00:06
お昼休みはウキウキウォッチング あちこちそちこちいいとおもってれってってってん
おはようございます。チャモリーです。今日は、テレフォンショッキングの日になります。
今日のゲストは、のりこんぶさん来ていただきました。どうぞ〜。
ありがとうございます。生チャモリーのオープニング聞かせていただきました。ありがとうございます。
ありがとうございます。歌わせていただきました。 お招きありがとうございます。
いやいや、本当にね、のりこんぶさんに出たい!言っていただいて本当に嬉しかったんです。ありがとうございます、チャモリー。
めっちゃ、Chikaraさんの放送楽しみにしてるんですよ。もう、チャモリー最高ですよ。
あ、本当ですか。嬉しい。なかなかもうね、出たいって言ってくれる方が本当に少なくなってきていて、なかなか難しいんですよね。
スケジュールの調整がね、やっぱりなかなか難しいのがあるんで。
でも、今回本当にありがとうございました。ありがとうございます。
初めましてですもんね、のりこんぶさん。初めましてなんですよ。
全然そんな感じ、ゼロ。
私の中で、Chikaraさんはもう西岡徳間の顔で、Chikaraさんっぽいっていう感じでイメージして喋ってます。
いやーでもね、徳間は本当にね、皆さんに言ってくれる、もらうので本当に嬉しいんですよね、あれ実は。
だってこんなネタないですよ、他にね。
そうですね。
嬉しいですよ。
だからお会いしてない方にも、そうやって顔をイメージしてもらえるのは本当にありがたいです。
親近感がね、良きね、より。
ですよね、出ますね。
もう青々さんのおかげです。
あ、超絶青々さんのおかげですね。
超絶徳間です。
超絶徳間いただきました。
そうそう、今日は初めましての中で、ちょっとね、のりこむさんに伺いたいお話があったんですけど、
やっぱりこの茶盛は、僕は勝手に僕がいいと思ってるんですけど、
やっぱりその方の歴史とか、ここまで来ている背景みたいなのを、僕もやっぱり興味があるったりするので、
そういったお話をちょっとね、聞かせていただく場にいいなと思っているんです。
ありがたい。
なかなか自分自身で言うっていうのは、スタッフやってもあんまりそういう機会ないじゃないですか。
そうですよね。
なので今回はちょっとね、のりこむさんに、トマトの農園、
トマトの後藤農園を始めたきっかけみたいな、背景みたいなのをちょっとね、
03:06
のりこむさんが認識している中のものをちょっとね、聞かせていただきたいなと思っています。
はい、ありがとうございます。
ぜひぜひよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
僕たちっていうか、僕は特にそうだけど、
やっぱりのりこむさんも、裁判員マンさんもそうだけど、
もうすでに、黄色いトマトの後藤農園を始めた後の姿しかやっぱり知らないので、
そもそものところをちょっと伺いたいなと思うんだけども、
もともとそういう意味だと、裁判員マンさんとの出会いの場っていうのもあんまり、
スタッフでたまにおっしゃってるけど、ちょっとその辺も聞きたいなと思うんですけど、
どういうところで裁判員マンさんとは出会ったんですか。
裁判員マンさんとは、東京の病院で一緒に仕事をしてて、
同じ科にいました。リハビリ科に。
私が作業療法士っていうリハビリの資格を持ってて、就職して、
先にも裁判員マンさんは就職してて、同級生なんですよ、年は。
なんですけど、先輩っていう形で。
年は同級生なんですね。
同級生、偶然にも同級生なんですよ。
で、職場としては仕事の先輩として、裁判員マンさんがいらっしゃったってことは。
でね、付き合い始めた時に知ったんですけど、誕生日も10日違いなんですよ。
え、すごい。
いつもいろんなものの書類とか書くのに、自分の誕生日とか、主人の書く前に自分のとか、
どっちだっけみたいになっちゃうんですよ。
いまだに?
