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2024-10-25 22:52

#11 NAKAMURAがアメリカ留学を始めるまで

今回はパーソナリティNAKAMURAが自身のアメリカ留学の経緯をお話しします!先月末、学振の結果がx上で悲喜交々話題を呼んでいましたが、DC1/2に縁がなかったNAKAMURAがどのようにポスドク研究員としてアメリカにたどり着いたのでしょうか、、?

この回では、

  • 嬉しいお便り
  • アメリカ留学を意識し始めたきっかけ
  • 今のポジションを勝ち取った具体的なプロセス

などをお話ししています★


本配信は個人的な見解であり、所属する組織とは全く関係ありません。


★番組のX ⁠⁠@ANG_2024⁠⁠

⁠⁠メッセージはこちら⁠⁠

★パーソナリティ ⁠NAKAMURA ⁠

★雑務 ⁠おニューのわら人形⁠

★オープニング

⁠⁠Trick style(まんぼう二等兵様)⁠⁠

★エンディング

⁠⁠Night trip(Make a field Music様)⁠⁠

★ジングル

⁠⁠ハードロック・ジングル(shimtone様)

Hello World(Anonyment様)

00:01
アメリカンナイトゴールド
アメリカからこんばんは、NAKAMURAです。
このポッドキャストは、アメリカで生活する私が、日常についてだったり、アメリカ生活を経験した、
または、今楽しんでいる方を招きして、人生におけるアメリカ留学の意味を掘り下げていきます。
今回はまず、メールフォームから頂いたお便りを紹介させて頂きます。
加藤さんから頂きました。NAKAMURAさんの高校の同級生の加藤です。覚えているでしょうか?
いつの間にか知り合いが研究者になって、ポッドキャストを始めていて、びっくりしました。
同じ研究者、海外滞在組として、親近感を持って聞いています。
機会があれば、研究、海外生活など、いろいろお話しできたら嬉しいです。今後の配信も、お楽しみにしています。
加藤さんが実は大学の先生になっていたことは、Facebookで知っていて、
おーすごい、なんか同級生ながら、
博士勝手を取ってすぐ助教になって、すごいなーと思ってたんですけど、
まさか、加藤さんも海外にいるということは知らずに、同じ高校で学んだ同級生が、
同じ研究者として、海外にいるっていうのは、やっぱりなんか、
人生って面白いなーと思いますし、いろんなところで繋がっているなーというふうに思います。
加藤さん自体は、確か同じクラスになったことはないんですけど、
加藤さんがハンドボール部で、僕がバレーボール部だったんですけど、
ハンドボールは基本外で練習していて、
僕はバレーボール部だったんですけど、たまにランニングとか外でやったりする日もあったので、
そういう時に関わったり、あと体育の授業も一緒だった日もあったと思うので、
そういうところで、やっぱり運動神経、加藤さん良かったなーというイメージが、頭も良かったですけど、
そういうイメージがあって、そういうところで関わっていたなーという感じですね。
なんかすごい明るいイメージがずっと残っています。
今回、実は同窓会も今年の12月の最後ら辺にあるんですけど、
残念ながら、僕も加藤さんも日本に帰ることがタイミング的にはできなかったので、
今度、加藤さん自体は留学を終えて日本に帰られるのが、たぶんおそらく僕より早いので、
僕が次に日本に帰った時は加藤さんに連絡して、
ちょうど加藤さんが所属している大学に知り合いも何人かいらっしゃるので、
そこでちょっと訪問したいなと思っているので、そこでちょっとご飯でも食べられたらなと思います。
ぜひ今後とも聞いていただければと思います。よろしくお願いします。
番組ではメッセージを募集しています。
概要欄のメッセージはこちらというリンク、
またはXでハッシュタグアメ号をつけてつぶやいていただければ、
私は浦加藤さんが見に行きます。ぜひよろしくお願いします。
さて、今回私中村がアメリカ留学を始めた経緯と具体的なプロセス、
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そして留学するか迷っている方への私自身の意見について話していこうと思います。
よろしくお願いします。
アメリカンナイトゴールド
今はやっと留学、だいたい3年目で、
生活も特に問題なく、
研究も、新しい分野としては新しくないんですけど、
