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2023-03-07 51:04

S2 ep15 ウォーホル再び ダイアローグ・フォー・ドレラ

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シーズン2エピソード4複数の美術展のことを駆け足で紹介した回で、割と雑な扱いをしてしまったアンディ・ウォーホル。そのことへの反省もあり、3人とも京都での展覧会を観てきたということで改めて語り直します。例によって収録時点で展覧会自体は終了してますが。ウォーホルと、今も尚彼を取り巻く状況から見えてくることとは?

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パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

00:01
CRA出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ。
ConCRAのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの海です。
岩田です。
四方です。
はい。どもらずに喋ろうとしています。
あのー、えっとですね、ソリュウガマさん会が3回あって、その後先週、ソリュウガマさんのゲスト会を受けた感想会みたいな会をしての今週なんですけど、
時間的には前後する感じなんですけど、ネタバレをしておくと、前回エピソード14は2回目の収録でした。
今まだ撮れてないですけど。
っていうことをもう、ここで暴露しておこうかなと。
その方がなんかこの今の僕らのテンションのね、どういうことなのかっていうのが伝わるかなっていうね、どんな感じになるかね。
完全にでも私のテンションはかなり違うと思いますよ。
つまり、かなりいいテンションで撮れたエピソード14がクラッシュしてしまったということですね。
そうです。いきなり喋ってる。で、セービングができない間にラプトップがいきなり何の落とさたもなくいきなり再起動になっちゃいまして。
で、全部撮って消えたという。
そんな悲しい出来事の後に、これ喋ってますけども気を取り直して、今日も元気にお送りして参りましょうということで。
ちょっとですね、振り返りますとですね。
シーズン2のエピソード4でお話ししたことにちょっと僕自身なんか結構反省があってですね。
それがどういう回だったかというとシーズン1と2の間のお休み期間にいろんな展覧会行ってきましたみたいなことをダイジェスト的にわーっと喋るみたいなことをしたんですけど。
なんかそのせいでいろいろ扱いが雑というか中途半端な扱い方を全ての展覧会に関してしてしまったなっていう非常に反省モードでして。
03:15
ちゃんともう1回話しておきたいっていうのがあった中ですね。
その中で取り上げたアンディ・ウォーホールのアンディ・ウォーホール京都っていう展覧会が2月の12日までこの間までやってたんですけど。
それに海さんも塩さんも行かれたということでちょっとアンディ・ウォーホールの話をもう1回しておきたいなっていうのが今日です。
前回の時は展覧会を見てなかったけどアンディ・ウォーホールは知ってる範囲内で思ったことを言ってたけどやっぱり行ってみて全然ちょっとまた違う考えが浮かんだりとか疑問がむしろ湧いてしまったりとかしたので。
やっぱり見ないで喋るのはちょっとできなかったなって感じでしたね。
僕も前喋ったときはもうかなりアンディ・ウォーホールとか結構どうでもいいぐらいのテンションで喋ってた気がするんで。
ような感じだったってことですね。
本当はそうじゃないんだと思う。
そうなんですよ。
コンクラのことを考える上でもヒントがあるような気もするし、そもそも僕はアートそのものの歴史とかいろんな文脈に無知なので、その辺りをお二人と話していくとなんかちょっと色々見えるかなっていう。
発見があるかもっていう。
そういう期待があります。
今日は。
はい。
それはさておきなんですけど、岩田さんからのウォーホール好きですかっていう質問をなかなか最近受けた質問の中で多分トップ3レアラインに入るぐらい強烈な質問だった。
そうですか。
そうか。
こんなに強烈。
僕はその強烈さがありましたね。
なんで強烈かも考えてたんですけど、そのウォーホール好きですかはかなりのパンチ力があって、ちょっとそのパンチ力を受け止めきれてない、ちょっと配信後の前回の配信分のやり取りがディスコードでなんか場外線みたいな感じで参加者と色々やったんですけど、
やっぱりウォーホールが好きか嫌いかってウッとなってしまう。
06:01
その正体は何ぞやっていう感じなんですよね。
それを結構でっかいお題を好きか嫌いかという、あえて単純化した二辺論的にでっかいお題を抱えて京都の平安神宮の方に赴くという、そういう体験だったんですけど僕はね。
楽しかったです。そういう出だしから楽しかったですね。
なんか最初に展覧会のやっぱりこう、あの、京セラ美術館に行ってタイトル見て、もうそこでその時点ですでにふと思ったのが、なんで京都って入れないといけないねっていう疑問がすごい湧いたんですよね。
ちょっぴり関西文が入って。
で、実際にこう切り口がそのウォーホールが日本に2回来ましたよと。
人生でで京都に行きましたよっていうストーリーなんですけど、別に京都だけしか行ってないわけでもないのになとかなんかすごいツッコミどころがなんか満載な切り口だし。
なんかなぜわざわざそういうふうに京都っていうふうにあの切り出さないといけないんだろうっていうなんか変な見方をし始めちゃってて自分が。
そっちの方がなんかもやもやしたっていうのはなんか最初の、なんだろう、最初の展覧会入る途中というか入り口での疑問だったんですよね。
海君はどう思います?
