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皆さん、こんにちは。広報にもまるまるの誤り、Kayakoです。
Kanaです。この番組は、普段は企業の広報PRとして働く荒沢女子2人が、
広報のことや、広報じゃないことや、広報じゃないことについておしゃべりするポッドキャストです。
はい、前回からの続きです。
それは、読書というコンテンツの浅い部分しか見てないのでは?
本というコンテンツの浅い部分しか見てないんじゃないかなって思ってしまうんですよね。
そういう勢に、Kanaさん、本いっぱい読んでるから褒められて、違和感を覚えてそうですね。
そうそう。
よく読んでるから、君は違うねとか言われて、は?って思ってさ、褒められてるのに。
そうなんだろうなと思いながら聞いてました。
そういう人に見下されるのではなく、逆に褒められることに違和感を覚えてのこの感想なんだろうなと思った。
なんか、僕と一緒だねみたいなこと言われると、いや違うかなって思うんですよね。
一緒だねって言われるな。
君はこっち側の人間だねみたいな言われ方をされると、いや別に私はあなたの側にいないけどって思うし、
そうやって二言論みたいなことすることに全然リスペクトできないんだけど、反抗的な気持ちになってしまいますね。
でも、その気持ちはわかるな。
そうなんですよ。よくわかりましたね。そうなんですよ。
絶対そうだと思った。だって、そういう気持ちになるのって、自分がやっぱり見下されて腹立つみたいなことに対応することが多いじゃないですか。
でも母さんは読んでるんだけど、読み方に関していろいろ言ってる人のことが、なんか違うなって思うってことは、そういう人に一緒くさにされたり、持ち上げられたりするんだろうなって。
しかも、だいたいその時にそれが言えないから。
今おたきあげしてる?もしかして。
あ、そう。おたきあげしてる。
おたきあげしてる、私今これ。
言ってくれて違いますよとか言ってわざわざね。そこでわざわざファイト始めなくてもいいから。
これも一つの意見だから、私は誰にも自分の意見を押し付けたくないので、その人はそう思っておいてくれたらいいんですけど、これは悪口ではなくて、おたきあげですね。
やっぱりその姿勢が今後取り入れていきたい。やっぱりすぐ私、さやから抜いちゃうんで。
え、違いますけど?みたいな、すぐ臨戦態勢に入るんで。
一つの意見だねって、後になったら冷静に言えるけど、その時はもう、いやいやちょっと回戦の儀みたいな感じで始めちゃおうかな。
違います、私は違いますんで。
いや、そういう勇気も必要だと思うんですよ。
そうやって意見を戦わせることもまた大事なことだと思うんですけど、私は極度に摩擦に傷つくっていう自覚もあるんで、下手なこと言わないようにしてるんですけどね。
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別に相手を傷つけたいわけじゃないですしね。
私、本読んでる人のことすごい好きってやっぱ尊敬しちゃうんですけど、それやっぱ自分の中に本が一番いいものだっていうステレオタイプがあるからなのかなっていう話を聞きながら思ってたんですけど、
なぜそう思うのか考えた時に、本が一番歴史があるじゃないですか。要は物を残す手段として。
今、逆に下火になってきてるぐらいだけど。
そうですね。
コンテンツ数が、ゲーム実況動画の数と本の数とか言ったらわかんないけど、コンテンツとしての数とカバーできている範囲が多分広いんでしょうね、本って。
そうですね。
だから本を読んでるっていう人に幅広さみたいなのを感じて好きなのかもしれないっていうのを聞いて思いました。
そうかもしれないですね。だからいろんな幅の取り方があるけど、本は1000年、2000年を軽く超えるから、そういう意味ではレガシーであることの良さみたいなのがありますよね、本には。
そして私が去年一番感動した本は、
大正2021。
2021は、別に全然部分的に取り出したものなんですけど、マルクス・アウレリウス・アントニヌス、もう一回言いますね。
マルクス・アウレリウス・アントニヌスっていうローマの保健帝がいるんですけど、
要はローマ時代に王様が書いた日記なんですよ。
時勢録って言うんですけど。
もう難しそう。
いや、難しくないんですよ、それが。
