赤羽雄二
このタイトルについている、自己満足ではないという言葉なんですけど、
岡大徳
どういった理由で、この自己満足ではないという言葉をつけられたんですか。
赤羽雄二
これはたくさんの方と話をしている中で、話を聞きましょう。それはもちろん聞いてますよと。
部下の話を聞いてるし、奥さんの話も聞いてるし、子どもの話なんか絶対よく聞いてるっていうふうに、みんな聞いてると思ってるんですよね。
聞いてると思ってるけど、明らかに聞いてない。
特にクライアントの上司にですね、8人で部下の話を聞いてあげてくださいっていうと、
聞いてるって言うんですけど、実際その場合横で見る機会もあるし、後で部下と本人と聞く機会もあるんですけど、実際はほとんど聞いてないということがあまりにも多くてですね、
これは結局自己満足だなと。自分ではやってるつもり。
私は人の話を聞くときに何してるつもりなんですかって言われたら、ああやってないんだなとすごくたくさん思うんですけど、
そのつもりっていうことがあまりにも多いので、それで自己満足ではないというふうにしました。
岡大徳
ありがとうございます。
アクティブリスニングということなんですけども、アクティブリスニング、いろんな方が提唱されてる部分があるんですが、
赤羽さんが提唱してるアクティブリスニングの特徴っていうのはどういったものになりますか?
赤羽雄二
いろんな方が提唱してますかね。
コーチングの中では言ってるし、もともと英語としても書いてあっているし、日本語としても一般用語的であるんだけど、
意外に提唱してないように私は感じてるんですけど。
岡大徳
私が見てるのは心理学とかの部分で、カール・ロジャースさんとか、
そういったところでのカウンセリングの手法としてっていうのは見させていただいてますね。
赤羽雄二
はいはい。心理学は海外ではあると思うんですけど、日本語ではコーチングの中で言ってるぐらいじゃないですか。
岡大徳
確かにその通りですね。
赤羽雄二
言葉としては割とみんなすぐわかる言葉なんですよね、アクティブリスニングというと。
だいたいほとんど誤解をしていて、アクティブリスニングだから質問をどんどんするんだろうとか、
ただ聞いてるだけじゃないんだとかぐらいでわかった気になる、
非常にわかりやすい言葉でもあり、誤解しやすい言葉でもあるという気は私はしてるんですね。
ちなみに、自己満足ではない徹底的に聞く技術という本は、
実はアクティブリスニングというタイトルだったんですけど、
それが商標を登録されているので、まずいかなということで直前にこのタイトルに変えました。
本文の中にアクティブリスニングという言葉を使ってるんですけど、
署名としてはアクティブリスニングと言いたかったんですけど、
しょうがなしにこのタイトルに変えたという経緯がありますね。
商標登録日本でされてるものは使えないという、どうなんだっていうことなんですけど、そういうことです。
岡大徳
ありがとうございます。
赤羽さん、アクティブリスニングっていうのは、するためのコツとかはありますか?
赤羽雄二
はい。私は、英語では完全にアクティブリスニングで通じるし、
日本人でも長いカタカナだなと思いながらも何となくわかるということで、
私なりの定義を明確にしてます。
これは4つのステップがあって、
1つ目のステップは、深く真剣に相手の話を全部聞く。
その間は質問もせず、余計な感想も持たず、
あれこれってどういうことかなっていうことを考え込まず、
ひたすら相手の話を真剣に聞くというフェーズが、第一ステップがそうですね。
そうすると相手に信頼されます。
1回で信頼されないときももちろんあるので、
そのときは2回、3回、4回と話を聞くことによって、相手に深く信頼される。
これで初めて第一ステップがクリアされる。
そういう状況になって相手に信頼されている状況もお互いに気持ちのいい状況ですね。
そういう状況になって初めて第二ステップに進んでいい。
そこでは相手を決して萎縮させないように質問してもいい。
こういうような表現、質問しましょうということを言っています。
最初から例えばクラブハウスみたいなところで、私も出会いしていて、
そこでいろんな人が上に上がって、50人とか100人とか300人の前に質問をすると。
この状況がクラブハウスなどではよくあるわけですけど、
この時は一応信頼されて、相手がそこで質問されると公開な場で質問されるということを前提にするので、
第二ステップ、しかもある程度素早く質問に入るということがあるので、
これを見ていて誤解される方が多いんですけど、
あくまでも信頼された後、質問してもいい。
そこで、ただし悩んでいる方、困っている方、ほとんどの方は結構つらい思いをしていることが多いんですね。
押し殺してる思いが多いので、丁寧にきちんと決して威圧しないように質問すると、
どんどんどんどんいろんなものが見えてくるんですね。
そこで第三ステップである問題の本質がわかる。
本人がこういうことだったんだ、私が気持ち悪いのはこれのことだったんだ、
私が特別払いを立てるのはこのことだったんだ、
私が自信がないのはこういうことだったんだ、ということがわかるのが第三ステップ。
第三ステップの問題の本質がわかったら、
人間はこうすればいいとか、そうすればいいとか必ず見えるので、
それが第四ステップである問題を解決する、あるいは未然防止する、改善する、改善の方向が見える、
この4つのステップですね。
この第1から第4までのステップを全部合わせて、