えっとね、実はそういうところはあって、好きか嫌いかって話はなんかすごい巨大な質問なんで去っておき、そのアンディウォーホール京都。
そうなんですよね。あの京都って言葉がねまたことを複雑にさせるんですよね。
僕は京都に住んでてない人。じゃああの○○京都とかっていうことでなんかこう、なんかこういろんな固有名詞に京都を当て込むっていう遊びを僕の中でやっちゃうぐらいの感じでした。
アンディウォーホール京都、○○京都とか、鉄家王様京都とか、なんでもいいんですけど京都、ビートルズ京都、なんでもいいんですよ。
そういうことをやった時に、どっちかっていうと、やっぱりウォーホルの目線からの京都というよりは、京都の目線からのウォーホルっていうことの方が、
そうだったね。
そうそう、その遊びをしてわかったのが、なんかどっちかっていうとそっちの目線のベクトルなんだろうということがなんかはわかってきたんですよね。
09:06
で、それが他の作家だとやりづらい場合もあるんですよね。で、なんでアンディウォーホルはなぜかそれがスルッとできちゃうのかっていうのが、まさに彼のアーティスト、アートを語ってる気がしたっていう。
っていうのがあって、もう終わったんでパネ明かしとかすると、京都を題にしたドローイングとかが数点あったりとかはしつつ、おそらくいわゆる有名になる前の彼がどうしてたかっていうところを京都に限らず、
一応時系列を追ってやってたりとか、ウォーホルに関する日本の今の作家というか、この言葉すごい苦手なんですけど、日本の今のクリエイターがインスパイアされて作った、
歯切れ悪いななんか。
歯切れ悪いんすよ。
どうした?
なんだ?どうしたんだ?
まだ戸惑ってますよ僕。
いや、戸惑ってない。なんかね、何を言いたいんだろうかっていうのを。
そうですよね。多分そろそろそうなっちゃった。
はっきり言えばいい。
あのー、ざっくり言うと今の人がウォーホルにインスパイアされて作った作品が置いてありましたってことかな。説明になってます。
うん。
なんで、意外と京都色はそんなにないんですけどね。僕の印象からしたら。
最初のイラストとかは来た時のドローイングだから、なるほどなって思って見てたけど、なんかそのウォーホルが影響、日本に影響を受けた、それは京都からだったっていうので金箔画とか書いてあったんですけど、
それもだいぶなこじつけだぞとか思って見てた。
飛躍を感じたわけでしょうね。
飛躍を感じたよね。なかなかのキュレーションがここ、なかなかのキュレーションだなこれとか思ってちょっとやっぱり気になっちゃいましたねそこは。
そう、やっぱり京都リプレゼント論みたいな感じですね。
で、あの、やっぱり丸々京都ってつけることのある種の暴力性みたいなのはウォーホルに限らず僕もすごい思ってるんですよね。
で、京都っていうなんとなくぼわっとしたみんなが共有しているイメージ、多くの人が共有しているイメージを元にその京都という単語をぶっこんでくるっていうところと、
12:08
京都の外側に住んでいる僕からしたらすごい恐縮なんですけど、いや、僕が思うようなステロタイプの京都とは違う京都の側面が絶対あるだろうと思ってうがった見方をして京都を見てる部分があるんですよね。
何のこと言ってるかわかりますかね。
まさにそれがアンディ・ウォーホルと似てると思ったんですよ。
