EFTの理論のもとになっている接近応答関与というのがあって、それを実現するための方法が7つの会話に分かれていたんですね。
第1から第3の会話というのは夫婦がお互いの信頼関係を作るための準備体操でした。
前回お話した第4から第6だったかな?
あ、7か。第7の会話。4から6までの会話というのが実践編になっていくなと思ってまして、
だけどこの多くの人が自分たちの夫婦関係を改善しようと思った時には、この第4以降の会話をいきなりやっちゃうんですよ。
で、ちょっと待ってくださいね。 第4の会話っていうのが
第4の会話、第4の会話、第4の会話というのがそうですね、自分がどう感じているのか、何を恐れているのかということを洗い出したり、
パートナーにどうしてほしいのかというのを伝えたり、それによって自分たちの共感性を高めて上手的な共鳴を促したりとか、
あと傷つけられたことを許すという回ですね。不倫の問題とか過去の産後暮らしの傷つきとか、あとはちょっとした声かけとか、
下側としては慣れ気ないと思っている言動であっても、そのお互いにとっては大きな心の傷となっている場合があるので、そういったことを許していくという話であったり、
あとはセックスの会話ですね。第6話。自分勝手なセックスではなくて、お互いに身も心も共鳴し合うような、共鳴し合うセックスというふうに数字の図を書いてますけど、
そういったお互いにとって、自分弱いじゃなくてお互いのことを考えたセックスによる絆であったり、第7の会話はそれを持続させるための行動だったりとかするわけなんですけど、
いきなり第4の会話に行っちゃうというケースがめちゃくちゃ多いんですよ。例えば浮気の話で夫婦がこじれたときに、
もう過去のことなんだから許してほしいと。いきなり許すってことを共有したいとか、僕らは前を向くべきなんだと。
もう過去のことを言ってたらしょうがないじゃないかと。もう今からのことしかできないんだから、昔のことを掘り返してもしょうがないじゃないかと。
それはもう悪かったって言ってるじゃないかと。謝ってるじゃないかと。だから前を向くべきなんだよと。
あとセックスの話、身体的な絆のセックスの話に関しても、自分以外のセックスをしていないかとか、相手から承認を求めるためだけのセックスを受け入れていないかとか、
そういったことを考えずにいきなり、じゃあ頻度はどうしようかみたいな話に持っていくっていうセックスレスの課題が2人にあって、
それを解決するために、じゃあ週に1回が嫌だったら、じゃあ2週に1回はどうだとか、それがダメなら3週に1回はどうだとか、3ヶ月に1回はちょっと無理だみたいな。
頻度の話し合いをいきなりし始めちゃうとかね。話し合い、夫婦で話し合いをしましょうとか、対話をしましょうとかってよく言いますけど、
いきなり対話に移ることって無理なんですよね。だけど多くの本では対話をしましょうとか、思ったことを話し合いましょうとかっていう風になってるから、
いきなり話し合いをする、いきなり解決しようとする、いきなり実践編に移る、だから失敗するんですよね。うまくいかないんですよ。
別れ合いないっていうその感情だけが降り積もって、もうすっごい距離が離れてしまって、吹雪の中で相手の姿を見失うみたいな、そんな感じになっちゃったりするわけですよ。
こうやっていきなり前を向こうとかって言われても、過去にあった浮気とか産後クライスとかっていう問題は、確かに起こったタイミングは過去のものであるんですけど、
本人にとってはフラッシュバックにさい名前でいたりとかして、過去じゃなくて現在進行中の傷なんですよね。フラッシュバックがある場合って。脳が今の危機っていう風に感じてるから。
今の危機って感じてるから、そこから抜け出すためにその害を与えた人間、夫だったり妻だったりとかに対して脅威を感じて、そこから逃げようとする、距離を取ろうとするっていうことが起こってくるわけですよ。
で、そんな時にじゃあセックスの頻度をどうしようとか、前を向くべきだとか、そんなこと言われても全然心に響かないわけですよ。ここに響かないから関係性も変わらないわけですよ。
っていうのが問題が起こっているわけなんですね。で、このセックスの頻度をどうしようかっていう提案も、この話ばっかり今、僕おっしゃってますけど、これがよくある話なんでしますけど、
