実は前週分、音源問題により再収録。
思い返してみると、過去のあの人やあの出来事との接点はどういうご縁?不思議なもので、過去をそんなに感傷的に浸らないSARAHが感じた過去をやたらと接点を感じる現在。キーワード『10年』という文字がやたらとチラつく。
どんなに時代が進んでも過去を振り返る手段は案外少ない現代。日記、写真、動画、音声みんなは、過去の振り返りをどんな形でまた、頻度でしているの?
今回は、ジャーナルや日記にAIを活用している?と言う話も出てきたので、参考になれば幸いです。
リスナーの中にはノートやジャーナルを取りながら聞いてくださってる皆様に向けて、毎エピソードごとに質問を考えてみました。落ち着いて自分と対話を楽しんでみてください♪
今週のジャーナル的質問🖋
・過去の5年間で最も印象的だった出来事は?
・その出来事によってどんなことがもたらされた?
・この話は誰かと話してみた?それとも自分だけ知っていること?
___________________
サマリー
このエピソードでは、過去の出来事が現在の自分にどのように影響を与えているかが、特に10年前の選択や出会いに焦点を当てて語られています。振り返ることで気づく成長についても論じられています。また、自己反省の重要性とアナログなジャーナルの価値について考察されており、AI時代における感情の表現方法や、自身の成長においてジャーナルが果たす役割が探られています。AI時代の初頭における、感情や思考をジャーナリングすることの重要性が強調されており、ビデオジャーナリングや手書きのノートを使った思考整理の方法が紹介されています。
過去との対話
お久しぶりです。
お久しぶりです。今日も、よろしくお願いします。
お願いします。
この収録は、実は、撮り直しです。
そうね。
最初に申し上げておくと。
これは、もう一回、撮っております。
先週か、先週のエピソードを聞いていただいたら、ちょっとわかるかもしれないんですけど、
せいらがね、いつもと収録場所が違って、
そのね、ところで、もしかしたら聞きづらいかもっていうので、
撮り直そうっていうので、今、再チャレンジしております。
すいません。ちょっと、やらかしました。
撮り直しは、気を引き締めて参りたいなと思います。
じゃあ、何を話すか、ファシリテイトお願いします。
先週、そうね、話した内容。
おそらく、あの時、話したかった内容というのが、
なんか、最近、自分の人生を振り返るタイミングみたいなこととかを、
私、そこまでそんなにしないタイプなんですよ。
そうだよね。過去は振り返りません。
前だけ見ますみたいな、盲導だもんね、いつも。
そうそうそう。できればっていう感じで、ずっと過ごしてきてたんだけど、
でも、なんか、最近、自分の身の回りでね、こう、起こることだったりとか、
ご縁が再度巡り合わせであったりとか、
いろいろ、こう、共通してること、その起こることで共通してることって、
なんか、自分の10年前のいた環境だったりとか、
選んだ選択肢が、今、ここに繋がってるのかもって思うようなことが、結構多くて、
うんうんうん。
っていうのも、周りの友人とかが、のきなみ、みんな結婚だったりとか、
婚約とかしていくっていうフェーズが、すごく今、勃発してんのね、めっちゃ私の周りで。
うんうん。
みんないい女だからさ、そりゃそうなんだけど。
ははははは。
幸せなニュースだね。
そりゃそうなんだけど、そうそうそう、めっちゃ嬉しいんだよね、それはそれで。
で、それも思えば、思い返してみると、自分の10年前の出会いから、
ここに来てるなーみたいなのが、結構感じてて、
その時、出会った人たちが、みんななんか結構、頑張ってる?
