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  2. Ep.30: 退職エントリ
2024-05-01 15:34

Ep.30: 退職エントリ

TBSテレビを退職し、家業アトツギします。

退職の背景と家業
MAYO
Beside the Seaside プロデューサー兼 家業アトツギの永野 真代です。
MISAKI
アートディレクター 兼 デザイナーの 髙橋 美沙紀です。
MAYO
東京と茨城の海沿いの町との 二拠点生活をしている私たちが、
人生のA面、B面、C面について あれこれと語る言語化雑談番組です。
MISAKI
拍手
MAYO
今日は、退職エントリです。
およそ20年勤めていたTBSテレビを、2024年4月に退職しました。
2005年に入社して、主に報道で、カメラマン、報道記者、ディレクター、プロデューサー、
さらには人材開発の部門で、企業内大学を立ち上げたり、
新入社員研修から役員研修までの 階層別研修のデザインをしたり、
結構いろいろなことを本当にさせていただいて、感謝しかないキャリアでした。
MISAKI
こう、Facebookでもさ、投稿してたじゃない、その退職の。
MAYO
エントリね。
MISAKI
そう、エントリ。
あの退職エントリを見て、マヨさんがTBSで歩んできた20年の、
退職の決断と介護の理由
MISAKI
いろんな重みだよね。
重みを感じて、ちょっと胸が熱くなってしまって、ちょっとそんな感覚があった。
MAYO
ありがとう。
MISAKI
結構さ、その20年勤めてさ、その退職辞めるっていう決断はさ、
結構大きいと思うんだけど、それはさ、どういう理由があって、
どういうきっかけで辞めようっていうふうに思ったの?
MAYO
きっかけは介護だね。
父の介護が始まって、でも東京での育児はあって、
私が2拠点を往復しているその生活と、あとは家業と、
その両立だけでも結構大変なんだけれども、そこにTBSでの現場での仕事、
それを両立するのはちょっと難しいかなって思った。
MISAKI
それは時間的なことだけじゃなくてっていうことだよね。
MAYO
そうだね。
時間もそうだし、精神的にもそうだし、やっぱケアってすごく精神的にもエネルギーを使うので、
それを2拠点でやってるってだけでも相当なタフなことなんだけれど、
なかなかそれを分かち合える人もいない中で、さらに報道、
最後、報道特集っていう番組にいたんだけど、
かなり重いネタを本当に血へど吐くくらいのみんな勢いで作ってたから、
それとの両立は相当難しいなと思った。
どっちも真剣に真面目にやりたいんだけれど、
自分一人の体でやるのは難しいかなと思った。
だからTBSでの仕事が嫌になって辞めるわけでは決してない。
できるものなら続けたかったし。
だけど自分の運命がそうじゃないっていうところで、
家族を捨てられるかって言ったら答えはノーだったっていう。
新たな事業への展望
MAYO
それだけだよね、シンプルに言えば。
MISAKI
家業があるから、より茨城で何とかしなきゃっていう感じなんでしょう、きっと。
MAYO
一番はやっぱケアかな。
例えば父親が東京に来てくれれば、
1拠点で2つのケアが、育児と介護ができるんだけど、
それは父親は嫌がって、茨城がいいって言って、
子どもたちはもう小学校の高学年なので、
お友達もできていて、自分たちの将来っていうのも東京で描き始めているから、
茨城に行くのは嫌だ。
それを尊重すると2拠点になったっていうことだよね。
だから家業っていうよりもまずはケアかな。
MISAKI
それぞれの意思を尊重すると、やっぱ2カ所でケアをしなきゃいけなくなったからっていうことね。
MAYO
そうだね。
家業そのものは祖父が茨城で立ち上げて、父が大きくしたものなので、
茨城でやるのが筋だと思いつつ、
私は完全移住は難しい中で、
生計できるかなっていうのを1年間ずっとケアをしながら考えたんだけど、
やるしかないかなと思って、やるっていう感じです。
やってみたいなとも思うしね。
私は今関係人口、茨城からしたら関係人口なんだけれども、
関係人口として事業生計をする、家族内生計をするっていうことが可能か否かっていう、
誰も見たことも聞いたこともないようなことをやってみようって思えるようになったからかな。
MISAKI
強く思えるようになったからっていう。
MAYO
そうだね。
なのでまずは家族かな。
家族を捨てられるかって言ったら答えはノーだった。
じゃあその先どうやって子どもたちご飯食べさせていこうかっていう時に、
家業の伝統と革新を関係人口として起こすことはできないかって思ったのかな。
流れとしてはそんな感じ。
MISAKI
今後の展望みたいなのは、ちょっと見えてたりするの?