だからその2つが並んでいることにすごい納得感と違和感が両方湧き上がったんだよね。
なんて言ったらいいんだろう。アンディ・ウォーホルって、そもそも彼自体がメディアだったわけですよ。
何が言いたいかというと、道徒にでもなれる素材なんですよ。アンディ・ウォーホル自体が。
彼がそれを理解してたのかしてないのかわからないけど、いろんな理由でああいうキャラクターになっていて。
中でも説明もあるんですけど、私はBecoming Andy Warholという漫画を持っていて、そこで結構詳しく書いてあるので、
彼がどうして例えば白い髪の毛になったのかとか、そもそも自己肯定感がめちゃめちゃ低いんですね。
肌が汚いから、アバターっていうんですかね、ニキビの跡がすごいんで、それを隠すためにもっと髪の毛を目立たせれば、そっちに目が行かないだろうっていう発想のもと。
実はかつらなんですよね、これもね。それを展覧会で説明したんだけど、なんでこの髪色なのかとか、そこは説明あったかなと思って、ちょっと今記憶にないんですけど、この漫画にはそれを書いてあります。
だから自分の中で分離しているというか、やっぱり展示を通して思ったのは、Warhol自身の中の自己矛盾とか、相反するものを自分の一人の中でずっと抱え続けているっていうか、業館から見えましたよね。
そもそも彼のバックグラウンドがピッツバーグ出身で、やっぱりアメリカの真ん中の方って保守的だったりとかするところでもあるし、ピッツバーグっていう面白い、すごい有名大学とかがあるんですけど、ピッツバーグに。
名前なんだったかな、有名とか言っておきながら、名前が今ちょっと。
15:02
バカタ大学とかそういう。
違います。
どういう系の有名さんなんでしょう。
たぶん私の専門がコンピューター系だからっていうのがあって、それで、その世界でははいはいはいみたいな感じの名を、論文数多いとか学会とかよく名前出てくるんで、そういう意味で有名って言っちゃったんですけど、たぶん一般の人は知らんかもしれない、よく考えたら。
ピッツバーグスペース大学でやるとピッツバーグ大学が出てくるんですけどしょうがさん、あってますか。
違います。
違います。
大学置いといて、一応アカデミックな人もいます。
あとディズニーのリサーチセンターもそこにあるし。
なるほど。
で、アンディ・ウォールホールミュージアムもあるし、微妙にアカデミック、微妙にエンターテイメントみたいなのが入り混じってるってイメージが私の中であったんですけど、そんなにニューヨークとかサンフランシスコみたいに同性愛OKとか、そういう感じもないんじゃないかなって、なんとなく思ってる。
そんなところで同性愛者として育って、幻覚なカトリックでしたっけ。
東方カトリックなので、ちょっと注釈がいると思うんですけど、いわゆるコンスタンティノープルを起点にする、いわゆるローマカトリックとは分岐した流れだと思うんですよね。いわゆるロシアカトリックとは。
教科書みたいに詳しい話出されてますけど、どんなカトリックなのかがちょっと分かんないんだけど。
東方系で言うと、分かりやすいとこで言うと、ロシア系のカトリックの教会って行ったことあります?テトリスのみたいな、玉ねぎ型の屋根の教会とかって塩さん行ったことあります?
