00:06
こんばんは、あきらです。今日はね、あのー、水曜日だったんで休みでした。はい、まあ家でいろいろやってたんですけども。
今週、あとまあ、今日水曜日なんでね。木、金と2日なんですけども、まあようやっと、あのー、今の部署からおさらばします。はい。
いろいろありすぎた。
なんかあのー、精神的にこんなにね、蝕まれながらね、仕事をしたのって、人生の中で初めてでしたね。この歳になって。
そして、まあ雇用されている中でね、こんだけ仕事をしたのもね、初めてでした。 すごくね、なんかなんだろう、面白かったですね。
いやー、あのー、なんとかハラスメントって、最近めちゃくちゃあると思うんですけども。
まあ、こういうね、カスタマーサービスで仕事されている方だったら、カスハラ? お客さんからのハラスメントっていうのも、まあ最近だとね、あると思うんですけども。
クライアントからの暴言、ハラスメントっていうのも最近やっぱりあるっぽいですね。
もう今のところが諸該当してて、 普通じゃねえなっていつも思ってましたね。
まあでも、
ねえ、うちの、うちっていうか今の働いている会社ってすごくちっちゃいし、まあ弱い立場だから何も言えねえんだろうなみたいな。
いやー、弱小すぎても笑えるみたいな。 仕方がないですね、それは。
そう、なんでね、まあそういったね、あのー、
お仕事、部署がね、まあ今週あと2日でやっと終わります。 もう土曜日はね、
土曜日のお昼とか、なんかちょっとお祝いでなんか、 美味しいもんでも食いに行こうかなっていうふうに思ってるところですけども。
まあ金曜日、
今まで一緒に働いてた女の子たちがいるので、 まあうすうすみんなはね、私は6月から違うところに、その部署に移動する、
まあここの仕事じゃなくなるって気づいてるんですけども、 ちゃんとその辺は最後お話をして、
それであの、ちょっとケーキ買ってこうかなって。 やっぱね、みんな甘いもの大好きなんで、ちょっと美味しいケーキを買っていって、みんなで食べて、
今までありがとうございましたみたいな感じでね、終わりにしようかなと思います。 まあ別にあの部署が変わるって言ったっても、あの会社自体ちっちゃいんで、
まあすぐ隣の席だったりとかするんですけどね。 一応人を区切りなんで、うん。
03:01
みんなすごくあの頑張ってもらったなぁと思うし、いろいろこうそれによってね、私もあの、
いろんなことに気づかせてもらった部分というのもあるんで、
聖女石のケーキを買っていこうかなと思っています。 聖女石のケーキってなんかあれだよね、すごいこう、
買いやすくて美味しいみたいな。
なんかすげー高級なケーキとかってあるけども、 そこまで買わなくても、なんかこう、ある程度本当に
美味しいじゃないですか。普通に食べてて。 私結構買ってたんですよね。
そうなんか有名なこの棒状体の、なんか1000円ぐらいだったかな確か。
なんかチーズケーキとか、 まああとなんかケーキ何個も入っているやつとかもいっぱいある。
まあ店によって大きいところだと、なんだろう、 パイとかもあるんですよね。アップルパイとかでっかいなんか美味しそうなの。
だからまあ金曜日にちょっとなんか買って、 みんなのために持っていこうかなと思っています。
結構ね、私は、やっぱ女の子ってそういうのがあっただけで、 ちょっと嬉しいじゃないですか。美味しいし。
そういうのってすげー大事だなっていうふうにね、 ずっと1年半やっててもやっぱ思ってたんで、
なんかこう、最近もそうだったんですけども、ちょっとね、
人がいなくて大変でね、まあ、しんどい状況になった女の子っていうのがいたんですよ。
業務ちょっと、業務が増えちゃってね、いつもよりも。 で、よく頑張ってくれたから、
ちょっとあの、ありがとうねっていう意味で、 なんかこう、ちょっとした甘いものをね、渡したりとかっていうのは、
まあ本当に、私自身嫌いじゃないんで、そういうのって。 なんだ、仕事の一環ではなく、まあ普通に好きですね、そういうことするのが。
それで、なんかこう、なんだろう、お互いがなんかこう、 ホワッとした気持ちになるじゃないですか。
すげーやっぱ、それは昔から好きだなぁ。 なんかね、
人間が感じるその幸せって2つあるらしいんですよ。 そう、
通常は自分自身だけで感じる幸せ、まずあるんですね。 なんか食べて美味しくて、ああ幸せとか、
なんか気持ちよく寝てて、ああ気持ちいい、なんかすごい幸せとかね。 私の場合、寝るのすごい好きなんで、まあそういうのに該当するんですけども。