なんかそんな心理的安全性が全くない中で、セックスの頻度はどうしようっていうことを話すのって、お前は1日に何人の客を相手にできるんだって、売春婦みたいな扱いを受けているような屈辱感を与えることになったりするんですよね。
セックスマネキみたいな感じに扱われているような虚しさを感じたりする。じゃあ、なんでこういうことが起こるのかというと、それは第一から第三の会話で気づくべきだった信頼感、これが存在しないんですよ、二人の間に。
信頼感というのは夫婦関係における基礎であるわけですよね。家を建てるためにはまず基礎固めするじゃないですか。
それをしないと家が傾いたりとか、最悪の場合崩壊したりするわけですよ。夫婦喧嘩によって夫婦の絆がバラバラに壊れちゃうというのは、ちょっとした地震でも崩壊してしまうほど、二人の絆の耐震設計が貧弱なんですよ。全然ボロボロになっているわけですよ。
というのが背景としてあるわけなんですね。スー・ジョンソンのこのEFTの中では、接近応答簡易は基本となっているというふうに抱えている。接近というのは相手に対して素直に心を開き続けること、そして応答というのはパートナーが発している感情並みというのを感じて、そこに自分の発音を合わせていって思い入れを与えていくという行為。
関与というのは、二人の心と体が共にある状態のことを指している。この3つが順番になっていて、それをできるようにするための7つの会話が用意されているわけなんだけど、日常生活の中で盛り込むときにどうすればいいかというと、この接近というのが一番難しくなってくるわけですよ。
パートナーに対して疑いとか不安があったとしても、心を開き続ける。そしてグワーッと怒りの感情とか出てくると思うんですよ。そういったネガティブな感情に振り回されないように努力するということも接近という意味をしているんだけど、だけどね、これってまあ難しいじゃないですか。じゃあどうやってこれを実現させればいいのかというのを今日話していくんですね。
これがEFTの理論における一番最初の特化解なんです。頭出しなんですよ。もう一回説明すると、EFT、エモーショナルフォーカスセラピーというのは、接近応答関与、心を開き続けて感情並みを感じて、波長を合わせて思いやりを与える、そして心が共にある状態を目指すという接近応答関与の理論なんだけど、この一番初めの心を開き続けるというところで多くの人が
うまくいかなくなっているように僕には感じられるんですね。いろんな夫婦関係を悩んでいる方の話を聞いている中で。専門家の方はまたちょっと違った意見とかになると思うんだけど、僕が夫婦関係を悩んでいる方の話を聞いて、EFTの理論と照らし合わせて考えると、心を開き続けること、素直に心を開き続けること、そしてネガティブな感情に振り回されないように努力すること。この一番頭の部分がやっぱり一番難しいなって思うんですよ。
僕も修行中なんですけど、普段の生活の中で意識していることだったりとかいうのをちょっと今日は話をしていきますね。
まず、信頼感をどう築けばいいのかって話ですけど、それは前々回の第1の会話で話をした悪魔の対話ですね。
自分たちの関係性が悪いループにはまっているということ。お互いを攻め立てて、もう勝つ人間がいない、どっちが悪い、どっちが良い悪いとか、俺が勝った、私は勝ったとかっていう競争になってるんだけど、勝者の存在しない地獄へと共に落ちてるってことに気がつくことなんですよ。
悪魔の対話に今自分たちがハマってるってことに気がつくってこととして、お前が悪いとかあんたが悪いっていうふうに相手を悪者として見るんじゃなくて、そういうふうにネガティブなループ自体が悪者なんですよ。
お互いにとって、私にとってあなたはとても大切であるべき存在なんだって、俺にとって君はとても大切であるべきなんだ、あるべき存在なんだっていうふうに、お互いに対してそういうふうに感じてるわけですよね。だからこそ怒りを感じるんですよ。だからこそ何が承認されると怒りを感じるんですよ。だからこのトラップにはまっちゃうんですよ。このトラップ自体が悪者なんですよ。妻も夫も悪者ではないんですよ。
