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Chikaraチャージ💪ラジオ おはようございます、Chikaraです。
今日は金曜日ですので、茶盛りのテレフォンショッキングの日になります。 それでは、どうぞ。
お昼休みはウキウキウォッチング あちこちそちこちいいと思う
ででてててんてん おはようございます、茶盛りです。
今日は、前回のモニカさんからのご紹介で、水野カエルさんです。どうぞ。
こんにちは、よろしくお願いします。
カエルさん、初めましてですね、本当に。
お会いしたこともないし、お話もないし、初めましてですね。
ないですよね。なんで呼んでいただいたんだ?
いや、僕ね、6月の時だったと思うんですけど、
カエルさんとちくわさんがコラボされていた話を聞いて、
音楽になる話ですね。
そうそう、音楽になる話で、実際僕正直言うと、あんまり音楽自体には興味が薄い人なんですね。
ただ、カエルさんとちくわさんがお話しされている中で、
カエルさんが幼少期に海外にお住まいだったっていうお話がすごく気になってて、
しかも僕に馴染みのない国、確かインドとイランでしたっけ?
よく覚えてらっしゃいますね。
はい。すごい記憶にあって。
インドに行ってる方も知らないし、イランに行った方も知らなくて、
お話にしたこともないんですよ。
だから、これはちょっと一回どこかのタイミングで、
カエルさんにそのお話を聞きたいなと思ってて、記憶にずっと残ってたんですよね。
やっぱり僕自身が海外大好きみたいで。
フィリピンでお仕事されてるって言うのも、ジェイドさんとの出会いなの?
そうなんですよ。前の前の前くらいの会社なんですけど。
転職結構してるんであれなんですけど、
フィリピンに昔工場があった会社で、
僕がその工場を含めて改善プロジェクトみたいな仕事をやってたことがあって、
楽しいけどもしんどかったんですけど、
日本のお客さんの品質の目で見てもらって、
工場をこんなに綺麗なしっかり作ってますよみたいなことをやりながら、
その間を備えたり改善しなさいみたいなことをやったりしてた仕事のときに、
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よくちょくちょくフィリピンに行ったりはしてて、仕事場もあったり。
個人的にはオーストラリア1年、若いときにちょっと行かせてもらってたりとか、
海外っていいなっていうふうにちょっと思ってたんだけども。
だからもう一回ですけど、インドに行かれた方も僕の身近にいなくて、
イランなんか特にいなくて。
イランはあんまり覚えてないんですよ、3歳から6歳のとき。
これかっていうもったいない記憶しかなくて。
でもなんとなくはあるんですか?
なんとなくはあるんですけどね。
これがイランの記憶かっていうもったいない記憶ばかりです。
じゃあそのあとは一度も行かれたことはないんですか?
そうですね。イランはそこまで覚えてることも少ないので、
行きたいと思ったことはないんですけど、インドにはもう一回行きたいですね。
インドに行かれてたのがいつぐらいなんでしょうか?
小学校5年生から中学校1年生の3年間です。
じゃあそこはもうしっかり記憶にあって。
そうですね。
どんな印象でした、インドって。
でも私すごく気楽な子どもの立場で行ったので、
多分力さんが大人としてお仕事するために行かれたのとは全然違うと思うんですよ。
父が消費者勤務で、輸出の仕事をしてたので、
その関係で2回行きましたね。もう1回あるかもしれないなと思ったけど結局なくて。
なので親はすごく大変だったと思うんです。
やっぱり親目線だとインドって住むとしたら大変そうな場所だったんですか。当時ですよ。
そうですね。当時の話ですけど、母親は結構いろいろ、イランにいてたときもインドにいてたときも、
おぼろげに、ちょっとごっちゃになってますけど、
おぼろげに覚えてるイランのときの記憶では、日本食があまり売ってなくて。
ああ、まあそっか。
なんかね、母親がパスタマシーン、わかります?
ふるふるハンドル回すとパスタが出てくるやつ。
麺が出てくるやつ。
あれでうどんを作ってたなっていう。
おー、手作りで。
そうですね。
すごい。ご飯は結構、お母さんは苦労されてたんですか。
まあ食材がないってことか。
そうですね。
調味料も大変だったんじゃないですか。
調味料は日持ちするんで、結構日本から持ってってましたね。
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あ、そうなんだ。お醤油とかお味噌とか。
そうなんですよ。結構持ってってて。
イランのときもインドのときも。
ああ、そうなんですね。
そうなんですよ、そうなんですよ。
食生活、確かに食が一番、母親的には苦労してたんじゃないですかね。
今はまただいぶ違うかもしれないですけどね、状況がね。
そうですね。だいぶ変わってると思います。
今見てると、おー、インドに。
すいません、こっちのほうでもマクドナルドマクドなので、
インドにマクドができてるよとか。
はいはいはい。
そういう目線で見てますけども。
ああ、やっぱりそうなんですか。
はい、やっぱり当時多分、今もうちょっとマシですけど、
当時は多分生のお魚って現地では食べれなくて。
ああ、そうなんだ、やっぱり。
なんか夢にマグロの刺身が出てきた記憶がありますね。
すごい好物なんで。
あ、そうなんですか。
食べたいけどやっぱりダメな食材は結構あったんですね、じゃあね。
あ、そうですね。はい、そうですそうです。
生物自体がなかなか難しいですもんね、海外だと。
あまり食べる習慣がないかもね、今ほど普及してないかもしれないですね。
はいはい、わかりました。
僕もオーストラリア行ってた時にびっくりしたのが、
卵って日本だと生でかき混ぜたりとか、生焼けで食べたり。
卵かけご飯。
そうそう、卵かけご飯とか、
日本だとフレンチトーストって呼ぶんですけども、
卵とお砂糖とミルク混ぜて食パンつけて焼くだけのやつ。
はいはいはい。
あれを僕はオーストラリアで自分で作ってみた時に、
旅行で何人かツアーみたいなので来てて、
自炊するようなツアー行った時にそれ作ってたら、
これはなんだって言われたら、
フレンチトーストだって言ったら、
フランスにそんなものはないって言われた。
あれ日本産なんですか。
そうみたいですよ、まずは。
フランス人が言ってたから。
で、ただ日本ではフレンチトーストだと呼んでいると言って、
まあそれはそうだ、わかったっていうことなんだけども、
もっと驚かれたのが、
卵が生焼けではだめだってみんなから言われて。
フレンチトーストレベルで生焼けなんですね。
もうだめだって言われました。
これ体壊すぞって。
まあそっかと思って、
日本の卵の信頼感で言ってて、
僕普通に味見るのに舐めたりしちゃってたんだけども、
もうだめだだめだってみんなに言われた。
でもよく焼いたらすっごいおいしいって、
これうちでもやるって、
フレンチじゃないけどって言われたから、
喜んでもらったんですけど、
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やっぱりだめだって言われましたよね、卵。
日本ほど生物をたくさん食する国ってないですよね、卵もそうで。
ないですよね。
お魚もそうで、お水もそうで。
ですよね。水も絶対買うし、水道水なんか飲まないし。
インドに住んでたときも水って沸かして飲んでましたね。
あ、そうなんですか。
必ず沸かして。
水道水を使ってるけど沸かしてたってこと?
