00:15
こんにちは、ゆきです。
今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日もさゆみさん、どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
先月、日本に行ってきたという話をしたんですが、今回日本に行って気づいたこと、何でしょう?
いろいろあったんですけども、今までの自分ではあまり気づかなかったことなのか、たまたま増えているのか、
その辺はちょっと私の中でわからないんですが、今回すごい多いなと思ったのは、スマホを押しながら歩いている人たち。
あれ、なんか世界中で増殖。
多いですよね。事故もあったりするじゃないですか。
そう、ぶつかるし。
でね、フランスでももちろんいますよ。地図見ながら歩いているとか、SMSしながら歩いているって人いたんですね。
で、ご存知の方はご存知だと思うんですけど、渋谷の駅が大改造してるじゃないですか。
で、相変わらずすごいんですね。工事のところとか。
通りにくいですね。
通りにくいんですよ。
もう、一人の人のペースが、全体のペースを見出していく場合って、特にラッシュの時間を歩いていなくてもあると思うんですけど、
もう私の目の前の人がスマホ歩きをしてたんですね。
で、工事現場のあそこですよ。あのガタガタしているところをずっと歩いてて、私としては場所確認とか、そういうのだったらしょうがないかなと思ってたんですね。
もう本当に危なそうだったから、ただインスタやってるだけだったんですね。
いや、インスタはさ、歩きながらじゃなくてもいいんじゃないかってちょっと思ったんですよね。
で、その時間を惜しいのかと、私は思ったんですね。
なんかね、SNSしながら歩いてる人ってフランスあんまりいない気がして、ほんとメッセージ送ったりとか、電話してる人はいますけどね。
電車の中とか結構やってる人。
ゲームが多いしね。
いっぱい見ますけどね。
でもね、本当に今回渋谷もそうだったし、どこの駅も、品川とかもそうだったかな。
駅の構内で、特にホームとかすごい狭いじゃないですか。
もう駅員さんがスマホ歩きやめてくださいって言ってるの。
すごい。
確かに本当にみんなしてるんですね。
私ね、日本で思ったのがスマホ歩きをしながら、突然歩くの止まる人がいるんですよ。で、ぶつかっちゃうの。
そう、ぶつかります。
ぶつかりますよね。
突然止まるなって。
それはね、すっごい思った。
多分ほら、読んであって思ってふって止まるだけなんだ。
本人の中ではそういう意識なんだけども、歩いてる波の中でやってるから、止まると。
他の人が突然止まられるとね、こっちは歩いてるのでぶつかってしまって、なんかこっちが悪いことをしたような感じになっちゃうんですよね。
03:02
本当に今回は特に多かった気がする。
アナウンスまであるっていうのはすごい。
東京だけかもしれないんですけどね。
でもかなり危ない。
危ないと思う。
本当に危ないです、あれ。
だってちょっと段差とかあったら、転んじゃって結構大怪我しちゃったり。
しますよね。
すると思いますよ。
でもおかしくないくらいみんな集中してる感じもするので。
そういう意味ではね、館内放送するくらいなんだっていうのと、それぐらいみんなスマホ文化なんだなっていうのも、フランスもスマホ文化ですけど、
あの異様さというか、インスタ見るくらい惜しんで歩きながらやるんだとか、その辺を感じましたね。
座ってゆっくりやってもね。
時間が惜しいのかもしれないですけどね。
でも工事現場のところをインスタはやめたほうがいいかなと私は個人的には思いましたね。
だからちょっと日本の感覚でいうと、みんな下向いて歩いてるし、みんなスマホを持って歩いてるし、そういう意味ではちょっと不思議な感じよ。
特に渋谷駅とかああいう人混みの中で一斉にやってると。
あと品川も今回行ったので、品川の通路がすごいんですよ。高輪とあっち側の出口を結ぶところが。
両端と真ん中で方向が分かれてて、8時台とかラッシュの音なんにもしないんですよ。
その唯一する音がザッザッザッ。
みんな無言で歩いてる。
でも本当にオフィスに向かうからなんだけど、私はもうあのザッザッザッっていう足音だけがする感じと、一斉に人が流れてくる感じと。