そういうのって、動物も感じる幸せなんで、なんか、 すごいあの、言い方悪く言うと、ゴリラの幸せらしいんですね。
私の中でもゴリラの幸せっていう風に言ってるんですけども。
人間しか感じられない幸せっていうのもあって、それが誰かと共有した幸せなんですよ。 人に。例えば、そうですね、あの、
06:07
街でね、歩いてて、 すいませんとか言って、道を聞いてくる人って、まあ最近少ないんですけども、
私も聞かれたんですよ。家の近くで、2、3回ね。 その時に、
これはここですよーって言って、ああそうなんですね、ありがとうございます。 っていうこう、なんかなんていうの、すごい、
大したことないじゃないですか。でも、なんかこう、あっちもすごい助かったし、で私もなんかそういうので教えて あげられてよかったっていう、お互いがなんかこう、
ファッとする幸せってあるじゃないですか。 それって、人間の幸せらしいんですよ。
そう、ゴリラと違うみたいな。
私は、だからそういった、そういうふうに感じる幸せっていうのが一番やっぱ好きなんですよ。 っていうか、人間のその脳の中で、どこだったっけな。
忘れちゃった。 そこ、その脳の中のその一部分っていうのが、そこが一番、その人間の幸せを感じた時に、まあ活発になるらしいんですね。
ボランティアとかやってる方って、そこがすごく、 やってる時って活性化してるっていう状態になるらしくて、
そう、その世はね本当に、 なんだろうこう、一人で何かを食べて感じる幸せなんかよりも、数倍やっぱ、
なんだろう、 幸せだなっていう感じるものらしいんですよ。
そう。 だからね、なんか、
そう、さっきも話戻るんですけども、女の子にね、そういうふうに何かこう、 デザートを持って行ったりっていうのは、結構ね、やってました。
まあ次行った時も、次の部署でも女の子なんで、ほぼほぼね、 男の子もいますけども、
全然やるんですけどね、また。 やって、それでなんかお互い、
ファーってね、こうファーっとこう、 美味しいとか思ってもらって、仕事がより円滑になるんだったら、 それはそれでいいんじゃないって思うんでね。
そう。 だからまあ変わらず、それは別に仕事場だけじゃなくても、まあやってきますね。
そう、別になんか何かを与えたいとか、 与えたいってなんか変な言い方だけども、 でも人間って絶対そこは思ってる部分ってものすごいあるんですよ。
そう、なのでね、金曜日ね、ケーキをこさえて、 みんなで食べようかなと思ってます。
いやーでも、 何話そうとしたんだっけな、そう超前置きが長くなったね。
09:00
あのー、そう、昨日かな? ハッとね、こう腑に落ちたものが実はありまして、
ずっとラジオでは話してたんですけども、 それって自分の中ではなんだか表面的に理解してたっていうのが、
まあ昨日腑に落ちた瞬間にわかったんですけども。 内容なんですけども、
人それぞれ世界観が違うっていうのを、 まあ常日頃私は思ってるし、
ラジオとかでもねちょいちょい出してるんですよ。 それってっていう風に昨日あの、
気づいたものがあって。 世界観が違うってじゃあ何なのか、ちょっとあの話していきますけども。
例えば、 霊が見える人、霊の声が聞こえる人、霊がを感じる人っていうのは、
その人の世界観ではそれが、 霊はいる、存在するっていう風な世界観なんですよ。
霊はいない、 信じてないとかね、といった思ってる人っていうのは、
その人の世界観の中では、存在してないから聞こえないし、見えないし、 何かを感じることもないんですよ。
だから霊っているの、いないのっていう話とかにも、 最近ならない、あんまならないと思うんですけども、
どっちもっていうのが私は正解だと思ってるんですよ。 だって人それぞれその自分が、
重要と思っているもので作られるわけじゃない。 自分のこの目の前に起きている世界って。
だからいない世界観もあるし、いる世界観もあるよね。 だと思うんですよ。
ということは、自分が何を重要、何を定義しているかによって、
その世界を、自分の世界を変えることができるっていうことですよね。 よく言うじゃないですか。
目の前に起きているこの現実というのが、お前が作ってんだよって。 はぁ、みたいな。
多分初めて聞いた人とかだと、はぁ、みたいになるんですよね。 はぁ、みたいな。いや、あるし、前からみたいな。
いや、そうなんだよ、みたいな。 でも人と話してる時って、
多分こういった経験ってあると思うんですよ。 ある物事がありました。
