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2023-05-27 17:09

読書ラジオ『能力の生きづらさをほぐす』勅使川原真衣

いつも聴いていただきありがとうございます。  

『独学の地図』が学びに関するHOWの話であれば、この本はWHATやWHYに関する話なんでしょうね。

収録を聴き直して改めて整理できたことは4つありました
・能力主義は『絶対』ではないが、便宜上、必要だと思う
・便宜上とは、他者との関係性において『共通言語』『測る』の役割を果たすということ
・個人と会社では、追い求める能力は異なるし、各個人、各会社でも異なる(両軸ある)
・就職して活躍するための能力、それを獲得することを目的とした教育体系は不健全な気がする

加えて新たな疑問が1つ
・能力主義と言っている割に実務以外で学習習慣を持たない人が多い(ほんとにこの社会は能力主義なんかな⁈)


⭐︎本紹介
「能力」の生きづらさをほぐす https://amzn.asia/d/j7j6ozl

⭐︎自己紹介
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こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。
今日は、能力の生きづらさをほぐす、勅使川原真衣さんの本について話してみようと思います。
この方は、組織開発コンサルタントされている方で、ちょっとね、この本の設定がすごく面白くて、
これは、死んだ母が子に送る能力についてのちょっと不思議な物語である、という前置きがされています。
勅使川原真衣さんというのは、小さいお子さんを育てる母親であり、組織開発コンサルタント会社を運営されている方であり、
ガウンの糖尿をされている方です。そんな中で思うのが、こんな息苦しい社会に子どもたちが生きていくとしたら、死んでも死にきれないということ。
そうした問題意識から書き始めたこの本は、子どもたちとの対話形式になりました。
15年後、大人になった子どもたちに向けた母さんの教えとして、少しうざったく感じるかもしれませんが、
読んでみてくださいということで、母が子に送るちょっと不思議な能力の始まり。
ということで、出てくるのはストーリー形式になっているんですよ。
勅使川原さんのお子さん2人いらっしゃって、そのうちのお兄ちゃんの方、大君が23歳。
大学を卒業して、ちょっとリアリティショックを受けているような感じなんですかね。
大学を卒業して、新生の大企業へ、新卒で就職したんだが、最終面接では顔つきがいいねとか、
人隣がいいねとか、鋭いね、センスがいいねって最終面接ではめちゃくちゃ褒められて泣いてもらったのに、
入社して1年2ヶ月、女子からは空気読めねえな、頭良くても仕事できないやつ、
一言で言うとさ、能力が低いんだよ、みたいに言われてしまっている。
情けない悔しっていうのを、亡くなったお母さんの写真の前で悩みを相談するというところから始まります。
手塚原舞さんは、この大君が23歳になった15年後は、亡くなっているという設定なんですね。
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そこから大君がお母さん助けてよって言ったら、家の前でね、言ったら不思議なことが起こり、
自分のことを呼びかける声が聞こえて、振り返ると死んだはずのお母さんが自分に語りかけるみたいな。
映画とかドラマでありそうな設定ですね。話してくれてありがとう。
お母さんは大学院で社会科学を学んだ後、組織開発コンサルタントとして話した、
そういう経験とか、自分の研究の成果だったり思うことがあるから、こうやって出てきて、
第二、アドバイスというかね、その悩みをほぐすっていうのをやってみるよと言って話が進んでいくんですね。
途中、妹のまるちゃんとかも出てきてね、死んだお母さんと大君まるちゃんの3人の対話でこの話が進んでいきます。
ちょっと設定の部分が長くなってしまいましたが、
なので表紙はね、その困った大君と後ろから大丈夫お兄ちゃんって言ってるまるちゃん。
化けて出てきた手柄舞さんですね。白小族を着た舞さんの絵が描かれているのが本の表紙のイラストになっています。
この本は、能力主義が行き過ぎていることが、組織だったり、こういう若者の悩みだとか、
生きづらさみたいなことにつながってませんかっていう、アンジテーゼのような形の本なんですよね。
まず能力主義というのはメリット暮らしというそうです。
能力主義というのは、定義としては、人々の能力に基づいて社会的地位、すなわち職業や収入、権力や権威など、
労働と不可分の要素が決定されるということを基本原理とする社会と定義されている。
それを能力主義、メリット暮らしと言います。
要するに今までやってきた実績だとか功績、うまくいったことが、未来もうまくいくか、再現性があるかどうかの能力も占うと。
それが近代化の中で浸透してきて、学校でもそういった能力、技能、知識、将来にわたって獲得していく能力につながっていくと。
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ということで、学校教育の中でもその能力というのが定義されているということですね。
とにかく能力というのは、過去の実績なのか、身につけた経験に基づく技能なのか、知識なのか、めちゃくちゃ曖昧だということですよね。
その曖昧な定義である能力、能力主義によって私たちは翻弄されていると。
大君のように、学生の時はすごい諸手を振って迎えられたにもかかわらず、実際入社してみると、
頭いいけど仕事できない人だね、みたいに言われちゃう。そういう肩を落とす若者を作ってしまっている行き過ぎた能力主義。それはどうなんだと。
能力主義、行き過ぎた能力主義というと、やっぱり会社の給与を決める能力評価だったり、成果評価だったり、それこそ会社の採用基準のSPIとかですよね。
学校でも、今は人間力とか、新しい定義に基づいて、能力体系みたいな、教育体系みたいなのを作り上げている基準はとても曖昧ではあるけれども、ある程度は機能しているものなんじゃないかなと私は思うんですよ。
でも、それが全てではないというのはもちろんわかっているし、それが絶対ではないとも思うんですよね。