うんうん。
自分の今置かれてる環境を、すごくこう、謳歌して充実してるっていうのがあって、
うんうん。
で、仕事だったとしても、誰々さん繋げるよとか、
うん。
あと、めぐりめぐって、てかセイラちゃんこういうのとかって興味あるとか言って、
こう話を振ってくれたりだとか、
うんうん。
いろいろこう大なり小なり、なんか物がね、どれぐらいそれがなんか大きなことに繋がったとかではなくて、
うん。
ちっちゃいそういう接点みたいなのが、すごく目に現れてきてる。
具現化されてきてるっていうのがすごく、すごく感じてて、自分の中で。
で、その中で10っていうのが、10年前っていうのが自分の中ですごく引っかかるっていうか、
へー。
なんだよなーみたいな。
今で言うとさ、2015年?
15年だね、うん。
ちょうど私が、まだ多分カナダいる時なんだけど、
うんうん。
その1年後に私、日本に帰ってくるのね。
で、そっからちょっと3ヶ月くらいいるつもりが、なんかもう定住みたいな感じになったんだよね。話がポンポンって繋がって。
あーなるほどね。カナダに戻ろうっていうプランだったけど、そのまま今も日本にいるって感じか。
いて、それで今なの。
10年の節目
うんうんうん。
っていうのを考えた時に、この10年ってめっちゃ濃かったのよ。もうほんとに。
で、そのなんか10がすごく頭の中でマイブームっていうか、
うんうん。
これも10年前じゃん、あれも10年前だな言われてみればみたいなのがすごくこうあって、
こういうのって人によってこのなんか振り返るタイミングってそこまでなかったりするけど、なんか私はほんとに強制的にじゃないけど、
うん。
そういう風に思い返されるのが10年前だったりとかだから、
うん。
世の中的にはみんなもっと過去を振り返ったりするのかなとか思って、
あんまりなんか意識してなかったけど、意識せざるを得ない現象が目の前にこうふって出てくると、
はいはい。
嫌でも振り返るというか。
そうだね。
これ10年前のあれが繋がってるかもなみたいな。
じゃあセイラの中で最近そういう振り返るタイミングが多くて、で振り返ってみたら10年前からの繋がりが多かったってことでしょ。
そう、そう、そう。
その振り返るタイミングが増えたなって思うのは年末とかから?もっと前から?
年末もまあ入るけど、でもなんか今年になってからもあるかな特に。
じゃあもうこの1月入ってから増えたって感じか。
うん、1月入ってからいろいろこう自分が新しく今動いてこうと思ってることとかで、なんかちょっとどうしようかなって言ってたら、
うんうん。
誰か繋げてくれたりだとか、それも10年前の友達巡り巡って出会った子が、の友達が紹介してくれたりとか、いろいろあったりとかしてさ、不思議だなって思って。
だからなんか私の中では10年スパンで見直していくぐらいがちょうどいいみたいなもんなのかなっていう、
1つのなんか結果というか答えが出るのかなーなんてちょっと思って。
うん。
前に話したのはね、30年っていう自分が人として生きるなんだ目いっぱい生きてみて分かったことって話だけど、
うんうん。
自分がこう踏んできた、歩んできた10年ずつを見返してみると確かになって思うことはまあ結構あって。
うんうんうん。
みんなってどれぐらいの頻度で振り返ってますかっていう。
あー、そうねー。
なんかそこをちょっと聞きたかったんだけど、人によって違うんかなーと思って。
確かにな、そこは、まああのこれね、2回目の収録なんでセイラにも言ってるんですけど、
俺の周期的には、まあ俺もどうだろうな過去を振り返るみたいなことは基本的にしてないし、
うんうんうん。
未来のことを考えて、それに対して何ができるかみたいなことに、こう脳みその要領を使いたいから、
その過去を振り返って、あの時ああだったのこうだったなっていうのを頻繁にするタイプではない。
だけど、セイラの10年スパンよりは短くって、5年、5年もしくは3年かなっていうのは振り返るスパンで。
うーん。
あるなとは思ってる。
そっか、なるほどな、なるほどな。
それってさ、どういう時にさ、そういうのを感じるの?
