ケータイの黎明期
あちらの奥のテーブル席に、ITに詳しい3人が、黎明期のインターネットについて語ってますよ。ちょっと聞きに。
はい、場末のラジオでございます。今回もこの3人のおっさんたちでお送りいたします。はっしーです。
はい、さとおっさんです。
えこぞうさんです。みんなよろしくね。
はい、よろしくお願いします。
さあさあ、今回のテーマはですね、ケータイですね。
漢字じゃなくてカタカナで伸ばしてケータイですね。
スマートフォンより前ということですけども、いわゆるガラケーですよね。
そうね。
ガラケーじゃなくて海外のものも後半入ってきましたけど。
ちょっと振り返ってみたいと思うんですけども。
皆さんはいつ頃ケータイを持ち始めたんですか?
24か5歳ぐらいの時だったの、自分は。
同じくらい。
28年ぐらい前。そんな感じ。
社会人になってからですね。
そうだね。
ショルダーホンとか持ってなかったですね。
さすがに。あれは衛生兵が持つものであるからね。
そうですね。
地方によっていろいろね、どこもはどこもっていうので全国でありましたけども、
地方地方でまたいろいろ事情も違ったりもするんですけども、
さとおっさんはドコモって言った?最初から。
自分で使ったのはどこも最初なんですけど、その前に売る方を先にやったっていうね。
そうなの?
とあるホームセンターでセルラーの携帯を販売することになってですね。
売る方を先にやったんです。その当時まだアナログの携帯ですね。
やっぱまだ当時アナログだから、電波悪いとFMラジオみたいな感じでザーって言ってたんですよね。
セルラーホン。
その場合は東北セルラーになるのかな?
地域ごとの移動通信会社の変遷
東北セルラー、なるほどね。
こっちは沖縄セルラーだな、じゃあ。
沖縄セルラーがね。
セルラーホンでしたね。
東海セルラーとかね、いろいろありましたよね。
でも確か関東はIDOでしたよね?
IDOでした。
そうなんだ。
IDOでIDOです。
あった。
聞いたことがあるよな。
セルラーだと移動地域はローミング扱い?
ローミングね。ローミングってありましたね。
移動するとその地域の提携している電波をつないでやってくれるっていう。
今では海外とかでありますけど、国内でしたからね、昔はローミングでね。
すごいね。よく考えたらすごいね。
その移動っていう会社が、あれは何のタイミングになったんだっけ?
現在のauになったんですよね。
そうですね。
その辺からいろいろ東海号も始まって、デジタルに移行する頃に東京デジタルホンっていう関東でですね、
東京デジタルホンっていうのが出てきたりとか、デジタルツーカーとか九州のほうとか出てきまして、
auがCD、IDOかまだIDOだったけど、CDMA1とかね。
デカプリオがCMやってたやつ。
デカプリオやってたんですか?
デカプリオやってたよね。CDMA1ね。
CDMA1は僕の記憶だと織田裕二が、それまでドコモのCMに出てたんですよ。
CDMA1が始まった途端にIDOのコマーシャルに出てきたんですよ。
ああ、そうだった。
織田裕二が電話かけてて、もしもし、あん、つながんないなクソって言って、
帰るかって言って、IDOのお店に行ってCDMA1に帰るっていう。
CMだな。
華麗なる転職じゃないですけど。
その頃にドコモがポケベルやってた広末涼子がそのまま携帯に移ったっていう。
そうですね。
なんかそんな流れですね。
ドコモっていうとポケベルの会社だったんですよね。
それが携帯の会社として認知され始めたというか。
なるほど、ポケベルだったのか。
もともとは自動車電話の会社だったんですけどね。
若者がポケベル使いまくってたんで、ドコモのポケベルみたいな感じ。
なるほどね。
沖縄はね、沖縄テレメッセージっていうところがポケベルやってたんだよな。
テレメッセージありましたね。東京テレメッセージとか、栃木テレメッセージとかありましたね。
学生さんはテレメッセージってイメージ。
世界人はやってなかったのかな。
なのかな。手軽かったんだろうね、きっとね。
そういや、ドコモの正式な社名って当時覚えてる人どんぐらいいましたかね。
いなかったね。
なんなの?
NTT移動通信網。
略してドコモ?
