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私は犬については自信がある。いつの日か必ず食いつかれるであろうという自信である。
私はきっと噛まれるに違いない。自信があるのである。 よくぞ今日まで食いつかれもせず無事に過ごしてきたものだと不思議な気さえしているのである。
というダザイオサムの小説畜犬団の書き出しを使えば、誰でも自分の嫌なところを燃料にして動く文豪ロボットを発信できるなと思っているんですよ。
誰しも自分の嫌なところというか苦手なところっていうか、もはや性質として持ってしまっている。
あえて言うなら普通じゃない部分ってあるじゃないですか。 例えば何か言われた時すぐ顔に出てしまうとか
運転すると気が荒くなっちゃうとか、そういう小さいものから 誰かを責め立てるっていうか。
誰かが誰かを責めた時にそれに便乗してついつい言ってしまってるなとか。 周りに合わせてつまらないことを言いだくだくと誰かの言いなりになってしちゃってる自分に腹が立つとか。
逆に周囲が何も考えなさすぎてて、 その自分の考えとのギャップがどんどんどんどん広がっていって腹立ってストレス溜まってモヤモヤみたいな
いろいろ自分の嫌な部分というか、 自分の嫌な部分というかネガティブな感情っていうのはどうしても何でもあるじゃないですか。
こういうモヤモヤするなーって気持ちを、 もうずっとモヤモヤするなーって自分で思ってるんじゃなくて、これを燃料にして
動くロボットがいたとしたら、もうそれは夢のようなロボットじゃないですか。 それが文豪ロボットなんですけど。
この文豪ロボットを軌道発信できたとしたら超いいじゃないですか。 文豪ロボットを発信できたら超いいですよね。
ただのモヤモヤで文豪ロボットが動くっていうのを想像するともうたまらないなと思ってて。
でまぁこの文豪ロボット、文豪ロボットって訳のわからないことをずっと言ってるんですけど、
これ文豪ロボットは何かっていうのを説明するんじゃなくて、 例を出した方がわかりやすいなと思うんで、
ちょっと早速僕のネガティブな感情で文豪ロボットを作ってみるんですけど。 例えば人付き合いですね。
人付き合いが苦手だとして、まぁ僕苦手っていうか、 ちょっと人付き合いについて思うところあるんでネガティブな感情が。
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そのネガティブな感情をさっきの文豪ロボットに 人付き合いっていうワードを出力するイメージで当てはめて話すとこうなるよっていうのを
ちょっと今から文豪ロボット発信させますね。 私は人付き合いには自信がある。いつの日か全ての化けの皮が剥がれて信頼の失墜を迎える自信があるのである。
きっと孤立無縁になるに違いない。自信があるのである。 よくぞ今日まで気づかれることなく無事に過ごしてきたものだと不思議な記載している。
諸君、人付き合いは困難である。 空気を読み、たまさかには全くの別人を演じてこれを継続させることもあるではないか。
過去を振り返って私は一人寂しく思考しているのだ。 とまぁね。
こういう感じですよ。 文豪ロボットが自分のネガティブな感情を言語化して作品みたいにしてくれるわけですね。
自分の嫌なところがきれいさっぱり解消することってなかなかないじゃないですか。 まあなかなかないですよね。
ありきたりなアドバイスをもらったりとか、誰かと共有することで和らぐことはあるかもしれないですけど、
結局自分が性質として持ってしまっている部分があるから、 その時は直さなきゃなーとか良くないなーとかちょっと思ったとしてもそれを
繰り返してしまってまた同じように反省したりとかね。 そういうのが常ですよね。だいたい差がじゃないですか。
なんですけど、 この文豪ロボットに感情を当てはめると自分の思っていることの論理立てというか、
ネガティブな感情があるっていうのがなぜあるのかみたいなのが、 この文豪ロボットによって解き明かしてくれるんですよね。
こういう理由でネガティブな感情を持っているんだなっていうのがわかってくると、 なんかネガティブな感情を持っても仕方ないなっていうか、
少し慰めになるというか。 まあ解消はいつかすればいいんで。
もちろん直接の解決になるわけじゃないんですけど、 モヤモヤした気持ちとかなんか失敗したこととかって引きずっちゃうじゃないですか。
