2024-10-11 11:56

180 自己犠牲?

最近流行ってる気がします。自己を犠牲にする必要はないです。流されないでください。致し方ない場合は思考を変えましょう。

ちなみに陰謀論などはあろうがなかろうがどちらでもいいと思ってます。念のため。

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どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで今回は、自己犠牲というテーマで話をしていきます。
自己犠牲ですね。
最近になってからなのか、自己犠牲というような言葉ね、よく見聞きするようになったなと思うんですね。
この言葉は、あなたもおそらく聞いたことがあるかと思います。
この自己犠牲というものに対して、どう思いますか?
一般的には、尊いというような意味合いで使われますよね。
自己犠牲は素晴らしいことだと。
自分を犠牲にして相手のために何かをすることは、美徳と捉えられるようなことが多いですよね。
最近の本ですね、なんか読むと。
とりわけ本の中でも、人にまつわることだとか、コミュニケーションもそうですし、心のことだとか、
現在進行形で私もインプットは続けているんですけれども、最近のそういうジャンルの本、
なんだかやたら自己犠牲というような表現が出てくるなというように感じるんですね。
時代の潮流というのももしかしたらあるかもしれませんけれども。
自己犠牲ね。
ただ、この言葉をそのまま言葉通りに間に受けて、
自分自身を犠牲にして相手のために何か活動をしているというような状況がもしあるのであれば、
それはやめたほうがいいですよと。
雰囲気は確かに私も分かりますよ。
その自己犠牲が尊いというような全体のイメージというんですかね。
確かにそれは良いことだよなというふうに思いますが、
犠牲という言葉を使っている以上、自分自身がないがしろになってしまっているんじゃないかなとも思うわけですよ。
自分を最下層に置いて、他の人、もしくは世の中、世界なのか分かりませんが、
それらを持ち上げるというような構図はですね、
第三者から見れば確かに美しく感じるかもしれませんが、
あなた自身が当人になったとして、つまり自己犠牲をする側になったとして、
果たしてその活動は自分にとって良いことなのだろうかと、
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字面絵面だけ見ると確かに良いことかもしれませんが、
要するに自分がやりたくないことでもやるということですよね。
ぬるっと話していますが、自己犠牲というものに対して、
これは疑問符がつくと、
それで言って結論から言うと、私の意見としては、
自己犠牲というものはやめた方がいいですよと、
それを言いたいわけですね。
善悪の判断、善悪ではないですかね、よしよしですかね、どちらかというと、
これの判断を自分でするというようなところでも、
世の中で自己犠牲が素晴らしいですよと、美しいですよというような、
その昨今の潮流に流されないように、警官の笑みも込めてね、
自己犠牲は良くないんじゃないかなというように思うわけですよ。
あなたもやりたくないけど、やらなきゃいけないからやってるなということ、
仕事でもプライベートでもあると思うんですよ。
これをやりたくないというような状態、つまり自己犠牲をしているというような状態で、
その活動を続けていくと、どこかで自分自身に負荷がかかりすぎて、
負荷を受け止める器があるとしたら、それがですね、
圧迫されて割れてしまうというようなこと、
当然人によっては、割れるまでいかずに属性を全うするというか、
そういう人もいるとは思いますが、
多くの人にとっては、やりたくないことを仕方ないからやるというような状況にある場合には、
少しずつやりたくないメーターが蓄積されていっていると思うんですよ。
ですからその自己犠牲という言葉を使ってね、
それを正当化するというか、
さらにはこの自己犠牲というものの出どころ、
どこが初めに言い出したのかと、
特に調べていないのでわかりませんけれども、
言い出した人に何かしらの理があるから、
これは人ではなくて、
メディアなのか、政治の関連なのか、経済の関連なのか、
もうちょっときつい言い方をすると、一種のプロパカンダなわけですよね。
大きな規模でこれを留守して、
自己犠牲というものは美しいものですよというような言葉に感化をされて、
であれば自分も犠牲になって、世のため人のために頑張っていこうと。
そしてそれが時代の調理になって、
それはやらない人が非難されていくというような、
その物事の起こりというかね、
それがコロナ禍過ぎぐらいからちょっとあるなあなんていうふうに思うわけですね。
こういったね、今世の中で流星をひとつあるなあということに対して、
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疑惑の目を向けるということも流されないというようなことで、
自分というものの真を強く持つというところに影響してくると思うんですね。
何て言うんですか。
ですからその自己犠牲というものがとっては美しい。
そうは言われてますけれども、
犠牲と言っている時点で、
あなた自身が仮に自己犠牲だと思ってその活動をしているのであれば、
