パートナーに期待すること
パートナーへの期待、それはいいことなのか、それとも悪いことなのか。家事・育児、キャリア、性の問題、夫婦になることによる様々な葛藤をどうすれば僕らは乗り越えられるのか。
アツの夫婦関係学ラジオでは、そのためのヒントをお送りします。今回は、パートナーに期待することについてお話ししようと思います。
まずはですね、あるコメントをいただきまして、そこからいろいろと思ったことがあったので、考えをまとめてみたので、お話したいなと思ったんですね。
あと、最近身近な周りの人たちとの話の中でも、パートナーへの期待に関するメリット・デメリットのような話を聞くことが結構増えてきまして、
その期待とは一体何なのか、何でそれが夫婦をこんなにも振り回すのかについて、今日話をしようと思います。
いただいたコメントなんですけど、522話、お悩み相談。夫の不倫から関係性を立て直したい。どうすれば?の回にいただいたコメントで、
知恵おぐまさんからいただきました。ありがとうございます。内容は、結婚の問題のほとんどは、相手や結婚という形のない流動的なことに期待をしすぎるから起こっていると思います。
問題や不満が多少ありきなのが結婚だと捉えたら、そこまで悩んだり取り乱さないのではないかと思います。ということでいただきました。ありがとうございます。
これを読んでいろいろと考えたんですね、僕も。そこから考えた話をしていくんですけど、そもそもパートナーへの過度な期待がなければ、果たして夫婦関係がうまくいくのだろうかということをちょっと考えてみたんですね。
過度な期待というところが多分ポイントで、ちょっとした期待、例えば、部屋を掃除しておいてほしいなとか、私が出かけた間に掃除機かけておいてほしいなとか、そういった期待よりももうちょっと多分強い期待が大きいと思います。過度な期待って。
何かというと、その人の性格的に合わないことを望んでしまっているケースっていうのがなかなかうまくいかないことが多いですよね。周りの人に話を聞いていても最近すごく多いなと思っていて、例えばすごいアクティブな人、例えば自分の夫や自分の妻がすごいアクティブな人だったとしたら、あまり出歩かないでずっと家にいてくれないかなというふうに伝えたりとか、そういった期待をかけたりとかする。
もしくは同じようにすごい外交的な人に対して、あまり友達と遊ばないでほしいんだよね。なるべく家にいてほしいんだよね。すぐ帰ってきてほしいんだよね。遅くまで飲んでいないで、遊んでばっかりいないで、結婚してるんだからさ、早く帰ってきてよっていうふうに期待する。
これは子供が生まれていったら、そりゃそうで早く帰ってこいよって話になると思うんですけど、なると思うんですけど、だけど息抜きで月に1回とか2ヶ月に1回とか3ヶ月に1回とか、遅い時間まで友達と遊んだりとかっていうのは別にいいんじゃないかなって僕は思ってはいるんですよ。
そういう時に、ずっとずっと必ず家にいなきゃいけないとか遊んではダメとかっていうふうに、何だろうと理不尽と思えるような過度な期待を相手にしてしまう。こういったケースが起こると。
なんでこういった過度な期待っていうのが発生するのかっていうのを考えてみると、お願いしている本人にとっては全然やりすぎとか過度な期待とかじゃないんですよね。全然普通だしって多分本人は思ってるんですよ。自然なことだと思ってるんですよ。
それはその期待をしている本人にとっては当たり前のことなんですよね。その人の人間性から考えたら全然おかしくなくて普通のことで当たり前のことなんです。その人の目線で見たらすごい当たり前なんですよ。
例えばすごい家にいるのが好きとか、家族がみんな一緒に行動しないといけないとかっていう価値観を持っている人だとしたら、自分の妻、夫が毎日じゃないと思うんですけど、月に1回、2ヶ月に1回で会ったとしてもなかなか遅く帰ってくるとか、友達と飲み歩いていてなかなか帰ってこないとか、仕事がすごく遅くて毎日10時とか12時とか、もしくは徹夜とかが普通にあると。
そういう人がパートナーだったら、多分ね、自分の目線から見たらこの人おかしいよねって思うじゃないですか。自分と全然違う価値観で生きているから。