アクティブリスニングというふうに、私なりには定義してできるだけの方に広めようとしています。
岡大徳
はい、ありがとうございます。
確かに問題の本質がわかると問題が解決できるというところまで、
第1ステップから第4ステップまで含めてアクティブリスニングと言われている。
赤羽雄二
そうなると、アクティブっていうのは日本の方が外来強盗的に感じる、
なんか能動的にとか行動的にって感じると思うんですけど、
そういう意味で使っているんですけど、
普通に聞くというときに、皆さんも友達だとか後輩だとか部下だとか、
聞いてくれて本当にありがとう、なんかすっきりした、生きる元気が出てきた、
明日からこうしようと思ったよとか感謝されることもあると思うんですね。
あるいは皆さんもそう感じられることがご自身でもあると思うんですけど、
これって話を聞くと問題の本質が見えてきて、
場合によっては解決してしまうとか、一方が見えるということで、
私が申し上げた第1から第2ステップそのものと何も変わらないんですよね。
なので聞くという言葉が幅広く使われているわけで、
相手が何か言うのをただ聞く、本気でなくて聞き流すということも聞くの中だし、
真剣に聞くのも聞くの中だし、
今日は聞いてくれて本当にありがとうというときは、
私の言うアクティビティと同一なんですよね。
なので聞くという言葉の奥の深さを聞く力とか、聞く技術ということで、
本はいろいろ出てるんですけど、そのレベルではなくて、
もっと実際に、あえてカタカナになりますけど、
アクティブリスニングを第1から第2ステップ全部やるということを、
できるだけ奥の深さに伝えていきたいし、
聞くというのはそういうことまで実は含みますよね。
普通に日本語でそういうふうに使ってますよねと。
こういうことだと思いますね。
じゃあ一方で英語でリッスンというのが聞くになります。
今ヒアとかリッスンとか言ってますけど、
リッスンということは英語で、
今日は聞いてくれて本当にありがとうとは言わないですよね。
たぶん、私のことを理解してくれてありがとうとか、
一緒に時間を使ってくれてありがとうとは言うけど、
聞いてくれてありがとうと言わないとたぶん私は理解してるんですけど。
それで言うと、日本語の聞くという言葉が、
英語のリッスンと同じ部分もあるけど、
それよりもはるかに広い意味を持っていて、
聞いてくれてありがとう、本当に楽になった。
これが私の言うアクティブリスニングで、
日本語の聞くがあまりにも幅が広いので、
あえてカタカナで言っているけど、
赤羽雄二
皆さんが使う最大限広い良い意味での聞くのことだと理解していただくといいかもしれませんね。
岡大徳
ありがとうございます。
赤羽雄二
木暮さんから何か赤羽さんに質問されたいことありますか。
木暮貴子
はい、今お話をお伺いしていてですね、
アクティブリスニング、赤羽さんがアクティブリスニングというものを確立した背景には、
やはり国際的に活動されていたっていうことがかなり影響されているんでしょうか。
このアクティブリスニング、海外ではエフェクティブリスニングとかアクティブリスニングということで、
お話がする内容だったりするのかなあなというふうに思っているんですけれども。
赤羽雄二
あまり海外での経験が直接関係はしてないですね。
韓国で10年間仕事をしたり、インドに3年間毎月通っていたり、
ベトナムに3年間毎月通ってたりはしてますけど、
そもそも韓国人もインド人もアメリカ人も全然みんな変わらないと思ってるので、
国際的な経験だからっていうことではなく、人間みんな同じだよねっていうぐらいですかね。
誰も変わらないです。私も県で入った当初は、
日本に外国人のマネージャーとかディレクターが来て、それでプロジェクトをやると。
彼らがクライアントとあんまりうまく会話できないとか、
英語の資料っていうのは日本人が見ると何だかつまらないことが多いんですね。
英語で大事な資料と日本語でいい資料っていうのは書いてる場合がだいぶ違うんですよ。
なので最初は外国人に非常に抵抗があったんですけど、
留学後ではあるけれども外国人ということに対してちょっと線引きをしてるとかなくはなかったんですけど、
その後近年で韓国に行って、
多分3ヶ月以上私が呼んできた人は20何カ国で100人以上なんですね。
世界中の人をこういうプロジェクトがあるからおいでよってメールして電話して呼んできて、
韓国に着いたらこうやってお酒飲むんだよとかけんぱいへんぱいするんだよとか、
いろんなことをしたりしてプロジェクトをやり、
全員韓国ができない中で英語で難しいプロジェクトをやって巣が出るんですね。
そうすると香港の人でもカナダの人でもチリの人でもドイツの人でも北欧の人でも、
フランスの人でもイギリスの人でもみんな変わらないということで、
その何年かのうちに私は外国人ということで整備するのは一切やめて、
みんな人間だよねと。
悪い日本人といい韓国人で言うといい韓国人のほうがいいしとかね、
関係ないということを感じましたので、
そもそも国際的な経験の結果アクティビティにたどり着いたのではなく、
あえて言えば何人でも別に変わらなくて、
いい人はいいし、悪い人は悪いし、つらいことはつらいし、
楽しいことは楽しいという人みんな同じという感じの中で、
やっぱりなんでそんなパハラするのかっていうところからの発想を、
部下も子どもも奥さん、彼女も言いたいことは言えなくて、
抑圧されてつらいものをしているということをたくさん見聞きした結論ですかね。
ありがとうございます。
岡大徳
ありがとうございます。