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真夜中の読書会おしゃべりな図書室へようこそ。
こんばんは、KODANSHAのバタやんこと川端です。
真夜中の読書会おしゃべりな図書室では、
水曜日の夜にホッとできて明日が楽しみになる
をテーマにおすすめの本や漫画、紙フレーズをご紹介します。
第120夜を迎えました。今夜のお便りご紹介します。
長尾ちゃんさんからいただきました。
バタやんさん、こんにちは。
いつも楽しくラジオを拝聴しています。
ありがとうございます。
ある日、私のインスタグラムに少し苦手な人が出てきてしまいました。
推しの強い人というか、彼女の投稿にイライラしてしまって、
でも地元が同じなので、うまくやっていかないといけません。
少し自分が疲れているのかなと思いつつ、
もやもやして気持ちが晴れません。
こんな悩みに聞く本があれば教えてください。
とリクエストいただきました。
ありがとうございます。
いやー、今ね、近所でお付き合いがある人のSNSでもさらに別の側面というか、
強調された側面も見えちゃったりしてね、
わーってなることありますよね。
今日はちょっとこのもやもやにお答えする前に、
もう一つ面白い、面白いって言ったらあれですが、
興味深いお便りがあったのでご紹介させてください。
ユミママさんからいただきました。
ちょっと回つまんでお話ししますね。
私がある回で、このポッドキャストのある回でご紹介した、
お勧めした方が、
このポッドキャストはいつも何かを褒めたりお勧めしたりしているので、
ディスったりはしてないんですけど、
お勧めした方がユミママさんにはあまりお好みではなかったと、
それでちょっともやもやしてしまったということなんですね。
ユミママさんの表現をそのまま読みますと、
勝手に理想的な友達だと思っていた女の子が、
全然おいしくないパステ屋さんを非力にしていると知って、
ちょっと違和感みたいになってあって、
あーすごくそれわかるなぁと思って、
うまい表現だなぁと思ったんですね。
私もありますね。
子供の頃からあるかな、そういう気持ちって、
あの好きな友達がなんとかちゃんって面白いよねとか言ってる、
そのなんとかちゃんを、
私はあんまり良いと思ってなかった時に、
なんか仲良くしない方がいいよとも言いづらいし、
でもあんまり親しくしてほしくないなぁと思ったりする気持ちってあって、
大人になったらなったでね、
最近はそれこそインスタなんかがあるから、
自分と趣味が合うなって思ってる友達とか尊敬してる人とかが、
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この人はあんまりって思ってる人と一緒にご飯に行ってるっていうのがインスタで見えたりとか、
しかもこのお店私が紹介した店じゃんとか思ったりしたら、
超モヤモヤしたことありますね。
この感情なんでしょうね、この感情に名前をつけたいですね。
嫉妬とか独占欲とかともちょっと違うんですよね。
その人どうかなぁっていうか、
価値観が合ってるって思ってたのに、そこが違うとこにちょっとショックを受けるみたいな感じですよね。
その感情のネーミングのお話を置いておきまして、
ゆみままさんのそんなモヤモヤしちゃった気持ちをリセットするような本があればっていうリクエストでした。
先ほどご紹介した永尾ちゃんさんの、自分とは好みの合わない推しの強いインスタにモヤモヤしちゃってっていうのと同じで、
お二人ともちょっとそのモヤモヤした自分自身にも若干自己嫌悪っていうか、
自分が意地悪なんじゃないかって思ったりとかね、そんな感じの時にスッキリする本をっていうリクエストでした。
お二人におすすめしたい本を見つけました。今夜の勝手に貸し出しカードは、
加納愛子さんのこれはちゃうかにしました。
こちらはですね、加納愛子さんって、えーっと、Aマッソっていうお笑い芸人の一人ですが、
彼女の初の短編小説集となっております。
どれもすごくね、好きなんですよ。好みだったんですけど、
永尾ちゃんさんには最終日っていう短編集を、弓ママさんには両犬の餅っていう小説をぜひ読んでほしいなと思ってこの本を選びました。
