大人の条件
大人の条件とは、何だと思いますか。家事・育児、キャリア、性の問題、夫婦になることによる様々な葛藤を、どうすれば僕らは乗り越えられるのか。アツの夫婦関係学ラジオでは、そのためのヒントをお送りします。
今回は、大人の条件について話をしようと思うんですね。これ何かというと、この間ツイートとはもう言わないんですかね、ポストって言っているのかな、X、元ツイッターのXで僕がポストした内容なんですけど、思いがけずいろんな多くの方が読んでいただいて、今日はこれについてちょっと掘り下げようと思うんですね。
結論から言うと、僕は大人の条件というのは、ケアラーになることだと思うんですね。ケアをする側の人間ということです。これと夫婦関係を結びつけて話をしていこうと思います。
夫婦関係が悪化の大元にある原因というのは、僕は夫婦間におけるケアバランスの悪さが大元にあるケースが多いなと思うんですね。家事、育児が妻がメインであったりとか、夫のケアも妻が行っているとか、そういった場合にバランスが悪くなる。
妻から夫に対するケアが多いと、妻が家庭に対するケアが夫よりもとても多いと、そういったバランスが崩れてくると、夫と妻の間に不和が広がっていくんですね。これをもうちょっと詳しく話をしていくと、このケアバランスの悪さというのは夫と妻の人間性に大きな差異を生んでいくんですね。
全然違う人間性を二人が育んでいくことになるんですよ。ケアバランスが悪くなると。それが、お互いへの無理解とか、個人化、自分たちがチームとしての一体感とかが生まれなくて、個人、そういった個人化を生み出していく。その結果、夫婦関係が悪化するというのが、僕は大元にあるんじゃないかなってずっと思っているんですね。
これについては、柏木恵子さんが書かれた、大人が育つ条件、発達心理学から考えるという本がめちゃくちゃいいので、これを強くお勧めします。結構難しい内容なんですけど、夫婦関係を悩んでいる方には、きっと大きなヒントになるんじゃないかなって思っています。
僕の大人の条件はケアラインになることというのも、この本からいただいた言葉なんですよね。もうちょっと深掘りしていくと、僕自身の経験も踏まえながら深掘りしていくと、夫婦関係悪化の根本にはケアバランスの不均等がある。なぜなのかというと、ケアをする体験をしたものにしか見えない世界があるんですよ。
妻だけがケアをした世界に住んでいる。夫はケアをされた経験しかない世界に住んでいる。そうなると、見える世界がどんどん変わってくるんですね。
例えばケアをする体験ってどんなことかというと、小学生の子供がいるので、宿題のチェックをしたりとか、いじめられた話を聞いてあげて、それを解決する手助けをしたりとか、あまり大きな手助けはしないですけど、学校の先生と相談をしたりとか、
本人にどうしたらいいのかを話し合ったりとか、ディルがあったりとか、あとはインフルエンザとかコロナとか、そういった大きな病気になったときに子供の看病をする。仕事を休んで子供の看病をする。
会議とかあるじゃないですか。予定した会議とかも調整をして他の人に出てもらったりとか、自分が出ないってことを伝えなきゃいけないわけですよね。会社との調整も発生するわけです。
自宅で子供の看病をする。
夜中寝かしつけね。これ大変でしたね。うち3人子供いるんですけど、今もなかなか寝ないんですけど、寝かしつけをする。
2、3時間ごとの授乳とか、赤ちゃんのときってあるじゃないですか。3時間ごとに起きて授乳して寝かしつけて、寝るのにまた時間かかったりとかしたりするので、こういった寝かしつけ。
先ほどの授乳。それから子供の話し相手だったり、保育園に入るための活動。通称補活って呼ばれてますけど、これも僕らはやってて、僕らの場合は双子だったので、同じ保育園に入れなきゃいけないから、
大体同じ保育園に入れてもらえるんですけど、妻の働き方が午後だけとか午前中だけ、最初は午後だけだったんですよ。その後、保育園によっては入れさせないよっていう保育園もあるんですよ。
だいぶ入れませんみたいなこと言うんですよ。でも中には朝から預かりますって子供たちとの協調性を育てていきたいので、同じ時間に預けてほしい。むしろ同じ時間に預けてほしい。朝から預けてほしい。お母さんが午後から働いたとしても、朝から預けてほしいっていう保育園もあるんですよ。
これすごい僕ね、電話しまくってやっと探し合ってたんですよね。ほとんどの保育園に断られまくって、公立の保育園とかになると、私はいいんですけど園長が変わったら分かりませんとか言うんですよ。いや困っちゃうよそれって思うんじゃないですか。意外に公立ってなんか柔軟性ないんだなと思ったんですけど、逆に個人が思い入れを持って運営してる保育園の場合、僕らが言ってるところはそうなんですけど、その場合はその理念がしっかりしてるんで、代が変わろうとそこってあんま変わんないんですよね。
