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2021-11-07 21:31

霜月の回「コトバノコト」1

ガチャを回して出てきたお題について語る「文ガチャ」 
今月のお題は「コトバノコト」です。
間違えやすい言葉や表記について、小学生に教えているときに苦労している話を中心に簡単な解説をしています。
00:14
文ガチャは、ガチャを回して出てきた番組について、のんびりおしゃべりするポッドキャストです。
文ガチャ霜月の回、椿ライドです。
咲夜です。
よろしくお願いします。
はい、ということで、今回は咲夜さんのターンみたいな感じになりますね。
はい。霜月は、コトバノコトです。
国語とか、あと方言学とかが専門で来ていますので、そのことについてお話ができればなと思っています。
はい、楽しみです。
初めて自分がお話しする立場になるんですね。今までは授業を受けてきたばっかりでしたので、
初めて人にお話をすることになると思うので、
もし難しかったら、遠慮なくこれってどういうことって聞いていただけると、とても助かります。
はい、承知しました。
お願いします。
コトバノコトとか、あと国語学の概論みたいなお話をまずは最初にしておきたいんですけれど、
そうですね、このコトバノコトを話すきっかけになっていた、
コトバが正しいってどういうことっていうお話を、まず少ししておきたいと思います。
はい。
本当は間違っている日本語とか、9割がつい間違える日本語なんて最近よく聞くんですけれども、
では、何をもって正しいと言っているのかっていうのがまず問題なんだと思うんですね。
うんうんうん。
雷道さんも以前から繰り返しおっしゃってたんですけど、コトバは移り変わるものだから、
今は語用、間違っていると思われていても、そのうち正しくなるのかもしれません。
うん。
例えばなんですけど、ら抜き言葉というのがありますね。
うんうんうん。
例えば、投げられるというのを投げれるというのが、らが抜けてしまうという意味でら抜き言葉って言うんですけれど、
最近私、オンライン上でお話をすることが多くて、20代30代の人と喋ることが多いんですね。
はい。
遊びながら喋っているので、ぽろっと普段使っている言葉が出ているとは思うんですけれど、
はい。
80%以上がら抜きになっているなって感じています。
それは、僕も多分、なっていると思います。自分で。
あ、ご自分でですか。
うん。
はいはい。
言いにくいなって思いますもん。ら抜きにならないように気をつけると、喋りづらいなって思います。
03:00
なるほど。
結局普段抜いてるんだろうなって逆に思うっていうか。
なるほど。
私とか雷道さんぐらいの年の人って、意識があるから、んって詰まったり、
ゆれ、ら抜きにしたりしなかったりっていう揺れがあると思うんですけれど、
ああ、なるほど。
むしろ全部きれいに抜けててすごいなって思ってしまうぐらいのこともあって、
本人はもう意識の命もないんだなっていうのは感じてるんですね。
そうですね。食べられるは抜かないですね。
ああ、そうですか。
これって食べられるものですかとか。
ええ。
食べていいものですかみたいな、みんな食べられるものですかっていう時に、
食べれるはあんまり言わない気がするのは、自分が使う時にね。
ええ。
自分が言う時には。
ですよね。逆に見れるは使うんじゃないですか。
見れるは使いますね。さっきの投げれるも使いそうな。
ああ、そうですか。
それは状況によりそう。
気持ち的に若干でも丁寧に話そうと思っていると、
ら抜きにならないことがあるような気もします。
なるほど。
私は立場として教えなければいけないし、
添削しなければいけないんですね。
はい。
相手が大人であればそういう人とかそういう世代なんだって終わっちゃうんですけれども、
添削しないといけないとなると基準が必要になってきます。
何を基準にしているかっていうとですね、
NHKの全国放送のアナウンサーさんの言葉であるとか、
あとよく賛成堂さんが出してるんですけど、
新しい日本語表記ハンドブックっていうものがありまして、
ちゃんと基準となるものを載せてくれてます。
政府が出している現代金遣いっていう法令のようなものであったりとか、
そういうのが載っていて、それを基準として使っています。
だけど普段話してる時にそんなもの見ませんしね。
あれですよね。
政府が出してるで言うと最近話題になったのが、
ウニてんてんみたいなやつ。
基本的に表記上使わないとかいう。
そうです。
それです。
あれはカタカナ語の使い方で新しく出てきたんですけど、
ヴァイオリンっていうのをウニてんてんにアでヴァイオリンって表記しませんよっていうのが最近決まりましたね。
そうですよね。
かっこいいんですけどね、あれ使って。
そうそうそうそう。
やってもバツではないんですけれど、
表記上はそっちの方を、普通にハニてんてんの方を丸としますよっていうのがあそこで定められています。
小学生で教えるってなるとまた難しいんですけど、
わざと正しい言葉をはっきり発音して小学生に違和感を感じさせるところから始めてるんですね。
06:01
はい。
一番最初に1年生が違和感を感じるのが、10です。
10?数字の?