水道水を使ってるけども沸かしてブギ茶とかにして飲んでましたね。
やっぱりそうなんだ。
大体滞在中に一回はお腹を壊す。
ですよね。それはもうしょうがないですもんね。
そうですね。
やっぱりインドもそうなんだ。フィリピンもそうでしたよ。
だいたい生野菜も、野菜だからいいだろうと思っても、
あれ洗ってるからだめだって言われて。
あ、そうですよね。洗ってる水がっていう話。
そうそう。
一緒ですね。
やっぱりそうなんだ。インドもそうなんですね。
はい、そうでした。
結構苦労された経験のほうが多い感じですか、インドは。どうでした?
なので親が結構苦労してたんだろうとは。
ああ、そっか。
私じゃなくて、今の食べ物に関しては、
日本から持ってくものと、現地から調達するものと、
あとはインドなんで、今もそうですけど、
家にメイドさんっていてたんです。
多分フィリピンもそうかな。
だいたいそうですね。
住み込みでうちの家事をやってくれてて、
家にメイドさんのお部屋があって、小部屋があって、そこに住み込みでみたいな感じなんですけど、
父の前の駐在員の方からだいたい引き継ぐんですよね。
おー、そうですか。
ある程度日本の習慣だったり、
前任の奥さんから日本食の作り方を教えてもらったり。
いいですね。
そうなんですよ。新しい人来ると大変なんですよ。
その人にうち好みの味を覚えさせるのに母が苦労してた記憶がありますね。
そっか。一応ある程度の文化的なものとかお作法はわかるけれども、
味付けは前任者の方と好みが違ったりするってことですか。
そうですね。前任者の方は関東の方だったので。
おー。
ちょっとうどんのスープが違う。
そっか、全然。
うち関西なので。
はいはいはい。確かに。
そこはそのメイドさんも混乱してたんじゃないですか。
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そうですね。
前の人は喜んでくれてたのにって。
あーそっか。
関西系はでも難しいですよね。出汁の取り方とかも全部違う感じじゃないですか。
そこにこだわり出すと、だんだん母もめんどくさくなったみたいで、
これはメイドさんに作ってもらう、これは自分で作るみたいな。
あーそうなんですね。
だんだんそんな感じのことをしてたみたいですけどね。
あーでもそっか、やっぱり食べ物は大変そうですね、そう思うと。
うん、確かに。今もちょっとマシなのかもしれないですけどね。
そっか。学校はどんな感じだったんですか。
日本人学校に行ってたので、
なぜながら英語がペラペラとかそういう枠にはならなかったんですけど、
一応純公用語が英語なので、
ただ日本人学校なのでほぼほぼ日本語で授業をしてて、
そうなんですね。
そうなんですよ。小学校1年生から中学校3年生までで、
40人ぐらいの結構ちっちゃい学校で、
学年によっては小学校5、6年で一クラスとか、
なんか副式みたいなのがありましたね。
でも一応そういう日本人学校っていうのは、当時からちゃんとあったんですね。
はい、かなり前からあったと思いますよ。
先生も一応文科省から派遣でやってきて、どこもそうですけど。
え、日本人学校って教師はちゃんと日本の文科省から派遣されてるんですか。
そうですそうです。文部科学省から派遣ですね。
そうなんだ。
本当に教員免許を日本として持っている方たちってことですか。
そうですそうです。
えー知らなかった。
たまに現地の先生もいらっしゃって、
家庭科は現地のインド人と結婚した日本人の女性の先生が、
インド料理を教えてくれたりとか、
子供先生の家に行ってみんなで調理実習を受けるとか、
そんなのがありましたけど。
それはそれで楽しそうですね。
楽しいです。楽しかったですね。
そっちのほうが楽しかったりして、子供だと。
楽しかったです。子供としては楽しかった。
それって、先生は希望してインドに行ったりするんですかね。
希望じゃない方もいらっしゃったとは思うんですけど、
希望されて海外何か所目っていう方も結構いらっしゃって、
そういう方はもうつまものですね。
行きたい人はどんどん行きたいでしょうかね。
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そうですそうです。これが2か所目とかこれが3か所目とか、
そういう先生も結構いらっしゃいましたね。
うらやましいですね。それ知らなかった。
楽しそうですよね。
自分も海外で働けるし、そこでやっぱりお子さんも喜んでもらえるでしょうしね、親御さんも。
そうですね。
行った先の学校の規模によっても全然違うみたいで、
私もこの間ジェイドさんとお話ししたんですけど、
バンコクの日本人学校ってものすごい大きいんですよね。
そうなんですか。
そうなんですよ。私も妹がバンコクに家族で赴任したことがあって、
そうなんですね。
っていう話をちょっとジェイドさんとしたんですけど、
日本人学校に同じく行ってたんですけど、
あっちはもう何か1000人近く。
すごい。
もう本当に日本のマンモスコーと変わらないような。
まあそっか。人数がやっぱりもうタイだと今すごい多いんですね、日本人が。
この辺り日本人のエリアみたいなところもあったりとかしてて。
っていうのとはまたなんか違う感じですね。
そこはじゃあもしかしたら先生も好き嫌いあるかもしれないですね。
こじんまりした方がいいよっていう先生もいらっしゃる。
もうちょっと快適に暮らしたいって方もいらっしゃるかもしれないし。
もっと建築さえ国にどんどん行きたいっていう人もね。
はいはい。先生によっていろいろ違うのかなと。
それは面白いですね。今からでも先生になったらいけたらいいですね。
ね。結構確かに。不便は不便だったと思うので、
先生方も40人ぐらいなので、校舎も3階建てかあと1軒家を借りてて、
グラウンドも本当にちょっとしかないので、
週に1回ぐらい郊外体育って言ってみんなでバスに乗って、
バスで10分ぐらいの広いグラウンドに行って、みんなでソフトボールやるとか。
あ、そうなんだ。
そうなんだよ。
公園みたいな広いところに。
本当にグラウンドですね。運動会もそこでやるとか。
ああ、そうなんですね。
面白いですね、すごい。
子どもがすごく面白かったです。
修学旅行もなので人数が少ないから、小学校5年生から中3までかな。
みんなで毎年1回インドの国内の都市に行くとか。
それはどこか決まってる場所に行くんですか?それとも毎回違うところに行くんですか?