金色の玉ねぎみたいなの。行ったことないけど、パリとかにすごいのがありますね。
首をかしげたイコンとかがすごい薄暗い中にあった。
確かに首かしげ多いかも。お祈りしてるだけだと思うんですけど。
プロテスタントとか絶対ないじゃないですか。偶像がある意味禁止されてるし。説明がちょっとしにくいですね。
18:13
今ちょっと気づいたのがあります。イコンとか偶像っていうのを結局アンディ・ウォーフォルも自分で偶像化してるじゃないですか。
彼がもしもプロテスタントだったとしたら、ちょっともっと概念的よりだったのかなって思うんですよね。
自分をとか言うよりは、自分の写真とかは避けて、コンセプトの方をどっちかって押してたんじゃないかなって。
何だろうな。たまたまですけど、アイコンの読み方違いのイコンが東方かスリックですけど、これたまたまですけど。
たまたまじゃなくてもともとアイコンの語源はイコン。
あるじゃないですか。ウォーフォルこそアイコンっていう言葉で説明しやすいものもないというか、
有名であることのアイコンがどうなのかっていうのを無理くり、経験のある東方カトリックのところから結びつけることができるのかできないのかという乱暴な話もありつつ、
さっきの話で言うと、やっぱりプロテスタントよりも東方カトリックはちょっとわかんないんですけど、
やっぱり古式いうかしいキリスト教って基本的には同性愛を禁止してるっていうところの、どうしてそういう自己矛盾を払った状況なんだろうっていうのが、
めちゃめちゃ時系列でウォーフォルの経歴を説明するような老いたちをちょっと思ったところだったんでしょうね。
面白いなって、やっぱりうみくんの振り返り聞いてて思い出したのが、もともと親が例えばその宗教に入っているから子供が無理くりいられるパターンじゃないですか、基本は。
自分で選んでないですよね、子供。
大体14歳になるとみんな教会行かなくなっちゃったりとかする人もいるし、そのまま続ける人もいるんだけど、アンディ・ウォーフォルって自分はやっぱり居づらい場所じゃないですか、同性愛者としては厳格な宗教だと。
21:01
なのに、かなり無くなるまでちゃんと教会行ってたりとか、わりとちゃんと信心深いっていうんですか、そういうのをしてたっていうのが、私すごい知らなくてびっくりしました。
意外っていう。
何だろう、コンフリクトしていながらもコンフリクトしていない状況に身を置いているってところが面白いなと思って。
それを言ったら、だから自分をアイコニックにする作品にも影響が出たのかもしれないし、コンフリクトをみんなが持っているっていうことの作品で、いつも情報の二面性っていうのを彼は表してるなって見てしまうんですけど。
有名人の取り扱いもそうですけど、それこそトマトカンであれ、コカ・コーラであれ、みんなが知っている有名な、それこそアイコンですよね。
有名っていうことだけ取り上げて、その有名であること自体を舐めんじゃねえぞっていうことがあったと思うんですよね、ウォルホールの話で言うと。
誰もが10秒だけ有名になる。
10秒間は有名になれるみたいなやつ。ちょっと秒数は忘れましたけど。
それを考えてくると、アイコンが先行したところで、ますますウォルホールの本音って何なんだろうかが、より分からなくなってくるっていうのが考えれば考えるほど。
最初の岩津さんの問いかけに戻ると、本音が分からなければ分からなくなるほど、ウォルホールが好きかどうかが分からない、もしくはどっちでもないっていう結論に向かうんですよね。
私は彼がやったことって、現代美術の世界において重要だったと思うし、過去にそういうことを貫いた人って、いたかもしれないけど、たまたま歴史に残ってるわけじゃないですか。
そこから考えさせられることってやっぱりあるなっていうのは思うんですよ。現代美術っていうのは、こういうのもありだよなっていうのを示してくれた人でもあるから。
それだから好きっていうのは、私はそういう感覚ないんですけど、いつまで経っても本音が本当に見えてこないっていう気持ち悪さっていうのはあるんで、そこがコンフリクトの気持ちかな。
24:12
好きでもないし、嫌いでもないけど、どうでもいいわけでもないけど、なんかモヤモヤして、背中見てたみたいな。
お二人ほどアンディ・オーホールのことわかってないアート素人目線で、アンディ・オーホールがこういうことをやった人ですよねっていうふうにざっくり理解してた。
過去にというか、展覧会を見に行く時点で抱いてたイメージとしては、キャンベルスープが一番象徴的というか、そういうことをした人なのだなっていうふうな理解をしてたのは、
アメリカの消費社会、大量生産品の上にあるデザインみたいなものを、大量に安く世の中に流通しているものを、
絵画という形でもなく、シルクスクリーンという大量生産技術で再現したものを、自分がアイコン化することによって、100円、200円で買えるものを、同じデザインのものをめちゃくちゃ何億っていうような市場に乗っかるアートにするっていう、
その価値の転倒みたいなことをした人だっていうイメージだったんですよね。その理解ってあってます?