いや、ドコモはDo Communication Mobileの略で。
へー、なるほど。
今、会社名がもうNTTドコモになっちゃいましたからね。
なるほどね、そういう歴史があるわけだ。
初期の携帯電話の仕様と電話番号の変化
そう、だから当時ね、また学生だったのかな、ギリギリ。
学生じゃないか、社会人になってたな。高かったんで、ドコモの携帯自体も高かったし、
あと、プランもね、ちょっと高かったんですよ。
高かった。
友達は土日だけ、ドニーチョみたいなの契約してたから。
あったなー。
あと、昼間はあんまり使わないで、夕方安いプランとかありましたよね。
そういうのをいろいろやってたんですけど、
僕は、そんなわけで東京デジタルホンにしたんですよ。
東京デジタル本が秋葉原のサトームセンかなんかで安くて、初めて買ったんですよ、携帯をね。
ケンウッドね。
ケンウッドね。
無線機みたいなやつですね。
2行ぐらいしか画面が出てこない。
メモリも20件か30件ぐらいしか入ってないじゃないかな。
十分な感じだったんで。
ところがね、自宅に帰ったら県外なんですよ。
経験者語る。
そうなんです、県外なんです。
だけどその頃イエデンがあったので。
イエデンあればいいじゃん、自分の行動範囲が流ればいいじゃん、みたいな感じで。
部屋に電話があったんで部屋に電話かけてもらってね。
それでそれ十分だったんですけどね。
当時はね。
東京デジタルホンだったんですよね。
デジタルだから音がいいとかいうふりでしたね。
言ってたような気がするな。
確かに通貨。
音はいいけど切れるんだよな。
チンって。
切れるときは。
アナログはザー言っても繋がるけど、デジタルは問答無用で切れましたね。
そっか。
ピーピーピーとか言いませんでした?
そう言ってた言ってた。
もうすぐ切れますよみたいなとき。
あー言ってたね。言ってたねそういえばね。PPになってたね。
やってましたよね。
今聞かないね、そう考えたら。
すごいな。
あと忘れもしない電話番号が変わる仕組み。
030から。
040。
040とか07080とか。
当時初期の頃の携帯だと100キロ超えると番号が040になるんですよ。
そっち?
100キロ超えるとってどういうこと?
つまり、移動中の固定回転からかな。
100キロ以上の遠距離の通話の場合には030じゃなくて040でかけないと繋がらないみたいな話があったんですよ。
へー。
長距離電話ってことですか?
そうそうそう。
へー。
そういう仕様が初期の頃あったんですよね。
それは相手の電話番号?
要は携帯にかけるとき。
携帯にかけるとき?
携帯にかけるときにAとBが話すときにAとBの距離感ってこと?
そうそうそう。
これって基地局経由で何キロぐらい離れてるからとかっていう感じだったのかな?
そういう感じだと思うんですよ。
へー。初めて知った。
へー。
勉強になるな。
当時そんな遠くの人にかけたことないからわかんないな。
だって沖縄100キロぐらいだからな。
県外でかけないと。
県外でかけないといけない。
そんなことがあったんだ。
あったんですよ。
どれぐらい距離離れてるか考えないといけなかったわけだね。
東京にかけるからみたいな感じとかそんな感じ?
そうそうそう。
あーなるほど。
なんかあれですね。市外電話をかけるから0088をつけようとかそんな感じですね。
あーあったなー。
そんな感じですねイメージ的にね。
そんな感じだね。へー。今だと不思議だね。
そう変なあれでしたね。
あとは増えて番号が変わるという。
桁が増えましたよね。
ケータイの進化と桁数の変化
今まで030の人が090の後に何かが3がついてるみたいなね。
8だったかね。
これで10桁が11桁になったっていう。
あーそっか。
あったね。
そのデジタル本を契約したときにちょうど東京では今はの清代とかがコマーシャルやったんですよ。
その時に買った時に自分の電話番号のスタンプをノベルティでもらいました。
へー。
清代のマークがついてる。
スタンプっていうのがいいですね。スタンプってあれゴムインみたいなってこと?
ゴム印のシャチハタみたいに長いんだけどね。
へー面白い。
友達に教えやすいよみたい。
でも桁が変わっちゃったから使えなくなっちゃった。
手書きでよしみたいな感じだね。追加よしみたいな。
なるほどそんなのもあったんだ。
すごいな。知らないことだらけだ。
その頃ってPHSもそうですけど結構タタで配りまくってたりしましたよね。
それこそ0円とかね。
ありましたね。
初期の値段とはもう見違えるくらいに安くなった。
進化が早いから毎年のように買い替えてましたね。
そうなのそうなのね。不思議だよね今考えたら。
今僕の目の前にはですねガラケーが9台並んでます。
歴代のやつですね。
歴代のモデルが本当にこれ1年ごとぐらいでしたよね。
すごいよね。今でも電源入れたらついたりするの?
