1. 広告を楽しむ『アドバタラヂオ』
  2. #155【業界大注目の漫画「ゾ..
2023-08-28 43:41

#155【業界大注目の漫画「ゾワワの神様」の著者が登場!】ゲスト:うえはらけいたさん vol.1 マンガ/漫画/博報堂

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サマリー

広告業界を引き寄せる漫画「ゾワワの神様」の著者である上原けいたさんが登場します。上原さんは、広告業界で働くきっかけや入社後の経験について話し、自身の漫画についてもお話しになります。上原けいたさんは、大学の中途入学で美大に入学されて、卒業制作として漫画を描くことを決められました。卒業制作はとしまえんを舞台にした漫画で、大抜き拓哉さんが担当教授でした。しかし、漫画は2話分しか完成されず、その後再入社してデザイナーとして働くことになられました。上原けいたさんは、ハコード時代からデザイナーとして働きながら夜は漫画を描かれていました。2020年に漫画家として独立されましたが、最初はタイアップ案件など、分かりやすく成果が出るような仕事ばかりを取られたため、代表作がなかったとお話しになります。案件漫画家の上原けいたさんが、自身のマンガ「ぞわわの神様」について話されました。彼の漫画は、就活生だけにモロに絞らず、広告業界について書かれており、ユニークさがアピールポイントとなっています。

上原さんの経歴とゾワワの神様について
どうも、アドバタラヂオはじまりでーす。
スナゲンでございます。
トミニアモコトです。
よろしくお願いします。
この番組は広告大好きな2人が広告に関わる出来事や出会いを通して、
聞いている皆さんに広告に興味を持ってもらい、そして広告を好きになってもらいたい、
そんな広告人学をお届けするラジオです。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
僕ら、ゲスト祭り、コラボレーション祭りな2023年なんですけども、
今回はですね、とってもとっても僕がお会いしたかった方、
そして、今、広告業界を引き寄せてくださっている方、
というところで、早速、ゲストをお呼びしたいなと思います。
はい、どうぞ。
ゾワワの神様のうえはらけいたさんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
漫画家のうえはらけいたです。
よろしくお願いいたします。
今回はすごいですね。シュン!
シュンって言うとあれですけど、
ある意味。
今ドキドキ。
ドキメイているかどうかわかんないですけど。
ドキメイてますよ。
ドキメイてますよ。
僕も自分のSNSで投稿させていただいて、
CMディレクターの先輩がいち早く買っていたらしくて、
ありがとうございます。
いい漫画だよね!ってコメントされてました。
ありがとうございます。
されておりましたし。
広告業界の方だけじゃなくて、
いろんなビジネスやってらっしゃる方とかも買われてます。
だったら嬉しいですけどね。
広告業界の方ってみんな科目なので。
ネット上では。
その話しましょう。
本当にそうなんですよ。
実際どれくらい読んでくれてるのかあんまりわかってないですけど。
一部ですよね。
発信するとか。
そうですね。そうなんですよ。
やる方は本当に一部ですけど、
本当にいろんな方が読まれてますというか、
上原さんが応援してる方がたくさんいらっしゃるというところで、
ちょっと早速、上原さんの経歴と言いますか、
どういう方なのかというところを
ちょっと峰尾からご紹介させていただいてもよろしいですか。
はい。
これ造話の神様の最後のページに書いてあるプロフィールのところなんですが、
1988年東京都生まれ、
新卒からコピーライターとして株式会社博鳳堂に勤務。
2015年に退職し、多摩美術大学グラフィックデザイン学科に編入。
以降、漫画を書き始める。
卒業後にデザイナーとして広告の現場に戻るが、
2020年4月に漫画家として独立。
著作にコロナが明けたらしたいこと、
アバウトはヒーロー、
などがございます。
というところで、
僕ら松永さんもそうですけど、
板界隈と言いますか、
そうですね。
すごくとっても近い上原さん。
本当にこの収録始まる前にめちゃくちゃ、
ああ!
おお!
知り合いが多かったんですけど。
ニアミスがいっぱいありましたね。
どうですか、造話の神様に関しては。
広告業界の反応と上原さんの活動
この後いろいろ深掘らさせていただきたいんですけど、
話題具合は?
話題具合か。
腹感。
腹感ですか。
もうこの発売になったのが?
