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イラストレーターの原あいみです。絵本や書籍、キャラクターを作ったり、難しいことをわかりやすく、漫画やイラストで伝えるお仕事をしています。
今日はですね、ちょっと少し前にインスタグラムで書いて、ブログにも書いたんですけど、なんかコメントを結構たくさんいただいたりして、反響があったなぁと感じたことをお話ししたいと思います。
私が子どもの頃、未就学児から小学校低学年くらいまでなんですけど、よく吐く子どもだったんですよね。
当時、自家中毒って言われてたんですけど、これはちょっと調べてみたらですね、自家中毒っていうのは、ちょっと専門家じゃないので間違ってたらすみませんが、ケトンケッセオート症っていうみたいですね。
なんですけど、これは病名っていうより症状の名前らしくて、この原因は明確じゃないんだそうですね。ただ、ちょっと繊細なタイプの子どもがなりやすいと言われてるみたいで、いろんなストレス、疲れとか、あと叱られるとか緊張とかもなのかな。
あと興奮しすぎるとか、楽しくて遠足の前にテンション上がっちゃうとか、そういうのでもなることがあるみたいですね。
症状としては何度も吐いたりとか、顔色が悪くなったりとか、手足が冷たく感じられるとか、そういうことがあるみたいなんですけど、
私はどんな時になっていたのかっていうのが、やっぱりちっちゃかったのであまり覚えてないんですけど、食べたものを吐いてしまったっていう記憶もありますし、何も食べられなくて、胃液みたいなのが出てくるっていうので吐いてしまってたっていうことも記憶に残ってます。
で、その症状が出てしまった時は病院にね、ひどい時はだと思うんですけど、病院に連れて行ってもらって、小児科で点滴をしてもらうと治るっていうものでした。
で、そのことをですね、ちょっと思い出話みたいな感じで、絵と文章で投稿したところ、私もそうでしたとか、自分の子供が実はそうで、相談すればよかったみたいなお友達がいたりとか、結構ね、いろいろそういう症状で悩まれてたっていう方がいたんだっていうのを知りました。
私的には覚えていることは、すごく辛かったっていう思い出っていうよりは、この症状が出てしまった時は、お母さんがいつもより優しくしてくれるっていう記憶の方が強く残っています。
で、多分症状がひどかった時だと思うんですけど、その時は病院に行って点滴をしてもらっていました。
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で、点滴をすると必ずちゃんと治るっていう記憶もあって、なので吐いたりすると辛いけど、お母さんが優しいし、病院にさえ行けば必ず治るしみたいな感じで、そこまで深く不安になっていたっていうよりは、いつもより優しいお母さんと病院に行って優しく介護してもらえるみたいな、そんな記憶の方が上回っています。
で、病院に行くと、そこに小児科なんですけど、ハラペコアオモシが置いてあって、もう保育園の頃とかはそういうの読んでたと思うんですけど、小学校の低学年になっても、辛い時は、その症状が出た時はハラペコアオモシを読んで、何なら母が読み聞かせしてくれたりとか、もう小学校なのに。
なんかそんな感じで、少し子供に戻れる、ちっちゃい子に戻れるみたいな、そんな感覚があったのを記憶しています。
これね、でも自分に置き換えると、きっとね、忙しい時に娘が、子供がね、吐いてしまったりして、毛布とかをね、汚してしまったっていうのをちょっと記憶で残ってるんですけど、そういうのあったらもうなんか、今かよっちって思うようなこともきっとあるよなーって思うんですよね。
でも、母なんか布団、毛布汚しちゃったっていう記憶があるんですけど、でも怒ったりせず、母はね、なんかすごい優しくしてくれたっていうのをね、なんか覚えてるんですよ。
だから、私の見えてないところで、もうって言ってたかもしれないですけど、私にはね、優しくしてくれていたなーっていうのがあって、なので娘がね、そういうことになった時に、イライラしないようにしようって、ちょっとね、一瞬冷静になって、優しかった母のことを思い出すようにしています。
年齢が上がってくると、多分自然と収まっていったみたいですね。自家中毒っていうのは割とそういうものみたいです。
で、インスタグラムとブログに書いたのはこの辺の話なんですけど、本当はこの話と自分の娘のことを書きたかったんですよね。
というのも、最近ね、ちょっと娘がもしかしたら自家中毒なのかなーって思えるような症状がちょっと何度かあったんです。
私よりもそんなひどくないので、実際に入ってしまうっていうことは少ないんですけど、ちょっと気持ち悪いって突然言い出すみたいなことが何度かあって、
で、そのこともちょっと一緒にブログに書いていい?みたいなことを本人に聞いたら、ダメだって言われたんですよねーって、ここでちょっと喋ってしまってますが、
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これはちょっとね、あんまり広く見られるものじゃないということで許してもらおうかな。
なんですよね。だから、こうポジティブなお話は娘も書いて書いてって言うんですけど、やっぱりね、もう4年生ですからね、
こういう繊細な話はあんまり広くたくさんの人に読まれる場に書かれると嫌みたいなので、ちょっと控えました。
なんですけどね、ちょっと新学年になるときに娘がちょっと不安定になるっていうことがあるあるなんです。我が家にとっては。
これはね、ブログにも書いたことあるんですけど、1年生になるときは全然大丈夫だったんです。ものすごいすんなりいけて、小1の壁的なのは自分としてはそこまでなかったんですけど、
小2のときにすごくね、いろんなものが怖いって思ってしまうという症状が強く現れて、お風呂に入れなかったり、寝れなかったりとか、いろいろちょっと苦労したことがありました。
3年生はね、あんまり覚えてないんですけど、ちょっとね、4年生も今、まさに今なんですけど、若干不安定かなみたいなことがあるんです。
ただ、本人もね、そういうことブログにも書かないでって言われてしまったので、細かくは言いませんが、やっぱりこう、いろいろとね、クラス替えがあったり、先生が変わったり、
4年生だからしっかりしなきゃ、みたいなね、お約束もいろんなこと言ってるので、どこかでプレッシャーみたいなのを感じているのかもしれないですね。
本当はね、本当はこういう子育てとかで悩んでいることをブログとかに書きたいところなんですけれども、私は自分の名前でやってしまっているので、
実際のお友達とか、娘のお友達、要は私のママ友さんですよね、とかもすごく読んでくれていたりするので、書けないなっていうところが今のジレンマですね。
ブログのタイトルは育児の頃から書いているので、育児絵日記みたいなタイトルにしてしまっているんですね。
でもこれもね、もうそろそろちょっと変えて、私の公年期日記じゃないですけど、そういうものにね、ちょっと方向転換していかない時が来たのかなという気がいたします。
はい、ということで今日は、私が子供の頃よく吐く子供だったということと、それに絡めて新年度、子供が不安定になっているなというのを、
自分のね、母のことを思い出して温かく見守ろうかなと思っていますというお話でした。
はい、イラストレーターの原江美でした。また話します。