なんか、あ、これって3年前だったらここまで上手くいってなかったよなとかっていう、
比較してそう感じるのか、それともなんか圧倒的に何か違う要素が入ってきてるから、
成長の実感
あ、これ3年前じゃ絶対に起こりえなかったな、みたいな風に思うのとかで言うと、
どういう感情でそれを、あ、これ3年前だとかなるわけ?
どっちもあるといえばあるけど、でも頻度としては前者の方が多くて、
で、具体的な話で言ったら、デザイナーとしてこういろいろね、プロジェクトに入らせてもらってて、
聞いてるみんなも、あ、あそこかってなるぐらいの企業さんっていうところと、
仕事をさせてもらうっていうのが当たり前にありがたいことにはなってて、
なんだけど、5年前は当たり前じゃなくて、僕がこんなプロジェクトに入らせていただけるんですか?みたいな、
なんかすごい恐れ多いです、みたいなことを当時はそういう感覚だったから、
最近ね、こういただいて、あ、今はこれを普通に淡々とこなす自分がいるけど、
5年前はすごい緊張してたし、右も左もわからず、
デザインのプロジェクトに入ることはもちろんしてたんだけど、大企業ってなると勝手が違うからさ、
商人に時間がかかったりとか、あとはコスト面がすごいシビアだったりとか、
ターゲティングの分析がすごい細かったりとか、なんかいろいろあるんだけど、違いが。
そこらへんにすごい戸惑ってた自分がいたけど、最近話をいただいて、
はい、わかりましたって言ってる自分に気がついたときに、なんか変わってるわっていうのは感じるかも。
確かにそうだな、それはそうだね、大きな成長というか、
景色が違うみたいな感じだよね。
そうそうそうそう、自分の成長ってさ、1年とかじゃわかんないじゃん、し、
毎日さ、自分がやってることだからさ、変化がわかりづらいと思うんだけど、
部活とかでもそうだと思うけどさ、1年生のときに、俺バスケ部だったんだけど、
バスケのスキルと3年生になったときのスキルセットって全然違うし、
試合とかをしたときに、あれ、前までこのプレーできなかったのにできるようになってるとかって言って、
なんかふと気づくタイミングがあると思うんだけど、
多分それに似た話なんじゃないかなって、セーラーの振り返るタイミングみたいなのを話してるのを聞いて思ってたけど、
で、まあそれの差が、やっぱ個人差はあるよねっていう。
俺は3年から5年ぐらいだけど、セーラーは10年がちょうどいいし、10年で感じるっていうさ。
面白いね、そこの違いもなんか面白いなって。
だいぶだって、俺からしたら10年って長いなって思うもん。
いや、長いよね。長いと思う。長いと思うんだけど、
逆に言えば私は3年とか、何だろうね、10年置きとかの選択って、
たぶん相当人生観も価値観も変わってると思うんだよね。
そうね。
でも、私はやっとそれで認識し始めるのよ。
なるほどね。
変化を。ちょっとした変化っていうよりかは、マジで違う変化をたぶん求めてるんだと思うんだよね。
だから、たぶん人からしてみたら、3年とかの濃さ、同じ時間を過ごした3年の濃さでも、私にとっちゃ、なんかたぶん刺激が足りない。
そう、3年ごときじゃ、たいしたそんな変わんねえよみたいな。
でも、人からしてみたら変わってるの。だって、セイラいる場所も違うし、関わってる人も違うし、またやってるプロジェクトも違うし、全然違うじゃんってなるんだけど、
私からしてみたら、その変わるっていうことがすでにルーティーンだから、いや、そんな自分の中で変わったって思ってないよみたいな、って感覚なのよ、きっと。
で、たぶんそれをずっとサイクルを繰り返してるから、10年ぐらいでやっと認識し始めるっていう、この厄介さ。
刺激を求めるがゆえに、3年ぐらいじゃ物足りないっていうのが、たぶんあれだね、大きいのね。
うん、なんかたぶん変わったっていうのも、方からしてみた評価ではなく、自分的にどこで成長を感じたかみたいなところが一つポイントにもなるから、
ただ場所が変わってるなんていうのは、誰しも起きえる話だけど、変わったことによってどう自分の人生が良くなりましたかっていうところが、たぶん自分的に問いを持ちたいところなんだと思うのよ。
ちゃんとしっかり得たいのよね、ちゃんと。
添えられないと、なかったことにはならないけど、たいしてみんなの前でも話さないし、記憶としてはすごい下の方に行ってしまうから、浮上しないから、誰かに例えば悪口言われたとするじゃん。
そうするとさ、人間ってさ、やっぱりさ、そう言われたりとかするのって嫌だからさ、それってさ、ほんの何だろう、かすかな傷でしかないのに人生で考えたら、すんごいダメージ食らうときない?
