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2023-12-06 15:44

#22【死生観】おばあちゃんが亡くなって思うこと

おばあちゃんが亡くなったとの連絡がありました。大好きなおばあちゃんでしたが、不思議と悲しくはありません(まだ顔を見れていないからかもしれませんが…)。そんな今の気持ちを残しておこうと思います。

子供がインフルエンザにかかったタイミングで連絡があった
おばあちゃんの話
悲しくない理由①出来る限りのことはした
悲しくない理由②おばあちゃん自身が延命を望んでいなかった
私の死生観

#家族
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仮面夫婦でも幸せになりたい、戦略的仮面夫婦カブの人生模索チャンネル、このチャンネルは、どこおやすたち、仮面夫婦、仕事はライスワークなわあままのカブが幸せに生きるために、戦略的に仮面夫婦として生活をしながら、人生を模索する過程をお話しするチャンネルです。
仮面夫婦、親、仕事など、同じ悩みを持つ誰かに寄り添う配信をしたいです。また、自分自身の話を通じて自己理解をしながら自己肯定感を上げたり、自分の気持ちを伝えるリハビリをしていきたいと思います。
お疲れ様です。カブです。
本題に入る前に、少し今の私の話、雑談をしようと思います。
日曜日の夜から子どもがインフルエンザにかかってしまいました。
そして月曜日には下の子が発熱もして、今、子どもが2人ともインフルエンザにかかってしまっている状態です。
幸い、私は子どもがインフルエンザになりそう予感がした時からマスクをしたり、子どもにも家でマスクをしてもらったり、子どものタオルと大人のタオルを分けたり、
あと子どもが使った食器はハイターで除菌をしてから洗ったりとか、いろいろ対策をしているおかげか、大人は元気です。
かかった当時は子どもも高い熱があって辛そうだったんですけど、2日目以降からは上の子はちょっと咳が出る、下の子はちょっと気持ち悪いみたいな状態ではあるんですけど、
基本的にYouTubeやタブレットを見ながらぐーたらしている、そんなような生活になって落ち着いてきました。
私自身は今週は在宅勤務に切り替えさせてもらって、今日は重大な会議とかがないので、この看護休暇を取らせてもらって、午前中まで子どもと爆睡をした結果、だいぶ体力が回復しました。
体力も回復してきたし、ちょっと今の気持ちを話したいなということがあって、収録ボタンを押してみました。
今日お話をすることは、おばあちゃんが亡くなったよという知らせが入ったので、そのお話と今私が思うことについて発信をしたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
おばあちゃんが亡くなったという連絡が、子どもがインフルにかかったバタバタしている月曜日に連絡がありました。
こういうことを言い方をしてしまうとあれなんですが、なんで今ということでドタバタしていたような状況でした。
ですが、子どものインフルの症状も落ち着いて、おばあちゃんの亡くなった後のやり取りは、主に私の母からいろいろやり取りをしてもらっているんですけど、そのやり取りをまじまじと見て、ちょっとおばあちゃんについて思いを馳せている、そんな状態です。
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子どもがインフルエンザになってしまって、金曜日まで登校自粛、いわゆる外出は控えるようにという状態だったので、おばあちゃんの葬儀にも行けないかなと心配をしていたんですけれども、たまたま葬儀場の空きがないということもあって、金曜日におつやで土曜日に国別式葬儀というのかな、になりそうという話になりました。
そのため、金曜日まで登校自粛な子どもは、大人一人夫になりそうかなとオルスパンをして、私だけおつやで行って、土曜日の国別式はみんなで行けそうかなという、そういう見立てになっています。
おばあちゃんは私の子ども、いわゆるひまごうがとても大好きだったので、おばあちゃんもお空からインフルにかかっちゃったならちょっと待つか、なんて思ってくれたのかな、なんて勝手に思っています。
そして、おばあちゃんのお話をしたいと思います。
おばあちゃんは、私が時々お話をする毒親、私の母ですね、の母になります。
この話を聞くと、さぞ毒おばあちゃんなのかな、なんて思うんですけど、全然そんなことはなくて、私がかわいい孫だからっていうのもあると思うんですけど、本当によくしてくれました。