いやーつかないですね。
ドコモってやっぱり王道じゃないですか。
だから王道のP、それからN、あとD、ダイヤモンド。
あとは富士通のFね。その辺が王道でしたよね。
ソニーもあった?
ソニーはね初期の頃はパワードバイソニーみたいな感じで
サブブランド的な扱いだったんですよね。
サイドのダイヤルがついてた機種を出した。これはそうだった。
ジョグダイヤル。
そう。それがiモードあたりになってからが正式にNとかFとかと同じ並びになった。
そうなんだ。
持ってましたよ。ジョグダイヤルがマウスホイールみたいになってるやつのSを。
横じゃなくて真正面についてる。
十字キーの真ん中とかについてるやつ。
文字入力がホイールでできたんですよ。
そうなの?
一覧のところをホイールで回すとカーソルが動いて、それで押し込んで入力をするっていうそういう方式があった。
へー。
地味に便利でしたね。
すごいね。
それに比べてデジタルホンとかJフォンは企業の参入障壁が低かったんでしょうね。
うんうん。
結構東芝とか。ケンウッドもそうですけど投資はもそうだし、後に出てくるシャープだよね。
シャープね。
シャープもどこまでも出してたけど、4番手、5番手くらいの感じの動きだったんですけど、Jフォンではナンバーワンでしたね。
なるほど。
あとね、パイオニアとかね。
あったなー。
各キャリアの変遷と機種の進化
パイオニアが全面液晶も出してたんですよ。
出してたよね。見たことある。
iPhoneの何年も前に。
これが本物だみたいな感じ。あったよね。あ、そうか。パナソニックじゃん。そうか。パイオニアか。
うん。パイオニアですね。だから結局カメラ付き携帯もドコモにシャープが持ってったら断られて、Jフォンに持ってったら採用されてっていうところですね。
なるほど。
前回も話したかもしれないんですけど、その当時、ドコモの回線は添付ファイルができなかったんですよね。
うんうん。
なので、JフォンのJスカイメールっていうのは本当に普通のEメールの形式を取ってたので、添付ファイルができたんですよね。
うんうん。
だから結構相性も良かったですね。カメラ付きで。
そうですね。送るみたいな感じだね。
あ、そうか。
カラー液晶を初めて出したのが確かJフォンじゃないかな。
あ、そうなんだ。
僕の目の前にもありますけど、初のカラー液晶が。
当時のカラー液晶って何色ぐらい出るんだろう?2頃ぐらい?
そうですね。これは256色で、その次に爆発的にヒットしたのがシャープのSH-07ってやつなんですけど、これは折り畳み形態で6万5千色なんですよ。
おーすごい。
フルカラー。TFT液晶で。
フルカラー。すごいな。
で、カメラも付いてて、着メロとかなんかいろいろあって、いわゆる全部入りって言われてるんです。
そっか、全部入りか。懐かしいな、なんか全部入りっていう表現が。
表現がありましたよね。
ありましたよね。
で、各社一斉に発表するじゃないですか、この夏のモデルですみたいな。
ずらーっとこう、一覧で。
それが楽しみでね。
確かにね。
今度のは何がこれが付いてるのみたいな。
なんかあの頃は進化してるなって分かってるね。
いろんなものがね。
単純に画面が大きくなっていくだけでもそうですし、小さくなっていくとかっていうのもあるし。
当時振り返ってみるとあんまりバッテリーの持ちってそんなに気にしなかったような気もするな。
1日持ってなかったっけ?それもなかった?
1日以上は持ってたんですけど、それこそ初期のガラケーの頃って大容量バッテリーが別売りだったんですよね。
そうだったんだ。
私最初に使ってたPがまさにそれで、標準バッテリーだとつらい位置であるんですけど、
大容量バッテリーだとポコッと膨らむ系と2倍の容量があるみたいなやつがあってたんですよ。
ゴロンとしたのありましたよね。
そうそうそうそう。
なるほど。これだったら3日持つとかそんな感じ?
それでも3日ぐらいだったな。
3日ぐらい。そうか。今のスマホに比べたら持つ方ではないじゃん。
全面液晶ではないですからね。
あまり気にした覚えがなかったなと思い出して。
際限なくなってしまいますので、ここで一旦切りたいと思います。
本当だ早い。
後半もまだまだありますので話していきたいと思います。
次回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
場末のラジオ。