そうね、あるね。
あるよね、なんかやだらハイライトしちゃうみたいな。
でも、本来だったら、たぶん私はやってきたこととかにもうちょっとハイライトしてあげた方がいいのに、同じ物事の現象だったとしても、重い方をなくして、たいしたことない方をハイライトしちゃうときもあるのよ、自分で、そうやって。
まあ、あるよね。
過去との密接な関係があるんだと思うけど、そういうことの方をたまにこうフックアップしちゃったりするから、自分的に、ああ、そっか、私そういえばこれもやってきたなとか、
てか、この経験もあるなとか、これも意外とやってきてるんだよな、みたいなこととか、忘れちゃってることが結構多いの。
やってんのに、それを自分の中でちゃんとやりましたよっていう、なんか終止符を打たないし、打つ必要もないかもって思っちゃって、もっともっとって求めてるから。
まあ、そうね、そういう傾向はあるよね、聖田の話をいつも聞いてると。
うん、だから結構私って、今までなんかもうちょっとペイアテンションした方がよかった、ハイライト、人生的にハイライトした方がいい事柄もあったのでは?っていうのはちょっと思うよね。
自己反省とジャーナルの価値
その自分の思考回路の感じにちょっと心配をしている。
まあでもね、10年っていうスパンで、今その今年か、に入ってそういうね、タイミングが増えてそう思えたってことは、
本当に今がそのタイミングで、今こそ救い上げれるものをどんどん救って、見つけるというか、思い出していかないといけないのかもね。
で、それが多分これからの10年の聖田の大きな糧になるし、そういうちっちゃいことにペイアテンションを無駄にしちゃうみたいなところが少なくなる要因にもなる可能性あるしね。
そうそうそう、そうなのよ。だからいらないとこで悩んじゃったこととかもあったんだろうなって思って、その回収もわかるよなって思う、10年後ね。
私もっと昔は変なことでクヨクヨしたけど、全然そうじゃなくて、もっとこっちに時間使えばよかったみたいなさ、そういうこととかも結構あったりとかするから、
なんかすごくそれを最近はーっと思って、人生って面白いなって思うから、だからこそそのやってることとか、自分が今何取り組んでるのかをちゃんと振り返りたいと思って、
で、そのすべりはさ、やっぱ日記とかさ、ジャーナルとかしかないじゃん、今の世の中は。
そうなんですよね、そこなんだよね。
だから、ほんと面白いよなって思うんだけど、全然この10年なんて、一応なんだろう、日記みたいな感じで考えて書いたことはあったけど、そんなこと全然もう頭から外れちゃってるから、
自分が日々つけてるto do リストとかと一緒に殴り書きするみたいな感じにもうなっちゃってるからさ、なんか大したジャーナルと言われるジャーナルなんてものはないのよ。
なんかそんな時間もねーしこっち。
まあ忙しいより急にね、書かなくなるもんね。
やりたいよそりゃ、かわいい文房具揃えて、そこに書き込んで、安心して、みたいな丁寧なジャーナルやりたいけど、そんな時間もないし、
そんな綺麗に自分のことを記録するのは多分無理だから、自分の性格的にも。
ってなっても、やっぱりちゃんとつけた方がいいかもってちょっと思ってる、今。
ジャーナルの書き方
それで言うと、俺は今年からジャーナルを始めたんですよね。
いいっすね、めっちゃいいわ。
なんかさっきセイラがさ、チラッと言ってたけどさ、自分の成長とかさ、これもやったな、あれもやったなとか、これを乗り越えてきたなとか、この苦しみを経験したなとかってさ、