MAYO
もともとは旅館業をやっていたので、
その旅館業、今はちょっと休業しているんだけれど、
それを令和版の形でさらに関係人口として経営していける形にできないかなっていうのは、
長期目線で考えたいなと思っていて、
地域経済や地域社会っていうのも鑑みて事業設計しなきゃいけないと思うので、
それは長期目線で考えるとして、
今はメディアライズっていう事業を立ち上げようと思っています。
MISAKI
メディアライズ?
結構初めて聞く言葉かな。
メディアはよく聞く言葉ではあるけど。
MAYO
そうだよね。
メディアライズって言葉自体は、私が作った言葉ではないんだけれど、
自分がやりたいことは何かなっていうのをこの1年間ずっと探し続けていて、
自分のそのwill can doを、兼ね備えた事業なんかないかなって言ってたどり着いたのが、
メディアライズっていう言葉だったんだけれども、
まずメディアライズっていう言葉なんだけれども、
ポピュライズとの比較で考えるとわかりやすいかなと思って、
ポピュラーっていう言葉からのポピュライズは、
何かを一般の人々にもっと広く知られたり受け入れられたりする、そのプロセスのことを指すと。
その文化的な傾向や現象、もしくはサービス、特定の製品を、
より多くの人に宣伝すること、みたいな。
MISAKI
それがポピュライズ。
MAYO
メディアライズは、メディアをもってして、何かをより目立たせたり目立つようにしたりするプロセス。
ポピュライズには多分、道具とかは特に言及されてないんだよね。
MISAKI
手段は何でもいいの?
MAYO
一方でメディアライズは、明確にメディアでもってして、メディアチャンネルを通じて、
特定の製品、商品、問題、トピックスに注意を向けるようにするプロセスなんだよね。
それが私が今までメディアに約20年身を置いたからこそ、
メディア側から見た視野、視座、視点。
メディアに身を置いた人間だからこそ手に入れた視野、視座、視点、みたいなものが、
まだ世に埋もれている、とっても素敵な取り組みや事業やサービス、みたいなものを
目立たせたりすることはできやしないかと思って、できたらいいなと思って立ち上げる。
MISAKI
マヨさんのフィルターがあるからこそ、増幅装置になって、より広がるんじゃないかとか、
っていうことだったりするのかな。
MAYO
そうだね、具体的にどう目立たせたり、目立つようにしたりするかっていうのは、
これから試行錯誤しようと思っているんだけど、
少なくとも他の人があまり持ってないっていうのは間違いなく、
メディアの中の人間としての視点を持ちつつ、
メディアの外に出てみたっていう人っていうのはなかなかいないと思うので、
その架け橋になれたらなって思っている。
メディアライズとポピュライズの関係
MAYO
それが短期的な目線かな。
もっと言えばメディアライズっていうのは、
もうその商品や製品や取り組み、仕組み自体そのものがメディア性を帯びることによって、
素敵なことが目立つ、勝手に世に知られていく。
その触れた人たちが幸せになっていくみたいな、
そのお手伝いができたらなぁと思っている。
MISAKI
ごめん、もう一回。ちょっと理解が追いつかなかった。
MAYO
本当?なんかね、今はさ、やっぱりマスメディアみたいなもの、
それからSNSみたいなものを通じて、
ポピュライズしていこうと。
MISAKI
それがポピュライズの方なの?