で、私が読んだのは、蝶躍って、蝶すごいとかの蝶に、蝶躍ね、の時勢録なんですけど、だから全然難しい言葉で書いてないんですよ。
ほんとですか?今だってタイトルもう忘れたけど、コンスタンティヌス・コンスタンティヌス・コンスタンティヌスですよね。
マルクス・アウレリウス・アントニヌスです。
私、この人の名前、長くて大好きなんで、覚えてるんですけど。
長くて大好きって言うのが全然わからんけど、ふーんって思いますね。
そうで、なんだろうな、この本のすごくいいところは、この人が誰かに言うために書いてないことなんですよ。
自分自身のために書いてるんですよ、日記として。
だから、なんて言うんですかね、自分に言い聞かせてるんですよね。
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日々、人のことを悪く思いそうになった時とか、
あと、びっくりしたのは、朝起きるのが辛かった時に、
今この瞬間の起きるのが辛い気持ちに負けて、大事なことを忘れてはいけない、みたいなこととか書いてあるんですよね。
めちゃくちゃ共感できるんですよ。
共感できるぜ、みたいになっちゃってるけど、びっくりしたんですよ。
2000年前の王様ですよ。
何人突きしたがってただろう、みたいな。
すごい時を越えて、朝起きたくない、みたいな感じに共感してる。
同じことを思うんだって思ったら、私その時、結構仕事で追い詰められてたんですよね。
ちっちゃいけど、同じようなことを考えたりしてたんですよ。
なんでうまくできないんだろうとか、どうして人間関係ってこうなっちゃうんだろうとか、思ってたんですけど、
2000年前の、しかも賢いと語り継がれてる王様が、同じことを思ってるんだとしたら、もう無理だわと思って。
そうだ、この現代に生きる一市民であるうからさんも。
こんな、別に王様でもない、賢くもない、この人たちと比べたらね、
本当に小市民がね、そりゃうまくいかないさと思って、
そうやって自分を客観視できたんですよ。
いいね、めっちゃいい話じゃないですか。
さっきの話に戻ると、やっぱり2000年前に人が書いたものが読めるっていう、そういうメディアってもう本しかないんですよね。
そうですよね。
テレビとか、新聞ですら、ここ100年ぐらいのことだったりするわけなので、
1000とかいう単位になると、もう本しか残ってない。
そういうメディアの魅力っていうのはありますよね。
だから、何らかのジャンルの造形の深さみたいなものを、本が好きという人に感じ取って、
本が好きっていうだけじゃ何も共通点ないのと一緒ですけど、
でも何かしらのとこが好きなんだなっていうところに、
シンパシーを感じるのか、リスペクトを感じるのか、
それで本が好きという人のことに好意を持ってしまうというのはありますね。
あと知識欲求ある人なのかなって思います。
わかるわかる。
他のコンテンツより本を好きっていう人に対して。
自分が割とある方だから、似たものを感じるのかもしれない。
好きな人が読んでいる本は知りたいですね。
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わかる。
丸裸じゃないですか、でも好きな本とかで。
自分が知らない本だったらハテなんですけど、
自分が知ってる本だったら、好きな本を何冊か聞いたら、
うん、そういうことねみたいな感じ。
そうそうそうそう。
なるほどね。
その人を知った気になるっていう。
で、わかるわって思ったら、
この人と私同じ部分あるわって勝手に思うみたいな。
多分勘違いですけど。
勘違いだとしてもちょっとそこの側面知れるのいいですよね。
あとそのさっき言った知的みたいなことで言うとやっぱり、
言葉が好きみたいな人は好きかもしれない。
やっぱこれ言おうと思ってて忘れてたんですけど、
ビジネス書に言葉の美しさみたいなの感じないんですよ。
わかる。
表現が秀逸とかがビジネス書にないじゃないですか。
例えがわかりやすいとかはあるけど。
ほとんどないですよね。
だって必要ないから正直ビジネス書を書くには、
知的な文章にする必要ないし、
なんか簡単でわかりやすい単語で表す方が前じゃないですか。
あんまり人がわからないな。
構成が大事ですよね。
それこそ今回、法要あるいはライスに私を読んだ時に、
健坦化っていう単語が出てきたんですよ。
健坦化?