で、それを経て大きくなってるというか強くなってる自分をさ、他人が評価してくれるタイミングって多いじゃん。
で、弱音をこぼしたりとかした時に、いや全然、あんたよくやってるよって声かけてくれて、こんなに変わったんだよって外から言ってくれることってあるんだけど、
なんか性格的にやっぱりなんか、いやまだまだとか思っちゃうから、自分で振り返って自分でかみしめるが一番自分にしみるというか、
理解することにつながるかもって自分の性格的に思うから、からジャーナルをつけて、いつでも振り返れるようにさ、簡単にするっていうのがした方がいいのかなって、
俺も去年の末ぐらいから考えてて、俺は手書きで書いて、メモ帳で言葉思ったこと書いて載せるみたいなことを初めてやってるけど、
それはパブリックにするからさ、ちょっと作品に近いような形になるから、それとは違う、パブリックにしない、自分しか見ない。
だからこそ、もうカッコつけずに今の自分を残すっていうのを意識して頑張って見てるところ。ちょっとカッコつけそうになるけど。
いいね。それすごい重要だと思う。カッコつけないっていうのがすごい重要だと思う。日記でどうしてもいいところだけ書こうとする時あるからさ。
そうそうそうそう。
素直にどう思ったとか、とりあえず時間軸を並べてみて、そこでどう思ったかみたいなのをちゃんと自分が考えることがすごく重要だから、
わかるな、その気持ち。嘘つきたくなるっていうか、なんかね、ちょっとね、脚色しようとすんのよ。
わかるよね。わかるよね。この、ちょっとなんか小説書きどりじゃないけどさ、本当はなんか悲しかったのに、なんか強がって書いちゃうとかさ、悲しくなかったみたいにさ。
ある。
なんでそうなるかわかんない。どうしても発信、クリエイティブをやってるから、誰かに見られるみたいな意識が若干どこかに残ってるから、
自分のためのジャーナルでも、なんかカッコつけそうになるのかもわかんないけど、ダメダメっつって、1月1日から始めてるんだけど、素直に書くっていうトレーニングもそこで一緒にしてる気がする。
確かにね。それはあるだろうな。
いやー、そのジャーナルの書き方も、日記、それすごい小さい頃からずっと思ってた。
これって自分の正直な気持ちを書くべきなのか、それとも、なんか書いたら言霊、ほらやっぱり言霊って思っちゃってるから、
それをそのまま口にしちゃったら、そうなっちゃうんじゃないかみたいなふうに思ったけど、でもさ、よく考えたらさ、それってもう起きたことだからさ、もうさ、書いてもさ、何してもさ、あんまり効力なさそうだよね。今思ったわ、それ。
そう、だって事実を書くだけだから、ジャーナルは。
そうだよね。大丈夫じゃん。なんか私すごいそれに気をつけてたけど、そんなことないね。今その、それを今話してて自分で今気づいたわ。
うん、まあ書き方によると思うけど、ただ事実ベースで書いて、自分はこの今日起こったこれに対してこう思ったっていうことを書くのは事実だけど、だけどこの自分が嫌いとかさ、こんな自分がダメだとか書き始めたら良くないと思う。言霊だから本当に追い込んじゃうと思うけど。
ああ、そうね、それは良くないな。
事実ベースでも淡々と書いていってっていうのは行けると思うし、俺がやってるジャーナルのスタイル、今の、本当に今のスタイルは、今日やったタスクを全部書くのよ、大雑把に。