8月8日です。
もうすぐ1ヶ月くらいになります。
でもおかげさまで、
本当にいろんな方が読んだと、
個人的に連絡をくれる方もいますし、
SNS上とかで紹介してくれる方もいますし、
あとやっぱり、
僕は紙の本にこだわったので、
紙の本を頑張って出したんですけど、
電子で読む方が結構多いらしくて、
なんか電子の方が売れてますねって言われました。
編集の方には。
あ、そうですか。
紙がいいんですよね。
手元にあるってことがいいんですよね。
でも最初から書き始めたタイミングから、
この形に本にするっていうイメージでスタートした?
割とそうかもしれないですね。
そうですね。
その時点で、これが始めた時は、
連載みたいなことを他にしてなかったので、
書くからにはちゃんと本になるぐらいのものを書こうと思って、
始めたっていうのがあります。
そうなんですね。
いや、めちゃくちゃ面白い。
上原さんのことをフォローはしてたんですよ、確か。
ありがとうございます。
Twitterで。
で、常に漫画は上げられてたじゃないですか。
そうですよね。
僕が一番確かに最初に見始めたのは、
この漫画の中にも入ってますけど、
自分が考えたものはうんこだと思う。
あれめっちゃ好きで、
人のうんこは見れないけど、
自分のうんこは見えるっていう。
その話からかな、僕は。
上原さんってこういう漫画を書いてるんだって、
色々調べさせていただいて、
フォローしてたっていう。
で、その上原さんが漫画を出版しましたっていうタイミングで、
僕たちはAmazonの予約で落ちて、
この出版の日に手元に届き、
SNSに買いましたっていう。
素晴らしいですね。
いう風に上げさせてもらったんですよ。
で、その後に上原さんが、
広告業界への情熱とゾワワの神様の内容
多分いいねとか押してもらったのかな。
ヨーバオの神様で多分エゴサッチしてますよね。
めちゃめちゃしてます。
そうそう。
その後にメディア出演募集しますと。
上原上原さんのプロモーションというところで、
色々出ますよっていう風にツイート投稿。
ツイートじゃないですね、もうね。
ポストかな。
あげられて、僕がすぐそれに連絡する。
あれはどうでした?受け取って迷惑だったとか?
いや迷惑なわけはないですよ。
やったって感じですね。
最初にご連絡くださったのがこの番組だった気がしますね。
ファーストで?
さすが先生、ぬかりなし。
早かったんですよ。
これマジすぐ連絡しなきゃダメだと思って。
足りなし。
ちなみにアドバタラジオ自体は知ってます?
どうだったかな。
知ってはいたと思います。
なんかやってんなみたいな。
僕らこんなゲストにも出ていただいてますよ。
お送りしたんですよ。
いやらしく送ったね。
いやらしかったですよ。
大事なことだよ。
大事なことをノミネートしましたとか。
大事なことです。
何かわかんないじゃないですか。
そうだよね。
そんなことないですよ。
まずね、わかりやすいものをね。
こういうメニュー出してますっていうのは出さなきゃいけませんからね。
よかったです。本当にありがとうございます。
ありがとうございます。
めちゃくちゃ嬉しい。
ありがとうございます。
今回はですね、そんな上原さんを深掘らさせていただき、
本当にね、経歴、僕ら収録する前にいろいろ伺ったんですけど、めちゃくちゃ面白いんで。
そこをお話し伺った後にゾワワの神様、この漫画についてお話を伺えたのなというふうに思っております。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
でですね、ゾワワの神様、舞台は広告業界ですよね。
間違いなくそうです。
この一冊の中で言うと、期間はどれくらいの内容なんですか?
僕が2011年に入社したんですけど、最初5年間コピーライトをやっていて、あんまり時系列に順に書いているわけではないので、
その5年間の中で印象的だったことを結構順番関係なく書いていってる感じな気がします。
そうですね。自分の中で扱った話をまずはピックアップしてっていうところだと思うんですけど、
もともと広告業界に入ったきっかけとか、何をされて入られたんですか?