毎回違うところですね。
今年はニューデリーに行こうとか、
今年はエローラージャンタに行って引き顔見ようとか。
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その都市によって違いますね。
すごいですね。
僕インドってあんまりその知識がないんですけど、
インドって、1回行ってものすごくハマっちゃう人と、
二度と行きたくなくなる人と、
両極端っていう話をよく聞きますけど、その辺って感覚分かったりします?
うちの母とかはもう行きたくないって言ってますね。苦労したからですかね。
味付け、ご飯が大変だったからかな。
多分食べ物が合わないみたいで、
さっき妹がタイに家族で赴任したって話もしたんですけど、
10年ぐらい前に一度遊びに行って、
私はもう一回ぐらい行きたい、行けてないんですけど、行きたいなって思ったんですけど、
母はもう食べ物合わないからいいかなって。
それはタイが?
そうですね、タイがです。
あ、ダメなんですか。だってタイ料理、おいしいのしかないと思う。
私もおいしいのしかないと思うんですけど、私もそっちですけど。
全部おいしいですよね、タイ料理。
そうですね。香草もりもりっていうのがちょっと苦手みたいですね。
あ、そうなんだ。
パクチーとか。
僕もパクチー全然平気な人だから大丈夫。
私も大好きですね。
パクチーあれ、なんでダメな人ダメなのかが僕わかんなくて。
私も好きなのでわかんないですね。
わかんないですよね。うちの妻がダメで、匂いですらダメで、
かけらでさえ口に入れたら吐き出しちゃうみたいなことを言うんですよ。
うちの家族は私以外ダメで。
あ、そうなんですね。
あれなんかあったんじゃないかと思うんですよ、僕。
遺伝子的にルートが違ってとか。
わかんないですけど、むかしダメな人はダメなルートからやってきて、
たぶん死んだ人とかいるんじゃないかなって思って。
何万年か昔に。
何万年か昔にパクチーがダメで死んだ人。
だってそのぐらいの反応しますもん。口に入れてウェーとか吐き出すみたいな。
うちの家族みんなそうです。
だってあんなにならないですもん、僕、絶対に。
私も好きですね。
もりもり入れれますね、トッピング自由に。
ですよね。爪放題だったら僕、満杯にパクチー乗せても平均ですね、僕。
はい、なんか体に寄せそうだし。
南ルートで日本に行きたい人がダメとかわからないけど、
なんかあるような気がしますけど、全然体質的にダメな人と言う人いますけど。
ですね。食べ物が合う合わないって結構大きい気がしますね。
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でもカエルさんは全然インドも食べ物大丈夫で、アジア、タイとかも全然大丈夫だったんですね。
そうですね。もう一回ぐらい行きたいなと思いながら行けずにいますね。
まあでも機会があればね、海外はどこでも大体行きたいなと思うんですけど、
まあ危なくないところですけどね。
そうですよね。
今はお仕事で行かれたりはしないんですか?
僕ですか?
はい、チカラさん。
僕は今、会社を去年また転職したのが今の現職なんですけど、
今はもうやっぱり海外の出張自体がほとんどなくなっちゃってる感じです。
コロナがあってから特にですけど、
そうですよね。
インターネットのネット会議でいいだろうっていうのが、今も続いてて。
そうですよね。いっぺんそうなっちゃうとお金かからないし手間かからないし。
そうなんですよ。
昔はとりあえずそれでも直接顔をみんなで合わせる機会を作ろうよみたいなことで、
アジアのどこかに集まってたりとかってやっぱりやってくれてましたけど、会社が。
もう今は無駄なお金を使うなっていうのが多いですね。
こっちもそうですね。でも現地に行ったほうが早いみたいな、
行っていっぺん見たほうが早いみたいなことってありますよね。
たくさんありますね。
オンラインだとなんか事前に図面見てここがそこがみたいな、書面でしかわからないことと、
現地に行ってその作りだったり配置だったり、見たほうが一目でわかるみたいなことが。
海外に限らないんですけど、結構あって。
お金出すところでオンラインで行けるんちゃう?みたいなのはどないかしてほしいですよね。
そうなんですよ。話す相手も、画面の中でも、
実際にテーブルの目の前でちゃんと話したら10分で終わったりすることとか本当にあるから。
そうですね。
あれは不思議ですよね。お互いに気持ちがキュッと入って集中するのかわからないけど。
インターネット会議だと1日2日経っても全然結論出ないのに、
本当に会うと、「こんにちは、じゃあ講師は終わり。」みたいなぐらいのスピードで決まることもあるし。
そうですね。たぶん物事を決めるときにはやっぱり対面がいいですよね。
いいですよね。
わかりますわかります。
だから本当に海外出張を戻してほしいんですけど。
すみません。ごめんなさい。
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本当に難しいですよね、海外では。
はい、わかります。
しょうがないですよね。
私も行きたいですけど、今なかなかないですね、海外出張。
やっぱり海外屋さんも少なくなってます。
コロナがどうこうってのもあるし、自分が若干管理的なポジションに生かされ、
あんまり行きたくないですけど、
行きつつあって、話が出たらもうちょっと若い人に経験を積ませようよっていうほうになるので。
ああ、そっかそっか。
もうそういう都市でそういうところだよなって。
どうせ行かせるなら、下の人に経験を積ませてあげてって言われると、
それを押し抜けていくのもちょっと難しいですもんね。
そうですそうです。もともとそんなに関係が多いわけではないので。
でもカエルさんが海外に行く行かないに抵抗感がなくなってるのは、
やっぱり幼少期の海外経験が大きかったりします?どうなるんですか。
そうですね、たぶんとても大きいと思います。
なので行ってきたから、そういうところに関係する仕事がやりたいなと思ってたので。
もう仕事を探す時点でそういうマインドになってたの?