あれはまた渋谷のスクランブル交差点とかあれとは全然違う不思議な雰囲気があるので。
各駅によって特徴がね。
品川もね、わざわざあの時間に行かなくてもいいと思いますけど、あの感覚はまたちょっと見るにはあたりするかなと思うので。
今回もちょっとそれを見て、品川やっぱりここかみたいな。
面白い。今度そういうところにも目を配りつつ楽しんでみます。
でもあの時間は行かないでしょ。
普通行かないですね。
行かなくて済むんだったら行かない方がいいと思うんですけど。
紛れ込んでしまった時にたまたま新幹線の時間があるとかね。
な時には必見。
分かりました。
06:00
はい。あの音だけを聞いてほしいですね。
ちょっと秋さん今度録音してください。
圧倒されちゃってね。録音全然できなかったので。
次回行くことがあったら。
はい。それでは本編スタートです。
はい。今回は月の頭ですのでインタビューをお届けしたいと思います。
今回はですね、鳥府栽培市でセラミックアーティストのムーケ・ユキさんです。
彼女はですね、私の高校時代の友人が実はニューヨークにいて、彼女の会社の先輩なんですね。
そういう形でフランスに住んでる人がいるよっていう紹介を受けて、
彼女はすごい田舎に住んでるんですが、時々パリに遊びに来るということで、
初めてお会いしたのがもうかれこれ4、5年前なのかな。
それからの友人なんですけども、彼女の考え方とか都会っ子が田舎で住むことの大変さとかね、
その辺をぜひ知っていただきたいっていうのもあって、今回インタビューさせていただきました。
では1回目をお聞きください。
こんにちは、秋です。
今日も素敵なゲストの方に来ていただいています。
トリフ栽培師でセラミックアーティストのムーケユキさんです。
ユキさんよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
実はユキさんのお宅に今お邪魔していて、パリから何キロぐらい離れてますかね、ここ。
ここはね、550キロぐらい。
南に下がったドルドーニュという県の彼女のお宅に伺わせていただいて、実は3年半ぶりなんですよね。
前回は春にお伺いして、緑が多く、今回秋でまさに紅葉も楽しみつつ。
秋の味覚も楽しみつつ。
たくさんキノコもいただき、本当に朝とって夜食べるみたいなね、素晴らしいお宅。
これ以上はない食べ方を。
マルシェに行く必要ないんでね、素晴らしいなという。
こちらにどれぐらいお住まいなんですか?
カレコレ12年になりますね。
12年。
徒歩通してからは?
徒歩通してからは18年。
18年。
トリュフ栽培士ということで、トリュフの栽培はこのお庭というか、お宅でやってるわけですよね。
そうですそうです。
ドルドーニュに引っ越して土地を買った時に20ヘクタールの土地を購入したんですね。
それでこの20ヘクタールある土地の有効活用って言うんですか。
そういうことも考えながら、この土地がトリュフ栽培に向いているということで決心しました。
それは最初から分かってたの?
最初から、引っ越してきてすぐ隣人のカモノオカのおじさまに教えていただきました。
じゃあそれでもういつかトリュフとは思ってたところを今回もう栽培士として。
というか最初はトリュフが栽培できるって知らなかったんですよ。
もうナチュラルに。
自生の実だと思ったんですよね。
09:01
トリュフと触れ合ううちに、トリュフって栽培できるんだ。
トリュフを作るにはどうしたらいいんだろうって思ったときに、
まず一番重要なのは土地の分析をすること。
本当にトリュフに栽培に向いている土地なのかどうか。
ということでトリュフ栽培協会の方に。
そういう協会があるんだ。
そうなんですよ。
トリュフの栽培を進行するための協会があって、
その専門家の方に来ていただいたのね。
そしたらもうこの土地。
バッチリ?
そう、向いているということで、
もう今まで思ったこともないことを考えついてしまった。
よし、トリュフを作ろう。
それはいつ頃思ったんですか?
それはね、ここに引っ越してきたのが2006年、
そうですね、12、13年の頃かな。
に土地を見てもらったりしたっていう。
その20ヘクタールのうちどのぐらいの土地がトリュフ用になるの?