私はこういうふうに受け取ったんだけども、その人から聞いてみたら、 えっ、あなたそういうふうに受け取ったん?みたいな。
結構これって日常的にありません? それってその人が持っている価値観とか、固定観念とかから、
12:04
受け取り方が違うんですよね。 だから人それぞれっていうのもそれだと思うんですけども。
だから、私はプラスに取りました。 じゃあ、あなたはマイナスに取ったんだ。
これでも全く違うことになりますよね。
ということは、 自分の価値観とか固定観念が、
おお、これだ。
自分のこうなってほしいっていう世界観あるじゃないですか。 それにしたらそうなるんですよね。
だってさっき言ったお化け?霊? お化けってなんだよ。霊がいるって思えていれば、それが感じたり、
見えたり、 聞こえたりするわけですよ。
あ、そうじゃんっていうふうに私気の服に落ちたんですよ。 ということはやっぱり自分で作ってんだねこの世界ってすげーなって。
やばくね?と思って。
でも、そうやって言うと、 いや私ずっと思ってますけど、そういうふうになりたいと思って。
でもそういうふうな世界にならないんですけど、なんでですかみたいな。
それっていうのはあなたの根底にある固定観念が、 そうじゃないって思ってるからなんだよって。
ってことですよね。
実際、自分が生まれてね、 この長く生きてれば生きてるほど、いろんなものをこう…
いろんな制限って言ったらいいのかな。 洗脳って言ったらちょっときついな言葉が。
生まれました。自分は何も知らないです。 そこから親の考え方、価値観。
っていうのがまずダイレクトに自分に来ますよね。 で、その中で
生きて、自分の性格とかっていうのが形成されていくんですよ。 で、また社会に出ました。
社会のルールってありますよね。 例えばその社内のルールとか。
で、その中にまた縛られます。 人それぞれいろんな人と付き合っていると、例えば友達とかね。
友達との考え方とかにも影響を受けるし、 恋人の価値観とか考え方、そういったものって受けるじゃないですか。
まあ夫婦ってだからよくなんか、 長く連れ添ってくると一緒になるよね。
まあそれだと思うんですけどね、結論。
そう、だからいろんなものに影響されて、 今の自分で出来上がってるんですよ。
だから結構その根底の部分、 日本人だったら集合的無意識っていうのもあるんですね。
15:02
日本人のね。というものも見えない部分であるから、 結構それってすごく根深いんですよ。
だから自分の中で、こうなったらいいな、 こういうのがいいなと思っても、
ならないっていう現実が来るっていうのは、 それだと思うんですよ、その根深いものだと思うんですよね。
そうだから、じゃあどうしたらいいのかって言ったら、 心の底からそれが当たり前?普通?日常?
って思い、それをすごくリアルに
そうね、臨場感があるように 生活をするってことが大事なんですよね。
だって、今目の前にあるもの、景色、この毎日っていうのは、 一番自分の中でリアルだって感じてますよね。
いや当たり前でしょって、そうなんですよ。
その当たり前と思っているものが、自分の、 こうなりたい、こうあってほしい、夢とかね。
を今この場で、同じように感じられれば、 その世界になっていくんですよね。
シンプルに言うと。
だからすげーな、そうじゃんと思って。
やべー、ほんと面白くないですか、それって。
だからその、なんだ、 よく言うじゃないですか、仮想空間、この世は仮想空間だって言って。
そうだよねって。 だっててめーで作っててめーで何かこう、いろいろ苦しんだり、 楽しんだりとかしてるんでしょみたいな。
そういう意味で言ってます、オタクみたいな感じになったんですよ、 私、そうトイレ入っている時にね。
だからなんかこう、いや面白いですよね。
それはね、でっかい負に落ちたな、でっかいものが負に落ちた。 っていう風に昨日ね思って。
そう、変な夢あと見ましたね今日。
あの、 夢の中ってある意味リアル、リアルっていうか現実的な部分と非現実的な部分っていうのがすごく
顕著に出やすいところで、私昨日の夢はすごくね、
覚えてるんですけども、 なんかそういうふうに負に落ちた時の影響が大きかったんでしょうね、脳にとって。
だからね、 自分が
本当に心の底から、それが当たり前だと思ったら何でも作れる、編み出せるっていう風な夢だったんですよ。
18:06
手から、手にね、じゃあ何かをこう念じて、何か例えば食べ物とかだったら、りんご、分かりやすく言ったら、
りんごがここにあると思ったら、それが手に出現するんですよ。