はい、その通りというか、私は偉そうに言うことないですけど、学校で習った時にそういう話したなって思いました。
僕が前のエピソード4の時に話したのは、結局僕が好きなのは、アンディオ・ホールじゃなくて、ベルベット・アンダーグラウンドだったって話だったんですけど、
それが、なんであの時話をしたかというと、結局一番、もう一回価値の転倒が起こって、ベルベット・アンダーグラウンドのCDは1000円とかで買えるものになって流通してるっていう、
アンディオ・ホールが一回価値を転倒させたものをもう一回大量生産品に落とし込んで、一番流通してるものがバナナのジャケットなんじゃないかっていうところで、
僕は音楽作品としてのベルベット・アンダーグラウンドの2個が大好きなので、
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それのアートフォームの一つとしてあのバナナが好きだっていう話だったんですよね、細かく言うと。
その話を聞いてたからか。
確かに、前回のお話から。
そのこと言ったんですけど、補完していただいたですね、今の話で。
その話を聞いてたからかわからない。展覧会の終わった後に、ショップがあるじゃないですか、
あそこで私は誕生日プレゼントのおねだりをしまして、バナナのクッションを買ってもらったんです。
抱き枕みたいなやつですよね。
もともと抱き枕欲しかったんですけど、抱き枕でいいなって思うのがなかったから、ちょうどバナナが抱き枕の形としていいじゃんって思ったのと、
あとやっぱり、あのバナナっていろんなところで登場してくるんですよね。
私も持っているバナナケースも似たようなプリントとかやってたし、シルクスクリーン帳のアンディ・ウォーホル帳の柄が貼ってあったりとかして、
そういうのが確かに広告って結局何なんだろうとか、同じイメージを見慣れてるんだけどもう一回作り直す、擦り直すってことでちょっと変わるじゃないですか、写真と違うみたいな。
バナナって認識できるけど、ただの黒いバナナっぽい型をした影みたいな、立体的じゃないし全然、フラットに。
2色ですよね。
2色で黄色と黒で、バナナって認識できる形ではあるけど、バナナを本当に3Dでちゃんと描いてるとかじゃないから、
何て言ったらいいのかな、さらにアイコニックに見えるっていう感じなんですよね。ロゴとかじゃないのに、うまく説明できてないなこれ。
もうちょっと言い直すと、例えばだけど、アイコン作るとき昔って8ビットみたいなピクセルアートみたいな感じでしか作れなかったじゃないですか。
昔のコンピューターって今みたいにスムースな感じじゃないんですよ。ガタガタっとしてて。それでもギリギリなんかこれはフォルダーかもとかこれはメールのアイコンかもっていうのをギリギリのところを限られたピクセル数、画素数でレゾリューションで作ってるんですよね。
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それに近いなっていう感じ。なんとなくレトロ風にも見えるし、なんか懐かしい感じも何とかするし。
それこそ印刷のプロの岩田さんからしたら、もう本当にただの2色じゃないですか。
バナナの話じゃないんですけど、牛のやつやったか花のやつやったか忘れましたけど、あの展覧会の中で展示されてる作品の中で1950年代に摺った花が展示されてて、
その横に60年代、多分5年後ぐらいに摺った全く同じ柄のシルクスクリーンのやつが並んで展示されてたんですけど、その2つでね、アミテンの形状が違ったんですよ。
見ているところがマイクロ。
ポイントがすごい。
アミテンの話はまた初期の方に繰り返してもらいたいんですけど。
アミテンのパターンっていうのも、いろいろチェーンドットって言われるものとか、スクエアドットとかラウンドドットとかいろんなドットの形状がちょっと絵柄、
今はデジタルになってからそんな細かいことしないですけど、アナログ製版の時代って結構その絵柄によってドットの形を変えてたりしたんですね。
それが50年代に摺った花と60年代に摺った花で、アミテンの形状が違ってて、これってウォーホール支持したかなと思ったら多分してないと思うんですよ。