どんな小説たちか、なんでこの本をおすすめしたいと思ったのか解説していきたいと思います。
さて小説の解説に行く前に、まずはAマッソ加納さんのお話をしたいんですけれども、
読書好き芸人としても知られていますね。
彼女は小説の中からもきっと読書が小説がお好きなんだろうなっていうのが感じられる気がしました。
岸本幸子さんの訳した本が好きって何かのテレビでおっしゃってた記憶があるんですけど、
読んでみて確かに岸本さんが訳される小説に出てくるような、ちょっと変わった女性というか癖のある変な女の人みたいな、そんな片鱗が見えた気がしましたね。
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コテコテの大阪弁なんですけど、ちょっと翻訳もののようなニュアンス、言葉運びを感じました。
これは茶浦はですね、真っ赤な表紙でね、多分たくさん相当な部数を積んでいると思われ、今本屋さんに行くと多分ドドンと積んでありますね。
なんで私がこれを読もうと思ったのかっていうと、
エマソカノーさんが好きなんですけど、エマソカノーさん及びお笑い芸人の特に女芸人のツッコミの人っていう人には強い憧れがあるんですよ。
なんでかっていうと、コミュニケーションの反射神経が鈍いって、
カバちゃんはコミュニケーションの反射神経が鈍いよねって、以前にね、前編集長に言われたことがあって、
リアクションが悪いみたいなことだと思うんですけど、
例えば言われてイラッとしたことがあったとしても、あーって一回受け止めて、
後々じわじわ、あの言い方ないだろうって怒りがこみ上げてくるみたいな感じで、
その場でパッと何か言ったり返したり、それこそ食い気味に返すみたいなことはあんまりできないタイプなんですよね。
その辺が反射神経が鈍いと言われたらその通りだなって思ったんですけど、
お笑いのボケとツッコミの方って、
ボケの人がちょっとイライラさせるようなことを言ったり、
繰り返ししつこく言ったりして、
それをツッコミの人がやかましいわとかちゃうやろうとか何遍やるねんとかって制するわけですよね。
ツッコミっていうのはいわば観客側の代表っていうか、
お客さん側の視点で思ったことをスパッと言ってくれる。
かぶせ気味で言ってくれるっていう、そこが気持ちいいんだと思うんですよ。
私はなんかそういうことがあんまりできないから、
先に怒ってくれて嬉しいみたいなのがお笑いの楽しみなんですけど、
加納さんは割と辛口というか独善というか、
口が悪いタイプのツッコミなんですよね。
私が思った以上に悪口をスパッと言ってくれそうな期待感があるっていう、
だから好きなのかもしれません。
多分私もユミママさんも長尾ちゃんさんも、
ネガティブな感情を持った時に、自分が悪いっていうか、
こんなことを思った自分が意地悪みたいに、
一度自分の気持ちを制しちゃうタイプなのかなと思うんですけど、
でも加納さんならそういうことがあった時に、
うわーめっちゃおしつよー。
この投稿承認欲求あふれ出てもってるやんとかなんとか言ってくれそうじゃないですか。
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いやもうちょっと薄髪でくるんでやとか、あざといやざといとか、
勝手な想像ですけど、
自分が思った以上に悪口をスパッと言ってくれそうな期待感があって、
なんかこの方にはそういう感じがあるというか、
自分とはちょっと違う感じで、
自分の嫌なところ、嫌な感情とか、
計算したり計算高かったり企んだり、
誰かを嫌いって思ったりとか、
そういう気持ちが素直に発露されているところに、
気持ちがスッとするなーって思ったのでした。
このこれはちゃうかについてのインタビューで、
加納さんが読者の方たちから、読んだ方たちから共感したっていう言葉を、
たくさんいただいてびっくりしたっておっしゃってたんですけど、
それでみんな共感したいんだなーってすごく思いましたっていう話をされてたんですよ。
でも共感しなくてもいいのにって書いてあって、
なるほどって自分とは全然違うっていうのもあっていいんじゃないかっていう話だったんですけど、
帯には共感、意味も救いも共感もあるのやらないのやらって書いてあって、
どの小説も確かにその通り意味も救いも共感もあるのやらないのやらっていう話なんですよね。
