課題とソリューションの関係性について
CS Harmony Radioです。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今日は、ちょっとテーマ、僕が最近ふと思ったことなんですけど。
はい。
課題とソリューションのどっちが大事かっていう問題。
ほう。
まあ、なんかいろいろ議論できそうなネタではあると思うんですけど。
はいはい。
僕の感覚で言うと、課題大事だよねっていう割には、やっぱなんかソリューションのこと考えることが非常に大事。
考えることが非常に多いなというところも思っていて。
なんでそうなってんのかなみたいな話って、ちょっと話すと頑張るかな、理解がって思ってまして。
はい。
このテーマで話すことについて、平木さんからあったりします?
前のポッドキャストのネタでも話しまして。
課題という言葉が若干気になる子なので。
あれですよね。課題と問題。
そうそうそうそう。
課題っていう言葉が多義性があるので、問題解決しようと思うと課題っていうよりかは多分問題っていうふうに言ったほうがいいんですけど。
今回はどういう文脈なのかにもよるので、一旦問題イコール課題として課題って呼んでもらってもいいかなとも思いつつ、ちょっとお話聞いてましたけど。
もうちょっと明確にすると、ソリューションを持ってみたと曖昧な感じがするので、問題と問題解決のどちらが大切かっていうことですね。
はいはいはい。
いわゆる。
っていう話なんですけど、文脈上課題とソリューションって言ってっちゃいそうな気もするんで、前提としては課題って言ってるのは問題のことであって、ソリューションって言ってるのは問題解決の話っていう、そういう前提で聞いてくれればなと。
まずこの話するところの前提というか、世の中の話で言ったときに、世の中には数多くのソリューションがあるじゃないですか。
ソリューションがなんで存在するかって普通に考えたら、そういうソリューションを求める人がいるから存在してるか、もしくはこういうソリューションがいるだろうと思ってソリューションを出す人がいたから、世に出ているんだと思うんですけど。
僕はなんかそんな風にしかちょっと考えてないんですけど、この問いが出たときって何か思うことあったりしますか。
ソリューションっていうのはソリューションという概念ですよね。概念って多分世の中には例えば石斧とか石器時代だと石斧みたいなのがあったときに、それって道具であり機能としては打ちつけるっていう機能があったりしますけど、それがソリューションになるのってそれによって例えば獲物を倒すっていう、
お腹が減ってるから獲物が欲しいとかっていう問題を解決してるからソリューションになると思うんですけど、なんかそれって要は世の中にあるのは余ったあるのは機能が余ったあって、問題とセットとなって解決策があるからそこで初めてソリューションっていう風に呼ばれて概念が別のものになってると思うんですよ。
なので、かつ問題そのものの方が数少なくてソリューションの方が数多いで、印象としてソリューションの方が多いって思うのはそうですよねと思います。で、かつソリューションって何なのかっていうと基本的には何らかの機能に人が意味的に問題が解決できるからソリューションって呼んでるんだと。
なるほど。
ヤギさん はい。こういう認識で言います。
ソリューションの機能と価値
深いところにいきなり行った感じがあるんですけど、今みたいな話も確かにそうだと思うんですよ。で、ちょっと今ヤギさんが言ったようにソリューションって言ってるのは課題と解決する機能、要素ですよね。機能もあれば人もあればいろんなことがあると思うんですけど、それによって解決できる状態になってるものをソリューションっていう風に捉えていて。
で、ここ多分さっきの言葉の定義とかもあると思うんですけど、いわゆるソリューション価値とかって言ったりすると思うので、その問題と解決することの付き合わせが起きると価値が生まれてるっていう風にも言えるのかなっていう風に僕はちょっと思ってます。
なので、ヤギさんの言うソリューションっていうのが僕の中だとちょっと価値って言葉で、ここで言ってるソリューションっていうのはややこしいんだけど、なんかどっちかというと機能要素とか、解決策のほうに近い部分のところかなと思うので、この話においては今言ってたソリューションのある状態っていうのは価値が発生しているっていう、そういう捉え方をちょっとして話していければなと思うんですけど。
そういう意味だと価値っていろんなところで生まれてるんだけど、課題よりも機能とかの方が多そうだみたいな話されてたじゃないですか。
それ本当がどうかっていうのはちょっとわからない部分もあるし、人によっては、いや、課題っていっぱいあるよねっていう意見も多分出てきたりとかするところもあるんで、それもちょっと後から話したいなと思うんですけど。