単純に50年代から60年代にかけての技術の進化だったり、あるいは単純に依頼した先の製版上が違ったとか、そのぐらいのことなのかなと思ったんですけど、見てて気になっちゃって。
おもろ。
でも彼は自身でスクリーンのファクトリーって呼んでた、その生産するところでやってたんじゃないんですか。
結局、シルクスクリーンの版を作る、録音することまで全部彼がやってたのかっていうことを考えると、
録音するとき、だから絵柄を一回色を分解して別々の版に分けて、それを一回アミテンのパターンにして、それをスクリーンのメッシュに録音して版を作るんですよね。
33:23
絶対にその途中の工程の中には、彼本人が関わってない、特にアミテン化するみたいなところは製版上がやってると思うんですよ。
プリントごっこで言うと、使い捨ての電球をつけてバチバチバチってやる工程ですよね。
確かに機械、そういう専門の機械がないとできないですもんね。
シリが立ち上がって、声が聞こえなくなってました。
プリントごっこの電球をバチバチさせて、ハイメッシュマスターとB-6とかに焼き付ける版の話で思い出してました。
それが多分大規模化した工程だと思うんですけど、そこの製作にウォーホルは関わっとらんだろうという過程の下、アミテンの。
もし5年なり10年なりの間の工業製品としての彼の作品という言い方ができるとすれば、
技術的な細かい部分に対して、もし彼が無頓着だったとしたら、
例えば同時代のノイリキ・テンシュタインとかって、アミテンを手で書くことで価値の転倒を起こしているわけですよね。
デコードしてますよね。
というのとは、そもそも向かっている方向が全然違うのかなと思ったり。
僕は大量生産品っていうのを批評的に、これが自分がアイコン化してそれが少ない点数で作れば、
同じ複製品なのに市場はそれに価値があると思うっていう現象を引き起こすことで、そこに批判性を持たせたっていうふうに思ってたんですけど、
コンセプトとして、その複製される技術そのものに対してはそんなに指して興味がないみたいな感じを、
その二つの花でなんとなく勝手に受け取ったんですけどね。
36:02
これは岩田さんならではの視点ですね。
ちょっと調べてみたいですね。意識してそれをわざとやってたかどうかっていうのは。
そこでやっぱり彼自身の本音がわからないみたいな話は、僕も展覧会見た後にいろいろ。
僕も正直、アンディ・ウォールスそんなに興味なかったんですよ。実のところ。
興味あるような気はしてたけど、行ってみたらそんなに興味が実はなかったんやなとかって思ったりしたんですけど、ただ行った後にいろいろ見たりとかっていう中で、
ちょうどこの間、ベルベットアンダーグラウンドっていうバンドにいたルーリードっていう人とジョン・ケールっていう人が、
アンディ・ウォールスが亡くなった後に、2年ぐらい後かな、2人でやったソングス・フォードレラっていう作品があるんですけど、
ドレラっていうのはアンディ・ウォールスのことなんですけど、ドラキュラとシンデレラをくっつけた、本人はあんまり気に入ってなかっただな、らしいんですけどね。
言ったらツイートみたいな作品ではあるんですけど、
ルーリードとジョン・ケールの話まですると長くなるんですけど、その2人が一緒に演奏するってこと自体も1989年とかの時点では、かなりそんなことありえるんやっていう、
ジョン・ケールがベルベットアンダーグライドを追い出されるような形で、確か辞めてるような経緯だったと思うので、
その2人が共演するってこと自体もそうなんですけど、
たてつけとしては、映画はコンサートのオープニングからエンディングまでただ流すだけっていうシンプルな構成の映画だったんですけど、
アンディ・ウォーホールがピッツバーグで生まれてから死ぬまでっていうのを10曲ぐらいの曲で、それぞれが作曲した曲でやってるんですけど、
歌の語り手がルーリードの場合とジョン・ケールの場合とアンディ・ウォーホールの場合があるんですね。
最初は僕がアンディっていう形で、ピッツバーグで生まれ育った冴えない少年団みたいな感じの曲から始まって、