そうです。
はいはい。
10なのに10本とか10ページって私が言うので、
先生今10ページって言ったよって子供たちが笑うんですね。
それに気がついてくれたらチャンスで、
10ページは本当はジッページと読みますと。
でも口で言うときは10ページっていう人が多いし、それがほとんどなんだよっていう話をまずはします。
読み仮名テストなんかで20個を20個と書いても、先生はバツにはしませんよって、丸にしますよっていう話を必ずします。
でも三角なんだよって知っててねって、知ってるだけでも今はいいからねって言うんですね。
先生の言葉が変だねって笑ったけど、本当は今私が言った言葉の方が今は正しいんだよっていう話をします。
今っていうのもポイントですね。
そうですね。今はねって必ずつけます。
そのときに必ず子供たちにお願いをすることが2つあります。
正しい言葉があるんだけれど、違う使い方もバツではないことが多いので、
それは知っておいてねって、だから知るとか勉強するとか知識を得るっていうことは大事なんだよってお話します。
2つ目は言葉だけじゃないんだけれど、誰かが間違っているなって感じても笑わないでねと約束をしてもらいます。
それはもしかしたら自分の方が間違っているかもしれないし、笑ったことが自分に返ってくるかもしれないからねっていう言い方を必ずしています。
さっきの10本の例がいい例ですよね。
そうですね。
間違ってると思って笑ったら自分の方が間違いだったってことが世の中にはありますよってことですね。
はい、そうです。
小学生にはそんな感じでお話ししてるんですけれどね。
今はインターネットで正しい日本語って検索すると、まとめたものが本当にたくさん出てきます。
知識としてはそれを見ているだけでも勉強になるんですけれど、一つずつ覚えるのって大変じゃないですか。
なるほど、それは大変です。
だけど、じゃあ正しい日本語を全部一個一個覚えていかなきゃいけないのかって思うと大変なので、
基準としては正しい日本語っていうのを意識するよりは伝わりやすい日本語っていうのを意識してほしいなと普段から感じています。
09:02
こういうのを定めているところに国立国語研究所っていうところがあります。
大学の共同利用機関なんですけど、結構科学的に研究してらっしゃって、統計を取ってらっしゃるんですね。
アンケートとかで、今このラヌキ言葉は20代の方が何パーセントぐらい使っているかとか、そんなのを研究してらっしゃるところです。
そこで出している冊子の中に、ちょっと抜粋して持ってきたんですけど、
言葉において正しいとはどういうことか。また逆に正しくないとはどういうことか。
ある言葉遣いが正しいかどうかの判断は、人によっても文脈によっても異なってくるということです。
正しさの基準というものがいつも一つに決まるわけではありません。
という言葉があって、私はそれにちょっと感動したんですね。