動物とかやってることは全部新しくなったんですけど、2年も経ってだいぶ
慣れてきたんですけど、
ここに至る経緯というのを、そういえば話してなかったなというのを思ったので、
これを機にちょっと1回自分も
見直してみたいなというふうに思います。
まず、
そもそも留学っていうのを
感じたっていうのが、僕が学部4年生の時にいた
博士課程3年生の先輩が、ちょうどその時留学をされたんですね。
で、その時に留学っていうのがあるんだっていうのを、初めて肌に感じたっていうのが一つ
刺激をもらいました。ただ、その時は正直
僕の夢が俳優だったんですけど、その時は俳優を目指していて、
研究者は何も考えてなかったんですね。ただまあ、いろいろな俳優のオーディションとか受けてたんですけど、
あんまり才能がないんだなというのが自分で演技をして分かったので、
研究も面白いし、研究やってみるかということで、
とりあえずみんな就職し就職行こうということで、就職に入って、
で、
就職の1年の最後らへんにみんながなんか就活とかインターンとか始めた時に、
僕多分就活して普通の仕事なんか向いてないような気がするなあっていうのを思ったのと、
あと、その先輩が留学をしてたんで、
留学を目指してもいいんじゃないかなと思ったので、
そこでまあ、DC-1がちょうど出してみるっていうのを指導教員の先生に言われたので、
出してみるかということで、就活はせずにDC-1出して、
で、そこらへんでだいたい
留学するかっていうのを何となく思い始めました。
DC-1とDC-2っていうのが、日本学術振興会っていうJSPSっていうところから、
大学院博士課程に行く子たちへの毎月給料をあげますよっていうシステムで、
少し研究費も出るんですけど、生活費は国から出してもらえるっていうシステムで、
で、DC-1は博士課程3年分、
DC-2は博士課程2年分、もし卒業した場合は
PDに切り替える、まあ横山さんみたいにPDに切り替えるっていう方ができるんですけど、
いずれにせよ、お金を気にせず研究ができるっていう国のシステムですね。
ただ、最多区率は上位20%とか、よくて30%なんで、
必ずしも取れるっていうわけではないです。もともと海外はめちゃめちゃ興味あって、
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学部の時とかは夏休みに
毎年、アジアの国とかアメリカとか
いろいろ飛び回っていて、
海外自体はめちゃめちゃ興味がありました。
あと文化とかも、僕個人的には日本よりか、
アメリカとかそういうの方が、
自由な感じの方が感覚に合うので、そういう雰囲気とかも好きでしたね。
あと、特に上下関係があまりないっていうのが
いいですね。
特に、裏方さんも年上ですけど、
仲良くさせてもらってるっていう感じで、日本だとやっぱね、多少やっぱ、
こんにちはってなるじゃないですか。
年上の人だと。 先輩みたいだね。
そうそう、アメリカだとはい、みたいな。
簡単に。もちろんその人柄にもよるんですけど、そういう人がアメリカに来てるっていうのもそうなんですけど、
そういう感じで距離が詰めやすいっていうのもあるんで、
そういう方が僕の感覚に合ってるのかなっていうのもあって、
とりあえず海外、アメリカとか考えずに
海外っていう感じで、なんとなく見始めました。海外を。
で、DC-1とか
で、その後のDC-2とか
結局落ちたんですけど、全部散立されたんですけど、
その後でちょっと話すとして、
で、全部落ちたんですけど、結局なんか自分が
組織再生っていう、僕はオタマジャクシを使ってて、オタマジャクシが
尻尾切られて、その後なんで元通りに再生できるかっていう現象自体に興味があって、
そこに興味があったんで、まあ研究、DC-1とか別に落ちようがなんだろうが、
研究は続けられたのかなっていうふうに思いました。
で、そんな感じでやっていて、
で、博士課程の2年の時に、
ボスからアメリカに行ってきていいよっていう許可をもらって、
僕がコラボしていたラボに3週間くらいビジティングスカラーとして
滞在したんですね。
で、そこでいろんなクリスパーとかトランスジェニックとか
の回路、どうやって回路を作るかとかっていうのを学ばせてもらって、
それで海外留学ってこんな感じかって、
まあすごいご飯も合うし、言葉もなんとかなったし、聞き取れない時は聞き取れないですけど、
まあなんとでもなるなあと思って、
まあ、あともう1年努力すれば
いけるレベルになるなっていうのを感じたっていうのもあって、