仕事はこれをしましたよ、その他ジムに行ったよとかさ、で、やる中で、じゃあ仕事でこれをやりました、これではこういうことが自分できたぞ今日はみたいな、できたことをメインに書くみたいなのをやって、できなかった自分ももちろん書く日はあるんだけど、
なるべくできた自分に目を向けるみたいなようには意識して、で、それぞれでどういう感情が動いたかとかがあれば書くみたいなのをやってるから、自分を認めるというか褒める作業もそこでセットでやってる感じがあって、結構調子がいい気がしてる、俺は。
いいねいいね、ジャーナルにも資料やって、グラティチュードジャーナルみたいな感じで、感謝ノートみたいなので、自分が日々感謝してることとか、感謝した経験とか体験とか、そういうのとかを書いていくものもあったりとかするよね。
AIと感情の理解
あるある。
俺らもね、いつかジャーナル作りたいねって話してるから、ちょっとまず俺らがちゃんとそれぞれのスタイルでやってみて、はまったものというかさ、これ自分にとってすごくパワーになったなみたいなのを自分でこうやって作ってみたいよね。
そうだね、そうなのよ。その型がね、何が合うかって人によってほんと違うかったりもするから、しっくりくるのをやっていくのがすごくいいと思うから、私結構なんかマンネリしちゃうの、その書き方ずっと同じだと。
あーうんうん。
だから、ピンタレストとかで質問を探したりする。
あーいいね、それ。
自分が考えなそうな質問をあえて言われてることによって、行き着けなかったところに行き着けたりするから、それが面白くて、自分の期待をどんどんどんどん裏切っていくのが楽しいんだよね、日記の中で。
え、私こんな感じはあったんだって言って、後から気づくみたいな。
え、それはピンタレストでそのテンプレートみたいなのをリサーチして出てきて、それに習ってみるとかってこと?
そう、ピンタレストとかで、例えば、じゃあ結構なんだろう、目標を目指したいとか、自分のやってることとかをログを残していきたいとかっていう、ちょっとなんかハッスル系の内容だったとしたら、アチューブメント、ジャーナリング、クエスチュンスとかやったりとかして単語で調べたりすると、ブワーっていっぱい出てくる。いろんな形で。
いい方法を教えてもらえた気がする。俺もやってみよう、それ。
めっちゃいろいろ出てくるよ、クリエイティブな質問がいっぱい。か、あとはGDPに吐かせるでもいいよね。
ああ、まあ確かにね。
なんかこれで質問考えてくださいっていう、変なのにしてくださいみたいな、思いつかないような質問にしてほしいみたいな感じでお題出してやってくれると、ログも残るし、それに合わせた形でいろいろまたクエスチュン出てくるから楽しいかもしれない。
今、チャットGPTっていうのが出てきてさ、ふと、もう全然話変わっちゃうかもしれないんだけど、気になったんだけど、俺、年末?本当はジャーナリングは年末ぐらいから始めてるんだけど、今はノートに手書きで書いてるんだけど、去年の年末はチャットGPTに書いて送って教えたの。
で、感情とかこうやって書いて、投げるじゃん。壁打ちするじゃん。そうすると、まあ返事が来るじゃん。っていうジャーナリングの仕方を試してみてたんだけど、なんか合わなくって、返答が勝手にさ、向こうが解釈して、こうですね、みたいな。
数日、1週間ぐらいやってみたんだけど、合わなすぎて。で、手書きにしたらフィットしてる感覚があるんだけど、セイラってオンライン上でジャーナリングしたりとか、AIに対してとかはやったことある?