あと代がなかなか変わらないですね。園長さんが亡くなるまではずっとその園長先生がずっと運営し続けるので、方針が10年20年30年ぶれないっていうのがあるんですよね。そういう保育園を選ぶ、電話しまくるっていうのをやってました。これが包括ですね。
あとは皮膚科とか内科の通ったりとかね。子供ってなぜかこうめっちゃ皮膚が痒くなったりとか荒れたりとかする時があるんですよね。もう痒い痒い痒いって言っても全然寝れないとかっていうのは結構あって。
あと風邪をひきやすかったりしますよね。小っちゃい時って特に。うち上の子3年生なんですけど、なかなか風邪ひかなくなってきたんですよね。保育園年中年長1年2年ぐらいの時は結構風邪をひいてて、そのために病院に連れて行ったりとかよくしてました。2人でお互いに妻と一緒に抗体でやったりとかしながらやってましたね。
こういったケアをするっていう体験をしていくと見える世界がどんどん変わってくるんですよ。
僕、子供が生まれた後しばらくはケアが足りてなかったんですよね。子供たちに対するケアも妻に対するケアも足りてなかったんですね。
そこから徐々に変わっていったら確かに見える世界が変わってくるというか、自分の感覚が変わってくるんですよ。物の感じ方、物事への感じ方、捉え方、自分の感性が変化していくんですよ。
これはどういうことかというと、子供の看病をしたりとか、病院に通ったりとか、宿題チェックしたりとか、いじめられたって話を聞いたりとか、そういうことをするためには思いやりが必要になるんですよ。
何を当たり前のことを言ってるんだって思うかもしれないんですけど、これすごい大きな違いなんですよ。ケアする人間とケアをしたことがない人間の大きな差異は、その人に思いやりがあるかどうかなんですよ。
思いやりが育まれていくんですよ。ケアをする体験を重ねていくと。思いやり、具体的に言うと、自分より他者を優先することであったり、他者の事情や感情に配慮することであったり、自分の願望を抑えることだったりするんですね。
こういったことって、僕はできていなかったんですよ。子どもが生まれる前とか、生まれて0歳、1歳、2歳とかかな、1歳、0歳、1歳ぐらいのときかな、特に。まだまだできていなくて、自分の自己実現の追求であったりとか、やりたいことだったりとか、自分の願望、欲望を満たすための行動だったりとか、ということを優先させてきたんですね。
だけど子どもたちと向き合い、そして妻と向き合い続ける中で、自分の中で何かが変わってくるんですよ。自分勝手に生きてきた頃とは違う何かが心の中に生まれてくるんですね。
それが思いやりであったり、配慮であったり、多分これが英語で言うコンパッションなのかなと思うんですよ。他者に対する思いやり。困ったり人がいたらつい体が勝手に動いて助けたくなるっていう感情、それをコンパッションって言うんですけど、これが芽生えてくるんですよ、体の中に。これすごい大きな変化なんですね。
これができるようになってくると、夫婦がお互いに思いやりを向け合うことができる。お互いを理解し合うことができる。そして、個人として物事を考えるんじゃなくて、チームとして考えるようになるんですね。家族として、夫婦として、チームとして物事を考えるようになる。
自分のことも相手のことも同じように対立にすることができるようになってくるんですね。こうやって他者をケアするっていう体験を重ねていくことによって、思いやり、コンパッションが体の中に生まれてくる。自分の人格が変わってくるんですね。自分の人格の中に思いやりというのがインストールされてくるんですよ。
夫婦関係の悪化
それが大人になるっていうことなんじゃないかなって僕は思っています。同時に、この柏木恵子さんの大人が育った条件の中にもそういったことが書かれています。大人になるためにはケアする体験が必要だろうと。
本書の中では道徳観の変化という書き方がされているんですよね。男性は正義観とか社会的正義とかべき論というものが道徳観としてメインで持っていると。何か物事を判断するときには社会的正義性とか公平性というのを元に判断していく。
だけど女性の多くは思いやりであったり、そういったソフトな感情を道徳観としてメインに持っていて、それを元に物事に対するジャッジをしていくと書いてあるんですね。
大人になるというのは社会的正義やべき論からそういった感情、思いやりの方へと道徳観がシフトしていくということでもあると書いています。同時に両方を持つことが大切だというふうにも書いてあるんですね。