僕の人生の話ですよね。
僕、高校の時に一瞬、舞台を志したんですよ。
めちゃめちゃ遡るんですけど。
ただ、担任の先生が、僕は志すだけで何の努力もしてなかったんですよ。
なんか、絵描くの好きだし、舞台だろうぐらいの感じでいきたいなって言ってたら、
担任の先生が、本気で舞台目指すんだったら、もっと努力しなきゃダメだよって言われて、
すごい屈折した高校生だったので、結構簡単にそれで諦めちゃったんですよ。
そんな言うんだったら、じゃあもういいですみたいな感じになっちゃって、すごくあっさり諦めて、
普通の舞台じゃない一般的な文系の大学に入って、
ただ、そういうもの作るみたいなことに対する憧れとか夢はちょっとあったので、
それでメーカーという意味ではないものづくりみたいなことができる会社を基準に就活したって感じなんですね。
その中で広告が、子供の頃からずっと好きで、漫画にもちょっと触れてる頃なんですけど、
これを言ってよく不思議がられるのが、子供の頃すごくテレビっ子だったんですけど、
CMの方が好きで、本編より。
CMをダビングして、ベストセレクションみたいなビデオを自分で作ったりするぐらい、CM好きの子供だったんですよ。
なので就活の時に、そういえば子供の頃CM好きだったらCM作る仕事できたら一番いいなと思って、
志望をして、すごく運よく広告に入れていただいたという。
この一番最初に出てくるプロバイダーゼロ。
これは本当の話ね、これ。
本当の話です。
素晴らしい。
これを見た瞬間、僕は好きと思ったもの。
ありがとうございます。
このチーム好きな人多いですよ。
CMがね、いいですね。
ここで言うのはタグボートと中島哲也さんのコラボレーション。
僕はこれを見て、久々にYouTubeで見ましたから。
劇的にYouTubeで見たくなるCMですね。
でもそれで、興味・関心があったのがデザインだけども、コピーライティングに行かれたわけですよね。
そうですね。デザイナーにはなれないので、美大出てないと。
ポートフォリオとかないと。
もう応募もできないですね、デザイン職は。
それは会社によりますけど。
ちなみに大学はどこ行ってますか?
大学はICUという三鷹にある。
卒業生で一番有名なのは多分マコ様なんですけど。
マコ様、カコ様。
そこのICUの中の何学科にいたの?
学科は人文科学科っていうところで。
でも人生周り道ばっかりしてるんで。
大学時代はなぜか音楽学の勉強してました。
音楽学?
それは全然今にも就職にも行きてないんですけど。
音楽理論とか。
コピーライターの窓は開いてたわけですよね?
そうですね。
だからアートディレクター職とかグラフィックデザイナー職以外は4大であれば組み込められてたっていうような感覚だもんね。
そうですね。
もっと言うと入社してから職種が決まるんで。
デザイナーだけ入り口が違って、美大出てないと受けられないんですよ。
それ以外は一旦総合職っていうくくりで全員採用されて、入社してからいろいろテストとかして、職種が割り振られるって感じなんですよ。
適正を見たりとか。
その中で上田さん自身はコピーライターを志望はしたんですか?
志望はしました。思っているとCMプランナーなんですけど本当は。
ただコピーライターしかそのときなかったんで。会社の役職として。
さっきのProvider Zeroがたしか2002年。
すごいです。年号まで覚えてるんですよ。
だよね、たしか。
僕は覚えてないです。
小学生か中学生くらいのときだったんで、たぶんそんくらいですね。
そうだよね。それくらいのはずなのよ。
すみません。先ほどの情報を修正させていただきます。
Provider Zeroは2000年でございました。
2002年じゃなくて。
2000年でございました。
Don't Spend Moneyっていう曲があるんですけど、あれは関野陽子さんでございました。
以上でございます。
2011年に入社ということですね。
そうですよね。
僕は社会人で。
そうだよね。
そうなんですか。なんと。
美大入学と卒業制作
僕は87年生まれて、1Wしてるので。
なるほど。
そっか、その時代か。
そうなんだよ。
まだやっぱ、きらびやか。
今の世もきらびやかですけど、高豪しさが増してたタイミングですよね。
探して欲しいな、みたいな感じで。
デジタルはこれからっていう。
コピーライターは確かにかっこよかったもんな。
そこでコピーライターの道に進むと。
そうですね。
憎悪の神様では、印象的なお話を中心にピックアップされてたと思うんですけど、
やっぱり5年間は過酷な5年間だった。
ああ、もう過酷でしたよ。
過酷です。過酷です。
表紙のことが全て物語ってますよね。
そうですね。こんな感じでしたね、毎晩。
表紙が物語っている。
ぜひ皆さん、表紙をよく見て欲しいんですけど、もちろんコピーライティングをされている。
これはコピーの100本ノックですよね。
そんな感じですよね。
100本ノックがしてある。
後ろ側にホワイトボードの壁があって、ピックアップされてるのか。
そこにかつ、ポストイットで黄色い付箋が貼られてると。
これはね、その当時でいうとよく見る光景。
会議室のあるある光景。
あるあるがすごいですよね、これ。
で、一人で。
これ実は裏側というか中。
中可愛いですね。
カバー取るともう寝落ちしてるっていう主人公が。
これ可愛い。
これはもうご自身の?