健坦化ってなんだよと思って調べたら、
食欲の旺盛な人、大食感で出てきて、
嘘だろって思ったんですよ。
健坦化って表すみたいな。
今ググったけど確かに、
この字であれば見たことあるけど、
健坦化って言うことないですからね。
これはビジネス書においては多分悪臭ですよね。
適切ではないですよね。
みんながわからない言葉を使うっていうことが。
そうそうそうなんですよ。
だけど小説においては、
その言葉選びが人格を表すし、
雰囲気を表すし、
みたいなことになるからいいじゃないですか。
表現とかもまどろっこしいこととかも全然いいから、
文章として美しい、
芸術作品でもあるっていうところがまた小説。
でも言葉への愛みたいなのは、
例えば芥川賞って結構、
悪評が立つことの方が多いというか、
そうなんですね、あんまり詳しくない。
見てみて欲しいんですけど、
Amazonのレビューとか見ると、
芥川賞作品って、
例えば伊坂幸太郎の本が4.5とか言ってたとすると、
芥川賞の本って割と3から4というか、
4を超えることって滅多にないんですよ。
それはなぜかというと、
芥川賞作品っていうのは、
あれは芸術なんですよね。
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純文革だから。
だから要は前衛的なんで、
攻めちゃってるから、
最終文革ではないんですよ。
なるほど。
エンタメでもないんですよね。
でもすごくいいというか、
私はすごく好きなんですよ。
好きそうな気がしてきた、自分が。
それこそ、昔池沢夏希さんの
スティルライフっていう芥川賞作品があるんですけど、
それを読んだ時、
開始数ページで痺れるみたいな。
なんだろうな、物語とかなくてもいいって思った。
へー。
もう一文一文が、
それこそ、かやこさんがゴッホが好きって言ってたと思うんですけど、
絵のタッチとか、何を題材にしてるかとかも、
どうしてそれが描かれたかとかもあるかもしれないけど、
それ以前にも、このタッチが好きみたいなことあるじゃないですか。
あるあるある。
で、私はその解像度で絵画は見れないんですけど、
小説ってやっぱり、言葉を知れば知るほど、
すごいな、この組み合わせみたいになるんですよね。
またよしさんの火花とか、あれ芥川賞取りましたけど、
すごい命をかけて紡ぎ出してる文章だなって思うんですよ。
へー。
特に冒頭数ページがすごいんですよね。
画前読みたくなってきた。恐ろしい。
なんだろう、もうそれだけでいいって思っちゃって。
幸せで。
本当だ火花も4超えてないママゾンレビュー。
そうでしょ。
川上美恵子さんで、私がすごく大好きな純文学の女性の小説家さんなんですけど、
その人の本も、父と乱って意味わかんない親子の気まずさを描いた話に始まり、
なんていうんですかね、ストーリーはそんなに重要じゃないんですよね。
もちろんその人たちへの共感みたいなことは存在するし、
最近だとフェミニズム文学的な立ち位置から見て意義がある本だったりするんですけど、
それ以前に文章が幸せ、日本人に生まれて本当によかったって思うんですよ。
へー、そんなに摂取できるんだ、言葉を。
なんだろうな、新鮮なフルーツとかを、私フルーツ苦手なんだけど。
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フルーツ苦手?新しい情報が来たけど、一旦置いてみましょう。
プチプチ弾ける水々しいものを食べてるみたいな、そういう感じ。
やっぱ素材が違うよね、みたいな。
もう何にも味付けとかしなくていいわ、みたいな。
そういう世界が広がってるんですよ。