それはちょっと割愛しますけど、僕自身が子どもたちとこの8年間向き合いの中で感じたことは、誰かをケアすること、子どもをケアすること、爪をケアすることといった体験が自分が今まで見たことがなかった世界を世界に連れて行ってくれるという体験になるんですよ。
その世界というのが思いやりのある世界、配慮のある世界、コンパッションの世界なんですね。
よく男女で見えている世界が違うって言うじゃないですか。僕は何のことだろうってずっと思ってたんですよ。
最近だと思うのは、大人の世界なのか子どもの世界なのかっていうことなのかなと思うんですよ。ケアラーの世界なのかケアされる側の世界なのか。
世界はケアという概念を元に見ると大きく2つに分かれているわけですよ。
自分は誰かから配慮されては当然だ。僕は配慮されるべき存在なんだ。色々やってもらえる存在なんだっていう目線で世の中を見ていると、全然逆の目線から見ている人とは全然はぐれも合わないわけですよ。
逆の人はケアする人間だと。自分はケアしようと、配慮しようと、弱き者、大人き者を配慮しようと、ケアしようと体験しようというふうに考えて行動している。だから合わないんですよ。
合わないということは見ている世界が違う、住んでいる世界が違うんですよ。同じこの世界に生きていながら道徳観が異なるおかげで、道徳観が異なるせいで物事の感じ方が全く違うという現象が起こっている。
これが男女と見えている世界が違うことの正体なんじゃないかなと思っています。
この大人が育った条件という本はめちゃくちゃおすすめなので、ぜひ一度読まれてみることをお勧めします。
自己実現と思いやり
この間、注文靴というのを初めて作ったんですよ。オーダーメイドとはちょっと違っていて、オーダーメイドのシューズというと、ちょっと気取ったグッチだとか、
やっぱり分からないんだけど、有名な靴ブランド、革靴とかを作っているブランドで、自分の足にあった木型を作ってもらって職人が手作りするみたいなイメージがあるんだけど、
僕が行ったところは手作り靴教室だったんですね。手作り靴の専門学校みたいなところで、時間がなくて通えない、自分で作れないという人のために先生が代わりに作ってくれるというサービスがあって、僕はそれを利用させてもらったんですね。
そこで作った靴が、今ずっと履いているんだけど、めっちゃ履き心地がいいんですよ。自分の足にぴったりはまっているので、爪が変形していたんだけど、だんだん治ってきたんですよ。だけど、めっちゃ高いんですよ。
人によって値段の感覚が違うと思うんだけど、約10万円くらいしたんですね。
オーダーシューズを作る会社っていくつかあって、だいたい6万7万円とかが相場だったりするらしいんですけど、僕が作ったのはブーツタイプで生地を結構多めに作っていたのもあって、約10万円くらいした。
ちょっと思ったのが、前にナイキのプレミアムシューズの専門店みたいなところに行ったんですよ。一緒に行った人がナイキのシューズが好きな人で、サランダップにナイキの靴が包まれているのね。
サランダップで巻かれていて、バーッと置いてあって、5万円とか10万円とか20万円とか高いのってすごい高いんですよ。プレミアムがついている。
でもね、それ全部ユーズと品なんですよ。中古品なんだけど、プレミアムがついていてめっちゃ高い。
そこで靴をいろんな人が買って履いたりとか、コレクションしたりとかする。市場が出来上がっていて、飽きてきたらそれを売ったりするんですよね。
プレミアムの中古品の市場が出来ているんです、靴の市場って。
僕の靴も高いわけですよ。10万円したわけですよ。だけど誰も買ってくれないわけですよ。市場価値がゼロ円なんですよ。
それが面白いなってある日思ったんですよね。
その靴屋に行った時に感じたんですけど、バーッと高い靴がいっぱいあって、サランダップで巻かれて、お客さんが手に取った時に傷がついて汚したりとかしないようになっているんだけど、
10万円、20万円とか高い靴がある。僕の靴より高い靴もあるし、僕と同じくらいの値段の靴もある。
これは同じ値段で誰かが買ってくれる。その価値が多くの人の中に存在しているわけですよ。価値観があるわけですよ。
これは10万円の価値があると多くの人が感じているわけですよね。
それはデザイン性であったり希少性であったりすると思うんだけど、
だけど僕の靴も同じだけの値段で買った。だけど市場価値がゼロ円。
だけど僕にとってはそれだけの価値があったんですよ。
これからずっと何十年も何年も何十年もこの靴を履いていきたい。
直しながら履けますからね。靴底がすり減ってきたら取り替えられるし、生地が傷んできたら取り替えたりもできるし、