このトラップが悪者なんですよ。それで気がつくってことがすごく大事なんですね。ネガティブループ自体が敵なんだっていうこと。だけど、じゃあこのネガティブループを敵だって認定するっていうのは意外と結構難しくて、ネガティブループにはまっちゃうと抜け出すのは結構難しいじゃないですか。
お前が悪いって、あんたが悪いって言われると、なんだと思うみたいな感じになって、この喧嘩の温室が止まらなくなるじゃないですか。僕もすごいよくわかるんですけど。じゃあどうやってそこから抜け出すかっていうと、いくつかコツがあるんですけど、それはパートナーと自分から物理的な距離を取ることなんですね。これは多分ショートの方で話してるかもしれないですけど、
物理的な距離を取ることによって、心理的な距離が生まれて、そして自分の感情をメタ認知できるんですね。どういうことかというと、喧嘩になるとつい感情が高ぶっちゃいますよね。
で、お前が悪いって、あんたが悪いって、あの時あんたがこう言った、お前こそあんたがこう言ったみたいな、この後からノク音でもしてたらすごいもう見にくくて聞いてらんないような応酬がこうなったりとかするわけですよ。もしくは黙り込んじゃったりとかね。っていう短いターンでの応酬になると思うんですよ。
ノクに考えずに言葉を発するから相手を余計イラたたせてしまったりとか、で怒りの感情に自分の心が塗りつぶされてしまって、本当は何を感じているのかっていう本心が全く見えなくなるってことが起こる。
これって絵画の鑑賞と同じで、油絵とか美術館で鑑賞するときに、めっちゃくちゃ近くで見ると何が何だかわかんないじゃないですか。
例えば、ひまわりの絵とかをね、鑑賞するときに、もう1センチぐらいの絵から1センチぐらいの距離で見ても、なんか黄色い何か塗料がくっついてるみたいな風にしか見えないわけですよ。
なんかタッチ粗いなぁみたいな風にしか見えない。だけど、ちょっとこう離れて見てみると、筆使いの粗さしか見えなかったし、作者の意図なんか全然わかんなかったんだけど、5メートルぐらい離れて鑑賞してみると、全然見えてなかった、わかってなかった作者の技法っていうのが目に飛び込んできたりしません?
実は、すごい粗いと思っていた絵の具のタッチっていうのが、全体の美しさのバランスを取るための調整であったりとか、なんかここやたら色濃いなぁみたいな思ったところが、実は陰影をつけてバランスを取るための調整だったっていうふうに理解できたりする。
夫婦喧嘩も同じで、ネガティブな感情の距離っていうのがすごい近づきすぎてるんですよ。ヒートアップしすぎてるんですよ。そういうふうに感じるんだったら、5メートル離れて絵画を鑑賞するように物理的な距離を置いてみるんです。
昔、うちの妻は、僕らがネガティブループにはまりそうになると、よく30分か1時間くらいに家出をしてたんですよね。外で頭を冷やしてるってことが多くて、前にも話したと思うんだけど、そうやってやると、残された僕の方も頭が冷やされるから、なんで自分はあんなこと言っちゃったのかなとか、本当はどうしたかったのかなとか、どうされたかったのかなとかっていうことに気がつきやすくなってくるんですね。
で、その時には、自分はどうすべきだったのかじゃなくて、どう感じたのかっていう、自分の行動を引き起こした感情は何だったのかっていう感情面にフォーカスを当てると、すごいわかりやすくなってくる。自分の感情に気がつきやすくなってくるんですね。
というのがまず一つ。で、次はですね、感情への寄り添いと解決方法の提示は別に実施するっていうのもコツなんですよね。
夫婦が葛藤を解決しようとするとき、課題を解決しようとするときに、さっき言ったみたいに第4以降の会話、実践的な方に飛びつきやすくなる。セックスの頻度はどうするとか、家事・育児の分担はどうするとかっていうふうに、具体的な解決方法に飛びつこうとする。
だけど、これはもう具体的な解決方法であって、その感情への寄り添いと解決方法の提示を別に実施する必要があるわけなんですよね。
第4以降の会話についてちょっと触れると、自分が恐れていることとどうして欲しいかを伝える第4の会話。私を受けて抱きしめて。
第5は傷つけられたことを許す。傷つけた側は後悔と反省を伝えて、傷つけられた方はそれは許す。