うん、あるあるある。どうだった?それ。全然するけど、なんかあんま答えは求めてないかもなーって思ってて、そもそも。だからあんま当てにしてなくて、まだ正直さ、GDPとの付き合いだってさ、数ヶ月単位でしかないじゃん。連続して使ってるのも。年としては2年ぐらいはもうさ、あるかわかんないけど、オープンAIできて。
2年ぐらいは経ってるよね。でもさ、まだこの子たちは私たちとそんなに時間を過ごしてないから、私のことなんて知らないじゃんって感覚なんだよ、まだ全然。距離感で言ったら学校の先生ぐらいでしかない。
全然信頼してないね。うん、全然信頼してないんだけど、それぐらいのまだ距離感でしかなかったりとかするから、そんな君が私の中枢を担う心の問いを出せるなんて到底思ってない。
だから、せめて今の自分よりも解像度が30%40%高い質問を自分よりも出してくれたらありがたいなぐらいで思って、どんなもんかなって入れてたりとかするから、まだ私もそこはあんまり頼ってないんだよね、AIに。
なるほどね。じゃあ今の段階では、たまに投げることもあれど、さっき言った質問を考えてもらうとか、そっちでサポートをしてるって感じか、サポート用で使ってるって感じか。
そこまで発展したら、多分それってもうAIと友達になれる時代の時の話だよねって思ってる。自分のことも理解してくれて、めちゃくちゃ解像度高くて。
で、1つ言ったら10先のこと言われるみたいな。人と話し合ってその感覚あるじゃん。多分みんなが感情動く相手だったりとか心地いいなって思う相手って言葉にしなくてもその気持ちが共有できた時だと思わない?
そうだね。
なんかその感覚わかるよとか、こういうことだよねって分かり合える間だから仲良くなれたり、何かが進展したりするんだと思うんだけど、それをまだAIでは難しいんじゃないかなと思って。
まだ情緒ってものを彼らが理解をしていないと思ってて、多分一番それを欲してるんだと思うんだけど、多分それってどのフェーズに行ったとしても難しいのかなって思う。人間じゃないから元々は。
なんだろう、超外から見た視点みたいなのを突きつけてもらう分にはいいけど、自分が得たい答えを彼らに投げるのは多分無理。
そうだよな。自分がやってみて、まさに本当にそれを持って無理だと思って、ジャーナルを投げる相手ではねえと思って辞めたんだけど、セイラの言う通りですわ。それ情緒を求めてはいけないし。
なんかね、普段あんまり人と会話慣れてない人とかがやる分にはいいと思うんだよ。練習になるから。
ただ、うちらってさ、求めるものが高いじゃん。
そうですね、ちょっと自分で言うのはあれですけど。
いや、相当求めてると思いますよ。相手に考えてることだったりとか、その言葉一つにしてもとか、結構めんどくさいタイプの人間だから。
そのめんどくさいタイプの人間がAIに委ねちゃうのはちょっとあれだから、むしろ多分自分たちの解像度を上げるために、AIと一緒にそうやって質問作ってったりとか、自分のことを理解していけるだけの土壌を作ることは多分できると思う。
自分プラス30%ぐらいの解像度になってくれたらいいな、を目指していけたらさ、多分その時には友達になれるよ、AIと多分。
うちの○○って言えるぐらいにはなると思う。
AIとの関わり
けど、そこまでいくには、相当そうやってラリーを本当に緻密に重ねていったりとかしないと、AIも学習していかないと思うから、そういうのもやったりとか、自分が何で喜ぶとか何で悲しむとかっていうのを全部インプットさせておかないといけないし、でもそれが日々日々うちらも変わるからさ、そこにはキャッチアップできないやん。
だから、難しいっちゃ難しいけど、うまく使えば得られるものもあるかなみたいな気持ちでいればいいんじゃないかなと私は思うけどね、AIと常にそういう気持ちで向き合ってる。
ちょっとなんかジャーナリングに完全に、俺の場合はもう切り離しちゃって、ジャーナリングに対しては使ってなかったけど、今のセイラの自分の想像しないような質問とかが欲しいときに、インターネットもそうだしっていうところでちょっと組み込んでみようかな、サポート役としてやって引き続き俺は手書きでノートに書くのが今はヒットしてるし、