どんな夢やねんと思うけども、いやそうだったんですよ。 それと繋がってるなっていうふうに思ってて、
そう、 出現したんですね。
自分でこういうふうに強く思って、強く、なんかこう、それが当たり前、リアルだと思えば出てくる。
っていうふうに夢の中で見て、で起きた時ってまあ寝ぼけている状態だったんですよ私。
だから、その起きてるんだけども、半分夢の中に入っちゃってる状態で、
私今多分できるっていうふうに思ってたんですよ。
朝からすげーなと思って。
私なんか手から編み出せるとかいうふうに思ってました。
すごい、なかなか面白いなっていうふうに、客観的に自分自身をね、思ってましたね。
ちなみにあのイエスキリストは、
その抽象度っていうのがすげー高い人だったんで、その皆さんとかが持ってる、私もあるね、私の中にもある価値観とか固定観念とか集合的無意識っていうのが全くない人なんで、
なんだっけ、なんか有名な話あったよね。なんかワインを何かに変えるとかだったっけ、 イエスキリストのやつ。
そういうのもできちゃうっていうふうに。
雑いな、説明が。イエスキリスト。 調べたこともないな。
これワインとか言ったら出てくるのかな? あ、水からワイン?これ。
キリスト教ワインは禁止されてますか?とかどうでもいいよね。
キリストワイン水とか検索である。 水を葡萄酒に変える。あーこれか、たぶん。
固定観念がないから、それはそうなんだろうなと思う。 私たちの常識って、いやそんなん無理でしょと思ってるじゃないですか。
それってある意味で言ったらまあ、さっき言った洗脳? なんですよね。
そうだから、 そういうことなんですよ。ちょっとざっくりまとめましたけど。
それがなんかあの、 昨日、はぁって、
来ちゃいました。
なんかね、このはぁって腑に落ちる瞬間ってあるじゃないですか。 これってなんかある種の悟りを、
悟りを開くじゃない、悟りらしいですね。 なんか私は昔から思ったの、なんかこう悟りが、悟った人っていうのはこうもう、なんか
21:07
すげー人間的に何かがこう、パッってこう全部、 なんかなんて言ったら、広がるじゃないですけども。
次の日から別人になるみたいな。
1000人みたいになるみたいな。 って思ってたんですけども、まあ違うらしいですね。
そういうなんか、いろんな悟ってる方から言わせると。 日常的に、
プチ悟りみたいなのがある。いっぱいあるんだよっていうのを言ってて。 えーって。それは誰しもがあることだし、っていう風にね、
教えてもらったことがあって。そう、だから今みたいに、こうはぁ、みたいな。 なんか、腑に落ちたみたいな。
っていうのもやっぱプチ悟りらしいですよ。おそらく本当にあの、 みんな、あるんでしょうね。
そう、ということで、まあちょっといきなり話は、 終わらせていくんですけども。
そう、だから自分の世界って、やっぱ自分で作ってるし、 自分で心の底からそれが、当たり前。
イエスキリストのように水を、なんか、 葡萄酒に変えるじゃないですけども。
そういうことって多分、誰しもができることなんでしょうね。 でもできないよって思う人って、多分その、
自分の中の、このなんだろう、ある価値観。 っていうのは、多分、
なんかあるんでしょうね。 そう、誰しもが、
なんだろうなぁ、その、自分自身でやっぱり足枷作っちゃうんですよね、 最終的に。何かこう、
夢とか、何か、こうなりたい、って思ってるんだけども、みたいな。 うん、もちろんね、なんかこう、大きなことをね、
友達に言った時に、いやそれはできないでしょ、みたいな風に 言われるかもしれないですけども、そういう人もね、いるんで。
だいたい身近な人が、そうやって言ってくんですけどね。 自分自身のことをよくわかっている人ほどよく言うんですよ、そうやって。
そう、だからまあ言わなきゃいいんですけども。 そう、最終的にやっぱ自分なんですよね。
そう、自分自身がどこまで、そう、こう、それを、それ自体を、 当たり前でしょう、みたいに思えるかなんですよね。
そうなんでね、ちょっと、そういった、 夢?っていうか、もう、こうであったらいいなーっていう世界がね、あるんだったら、ちょっとね、
客観的に自分自身を見てね、 ぜひとも修正をしていってもらえたらなと思います。
私もね、なんかいろいろ、 そう、あ、こう、こうでいきたいなっていうのは、若干ね、まだちょっと、はっきりとあれなんですけども、
あるんでね、ちょっと修正していこうかなと思います。 ということで、今回は、はい、以上となります。またでー!