だからそこをちょっとおかしいから早く帰ってきて、家にいてってふうに思ってしまうわけですよ。これってその人の目線から見たら、その人の眼鏡を通して見た世界なわけですよ。だからその人にとっては全然何もおかしくないんですよ。自然なことなんだよ、全然。
そういった自分の価値観とか自分なしさっていうのを相手に求めている。その気持ちが過度な期待としていろんなお願いとか言葉として現れてくると。
言われている本人にとってはどうなのか。なぜ言われている本人はそれを過度な期待と感じてしまうのかというと、自分にとって全然違うパーソナリティを求められているわけですよね。
すごく外交的な人だとしたら、ずっと家にいてほしいとか、あんまり外の人と会わないでほしいとか言われるのって、すごい窮屈に感じるわけですよ。自分を否定された、自分の人間性を否定されたって感じるわけですよね。
そういった窮屈さとか悲しさってことを感じるわけですよ。だからちょっとやりすぎじゃない?それ。押しつけすぎじゃない?って思うわけですよ。向こうからしたら全然普通のことを言ってすごいなんだけど、言われている本人にとっては全然自分の感性とか価値観と逆のことを言われているものだから、それ過度な期待だよねっていうふうに捉えてしまうってことですね。
じゃあ、期待をしなければどうなるのかっていうことについて考えたいんですけど、相手に対する期待、それが過度な期待であっても小さな期待であったとしても、例えば小さな期待って言ったらさっき言ったみたいな、ちょっと私が出かけている間に洗濯機を回しておいてほしいなとか、床がちょっと汚れているから掃除しておいてほしいなとか、言葉にはしないけど思っている、そういった小さな期待。
で、そういった小さな期待、大きな期待、小さな期待、こういった期待を相手に求めなければどうなるのかっていうと、多分夫婦間の中で感情の葛藤というのはあまり起こらないんじゃないかなとは思うんですよ。
過度な期待と葛藤
言葉にして相手の人間性を否定するようなことを言ったりとか、自分の価値観を相手に押し付けたりするってことは起こらないからね。
だから感情の葛藤は起こらないですよね。え、なんでそんなこと言うの?私の性格をすごく馬鹿にされた気持ちになるんだけど、俺のことを否定された気持ちになるなとか、そういうふうなことが起こらないですよね。そういった感情的なトラブルって起こらないですよ。
ただ、相手に対して期待をしないってことは、自分を大切にしてくれているという実感を感じにくいんじゃないかなって僕は思うんですよ。
もちろんね、こういった話をすると、期待をしない、相手に無理な期待をしない。相手に期待をしないってことは、相手の人間性を尊重していることだって思う方もいると思うんですよ。
相手の人間性を尊重するからこそ、私は、俺は夫に対して妻に対して無理なことはお願いしないんだ。期待はしないんだ。だってそれ相手の人間性を無視することになるじゃない。
私と彼の人間性は違う。私と妻の人間性は違う。だから相手に期待するなんて無駄なことなんだよね。意味がないことなんだよね。相手の人間性を踏みにじる行為だよねっていうふうに捉える人もいるかもしれない。
だけどちょっと考えてほしいんですけど、パートナーへの期待を禁じられた世界っていうのはどういう世界なのかなってちょっと考えたんですね。
相手に期待をしちゃいけない。妻に期待をしちゃいけない。夫にも期待してはいけない。そんな世界って何が起こっているのかなって考えると、妻も夫も自分らしさを尊重することができますよね。
自分らしくある。アクティブな人は外にいっぱい遊びに行くと。アクティブじゃない人は家に閉じこもって本をたくさん読んだりとか、映画を観たりとか、そういった自分らしく生きることができるかもしれない。
そして仕事や趣味、友人関係など、自己実現の追求が要因になりますよね。邪魔されないから。夫や妻が邪魔されないから。自分の好きなことを自分勝手にできるようになる。
だけど一方で、パートナーとの感情の葛藤がない世界、パートナーへの期待が禁じられたことによって感情の葛藤が起こらない世界というのは、パートナーと感情的に混じり合おうとしない世界でもあると思うんですよ。
自分の気持ちを相手が分かってくれることはないし、相手の気持ちを自分が分かることもないわけですよ。