一番最初にラヌキ言葉のことを言ったんですけど、あれはある意味とても効率的なんです。
れるをつければ可能できるよが表せるんですね。
じゃあられるの方を受け身としてしまうと、区別もつくんですよ。
投げられるっていうのはボールが飛んできて投げられてしまった。
だけど投げれるって言えば自分が投げることができる可能を表す。
というふうに言葉が移り変わっていけば、とても合理的なんですよ。
確かに。面白いな。
ただし、今ちょっと座れるとか投げれるとか、見れる食べれるって使えるんですけど、
ここから最近派生してきた言葉がありまして、見れる。
ああ、そういう感じのことを言う人いるね。
ラヌキ言葉に対してレタス言葉なんて言うんですけど、
見れるって言ったり、さらに見れられるって言ったりする言葉も出てきてるんですね。
意味は同じ意味なんだ。
そうなんです。
これが若い方が使うというのが主なんですけど、
さらにメディアを通して、
最近は私たちでもこうやってポッドキャストで配信をしたり、
YouTubeで配信をしたりっていうのがありますので、
若い人ほどメディアを使って自由に発信してるんですよ。
そうですね。
Twitterとかだって文字としてだけど、
そうすると、言葉の世代交代が若い人の中ですっごい早い状態で変わっていってるんですね。
12:06
これまでは、
若い人にとってのメディアを通して発信してるんですけど、
若い人にとってのメディアを通して発信してるんですよ。
若い人の中ですっごい早い状態で変わっていってるんですね。
これまでは、メディアがなければ人と人とが直接話をして、
だんだんとゆっくりと言葉が移り変わっていくので、
今時の若いものは変な言葉を使ってなんていうぐらいで済んでいたんですけど、
今は、お年寄りと若者の会話が成立しないこともあるんだそうです。
もう意味がわからない。
ただ、そうなってしまうと、もうこれは言語として問題だとされるわけですね。
なんかちょっと区別が難しいところかなと思うんだけど、
その若者の方から大体変わってくることが多いと思うんですよね、その言葉の変化って。
それが言葉の変化なのか流行なのかっていう線引きが難しいような気がしていて、
古い話になりますけど、小ギャル語っていう言葉がよく言われた時代があったじゃないですか。
あれって結果的にブームだったり、あの世代しか使わなかったりしたから、
流行りじゃないですか、結果的に。
もう残ってない。
面白がって今あえて使うみたいなことはあるかもしれないけど、
基本的にはブームがあって去ってったので、
だからあの頃小ギャル語を喋ってた人たちも、
多分おじいちゃんと今普通に話せるような気がしてるんですよ、僕はイメージとしては。
それと今問題になっている回転が早くなってきて、
年配の人と若い人では会話が通じないっていうのは、
それは流行でただ今の10代にちょっと流行ってるっていうレベルじゃなくて、
それも定着しちゃってる言語っていうこと?