4、5ヘクタール。
がトリュフだけ?
そう、トリュフだけ。
12ヘクタールが森なんですね、もちろん。
森の中はいろんな金が繁殖しているので、
トリュフ菌が生き延びていけない。
だから平野部分の8ヘクタールある部分の半分の土地が
トリュフ栽培に向いている土地だったんです。
その半分は他の木とかそういうのが?
果樹でも植えてくださいみたいな感じで言われました。
ここではトリュフは育ちませんと。
なるほどね。
本当に昨日もね、散策したんですけど、
いっぱいいろんな木があるし、
何でも育てようと思えば育つ果樹とかね。
本当自活できますよね、この土地はね。
小麦以外はできるかもね、みたいなね。
主食以外は全部できるかもみたいな。
そんなユキさんがなぜここに至ったのかっていうところの流れを聞きたいんですけど、
突出したのがいつっておっしゃいましたっけ?
2000年ですね。
もうかれこれ18年。
じゃあなぜ突出したのかっていうところなんですけど、
一言で言うと。
一言で言うと、ラムーン。
愛できてしまったと。
愛できてしまいました。
つまりご主人がフランス人だったってことですよね。
はい、その通りです。
どこで出会ったのか聞いていいですか?
もちろんです。
その当時ね、私が国際客室乗務員をしていまして、
私が勤めていた会社が年に一度世界からアーティストを招待して、
お寺でコンサートを開いてたんですね。
あ、お寺で。
そうなんです、京都のお寺でね。
で、その時にアーティストで来ていたのが今の主人。
で、私は普段乗務員として飛んでたんですけど、
当時地上研修に6ヶ月間降りていて、
ちょうどその期間に音舞台っていうんですけどね、があって、
で、VAPの方をご案内するのに、
ボランティアの乗務員が必要だっていうことでお願いされて、
すぐOKを出して、お寺に行ったら、
12:03
その人生のパートナーが待っていたっていう感じですね。
彼はある意味当時からすごく有名人で、
ユキさんは知ってたわけですよね。
もちろんです、毎晩聞いてました。
ファンだったの?
ファンっていうか、もう本当に彼の音楽だけは心にしみるじゃないけども、
大好きなアーティストだったんですよ。
ちなみにアーティスト名言っていただいていいですか?
はい、ディープフォレストっていうね。
多分40代より上の人たちは絶対聴いてるし、
うちの夫も大好きで、CDいっぱい持ってた人だったから。
聞いてすっごい嬉しかった。
本当?そしたら本人がいたみたいな。
今ここにいるみたいな。
そういう感じで、実際グラミー賞とかも取って、
すごい有名な状態でイベントにやる時に会っちゃったみたいな。
そうですね。
普通飛んでたら会えなかったってこと?
機内でね、会うことはあるでしょうけど。
イベントには携わらなかったかもしれないですね。
そうですよね。
だから本当に偶然が重なって、
一点と一点があって、今ここにいるって感じ。
お寺ってどこだった?京都?
醍醐寺。
そうだったんだ。
彼はそこでコンサートをし、そこで出会い。
その後どうなったんですか?
彼はフランスに住んでたわけですよね。
私は日本にいながら各地を飛んでたわけです。
彼もアーティストなんで、
自分のスケジュールも自由に調整できるでしょ。
私もあいちこち飛んでたので、
今月はこういうところに行きますっていうスケジュールを彼に渡してたわけですよ。
自分のフライトスケジュールね。
1ヶ月ごとのね。
彼が私のスケジュールを見て、
じゃあこのニューヨークだったら僕もジョインできるからニューヨークで会おう。
その次の時はフランクフルトで会いましょう。
月に1回くらいはちゃんとデートできてたんですよ。
会えたんだ、月に1回くらいは。
じゃあどっかでは必ず会える。
遠距離って言っても月に1回は会えてる感じだったんだ。
2年間ずっと続けてきましたね。
その時ユキさんは、ちなみにいくつくらいだったんですか?
