日曜パーソナリティのこばりさん、お疲れ様でした。
そして、アフターセブンをお聞きの皆様。
一週間の始まりの月曜日を、いかがお過ごしいでしょうか。
今週もね、ゆるーくゆるーく、乗り切っていきましょう。
さて、本日はあなただけのゲートも、豆腐テイルフがお届けするアフターセブン。
まもなくスタートでございます。
2024年10月7日、月曜日、時刻は19時でございます。
来週の月曜日はなんと祝日でございますね。嬉しいですね。
私事なんですけれども、次の連休を利用してちょっと遠出を致しますので、
来週は収録する時間がないんですよね。来週分堂々にしようと思ってね。
ほんでね、来週はもちろん今週のネタもまだ用意できていないという状態でどうするかなーと考えていたところ、
そうかと。ほな1時間ぐらい語れる内容を2週に分けて配信したええやんと思いつきましたので、
本日のテーマはこちら。
日本のアイドル文化を変えた25年。モーニング娘。の奇跡と未来。
アフターセブン。アフターセブン。アフターセブン。
またハロプロかーいと思ったあなた、そうです、ハロプロです。
ノムスとかハロプロとかオワコンでしょと思われてる方も多いと思うんですけど、
バカにすることなかれっていう話ですよ。
そもそもですね、モーニング娘。というアイドル業界の新生グループは、
昨今の日本の音楽シーンで超重要なアイドルグループなんですよ。
今でこそアイドルグループにおける新陳代謝若返りシステムという
一つのグループの中で卒業と加入が繰り返されるというのは、
今でこそ普通のことになってるんですけれども、
このシステムを作り出したのもモーニング娘。なんですよ。
モーニング娘。もめちゃくちゃメンバーは入れ替わっているんですけれども、
27年続いているモーニング娘。というそれぞれのメンバーが紡いできた意思、
グループの意思というものや初代メンバーが築き上げてきたものっていうのは、
ちゃんと今のメンバーも受け継いでいるので、
27年前のモーニング娘。と今のモーニング娘。というのは
全くの別物と考えていただいて結構なんですけれども、
そこにはみんな共通して一本通った芯があるんですよね。
そういった意味では野球チームとかに近いようなイメージでして、
例えば阪神タイガースの中でもですね、選手の引退やドラフト加入やらいろいろありますけれども、
好きな選手がいなくなったからといってその球団を嫌いになりますかっていうところなんですよ。
そういったアイドルグループの老舗のモーニング娘。でございますが、
モーニング娘。はアイドルファンだけでなく、ロックやポップスファンからも
その音楽性をとてもとても高く評価されているんですね。
その理由としては、ハイクオリティな音楽性と時代に合わせた進化を遂げているというのが挙げられます。
ハロー!の楽曲ってめちゃくちゃ癖が強いんですけど、コード進行とかも、
えっ、そんなとこで転調する?みたいな。何この構成。えぐっ!ってなるんですけど、
これはもう音楽かじってる人であればあるほどご理解いただけるマニアックな話になってくるんですけれども、
今回は少しだけそういったお話や、あとはもうモーニング娘。というグループそのものの歴史のお話をしていきたいなと考えております。
チャプター1。モーニング娘。の誕生。ファースト期。ブレイク期について。
モーニング娘。は27年続いているアイドルグループの老舗グループでございますので、
非公式なものでございますが、後にその時代ごとを指す言葉っていうのがあるんですね。
その呼び名も今ではもうかなり数が増えてしまったので、ファンの中でももう大きく3つにしか分類されていないんですけれども、
今回は3つだけではなく、かなり細かく説明をしていきます。
まず一番最初、デビューした頃の時期のことをファースト期というふうに呼んでいます。
これはファーストアルバムのファーストタイムから取られた呼び名で、ブレイク期というふうに呼んだりする人たちもいらっしゃいます。
1997年11月3日に発売されたインディーズシングル愛の種から、1999年シックスシングルふるさとまでの2年足らずぐらいの期間を指す言葉となっております。