自分が、私、女力さんが書いた、麦の海に沈む果実っていう本があって、
これは昔すごく好きだった本で、今も。
女力さんあんまり読んでないんだよな。
あ、直近の読みましたけどね、売れたやつ、三葉地と遠来。
それも読みましたね。麦の海に沈む果実が私の中でベストなんですけど、
この人の書き出しもかみってるというか、
私それであまりにこの数ページが好きすぎて、
自分で全部、その数ページを打ち出したんですよ。
好きな映画はディクテーションするし、好きな本は書き出す。
で、そしたら、え?みたいになることがいっぱいあるんですよ。
なんでこの文章の次にこう来たとか、なんでこの言葉を使うのかみたいなことが、
ちょっと解像度が上がって、結局なんでそんな文章が書けてしまうのかわからなかったし、
全然、要は真似したかったんですよ。こういう感じで書きたいと思ったんですよ。
でも私にはやっぱり書けないし、この密度の文章を200とか300ページ書くってどういうことなんだろうって、
しかもそこにストーリーがあるんでしょみたいな、キャラクターとかも描かなくちゃいけないんでしょって、
すごいなみたいな、って思ったんですけど、
だから、ただそこに日本語が美しく並んでいるだけで、それがもう芸術みたいなことはすごく思いますね。
そこの美しさありますもんね。
そうなんですよ。そういうのにも敏感でありたいですね。
やっぱり我々は古いキャラクターの世界観を繋ぎながらやってますから、美しさありますね。
詩とかね。詩とかはまだわかんない。詩とか俳句とかは私は。
詩はね、私摂取はもう20年ぐらいしてないけど、それこそ黒歴史で言うと小学生の頃に私ホームページを自分で作ってたんですよ。
うんうん、私も作ってましたよ。
作ってたの?また共通点あるよ。
そんな共通点あるの?
小学生の時にホームページ作ってたの、最もポピュラーな反応は、「え?」なんですけど、まさかの私も作ってました。
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分かる分かるって思って聞いてたけど今。
作るよね、ホームページみたいな。
なんで分かられたんだろうって今なんか衝撃が走ってるけど、その時にポエム載せてましたよ、いっぱい。
私も小学校の頃は詩書いてた。
みんな詩書きがち。
そこそこエクニカオリさんの本が好きだった友達と、本当に今は誰にも見せられないポエムノートみたいなのを交換日記みたいにお互いに詩を書いて渡して、その詩の感想と新しい自分の詩を書いてまた戻してみたいな。
文学少女味のある小学生時代過ごしてる。
やってましたね。
だから何だろう、そういう感じで読む詩は分かるというか、エクニカオリさんの詩とかは全然グッとくるんですけど、昔の詩人の作品とか読んでもまだね、そこには達してないですね。
いつか長原中也には心動かされないみたいな。
そうですね、あれ汚れちまった悲しみにでしたっけ。
そうですよ、私これ何かの時に多分それを文字って汚れちまった悲しみにだねみたいな、何かちょっと文字って違う風に音に言ったら伝わらなくて、長原中也だよって言ったら誰って言われて、長原中也だよってなりました。
誰って言われてもすごい話せるわけでもないから、そんな自分は詳しいぶるわけでもないけど、でも汚れちまった悲しみには伝わるのではみたいな、せめてあの独特な感じのおしゃれな帽子被ってる姿とかは目に浮かぶのではみたいな風に思って絶望したこと。
他の詩は知らないけどね、汚れちまった悲しみにだけは有名ですからね。
めちゃくちゃ有名だと思うんですよ。
多分父の実家が山口で、長原中也は多分山口の人?