30くらいかな。
30くらいか。
その時、自分で考えてたことあります?将来設計とか。
もう日本の男性といつか結婚して、
その当時勤めていた会社を多分続けているか、
マネージャークラスになるかどうかわからないですけど、
キャリアウーマンとしてやっていくつもりでいましたよね。
彼とこうやってデートを重ねていくと、
やっぱり彼との将来設計を考える時にどうか思ってたの?その時は。
だからね、はっきり言っていいとこ取りのデートしかしてないじゃないですか。
ニューヨークであったり、いろんなところであったり。
15:00
パリであったりとか。
実際この人と、大好きだったんですよもちろん。
でも実際この人と暮らすことになって成立するのだろうかっていう疑問はあるじゃないですか。
確かにね。特別な時しか会ってない感じですもんね。
長い時間一緒にいてみないと本当に一生暮らせる人なのかどうかってわからない。
ということで、2年経ったある日一緒に暮らしてみようっていうことになったんですね。
でもその時点でまだ会社を辞めてとか、
全部捨ててみたいなのはできない。
やっぱりその辺はちゃんと賢く計画的にね。
ということで彼に提案したんですよ。
私会社を休職して留学休暇っていう。
あるんだ。
あるんですよ。
さすが。
行きたいと思ってる。どう思う?って言ったら、
それはいいねって彼もやっぱり賛成してくれて、
1年半の留学休暇を取って、
変な話、もし彼がダメになっても私はJALに戻って、
フランス語を活かしてお仕事ができるわけですし。
戻れると思えば戻れるわけだしね。
休職だったら。
っていうふうにちゃんとお膳立てをしっかりしてから。
どっちのパターンでもいけるように。
そこで一回休職してパリに来たの?
そうです。
なるほどね。
そこで語学をやったり?
1年間学んで。
その時はまだどっちの道もあるって思ってたじゃないですか。
どのタイミングで残る残らないって決めたの?
やっぱり本当に彼との生活が自然に、
同時に彼も私とやっていけると思ったし、
私も彼と。
すぐ結構一緒に。
結構すぐ。
思ったんだ。
別にこの1年半の休職期間を待たずに。
なるほど。
その中で気持ちが結構固まった。
すぐ固まりましたね。
そう。
じゃあもうフランスに住もうみたいな。
ある意味会社辞めちゃおうみたいな。
でも会社を辞めるのはすごい辛かった。
っていうのはやっぱり、
日本とつながっていた糸がプツンと切れるような感覚。
何かにつながっていたいっていう気持ちあるじゃない。
ありますね。
それでだからすぐ辞めず、
サンキュー?
いろいろあるわけですね。
なるほどね。
それで2人目が生まれた頃に、
彼がもういいんじゃないのって言って、
そうよねっていうことで。
その糸を。
糸を切る決心をしたってことですね。
じゃあお子さんはフランスに住み始めて、
1人目のお子さんはいつおろ?
2002年。
じゃあ2年後ぐらいに生まれてたわけね。
なるほどね。
ゆきさんってパリにもいたけど、
最初は北の方に住んでらっしゃったんだよね。
パリの後に、
彼の出身地である北フランスに5年間住みました。
18:03
そこでいつもお話になるんだけども、
ゆきさんは私もそうだけど、
私以上に都会っ子なわけですよ。
都会以外で住んだことがないですよね、ある意味。
しかもほんと都会にしかマッチできない人だった。
だってことじゃないですか。
私なんかはパリに来た時も、
うわ、ちっちゃって思ったくらいの街だったから、
パリが都会だって田舎の人が言う感覚がわからないくらい、
パリですらすごいちっちゃいと思ってたような都会の人間が、
その北の方の田舎に、
ましてや外国人も多分あんまりいないエリアじゃないですか。
行くってかなり勇気がいるんじゃないかなと思ったんですけど。
そうですね。でもその時はね、もう必死。
あ、ほんと。
やっぱり語学も、
パリにいるとね、英語喋る人もたくさんいるし、
でも北フランスに行くとほとんどフランス語のみですよね。
ですよね。
ギリの両親とコンタクトを取るにも、
ほんとにもう自分がフランス語を話さないといけない状況だったんで、
無我夢中で同じ期だったんですよ、フランス語も、
フランスの習慣になれるのも。
だからあまりその当時は考える余裕がなかったですね。
なかった。まあ子育てもあったしね。
もうなれることで結構必死みたいな。
そうそうそうです。
そっか。で、その間に子育ても2人目も産んで、
一気に南に来たじゃないですか。
はい。
来た理由は?