おばあちゃんの旦那さん、いわゆる私のおじいちゃんが、すごく昔かたぎな人で、暴力とまではいかないけどあったりとか、すごい傍若無人でわがままな感じなんですけど、それでも我慢というか、家でもプチ家でしたりもしたらしいんですけど、ついていってくれて、離婚とかもせずに、私の母ですね、とかを育ててくれた、そんな人のようです。
そして裁縫はすごく得意なんですけど、お料理はちょっと苦手なのかな。当時もお惣菜とか少し走りであった頃だと思うんですけど、そういうのもすごく使っていたようでした。
私の母はそんなおばあちゃんを見て、お料理はちゃんと作ってほしいとか、家はうまくいってほしいとか、おばあちゃんが子供に対して、なんていうんだろうな、おじいちゃんとうまくいってないから子供との対応もおざなりになってしまうところもあったらしくて、
そういう子供時代を過ごした私の母が、私に対して、お料理とかはちゃんと作るべきだとか、子供の子育てはこうあるべきだとか、ちょっと歪んだというか、そういう感じで私に接してくるうちに結果、私にとって母はどこよりになってしまったっていう、そういう節があるのかなと思っています。
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しかし、私とおばあちゃんは考え方が結構似ていて、めんどくさかったらお惣菜でいいじゃんとか、旦那とうまくいってないならしょうがないじゃんみたいな、そういう考えというか、持っている根っこが似ている感じなので、私はおばあちゃんと大人になってもお話をするのがすごく好きでした。
毒親、いわゆる私の母についても、全くお母さんは細かくて嫌になっちゃうよみたいな話をすると、おばあちゃんがそうだねって、でもあの子はああいう子だからねみたいな、そういう話をしてくれるような人でした。
学生の時も、そんな毒親の母と喧嘩して私が家出すると、もう行くあてもないからおばあちゃん家に行って、泊まって、おばあちゃん家の家から高校に行くみたいな、そういう時もありましたね。
なので、おばあちゃんは毒親である母から私が逃げるというか、心の拠り所だったように思います。
結婚してからも、私の子供、ひまごをすごくかわいがってくれました。
節目のイベント、運動会とかですね、見て、見に来てくれてすごく喜んでくれたりですとか、裁縫が上手だったので、2円バッグとか上履き袋とかも、私裁縫が苦手なんで買ったほうが楽じゃん派なんですけど、そこはおばあちゃんに頼って全部作ってもらって、
それを今でも使っています。
毒親、母のところに行くのはちょっと苦手なんですけど、おばあちゃんのところに行くのは私はすごく楽しみで、私の子供、ひまごを連れて遊びに行くのが週末の楽しみでした。
亡くなってしまったら悲しい気持ちになるのかなと思っていたんですけど、今はちょっと俯瞰しているというか、そんなにものすごく悲しくないような自分がいるのがちょっと不思議だなと思って言語化したいと思います。
なんで、さほど寂しく悲しくないのかなと思うと、大きく分けて2つの理由があるのかなと思いました。
1つ目は、会えるときには極力会いに行っていたということと、もう1つは、おばあちゃん自身も、もう私はいいよ、連れてってくれよ、神様みたいな話をしているのを聞いていたからという点かなと思います。
1点目の極力行っていたということについてなんですが、私は会社員をしているので、ちょっと平日に遊びに行くのは難しかったんです。
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っていうのも、おばあちゃん家に行くと、ご飯も食べてごうよとか、お茶飲んでぎなとか、結構長くいてほしいような感じだったんで、平日ちょっと顔出してじゃあねっていうのはちょっと難しくって、後ろ髪引かれる思いになるんで。
なので、週末に遊びに行って、一緒にご飯食べて、のんびりちょっとお茶でも飲むみたいな、そういう感じのスタイルになっていました。
で、それを毎週行くとなると、ちょっと私も子どもの習い事もありますし、あと平日できない家事、布団干したりとかそういうことをしたいっていうのもあって、もう私は最低限2週間に1遍必ず行くっていうのも決めて、絶対行くようにしていたんですよね。
私の中でその2週間に1遍っていうのが、自分の生活、幸せを保ちつつおばあちゃん、大好きなおばあちゃんに会いに行くっていう最低ラインみたいな感じで決めて、ちゃんと会いに行っていて、ここ半年ぐらいはちょっと自宅にもいれず施設、特養っていうのかな、にいたりしたんですけど、もうそこに入るまでは自分ができる限りおばあちゃんに会いに行っていたから後悔はないっていうような感じでした。
また、おばあちゃんが特養に入ってしまった後も、私はおばあちゃんに写真をプリントして持って行ったんですよね。