あの時ああ言えばよかったとか、 あーあれ準備しとけばよかったなーとかってそういう気持ちを
この自分の苦手な部分を文豪ロボットに出力することで、 こういう理由で僕はいつも失敗してるんだとか、 こういう理由でこういうことが苦手なんだっていうのが
わかってくると、その正体が見えないからイライラしてるだけで、 あまこういう理由だったか確かにってね。
自分で反省する、具体的に反省する感じになって、 結構こう建設的というか、いいんじゃないかなと思ってるんですよ。
でこのダザエオサムの小説自体がユーモラスな感じなんで、 意外とこのネガティブな感情自体も悪くないなっていうか、 面白おかしく捉えられるっていうか。
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この文豪ロボットダザエオサムになれるわけですけど、 このダザエオサムの畜犬団っていう小説がそもそも、
ダザエオサムの中にある癒やしい部分を、 犬として投影してるんですよね。
誰かに媚び、へつらったりとか、 弱い相手にだけ虚勢を張るみたいな、そういう犬っぽい自分の癒やしい部分を
捨てられてた犬っていう形で書いて、 なんかその自分の嫌な部分とどう向き合っていくかとか、
そういう筋の話なんですよね、もともと。 なんでこの自分のわだかまりを畜犬団に当てはめるっていうのは、
この元々のストーリーとも合致してるんですよ。 自分のネガティブな部分を投影していって、それとどう向き合っていくかっていう小説になってるんで、
当然それが犬じゃなかったとしても、 自分の嫌な部分を当てはめるとそれはピッタリくるわけですよね、物語の本筋にはあってるんで。
そうなるとどんどん自分の気持ちを理解するっていうか、深掘りできているんですよね。 だからこの畜犬団っていうフォーマットが、
自分の感情を深掘りするフローチャートみたいになってて、 ただここに犬っていうところに自分の感情を当てはめて、
それに伴う説明を、ああでも確かにこういう考えだったなっていうのを、 ただそこに書き連ねるだけで、どんどん自動で深掘りされていってくれるっていう、
このめちゃめちゃいい文豪ロボットが出来上がるっていう寸法ですね。 ここからもう一個僕の
嫌な部分っていうかネガティブな部分で、 満身ですね。僕はすぐ調子に乗るんですけど、
そのことを考えながら当てはめたとしたら、それを出力したとしたら、 こんな感じになるのかなっていうのをちょっと今から文豪ロボットにやってもらいますね。
私は満身については自信がある。 いつの日か必ず傲慢さですべてを台無しにするという自信である。
私はきっととてつもない勘違いを重ねるに違いない。自信があるのである。 よくぞ今日まで醜態を晒すことなく無事に過ごしてきたものだと不思議な記載しているのである。
諸君、満身は生まれついての佐賀である。 自分のアイディアがうまくいった時、たまさかイライラしている老人を見ただけで優越感を覚えることもある
ではないか。 そんなこともあったなと私は一人寂しく思考しているのである。
満身の訪れるタイミングを見るがいい。 ただものではない。
今はこのようにポッドキャストで無心の風を装い、とるに足らぬもののごとく口を回して最もらしいことを言うなどとしているが、
もともと生意気さに輪をかけたような満身の塊である。 いつ何時ドヤ顔をし、あざけ笑い、その本性を暴露するかわかったものではない。
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満身は必ず鎖に固く縛り付けておくべきである。 少しの油断もあってはならぬ。
世の多くの人間は自ら満身という恐ろしき猛獣を隠し持ち、 これを日々優越感というわずかな報酬だけで全くこの猛獣に心を許し、
なるほど、そういうことね、などと気楽に扱い、 さながら愛すべき感情の一部のごとく本性に近づかしめ、
誰かより上だとか下だとか、心の中で大笑いしている図に至っては戦慄、 目を覆わざるを得ないのである。
みたいなね、
みたいな感じで掘り下げられるっていうか、自己分析が自動でできちゃうみたいな。 これあの、もしかしたらあの聞いている人からしたら、
あーふーんってね、あーって、なんとなく聞き流す感じになってるのかもしれないんですけど、 やっぱこう自分でやると意外と解剖されるっていうか、解明されるのが気持ちいいんですよね。