いまだに。
っていう、意外と近い。
だから似てるんですかね、わかんないですけど。
そういう感じです、距離感的には。
だから全部でもたまたまなんですね、じゃあね。
で、その東京の職場っていうのも、裁判マンさんも東京に一人暮らししてて、
私も東京で一人暮らししててっていうところでの就職、仕事だったので、
全然バックグラウンドは別々同士の人が出会ったって感じです。
あ、じゃあもう、もともとは静岡で出会ったわけでも全然なく。
全然なかったんですよ。
それどういう、そっからですよ、今日の本題は。
そっからどうやって、なんで静岡に移ったり、トマトの農園をしようとなったのか、
その辺をちょっと聞きたいんですけど、きっかけは何だったんですか。
きっかけは、私が、私の両親がトマトを作ってて、
家もずっと、田舎にある話だと思うんですけども、ずっと代々続いてる家で、
06:04
お墓の墓盛りというか、こういう家の、本家って言うんですか。
そういう感じの家で、私で15代目とか。
えぇー!?
そう。
15代って言うと、500年とかもっと続いてる感じの。
わかんない、江戸のお墓のところには、
なんかもう店舗とか、なんかよくわかんない、こういう名前ありますよね、江戸時代の。
ありますあります。
そういうの書いてありますよ、何年とか。
っていうのがあって、なんか私の中でも、うちのお父さん、
ジージになるんですけどもね、ジージってかお父さんなんですけど、
別に後継ぎのこととかは別に、もうそういう時代じゃないからいいよって言ってたんですけども、
なんか、どっかに小さい頃からね、そういうの、
みんなうちに親戚が集まってくるような家だったんで、
どっかに、この家そのままじゃいけないんじゃないかっていうのは、
私もあったまま、寮で働いてて、
で、なんかこういうことあるごとに、
実家に静岡に帰ってくるたびに、静岡っていいなーって、
なんか海でリフレッシュしたり、美味しい魚だったり、
お野菜だったり、美味しいお料理食べてリフレッシュしたりして、
なんかやっぱりいいとこだなーと思ってて、
で、なんかサイバーマンに、静岡帰りたいなーみたいな話になって、
私が先に静岡帰っちゃったんですよ、仕事やめて。
えっと、それは結婚する前ってことですか?
そう、結婚する前にです。
付き合ってるまま、たぶん。
え、もう別れるとかでもなく、もう。
この話、大丈夫かな?
そう、で、とりあえず一回帰るって言って帰ってきちゃって、
で、その後にサイバーマンから結婚しようかみたいな話になり、
え、急に?
急にというか、離れてからそういう話に、
なんか自然となったんですよね。
やっぱり一緒にいたいねっていう話になって。
うん、そうそう。
全然サイバーマンが嫌で静岡帰ってくるとかじゃなくて、
お家のところも気になるなぁ、みたいな感じで帰ってきて、
そしたらね、サイバーマンさんが、
いろいろ考えてくれて、静岡行くよって言ってくれて。
じゃあ、ノリコンブさんはもう別れるつもりもなかったけど、
結婚するつもりも特になくて、
まずは、それよりお家の方がちょっと気になるなって帰りますって帰ったわけでしょ?
あのね、仕事が寮だったんですよ、病院の。
東京で?
09:00
そうそう、東京で。
なので、とりあえず仕事辞めたら、
アパート借りるっていうよりも、とりあえず一回静岡帰ろうみたいな。
ああ、そっか。出なきゃいけなかったから。
そう、出なきゃいけなかったので。
じゃあ、仕事帰ろうっていうよりも、最初に仕事を辞めるっていう感じだった?
こっちが優先でしたね。
ああ、そうだったな。
出なきゃいけないし、行くとこないから、とりあえず静岡帰ろうかっていう感じだった。
一回引き下げて、静岡に行ったら、
やっぱり静岡いいとこだなって思いながら、
で、一回ね、結婚の話になった時に、
栽培マンさんの実家の方に行くつもりではいたんですけど、
なんかね、私がね、わがまま言ったんですよ。
やっぱり静岡がいいって言って、すいません。
それは、結婚しては栽培マンさんの方に行こうっていうこと?