だけど自分のパートナーはこういう性格だということを分かっているから、私はこういうふうに相手に対して期待をしないんだ。だから相手の感情は分かっているよと思うかもしれない。
だけど大きな期待、小さな期待、どんなサイズの期待にしても、それをお互いに思っていることを相手に望んでいること、望んでしまうこと、それをポロッと口に出したことを呼ぶときにお互いの感情が混じり合うんだと思うんですよね。
赤と青の絵の具が水に溶けてそれがふわっと一緒になって混ざり合って紫色に変わってきますよね。
ああいった瞬間、ああいった反応というのは自分たちの期待とか願望というのを言葉にして相手に伝えないと相手の感情は自分の中に入ってこないし、自分の感情はまた相手の中に入っていかない。
それは自分らしさを理解してもらえるチャンスだと思うんですよ。そして同時に相手の人のその人らしさを理解するチャンスでもあると思うんです。
それは分かっているよというのではなくて自分の体感として感じられるチャンスなんだと思うんですよね。
それを思うと、自分らしさを尊重しすぎる世界、仕事や友人関係、自己実現を追求する世界、パートナーと感情的に交わろうとしない世界、この世界で生きるということは結婚する意味がないんじゃないかなと思うんですよね。
結婚の意味とパートナーシップ
これは僕がわけまでも思うという話なんですけどね。いろんな人がいるのでいろんな意見があると思うんですけど、僕は結婚する意味がないんじゃないかなと思うんですよ。
なぜかというと、結婚する意味って何なんだろうということをもっと多くの人は深く深く考える必要があると思うんですよね。
なんで僕らは結婚しているんだろうか、なぜ私たちは結婚しているんだろうか、私たちが結婚している意味とは一体何なんだろう、何のために結婚しているんだろうということを考える必要があるんじゃないかなと思うんですよ。
僕にとっての結婚する意味、結婚の定義、結婚継続の定義というのは、意味というのはお互いに協力し合いながら一人では到達できない幸せを二人が得ることなんじゃないのかなと思うんですよ。
自分が楽しければいいということだったら、それこそ友達と一緒に遊んだりとか、自分の中を推し勝つとかね、自分の好きなアーティストのライブに行ったりとか、
どこか遊びに行ったりとかして、そういった消費活動を通して消費によって楽しむ、得るということは一人だったら別にいいんだけど、結婚して二人になると好き勝手に生きることができなくなるわけですよね。
目の前の家事や育児といったことに対してお互いに協力し合わないと前に進まないわけですよ。
その時に自分のことばっかり考えていたら前には進めない。
お互いに協力し合うことによって、もちろん協力の前にお互いに思っていることを感情的に伝え合うことによって葛藤が起こるわけだけど、
その葛藤をいくつもいくつも乗り越えていくことで協力し合うことがだんだんできるようになってくるわけですよ。
そうすると一人だけでは、自分一人の人生だけでは味わうことができなかった幸せを手に入れることができるようになるんですよね。
僕はそれこそが結婚する意味なんじゃないのかなと思うんですよ。
例えば僕らの場合は子ども3人いて育児がすごく大変なんですけど、大変さを二人がシェアし合うこと、
その大変さをお互いに見合いながら前に進んでいくことによって生まれる幸せというのは、
僕一人が生きている世界では絶対に手に入れることができなかった幸せなんですよね。
金曜日の夜に子どもたちが寝静まった夜9時とか、
うちの子たち9時くらいに8時過ぎくらいに布団に入れるんですけど、
夜3人が喧嘩したり楽しんだりしてなかなか寝ないんでね。
9時くらいにあの子たち寝るんですけど、寝静まった夜に妻と一緒に、
今日はこんなことだったねとか、大変だったねとか、でもあの子たち美味しくなったよねとか、
お互いに苦労を握り合いながら、自分たちにしか理解できない、
自分たちでしか味わうことができない感情を二人が共有する、
その瞬間は何もにも変え難い幸せなんですよね。
これは僕と妻、この二人でないと味わうことができない幸せなんだと思うんですよ。
その他にも家族で一緒に旅行に行ったりとか、そういった思い出というのも、
僕と妻、一緒に子育てとか家事とか生活を一緒に乗り越えてきた、
バディだからこそ味わうことができる幸せがそこにあるんだと思うんですよね。