ファクトリーを立ち上げて銃撃されたりとかっていう出来事があったりとか、
ベルベットアンダーグライドと出会って別れてみたいなところから死ぬところまでみたいなことを、
39:05
あくまでルーリードとジョン・ケールがイメージするアンディ・ウォーホールを主人公にして構成してるんですけど、
あんまり知らないんですよ、ルーリードもジョン・ケールもやっぱりアンディ・ウォーホールのこと。
ルーリードはアンディ・ウォーホールの元でやってるのが嫌で、あえて距離を取ったっていう経緯があったみたいで、
ジョン・ケールはそこまででもなかったみたいなんですけど、
やっぱりアンディ・ウォーホールもルーリードに嫌われてるってことを気にしてたみたいな、その辺の人間関係があったらしいんですけど、
過去に付き合いはあったけど、それからずっと添えになっててほとんど交流もなかった人の話を、
それでも歌の題材にして死後に仲違いした2人が集まって演奏する、
演奏しようとするだけの何か、それをモチベートする素材としてのアンディ・ウォーホールみたいなところが面白いなと思って。
面白いですね。
それは多分本人が何も語らなかったことによるものだっていう気がするんですけど。
なんかこう、よい言なり意思なり、そういうものがあると逆にそんなことはできんわなって。
いじりやすいってことですよね。本音が。
いや、そういうことなのかな。本音がわからんからいじりやすい。
あともう一つね、最近のコンテンツでネットフリックスでアンディ・ウォーホール・ダイアリーズっていう、
全6話のオリジナルシリーズ配信されてて、2話しか見てないんですけど、それがね、ナレーターがアンディ・ウォーホールなんですよ。
そんなことまでして。
どういうことかというと、AIで生成したアンディ・ウォーホールの声なんですね。
話題になってましたね。
これはかなりセンシティブな話だと思うんですよ。アンディ・ウォーホールじゃなかったら。
死んだ人の、アンディ・ウォーホールの日記が70年代以降残ってて、それをアンディ・ウォーホールのAIの声が読み上げてるんですよね。
最初に遺族の許可を得てAIで合成したっていうふうにテロップが出るんですけど、遺族の許可があったとしても、例えばジョン・レノンとかでは絶対やらないと思うんですよ。
42:17
やったとしても、たぶんすごくバッシングを受ける気がする。
ちょっと声似てるし、ジョン・レノンでよくねっていう。
似てるのは歌手だからさ、声は大事な作品の重要な要素だからさ、それをAIでやったって言ったらどうなんだって。
歌手に例えてしまったからあれなんですけど、
例えばね、僕、去年見た映画で言うと、ブラックパンサーの2作目のタイトル忘れてた。
ワカンダ・フォーエヴァですかね。
ワカンダ・フォーエヴァ見た時に、すごい良いなと思ったのが、チャド・イク・ボーズマンってブラックパンサー演じてた俳優が亡くなってしまって、その1作目の後に。
2作目はチャド・イク・ボーズマンが不在で作るっていうことはずっと前からわかってたことなんですけど、チャド・イク・ボーズマンの扱い方がすごくリスペクトがあるなと思って見てて。
とにかくあんまり出てこないんですよ、ほとんど。シーンとして、過去のシーンも。
オープニングのマーベルのロゴが出て、最初の本編に入るまでのところで今までのチャド・イク・ボーズマンの登場シーンが出て、本編ではほぼ出てこなくて。
だからもちろん、大役を使って後ろ姿で追加シーンを足すとかももちろんしてないし、AIとかCGで作ったものを動かすみたいなことももちろんしてないし、
リスペクトがあったらそういう扱い方するだろうなって気がするんですよ。
わかりました。実は僕もちょうど先週見たばっかなんですけど。
わかった、ほいわ。
やばい、私見てないからちょっとついていけなくなるぞ、これ。
ちょっと補足するとすると、今個人の扱い方の話を岩田さんがしてるんですけど、
もう配信されてるからざっくりネタバレはしないまでも、話の徹頭徹尾、基本的には死者を追悼してるんですよ。徹頭徹尾ですよ。
ストーリーが?