そういう共感じゃない楽しみとか救いもあるんだなーってすごく思いました。
例えば一編目の両犬の餅っていう小説は、
同じアパートに住む友人の部屋に遊びに行くっていうだけの話なんです。
主人公は遊びに行く前に、その子の部屋の扉を開ける前にですね、
どんな格好で行って、どんな反応があるか、
どんな話をどんな順序でしようか、どんなテンションでしようかみたいなことをすごいシミュレーションしてて、
それに対して相手からどんなリアクションがあるか、相手の反応も含めてめちゃめちゃシミュレーションしてるんですよ。
でも行ってみたら、その彼女の方がちょっと元気がないっぽいっていうのが判明して、
どう対応するかっていう話なんですけど、
これを読んで思ったのは、カノーさんも本人とこの小説に出てくる人がすごくイコールかどうかわかりませんが、
普段からこんな風にこう、どういう風に言ったらどういうリアクションが来るんだろうとか、
この人に会ったらこういう話とこういう話とこういう話をこんな順序でしようとかを、
めちゃめちゃシミュレーションする人なのかなって思ったんですよ。
私はさっき言ったみたいに反射神経が鈍いから反応できないって思ってたけど、
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無計画だから反応できないっていうのもあるのかなと思って、
こんなにシミュレーションしてたらさすがに反応できるよなって思ったりして、
ひな壇芸人の人がいつでも立ち上がれるように前傾姿勢っていうか、
あんまり深く腰掛けないとか言ったりするじゃないですか。
それと同じでこう、ゆったり座っちゃうとそれは確かに反応もできないなって、
反省したわけじゃないけど、違うタイプのコミュニケーションの取り方をする人に学ぶことがあったっていう感じですかね。
タイプが違うからとか、私はそういうタイプじゃないからって自分を決めつけたり分類するのも違うのかな、
これはちゃうのかなって思ったという感じです。
さて今日はご紹介したいと思ったもう一つの短編、最終日から紙フレーズをご紹介したいと思います。
流行りの映画を見に行っちゃう私 流行りの服は着たいけど避けたい私
浅い交友をする私 それをSNSに載せる私
いやそんなのは決して載せるもんかの私 理想通りじゃない私
日常のいろんな選択に対して 自ら下す評価に振り回されるのは疲れる
常に何かを批判したり肯定したり 生産性のないうるさいだけの脳内には飽き飽きだ
とあります。
これは最終日という小説なんですけど、主人公が何かのイベントの最終日に行ってそれを投稿するっていうのを
ルーティンにしているというか、そういうアカウントにしているって話なんですね。
フェルメール店とかの最終日に行ってその様子を投稿したりしているっていう話なんですけど
この何かの良い悪いとか、それが自分ぽいか自分ぽくないかとか
自分が自ら下す評価に振り回されて疲れるなって思うことってすごくあって
小さな判断をたくさんしているし、人に対しても批判したり肯定したりっていうのは小さな判断ですよね。
そのこと自体に疲れるっていうことってすごくあるなって思いました。
と同時にまたすぐこうやってたやすく小説の一節に共感しちゃった自分にも
あーってなって疲れちゃうっていう日もありますよね。
タイトルはこれはちゃうかなんですよね。
それは今ちょっと共感しちゃったっぽく言ったけど
これはちゃうか、ちゃうかな、ちゃうかもしれんなーって思うこともあるっていう不思議な小説です。
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コミュニケーションの反射神経が私も鈍めかもって思う人は
ぜひ読んでご感想を聞いてみたいなって思います。
リクエストありがとうございました。
これは私の好みとはまた違うなーって思われちゃうかもしれないですけど
これはちゃうなーも含めて楽しんでいただけたら嬉しいです。
さて今夜もお時間になってしまいました。
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それではまた来週水曜日の夜にお会いしましょう。
おやすみなさい。おやすみ。