で、そこで博士課程1年の秋なんですけど、
で、そっからいけるなあと思って、
博士課程の2年に、そこで共同研究をやっていた論文がちょうど出たので、
で、そこで
じゃあもう海外のラボ、自分が行きたいところにアプライしようと思って、
自分が興味ある再生生物学の
世界トップ10のラボに
自分の履歴書と
僕は何をしたいか、で、ポストクとシェア取ってくれないかっていうメールを送ったんですね。
で、実際にその10通送って、
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トップ10通送って、
5つ返事が返ってきて、
で、2つは
ごめん空いてないっていう返事で、1つは
来年もう1回聞いてっていうやつで、
で、もう1つはもう1本論文出してからもう1回来てっていうのと、
最後にもう1個は
いいよ、インタビューしようかっていう、面接しましょうっていうメールで、面接したんですけど、
そこは残念ながら落ちちゃいました。
意外となんか、
まあその時予測してなくて、まずプレゼンテーションが40分ぐらいあって、で、授業とか20分で、
その後ボスと1、2時間喋って、
その後ラボメンと
全員と喋ったんですけど、1人30分ずつぐらい。なので合計6、7時間ぐらい
喋ったんですけど、その時コロナ禍だったんでズームだったんですけど、
まあ普通に落ちたんですけど、まあ今は今でもその人とは繋がりがあるんでいいんですけど、
まあ落ちちゃって、で、
もう1本論文出してから出直してこいって言われたラボ
が今いるところなんですけど、
で、もう1本論文をもう博士課程の3年の初めぐらいにもうパンって出して、
で、もう1回メール送ったらインタビューしようかって言われて、
今のラボに落ち着いたんですけど、
まあそんな感じで、
比較的簡単に決まったのかなとは思うんですけど。
インタビューの感じはどうでした?感触は。
インタビューの感触は
あまり良くなかったなと正直思います。というのもプレゼンテーションがあんまりなんか、
緊張しちゃって頭真っ白になっちゃって、ズームでもなんか言葉が出るんですけど、
説明が
割れながら何かイマイチだなあっていうふうに思いながら自分でプレゼンをしてたんで、
まあけどまあ日本人の英語はこんなもんかっていうふうに思われてたんだろうと思いますけど、
だけど自分の100%は出せなかったなあっていう印象があったんで、
まあワンチャンあるかなあぐらいでしたね。
あと一つハードルとして、さっきも話出ましたけど、ラボメンとのワンオンワンミーティング、
ボスともそうですけど、他のゲストの人でカットした部分で、
ワンオンワンって大変だよねって話があったんですけど、中村さんどうでした?
僕はそんな大変じゃなかったですね。質問をもう30、40個考えていくんで、
それを、
まあ別の人と喋るんで、同じ人に
毎回30個の質問をぶつければいいだけの話なので、
全然特に問題はないんですけど、
聞き取りが苦しいです。
1個聞いて、
10答えてくれる人もいるんで、そういう時に本当に何言ってるかわかんないと、
あっちもコミュニケーションできてねえなっていうふうに思われるんで、
多分それが原因で1個目のやつ落ちました。
はい、そこは自分の勉強不足ですね。英語勉強不足ですけど、まあいい経験でしたね。
なので別にまあ落ちようが何だろうが、どんどんアプライしていったほうがいいですね。ああいうのも。
12:03
でまあそこで8月、博士課程の3年の7月頃に、
自分の今のいるラボが受け入れてくれるよっていうのが来て、
まあ安心して博士号を取ったっていう感じなんですけど、
まあさっき言ったように、なんか学進が通らなかったっていう話なんですけど、
結構同期は
2人かな、2人通ってて、で後輩が結構通ってたんですけど、
自分の結構共有しちゃうと、
DC1が、
判定が下からC、B、A、
補欠っていう感じであるんですけど、
DC1がCで、DC2の1回目がAで、DC2の2回目が補欠だったんですけど、
徐々に上がっていったんで、まあ自分の能力が伸びてるんだなと思いつつも、
周りが通ってるのに自分が通んないんだっていう、
自分の
能力ないのかなっていうのを
若干感じつつも、
結構英語に僕は若干力を入れていて、
英語だけは多分、まあ少なくとも同期では絶対負けなかった自信があるんですね。
で、同期というかまあ大学内でも
絶対負けないなっていう自信があったので、そこの自信だけを頼りにやってました。
なんでまあ英語はやっぱり