うんうん。結婚の話が進んだ時に、
栽培マンさんの実家が千葉なんですけど、
千葉に住むつもりでいたんですよ、私。
でもね、なんか違うなって思って。
それは、ノリコンブさんが?
そう、私が。
で、やっぱり静岡に住まない?みたいな話をした。
超わがままなんですよ。
ずっとわがまま、私。ごめんなさい。
この話、大丈夫かな?
わかんない。大丈夫ですか?
大丈夫です。
大丈夫?
なんで、ずっと私のわがままに栽培マンさんが、
いいよ、いいよって言ってくれてる感じ。
いや、優しい。すごい。
すごいな、栽培マンさん。
栽培マンさん、すごいんですよ。
私が覚悟を決められない分、
栽培マンさんが覚悟を決めてくれる。
いや、すごい。
それ、男の鏡ですよ、栽培マンさん。
栽培マンさんの実家も千葉で、東京寄りっていうか、
千川さんが住んでるところに近いんですけど、
多分、結構、住宅街での街というか、
静岡の田舎、どっぷり田舎っていう感じとは、
また全然違って、私の中で。
ああ、そっか。
もっと、もっと自然というか、
伸び伸び、子供を育てるならね、
伸び伸びさせたいなっていうところもあって。
海もないですよね、千葉のあの辺もね。
そうですね。
自然も、自然がゼロというわけじゃないけど、
山も遠いしね。
でも、自然は近くても、
やっぱ、なかなかそんなに行かないんですよね、当たり前だと。
いや、でも、目の前に海があるって感じれるのと、
やっぱ、全然違う気がしますよね。
そうですね。
僕もちっちゃい時は、福島で生まれて、青森に行って、
12:00
小学校はずっと青森だったんですよ。
その時には、もう海はすぐ近かったから、
よく親父と釣り行ったりとか。
冬は、雪山に1時間くらいだったから、
毎日、冬休み、青森って長いから、
行ったりとかあるんですよ。
1ヶ月くらい毎日スキー行かせてもらってたりとか、
なんかそういう子供時代、僕も過ごしてたから、
やっぱりね、そういう自然が近いって感じてるようなところに住んでるのって、
悪くはないよなぁと思ってはいるんですよね、僕もね。
できてないけど、今は。
やっぱりいいですよね。
そうですね。
でも、そうだったんですよね。
じゃあ、いろいろサイバーインマンさんが、
多分じゃあ、いろいろ考えられて決めていったって感じなんですね。
多分。
サイバーインマンさんが苦労してるんですよね。
この話も聞きたいな、サイバーインマンさんに是非。
どういう心境なのか聞いてください。
面白い。
じゃあ、もともと整理すると、
代々続いた、ずっと続いたトマト農園としてずっと続いてたのが、
ノリコンの…
トマト農園のせいじゃないんですけど、
とりあえず家が、誰が後継ぐっていうのは、
子供の頃からこう、自然と田舎なんでね。
はいはい。
あったんですよ。
で、私3姉妹の末っ子なんですけども、
なんかもう上二人出ちゃってたんですよ。
結婚したり、外に。
そうなんだ。
そうで、真ん中の姉はまだ結婚してなかったんですけども、
なんか結婚する素振りもなく、
もう大阪の方で一人で満喫してて。
そう、私かなみたいな、勝手に思ってたんですよね、いつからか。
そうか、だからなんか文家みたいなイメージと本家みたいなイメージがもしあるとしたら、
まさに本家みたいな感じで、
みんながこう集まるお家で代々続いてる感じは、
ちっちゃい頃から感じられてたってことなんですね。
そうですね。
なるほどなぁ。
そっか、でもお父さんお母さんからしたら確かにね、
女の子3人って続いたら、
これで自分の代で終わりかなぁみたいなのもあったかもしれないですよね、確かにね。
でももうね、そういう時代ではないんだろうなと思うんですけど、
結婚して子供を育てるって考えた時に、
なんかやっぱ自然豊かなところっていうので、