ちゃんとクリームを塗って、保管クリームを塗って、風通しがいい日に外に出しておいたりすると何年も長持ちする。
10年以上長持ちするんで、ずっと履いていこうと思ってたんですよね。
僕にとっては10万円の価値はあったんですよ。
それは自分の足に合う靴がなくて、指が変形する、爪が変形するといった課題があったんで、
それがクリアできる靴に出会えた。履き心地がすごくいい。
僕にとっては10万円の価値があった。だけど市場価値はゼロ円なんですよ。すごい面白いなと思って。
それを思った時に、別に他の人はいいんですけど、僕は絶対に10万円のナイキの靴は買わないんですよ。
10万円の他のブランドの靴も絶対買わないです。市場価値がある靴は絶対に履かない。
なぜなら僕にとってその価値はゼロ円だから。どんだけ希少性があっても、どんだけデザインが優れていても、
僕にとってナイキのマックスエアなんちゃらかんちゃらとかいう靴はゼロ円の価値しかないんですよ。
絶対的幸福感
だけど僕が履いているこの靴は僕にとっては10万円の価値があるんですよ。
市場価値じゃなくて、自分の中の絶対的価値観でもって物事を判断するっていうのは、
僕にとっては大事な指標だったんだなって感じたんですよね。
それが僕にとっての幸せになるんじゃないかなって、幸福感につながってるんだなって思ったんです。
市場価値じゃなくて絶対的幸福感、市場相対的幸福感ではなくて絶対的幸福感で物事を判断する。
選んでいくということが自分にとってはとっても大事な考え方だったんだなって思ったんですよね。
っていうことをこの間妻に話したんですけど、これをたくさんの人に話したいんだけど、誰も僕の靴について触れてくれないんですよ。
裸から見るとミスボロらしいようにしか見えないんですよね。
革靴なんだけど、形は変わっててベアフットみたいな、靴の足の指のあたりが膨らんでるんですよ。
小人の足みたいな感じの靴なんですよね。ちょっと変わってて。
誰かが履いてる靴に僕が触れて話を振るんだけど、その人は絶対に僕の靴について触れてくれないんですよ。
なんかちょっとかわいそうな靴履いてるなみたいな風に多分思ってるのかなと思うんですけど、
2,3人くらいの人とそういう話をしたんだけど全然触れてくれなくて、多分なんか触れちゃいけないなと思ったんだと思うんですよね。
なんか小人みたいな、エルフみたいな、エルフじゃないな、
農道ボタニングの小人が履いてるみたいな靴履いてるんで、ちょっと触れないでおこうみたいに思われたんだと思うんですけど。
だけど絶対的幸福感、市場相対的幸福感じゃなくて絶対的幸福感のほうが、
僕は幸せを感じやすいんじゃないかなって日々思ってますという話でした。
ということで今回最後までありがとうございました。
あつの夫婦観客ラジオは毎週月曜木曜朝5時配信です。
最後に3つお願いがありまして、
1つは番組のフォローをぜひよろしくお願いします。
Spotify、Apple Podcastなど各プラットフォームで配信をしています。
僕メインはSpotifyを使ってまして、配信のメインはね。
なのでSpotifyだけ他のプラットフォームと違う機能があって、アンケート機能があるんですよね。
僕だいたいどのエピソードでもアンケートを毎回つけてまして、
その放送会の概要欄に行ってもらうと、
いくつかアンケート交代であるようになっている投票機能みたいなのがあるんですよね。
その時の放送の内容に準じたアンケートを用意しているので、
そちらぜひやっていただけるととても嬉しいです。
あと番組のお便りを募集しています。
Spotifyのコメント欄でも結構ですけど、
こっちはですね、たぶんSpotifyのメンバー名が出ちゃうんですよね。
自分が登録してメンバー名が出ちゃうんで、
もし本名で登録している人は本名が出ちゃうので、
それが嫌な場合はSpotifyのメンバー名を変えるか、
あとお便りフォームを僕Googleホームで作ってますんで、
概要欄にリンクを貼ってますんで、
そのお便りフォームをいただければ、僕にしか見えないようになってます。
番組の中で紹介していいかどうかという質問を用意しているので、
シェアしていいよという方はそこで電話つけてもらって、
ハンドル名を書いてもらえればバッチリなんで、
こちらお便りフォームぜひ使ってください。
あとサポートも募集してます。
これはPodcastの運営費用であったり、
他の夫婦関係研究の研究費用として使わせていただいてます。
毎月1回ノートの記事で活動報告書を送りさせていただいてますので、
こちらもぜひよろしくお願いします。
ということで、また次回お会いしましょう。
さようなら。