嫌な感情って、嫌な感情自体は、 自信がないじゃないけどもやもやしてあんまりこう遠ざけたくなる感情じゃないですか。
ただ嫌な感情を思う気持ちって、 僕は人付き合いが苦手だとか、僕はすぐ調子に乗るっていう、
その、 自分に嫌なところがあるっていうことに関しては自信があるじゃないですか。
だいたいこう、こういうエピソードがあってとか、こういうシチュエーションだとこういう考え方をしちゃうから僕は、
ちょっと調子に乗りがちだっていう。 だから嫌だな嫌だなーって思う気持ちが強ければ強いほど、
その嫌な感情が発生するための原因っていうか、 プロセスみたいなのが分厚くなっていって、
この文章に当てはめた時にどんどんエピソードみたいなのが出てくるんですよね。 その嫌な感情を持っていることには自信があるから、なぜなら。
なんかこういう感情に至るプロセスがどうみたいな、至る道がどうっていうのを最近僕のブームで、
ちょっと前に哲学のライトな話をしてみたいとかって言ってたんですけど、 それで14歳から始める哲学みたいな、
すごいライトな哲学入門書を最近読み漁ってて、 その中で
デカルトの我思うゆえに我ありっていう有名なフレーズっていうんですか、 考え方があるじゃないですか。
これ僕何のことか知らなくて、 我思うゆえに我ありが何を意味しているのか全然分かってなかったんですけど、
なんかこれ、 デカルトさんが何かを考えるにしても前提がはっきりしてないと、
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その前提がひっくり返った時に、全部今まで考えたこと無駄になっちゃうよねって思って、 考えられることで確かなものっていうのは何なんだろうみたいなのを考えた時に、
出てきた話らしいんですよ。 デカルトさんはもしかして全部、
この世は嘘かもしれないみたいな、全部に疑ってかかって、 自分の目の前にあるリンゴももしかしたら、今夢の中でリンゴを見てるだけで目の前にはないのかもしれないとか、
この目の前にある世界っていうのは悪霊が見せている原影で、 もしかしたら自分はこんな世界みたいな場所にいないのかもとか、
そうやって疑いだしたら全然信じられるものがどんどんどんどんなくなっていったんですけど、 そういうことを考えている自分っていうのは、
どんだけ疑ってもいるんじゃないかなみたいな。 もし考えていること自体が
幻とか夢であったとしても、考えているっていうこと自体は疑えないのかもねっていうのを、なんか我思うゆえに我ありって表現したらしいんですよね。
だから考えている私っていうのがいるから、これから哲学とかでいろいろ考えていくときに、考えている私がいるっていうの確実だからここからいろいろ考えていきましょう、みたいな話がなんか、
我思うゆえに我ありらしいんです。もしかしたら皆さん知ってるかもしれないですけど、 ちょっと僕ね、あの無学なもんで、最近知ったんで、ちょっと話したくなって今話したんですけど、
これ畜券壇も一緒だなと思ってて、 あれ苦手だなぁとかあれ嫌だなぁって思う、その考えに至るプロセスには自信があるっていうかね。
自分が嫌いなこととか苦手なことっていうのは自信のないことって言えるかもしれないけど、 これに自信がないっていうことには自信があるみたいな。
だからこのネガティブなエネルギーを ほったらかしてても自分にマイナスなパワーをただ与えるだけなんで、どうせだったらこういう
なんか面白い感じに、文章に 出力できたらいいのかなっていうね。
でなんかこういうのを書き出すとブログとか日記とかそういうのを書く習慣がついたりとか もしかしたらするかもなぁと思って、今日はそんなね
文豪ロボットを稼働させて日々のQOLを上げていきましょうっていう そんな話でした。
皆さんもぜひねなんかモヤモヤすることがあれば文豪ロボットを稼働させてみてください。
あとあのこの太宰治の畜券壇ってめっちゃ短い話なんで、 めっちゃ面白いんで、この
笑える感じっていうかユーモアがずっと続いて、最後まで面白いお話なんで、 もし
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気になる方がいたら青空文庫で無料で読めるんで
読んでみてください。
それじゃあこんなところで、ご静聴ありがとうございました。