MAYO
多分ね、ポピュライズの方が大きいんだろうね。
この間のさ、あおなじみの話じゃないけどさ。
ポピュライズの中にメディアライズがあるんだと思うんだけど、
私の中では少なくともそう解釈しているんだけど、
ポピュライズの中でもメディアを使って、
目立たせたり、目立つようにしたりするプロセスはメディアライズなんだと思うんだよね。
MISAKI
なるほど。
MAYO
なんだけど、今はメディアを何かしら使わないとできないプロセスって定義されちゃってるが、
でも自分たち自身がメディア性を帯びれば、
別に使わなくても発信できるんじゃないかと思って、
ソーシャルビジネスとビジネスモデル作り
MAYO
その発信力強化のお手伝いみたいなものもできないかなと思ってる。
MISAKI
なるほど、そっかそっか。
MAYO
それが今私にできることと、地域にお返ししていきたい、
グローカルに何か価値を提供したい、
価値を受け取った人たちが、
ウェルビーイングであってほしいっていうのと合致するかなと思って、
そういうのをソーシャルビジネスとかやっている人たちに向けてできたらいいなと思ってます。
MISAKI
それは何?ここ1、2年でやっぱり考えた、まとめていったことなの?
MAYO
そうだね、本当。
でもいや、もうここ1年なのか、それともここ数ヶ月なのか。
MISAKI
あ、そうなの?
MAYO
うん、全然そんな、もう何年越しの温めたものでもないので、
だからまだフワッとしてるんだけど、
ずっと社会を見つめ続けてきたっていうのはあるので、
そしてこう、社会に還元したいっていう気持ちもあるので、
それはここ数ヶ月で始まった話ではないんだけれど、
この事業そのものはもう本当にここ数ヶ月で考えたものかな。
MISAKI
なるほどね、そっか。
いやなんかこうやってさ、起業っていうのかな、
どうやってビジネスモデル作るのかなとか、
すごいそういうところに結構興味があったりとか個人的にはするから、
それには結構長い時間が必要なのかなとか勝手に想像したりするんだけど、
MAYO
ドキ。
MISAKI
いやでも結構出来上がってるよね、そう考えると。
MAYO
あ、本当?
うん、ビジネスモデルと言えるものはまだ何かないんだけれど、
あるようでないようでないようであるような感じなんだけれど。
MISAKI
まだまとまりきってないっていうのもあるだろうしね。
MAYO
そうだね、なんだけど、今もうすでにお声をかけていただいているので言うと、
茨城の事業者さんの発信力強化。
その事業者さん本当に素敵なソーシャルビジネスをされていて、
でも全然知られてなくて、茨城では知られてると私は思っているんだけど、
まだ世の中的には知られてないっていう課題感をお持ちだったので、
そこの伴走をしてみたり、
あとは研究と社会やビジネスって今すごく分断されている。
研究も素敵なすごく価値のあることをしている人や、
研究ってあるのに、それなんか全然世の中に伝わってないよねっていう、
そこを解決しようとしている企業があって、
そこのメディアアドバイザーみたいなお声掛けもいただいてるし、
まさにそういうことなんだよね。
なんか特にみんなにわーって言ったつもりはないんだけれど、
そういうのを見出してくれる人がいるっていうのは、
なんか日本も捨てたもんじゃないなっていう。
MISAKI
そういう光を当てていく人になるんだ。
MAYO
はい、いけたらいいなって思ってます。
MISAKI
素敵。
MAYO
もしこれを聞いて、
じゃあこういうところを手伝ってほしいみたいなとか、
こんな事業一緒にやりたいっていう人がいたら、
ぜひお声掛けいただけると嬉しいです。
番組では皆様からもお悩みやエピソード、トークテーマを募集しています。
メールアドレス、bcside2@gmail.com です。
MISAKI
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
MAYO
それではまた次回。
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