来た理由はね、2人目がお腹にいた時に、
8月の半ばだったんですけど、
もうほんとに出産間近でね、動けなかったんですよ。
だからほんとにバカンスに出たくっても行けなくって、
北のあのメタリックな、
もう悪天候の代名詞のような空の下に我慢してなきゃいけなかった時に、
8月の普通はもうサンサンに太陽浴びてる時期に、
暖房をつけたの。スイッチを。
へえ。
これね、フランスに住んでない人はあんま分かんないかもしれない。
北と南って全然違うんですよね。
全然違う。
色も違うしね。
北はほんとにイメージ的にね、
ちょっと薄暗かったり寒かったりするイメージが、
夏でもそうだった。
夏でもそうなんね。
しかもあの、何ていうの、湯見りて?
湿気があるから。
湿気があるから、でしょ。
で、その暖房のスイッチをつけた瞬間に、
夏の真っ只中に、よし、南に行くっていうスイッチも入ったんですよ。
それは2人とも?
2人とも。
彼もやっぱり、いくら故郷とはいえ、
2人とも太陽が大好き。
で、彼は都会に住む人ではなかったの?
全然。
全然もう。
もともとやっぱり田舎が好きだし、
創作もじゃあずっと。
そうです。
じゃあ仕事だからパリに来るとか、
21:01
そういう感じで来てるだけで。
そう、都会に来るときは必ずミーティングとか、
もうほんとに人に会ったりとかね。
彼自身の創作はやっぱり田舎じゃないと、
もう自然の中じゃないとできない。
そこははっきりしてたわけか。
はっきりしてた。
ってことは、ユキさんもそこに合わせるしかないみたいな。
私がもうほんとにしなやかに動かないと成り立たない。
で、南に来るときに、
その南って言ってもいろいろあるじゃないですか。
どうやって選んだの?
偶然なんですけど、これも。
友人の家に行ったときに、
ドルドールに出身の方たちがたまたまね、
テーブルに一緒にいて、
彼らのドルドールの生活をしてくれたわけですよ。
そっか、ドルドールなんか良さそうなところだね。
じゃあちょっと一週間ぐらい行ってみようかって言って、
来てみたら、
ちょうど秋だったの。
紅葉が始まってすぐ。
暖房つけた年?
同じ年?
やっぱり出産してすぐだったんで、
1年待って。
その後ね。
やっぱりその自然の美しさに、
2人とももうノックアウトされて、
ここにしようって言って。
ドルドールって、
案外日本の人には知られてない。
ですよね。
すっごく魅力的で、
私も本当に、
バカンスで来たとき初めて、
子供産んだ次の年、
もうノックアウト。
自然とね、食べ物。
秋さん大好きだもんね。
大好きだからね。
でもやっぱり、
ある意味テイジェペでスパンと行ける場所じゃないから、
なんていうのかな、
卑怯って言い方ちょっと変だけど、
でも本当そういう感じですよね。
知る人ぞ知るいい場所みたいな感じ。
交通の便が悪いからこそ、
本当にこの手つかずの自然が残っている。
保たれてるっていう感じなんですよね。
そこで恋に落ちその土地に、
もうすぐ引っ越すことにした。
もうそれですぐ家を探し、見つけて、
でもうすぐ手配した。
早いですよ。
早いね。
ベルト早いね。
早い。
じゃあもうそのエリアとかもバーッと決めて、
だってドルドルにだって広いじゃないですか。
この辺のエリアにしようと思ったのはなんか、
もうこの家に、
この家の環境に、
もう恋をした。
もう本当この家を見たとき、
廃墟ですよ廃墟。
廃墟の状態だったんだけども、
誰も住んでなかったの?