思ってましたね、はい。
チャンスがあれば仕事上で海外との交流が持てる仕事にしようって言って、今のお仕事。
そうですそうです。今の仕事は割と妥協かもしれないです。
あ、そうですか。
私大学の4年生で一遍就職して、そこを2年で辞めて、大学院に行き直してて。
そうなんですか。
そうなんですよ。大学院の修士課程が2年の分に行ってて、そこを出る時点で、
少社勤務の父親に骨を使って、最後までは生かしてもらえないんですけど、
こういうところに入りたいなーみたいなところをやってたんですけど、
大学院の在学中に父が亡くなって、
そうなんですか。
そうなんですよ。なるべく地元にいたいなーで、路線を変えまして。
路線を変えたなりに譲れないことはいくつかあるなーで、
譲れないことのいくつかは今の仕事でクリアしてると思うんですけど、
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海外に行きたいなーっていうのは、ちょっと奥のほうに行ってますね。
あ、そうなんだ。ちょっと妥協してしまったほうに海外に行きたいなーは含まれてたってこと?
そうですね。意外に関われることがあったなーと思ってるこの20何年間ではあるんですけど、
やりたいやりたいってずっと言ってたので、来るなり行くなり、
チャンスがあればっていうので、呼んでもらったり来てもらったり、行かせてもらったり。
メインではないですね、その仕事が。
モリモリ海外っていう期待がちょっとそれちゃったけれども、
その中でもだいぶ海外に関わることはできてきたって感じ?
そうですね。専門技術をつけていけたら、それを持っていけたらいいなーって、
インドから帰ってきたときから思ってたので。
中学校の頃ですよね。
もうそれで心に決めてたわけではないですけど、
いくつかの選択肢の中に、技術を持ってまた来るみたいなのも面白そうだなって。
それは日本で技術を身につけてインドに来るっていうことですか?
そうですね。来てみたかったですね。
はい。行けてないんですけどね。
まだどうなるかわかんない感じですね。
その道が完全に消えてるわけじゃなさそうな感じがしますけど。
たぶんいくつかの国には行けてるので、別にインドに限らず。
でもそういう意味だと、どこかでいつか何かのタイミングで、
どうにかしてインドっていう国っていうのは特別な思いがある感じなんですか?
ありますね。
自分の住んでたとこは行ってみたいですね。
その地域というか、住んでた場所っていうことですか?
はい。
住んでたマンション、アパートもどうもあるらしいので、行ってみたいですね。
今も?すごい。
マンションの色変わってるらしいんですよ。
それは楽しみですね。今もあるってすごいですね。
建て替えてるのか回収してるのかよくわからないけど。
だってインドのイメージでどんどん今国が発展してて、
新しい建物とかガンガン建ててるイメージがあったけど。
そうですよね。
まだ現存してるなんて。
でも最後に確認したのは5年ぐらい前なんだ。
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すごいな。でもやっぱりインドの思い出っていうのは、
なんでインドに深い思い出があるみたいな、
強い思いみたいなのがあったりするんですか?
でも強い思いみたいなのはないですけど、
やっぱり楽しい思いをいろいろとさせてもらったので、そこで。
いろいろ見るものも見たし、
エローラージャンタの壁画とか見て面白かったし、
バンガロールの宮殿も見たし。
あとは何気ない道端でバナナを買うみたいなのも面白かったし。
駄菓子屋に行って買ってきたみたいな気分ですかね。
もう道端で売ってるので、バナナとかココナッツウォーターとか。
そういう経験がもう全部。だからまあ、ふるさとみたいな気分ですかね。
そうですね。3年しか住んでないけど勝手にふるさとですね。
すごい。なんかいいですね。そういうの聞くと。
もう一回どっかのタイミングで本当に行けるといいですね。
そうなんですよ。大学卒業してもうちょいか、大学卒業して4、5年経った時に、
当時の友達と一度行く計画を立てたんですよね。
遊びで。日本に住んでる当時の友達で、今も付き合いがある友達と、
3人で行こうかっていう計画を立てて。仕事の休みも取って。
そうか、だからその時だ。ちょうど私、妊娠してしまって行けなかったんですよね。
一人目は。
そうなんですよ。2人で行ってもらったんですよ。
別の方が行かれたんだ。
そうなんですよ。その時に住んでたマンションの写真とか。
いろいろ撮ってきてもらって。
それはしょうがないタイミングだったんですね。
行こうかなって思ったんですけど。
万が一なんかあったらね。
そこでみんなに言われて。
ここで変な雑巾入れて帰ってきたらどうする。
そっか。旦那さんはインドに行かれた経験ないんですよね。
ないですないです。
もう好きに行っといて、状態ですね。
じゃあもう一緒に行きたいよっていう感じではないんですか。
アレンジしたらついてくるけどそこまで海外に興味がある人ではないですね。
そうなんですね。
大学のときの同級生じゃないの?一つ下か。
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でもじゃあ、もう一回でもどっかでお友達とか、
計画されるタイミングとかなんかあるといいですね。
そうですね。
そのとき、お腹にいた子どもも成人してるので、
もうそろそろ行けるかなと思ってます。
まただいぶ変わってるでしょうしね。
本当にすごいですね、インドね。
そうですね。日本より他の国の方が変化がすごいですね。
本当にすごいですよ。
勢いもあるし、喋っててもみなさん違う印象だし。
街自体にね、勢いがありますよね。
そうですよね。
だから行くたんびになんか新しいもの建ってたり、
建築ラッシュみたいな感じじゃないけど、
どんどん高速道路できたりとかってフィリピンも当時してたし。
そうですよね。
すごかったですね。
人もどこから出てくるんだっていうぐらいたくさんいたり。
6年ぐらい前に仕事で香港に行ったんですよ。
当時一番状況の悪いときからちょっとましになったぐらい、
なんかデモとかやってた時期がありましたよね、香港って。
なんかありましたよね。
で、ましになったから行けるだろうって言ってきたんですけど、
多分学会に出たんだと思うんですけど、そのとき。
学会なのでサイトツアーっていうのかな、視察みたいなのが最後にあって、
バスに乗って連れてってもらえるんですけど、見たいところに。
で、終わって帰ってきたら、なんかデモの人で街があふれてきて、
バス動かなくなって、
ガイドさんが、今から一緒に歩いて地下鉄に乗って帰りましょうって言って。
地下鉄は大丈夫だったんですか。
地下鉄動いてました。
あー良かったですね。
地下鉄に乗って一駅か二駅なんですけど、
降りたら改札のところに迷彩服着た盾持った人がいっぱい並んでて。
あー危ない、怖い。
ひえーって思ったんですけど。
いや大変ですね、それ。
はい、ちょっとエキサイティングな体験をしました。
あのときですよね、どんどん香港の方が捕まっていって。
そうですそうです。
そうだ、思い出したけど、僕の当時、5,6年くらい前に勤めていた会社の社長さんが、
36:11
もともと香港で育った方で、アメリカに渡った方だったのかな、確か。
そうなんですね。
今はアメリカ人と知ってるのだったと思いますけど、
ご本人が言ってたけど、今は香港に入ることすらやめなきゃ危ないって言ってたのを思い出しました。
そうですよね。
一回入っちゃうと捕まる可能性があるっておっしゃってて。
香港人という形だったかアメリカ人かは忘れたけど、
とにかくご本人たちもお気をつけろって言ってましたね、その当時。
はいはいはい。そこからちょっとピークが過ぎたぐらいにいきましたね。
そうだったね。でも大変な時期でしたね。
あちこち見たかったですけど、ホテルから。特に夜は出るなっていう感じで。
あ、やっぱりもう危ないですもんね。
周りを見れなかったですね。
当時日本人も捕まったりしてましたっけ?覚えてないけど。
あんまり多くはなかったですけど、大学に行ってる学生さんがとかね、そんなこともやってましたね。
ちょっとでも極端に見えるような発言してる人とかがどんどん捕まってきましたね。
はいはいはいはい。
いやー大変ですね、それも。
一週間行って帰るだけなので全然なんですけど。
結構海外行かれてて危ない思いとかされたことあったりするんですか?