のびのびっていうところが欲しいなって思ってみたり、
おじいちゃんおばあちゃんがいる生活って、今なかなかないから、
今一緒に住んでるんですけどね。
いいですね、それね。
昔ながらのっていうのが、
割と私も裁判さんも受け入れてくれて、
15:04
そういうのありじゃないかなって思って。
確かに。
おじいちゃんおばあちゃんと接している時間が多いって、
やっぱり子供楽しそうですもんね。
なんかこう逃げ道があるんですよ。
私に追い詰められた時に逃げていく場所。
それいいですよね。
逃げ場は作った方がいいって言いますもんね、子育てに。
なんでおやつとかも、
小さい頃とか決められた量しか食べられなかったのに、
お母さんからもらうのはこれだけなんだけども、
お腹空いたらバーバーのとこ行ったら、
もっといろいろもらえるみたいな、
そういう自由さ。
いいか悪いか。
でもいいんじゃないですか。
夫婦二人だけだと、
どっちもで追い詰めちゃう時もあるし、
僕もありますけど、
そういう時に。
冷静になると分かるんだけど、
その瞬間をどうしてもやっちゃったりするし、
子供がかわいそうだなって思いながら、
止められない時もあったりするし。
でもおじいちゃんおばあちゃんやっぱり何があってもいいって、
孫に対しては何があってもいいって言いますもんね。
なんででしょうね。
得ですよね。
得。子供にとっては得。
おじいちゃんおばあちゃんっていう存在が。
よく言ってますよ、うちの奥さんも。
自分にとっては厳しかったのに、
なんで孫にはあんだけ厳しかったの。
それを親に言うと、
そうだったっけって言うらしいですよ。
でも自分もそうなるんですよ、きっと。
多分ね、孫に対してはね。
そっか、でもそうだったんだ。
じゃあ静かに帰るってもう決まったタイミングでは、
トマト農園自体はそこにあったってことなんですか。
そうですね、リョウさんの代からトマト農園やってて。
それを継いでいったっていう感じなんだ。
最初は農園で勤めてたんですよ、栽培マンも。
なんですけど、なんか栽培マンが、
せっかくこういう環境に来て、
田舎の生活で病院勤めっていうのも面白くないな、
みたいな話になって、途中で。
静岡に帰った後も病院勤めを。
病院で一回働いたんですよね。
そうなんですね。
じゃあ結婚した時にもう都合っていうわけではなかったってことか。
全然考えてなかったんですよ。
そうなんだ。
静岡に帰ることとトマト農園を継ぐことはまた全然別の話で、
まずは静岡帰ろう決まって、結婚しようが決まった後に、
トマト農園継ごうって。
18:01
それじゃあどういうタイミングで、よし、トマト農園継ごうって2人で決めたんですか。
2人で決めたんじゃなくて、栽培マンさんが、
うちね、子供3人いるんですけど、2人目が生まれた後に、
病院に勤めてる時、ちょうどね、
北ちゃんも今やってると思うんですけど、地元の消防団に入ってて、
子供たちと一緒にいる時間が少ないって感じで、
自分で?
うん、通勤して病院に勤めてて、
家にいる時間がほんと少ないって感じたみたいで、
それだったら、トマトのお仕事してたら、
もっと家族が近くに感じれるんじゃないかっていうことを考えたみたいですよ。
あれですか、夜勤とかもあった仕事だったんですか。
夜勤はなかったんだけどね、
そう、通勤にね、4、6分くらいかけてたのかな。
とかあって、まあ疲れ切ってたよね。
大変なんですね、やっぱりね。
じゃあ結構でも、静岡行ってから年数経った後なんですね、トマト農園されたのって。
うん、でもどれくらいなんだろう、3、4年とかなのかな。
今は何年目なんですか、お二人で次でトマト農園始めたの。
今度聞いてみてください。
あ、わかりました。
何年くらいだったの?