それを考えると、意見や考えの違いというのは必ず起こるものだと思うんですよ。
絶対に発生するんですよ。違う人間だから。
どんなに似ていても夫や妻って別人じゃないですか。
考え方とか意見とかって違いますよね。
違うから惹かれたっていう人もいると思うんですよ。
だから結婚したっていう人も。
絶対に意見や考えの違いは起こるんです。
これ避けては通れないなと僕は思うんですね。
その時に人間はみんな違うから、人は結局違うから、
夫婦であっても分かり合えないよねと諦めるんじゃなくて、
不満があるのはしょうがないよねと自分の感情に蓋をしてごまかすんじゃなくて、
なんでこの葛藤が生まれたんだろう。
なんでこういった期待を自分は夫にしてしまうんだろう。
妻にしてしまうんだろう。
なぜ私は夫に妻に期待を押しつけてしまうんだろう。
っていうことを考え続けることが大事だと思うんですよ。
なんでなんだろう。なんでなんだろう。
考え続けていくとどんどん自分の気持ちを深掘りすることができるんですよ。
深掘っていくと自分はこういう人間だから相手にこういうことを求めてるんだな。
でも相手はこういうタイプだからこの期待には応えられないんだなっていうことが分かったりとか、
じゃあこの期待はどこから来るんだろう。
なんなんだろう。
もしかしたらその期待っていうのは、
怒りという感情なんてコーティングされてしまっても見えなくなってしまうんだけど、
実はその奥には自分のことを分かってもらいたい。
理解してもらいたい。大切に扱ってほしい。
大切に扱ってほしい。
そういった柔らかな感情がその奥にはもしかしたらあるのかもしれない。
となると伝えるべきこと、パートナーに伝えるべきことは期待とか怒りじゃなくて、
その柔らかな感情のほうなのかもしれないことに気がついていきやすくなるんですね。
こうやって考え続けて考え続けて、なぜなぜなぜって考え続けていくと、
悩みなかったもちろん生まれてはくるんだけど、
2人がそこに諦めずにぶつかり続けることによって、
2人でしか到達できない、それはあなたとあなたのパートナーでしか
到達することができない幸せに手が届くんじゃないかなって僕は思っています。
ここで番組から3つのお願いがあります。
1つは番組のフォローをぜひよろしくお願いします。
毎週月曜木曜朝5時から夫婦関係に役立つヒントをお送りします。
2つ目は番組へのコメント募集です。
こんなこと思った、あんなこと感じた、いや自分の場合はこう思うな、
どんなご感想でも大丈夫です。
いただくコメントが夫婦関係研究に大いに役立ち、
また僕自身がポッドキャストを継続する励みにもなっております。
3つ目は夫婦関係研究へのサポート募集です。
いただいたサポートは、あすの夫婦関係学ラジオの運営費用、取材費用など、
夫婦関係研究費用として大切に使い、
毎月1回メンバー限定の元の記事をお送りさせていただいております。
これら3つ全て概要欄にリンクが貼っております。
ぜひフォロー、コメント、サポートよろしくお願いいたします。
英語学習における会話の機会不足
前回の話のアフタートークで話したように、
今僕は出張でアメリカに来ているんですけど、
英語を使うことがすごく楽しみだったんですよ。
1年半の間、ブライチャーという語学学校で
発音とライティング&リーディングの授業を
1コマずつ、週に2回、1年半取ってきたんですけど、
ライティング&リーディングは半年かちょっとぐらいですけど、
発音はもう1年半続けてたんですよね、毎週1回というのは。
やっと使う時が来たと思って、
なかなか普段の生活で英語を使うことってないので、
すごく楽しみにしたんですよ、今回。
こっちに着いて感じた英語学習について
話をちょっとだけしたいなと思うんですね。
まず思ったのが、英語圏の区に行けば
英語を使う機会があるって僕は思ってたんだけど、
意外にそうじゃないんですよ。
意外にそうじゃなくて、自分で英語を使う機会を作らないと
普通にほとんど話さないまま終わっちゃうんですよね。
それに気がついて、ちょっと焦ったんですよ。びっくりしたんですよ。
例えばどういうことかというと、
飛行機に乗って日本か英語圏の国、アメリカとか行きますよね。
飛行機はJALとかだったらもちろん英語を使わないし、
