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2024-09-24 19:02

【読書ラジオ】千早茜『ひきなみ』

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ひきなみ
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00:05
こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。
今日は、千早茜さんの【ひきなみ】について話してみようと思います。
精神的に不安定な父を支える母と離れ、祖父母の住む島に一人やってきた小六の陽。
島の子に携帯電話を取り上げられた陽を救ってくれたのは、同じく祖父と暮らす舞だった。
急速に近づく二人だったが、島に逃亡してきた脱獄犯と共に舞が逃げたことで、陽は裏切られたように感じる。
二十年後、偶然ウェブ上に舞の写真を見つけた陽は、会いに行くことを決意するが、
現代を生きる全ての女性に贈る物語。
解説は、桜石野さんでした。
千早茜さんが書かれる本は結構読ませていただいていて、どの作品も好きだなと思うんですけれども、
先日ね、京子さんと一緒に千早茜談やりましたけれども、
その時はね、白金の葉が一番私のベストだみたいな話をしましたけど、
もしかしたら引き波は並ぶかもしれないぐらいでした。
もう泣けて泣けて仕方なくて、この本。
本当にね、全ての女性に贈る物語っていうことで、
千早さんの本はね、特にこういう、
槍が刺さっても倒れずに歩き続けようとする女性が出てくるような物語は、
どこか冷静ではいられないというか、客観的に読めないですね。
なので、最近はね、小説を読む時にその文章自体を楽しむだとか、
後世のリズムやうねり、躍動感を感じながら読むみたいなことも、
少し試し始めてはいるんですけれども、
この引き波に関しては全くそんな余裕がなく、
自分の中の女というフィルターを通して、
すごくね、主観的にしか読めなかった本でした。
解説は桜木篠さんが書かれていて、
この解説も素晴らしくてですね、
03:01
こんなにこう正しく、真っ当に千早茜さんのことを書く、
表現する人がいるんだなという感動で、
この物語を読み終えて、もうすごく号泣している私も含めて、
この女というものを真っ向から書いている千早茜という作家も含めて、
桜木篠さんが真正面からそれをそのまま表現して書いてくれているという感じがして、
さらにこの解説で泣くという。
ただ千早さんも桜木篠さんも、そういう読者に泣かせるっていうことはきっと意図してないんだと思うんですけどね。
なので小細工とか包み込むような優しさは一切ないこの二人の女性作家の文章で、
なんかそこに救われたというか、なんか泣けて泣けて仕方なかった本でしたね。
そんな、だからこれは読んだ人にしかわからないことなのかもしれないんですけれども、
私の中で今残っている感情も含めて感想配信ができたらなというふうに思っています。
二人の女性が出てきますね。
小学校6年生の時に島にやってきたようと、その隣の島に住んでいる前、この二人の出会いからこの物語は始まるんですけれども、
タイトルにもなっている引き波というのはですね、船の後、走行波、蹴り波、いろんな名前がありますが、
船が通った後のことを引き波と言います。
飛行機だとね、飛行機が通った後は雲が残る。
そんな飛行機雲みたいに、船が通った後に立つ白い波のことを引き波と言います。
二人が住む島は瀬戸内海なんですけれども、瀬戸内の穏やかな海はその後がきれいに見える。
主人公の一人でもある舞はそれを見るのが好きで、道みたいだという、そんな意味する引き波というのがこのタイトルになっていてですね。
この引き波という表現をうまく文庫解説で使っていたのが桜木篠さんでしたね。
本当にその通りだと思いながら、また泣きながら読んだんですけれども。
06:02
この小説はですね、女であること、女だからこそ感じる痛みだとか怒りが書かれている本なんですよね、実はね。
あらすじに書いてあるのは、全くそんなことは想像できないような話で、小学校6年生の女の子2人が島に馴染めずにいるんですよね。
晴れ者扱い、よそ者扱いされて、お互いがお互いの居場所でもあった。
特に陽の方はそんな風に信じていたのに、島に逃亡してきた脱獄犯と共に舞が逃げたというか逃がしてあげたんですよね。
逃がしてあげる時に自分もいなくなった舞、そんな舞に対して置いていかれた、裏切られた、ずっとお互いがお互いの居場所だと思っていたのに、少なくとも私はそう思っていた。
舞は違ったんだということで裏切られたように感じるんですね。
そんなところで第一章の海という章が終わっていて、第二部は陸という章になりますが、これは陽が大人になって働く職場でパワハラを受けているという状況がそこに書かれているんですね。
小学校6年生から一緒にいた舞、中学生の時に舞が島から脱獄犯と一緒に出てしまって、それ以来舞とは疎遠になっていたんですが、
あることをきっかけに陽が舞の今どうしているかというのを探し当ててしまう。
そして陽と舞が再会するという物語が第二章の陸で語られます。
ここで第一章の海でなぜ舞がそんな行動をとったのかということが舞の口から語られたり、脱獄犯2人はお兄さんと呼んでいたんですけれども、お兄さんの口から語られたりするんですね。
そこがすごく印象的でですね、その3つをちょっとここでお伝えできればなと思うんですけれども、3つというのは脱獄犯であるお兄さんが語る舞、
そして陽自身が抱えている自分の葛藤、最後に舞が抱えていた葛藤というのが出てくるんですね。
09:12
この3つのセリフで共通するのは女であるということなんですよ。
それで私は号泣してしまいましたね。
まず最初に脱獄犯のお兄さんに舞も会いに行って、その後陽も会いに行くんですけれども、その舞と、陽とお兄さんとの会話の中でお兄さんが陽に語った舞の話ですね。