いや、そんなにないですよ。それが一番危ないぐらいで。
子供としていてたときはもう親がしっかり守っててくれたんだろうし。
でもそうか、子供の頃って地域的に安全な、ガードされたエリアだったりしたんですか?
そうですね。治安は悪くなかったです。街中でしたけど。
日本人の友達で遊びに行くって言うとちょっと離れてるので、
メイドさんがタクシーに一緒に乗せてくれるか、近ければ別に歩いて行ってもよくて。
歩いて真向かいぐらいにプールがあったのでよく泳ぎに行ってたので。
それは子供として。
本当に治安はいいんですか、インドは?
場所によると、場所と時期によるんじゃないですかね。
時期でもなんかあるんですか?
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インドのお正月、金曜日の地割りっていうのがあって、その時期は外にあまり出るなと言われてます。
それはみんなタガが外れた感じになっちゃったとか?
タガが外れた感じで出ると赤い粉だらけになって家に帰ってくる。
みんなでまくんですか、赤い粉を。
そうですね。そこは今も変わってなさそうです。
じゃあ、粉まみれになってもいいと思えば別に出てもいいってことですか。
そうですね。出たからっていきなり打たれるとかそういうことじゃないです。
そういうことではないんだ。
治安的な気をつけたんじゃなくて、赤まみれになるぞと。
なんか盛り上がってる人の中から。
でも良かったですね。治安はいいんですね。
そうですね。私の住んでたところはそうでした。
住んでたところもそうなんですね。
イメージは、フィリピンはそうだったんですけど、
外国人が住んでいいようなエリアが、ゲートがあって壁で囲われてるところがあって、
壁の囲ってるエリアっていうのは結構広く囲ってあるんですよ。
なんとか何丁目ぐらいの広さでぐわーっと囲って。
その中だったら普通にみんな安全だよっていう。
だから居住してる人はみんな海外から来られてる人たちだけのエリアみたいなのは、
フィリピンはそういうのが一応あったんです。
壁なんですか。
壁で周りを全部広く囲って、入る道路はガールを曲げて、
普通のポールがついてるゲートみたいなのがついてて、車一台一台。
ちょっと例えが悪いけど、進撃の巨人みたいな。
そんな感じ。
あれちょっとやりすぎですけどごめんなさい。例えが悪いかも。
あんまり高い壁じゃないけど。
あれは入ってくるなのか。
そんな場所が一応あって、高級住宅街ですよね、要はね。
そういうのはありましたね。
周りから入ってこないようにの壁ですよね。
一応そうですね。現地の人が入らないようにとか、
変な人が入らないようにって言うんですよ。
飛行機に乗ろうとかすると、壁のエリアから出ていくみたいな感じになるんですか。
居住してる場所だけが囲われてるので、仕事は毎朝そこから出て通勤していくって感じです。
すごいな。そんな感じではなかったですね。
42:01
マンションっていうかアパートに住んでる時点である程度浮遊層に位置するではあったけども、
普通にお隣さんはお金持ちのインド人の方で、
お食事に呼んでいただいて、葉っぱにご飯が乗ってきて、手で食べろと。
インド式の。
そうですね。
そんな区分はなかったけども、わりと浮遊層が住むエリアではあったと思います。
そうなんですね。
じゃあ思ってるよりインドは治安がいい国なのかもしれないですね。
ただ行く場所によると思うから、
私が当時、日本人学校までバス通学、スクールバスがやってきて、
家から歩いて100メートルぐらいまで。
途中はやっぱり、家って呼んでいいのか難しいけども、
やっぱり庭かごしらえの家がある区画とかも普通にあったり。
そういうのはやっぱりあるんですか。
それは普通にありますね、街の中に。
やっぱり歩くのが危ないですね。
そうですね。その辺はもう歩いていかないほうがいいと言われてて、
なので遊びに行きたいっていうと、
家のメイドさんと一緒にタクシーに乗って移動するわけなんですけど、
タクシーに乗って信号待ちだと、誰かがコンコンとドアを開くみたいなのは普通にありました。
ありますよね。
フィリピンも必ずドアロックしろって言われて、
勝手に開けてくるからあいつらはって言われましたね。
そうですよね。
その辺は気をつけないといけないのは気をつけないといけないところなんですね。
そういうのは今聞かれるまで忘れてて、楽しかった思い出しか全然残ってなくて困ったもんだと思って。
逆にそこで困ってたらたぶん楽しい思い出じゃなくなってるんじゃないですか。
確かに。本当ですね。
ちゃんとルールを守っていれば楽しめるってことですね。
そうですね。
そうやって安全に過ごさせてもらったのは、親にルールを教え込まれたからですかね。
確かに。
そういえば私、今イランに住んでたっていうのが3歳から6歳までなんでほとんど記憶がないって言ったんですけど、
いまだにそのときの自分家の電話番号と自分家の住所を言えるんですよ。
え、すごい。
覚えさせられたんですよ。
あ、なんかあったら言いなさいってことか。
なんかあったら言いなさいと。ここに電話をかけてもらって。
45:03
3歳児とか5歳児とかが一人で行動することはないけども、なんかあったらっていうので、
電話番号6桁しかないんですけど今でも言えてて。
え、すごい。
自分家の住所も言えて、2年ぐらい前に自分の仕事先にいろんな途上国の人が来る、
研修みたいなこともやったりするんですけど、そこにイランの人が来て、
仕事の話もしたんですけど、実は住んでたことがものすごいちっちゃいときにあって、
この住所知ってるんだっていう話をしたら、
これうちの会社の住所ですわって名刺をいただいて、
あ、実在したんやって。
すごい。じゃああってたってこと?