そして心と体が共鳴し合う真のセックスを目指す第6の会話。身体接触による絆。
そして学んだ愛の会話を継続させる第7の会話。愛を持続させる。この4から7にいきなりみんな飛んじゃうんですよ。
なぜかというとわかりやすいから、実践しやすいから、ハウトゥーだから。
いろんなことの問題だなって思うんですけど、夫婦の葛藤を解決しようと思った時に具体的なハウトゥーを求めることが人は多いんだけど、
実はそれは第2段階なんですよね。 具体的な実行方法とか実践内容というのは、
冒頭で話をしたように、2人の間に信頼関係が築けていないと実践できないんですよ。
家の基礎が成り立ってない状態で家を建てる。すると震度3とかでバラバランと壊れちゃうってことになるから。
なんだけど多くの人はこのわかりやすいハウトゥーである第4以降の会話にいきなり飛びついてくるんですね。
実践的かつ具体的な内容だから。多くのパートナーシップ本にもこういうことが書いてあって、こういうことをやりましょうねってことが推奨されるわけですよ。
だけど実際どうですか? そういったことを実践してみて何か変わりました?
多くのケースというのは変わらないことが多いんじゃないかと思うんですよ。そして同じテーマでちょっと内容がほんのちょっと変わったような本を買い続けるってことが起こる。
そこに答えがあると思っちゃうからね。まるで語学学習に悩んで、語学学習のメールに迷い込んで、
なんかトイック対策本だとか、英語3ヶ月でペラペラ本とか、そういう本をやたら買い続けるみたいなことに陥っちゃう。
僕も昔陥ってましたけど。っていう風になっちゃうんですよ。
なぜかというとパートナーに対する感情への寄り添いと解決方法の提示を同時に行っちゃってるんですよね。
家事・育児の分担、夫婦二人の時間の、二人が一緒に過ごす時間のアポドリン、セックス・頻断を取り決め、
こういったことを話す中で感情への寄り添いも並行させて行おうとしてるんですよ。
いつもの話を聞いて、ああ、そっか、そうなのか、なるほどな、じゃあこうしよう、みたいな。
もう早いな、みたいな。いきなり解決ボーン出すみたいな風になっちゃうんですよ。
これってある意味どうしようもないところもあって、僕ら男性が問題をとにかく早く解決したいって思っちゃうんですよね。
早く解決したい、解決できない状態が気持ち悪くて、いきなりこう提示しちゃうってことが起こってる。
そして謝ってるじゃないかと、分担するって言ってるじゃないかと、もう過去に戻れないんだから、
これからどうしようかだろうって多くの男性は言うんですね。
これを言われたっていう女性もめちゃくちゃいました。
これを聞いてあなたももしかしたらそう思うかもしれない。
そして夫からそう言われたことがあるかもしれないですね。
言われたことあります?もしかして自分が言ったことはありませんか?
でも違うんですよね。感情への寄り添いがされていない状態で解決方法を提示されてもどうですか?
全く心に刺さらないんですよね。思いやりは向けられているというふうには感じないんですよ。
感情への寄り添いというのが効果を発揮することで、やっと解決方法の提示を受け入れる準備が整うんですよ。
解決方法が頭で浮かんだら、もうすぐ言いたくなっちゃうんだけど、僕も今でも言っちゃうんだけど、今でも言っちゃう時が多いんだけど、
妻の感情に寄り添って、妻があなたの寄り添いを感じられるようになってから、解決方法は提示する必要があるんですね。
第1から第3の会話ができるようになって、あなたと妻の間にある信頼関係が築けていると感じられるようになった時に、
やっと実践編である第4行の会話、具体的な実践内容、具体的なパートナーシップ改善のための行動に移るべきなんですね。
次はですね、最近よく感じるんですけど、接近におけるパートナーに素直な心を開き続けることの話なんですけど、
素直に心を開き続けるためには、自分の感情を理解してないと言えないんですよね。
自分が何を感じているのか、本当はどう感じていたのかということがわからないと、パートナーに心って開けないんですよね。
パートナーに対して、自分の妻に対して、じゃあ自分が思っていることを話そうって思った時に、
素直にバババーって言えたことってあります?