向こうの空港に到着して、まず税関通るじゃないですか。
パスポート見せて、パスポートとか言われて、
指紋のチェックとかされて、
ビジネスなのか、トリップなのか、観光なのかみたいな
こと聞かれますよね。
あれも聞かれることは決まっているから、
話すことを準備しておけばいいだけなんで、会話とすら呼べないんですけど、
一応会話的な言葉の応酬があるんだけど、
ほとんど話さないじゃないですか。
税関のすごい仏長面の不機嫌な人たちと会話なんかすることないから、
そこで通り過ぎるじゃないですか。
普通に空港からホテルに来ますよね。
今Uberが普通にアメリカ使えるじゃないですか。
日本では使えないんだけど、Uber使う人がどんどん増えてますよね。
海外に来たからやってみようかって言って、やるじゃないですか。
僕もやったんですよ。すごく楽しみにしたんで。
初Uber、自分で呼びたいなと思ってたんで、登録してやったんですよ。
そしたらすごい簡単なんですよね。
目的地を入力したら、Uberのドライバーが勝手にやってきて、
どこにいるかというのがマップ上で出てきて、
タクシーアプリのGoに近いですね。
もっと使いやすかったですけど、
そのドライバーが来て車に乗ったら、
何も喋らなくても勝手に目的地まで着いちゃうんですよ。
昔の海外のタクシーとかあったら、どこに行くとか言わないと
行ってくれないし、そこがよく分からないとか、
どうやって行くんだみたいな話になったりとか、
そこは行かないんだとか、色々と会話がせざるを得ない状況になるんだけど、
Uberの場合は完璧にシステムが組まれてるから、
何も話さなくても勝手に連れてくるんですよ。
エレベーターみたいな、エスカレーターみたいな感じで、
行き先のボタンをポーンと押したら、
バイオリンタがあって、着きましたよみたいな感じになっちゃうんで、
話さないと本当に話す機会ないんですよ。
ホテルに着くじゃないですか。
受付でちょっと話すけど、
それも決まりきったものだから会話でもないし、
観光、そういう人は観光して、仕事、そういう人は仕事して、
帰るときはまた同じなわけですよ。
気がついたら、話す機会って自分で作らないと間違いないなって確然としたんですよね。
せっかく来たんだから話さなきゃって思って、
ウーバーのドライバーとの会話体験
いくつか試したんですけど、
一つがウーバーのドライバーにめっちゃ話しかけるっていうのをやったんですよ。
3人のドライバーに話しかけて、話が外なるのが2人で、
最初は空港からホテルまで行くときの、
ジャミーンっていうカメルーンから移民してきた
ウーバードライバーの人とめっちゃ話をしたんですね。
1時間くらいたぶん話したんですよ。
あれすごい良かったなと思って、
ウーバーの中、車の中って逃げられないじゃないですか、ドライバーは。
ドライバーは逃げられないから、
僕はどんな下手くそな英語で話しかけようが、逃げようがないんですよ。
この人は逃げようがないんですよ。
だから僕の会話の相手をせざるを得ないわけですよ。
っていうことは、向こうも一応分かろうとしてくれて色々質問してくれたりとか、
どういうことだっていうふうに話をしたりとか、
ちょっと英語の先生のような感じはないんだけど、
会話しようとしてくれるんですよ、色々ね。
お客さんの中でもあると思うんだけど。
だからウーバーの車の中でドライバーとずっとおしゃべりするっていうのがめっちゃ良いと思いました。
あとドライバーは普段全然話さないんですよ。
お客さん、ただ黙って乗って黙って降りてくる。
サンキューとか言うけど、黙って乗って黙って降りてくるだけだから、
すっごい会話に飢えてるんですよ、みんな。
最初の人も1時間ずっとしゃべりっぱなしで、
25年前にアメリカにやってきて、911の時はすごい大変だったんだって。
俺はムスリムなんだけど、ムスリムはすごく差別されて、
911の後はお祈りさえできなくて、お祈りしたいとコールされるんだって。
コールって警察に呼ばれることなんか分からなかったんだけど、
とりあえず大変で、お祈り何かどこでもできなかったらしいんですよね。
あとカメルーンではサッカーが人気なんだけど、
日本の女子サッカーすごいよみたいな話をしたりとか、
カメルーンのサッカー、アフリカのサッカー選手は有名になってヨーロッパリーグに行くけど、