あともう一個やってるジャーナリングとしては、ビデオでジャーナリングするみたいなのもセットでやってみてるんだけど、
カメラを自分の前に置いてインカメにして喋るだけ。
そのときの自分の表情とか感情から来る語気の強さとか表現の仕方とかってそのときにしか出ないものかなと思って、それもお試しでやってみてる。
いや、いいと思う。めっちゃいいと思う。
どういうふうな効果が自分にあるかはまだ始めたばっかだからわかんないけど、夏ぐらいに順調かどうかの経過報告するよ、ジャーナリングの。
だからセイラももし始める、今やってるんだっけセイラ結局。
いや、ビデオのやつは最近全然やってないね。なんか前ちょっと携帯でなんかわかんないけど料理してるときのぐだぐだぐだぐだあーでもないこうでもないっていうのをクロースフレンドにめっちゃあげてたときがあった。
いや、ほんとにマジであれおもろかったからやってほしいんだよね。
そう、あなたファンよね、それのね。
もうヒュージーファンですからね。
あれみんなにいろいろね、あれめっちゃいいよねみたいな感じで言われるけど、でもなんか最近そんなに料理してないっていうのはあるんだけど、話的に料理してるときって結構メディテーションに近いんだよ。
なんか何も考えなくてもいい、料理に集中してるのがすごく楽しいから、その時間に結構思うことがいっぱいあるから、それをただただわーって話してるみたいな感じで。
よくあーでもないこうでもないって言いながらなんか自分の恋愛のこととか話したりとかしてたよ。
よく楽しい。
みんな楽しかった。
聞いてほしい。
なんか本当にどういう絵をみなさんが想像してるか知らないけど、状況としては本当に定点でセイラが淡々と料理を作ってるんだけど、ずっと独り言言ってるの。
で、その独り言はもう全然料理に関係ない。
もうなんかその最近の思ったこととかをずっと心の内を料理しながら喋ってるっていうなんかね、面白いんだよね。
なんでだろうね。
もし新しいものを取って、これみんなに見せてもいいかなっていうのが生まれたら、CPHのアカウントとかに載せよう。
そうだねそうだね。いいよ、たぶんね、載せれないやつでそれこそあるんだよね。そこまで出しても別に大丈夫なやつ。
だからそれ見本に載せるわ。
そうね。
なんのって感じだけど。
なんの見本?
なんの見本って感じだけど、この回を聞いてくれた人たちだったら、合わせてみたら面白いと思う。
結構ね、しょうもないことばっか話してるんだけど、それが逆にいいのかもしれない。
いいと思うな。自分を振り返るタイミング。
確かにそういう方法もあるね。ビデオでやっていくっていうのもいいな。私も復活させたいな、でも。
ぜひやってほしい。
料理ね。
料理じゃなくてもいいじゃん。散歩のときとかもやってたからさ。
あー確かに。そうだ、それもあるね。それいいかも。
そういうのも試してみてるっていう感じなので、皆さんも何かね、ジャーナルいいかもって思うアイディアが俺らの話の中であったらやってみて。
ぜひ、おすすめです。なんかいろんな形でアウトプットしていくの楽しいから、それを絵日記みたいのでやるのがいい人もいれば、いろいろ本当に人によって違うと思うからね。
もしなんか面白い方法があったら、逆に教えてほしい、試してみたい。
確かにね、それ気になる。なんかこう、スポーティファイもコメントできるし、フォームで送ってくれてもいいし、インスタでコメントしてくれてもいいし、もう何でもいいんで、どこからでもコメントで教えてください。
教えてください。
あなたは私の、あなたは違う。あなたは、私は。
え?何?
いや、今なんかタイトルっぽい感じにしようと思ったんだけど、全然路列が回らなかったのと、全然頭が働いてないから、できなかった。失敗した。
大失敗しましたね、今ね。珍しく。
大失敗しました。
悔しいな。
まあ、今日はこんなところですか?
こんな感じでいいか。
このシミュレーション。
シミュレーション悪いな。なんかちょっと、もういいや。
ありがとうございました。
はい、じゃあ今日はここまでっていうことで、聞いてくれてありがとうございます。
はい、強制終了。ありがとうございました。
ではまた、来週。
31:57
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