例えば、子どもが七五三をした写真ですとか、地域のお祭りに参加した写真ですとか、1回あたり3、4枚ぐらいちょっとなんですけど持って行って、そういうのを見せたりとかして、おばあちゃんがもう体が悪くって、外に出られなくても子どもの暇ごの様子がわかるような対応は自分のなりにはできていたかなって思っているので、
おばあちゃんのやり取りに対してできる限りのことを自分にとってはしたので、後悔はないかなっていうところがあります。
もう一つも、おばあちゃん自身が延命というか臨んでいなかったのかなっていうのを会話の節々に見れたっていうのも私の中であるのかなと思います。
徳洋とかに入る前からおばあちゃん体の動きがちょっとイマイチになってしまった時からずっと、もうおばあちゃんはいいよ、こんな長生きしてもしょうがないよみたいな弱音みたいのを吐くようになっていて、それを聞いた私の母、ちょっと毒気味の母は、何言ってるのって、そんなんじゃ世話してる私の顔が立たないでしょみたいなことを言ってたんですけど、
私はそれに違和感を感じてて、本人がそういうやる気というかモチベーションがないんだったら、じゃああっそうっていうわけにはいかないですけど、そうだよねみたいなそういう気持ちになるよねみたいな、ちょっと共感というかする気持ちがあったのです。
で、おばあちゃんが施設に入ってからも、例えば体中が痛いとか動かないっていうとか、そういう時に出くわすたびに、あーもうおばあちゃんいいよいいよみたいなそういうネガティブというか、何て言うんだろうな、発言を聞くたびに、なんかこれってすごく壮大な話になって正解はないんですけど、なんかそこまでして本人が望まないのに、こう長生きしてもしょうがない。
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長生きするのもその本人にとって果たして幸せなんだろうかみたいなことを考えることがあって、なんかそういうおばあちゃんを見てたので、この今回そのおばあちゃんが亡くなったよっていう話を聞いた時に、私は心の片隅でなんかおばあちゃん良かったなというか、やった自分が望んで楽になれたじゃないですけど、なんかそういうような気持ちになって、
気持ちになったっていうのもあります。
なのでちょっと辛かったおばあちゃんを思い出して一瞬涙してしまってるんですけど、なんかベースとしてはそういう自分ができる限りのことはしたっていうのと、おばあちゃん自身もこのやっと、
サンズの川あたりで安心できたのかもなって思うと、このああおばあちゃんなんで行ってしまったのとか、そういう気持ちではないのかなっていうのが今の私の心情です。
でちょっと子供のインフル騒ぎで、まだおばあちゃんの亡くなった顔を見れてないからそういうふうに思うっていうか、実際おばあちゃんの顔真のあたりにしたら、ああなんでってなっちゃうかもしれないんですけど、
今の私個人の受け止めとすると、おばあちゃんの死というのはそんなにネガティブなものではない感じがしています。
93歳かな、大幼女というかしてくれたから、おばあちゃん今まで私やひまごと他の私以外の孫やひまごもいますが、そういうみんなとのいい思い出っていうのかな、を胸にあっちに行ってくれてたらいいななんて思っています。
ちょっと踏んどい恐れて、さっきの死生間の話にもつながるんですけど、すごく私個人、自分だけの思いとすると、そうにもういいというか、自分は生きていたくないなって思ったら、安楽死というか、自分でその生死を選択できるような仕組みが日本にもあったらいいななんて思っていて、
家族の意思もあると思うんですけど、本人が望まないのに生きならがれていても、なんかすごいダークな言い方です。医療費の無駄というか、だったら生命の継続を望むというか、そういったところに医療費を回した方がいいのかななんてすごく思ってしまっていて、
なので、自分のもしみに何があったらというか、無駄な延命措置は私自身にはしないでほしいななんてふわふわ思ったりしています。でもこれは賛否両論ある話ではあるんですけどね。実際そういうのをそんなところで、今の日本の制度ではじゃあそうしましょうなんて言えないと思うんですけど、なんかそんなことも思いました。
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まとまりませんが、今子どものインフル騒ぎで缶詰なので、おばあちゃんが亡くなったっていうことを受け止められずというか、やっとこう改めて考える時間をもって、そしてこうに原稿化することができて、私自身はとっても良かったなと思っています。なんだかまとまりませんが、最後まで聞いていただいてありがとうございました。それでは失礼します。
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