ただ、一つのいろんな多様な人たちがいる世の中で、会社とか組織とか、一つの集団をある程度の基準で、能力というか何らかのコンピテンシーでも能力でもいいんですけど、
社員を細分化して評価する、ジャッジするということが必要であるとするならば、そういうものの一つに能力はあるだろうなって思うんですよ。
例えば、財務会計とかもそうですよね。今、人的資本とかも言われてますけれども、何らかの基準に基づいて何かを測る。
それによって第三者に伝えることができる。その基準を作るということは必要最低限なのかなと思っていて。
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それがあるべき形なのかどうなのかっていうのは、その時代だったり業界によって異なる部分があるのかなと思うんですよ。
なので何が言いたいかというと、行き過ぎてなければ能力主義は悪いことではないと私は思っているんですね。
個人の立場として話すのであれば、何かしらのスキルでも能力でも経験知識でも、どんな言葉でもいいんですけれど、
自分にとってこういうことが不足しているとか、こういうことを足していきたいと思うことに対して学ぶという行動は絶対誰もがやるべきことじゃないかと私は思っていて。
だとしたら、そういうものを何々能力っていう名前をつけて、勉強しやすくするとか、他者と会話しやすくするということは必要なのかなと思うんですよ。
ラベリングですよね。
なので、例えば私であれば、もう少し話すスキルっていうんですかね、人に分かりやすく自分の考えや感想を伝えたい、そういう話すスキルを向上させていきたいって思いますし、
本を読んでても、読解力をもう少し高めたいとかも思うし、やっぱりスキルだとか能力が常に毎日、どこか行動の先の目標としてあるんですよね。
ただ、良くないなと思うのは、それに振り回されるっていうのはすごく良くないなと思う。
なので、要するに生きすぎた能力主義、メリット暮らしってやつですよね。
それによって全てが決まっていく世の中っていうのはやっぱりちょっと残念だなと思うし、生きづらい人が出てくるだろうなとも思う。
人をがんじがらみにして苦しめるだけのシステムであれば、それは見直した方がいいかなとは思いますね。
なので、他者と共有していく言葉の一つが能力だと思うんですけれども、共通言語としての能力というものは存在すると思うんですけれど、
それによって他者軸で評価されることはもちろんある、それを前提で社会だったり会社に飛び込んでいくわけですよね。
なんだけれども、できればそういうものを自分の中の軸として持っておくと、また違った世界が見えてくるかなというのが実体験としてありますね。
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いろいろ話してみましたけれども、この23歳の大君ですね、入社して1年。
学生の時感じていた手応えほど会社の中で活躍できていないし、自分はもっとできると思っていただろうに、
そういう評価を他者からもらえないということで、すごく落ち込んでいる。
自分はダメな人間なのかなと思ってしまう。その気持ちはすごくよくわかるなと思います。
私もそうだったしなって思いますね。
今だから、他者軸じゃなくて自分軸でみたいな話をちょっと偉そうにしちゃいますが、
やっぱり20歳、就職して1年ぐらいの若者の時は、やっぱりもうこの世の終わりぐらいに悲観して思っていたと思いますね。
だからやっぱり相談できる人っていうのはいた方がいいなと思いますね。
この大君にとっては、死んだお母さんという設定でこの本は書いてあるわけですが、
会社の内外にそういうリアリティショックだったり、能力主義によって生きづらさを感じる若者を、
そのまま叩き落としてしまう会社だったり社会だったり、この先はないと思いますので、
話を聞いて受け止めて、じゃあどうしていくのかっていうのを本人がしっかり考えて、
自分の足で時間をかかっても自分の足で歩いていけるように、自分で決定を下して行動していけるように、
そういう支援をする人が必要なんだろうなと。
やっぱりそれが今私がやりたいことなんだろうな、みたいな。
ちょっと最終的にはそこにつながって考えたりはしました。
なんか、やっぱり話していてね、やっぱり結構モヤモヤするんですよね。
能力の生きづらさをほぐす、あるだろうなと思うんだけれども、
私にはこれが完全に善か悪かでは割り切れないことのような気がする。
もう少しこの能力っていうものの考えですよね。
定義だったり、これまでその能力、いい能力とか身につけるべき能力っていう文脈も時代によって変わってきたと思うんですよね。
それが大学だったり、小中高の教育にも反映されてたりはすると思うので、
そういう歴史、時代の変遷だったり、どういうふうに社会で活用していこうとされているのか、
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そもそもそれは最終的に会社で活躍するための能力っていう文脈というか、
人生のゴールでいいのかみたいなところも考えないといけないんだろうなと思うんですよね。
会社に入って活躍することが人生のゴールとは限らないので、必ずしもね。
そのために学校教育が準備されているのであれば、なんかそれはおかしいなというふうにも思いました。
なんかちょっとすごいそうですね、まとまらないしすごくモヤモヤするから、
もう少しこの能力の生きづらさをほぐすっていう本につながる本だったり、
大局にある本だったり、ちょっとこの周辺はうろうろ読んでみたいななんて思いました。
でもあれですね、
がん頭病中の著者が送るまさかのストーリーということで、
子どものために思って書いた本、お母さんの本、組織開発コンサルをやっているお母さんだから書けた本だと思いますね。
その気持ちにはとても共感するし、
自分が逆の立場だったらと思うと、こういうふうに思うよなと思いますね。
はい、ということで、今日は手塚原舞さんの能力の生きづらさをほぐすという本について話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。ではでは。
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