アフリカの中のサッカーリーグが発達しないのは何であると思うみたいな話をされて、
分かんないなとか話をしてたんですけど、
一人の選手にボールが集まりすぎて、そいつばっかりゴールするんだよ、
全然つまんないんだよ、選手が育てないんだよみたいな話をしてたんですよね。
こんな話を1時間あたりずっとしてたんですよ。
別の時に乗ったウーパーは30分くらい話をしてて、
歯医者試験受験の頑張り
その人はジョージアから1年前くらいに来たんですよ。
多分30代だと思うんですけど、
その人はジョージアで歯医者さんだったんですよ。
自分の両親と妹がアメリカに住んでて、
5回くらいアメリカに遊びに行ったんです。
その時ニューヨークがすごく気に入って、
親からある日電話がかかってきて、
こっち来いよ、ニューヨーク楽しいからこっち来いよ、
お前もこっちで住んじゃえよみたいな話になったんですって。
それでニューヨークに来たんですけど、
ジョージアで歯医者だからと言って、
普段の試験もなしにニューヨークで歯医者を開業できるわけではなくて、
試験をパスしなきゃいけないらしいんですよね。
なのでニューヨーク大学、NYCって言ってたと思うんだけど、
ニューヨークユニバーシティで今歯医者になる授業を受けてるんですって。
そこで通学して勉強して試験を受けたら、
アメリカで歯医者になる資格がもらえるって言ってて。
昼間はウーバーでドライバーして、
平日8時間くらい、アベレージ8時間くらい仕事して、
夜は勉強して、生活を2年間続ければ、
デンティストの資格が取れるって言ってたんですよ。
すごい頑張ってるなと思って。
1日8時間で週3回働いてるらしいんですけど、
給料がね、自分が稼ぐお金が、
1ヶ月で4千ドル?日本円で言うと60万くらいですかね。
結構稼ぐじゃんって思うかもしれないんですけど、
ウーバーのライセンス会社に600ドルくらい取られて、
あとガス代だとか生活費とかで、家賃もめっちゃ高いって言ってたんですけど、
2千ドルくらい持ってかれて、
最終的に手元に残るのは1000ドルだって言ってたんですよ。
15万くらい日本円で。
こっち物価高いから日本の感覚だと多分7万くらいしか残んない感じですね、手取りがね。
手取りっていうか、全部支出を除いた、
残ったお金、貯められたお金っていうのが7万円くらいの感覚。
とか、そんな話をすごいしてくれるんですよ。
僕めっちゃ聞くんでね。僕めっちゃ質問するんで、
めっちゃ質問しても逃げられないから会話をせざるを得ないわけですよ。
だからすごい話をすることが来て、
ウーバーの運転手に話をするっていうのはすごくいいなと思いました。
あとはね、何だろう、
あとはね、本当に会話する機会がないんですよ。長い会話する機会っていうのは。
レストランでスタッフと話をするとか、ホテルのフロントで道を聞いたりするとか、
あとね、どっかのお店に入った時に通りに行こうと思ったら、
トイレが、前の人がずっと椅子座ってて出てこなくて、
掃除の人が困ってて、20分くらい並んだことがあったんですけど、
その時に前に立ってたアメリカ人の女性の人とちょっとだけ会話をしたいとか、
何が起こっているの、誰かがいるんだってみたいな話をしたいとかしたんですけど、
でもね、一言二言ですよね、見知らぬ人同士だから。
アメリカ生活の大変さ
でもそういった機会をもっともっと増やしてもよかったなってちょっと反省をしてるんですよね。
普段の生活の中で、そのお店の中とかでちょっと振り合った人と、
もうちょっと長い会話をしてもいいのかもしれないな、よかったな、
と思ったりもしてます。
こうやって話をする機会を自分から作っていかないと、
本当にマジで話するチャンスってないんですよね。
外国に来てるのに、英語圏の国に来てるのに、英語を使わずに帰るっていうのは、
普通になっちゃうなってすっごい焦ったんですよ。
語学学校に免許に来てるとかでもない限りはね、観光で来てるとか、
仕事で来てるって場合は、自分で話をするチャンス作らないとマジでやばいなって思いました。
一応仕事があって、仕事相手の人がこっちの人、アメリカ人だったりするんですけど、
相手に通訳が入ったりするじゃないですか。
通訳が入ってその人が全部やってくれるから、下手な英語で話すと、