あの子という語りは舞のことを指します。
君とあの子じゃ抱えるものが違う。あの子が逃げたかったのは島からというより女から。
女。陽は愕然としながらも奇妙に府に落ちていた。
あの島で彼女を彼女として見るものはほとんどいなかった。
これはね、この物語を読んでいくうちにその舞の母親、あとはその舞の母親の母親、舞の祖母ですね。
あとはこの島がどういう役割を果たしてきたかという部分を読んでいる読者からすると、
そうだよなって、特に女性からするとそうだよなってわかる言葉なんですね。
島から逃げたかったというよりかは女から逃げたかった舞。
それを理解して一緒に逃亡した脱獄犯という立ち位置になります。
そしてその後ね、
バワハラを受けている陽自身、あとは陽は自分の親ですね。
父親がメンタル疾患を患っている人で、母親がその父親の世話にかかりっきりだったから、
自分の陽を祖父母のいる島に預けて、母親は父親の世話をするために東京に残ったと。
父が心の病気になっていて、自分の起源で母親は自分を振り回している。
だから私は母から捨てられたんだと思いながら育った陽なんですね。
そんな自分を振り返りながら、陽が心の内を表現している場面ですね。
私がそうだった。絶望している方が楽だった。
12:01
父親の弱さや卑怯さを憎みながら、人間の悪い部分を見つけては安心していた。
舞という存在がそばにいながら、どこかでいつか彼女を失う悲観的な覚悟をしていた。
だから裏切られたと思い込み、こんなにも長い間確認することすらしなかった。
これは自分の周りに大切な人がいて、
そういう人を失ってしまう悲しい想像をした時に、
それでもどこかで自分が納得してしまう、
そういう覚悟を持ってしまうという人間のずるさ、悪い部分を表現しているんですね。
それが自分が憎む父親に対してもそうだったと。
悪い部分を見つけては絶望して、この人のせいでこうなっていると思う。
そうやって自分の居心地の良さだけを大事にして、
そうじゃない可能性というのを模索しない自分のことを振り返っているような心の内が書かれている部分になります。
最後ですね、本当に終盤にマイが自分自身のことをヨウに話す場面があるんですけれども、
マイはこんなことを言います。
私はずっと自分が女であることが嫌だった。
そう見られないようにしていた。
女に生まれて損だと思っていたし、悔しかった。
女から逃げたくて、わざと粗暴に振る舞ったりした。
ヨウの言う通り、逃げたい気持ちはずっとあったよっていうね。
ここで一番私の胸に刺さったというか、私自身がそう思って生きてきて、
そういう自分と折り合いをつけようと思ったのが本当に3年前ぐらいでしかなくて、
それまではずっと自分が女性であることが嫌だったし損だと思っていたし、
折り合いをつけようとも思わなかったんですよね。
自分の女の部分にすごく軽蔑したり、罪悪感を持っていたんですけど、
だからヨウと一緒ですよね。
そういう自分がなんでそう思うのかとか、
そういう気持ちを真正面から見つめてみるとか、
その先にある折り合いをつけるみたいなことをやらずに、
ずっと自分が女だから損してるんだとか、
15:02
そういうことを逃げていた自分がいたんですよね。
それを3年前ぐらいに何かのきっかけで向き合うということをしてみたんですけれども、
そういう自分自身の経験、過去をヨウとマイのセリフそれぞれで、
そのまんまストレートに文章に書かれてしまって、
それですごく主観的に読んでいったというのも相まって、
号泣してしまったという小説でしたね。
この自分の性を受け入れていないわけではないんですよね。
自分が女性であるということは、誰よりも自分が認知していて、
そういうわけではないんですけれども、
それに対してすごく、何て言うんでしょうね、
悲観的に思っているというか、嫌だと思っている自分。
こういう感情を持つ女性は結構いるんじゃないかなと思うんですよね。
で、それがなぜそうなのかっていうのは結構紐解いていかないとわからないことだったりする。
私の場合は、たまたまそういうことに一緒に向き合ってくれるメンターがいたから、
自分の見たくない部分に蓋を開けて見ることができた経験があったんですけれども、
そういうメンターとかがいない人の場合はずっと蓋をしたままなのかもしれない。
それで苦しけれなければそれでいいと思うんですけれども、
ずっと自分が女であることは嫌だと思いながら生きていくっていうのは結構辛いことだったりするんですよね。
だから私自身としてはあの時、そういう自分と対面してみてよかったなと思うし、
だからこの小説を読んでね、
なんていうか、ああそうだと思いながら泣けるというかね、
拒否しない自分がいるというのも、この小説を読んでよくわかったことだったなと思います。
女であることが嫌だった。女に生まれて損だと思っていた。
いろんな理由でそう思う女性っていうのはたくさんいて、
そこから派生する悲しみとか怒り、憎しみ、いろんな負の感情があると思うんですよね。
そういうことを抱えている女性。
全員にこの物語を送りたいなと私としては思ってしまった。
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まあでも千早さんはそんなこと思ってないんだろうなと思いながらも。
そういうドライな部分が文章からすごく伝わってくるんですよね。千早茜さんっていうのはね。
そこもすごい好きだし、それを真っ向から捉えている桜木篠さんの文庫解説もさすがだなと思ってしまった本でした。
いやこれは最高ですね。千早茜の引き波。
みんなにお勧めしたい本だなと思います。
ということで今日は千早茜さんの引き波について話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ではでは。
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