でもやっぱ目に見えてるものだと、解決策のほうが目につきやすい。いろんな機能があるから。そんなときにそのソリューション、今回で言うと価値を生む仕組みのところって、その技術がすごく注目されることが多いよなっていうふうに感じるんですよ。
今だともう完全に生成AIとかってすごい言われるじゃないですか。ニュース見ない日はないぐらい言われる話ですよねと。なんですけど、使ってる人は使ってるんですけど、使ってない人全然使ってない感覚すごいあるんですよ。
その距離感すごいあるなっていう認識があるんですけど、ヤギさんの周りとかどうですか。
僕は使えますけど、割と毎日仕事のブラウザー立ち上げると、一つのタブはちゃんとGPTが動いて状態にしてあって、すぐ入れるっていう運用はしてますけどね。使ってない人は確かに使ってないなとは思いますね。どうして使ってないのかはよくわからないんですけど。
ヤギさんはバリバリ使ってる人だと。周りに使ってない人もいますよねって言いますね。逆にちょっと使ってるって話なんで、使ってる人意見で言ったときに、どういうことで使ってますか。
そうっすね。なんかくだらない話でこんなのちょっと調べるっていうのは、それちゃんとしたの書いてこないときもあれですけど、とかあとは要約してとか、英訳してとか、英語日本語にしてとか、そんなんで割と日頃な感じで使ってますね。
そういうのって使ってない人からしても同じようなことがありそうな気がするんですけど、使ってないんですよね。
そうですね。確かに。なんででしょうね。
僕も使ってる側なので感覚近いところがあるんですけど、使ってる側の話として整理すると、Googleのとどう違うのかっていうところが多分比較として考えるといいかなと思うんですけど、Googleったりしますか、ヤギさん。
Googleもしますね。
じゃあGoogleときとChatGPTに聞くときとね、なんか違ったりとかしてます?
明確な、なんて言うんですかね。探索したいキーワードが思いつくならGoogleに。思いつかなくて漠然としてたりとかは調べようがないので、ChatGPTに投げてみて、返ってきた言葉がこれだなと思ったらそれを今度Googleとか、そういう運用だったりしますかね。
ありがとうございます。僕もそういう感覚に近くて、GPTに聞くのって、なんか答えそのものを聞くっていうよりは、なんかその周辺。僕だと例えばアイデア出しとか、なんか自分の観点広げたりとかで、壁打ちみたいなこととか。
Googleっても同じような結果出るところもあると思うし、明確にしてあるところって、なんかぼやっとしたところを聞いたりとか、相談するみたいな部分っていうのが割とAIを僕は使うなと思ってて。翻訳も使うんですけど、それはなんか僕の場合だと音で扱えるじゃないですか。今だとマルチモダル化してて。
なんで発音聞きたいとかその辺も含めてやるとGoogleよりも摩擦が少なかったりするんで、そっちを好むっていうのはありますけど、一方でしっかり翻訳していきたいみたいな時とかは、案外DeepLとか違うサービスとかの方がちゃんと翻訳してくれるっていう時もあるんで。
使ってない人ってひょっとしたら、要は答え出してくんないとか、なんかやるにしても中途半端に終わっちゃうみたいなことに対して不満があったりするのかなと思うんですよね。僕の周りを見てるだけの話なんで違うかもしれないけど、そういう人が多いですっていう感覚なんですよ。
これってある種上手く使えてる人って、なんかAIってだいたいこんなもんだよねとか、アイディア出すところの初動とかはいいけど、仕上げまでは使えないとか、完成期まで持ってくのしんどいよねみたいなことが分かったりとかしてるから、使いどころ見極めて、そこでやってもらいたいことをお願いして、ある程度その結果に満足してるから、
ある種AIっていう解決手段を自分の困りごとに対して当てて、価値生んでるから満足してるっていうことになるかなって思うんですよね。解決したい問題を解決する手段にAIっていうのがちゃんとマッチしてるっていう期待値に沿ってるんだと思うんですけど、使ってない人っていうのはそれがうまく沿ってないか。
課題とソリューションの関係性
要はそもそも期待してることが大きすぎる。自分の知らないこととかでも、ずばりその答えとか、もうこれさえ分かればOKみたいなとこまで導いてくれるとか、万能感期待したとかするとちょっと違うじゃないですか。得意不得意あるんで。やっぱり生成するとこは強いですけど、正しい情報に行くとかっていうところは検索とかのがまだ強い部分もあったりするんで。
その部分の違いみたいなことがあると、解決策とかって、やっぱり期待値に沿ってないとうまく価値が生まれないよなっていうところもあるかなと思うんですよね。