2、3年くらいだったかな。
あ、もう結構それでも経つんですね。
そういうことがあったんですね、なるほどな。面白いですね。
それでも最初って言っても、ご実家はそういうことをやってたとしても、
トマトについてって素人じゃないですか。
全然知らないです。
ね、どうやってそこから進んでいったんですか。
沢山さんが一生懸命ジージーの話から見たり聞いたりで、
お仕事を覚えていったってことですよね、きっと。
でもありがたいことに新規収納じゃなくて、
もうそこにある環境の中に入っていったので、
もうモデルがあったというか。
そっか、ゼロから始めたんじゃないかな。
成功があるっていうわけでもなかったのかもね。
なるほどな、でもなんかよく言うじゃないですか、
生き物を育てるわけだから、
そういうものといったって、だからちょっとしたことでダメになったりとか。
しっかりやりますよね。
やる人が変わると全部ダメになるとか聞いたりする。
21:03
大変だったんじゃないですか、最初かなり。
大変ですよね。
私ね、裁判官さんがトマトやりたいって言った時にね、
ちょっと引いてましたもん、気持ち。
え?自分の実家の家業なのに?
嬉しいとかじゃなくて、やめてしなくていいんじゃない?って言ったの、最初言ったと思います。
作らなくていいんじゃない?って。
そっか。
自分の子供の時にも、両親の大変さとか見てるから、
いや、そんなに無理しなくていいんじゃないかなとかって。
そっか。
でも今となっては、
両親が病気、病気って言っても全然克服してるんですけど、
病気になったのがきっかけに世代交代して、社長も入れ替わってて。
もう裁判官が社長で、私たち二人で二人三尺でやってるんですけど、
経営者になって、
やっぱね、勤めてた時よりも楽しさがすごいある。やりがいというか。
どうにでもなるって思ってる。自分たち次第でどうにでもなる。
よくも悪くもなるっていう風には感じてて、
その面白さはなんか、きっかけがトマトだったって、手段がトマトだったって言うだけで、
でもこういう環境になったのはすごい私は良かったなって思ってますね。
あ、そうなんですね。
うん、なんだろうな。
そう、今、みんなされてる方増えてきてると思うんですけど、
やっぱりお勤めだと、お金に関しても見えてくるし、仕事内容的にも見えてくるというか、
ある程度先が見えるじゃないですか。
だけど、多分経営するって、自分で経営するって、
そう、なんか、どうにでもなる。自分の気持ち次第で。
なるなっていう面白さがあるんですよ。
ああ、なるほどな。
膨らまそうと思ったら膨らませるし、狭めようと思ったら狭めまみれるし、
自分たち次第で、こう。
やりたいことを目指していくのも自分たちで決めれるし、方もそうだしってことですよね。
そうやって自由にいらせてもらっている環境がありがたいなって思いますよね。
いいですね。それ、やっぱりあってたんですね。最終的に、今思えば。
うーん、なんか楽しめてるっていうところが良かったなって思いますよね。
はいはいはい。
多分、それも両親が早く引いてくれたからっていうのもあるんですよ。
多分、まだ病気が治って元気になっちゃったから、
仕事しようと思ったら仕事できるんですけども、
ちゃんと引退して、お任せするよってしてくれたんですよね。
24:03
あ、そうなんですね。
そう。なので、多分、両親たちのやり方の中で自分たちが、
同じようにやっていくっていうと、多分面白さもなく、やらされてるじゃないけど、
自分たちのオリジナルな感じの経営っていうのにならなかったら、
今みたいな面白さはなかったのかもしれないですね。
ずっと上がいて、その下で働くっていう環境だとね。
あー、そっか。まあ、雇われてるみたいな。サラリーマンと一緒ですよね。
確かに。そっか。
じゃあ、もう今は全部任せるよって言ってもらってるから、
本当に自分たちのやり方でできてるんですね。
うーん。
いいですね。なんか羨ましいな。
なのでね、だから多分NFTも触るようになったし、
この前、トマトの定期便買ってくれた方にNFTをつけるっていうのを、
多分、なかなかそういう農家さんっていないとは思うんですけども、