そうですね。
なるほど。それは深刻ですよね。
そうなんです。まだそこまでの状態にはなっていないのですけれど、
危ぶまれているという状態ではあるようです。
なるほど。
そうなってしまうと大変なので、
なんで伝わらないか、なんで話が成立しないかっていうのは、結局言葉が伝わらない。
うん。
流行している言葉でちょべりぐーとか、それも古いんですけれど、
それを分からない、相手に分からないって意識して使ってないと思うんですね。
うーん、なるほど。
はい。だけど伝わりやすいっていうことを考えると、相手を意識しなければいけない。
15:03
うん。
そして、相手の知識も押しはかる深い知識と語彙力がいるわけですよ。
はい、はい。それ大事ですね。
相手の年齢であったり立場であったり、得意なものや苦手なものを加味して、
その人に分かるように伝えるっていうのは、一番優しさにあふれるんだけれど、一番難しい言葉だ。
難しいですよね。
難しいと言えます。
なんだろう、この人にこの言い方したら分からないかなと思って、
優しい言葉、簡単な言葉に言い換えて喋ったりすると、
ある意味ではその人をバカにしてるっていう側面もあるじゃないですか。
あー、そうですね。
その辺加減が難しいってことはありますよね。
相手のことを意識した、意識としては正義というか優しさでやってることなんだけど、
正直に相手を舐めてるみたいなことになってしまうこともあるななんて聞きながら思います。
あー、そうですね。
加減が難しいですね。
そうですね。1年生に向かって、簡単な言葉でいつも話をするんですけれど、
ただ1年生になんとかでちゅねーって言ったら、それは1年生も怒るわけで。
そうですね。分かる分かる。それはそうだ。
だから、自分の中の意識、分かりやすく伝えたいと思っているのか、
相手を下に見下して簡単な言葉で話そうとしているのかっていうのは、
やっぱり言葉の中に出てくるものじゃないかなって思います。
そうですね。
なんか、やっぱりポッドキャストとか色々聞いてたりすると、
ビジネス用語みたいな言葉って結構かっこいいはかっこいいので、
そうですね。
対応する人もいると思うんですよね。
それは喋り手のブランディングとして効果を発揮する場合もあるので、
その人がそれをやること自体を否定する気はないんですけれども、
一方で、何を説明する時も誰でも知ってるような日本語しか使わないっていうスタイルを
意識してやってるのか、それしかできないのかわかんないけど、
そういうふうにしてる人の話を聞くとすごいなって。
難しい専門用語で言えば一言で言えることを、
例えとかを使いながら誰にでもわかるように説明したりしてるのを聞くとすごいなって。
そうですよね。
感心しますね。
というね、すごい難しい話をしてしまうと、
でもちょっとずつ知識を得られるような話を次回からしていきたいなと思います。
概論が一番難しくなりがちですので。
そういうことですね。
さっきお話の中でNHKのアナウンサーさんが喋ってる言葉とかが参考にされてるって話があったじゃないですか。
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ちょっと気になった言葉があって、
僕はもともといろんなところで耳にする言葉だけど、あまり好きじゃない日本語の一つに、
自分言っていうのがあるんですよ。
はい、ありますね。
もともと、本当のもとをたどるときに、
人言っていう言葉がもとで、
人言っていう言葉を他人言って書くので、
他人言って読む人が多く出てきて、
他人言っていう言葉の反対語で、
自分言っていう風に発展していったらしいんです。
僕が調べた範囲だと。
はい、そうですね。
もともとは人言っていう言葉の反対は、
我がことっていう風らしいんですよね。
で、我がことと自分言って結構ニュアンス違うと思うんですよ。
そうですね。
刺してるものも変わってきたなと思ってたんですけど、
これをNHKのアナウンサーさんが、
フリっぽい感じで喋っているところで、
自分ごとって言ってて、
結構ショックだったんですよ、僕。
このことが好きじゃないから。
で、そうなの?って思って調べたら、
やっぱり普通に今はネットで出てくる国語辞典みたいのとかで見ても、
普通に自分の言葉が変わってきて、
自分の言葉が変わってきて、
自分の言葉が変わってきて、
自分の言葉が変わってきて、
自分の言葉が変わってきて、
日本で出てくる国語辞典みたいのとかで見ても、
普通に自分ごとは、語彙じゃない形で、
言葉として説明されていたので、
そういうことなんだ、と。
ちょっと僕からしたら、
寂しい感じがしたんですけど、
それはそれで、そういう変化をして、
定着した言葉として見ていくべきなのかな、
と思ったりもしました。
そうですね。残念ながら、
今、教育用語に取り入れられてしまっています。
そうなんですが 学校の今の流行語は 自分ごとです
私も大嫌いで
学校がそれじゃあもう絶対的にそれで広がっていっちゃうかな
そうですね 私は大嫌いなので絶対使わないんですけど
残念ながら教育用語です 気持ち悪い
はい ということですよね
はい そんな感じで 外論は終わりにしたいと思います
はい
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