そうですね。
だから多分記念館とかに行ったことがあるんじゃない?ある意味でそういう本をめちゃくちゃ読む親に育てられてるから、そういうのに触れていただけかもしれない。
私国語弁談が大好きだったって。
国語弁談?
知らないですか?
みんな配られていたはずですよ。中学の時も。
配られていた?これを?今見てもピンとこないですけど。
国語弁談は国語のサブテキストですよ。
これ見たことあるかもしれん。一個だけ見覚えあるやつある。
そうでしょ?私これが大好きで、今も本棚に入ってるんですけど。
これには、要は本当に平安時代の文学とか監修に始まり、現代、現代って言っても当時の現代だから、2000年代ぐらいの話ですけど、
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までの有名な作家さんの写真と代表作が全部出てるみたいな。
えー面白そう。
それが特に中学の頃かなとかは、そこに出てる平家物語の序文とか暗紙をさせられてたって。
させられてたな。
させられてたでしょ?
させられてた。
それでめっちゃ見てたし、その他のページも結構読んでたんですけど、
私国語の教科書より国語弁談が好きで。
もう思い切って言いますけど、変な子。変な子やな。
中原忠也はだから絶対出てきますよね。そこに。
うん、確かに。
って言っても、今この話そうだよね、みたいにならないですね。
うん、誰もなんないと思うけど。
いや今、そうだね、擬音少女の羽根の声はみんな言えますよね。
そうそうそうそう。
風の前のチリに同じぐらいまでみんな言えるんじゃないかな。
ここはみんな覚えた?多分義務教育だから覚えてるんじゃないですかね。
たけとり物語とか。
うんうん、たけとり物語は覚えたかな。
擬音少女の方が記憶に残ってるけど。
なんか若干ずれるけど、私娘の成長で楽しみにしてることの一つが学び直しなんですよ。
いいですね。
小学校とかに行って教科書とか早くもらってきてほしくて。
なんか自分でそれ全部もう一回接しするのちょっとしんどいじゃないですか。
だけど教科書として与えられたら意気揚々として全部読みたいから。
帰ってきてほしいとか言っておき弁とかしたいかもね、何冊か持って帰ってきては勝手に読んで
おしべとめしべの構造とかも知りたいし。
学と弁はこうかとか花びらがこうとか、高校生の仕組みとかもう一回ちゃんとやって。
いいですね。
やりたいから早く小学校とか中学校とか行って、娘が興味持つか別として私自身は
あなたが学んでいることにすごく興味ありますっていう感じでやっていきたい。
いいですね。教えようじゃなくて学び直そうと思ってる感じが。
教えようとは一味も持ってない。がんばってほしいそこは。
でも一緒に楽しんでくれたらいいなって気持ちはあります。
私が本気で楽しいと思うから多分。
でも確かに親が食い気味で教科書を読んできたら、そっちの方がいい影響を受けそうな気がする。
面白いな。メロスは激怒した。
勉強しなさいとか言われるより、え、何これめっちゃ面白いねみたいな感じで。
そうそうそうそう。この本面白いから買うかとか言って。
いいな、こういうの読めてみたいなことを。
日中からこんなことばっかりやってるんでしょ。やばい。
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宝物の時間じゃんみたいな感じ。
そうそうそう。生き物の授業超面白いじゃんみたいな感じでね。
解剖とかしちゃうの?みたいな。解剖したくなくて私中学選んだけど。
勉強って義務だからするんじゃなくて、面白いからしてるんだって思ってもらいたいですね。
思ってもらいたいですね。自分がそこまでは教科できてなかったから。
自分が見せていきたいですよね。その姿を。
そういうのはちょっとね、やっぱレモンとか読むのかなみたいな。
あの狂気わかんのかな中学生みたいな感じとか。
レモンはきついですよね。
レモンって当時やゆしかされないっていうか、中学生たちに。意味わかんないじゃないですか。
意味わかんないもの載せすぎでは?と思う。
大人のそういうのいいと思ってる人が選んじゃってるから。
めっちゃ言いたいのはココロってあるじゃないですか。
ありますね。夏目聡先生。
あれって教科書出てるんですけど、過去編から始まるんですよ。
どこだったっけ?