なんで、もともとの課題とソリューションどっちが大切かみたいな話になると、ソリューションの方が世の中いっぱい見えていて、そういうこと考えてるんだけど、課題とかいわゆる困りごとに対して何か解決したいっていう期待がはまってないと、結局解決策の方がいいねって話になっていかないんで。
課題値に沿ってることをやってくれないと、ソリューションっていうところの良さとか意味が薄れちゃうじゃないですかっていうところがあって、そうすると結局課題がない状態だと、ソリューション自体って別になくてもいいじゃないですか。直許論言うと。
なんで、ちょっとニワトリ卵っぽいところはあるなっていう感じがするんですよ。そうするとどっちが大切かってちょっとむちゃむちゃ難しいところではあるんですけれども、でも課題とソリューションがある種どっかでマッチングして価値を生んでるっていうところは何か話しててもそうかなって気がするんですよね。
おだしょー そうそうそう。プロブレムソリューションフィットみたいに事業開発のステップとして言われる話だと思うと、アイデーションから始まるやつだと思うんですけど、プロブレムソリューションフィットの手前ってカスタマープロブレムフィットじゃないですか。
おだしょー はい、そうですね。
おだしょー なんで今の話でいうときに、課題が明らかならないとソリューションが必要とされないっていう関係性があるっていうことなんだと思うんですよ。
おだしょー 実際どっちが順序分かったけど大切なのかって話も出るんですけど、明らかに順序で言うとまず課題の方が先に来てるっていうことがやっぱり大事なんですけど、世の中見てるとソリューションがいっぱいある状態って逆に言うとなんか不思議とも思えるわけじゃないですか。
おだしょー 八木さんも最初に言ったように、課題のが少ないって見えてるのにソリューションが多く見えてるっていう状態。なんかバランスが悪いっていうことだと思うんですよね。で、普通に考えると価値のない解決策がいっぱい存在してるんじゃないかと。
おだしょー そういうことですね。
おだしょー なんですけど、不思議なことに結構、それを信じてソリューションを提供してる人も多いじゃないですか。なんでどこかでバイアスかかってるんだよねみたいなところがなんか見えてくるところかなっていうところですよね。
おだしょー じゃあ、課題とソリューションの関係性みたいなところが見えるとしたときに、その今の前提があった上で、でもやっぱりソリューションって大切じゃないのかっていうと、そんなことはないとも思うわけですよね。だって課題だけはソリューションが意味がないので。
おだしょー どっちが大切か問題は、前後関係はあるにしても、ちょっとまだわかんない部分はあるんじゃないのかなっていうところがあるので、もうちょっとそのあたりを軸を決めたりとか考え方をちょっとこういうふうに見方を変えていくと、なんか見えてくるところとかこんなこと言えるんじゃないのみたいな話はちょっとある可能性もあるかなと思うので、この話。
おだしょー ちょっとそれを後編で話したいなというふうに思います。
おだしょー だざざっと話してきましたけど、どうですかね。そのなんか前後関係みたいなところとかは僕は結構感じるのと、あとソリューションが結構本当にフィットするかどうかわかんないけど、いろんなところで生み出されているのをなんか目の当たりにすることがちょこちょこあるんで、なんかそんなこと思ってるんですけど。
ヤギさんの周りだとどうですか。
ヤギさん ソリューションのほうが多いですよ。なんかそれは完全に。で、誤った課題認識に基づくソリューションも当然あっていっぱい。結果的に何も起こらないとかもありますし、一方でなんか同じ問題を扱うソリューションが複数あって、それどれでもいいよって場合もある。
課題とソリューションのどちらが大切か
おだしょー ありますね。
ヤギさん っていう感じなんで、結果的に多分何対何になるかというと、おそらくソリューションのほうが数が多くなりやすいっていうのは。だから意味的にはそうかな。
おだしょー そういうことですね。確かにそうですね。価値を生む手段はいくつあってもいいって話を考えていくと、ソリューション自体が数が多くなるっていう道理はあるかもしれないですね。今の話で。
ヤギさん 1対1にはならないよねっていうのはおそらく。
おだしょー そういう意味だと、ちょっとやっぱり今の話で、課題とかの深掘りとか、今の解決策の深掘りとかを持ちていくと、もう少しこの課題とソリューションのどっち大切か問題がもう少し何か言えそうな気もするんで、次回それを話せればなと思います。
ヤギさん ぜひ。よろしくお願いします。
おだしょー ありがとうございます。
ヤギさん ありがとうございます。