9年間誰も住んでなかったんですよ。
そうなんだ。
17世紀の建物なんですけど、
9年間誰も住んでなくて、
もう本当にボロボロになって、
このままね。
本当廃墟のまま。
本当この家は、
こう崩れ去っていってしまうっていう状況だったんです。
だからその2人とも、
この家を蘇らせたいっていう気持ちもすごくあって。
なるほどね。
ちょっと今この家を見てる限りでは、
24:00
全然想像もつかないんだけど、
廃墟だったんだ。
廃墟だったんだ。
はい。だから残ったのはこの壁だけ。
あとは全部取り壊して、きれいにしたい。
じゃあもう外側っていうか、
そこだけ残して、
全部中を。
そりゃそうですよね。9年も。
だから外は17世紀のまま、
中はモダンな感じ。
床暖房も入ってるし。
工事とか大変だった。
大変だったですよ。
だからもう北からここまで約10時間のドライブを、
もう本当に大変だった。
もう週に1回ぐらいは来て、
チェックしないと。
やっぱそうでしょ、フランスは。
そうですよ、本当。
だってこっちまでも血飲み床も抱えてるし、
移動も大変でしょ。
大変でした。
それでね、1回、
その家のコントロールに2人で来たんですよ。
で、子供たちは友人の家に置いてね。
で、着いた瞬間に電話が鳴ったんですよ。
すぐ戻ってきて。
は?
あの子供たち2人とも、
今救急で病院にいるから。
えー!
2人とも?
そう。
何が起きたんだろう?
今夏だったのね。
まあ、北でもやっついと。
で、なんかね、遊んでいて、
水分はあまりよく取らなかったらしくって。
ちょっと脱水っぽくなっちゃった。
そうそう。
それでクリーズ、なんていうんですか、脱水症状みたいな感じで。
脱水症状ね。
そう。
で、着いてすぐまた戻った。
着いてたの?こっちにも。
こっちに10時間かけて着いて、
その電話があってまたすぐ。
戻った?
そう。
で、夜中に着いた時は子供たちは、
あの、ほら、天敵。
天敵やってて。
その2人ね、もう病室で3つ。
2人とも?
2人とも同時に。
大変だった。
やっぱり、ちょっと場所がね、超える移動で、
かつ回想もするとなると、大変。
大変でしたね。
そうなんだ。で、どれくらいかけて工事したんですか?
えーとですね、まあでも、2年。
2年?
2年。
2年で済んだの?
済んだ。もちろん済んでる間にも、
職人さんとか来てペンキ塗りとかね、
やってくださったりとかしてはいたんですけど、
まあ、大体2年で何とか。
この広いね、お家をね。
で、ちょうど今ここは、
その彼のスタジオのね、場所を借りて、
機材とトロフィーにあふれてる場所なんですけど。
機材とトロフィーに囲まれて。
囲まれて、なんか収録させていただいてるんですけど、
でもこれも電気とかね、そういうのが必要だから、
全部工事しなきゃいけないですもんね。
ですよね。
やっぱりそこには、
もう2人のこだわりをいっぱい入れていった。
入れて、はい。
じゃあ落ち着いたのってどれぐらい?
その、こう引っ越しをして、
もう完全になんか一通り工事終わって、
我が家って感じになったのは。
いやー、かかりましたよ。庭もあるしね。
庭はまあ、永遠に続きそうですよ。
20ヘクタールもあれば。
だからもう、そうですね。
やっぱり4、5年はかかったんじゃないかな。
かかった。そうなんだ。
だからもうバタバタしてたので、
こっちに来てから、
ここに引っ越して落ち着くまでこう。
やることが結構いっぱいあった。
27:01
目の前のことを乗り切るので、
結構精一杯。
毎日一生懸命。
プラス子育てもあり。
あり。
でも結構彼が仕事で海外行ったりしてるじゃないですか。
はい。
その時は?