45:02
ストーリーが。最初から最後まで追悼してるんですよね。
一般的な死者のこと?それとも亡くなった俳優さんのこと?
多分両方ですね。
もともとそういうストーリーだったの?
いやー違う。どういうコースマン?
でもチャドウィック・ポーズマンが亡くなったことで明らかに、その後に作られてるので、そこは完全に意識されてますよね。
完全に意識されてますよね。
ブラックパンサーの話は一つの対象的な例として挙げただけなんですけど、
アンディ・ウォーホール・ダイアリーズでの合成AIによるナレーションという扱い方とか、
ソングス4ドレラーでのルーリードとジョン・ケールがある意味演じるアンディ・ウォーホールみたいなところ。
それをやれてしまうこと自体がアンディ・ウォーホールという人のアイコン性みたいな。
生身の人間としての。だから海さんが好きか嫌いかって言われても困る感じ?
めっちゃまとまってきましたね、話がここに来て。困る理由それだったのか。
あとなんか僕、ぼーっと聞いててもう一個のことに気づいてて、ちょっと話逸れるんですけど、
全然違う話してるんですけど、変に芸術大学とか美術大学を出てて、
ウォーホールの説明を求められた時に、なんか説明ちゃんとせんといかんっていうプレッシャーって謎にあるなって思ったんですよ。
それはなんか面白い現象だなと僕自分のことを振り返って思ったんですよね。
そういう意味で言うと、歴史書とかで、歴史の教科書とかで言うと、
結構重要な人物としてゴシックで扱われる人名だと思うんですけど、ウォーホールとかって。
それだけど、例えば、ゴッホとかと比べると違うんだよな。映像とかでこういうのが残ってないからな。
生きてる人、あんまいいってもな。村上隆とかもちょっと違うしな。
ちょっと噂の言ってることが、頭の中ではちょっと整理つき始めてるんですけど、僕の中、説明まで追いついてないっていう状況が今なんですけど。
48:03
じゃあちょっとその辺の整理をつけるために。僕ね、クラダシラジオでそもそもアンディ・ウォーホールの話をもう一回振り返して、
ワンエピソードにする意味みたいなことは、ありそうでなさそうで別にいいやと思って話し始めてはいるんですけど、
ちょっと僕気になっているキーワードで聞いてみたいのはね、ポップアートっていう、ポップアートの代表的な存在みたいな紹介のされると思うんですけど、
アンディ・ウォーホール以前からポップアートっていう概念っていうかジャンルっていうのはあったんですかね?
どうだったかな、でもリキテン・スタインと同世代。
でもなんかその、あの時代の同時多発的なムーブメントですよね、たぶん。
あの人どっちなんだっけ、人間がダンスしてる絵を線画で描く人の名前が、今日本当に名前出てこなくてごめんなさい。
あー、キース・ヘリング?
キース・ヘリングだいぶ時代が暮れてますよね。
そうか。
バスキアとかと同世代ですよね。
そうですね。バスキアもあれポップアート扱いなのかな。
で、ちょっとそのポップアートみたいなことと、ちょっともうちょっと話したいんですけど、一旦切りましょう。
だいぶね、だいぶ来ましたからね。
というわけでちょっと来週、どっちに話が転がるのか全く分かってないんですけど、来週もちょっとこの話、引き継いでなのか引きずってなのかお送りしたいと思いますので、火曜日配信してます。
お聞きください。
どれだけ自分がアンディ・ウォーホール好きか嫌いかっていうご意見、ご質問をハッシュタグCONCRAとあとフォームで受け付けております。
お好きかどうかっていうことで言うと、どっちでもないっていう人はどっちでもないっていうことを感想と交えて言ってほしいと思います。
コレクティブのほうのDiscordでやってるCONCRAのほうもよろしくお願いします。
はい。というわけで来週もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。ありがとうございました。
51:04

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