そうなんです。で私、時を経てココロ読んだんですけど、
多分ちょっと違うんですけど、他の人と。
過去編に入る前の少年の描写がめっちゃいいんですよ。
へー。
なんかキラキラしてて、私少年がキラキラしてる小説結構、
それはそれで結構好きなジャンルなんですけど、
昔の話の罪の告白よりこっちのパートの方がいいって思って。
なんでここ省いたの?って思って。
いいんじゃないですか。そうやって自分で載ってないところを読むようになったりとか。
そうそうそうそう。だから、もし教科書またそうなってたら言いたいですよね。
自分に子供がいたら。ここじゃないんだよね、面白いのは。
いいね、それなんかすごくいい親子の会話感あるな。良きですね。
そうなんです。もっと、だから教科書で、
国語というか日本語というか小説というかそういうものが嫌いになったら悲しいですよね。
でもなる人いますよね。そもそも国語の授業面白くないし読めないしみたいな人は、やっぱり入り口としてあれを摂取してしまう。
要は小学校とかで順当に面白いものに出会っていって、なんか本へのハードル下がってるみたいな人は、
中学の現代文の教科書もちょっと楽しめるかもしれないけど、そこで初めて長い活字に出会う人もいるじゃないですか。
正直そんなに本を。
言葉難しいしね。
そう、だからそれって大変。初めて出会うと小学校で。
日本語難しいならせめて書いてあることが、書いてある内容が分かりやすい方がいいと思うんですけどね、私はって思って。
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中学生が理解しやすい。
なんかそう、かしれメロスじゃなくて、あれって難しい。
あれ難しいから。
なんかもっとくだらない話いっぱいあるんですよ、太宰治って。
とか、あともっと童話的なやつもあるし、そっちにした方が面白いのにな。
オッサム乗せるのにメロス外せねえわみたいな、なっちゃうんじゃないですか、選ぶ人が。
なっちゃうんでしょうね。
そこのなんか、やっぱね、チョイスへのプライドみたいなの発生してる気がしますけどね。
そうなんですよね。
そこの界隈だけでの、選んだ人に対する評価、実際の読む方の意見は全く入らず、
お前太宰乗せたのにメロスじゃないの?みたいな感じがある気がする。
いらない気がする。
私、それこそ国語弁談で、田山佳泰っていう人が自然主義の代表として紹介されてて、ちょっとあってるかな。
田山佳泰っていう人が自然主義の代表的な感じで描かれてるんですよ。
でも、この人の本って教科書には出てこないんですね。
だけど、読んで衝撃なんですけど、ただの変態文学なんですよ。
この布団って、自分の家に来た助手の女性に、30代半ば過ぎたおじさん的な作者が淡い恋心を抱いて、
でもそれを格好つけて、本人にもちろん結婚してるからね、というわけでもなく、その子が去っていくまでを書いた話なんですけど、
なんで布団っていうタイトルかっていうと、その子が去っていった後に、その子が寝てた布団の匂いを嗅いで、ああ、みたいになる話なんです。
いや、もうちょっと辛いな、おじさんなし。
で、これが自然主義かと思って。
それに名前をつけたら自然主義なんですか?
これが人間の自然だからいいみたいな、だからいかに布団がおっさんに支配されてたかっていうことも感じたんですけど。
それはおっさん、れいさんなんじゃない?
でも、めちゃくちゃ面白いんですよ。
布団が?