私は一人で。
残ってたんだ。
うん。
ワンオペやってたんですね。
やってましたよ。
そうなんだ。
田舎に母一人。
母一人。
強くなりましたよ、本当に。
ねえ、都会っ子が。
ある冬にね、
ここがマイナス15度になったことがある。
へえ、そうなるんだ。
ここも。
それでその時にね、
ちょうど主人がいない時だった。
で、家の暖房だけじゃ温まりきれなくて、
子供たちがもうこう震えてて、
どうしよう。
で、もう外に薪を取りに行って。
自分で。
そう。
もう自分でね、暖炉にくべて、
子供たちにここに座ってなさい、
毛布もくるめて。
それで生き延びたけ、
なんか思い出がすごい。
そう。
やっぱりたくましくなるね。
たくましくなりますね。
男手がいなくても
何とかやってかなきゃいけないみたいな。
そうそう。
強くなるんだ。
強くなる。
はい、ゆきさんの一回目のインタビューでした。
彼女も結構波乱万丈っていう感じで。
そうですね。
でもなんかお話を聞いてると、
決断力というか、
すごく賢い決断をされてますね。
例えば賢いってのはどういうところ?
CAをやってたわけじゃなくて、
そこを辞めず給食扱いにしてもらって、
語学留学、
留学をするという形で、
ラブのために突出してっていうこととか。
そうですね。
どこの会社でもできるわけではないと思うんですけど、
そういったシステムをよく使って、
自分ももしかしてっていうこともあるじゃないですか。
そうですね。
どういうことになるかわからないので、
自分を守るためによく考えてるなと感心しました。
彼女も確かに言ってましたけど、
日本とのつながりの糸が切れるっていうことに対する
もったいなさっていうか、
残念な感じがあったから、
切らしたくなかったっていうのもあるし、
今まで私CAってすごいなと思ったんですけど、
月一どっかで会えるってすごくないですか?
仕事から。
だから彼もミュージシャンということでね、
いろいろどっか行ける。
比較的自由は聞く人だったとは思うんですけど、
月1回は会える遠距離恋愛ってすごいなと思って。
私ね、たまたま知り合いのCAさん、
フランスの方なんですけど、
カナダブースっていう洋服の、
ダウンジャケットってあるじゃないですか、
そういったブランドが。
それをカナダで買うと安いからって言って、
そのために社員枠で時間を見つけてカナダに買いに行ったとか。
30:00
それは仕事で行くんじゃなくて、
乗客として入って買いに行ってたんですか?
突然。
明日空いてるかしらとかって。
席がね。
それはすごいラッキーだなと思いましたね。
私もね、20代前半の時に友人がCAになり、
必ずね、彼女も書いてましたけど、
前月の終わりぐらいに次の月のスケジュールが出るんですよ。
それで彼女毎回私たちにそれを配ってくれてて、
お買い物リストをそこでいつも出して買ってきてもらってましたね。
それはいいですね。
今回パリが入ったよとか、
今回ワシントンなんだけど、
ワシントンでこのブランドはすごく安いんだよとか。
やっぱCAさんって詳しいから。
そうですよね。
その恩恵に、私はCAではなかったけれども恩恵には預かってましたね。
でもそういう人が都会の、彼女は東京の東京のど真ん中の人なんだけれども、
いきなり田舎ですよ。
パリではなく。
パリの北にあるベルギートの境とか、
あの辺に近いところの北側なんだけど、
私も北側行ったことあるから分かりますけど、
本当に南北と違うじゃないですか。
太陽があまり感じられないエリアですよね。
だからそういうところに、彼女もはっきり言ってましたけど、
もう愛のために、ある意味彼は田舎じゃないとダメな人なので、
本当にそこは受け入れての結婚みたいなところがあったので、
はっきり言って彼女は私より年上だし、
バブルをもろに謳歌してる人なので、
あの狂気乱舞を身をもって体験してる人が、
いきなりフランスのど真ん中って、
結構私はギャップがあったんじゃないかなと思うんですよね。
最初つらかったんじゃないかなと想像しますけど。
彼女もお子さんがいたから、最初は子育てに、
みたいなところがあったと思うんですけども、
やっぱりその辺のワンオペ生活とか、
ご主人がいないし、
その辺の田舎暮らしをどうやって受け入れていくかっていうところが、
後半に続いていきますので、
ぜひ後半も楽しみにしていてください。
ありがとうございました。
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33:05
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また次回もパリで学んだぶれない自分の作り方をお楽しみに。
アキでした。