重要だなっていうのはすごい今となっても思いますね。
で、まあメンタリティとしては結構落ちた瞬間は苦しいですけど、
その後は別にまあ論文出してないといけないなっていう、論文にステップ集まってるんで、
まあそこまでメンタリティ落ちないですけど、結構メンタリティ落ちちゃう人も結構いるんで、
まあ将来目標を何にするかっていうのが正直大事なのかなっていうのは
個人的には思ってます。ただその後
結局DC2通らなかったんですけど、植原財団さんと海外学信さんは通らせてもらったんで、
必ずしもDCが取れなかったらといって、
その後が取れないっていうわけではないのかなというふうに思うんで、
あきらめずにやったらいいんじゃないかなというふうに思います。
で、
個人的には
僕は海外でいい研究をしたいなというふうに、
まあ最初の目標を置いてたんで、あと30までに何とか少なくともポスドックとしては
1、2枚になりたいなというふうに思ってたんで、そういう目標を
ある程度決めて、長期の目標を決めてやると、
DCとか手前のミスに関しては気にならなくなるのかなというふうには
個人的に思ってるんで、そういうメンタルティーで
もし落ちちゃった人はやったらいいかなというふうに思ってます。
実際にその金銭的なサポートっていうのがでかいんで、
まあそういうきつい人は結構今も奨学金、他の奨学金もあるし、
あと完全求職制の大学もあるらしいんで、そういうところにも
行っちゃうっていうのも一つの手なのかなというふうに思います。
で、そこで博士号を取っちゃって、
自分が行きたいポスドック先を見つけていくっていうのが
合理的かなと思いますね。
15:04
アメリカンナイトゴールド
で、博士号を取ってからなんですけど、
博士号を取ってから、僕広島大学だったんですけど、広島大学でなんか特別、
広島大学特別研究員みたいなシステムがあって、
そこで少しだけ3ヶ月だけ雇ってもらって、
で、残してきた論文のリバイスの実験をやって、
で、投稿してこっちに来たんですけど、その3ヶ月、4ヶ月のうちに、
ビザをまず取得しました。
ビザも送付だけで済んだんで、
っていうのも僕アメリカに行ったことがあったんで、
本当大使館にペッていうパックで送るだけで終わりました。
まあそんなにビザは大変じゃなくて、
で、まああんまり正直準備は大変じゃなかったっていうのが正直なところで、
まあ自分が持ってきたいもの、
まあ僕はお菓子とか、基本食べ物ですね、あの炊き込みご飯の素とか、
そういうのをたくさん持ってた思い出がありますね。
あと服とかも、
こっちでなんか新しいの新調してっていうのもやったりしてましたね。
だから基本、3ヶ月間ラボで実験して、
その後ラボ辞めて2週間ぐらいで、
準備したっていう感じですね。
実際にアメリカに来るまでっていうのはそんなに正直、
大変じゃないです。あのちょっとでっかい旅行みたいな感じなんですけど、
実際にその部屋とかを用意するっていうのが、
まあ若干面倒くさいというか時差があるんで、
1日1メールなんで、そこが時間がかかるなっていうぐらいで、
早くから準備しとけば特に問題ないかなっていう感じです。
アメリカのジムの人はなんか早い時か遅い時どっちかなんで、
僕は遅い時に出会っちゃって、
1日1往復もしくは2日に1往復ぐらいしかできなかったんですけど、
ただ例えば決まって1ヶ月後に行きたいっていうのは結構苦しいと思います。
なんで余裕を持ってやったほうがいいですね。なんで3ヶ月はいるかな。
日本人結構やっぱり有利な点はあって、
いろんなビザとかもすぐ通るし、
いろんな点で入国はしやすいんですけど、
いろいろ準備とか、大学側も書類を作ったりしないといけないんで、
なんだかんだ3ヶ月ぐらいになるかなっていうのは思いますね。
だから、
僕の個人的には、
博士課程の2年の冬とか、博士課程3年の秋に、
メールを送っちゃう。で、
博士課程の夏までにポジションを取るっていうのがベストだと思います。
あと、奨学金自体も海外学進が
5月かな。で、上原さんとか、
他の財団の奨学金8月とかそんぐらいなんで、僕の場合は、
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7月ぐらいに決まったんで、海外学進は出せなかったんですよね。
で、上原さんのやつは出すことができたんで、
良かったなっていう感じなんですけど、
10月とか11月になると出すものが、
多分相当少なくなっちゃうんで、その時期も考えて出さないと。