僕もなかなかないんですよ。なかなか自分が思っている感情、自分のものなのに、自分の感情なのに、自分の感情ってガチってなかなかつかめないじゃないですか。
なので、自分の感情の深掘りっていうのが必要になってくるんですよ。
接近であるパートナーに素直な心を開き続けるためには、自分の感情の深掘りが必要になってくる。
僕、夫婦関係に悩んでいる方の相談に乗っているとよく感じるんですけど、僕自身の話している中で、僕自身の役割というのが、思考の整理役みたいなふうに感じることが多いんですよね。
夫婦間の中で葛藤が起こった時、例えばそれは不倫だったり、婚外恋愛だったり、
産後クライスだったり、あとは普段の行いだったり、ケアされている感じない寂しさであったり、
ない場所にされているという感じる孤独感であったり、いろんな感情、いろんなショッキングな出来事があると思うんですけど、
そういう時ってやっぱりパニックになっちゃって、自分が本当に感じている感情と、
いやこうあるべきだっていう姿がごちゃ混ぜになっちゃって、この事態をどうやって捉えたらいいんだろうって、そもそもこれはどういう状態なんだろう、
どうすればいいんだろう、さっぱりわからなくなっちゃうんですよね。混乱状態になっちゃうんですよ。もう全然何が何がわかんないみたいな風になっちゃって、もう終わらせればいいんだと思って、
という風になっちゃうんだけど、そういう時に自分に起こった出来事を自分の口で話すこと、誰かに説明することで、出来事が頭の中で整理されていくんですよね。
あの時はこうなって、ああなって、こうなって、そうなったのかって。その時そうすると整理する中で自分がその起こった出来事に対してどういう物語を与えていたのかというのがわかるんですよ。
それに対して自分はどう捉えていたのか、どう感じていたのか、それを自分は自分とパートナーとの間に起こった出来事を自分はどういう物語として捉えていたのか、それは自分がすごく悲劇の主人公だったのか、それとも妻に対する思いやらなさから来る妻の悲劇だったのか、どういう風な物語を与えていたのかということに気が付くようになるわけですね。
そうすると自分は本当はどう感じていたのか、そして本当はどうしたかったのかということが見えてくるわけですね。
相談者さんと何度も質問するんですよ。相談する中でよく質問するんですけど、相談を受ける中で何度も何度も質問するんですけど、そう感じるのはなぜですか、なぜそうしたんですか、その時どう感じたんですかということをすごい何度も聞くんですよ。
こういうことってあんまり聞かれたことないですよね。普段の生活の中で、例えば友達と話している時に、なんでそんなことしたのとか、その時どう感じたのとか、そう感じるのは何でなのとかって聞かれたことあります?