この時代はまさに小室ファミリーの前世期、そんな中ひっそりと始まったオーディション番組が、そう、アサヤンでございます。
そんなオーディション番組の中で、1997年4月、シャラン級のボーカリストツンクさんがプロデュースするシャラン級女性ロックボーカリストオーディションという企画が番組の中でございました。
このオーディションで、約9900人の中から平家みちよがグランプリを獲得するんですけれども、ここで重要なのは優勝者以外の方の皆さんのストーリーなんですね。
オーディションに落選した、最終オーディションで落選した10人の中から、ツンクさんとアサヤンのスタッフが本人たちにやる気があれば可能性があるというふうに評価された5人がいるんです。
その5人というのが、モーニング娘。初代メンバー、中澤優子、石黒綾、飯田香里、阿部夏美、そして福田飛貴の5人です。
特に阿部夏美の評価が高くてですね、当初はソロデビューの計画もあったなんていう話があるそうです。
そんな彼女たちがデビューするための条件というのは、インディーズCD愛の種を5日間で5万枚手売りで完売しろというものでした。
でなければ解散しまーすって。エグすぎてクサ。今じゃ考えられへんようなハードルなんですよね。
5万枚手売りよ。手売りよ?大変に決まってるやん。
当時の音楽業界は、アムロ並絵やスピードといった沖縄アクターズがもうブイブイ言わせているような時代で、小室ファミリーはもちろん多くの女性アーティストが活躍していました。
しかもアクターズの人たちやから、言うたらデビューしてなくてもほぼプロみたいなセミプロの人たちがいきなりプロですし、ドーンと出てきてるみたいな時代なんですね。
そんな中で、この無名の5人組がこの試練をクリアするのはほとんど不可能であるというふうに考えられていたんですよ。
だがしかしですよ。5日間で彼女たちはこの無謀とも思われた挑戦をやってのけるんですね。
5日間で5万枚、しかも全国5都市を売り歩く。大変やでこれ。
でも初日の11月3日、HMV震災橋店では売り上げ1万5,612枚を手売りして、これは1店舗における同一CDの1日の売り上げ枚数で、なんと世界記録を達成しているんです。
ちなみにですね、当時ツンクさんの命名では苦盗店の○、モーニング娘○ではなかったんですよ。
スタジオのスクリーンで誤ってモーニング娘○というふうに紹介されたんですけれども、それがそのまま正式な名前として○という苦盗店の○も採用されたということになっております。
後にモーニングコーヒーでモーニング娘はメジャーデビューを果たしますが、それより以前というのは専属のマネージャーもついていないし、衣装も用意してもらえないという状態だったんですね。
だから、ほんまにガチの素人が泥臭い努力を積み上げて営業をかけていったという背景があるんですよ。
だからこそ応援したいと思う人たちが全国5大都市のCDショップに集まったのではないかというふうに僕は推測をしております。
グルーブ名の候補には他にも朝定食とか食べ放題とかバイキングたこ焼きシスターズみたいなもうなんじゃこれっていうような名前もあったそうです。
でも最終的にモーニング娘が選ばれたというところでございます。
当時のメンバーやお客さんもモーニング娘?え?は?みたいな感じだったそうです。
こうして1998年、ファーストシングルモーニングコーヒーを発売し、メジャーデビュー。
オリコン週刊6位、累計売上は201,679枚。
結成時の1期メンバーのみで出された唯一のシングルでございます。
5人で出されたシングルというのは後にも先にもこれだけでございます。
そして同年3月22日、モーニング娘?追加オーディションの開催が告知されます。
当時はこれが最後のメンバー追加であるという説明があったそうなんです。
ただ1期メンバーは当時メンバーが追加されるということはもう花から予想しておらずですね、ふざけんなというふうに行き通ったらしいです。