別に、引き金を持っていく必要はないんですけど、持ってったらやっぱり印象はいいので、
そういう点もちょっと考えつつ、
全て戦略を立ててやらないといけないなというふうには思います。
もし中村くんが、上原をその時点に取れてなかった場合は、どういうふうになってたんですか?
上原取れてなくても、一応ボスが雇ってくれて、
で、雇ってくれる1年の間に、いろんな奨学金出せよっていう感じでしたね。
なるほど。1年以内に自分でフェローシップを持ってこいという。
そうです。結構、うちのラボのみんなフェローシップ、最初の1年目、2年目はフェローシップ取れない人が多いんですけど、
3年目、4年目はフェローシップ取ってくる人が多いんで、
フェローシップがあった方がいいです。ボスとしても。
上原さんのラボだとそうやって、スタートアップはボスが面倒を見てくれるけど、
フェローシップ取らないとちょっといろいろっていう。
そうです。ただ、ラボによってはフェローシップがないと取らないよっていうところもいるんで、
そういうところはボスとの交渉次第かなというのは思いますね。
必ずしもフェローシップが、僕は始めなかったけど雇ってもらえたので、
必須ではないけどあって困ることはない?
多分ない方が一般的ですね。
多分日本がたくさんそういうシステムがあるんで、
いいんですけど、他の国とかないんで、
まあないのは一般的ですけど、出した方がいいかなというのは思います。
で、まあそんな感じでアメリカについて、
僕はサイボーバイオとかもマウスとかも一切やったことなかったんで、
結構大変でしたけど、今となってはまあ、
全部できるようになったので、
まあそんな感じで、
技術修得はそんなに時間かからないので、
まあどうだろう、難しいやつは実施するとかかるかもしれないですけど、あとやる気ですね。
自分のどんだけ意欲があるか、例えば僕は、
バイオインフィマティックスはあまり興味がないので、
興味がないって言い方あるんですけど、
僕の脳みそではちょっと苦しいので、AIとか、そういうのはむしろ学務生とか、
たくさん僕のラボはいるので、そういう賢いことを学びながら、
一緒にやっていくっていう感じで、むしろ僕はその子たちに、
AIラングージュとかそういうのを教えてもらって、
まあ全然理解できないんですけど、
って言いながら、で僕は逆に分子生物学をその子たちに教えてあげるっていう感じで、そういう、
自分の苦手なところはやってもらったり、教えてもらったりっていうのができるっていうのがアメリカなので、
まあ日本もそうかもしれないですけど、アメリカは特にそういうコミュニケーションが、
あるとは思うので、まあそういう点では、
自分が苦手な分野においても、
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そういう人の力を借りて、
できるようになるっていうのは、いいところかなというふうには思います。
そうして、まあ留学してみたい人とか、
軽く留学してみたいなぐらいで思っている人でも、まあ一回挑戦してみて、
でそれで、いいとこのポジションが得られなかったら、そうやめちゃえばいいし、
いいとこ取れたんだったら、軽い気持ちで挑戦しても、
いいのかなとの僕の考えです。
ただ、
自分の目標をある程度、最終ゴールを決めておかないと、
後悔することになるんで、ゴールが何かっていうのは明らかにした上で、
一回留学に挑戦しても、無駄にはならないだろうなっていう、
ふうなのがあったら、まあ1年ぐらい、でもすぐやめちゃう、やめようと思ったらやめれるんで、
挑戦してみたらいいのかなっていうふうには思います。
で、もし迷っている人とか、
もうちょっと具体的に行きたいなっていうところがあったりしたり、
まあいろんな人がいると思うんですけど、ぜひ連絡してもらったら、
僕は基本的に何でも答えられることができるので、
ぜひ連絡してください。
というわけで、留学に至った経緯と中村が思う留学について話してきました。
さて、アメリカンナイトゴールド、スポーティファイ、アマゾンミュージック、アップルポッドキャストにて、
気が向いた金曜日のゼロ時に配信をしています。
番組のご意見ご感想は、Xの番組アカウント、
メールフォームにお寄せください。また、ハッシュタグアメ号をつけて、実況や感想ツイートお願いします。
ここまでのお相手は中村でした。
また来週。
22:52

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