多分ないと思うんですよ。みんなね、ああそうなんだ、へーみたいな、ははーみたいな感じで、そんなことあるんだねーとかって流していくと思うんですよ。
だから多くの人は自分の感情の奥深くにあるものに気がつかないんですよ。そこに何があるのか、柔らかな気持ちはそこにあるんだけど、そこには気がつかないんですよ。
そこには自分でも認めたくないような気持ちもあったりする。嫉妬であったり、妬みであったり、自尊心の欠如であったりする。もしくは孤独感、屈辱感、切なさ、寂しさ、悲しさ、そういった負の、負と呼ばれるような感情もそこにはあるかもしれない。
でも別にそこに良い悪いのジャッジなんかする必要はないんですよ。自分がどう感じていたのかっていうのを見つけ出すためにはどうあるべきかなんてことは考える必要なんかないんですよ。それに誰がどうジャッジするかなんてことはどうでもいい話で、自分が本当はどう感じていたのかっていう見にくいかもしれないし、情けないかもしれないし、とっても悲しいかもしれないけど、だけどそれでいいんです。
そのままの自分の姿を深掘りしていくことがとても大事なんですよ。深掘りしないとそれはパートナーに伝えることはできなくて、伝えることができなければパートナーから理解されることもないわけですから。
こうやって自分の奥深くになる感情を深掘っていくわけだけど、よくノードプレイングみたいなことをやったりするんですよね。僕が相談者さんのパートナーとなって質問をして感情深掘りしていくとかって。
そうやってやると自分になかった視点とか感覚っていうのを得られるようになるんですよね。自分の感情を深掘りしていく中で、その感情に対する視点とか自分の感覚に対する見方っていうのを全く別な人からの視点を手に入れることによって、別な捉え方ができるようになってくるんですよね。
するとパートナー、特に妻に対しても向き合いやすくなって、夫に対してももちろん向き合いやすくなってくるんじゃないかなって思います。そうやってパートナーに心を開き続けるためには、まず自分の感情を知る必要があると。
そしてそれを知ることは案外難しい。だからさっき言ったみたいに、誰か壁打ち役になってもらって感情深掘りしていったりとか、あと一人でできることだったらノートに書き出してみたりとか、誰かとおしゃべりをしたりとか、カウンセラーに相談したりとか、いろんな方法があるんで、そうやって感情深掘りするトレーニングっていうのはぜひやられてみてください。
最近の僕は簡単なマインドフルニスを行っていて、そこでやってるんですけど、すごい静かな公園をブラブラ、仕事中に抜け出して、5分か10分ぐらいブラブラ散歩して、何も考えないようにするんですよ。
仕事悩みとかふわっと頭に入ってくるんだけど、あえて全部外に出して、何も考えず、ただ風だけを感じて、ただ太陽だけを感じて歩く。そしてその時に自分の心の中に何があるのか、どういった感情があるのかっていうのを見つめるんですよ。眺める感じに近いですね。
仕事中に感じたストレスとかもあったりするから、焦り、嫉妬、行き通り、悲しみとか孤独とか喜びとか、その時々いろんな感情があるんですよね。
それは泡のように浮かんでいっては消えていったりとかするわけなんですけど、それをただ大切に扱うんですよ。そこにあることをただ見つめる。良い悪いとかジャッジはしないで、こうあるべきというしがらみにも縛られないで、自分への思いやりというのを満たしながら、それらを見つめるんですね。
すると自分の柔らかな気持ちにも振りやすくなってくるなと思っています。
人によって向いている方法は結構いろいろあると思うんですよ。
僕、昔禅寺で座禅もやってみたりとかしたんですけど、大阪な雰囲気で心が現れるようなすごい良い体験でしたね。
もし近所にお寺があって定期的に行けたりとかするんだったらすごくいいんじゃないかなと思います。
あとは瞑想サークルとかもあったりとかするんで、それに入ってみるというのもいいんじゃないかなと思います。
僕もそういったサークルを1つ入ってて、ちょっと参加できたりできなかったりとかいろいろあるんだけど、すごく良い体験だなと思っています。
僕の友達はYouTubeのマインドフルネス動画を使って瞑想を習慣化してますね。
辛いことがあった時にそれを聞いて瞑想をしたりとかしてます。
日常の中で簡単に取り入れられるものの方が習慣化しやすいと思うので、ぜひ自分に合ったやり方を見つけられてみてください。
あと2つありまして、パートナーに心を開き続けるためには、
受け止められないことでパートナーがこっちが発した素直な気持ちを受け止めてもらえなかった時に、