会話が止まって仕事が進まなくなったりとかするわけですよ。
自分がそれができていれば話せればいいんだけど、そうじゃないとそういうことになっちゃうんですよね。
そうそうそう、チャンスは作らなきゃいけないなって思ったことと、
もう一個思ったことがあって、すごい悔しい思いをしたんですよ。
二回悔しい思いをしたんですけど、
その仕事先のアメリカ人の人と、夜、朝、午後、午後、夜、
その仕事先のアメリカ人の人と、夜仕事が全部終わって、
12時ぐらいにバーみたいなところで、その人たちが、3,4人ぐらいいたんですよ。
で、ハローって言って中に入って行ったんですよね。
一緒に入って行って話をしたんですけど、1対1だったら何となく分かるんですよ。
何となく僕も言いたいこと言えるんですよ。
で、向こうも、僕も言い方、難しいことを言おうとするとね、
言葉が出てこなくなっちゃうから、簡単な言葉を控えて質問したりとか話をしたりとかするんですね。
で、向こうも僕が分かるように、こいつ言葉ちょっとあれだから、
簡単に話そうみたいなふうに思ってくれて、
短いセンテンス話を返してきてくれたりとかするから、分かりやすいんだけど、
3人の会話が全然できなくて、
アメリカ人2人が喋ってて、そこに入るってやつがね、
超早いんですよ、あいつら。もうめっちゃ早いんですよ。
めっちゃ話した言葉早くて、僕は早く感じるだけだと思うんだけど、
早すぎて何言ってるか分かんないんですよね。
うわーっと笑ったりとかして、何が楽しいのかさっぱり分かんないんですよ。
そのジョークの意味が分かんないし。
早すぎると会話に全く入れない。入れないというか理解できない。
それがめっちゃ悲しかったんですよ。
もっと人数増えてくるじゃないですか。
2人、3人、4人って。
4人ぐらいでわーばばば話してるのって本当に分かんなくて、
で、たまたまその中で、
僕のものを間違ってその人が持って行っちゃったことがあって、
僕はそれを交換したんですよ。
その時に、オー、ソーリーとか言って言われたんだけど、
その時に僕が形が違うから僕のじゃないと思ったんだよね、
みたいなことを言ったんだけど、
僕の英語が下手くそすぎて全然伝わらなかったんですよ。
下手くそっていうのは、
英語が上手すぎて全然伝わらなかったんですよ。
お酒も吐いてたっていうのもあるんですけど、
さーって出てきた言葉が完全に多分ね、
意味が分かんないことを言ってたんですよ。
で、僕はその言葉を言った瞬間に、
周りのアメリカ人たちは苦笑いをして、
全然分かんないことを言ってたんですよ。
で、僕はその言葉を言った瞬間に、
周りのアメリカ人たちは苦笑いをして、
全然分かんないことを言ってたんですよ。
で、僕はその言葉を言った瞬間に、
周りのアメリカ人たちは苦笑いをして、
全然分かんないことを言ってたんですよ。
で、僕はその言葉を言った瞬間に、
下を向いたんですよ。
ちょっと こいつ何言ってんか分かんないなーみたいな、
ちょっと聞かなかったことにしよう、みたいな。
ちょっと こいつ何言ってんか分かんないなーみたいな、
ちょっと聞かなかったことにしよう、みたいな。
ちょっと、この言葉に返事するのはできないなー、
簡単に言うと、
言語の壁と悔しい思い
こいつ何言ってんか 分かんねえか無視しよう、
っていう風な感じになったんです、その1瞬。
本人たちはそこまで
何か思っていないかもしれないけど、
ったぶん、1瞬その告情が
その感情が彼らの中に芽生えたんですよ
こいつ何言ってかわかんねえって
ちょっと聞かなかったことにしようみたいな
それがめっちゃ悔しかったんですよ
もう全然わかってもらえてない
赤ん坊以下みたいな感じで
赤ん坊だってこれ欲しいとか
お腹空いたとかって言えるじゃないですか
赤ん坊ってか2、3歳児とか3歳児とか
それ以下だったんですよ
なんか単行並べてるけど
何言ってかマジわかんねえっていう感じだったんですよね
めっちゃ悔しかったんですよ
それが一つあって
もう一個はホテルの中にあるバーかな
の中で何かを飲み物をオーダーするときに
そのバーにいたおばちゃんが
すっごい冷たくあしらうんですよ
僕の歩道を
僕が簡単な言葉で聞いたりするじゃないですか
それとか指でクイってやるんですよ
それを指さしてほらここにあんだなみたいな感じで指さしたりとか