おじさんが、くどくど女の子に対して、ああでもない、こうでもないってグジグジしてるんですよ。
で、全然、なんだろうな、こういうのでもいいんだ、みたいな感じはあるんですよね。
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許されるのか、これが。
要は全然格式高くないんですよ。
だから、森妖怪の舞姫を乗せるんだったら、たやまかたいの布団でいいんじゃないかなって思ってるっていう。
ちょっといつか教科書のチョイスに、口出ししてほしいですね。
そうなんですよね。
なんか、もっとカッコつけないチョイスをした方が、なんだこのおっさんみたいな感じで、より身近に感じられるんじゃないかなって教科書がね。
いや、心強いな。将来だから、娘が教科書読んで、なんかこれじゃない、もうちょっと近しいけど簡単なやつありませんかっていうオーダーをかなたにしよう。
これなんですけどね。
小学校の頃から思ってましたよ、ゴンギツネじゃなくないって。
ゴンギツネじゃなくない?
思いませんでした。
なんか、なんでこんな話乗せるんだろうと思って。
なんかね、国語の教科書と道徳の教科書で、なんかいっぱい話読まされません?
うまされる。
全部ピンとこないから、面白くもないし、単体で。
目的に合わせて書かれてるから、特に道徳の教科書なんて、もう何も揺さぶられない。
そう、なんかもっとあるでしょうって思って。
それこそなんでキツネが最後に死ぬ話を、
死ぬから。
乗せるんだろうって思ってたんですけどね。
死んでもそんなに衝撃ないからかな。
みんないずれ死ぬし。
もっとあるでしょう、面白い話って。
それもね、ずっと思ってる。
そうかな。
面白いな。
こんなの乗せるから、みんな本読まなくなっちゃうんで。
だから、読んだらいいと思ってるわけじゃないけど、
本が嫌いっていう人もまた、なんか誤解してると思ってて、本を。
確かにね。やっぱファーストタッチが何か間違っちゃった可能性が高いですかね、本が嫌いな人は。
そうそう、だからなんか別に東の敬語とか読んだら、
私別にすごい好きとかじゃないですけど、
全然敷居高くないし、
そうそう、わかる。言いたいことわかる。
映画みたいに一瞬で読めちゃったりするわけですよね。
秒で読めますよね。
そうそう。
ただそれが文字で書いてあるだけっていう話なんですけどね。
それがなかなか知らずに本を食わず嫌いしてる人とかもいるから、
本の良さももっと伝えていきたいなとは思いますよね。
強烈。
小さい頃の出会いが大事だと思うんですよね。
だから、それこそ本当にエクに香りとか読ませて欲しい子供に。
33:05
狂気あるけど。
でもあれなんですよ、読んだ方がいいよって言っちゃダメだと思うんですよ。
これはママが読んでる大人の本だから、読んじゃダメだからって言って、
本棚に置いとくのがいいと思う。
読みたくなっちゃうな。
そう、お母さんの本棚から勝手に読んでたな。
でもあまりに難しくてやめて、結局図書館に行くようになったけど、
それこそ親に感謝してますね。
なんかすごい与えてくれたから本を。
で、なんか読みなさいとかも何も言われず、
面白いと思うつって5冊ぐらい渡されるんですよ。
うんうん、わかるわかる。
で、なんか読んでみると渡されるから。
面白いなと思って。
チョイスもよかったんですね、うちの母も本の主だから。
で、どんどん読んで、そのうち自分で選んだらって言って図書館に行く。
私もでもそうでしたね。
もともと本が好きだったかっていうと、
友達と仲良くなりたくて始めたんですけど、読書は。
でも親は本だけは割と買ってくれたから。
それもあるか。
なんか何はなくても本は買ってくれてたんで。
そうそうそうそう。
なんか漫画とか激しぶりされるけど、
本はあ、そうなの、読みたいの、はいとか言って。
だから本屋さん行って好きな本を選んできていいよみたいな、
何冊までで?みたいなことがあったりはして。
それがすごい楽しかったっていう記憶がありますね。
それやろう。
あと私は漫画もすごい察し読んでたんで。
すっぱく冊ぐらい所有してて。
それはなんか口すっぱくあなたに漫画を読ませているのは、
本も読むからであるって言われたんですよ。
そこのロジック分かんないじゃないですか、こっちからしたら。
分かんない。
多分それは母親が漫画だけ読むのは嫌だなと思ってて、
本を読む子供であってほしいと思っていて、
でも漫画いっぱいこっち読みすぎではと思うけど、
同じくらい本も読んでるからいいかと多分思っていたと。
本を読むなら漫画読んでもいいのよ、みたいなこと?