だってね、オーディションに落ちてしょんぼりしてたところにやってきた最後のチャンスなわけですよ、彼女たちからすれば。
わらにもすがる思いでCDを手売りしてさ、やっと掴んだチャンスやのにそこからポッと出て新メンバー追加しまーつわさ、きついよね。
しんどいと思うよ。
そんな中、5月3日に2期メンバー、安田恵、矢口真理、市井沙耶香が加入してきます。
もうね、この頃のモーニングの中は言うまでもなくめちゃくちゃ最悪なんですよ。
もう説明をはしょってるんですけれども、まず1期メンバーの中でも井沙香と安田恵がバッチバチに仲悪かったんです。
そんなですね、もともとまあいい空気ではなかったモーニング娘。の中にですね、2期メンバーの投入がされるわけですよ。
2期メンバーもまあなんていうか、ちょっとね居心地の悪さというか罰の悪さみたいなものは感じておりまして、
もちろんね、手売りしてデビューを掴んだのもアサヤンを見て知っているわけですから、
1期メンバーがふざけんなよと思うのも正直わかる、みたいな感じだったんですね。
そんな中、5月27日にセカンドシングル、サマーナイトタウンがリリースされます。
ファーストがモーニングで、セカンドでナイトっていうね、こういうとこにも僕はツンクイズムというのをすごく感じますね。
ちなみに、ファースト期で僕が一番おすすめしたいシングルはサマーナイトタウンでございます。
これはね、ハモリがめちゃくちゃいいんですよ。
2期メンバーは音楽性の向上を目的として追加されたという大義名分があるんですけれども、
サマーナイトタウンでは2期メンバーはコーラスのみでの参加となっております。
ただ、このコーラスがね、ハモリがめちゃくちゃ綺麗。
あと、歌ってて気持ちいいのでね、ぜひカラオケでは上のハモリを歌うのをおすすめいたします。
概要欄にも僕のおすすめのサマーナイトタウンのライブ、
娘ではないんですけれども、℃-uteが歌ってるバージョンになるんですけれども、
リンクを貼っておきますので、ぜひチェックしてみてください。
そして、9月9日に抱いてHOLD ON MEをリリース。
10月18日にはグループナイユニット、タンポポの結成が発表。
そして、1999年1月17日には福田アスカの卒業が発表されます。
2月10日にフォースシングル、メモリー青春の光を発売し、
オリコン週間2位、累計売上は411,686枚。
ここから正式に安倍夏実センターエースという体制が整っていきます。
また、このメモリー青春の光が福田アスカが最後に参加したシングルという風になっております。
この頃からCDの売上が徐々に徐々に下降傾向という風になっていきます。
人気に限りを見せ始めたそんな中ですね、
6月27日、モーニング娘。第2回追加オーディションの開催が発表されます。
7月14日にはシックスシングル、ふるさとをリリース。
この曲は実質安倍夏実のソロ曲であり、他のメンバーはもう全員コーラスを担当しているというシングルなんですけれども、
累計売上は171,436枚。
福田アスカがいた頃のシングルというのは、モーニング娘。を除いて全て40万枚以上売り上げていたんですけれども、
このふるさとの売上はそれまでで一番低い売上である171,436枚ということでございます。
ここまでの流れがファースト期、ブレイク期の流れとなっております。
いやねぇ、これもある意味かわいそうやなと思うんですよ。
もちろんグループ全体の人気はグループの責任であるし、
楽曲のクオリティということであればツンクさんの責任なわけで、
みんなそれぞれに同じくらい責任を負うべきやと思うんやけどさ、
ナッチ以外のメンバーからしてみればさ、
ほれ見たことか!って感じじゃん、こんな。
ツンクさんの指示でナッチはソロで歌っただけかもしれへんけどさ、
他のメンバーからしたらおもんないよ。
だからさ、当たり前に僕が他のメンバーやったら申し訳ないけど、
ざまぁみろって思っちゃうよね。
ふるさとの売り上げがあまり振るわなかった中、
8月22日には3期メンバーである後藤巻の加入が決定いたします。
ツンクさんは最初、合格者は2名の予定という風に語っていたんですけれども、