あとグラスじゃなくて紙コップでいいかみたいなことを聞いてきて
お前のお客さんみんなグラスなんだけど
なぜか僕だけ紙コップで出されたりとか
あと早口の英語でババババーって言って
もうわかんないんだなお前はみたいな
感じのジェスチャーしたりするんですよ
本当に腹立つというか情けない気持ちになって
英語を話せる他のお客さんに対しては
すごいフレンドに話すんだけど
僕に対してだけやたら冷たいんですよ
アジアの果てから来た猿みたいな感じの目で
僕のことを見るわけですよ
本人そのつもりはないのかもしれないけど
ただ言葉のわかんない奴と話してる時間はないんだよみたいな
感じがビシビシ伝わっていくんですよね
それがめちゃくちゃ悔しかったです
その2つがね
2つがめちゃくちゃ悔しかった
こういった悔しい思い
多分こういった悔しい思いもするんだろうなと思ったんですよ
今回来る時に
僕が一歩前に出てガンガン喋っていこうと今回決めたんで
ガンガン喋っていこうと思って
喋っていく中で絶対そういう思いはするだろうな
逆にそういう悔しい思いができるのも
ここの現地だからだと思うんですよ
日本にいたら絶対できないじゃないですか
そんな屈辱的な思いって感じることできないですよね
英語圏の国で外国からやってきた英語学習者だからこそ
感じることができる悔しさだと思うんですよね
その悔しさを感じることができたっていうのは
すごい収穫だったなって
大きい収穫だったなって思ってます
嫌だけどね
嫌なんだけど
そういった辛い思いを
それがバネになるんですよね僕にとっては
もっと頑張ろうと思うバネになるんですよ
だからすごい良かったなと思いました
話はちょっと国が変わって中国の話になるんだけど
昔中国に出張に行っている時に
若い男の子の通訳がついたことがあったんですよ
20歳くらいの男の子で
その子は子供の時に
ワンピースとかガンダムとかを
中国の動画サイトで見まくったんですって
見まくったら
言語のコミュニケーションの苦い経験
高校2年生の時にベッドに横になってたら
あれ?俺日本語話せんじゃんって思ったんですって
もう膨大なアウトプットが脳の中で統合されて
日本語ができるようになっちゃったんですよ
その彼は
だからすごいペラペラで
通訳してくれたんですけど
だけど忘れもしないのが
3日目か4日目か
すごいハードな仕事だったんですけど
3日目か4日目の時に
お昼はみんなで食べに行ったんですよ
その子と僕と工場の人間
3人くらいと一緒に行ったんですけど
お昼の時に彼らが中国語で会話するわけですよ
こんなことあったみたいな会話するわけですよ
僕は何かあったの?何て言ってるの?とか聞くと
その子教えてくれるんだけど
なんかめんどくさくなったのか
僕は何か聞いても中国語で返してくるんですよその子
僕は日本語で何か質問しても
ババババババって言って
中国語で俺に対して
僕に対して中国語で返してきてニヤニヤしてるんですよ
周りの人たちも困った顔をしてて
どうしようみたいな何か意地悪してるなこいつ
助けてくれるわけでもなく
みんな日本語できないからね
助けてくれるわけでもなくただ下を向く
困惑した顔で下を向くっていうのがあって
あれも結構前なんですよ
もう10年経ったかな
10年くらい前だなきっと
そんなあったんじゃないかな
多分7年前かな
6,7年くらい前かもしれない
あれがねめちゃくちゃ悔しかったんですよ僕
もう完全にバカにされてるわけですよ
お前わかんねえよなって
お前中国語わかんねえんだな
お前ババババって
めっちゃ簡単なこと言ってるんだよ
俺たちはよみたいな感じで
すごい何だろう
もうムカついたんですよ僕その時は
腹が立ったんだけど
言い返すこともできないんですよ
僕もただ黙ってるしかなくて
すっごい辛かったんですよね
周りの人たちが困惑した表情を浮かべて
下を向いた瞬間とか
それめちゃくちゃ覚えてるんですよ
今回も同じようなことがあった時に
そういうことを思い出したんだけど
こういう辛い思いが
人を前に進ませていくんじゃないかなって
思ったりもしています
はい
ラジオ番組のお知らせ
ということで今回も最後までありがとうございました
あつの夫婦関係学ラジオは
毎週月曜木曜朝5時配信です
また次回お会いしましょう
さようなら