そういうこと、そういうことみたいですよ。
だからあなたに漫画を買ってあげてるのは、
本をたくさん読んでるからなんだかんだってすごく言われてて。
だから別に脅迫観念で読んでたわけじゃないけど、
あ、じゃあ本はやっぱり読み続けようみたいな。
よかった本読んでてみたいな。
そっか、この漫画が読めるのはこの本のおかげなのかみたいになるわけですね。
そうそう、漫画の良さは1ミリも感じていない。
そうなんですか。
うちに漫画一冊もなかったです、親書に。
だからなんか年取ってからとかじゃないですけど、
それこそ私が社会人とかになった頃、大学生の頃、
浦沢直樹さんがプルートーっていう漫画を出したんですよ。
アトムに出てくるマシンでプルートーって多分いるんですね。
そっちに焦点を当てて描き直したやつで、
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なんかそれに教習を感じたのかノスタルジーを感じたのか、
父が突然買ってきて、
お父さんって漫画読むんやってすごい嬉しくて。
漫画の思い出それか。
それで私もプルートー読んで、
漫画の話ができるってことがないわけですよ。
あーそうなんですね。
うちの母親とかにすごい面白い漫画があったと。
で、読んでほしいって思うわけじゃないですか。
で、お母さんこの漫画すごい面白かったから読んでみてって言って、
今でも覚えてるんですけど、
なんかすごいこう椅子を向き直して、
お母さんね、本であっても読みたい本がたくさんあって、
でも読まなければいけない本がたくさんあって、
読みたい本も読めてない状況だからね、
漫画は読めないって言われたんですよ。
いや、その理由はめっちゃわかるんですけど、
なんか傷つきますね。
小学生ぐらいの時に言われて、
そっかーって。
友達のお母さんとかがめっちゃ漫画好きで、
漫画の話してるのとかね、
お母さんと漫画の話してるとか聞いた時に、
なんか衝撃だったんです。
大人って漫画読むんだみたいな。
そうなんですね。
うちだから、漫画親好きだったから、
それこそ不意にガラスの仮面全巻とか買ってきて、
なんか自分も読むし、あんたも読みなさいみたいな、
面白いからみたいな。
全然押しつけてくるけどみたいな。
いいなー。
止めはされなかったですね。
本読んでるから漫画買ってるんだよと言われながら、
漫画図書館に連れてってくれるとかもあるし、
漫画買うことに何か言ってくるとかはなかったんで、
まだよかったですけど。
大人になったら自分も漫画読まなくなるんだろうなと思ったら、
ゴリゴリ大人になっても読む。
いや、漫画は漫画でまた素晴らしいですからね。
そうそうそう。
もうこれダメだな、この話終わんないんで。
そうですね。
なんかだから、これは定期的にやってもいいかもしれない。
本の話は我々の中で結構コアとなる話だから、
最近私も本読み始めたことだし、
本コーナー的なのをやってもいいかもしれない。
こんなに話したいこといっぱいあるなんて、
自分でも思ってなかったからびっくりしましたけど。
そうそうそう。
なんかね、いろんな箱のフタ開けちゃうんで。
まあだから、そういうことで本の話は好きないという。
もう何が誤りだったかって言ったら何も考えず、
延々とこの本の話をしてしまったという読書の誤りということで、
終わりましょうか。
そうですね。
というわけで、今日も広報じゃない話をめちゃくちゃできて、
良い回だったと思います。
ありがとうございました。