1人だけレベルが違いすぎるという理由で合格者は1人となっております。
ツンクさんはごっちんの性質をレーザービームのような声質、
明るく艶のある声というような表現をしておりました。
また個人ではあるんですけれども、
モーニング娘。やAKB48なんかの振付を担当してきた夏真由美先生、
ダンサーの夏真由美先生もこれまでで育ててきた中で
ナンバーワンの才能を持ったアイドルは誰ですかという風に尋ねると、
後藤巻ですという即答したなんていうエピソードがあります。
ボームスやAKB48の中で言うと圧倒的な才能という意味では、
後藤巻がナンバーワンでしたという風に即答してくれてるんですね。
僕は未だに後藤巻推しなんですけれども、
彼女の才能はマジで圧倒的だと僕は思っております。
スキルで言うと後にデビューする松浦彩や藤本美希の方が上なんですよ。
スキルで言うと上なんですよ。
ただ彼女はそれだけじゃないんですよね。
後藤巻は良くも悪くもちょっと器用貧乏な感じはあるんですけれども、
ごっちん自体はめちゃくちゃ努力家で、それを人に見せないという姿があるんですよ。
そういうところも僕はすごい好きなんですよね。
後藤巻の話はこのくらいにしておいて、
1999年9月9日、モーニング娘。として7枚目のシングル、
後藤巻をセンターにしてラブマシーンが発売されました。
オリコンシングルチャートでは初登場1位を獲得し、
最終的には120万枚を売り上げる大ヒット曲という風になっていきます。
さて、この曲は何がすごいかというとですね、
それまでのアイドル像というのを完全にリニューアルした楽曲なんですよ。
新しい時代を作った曲なんですよ。
というのも、それまでのアイドルの曲って、
なんというかね、正直ちょっと大人しいというか、
青春派が多かったんですよ。
遠くから好きな人を見ているみたいな。
そういう感じの曲が多かったんですね。
でも、モーニング娘。は自分たちを働く女として、
時代の波に乗る個性派集団として表現をしたんですよ。
もうね、お茶の間のイメージをいい意味でぶち壊したんです。
僕もですね、小学校で女の子の友達と一緒に歌って踊っていました。
もうとても懐かしい思い出です。
また単に楽曲の魅力だけではなくて、
ダンスの振り付けもとてもキャッチーで簡単というのもあってね。
日本の未来はウォウォウォウォ。世界がうらやむ。
イェイイェイイェイイェイという部分はですね、
みんなが歌って踊って盛り上がれる魅力を兼ね備えた曲というところなんですよ。
バブル崩壊後から約10年とかそのくらい。
暗い世の中だったからこそ、こういう楽しく盛り上がって元気づけてくれるような曲を
みんなが求めていたのかもしれませんよね。
その後、安田圭一井さやか、後藤真樹でぶっちもにを結成したり、
石黒綾の卒業が決定したりする中、
2000年1月26日には8枚目シングル恋のダンスサイトを発売。
オリコン週刊2位。累計売上は123万6037枚と。
同年4月16日には4期メンバーである石川リカ、吉澤ひとみ、辻のぞみ、加護愛が加入。
ツンクは最初、合格者は3名の予定という風に語っていたんですけれども、
どうしても辻のぞみは外せないという理由で、
合格者は辻のぞみを含めた4人となっております。
この4期メンバーというのは問題児だらけの4期メンバーなんですよね。
現モーニング娘。を応援している身としては、
4期の話は僕はあんまりしたくないというのが本音でございます。
4期は特に中澤裕子にもバチバチに怒られていたそうです。
2期以降のメンバーもみんなゆーちゃんにバチバチに怒られてるんですけれども、
その中でも3期、4期というのは特に4期はどえらい怒られてるんですよ。
当時のゆーちゃんブチギレエピソードとかも、
まあいろいろお話ししたいところではあるんですけれども、
時間の尺の都合、そこはちょっと端折らせていただきます。
もうね、この頃まで来ると新陳代謝若返りシステムというのはもう活発化してきていて、
いちいさやかが卒業、たんぽぽに石川リーカ、かごあいが加入、