やりたくないけど仕方ないからやらないとなというような感覚で今過ごしているのであれば、
自分で自分のことをないがしろにしてどうするんですかと。
ただまあそうは言っても、
特にね、その自己犠牲というものを深く考えているとかそういうことではなくて、
やりたくないことでもやるということが必要な時があるじゃないかと。
美徳とまではいかなくてもね。
みんなそうやって生きてるんだよというように思うようなことももしかしたらあるかもしれないです。
そのみんなというのがそもそもどこの誰を指してみんななんですかと。
そしてなぜあなたはそのみんなの中に入らざるを得ないんですかと。
そういうところになってくるんですけれども、
まあでもその感覚はわかると。
やりたくないことをやらなきゃいけないというような感覚を持ってやる。
それはわかると。
であればですよ。
であれば考え方を変えたらいいですよね。
思い方を変えるということ。
自己犠牲、やりたくないことをやっているというようなその感覚を変化させるということ。
つまり思考を変えるということですよね。
なんですか、今日までやりたくないなというように思いながらやっていることがあるなというように思う場合には、
例えばですよ。
これをやることによって自分と相手に、組織に、世界にどのような影響がある。
そして自分がやっていることは自分もやりたいからやっているというようなこと。
やりたいから何かしらのメリットが得られるからなのか、そもそも心の内側から出る感性からなのか。
まあその何かしらがあるというようなことを思うということ。
やりたくないからじゃなくて、やりたいからやるというようなこと。
今やっていることにでもそうです。
今やりたくないなと思っていることをやりたいと思うようにするということなんですよ。
だからといって急には人の思考は変わらないですから。
これは積み重ねてきたものがあるので、思考が変わらなくても口に出して言えばいいんですよ。
頭でこれちょっとやりたくないことだなと、しょうがないからやらなきゃなと、
自己犠牲をしてやらないとなというように思いがよぎったら、
やりたいことをやれている。楽しい。これであの人に喜んでもらえる。
そして自分も嬉しい。強制的に口で言うわけです。
はじめ頭で思っていることと言葉に出していることが違うんですけれども、
言葉に出していることが頭で考えていることになることがあるので、
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力技ですけれども、こうしたことで自己犠牲をしているということから脱却ができるわけですよ。
犠牲が犠牲だと思ってやっていたら、どんどん自分が苦しくなるだけですから。
こんなことを言うと、私のやっているこの活動、コミュニケーションに関することだとか、やりたくないことなのかと、
いや、そんなことはないですよ。これは本当に心の底からやりたいと、そういう思いが溢れているので、
溢れ出ているので、その溢れ出ている部分を垂れ流しているという感じなんですね。
誤解を生みそうな気がしたので、とにかくこれは、私がやっている行いは完全にやりたいことです。
まあ、どうでもいいんですけれども。
あと、これで思い出したんですけれども、
昨日話した内容で、ムチの血がアリストテレスと言ったんですよ、私。
これ、後で聞き直して思ったんですけれども、ソクラテスですね。
ご存じの方も多いと思うので、そこは違うよとツッコミを入れていただいたかもしれないですけれども、
ムチの血はソクラテスですね。
あの3人が言っていることっていうのは、なんかごちゃ混ぜになるときないですか?
どれがどれだっけと。
まあね、まあどうでもいいです。
つまり、何が言いたいのかというと、
自己犠牲、疑問婦というところで、
自己犠牲は尊い、美しい、このようなことは言われていますけれども、
犠牲と言っている以上、それはあなた自身がないがしろになっていますよと。
美しくも尊くもないです、そんなことは。
自分をないがしろにしてやる行いというものは美しくないです。
もっと自分を大事にしてください。
で、その上で、やりたくないから仕方ないからやらなきゃなということ。
これは自己犠牲に含まれると思います。
そして生活を行っている大多数の人は、このような考えがベースになっていると思います。
ですからこうした考えはですね、根本から変える。
やりたくないなと、そもそも思わない。
まあ思ってしまうかもしれないですけどね、言わない。
それはやりたいからやっているということに変換をする。
思えないのであれば口に出す。
犠牲というものはですね、自分を犠牲にしているなという感覚は、
塵も積もれ葉で、気づかぬうちに心の中にヘドロが溜まっていると思いますので、
そもそもそう思わなければ、犠牲という感覚にもならなければ、
まずはこの感覚をちょっと味わってみてくださいというところですかね。
そうなるとどうなるかというのは、
まずここをやってからですかね、
やりたいからやっているということに変換をするといいですよということですね。
ということで今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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