やりたい方でやってますね、私。
すごい。言ってましたもんね、この間の放送で。
お前先の方で買ってくれたってね。NFT付きのやつ。
それ、確かにご両親がやられてた時だったら、
そういう発想出なかったかもしれないし、反対されたかもしれないですもんね。
例えばね。
何それから始まりましたかね。
そうでしょうね。わかんないですもん。
僕らだってそんなNFTやってる人からしても、
トマトにNFT付けるなんて発想なかなか出てこないと思うから。
でも、ずっとこのNFTを触り始めてからも、
何か絡めたい、うちでも何かしたいっていうのはずっと思ってたんですよね。
ああ、やっぱりそうなんだ。
せっかくですもんね。
ね。
こうやってだから、いろいろ広まっていくといいし、
NFT知らない人でもね、どっちから来たって、
トマトから入ってきた人も、NFTから入ってきた人も、
両方が合わさって、繋がっていくといいですよね、こうやってね。
なんかもう、すごいニッチなところなんだろうけども、
やってみてわかることとかもあるし、
自分たちのね、やったっていう形跡にもなるというか。
確かに。
NFTは特に一生残りますからね、実際ね。
そうか。
なかなかもういい時間になってきちゃってますね。
あ、ほんとだ!
すぐ30分ぐらいいっちゃうんですよ、これね。
ほんとですね。
だからね、もっと聞きたいことあったんですよね。
だからテレビの取材とかも受けたりしてるんでしょ?
27:02
うん。
かすがさん来たり、ほれいもんも食べてくれたりとか、いろいろやられてるじゃないですか。
そうなんですよ。
ああいうのっていうのも、どういうふうに仕掛けていってるとか、
なんかね、そんな話もちょっと実は聞きたかったんですよ。
そこだけちょっとだけ話すと。
いいですか?
うん。
私ね、地元の地域活性ニュースっていう、なんかこう有志で、ちょっと尾前崎を盛り上げようよっていう、
結構このスタンデーFM発信者だったり、NFTのWeb3海外にいる人たちみたいな、ちょっとフットワークの軽い方たちのイメージなんですけどね。
その尾前崎の中でそういう方たちがちょっと集まって、グループを作って、
イベントを仕掛けたりしてるんですよ、尾前崎で。
で、そこに加わるようになってから、
取材、そのイベントを尾前崎の音楽っていうイベントのPRにラジオ出演してくださいとか、そういうのから、
依頼が来たり、テレビの方に来たり、そういうのをきっかけに。
とか、私たちが去年、その前かな、尾前崎ブランドっていうのに認定してもらって、トマトがね。
そういうのからも、他から取材が来てとか、
なんか、なのでね、あれこれね、動いたってことですね。
自分が動いて、他からそれを見て取材に来るとか、繋がってる感じがします。
じゃあ単独で動いただけじゃなくて、
そういうグループみたいな地域活性化するコミュニティに入っていって目立っていって。
全然仕事とは関係ないところでやってるけど、
でもなんかイベントするときに、トマトの後藤農園として出展するとか、イベントに出たりとかしてるんで、
そういうのも含めて、市がPRするところにも行ったりだとか、
して、とかかな。
あと大きな企業さんたちも、そういうところに来て、目に留まってもらうとか、そういうのもあるかもしれないです。
じゃあちょっとずつ露出をしていくところを増やしていっているみたいな、そんな感じなんですか。
何がきっかけというよりも、繋がっていく感じですね。
いろんなところに点を打っておいて、って感じがします。
どっかでそのタイミングでピョンと線になるみたいな。
分かって、繋がって、あそこにもやってたんですね、こういうこともやってたのですね、みたいな感じで繋がって、
じゃあ取材お願いします、みたいな。
堀江坊さんのはカレーを作ってもらった、
30:03
もったいないバトンさんっていう方がいるんですけど、その方を通してカレー作ってもらって、その方がニュースピクスの
マネーの虎みたいなやつに出て、その時にうちのトマトで紹介してもらったっていうので、
なんで直接的じゃないんですよ。
あ、そういうことか、そっか。