さらにもうむすの冠番組、ハロモニの企画で組まれた
矢口辻、かごぬ、ヤングモーニングというグループがモットーとなって、
ミニモニが結成。さらにプッチモニに2期メンバーとして、
吉澤ひとみが加入とか、いろいろな動きがあるんですよ、この時も。
そして2000年12月13日に11thシングル、恋愛レボリューション21をリリースし、
累計売上は98万6040枚。
安倍夏実と後藤真樹のダブルセンターで中澤裕久の卒業シングルという風になっております。
その年は紅白歌合戦にも出場し、
まさに国民的アイドルグループの地位を確立したというのがこの年でございまして、
そして黄金期前夜までの流れという風になっております。
2000年は動きがありすぎてですね、マジで尺が足りないんですけれども、
ざっくりと前半では黄金期までのお話ができればいいのかなと思っているので、
もう少しだけ本日はサクサクと進んでいきます。
ここまでモーニング娘。を国民的アイドルグループまで押し上げたのは、
もちろん後藤真樹のスター性というのもあるんですけれども、
その盾役者としては中澤裕久の存在というのもすごく大きいんですよ。
というのも裕ちゃんがリーダーとしてグループ内の緊張感を保ったり、
社会的なマナーを新メンバーに教えたりということを含めて、
裕ちゃんがみんなの嫌われ役を担ってたんですね。
そのモーニング娘。の大黒柱のような存在である中澤裕久が卒業して、
本当にこの先大丈夫っていうところなんですけれども、
ぜーんぜん大丈夫なんです。問題ないです。
ちゃんと裕ちゃんが作った柱というのは残ってるんですね。
っていうのは裕ちゃんが作ってきた緊張感、
みんなバッチバチに切磋琢磨してた時代のメンバーなので、
もう一人一人が絶対私がセンターを取る、絶対私がカメラに抜かれる、
歌割りもっとくれ、私を目立たせてくれっていう、
もうそれはそれはね、みんな我が我がっていう前に出る大精神が
すごい強いメンバーなんです、この時代は。
だから中澤裕久卒業後のザピースもオリコン週刊1位、
累計売り上げ68万2320枚というところでございます。
黄金期という呼び名はザピースの衣装が金色だったから
というところに起因をしております。
ちなみに黄金期で聴いてもらいたい楽曲というところなんですけれども、
個人的に聴いていただきたいのは、
14thシングル矢口マリーセンターの
ソーダ・ウィーアーアライブですね。
売上的には44万3630枚とそこまで振るわなかったんですけれども、
これはね、バンドマンの方とかが聞くと結構びっくりするような
作りの曲になっているんですね。
この曲の努力未来、a beautiful startっていう、
あの部分っていうのは、曲のパーツで分けていくと
ブリッジって呼ばれる部分になるんですけれども、
ブリッジというのはサビに向かって盛り上げていく部分のことを
ブリッジと呼ぶんですね。
ブリッジでありながらこの曲のサビでもあるんですよ。
サビでありながらさらにそこの
幸せになりたいっていう、
大サビにつながるブリッジの役割もするんですよ。
だからサビとブリッジが
同じフレーズっていう作りなんです。
わかります?伝わってます?
で、この曲は後に、
この努力未来、a beautiful startの部分は
米津玄師のキックバックでも使用されるというね。
それだけね、楽曲のクオリティがすごいというか、
構成が特殊というか、ぶっ飛んだことやってるんですよ。
だからね、いまいちのね、このそうだwe are liveを
努力未来、a beautiful startの部分が
ブリッジでありながらサビでもあるという視点を持って
もう一度聴いてみてほしいですね。
本日もそろそろエンディングのお時間となりました。
本日のafter7はお楽しみいただけましたでしょうか。
いまね、僕疲労が溜まってるのか、
口内炎がね、上唇と下唇とさらに下にできてるんですよ。
口の中がマジで全滅状態。
ご飯食べられへんしマジで喋りたくないっていうね。
皆さんももしかしたら今日は聞き取りづらかったのではないでしょうか。