あってましたあってました。
えーすごい。すごい記憶力ですね。
ねえ、よく覚えさせられたんでしょうね。
確かに万が一はぐれたときにも言えたら届けてくれる可能性ありますもんね。
ねえ、使わずに住んでよかったですからね。
使うことになったら危なかったですもんね。
ほんとですね。
でもそんな記憶ってあるってすごいですね。
ねえ、覚えてる自分が不思議ですけど。
しかもいまだに実在する建物がちゃんとあるっていうのもすごいですね。
なかなかかなと思いました。
うらやましいですよ。
幼少期から海外に触れてて、
旅行だけじゃなくてちゃんと何年かという長期期間で住まわれてるっていうのは、
何かしらのその後の考え方とか物の見方に影響があるんだと僕は思うんですよね。
あるんだろうと思ってはいます。
もうちょっと今だと思うんですけど、深く関わっとけばよかったなと。
むしろ?
むしろは思いますね。
日本人学校の友達だけじゃなくて。
現地の人とか。
そうですね。ないわけではもちろんないんですけど、
もっと出歩いとけばよかったなと。
もうたちこち参加しとけば。
大人になってから見ると思いますよね。
あ、そうですね。
日本人だけじゃなくて、現地の人とかね。
何か事があればいいなあっていうのは思います。
そのときの日本人学校の友達も大成小なりそこの生活に影響を受けてて、
同じ学年の友達のお父さんが、
あっちって結構多民族国家ですよね。
48:03
インドさん。
大雑に言語が十何個あるみたいな。
みんな言葉通じないって言ってますもんね。
あちらのお父さんも招写勤務だったんですけど、
あっちでインドでキリスト教にハマって、
日本に帰ってから牧師さんに転職したんですよね、招写マンから。
お父さんが?
お父さんが。
お父さんがまず転職して、東京で教会の牧師さんになって、
私の同級生は、息子の同級生は大学の普通の理系を出て、
ゲームのプログラミングをしてたんですけど、
彼も仕事を辞めて、大学部、進学部に入り直して、
今はコーチで牧師さんやってて。
すごい。
そうなんですよ。
インドって人生変わっちゃってるけど、
インドってそんなにキリスト教がメジャーなんでしょう?
いや全然メジャーじゃないです。
ですよね。
もっと仏教系とかヒンドゥー教系とか。
そうですね。仏教とヒンドゥー教とイスラム教のイメージですね。
なんでキリスト教なんだって私も思っていますけど。
すごいですよね。
それでガラッと変わって牧師さんまでになっちゃうっていうのは、
よっぽどの体験があったんですかね。
なんだと思います。
お父さんだけでもすごいなと思ったんですけど。
お前も勝手ですね。
何があったのか興味ありますね。
うーん、でもやりたいんだっていうことだけは聞きましたね。
聞きかけは聞いてます。
要はどこかにしろ人生観が変わる何かがあったってことかもしれないですけどね。
そうですね。
何がどう変わったらそうなるのかわかんないですけど。
確かに。
キリスト教っていうのは面白いなと思うけど、何かあったでしょうね。
そうなんでしょうね。
あとはもうちょっと英語を磨いとけばよかったなと思ってて。
今でも人よりは少し得意ではあるんです。
でもペラペラではなくて、
そのときちゃんとやってた友達は帰国史上枠で、帰国史上受け入れるような学校に入って、
通訳だったり翻訳だったりの仕事をしてて、
51:00
なんならお友達の一人は香港人の彼と結婚して、
通訳とか翻訳だったらどこでも行けるからと。
なので、香港人の彼の行き先にひたすらついていってるみたいな仕事をしてて。
うらやましい。
かっこいいなと思って。
いいですね。
いろんな人がお友達にいますね。
確かに。
だからその当時の小学校のインドの頃の友達だと、
日本にいたまんまで歩むような道とはまた違う道を選ばれてる方が多かったりしますか?
必ずでもなくて、
女友達だとあまり仕事してない人もいるし、
仕事辞めて家庭に入ってっていう人もいるし、
あとは楽しかったからっていうので、
普通に親と同じ消費者マンになって海外飛び回ってるとかもいるので。
それも影響を受けた人かもしれないですね。
そうですね。何かしらの影響があるんですね。
うらやましい。
いろんな人がいますね。
そういう意味だと、今もお仕事されてる中だけども、
やっぱりこういうことをやっていきたいとか、目指したいものとかって、
何かしらあったりするんですか、今心に思っていることって。
多少悶々としてますね。
どんな悶々と?
一からさんみたいに転職まではいかないですけど、
やっぱり自分で手を動かしたいですね、まず。
海外だ、国内だっていう以前に、
こうやって、だんだん連行除列に近いので、
管理職的なポジションに向かっていってる気はするんですけど、
何かというと自分で手を動かすほうが好きですね。
人にやらせるじゃなくて。
その中の一つに、例えば海外に、今の仕事の延長線上で、
何か技術援助みたいなのができればいうことないですけど。
ただ年齢がいくとそういう時って自然にこの薬食丁寧みたいなの送るかなとか、
どっちがいいのかなって、なんか今悶々としてる感じです。
そうか。薬食丁寧みたいなのがあると、むしろ仕事を外れて海外に行けるチャンスが広がるかもしれないし、みたいなことですか。
そうですね。ただそれを待ってると、
54:02
さっき私、ちょこっとお話ししましたけど、
父がもう20代のときに亡くなってるので、
2年も3年も5年もいなくなると母が寂しがるんじゃないかなと。
ああ、そっかそっか。
ここらへんはどうかなどうかな。あと10年ぐらい元気そうだけどなと思う。
お母さんあと10年ぐらい元気でいてねって。
まあね、でも一回行ってしまっても帰っては来れると思うんですね。
そうですね、だと思ってます。
とにかくじゃあ、やっぱり海外はでも行きたいなっていう威力が強いんですね、カエルさんね。
そうですね。
今の仕事で行くの難しかったら、ボランティアとしてでもでもいいかなとか思うし、
何かしらかなあと思います。
いいですね。
でもね、娘の学費も払わなあかんしね。
いろいろお金とか先立つものが必要なのはどうしようもないですもんね、今ね。
はいはい。終わりも見えてきてるので。
そこの終わりと、親がいつまで元気かなっていうのと、
自分がいつまで元気でいられるのかなとの兼ね合いですかね。
この間、ヘルニアで腰を痛めて動けなくなった経験があって。
おっしゃってましたね。そんな急に来るもんなんですか。
急に来ました、あのときは。
ひえー。
最初、ぎっくり腰のような感じだと思って。
ぎっくり腰との違いってわかるんですか?
