず好きでやってるっていう
感じなんですよね
ちょっとこれ
後付けというか
振り返って思ったのが
私11歳で生き方を決めていて
そこからブレてない
岡澤陽子
どう決められたの?
しかもきっかけは?
坂本リサ
もともと
生まれた時から
やりたいこと
イコールやるみたいな感じで
習い事も大好きで
ピアノやったり
書道やったり
日本病やったり
英会話やったり
毎日楽しく習い事に通ってた子だったんですけど
11歳の時に
甲状腺の病気になって
バセド病
特に
命に関わる病気とかじゃないんだけど
すごい疲れる
食べても食べても
体重が増えないみたいな
ちょっと喉のとこが
わかります?
岡澤陽子
私もなりました
坂本リサ
本当?
なりました?
岡澤陽子
すごい疲れやすいんですよね
動けなくなるというか
それをそんな11歳で
子供で
坂本リサ
昨日方針症の方だったので
低下症じゃなくて
本当に疲れる疲れるって
言って母は
子供が疲れるって何?
みたいな感じだったんだけど
ちょっと喉見たらもしかしてと思って
外の
かかりつけの内科の
お医者さんに連れてってくれたんですね
だからそこで先生が
多分私を安心させようと思って
なんかニコニコしながら
ああ大丈夫大丈夫
なんかね
もう今の時代は
お薬あるから
昔は死んでた病気だけど
死なないからって言ったんですよ
またすごいショック受けて
そこで
でもなんかその時
東京に住んでいて
富士山噴火するかもしれないし
大きい地震も来るかもしれないし
私は戦争ももうないとも思ってなかったから
なんかこう薬が手に入らない
っていうことが
起きるかもしれないって
すごい思って
そうしたら
すぐじゃないにせよ
私は生きていけないのかもしれないって
すごいショックを受けて
でもなんかね
立ち直りが早いんですよね
そこでもうすぐ
だったら今まで以上に
やりたいと思ったことは
片っ端からやろうって
早いな
田中優子
その決意が11回
岡澤陽子
11回
坂本リサ
思って
特に悲観もせず
疲れるから
ちょっとその病気が分かった時は
薬飲みながら
体育とか休まなきゃいけなかったりとか
ちょっとあったんですけど
基本的には薬を飲んでいれば
数値も正常で
普通の生活ができるっていうことで
その後は特に問題もなく
すくすく育ったということに
なんだけど
あの時ちょっと決意を固めたなっていうのは
振り返ったら
思いましたね
田中優子
それででもやりたいことっていうのはね
たくさんあったってことでね
服を作りたいもそうだし
海外生活の始まり
田中優子
バイオリン作りたいって思ったら
作るぞみたいな
イタリア行きたいと思ったら
行くぞみたいな
坂本リサ
だから結構周りからすると
また違うことやってるよって感じなんだけど
特に一つのことを一貫して
バイオリンは25年くらい作ったから
結構作ってるんで
長い方だと思うんですけど
だから本当に
その時その時で
ハマったものに
邁進するっていうか
ところは
変わってないんだと思います
岡澤陽子
すごい素敵
しかもなんかすごい
その多分行動力が
引き寄せてるかというか
だってファッション好きで
坂本リサ
岡澤陽子
ファッションの道に行って
今の旦那さんと出会って
ミラノから1時間の
距離のところに
住むことになって
ミラノもファッション好きだったら
やっぱり楽しいじゃないですか
街としても楽しいし
そこで同じく
ものづくりの方の道に
また行って
すごく引き寄せて
いろんなところに進んでる
かつ進行中みたいな
坂本リサ
常に現在進行中っていう
感じ
でもやっぱり海外に出たのは
すごく良かったなというか
逆に
もともと海外に
行こうと思ってたんですよ
これまたちょっと話が変わる話
なんだけど
高校生の時から
高校生になった時から
私日本で
ユネスコアソシエーション
みたいな
いろんな全国にあって
協会活動
ボランティアしたり
海外の留学生と
リトリート企画してやったり
みたいなのを
英会話習ったりとか
それをずっと16歳の時から
こっちに来る前まで
10年近くやっていて
海外憧れっていうか
海外には絶対行こうって
思ってたんですね
だからイタリアじゃなかったんだけど
行きたかったとこは
流れとしてイタリアに来て
でもなんか
海外に出たことが
すごく良かったなっていうか
むしろ出なかったら
いろいろ見れなくて
日本語外からとか
例えば外の世界とか
日本の中にいただけたと
違う人生だっただろうな
日本とイタリアの違い
坂本リサ
っていうのはすごい思いますね
出た途端
全然通用しないから
日本の常識っていうか
田中優子
確かにね
日本にはあんまり
結構長く帰ってないって
前おっしゃってた気がするんですけど
坂本リサ
そうなんですよ
結婚する前は年に1回ぐらいは
帰ってたんだけど
やっぱり子供
五輪家族ってなるとなかなか
帰るのも大変で
本当に
久しぶりに
今年1月2月で
一人で帰った
田中優子
そうなんだ
坂本リサ
両親が元気
まだ元気なので
80前後の両親が
元気なので
みんな家に会いたいなと思って
帰りたい帰りたい帰りたいって
仕事も関係なく
遊びに帰ったみたいな感じだったんですけど
田中優子
相当久しぶりだった
坂本リサ
何年ぶりだったんですか
家族で帰省したのは
2010年が最後だったので
その後
正確に言うと
2017年に
ちょっと家族の問題があって
実家4泊で
弾丸で帰ってきて
帰ったことはあったんだけど
その時は何も見てないし
誰にも会ってない
ほとんど人にも会ってなかったから
私の中で帰省した
里帰りしたっていう記憶はなくて
もうゆっくり帰ったのは
12年ぶりぐらいの感覚としては
こんな感じでした
岡澤陽子
お子さんとかは全然
日本に触れてない感じ
なんですか
坂本リサ
行ってますね
長女は5回ぐらい行ってるかな
子供が
1人だった時はまだ結構帰れたんですよ
身があるっていうか
お金の面だったり
日本の滞在先だったり
1人2人3人ってなった時に
なかなか
行けなくなっていき
そうなんですよね
最後帰った2010年が
一番下の子が
男の子が生まれて
生後3ヶ月の時に
帰ったかな
だから下の子だけ
自分の中に記憶がなくて
上のお姉ちゃん
上は女の子なんですけど
お姉ちゃんたちは
幼稚園小学校中学校とかで
小学校かな
3、4回帰ってるんで
記憶としてはあって
みんな遊びに行きたいって
よく言ってますね
岡澤陽子
家の中では日本語で喋るんですか
坂本リサ
家の中はね
家族5人の時が
日本語
こっちで育ってるんで
3人とも
ラックなんですね
イタリア語で話す方が
日本語も話せるけど
兄弟感は
イタリア語が多いかな
最近
日本語絶対家では使いなさいとか
そういうのもうちは全然していなくて
日本語教育もざっくりなので
自然に使いたい方を使うのが
いいんじゃないかなと思って
言葉は
思ってます
田中優子
ちょっとイタリアでのね
生活の話を
もっと聞いてみたいなと思うので
あの
今回はここまでにして
えっと次回
あのイタリアに来てから
どんな感じで
あのこの社会に子育てもね
坂本リサ
してるし
田中優子
そのいろんな
あの地域社会との関わりみたいな
あと日本とイタリアの違いみたいな
話ができたらいいかな
というふうに思っています
では次回
32:48

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