でもそれもその人にカレーを作ってもらうお願いしてなかったら実現しなかったんですよね。
いやすごい、いろんなのが繋がってきてるんですね。
なんでね、いろいろね、あちこちで取材してると自分たちのPRポイントっていうのがまとまってくるんですよね。
ポートフォリオに。
そういうので、一回テレビを見たら、また上手いことPRしてるなっていうのを汲み取ってくれるのか、また声をかけてもらったりとか、あるのかもしれないですね。
じゃあ一回どこかに大変かもしれないけど点をポンポンと打っておくと、そこからやっぱり誰かがそれを見て繋がってくるみたいな、
好循環が回るみたいな、そんな感じなのかな。
いいですね。
うがたいですよね。
それに、たしかに農家の方でNFT絡んでる人とかもまだまだ少ないでしょうし。
取材を受けたいですよね、目指します。
なんか盛り上がってくるといいですよね、またね。
うんうんうん。
一回行くからそれ入れます。
ぜひぜひ。
じゃあ最後、今日最後の質問ですけど、今後今のお話も含めてだけども、何か今後としてやっていきたいとか、こんなこと目指していきたいみたいなこととか、これ聞いてる方に向けてのメッセージとかもしあれば最後一言いただけますか。
ありがとうございます。
えっとですね。
このスタッフ仲間の方たちに毎日刺激をもらって、
チャレンジすることがフットワーク軽くできるのは、すごいこの環境でありがたいなと思うんですよ。
そういう中で、今チャレンジしているのが、自分たちの直売所を作りたいっていうところに今行ってて、
それもたくさん取材を受けているのに直売所、自分たちどこで売ってますかって言われて、自分のお店を持ってないっていうのが、
もったいないなって思ったんですよね。
いつも道の駅で売ってますとかネット販売ですとかっていうのがもったいないなって思ってて、やっぱり自分たちの直売所を持ちたいっていうのと、
今トマトの加工で、トマトソースだったりピザだったりカレーだったりっていうのを展開してきているので、
33:00
ちょっと飲食店的なものも含めてノーカフェっていうことでね、
そういうのも視野に入れて、これからやっていきたいなっていうのに、今向かって計画して向かっていこうというところの段階でございます。
ありがとうございます。
すごい、なんか全部が繋がっていくイメージが今すごく明確にできましたね。
ありがとうございます。
わかりました。
そこができたら、私シロさんのNFTのパネルを今集めてちょっとずつ飾りたいなと思ってるんですよ。
お店にね。
そう。
いやーすごい。すごいですね。
NFTっていうのもPRしたい。
それができるかは、本当に楽しみにしてます。
いつぐらいを予定してるんですか、その出来上がりは。
仕事が忙しくなっちゃって、あまり進んでないんですけども、今三つ盛り出してもらって調整してるところです。
設計図とかを調整して。
そう、でもこっちはもう買って、手続きとかも今終了、やっと終わったところなので、これから動き出す、実際に動き出すっていう感じなんですよね。
わかりました。
はい、また報告もまたSTYLEFでしていきたいと思います、ちゃんと。
そうですね、ぜひまた今後の進捗、伺わせていただければと思います。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。楽しみにしています。
ありがとうございました。長くなっちゃった。
大丈夫です。
じゃあ次回の茶森のテレフォンショッキングのスタートものご紹介をいただきたいんですけども、今回誰をご紹介いただけますか。
身内ですいません。栽培マンをお願いします。
ありがとうございます。
じゃあちょっと栽培マンさんにお声掛けしてみましょうか。
栽培マンさん。
はーい。
よかった、繋がりました、栽培マンさん。
じゃあ早速なんですけども、来週の茶森のテレフォンショッキング来てくれるかな。
もちろん、いいと思う。
ありがとうございます。
それでは今日のゲストは、黄色いトマトの後藤農園からのりこんぶさんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
それではまた来週。