いや、自分じゃわかんないです。
ビキッとなって動けなくなって。
なんか運動不足からかもって、ジェイドさんとの話で聞いたのかな。
そう、確かそうだったかな。
なんかそんなこと。
そうそう。
だからコロナのときに、とにかく自宅で仕事をしなきゃいけなくなったときに、
そんな場所がなかったんで。
はいはいはい。
ベッドの上に腰かけて、その上でラップトップをずっと使うっていう姿勢を、
もうずっと続けてたんですよ。半年くらいかな。
それ自体も良くないだろうとは、僕も今はわかるんだけども。
ちょっと無理がある姿勢ですよね。
そうそう、無理がある姿勢だったんだけど。
運動不足ダメだと思って、歩き始めたりもしてたんですけど、
それまで、そのコロナ以前からもうほぼ運動なんかしてなかったんですよ、社会人になってから。
なんだろう、通勤自体がそこそこの運動っていうことないですか?
57:02
それあると思います。
だからコロナ開けて久しぶりに通勤電車で1時間とか揺られて、
やっぱり1日で体結構しんどいなと思いましたもんね。
開けるまではほぼ在宅だったんですか?
もうずっと4年、5年くらい在宅だったかな。
わー。
出なかったです。
すごいな。
だからその途中に、僕転職もしてるんですよ。
はいはい。
転職するの面接にも一度も会社行かずに、
すごい。
退職のときも会社行かずで。
行けちゃうんですね。
行けました。
ものないんですよね。そもそもいっぺんも行ってないから。
いっぺんも行ってないからノートパソコンだけですね。
私今仕事辞めるって言われたらめっちゃ片付けるの時間かかりますよ。
お菓子の引き出しとかあるんで。
おっしゃってましたね、フリーアドレスの。
お菓子の引き出しが大事だよね。
ものがない生活ずっとやってるから、
書類もないし、会社の仕事では何もないから、
普通にノートパソコンと、当時はスマホも確か支給だったから、
全部返して終わりました。
すごいなあ。
誰とも直接会わずですね。
会わないですね。
上司とは海外の上司だったんですよ。
アメリカ人の上司だったんで。
すごい楽しそう。
そもそも時間が合わないから、
ネット会議みたいなのを毎週1週間に2,3回やったりとかっていうぐらいの会話はしてますけど、
リアルで一度も会わずに終わりましたね。
すごい。
3年ぐらいそこをやってきましたけど、
1回だけイベントがあるっていうタイミングで、
ちょっとだけオフィスに顔を出したっていうのを一度だけありましたけど、
3年間それ以外会社に行かずに入ってやめました。
1回会ったときって結構思い込んでたギャップみたいなんてなかったですか?
その上司に?
上司はアメリカなんで、アメリカは僕は一度も行ってなくて、
日本のオフィスに用事があってたまたま顔を出したってことです。
だから上司は本当に顔も合ってないし。
そうなんですね。
確かにあの何年かは、私は結構通勤しましたけど、外国の人との接触は、
行かないと仕事にならなくて、
最初の半年ぐらい試行錯誤みんなでしましたけど、無理だなって。
もう顔を合わせなきゃ無理だってなったんですね。
そうですね。もともと何割かは出勤しないと、
1:00:03
物を手元に置いてやらないと仕事にならないので、
それが3割になるか5割になるか7割になるかの違いで、
でも3割ではちょっと仕事にならなかったんですね。
やっぱり大変だったんですね。仕事内容によってはそうなんです。
そうですそうです。外部の人とはほぼオンラインでになって、
出張とかもなくなって、
当時国内を結ぶ会議も学会もすべてオンラインに。
やっぱり全部オンラインになりました。
学会のハイブリッド発表ってダメですね。
ハイブリッド発表っていうのはどういうやつですか。
ハイブリッドだからあれか。
完全オンラインもダメですね。
一部現地に行って一部外から。
そうですね。
なのでポスターとかだとZoomでブレイクアウトルームに分かれて、
それぞれオンラインで来た人とお話しする。
ポスター発表のオンラインって本当にいけてないですね。
場のガヘガヘした雰囲気とか何も分からなくて、
誰もブレイクアウトルームにいないときとか最悪ですね。
誰も来なかったってことですか。
そういう時間帯もあったりとかして。
現地にいてると、この人もうすぐここに来るなとか。
場の動きが分かるんですけど、
オンラインだと何も分からないですよね。
いつまで待つんだろうみたいな感じですか。
やっぱり海外出張、さっきの話もありましたけど、
やっぱりオフラインっていうのは大事かなと思いますよね。
そうですね。大事だと思います。
人と人がちゃんと会ってみたいなね。
国内でも海外でも大事かなと思います。
最近だって国内出張もないですよ。
もう行けちゃいますか、オンラインで。
もう全部オンラインですね。
コロナ禍でオンラインだったものがいくつか対面に戻りましたね、うちは。
ああそうですか。
やっぱり現地に行ってみないと話にならないっていうものもあったり。
さっき茶森さんが、力さんがおっしゃった、
顔を合わせたら10分で決まるっていう。
なので行きたい人は行くし、
オンラインで参加した人はオンラインで参加するから、
目の前にスクリーンを置いて何人かはオンラインだけど、
対面の会議室でやってるみたいなことが増えましたね。
ああ、そうなんですね。
いやでもやっぱりいいですよ。会ったのがいいです。
この3年ぐらいオンラインで会い続けて初めて会った人とかね。
1:03:02
どんな感じでしたか、リアルに会ったら。
もっとでかい人だと思ってたって言われましたね。
あ、かえるさんが?