それをどう感じたかというのを伝えるというのが大事なんですよ。
どういうことかというと、あなたと一緒にいられないことですごく寂しさを感じるなとか、
例えばね、昔こんなことがあって、子供ばっかりの時にあなたがなかなか家にいなくてとても寂しかった。
本当はすぐそばにいてほしかったんだとか、逆バージョンだったんだろうな。
夫から妻に対しては、妻が他の男と二人出かけたりしてるとか、
何かやり取りをしてるとかっていうのを見た時にすごく心がザワザワするんだとか、
辛く思うんだとかってことを言った時に、そこまで言わないな、そこまでじゃなくて、
他の男と会わないでほしいとか、やり取りをしないでほしいとかって言った時に、
パートナーが、それがどうしたの?今更そんなこと言われても困るんだけど、だから何?みたいな風に
そう言われてしまうことってあると思うんですよね。
素直な気持ちを伝えてるのに不機嫌になったりとか、怒りをぶつけられたりとか、
っていうことは結構あったりとかすると思う。
これがなぜ起こるのかっていうと、それはあなたのパートナーが、
夫婦間におけるお互いの影響力の強さを知らないからなんですよね。
例えば僕だったら、僕が妻に対して与える影響力の強さ、
それは僕の何気ない言葉であったり、行動であったりとか、
それが僕にとってはささやかなことと思われるようなことでも、
すごい強い影響力を持っていて、妻を傷つけるパワーがあるんだっていうこと。
これになかなか人は気がつけないっていうことですね。
距離が近づきすぎるほど、夫婦ってなかなか遠慮しなくなるじゃないですか。
遠慮しなくなりますよね、どうしてもね。
時間が経てば経てほどどんどん育っていって、
子供が生まれると優先順位が子供に移っていくから、
余計夫婦感の中において、
お互いを大切にし合うマインドはどんどんとすり減っていく。
そしてそれが当たり前だというふうに思ってしまう。
そしてこれが夫婦なんだから分かってよというふうに、
相手にそういった遠慮のなさというのを許容するよう、
案に求めたりもするわけですね。
だけど違うんですよね。
夫婦っていうのはお互いに大切であるべき存在と、
自分はそこで思っているから、
ちょっとした言動でも大きく傷つけようにできているんですよ。
前回話をしたように寝床類の特徴であって、
僕らは大切な存在から傷つけられた時に、
怒りを感じるようにできている。
これは自分の命を守るための生存本能なんですよね。
だからこそ素直な気持ちをパートナーに伝えて、
拒否されてしまった時は、
その時は自分はどう感じるかというのを伝えるんですよ。
そう言われた時にね、
それがどうしたの、そんなこと言われても、
言われた時にあなたはどう感じますか?
すごく寂しいな、悲しいなって思うわけですよね、きっと。
それを素直に伝えるんですよ。
怒ったりするんじゃなくてね、
怒るっていう方向性じゃなくて。
その時にあなたのパートナーはきっと戸惑うと思うんですよ。
どうしていいかわからなくて途方にくれるかもしれない。
さらにもうそんなこと言われてもどうしようみたいな、
みたいな風になっちゃう人もいると思うんですよ。
でもあなたが求めているものって何ですかね?
それは今すぐ何とかしてほしいっていう、
もちろんそれもあると思うんだけど、
そこに行くちょっと一歩、二歩、ステップ前に
違う気持ちがあると思うんですよ。
それはただ私の気持ちを受け止めてほしい。
私がそう感じていることをただあなたに知ってほしい。
そういう純粋な思いなんじゃないかなと思うんですよね。
もちろんああしてほしい、こうしてほしい、
こういう風に変わってほしいっていう願いはあると思うんだけど、
だけど怒りによるネガティブループが
ブワーンって巻き起こっている今では、
まずは自分の気持ちをわかってほしいっていう思いが
最重要課題なんじゃないかなと思うんですよ。
だから伝えてみるのがいいと思います。
そういう風に拒否されてしまった時に
自分がどう感じたのかっていうのを。
あなたが私の気持ちを受け止めてもらえないことが
とてつもなく悲しい。
私にとってあなたはとても大切な存在だから。
この世界で最も大切な存在であるあなたからそう言われると
心がこなごなに砕け散り、
生きていく望みを失いそうになる。
あなたが私のことを理解してくれている。
そう思うだけで生きていける気がするの。
私にとって大切なあなたが
私のことをわかってくれている。
あなたと私は違う考えを持っているけど、
それでもあなたが私のことをわかってくれている。