私が。
ああそうなんだ。
態度でかかったんでしょうね。
でもそれありますよね。
ズームとかも一応顔は映ってるけど。
そうですね、カメラオンにしてます。
上半身だけというか胸より上だけだから、本当にサイズ感がわかんないですもんね。
そうですそうです。
僕も一人いてシンガポール人だったんですけど、
コロナがあけて、僕が退職した後に、
新婚旅行か何かに日本に来るって言ってくれて、
会おうよって言ってくれたシンガポール人だったんですけど、
僕より全然ちっちゃい男の子だと思ってたんですけど、
若い男の子だったから、
全然あったら僕よりラガーマンみたいに人前にでかくてサイズが。
体長も1メートル80くらいでかい。
もっとかな。見上げるぐらいでかくて。
こんなにでかかったんだって大成僕も言いました。
やっぱり全然サイズ感わかんないですね、オンラインだと。
やっぱりアレアレなのかもしれないですね。
そうですね。海外とか国内に限らず。
スタイフで会った人もそうなのかもですね。
実際ね、スタイフで会ってみると、
僕この間くうすけさんに会ったら、
全然ちっちゃくてびっくりしました。本当にちっさい。
たぶんくうすけさんとのお話のときに言われてましたよね。
大せちっさって僕言った記憶あります。
あれを聞いて私とかそうだ、くうすけさんってそんなちっちゃくてかわいらしいんだって本当に想像を膨らませたりしますね。
サイズ感をちょっとずつ言っていったほうがいいかもしれないですね、みんなね。
確かに。
即大化。大化中化消化。
大化中化消化。
いやー面白いですね。声だけだとわかんないですよね。
そうですね、確かに。
僕はちなみに普通の日本人の男性のサイズ、おじさんサイズって言うんですか。
おじさんサイズ。アイコンだとわかんないですもんね。
アイコンだとわかんないですよ。やっぱりアイコンのイメージが強くなっちゃう。
はいはいはい、確かに。
最近ちょっと筋トレがんばってますけど。
ちょっとずつ動かさないとだめですね。
だめです、やっぱり。
来月、緑のカエルさんのワークショップに行くんで。
あ、そうですか。
大阪に。
大阪の方か。東京じゃないですね。
そうなんです。関西住んでるので大阪に参加していただくので、
1:06:03
ちょっとカエルさんに会えるのを楽しみにしてます。
ですね。
お互いにカエルさん同士って何と呼び合ってるんですか、そういえば。
カエルさんは私のことをカエルちゃんって言ってますね。
あ、そうなんだ。
カエルちゃんって呼ぶけど何て言ったらいいって言われて、
私そのとき、今だったらもうちょっと違う呼び方するかもしれないですけど、
カエルさんとカエルちゃんの間ぐらいかなって言ってカエルシャンって呼んでますね。
あ、そうなんだ。かわいいですね。
楽しみにしてます、お会いできるの。
いいですね。まだお会いしてないんですか、初めてですか。
あ、ないですないです。はい、初めてです。
緑のカエルさんも素敵な方ですよ。オーラがあるというか。
そうですよね。独特の。
そう、独特の雰囲気がある方ですね。
はい、そうなんですよ。
スタッフ始めたぐらいに結構緑のカエルさんと勘違いをしてくださる方がいて、
本当ごめんなさいって感じで。
ごめんなさい、違うんです。
だってもう1文字違いぐらいですもんね。
あ、そうですそうです。
1文字2文字の違いだから。アイコンもどっちでもカエルの絵だしね。
あ、そうですね。ちょっと変えようかなと思ったんですけど。
いやもういいんじゃないですか。
あ、そうですそうです。もうカエルシャンもいいよって言ってくれたので。
もうこれはこれで、間違えた人がいたら間違えやがって言って楽しむと。
ネタになるうちに。
そうですね。カエルシャンが嫌がってないんだったらネタでいいと思ってます。
あ、でもそっか、だから周りの人は皆さんどう呼びかえてたりすることが多いんですか。
カエルさん、カエルさん、どっちでもカエルさんってみんな言ってるんですか。
そうですね、たぶんそうだと思います。
わざわざみずのカエルさんとみどりのカエルさんって使い分けたりしてないですよね。
そうですね、たまにみずのさんって言われる方もいらっしゃったり、
フルネームで呼んでいただく方もいらっしゃったり。
同じ場に出たらどう使い分けるのかな。
ワークショップでお二人いたらみんなどう言うんだろう。面白いですね。楽しみ。
まあ、たぶん二人一緒に返事したらいいんですよね。楽しいんじゃないかな。
周りを煙巻いて楽しむぐらいで、たぶんカエルさんは喜んでくれるんじゃないかな。
楽しまないと損かなと思います。
ちょっといい時間、結構なってきちゃいましたけど、またぜひどっかでお会いできる日があると嬉しいです。
1:09:02
ありがとうございます。ぜひぜひ。
どっかでタイミングがあったら、また東京とかも出てきていただくタイミングがあったらぜひお酒も飲ませていただければ。
ありがとうございます。一滴も飲めないんですけど。一杯飲んだら赤くなってごっかけになって、もういいやって言ってます。
僕もお酒は強い方じゃなくて、すぐに顔に出て、お酒飲むともっと喋るようになっちゃうんで。
いいことですね。
みんなから喋りすぎだって言われて。
なるほど。
どれだけ普段鬱憤溜まってるんだっていう噂があるんですけど。
ずっと遅れてらっしゃるんですね。
いやいや、そんなことはないんですけど、みんなたぶん僕が茶盛りのイメージが強い方が多いんじゃないかと思って。
でも私もそうです。ご自分から喋られるっていうよりは、相手の会話をきちっと受け止めてっていうレシーバーの方のイメージが。
お酒飲まれるとパーンって当たってし始めるわけです。
普段から僕は喋りが好きな方なんですけど、むしろ茶盛りの会を聞き役の方にスイッチを入れようって意識してるんだと思うんですけど。
どなたかのチャンネルにお邪魔するときの感じとかは、僕好き勝手喋ればいいやと思うんで喋ったり。
お酒飲む場も別に気遣いなく喋ろうっていう感じだから。
結構喋りすぎちゃうかもしれないですけど。
ぜひ海外話とかさせてください。
はい、ありがとうございます。
すいません、もう時間いいところなので、次回のお友達を紹介いただいてもいいでしょうか。
フリーカメラマンの銀さんにお願いできればなと思います。
ありがとうございます。
ということで、今日のゲストは水野かえるさんでした。ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
ありがとうございます。
ここでお知らせです。
次回の銀さんの茶盛り会は、次回来週ではなく、再来週の金曜日になります。
ぜひ楽しみにお待ちください。