まあまあ、ほぼそうですね、これに関しては。
こんな日々を送ってたってことですね、5年間。
5年間送ってましたし、こんなわちゃわちゃ楽しいみたいな感じでは全くなかったりして。
もっと血と汗と涙みたいな感じでした。
そうですね。
血は待ちわれてないですけど。
心の血はいっぱい流してたみたいな。
これはだから5年間毎日を送られてて。
実際に僕も制作会社だったんで、そのやりとりを見てることはあるんですか?
そうですね。
コピーを100本のって本当にありました?
ありましたありました、全然。
100本でも足りないとか言われたこともあるし。
誇張としての100じゃないんですよね。
具体的な実数としての100を求められてるというか。
あれを今思えばどうなんですか?
どうだろうな。
仕事効率を考えたらそんなに良くないですけど、
修行としては必要だったなってやっぱり思います。
あれは実務を兼ねた修行だったんだなというか。
筋トレに近いというか。
回数で自分的な俯瞰にも見る機会になったりとか。
あとその漠然ととりあえず100を出すのを目標にするんじゃなくて、
できるだけ切り口をアイデアの発想の方向性を360度広げて、
それが結果的に100本になるみたいなのを目指せってすごい言われたんで。
筋トレだったんだなって思います今は。
じゃあ必要だった過程という。
かもなっていう感じです。
なるほど。
そうですよね。
漫画の中でたくさんいろんな名言とか縮めていらっしゃいますけど、
根本的にはやっぱりトレーニングの期間だったわけですよね。
全然。
5年経っても基本上司みたいな人がいたんで、
一人で全部任せてもらうことってなかったんで、
5年間ずっと研修してたみたいな感じです。考えてみれば。
長いな、5年間って。
修行の5年間があった上で、
なぜ大学を辞めて美大に行かれたんですか。
これ一言で言うのは難しいんですけど、
一番今思い返して大きかったのは、
高校時代に一回諦めたことをどこかで回収したかったというか、
昔の自分に対する示しをつけるために
行ったようなところはあったなと思います。
何かどこかしらでずっと引っかかってたと思う。
そうですね。ずっと働いてる間も引っかかっていて、
ただ大きかったのは、広告会社に入って、
身近に結構一流のデザイナーをしている人たちがいっぱいいて、
彼らは漏れなくみんな美大を出ていて、
美大受験のリアルとか、
実際中でどんなことをするのかみたいな話を
夜な夜な聞かせてもらってたんですよ。
なので高校時代にお前には無理だろって言われて、
そういう特別な世界だから無理かって諦めちゃってたものが、
会社でそういう生声を聞くことによって、
別に努力で行ける場所なのかもなみたいな風に
思い返すことができたんですよ。
なのでじゃあもう一回挑戦してみようかと思ったので、
5年目で辞めて、
編入試験っていうちょっと普通の試験より簡単なんですけど実は、
3年生から入れる試験を受けて、
2年だけなんですよ、美大行ったのは。3年4年で。
なるほどなるほど。ちょっと違うんですね。
そうなんです。一般受験は動く倍率のハードルも高いんですけど、
編入試験は作品審査があるんですよ。
普通の高校3年生って今まで作ったものないじゃないですか。
だからその場の実力だけで勝負しなきゃいけないんですけど、
編入試験は作品審査という、前準備でいろいろ頑張れるところがあったので、
それでなんとかなったって感じです。
その時に出したのはコピーライティング?
でもコピーライティングでやった仕事も、
ちょっと参考程度に入れましたけど、
それはやっぱり美大入るになった程度の実力ではないので、
自分で作ってましたね。パソコンをカチカチいじってイラストレーターとかで、
個人的なポスターとかを。
例えば、公募とかに出したりとか。
公募にすら出さなかったです。受験のための作品とかを結構その時に。
そうやって仕事しながらってことですよね。
でも仕事しながらの時期もありましたけど、
辞めてから受験まで半年くらいあったんですよ。
4、5ヶ月くらいかな。
そこで結構集中的に予備校に通ってデッサンをやりながら、
夜は部屋で細々自主制作のポスターを作るみたいな生活をして。
自分の気持ちでしかないですよね。
そうですね。
そうするんだという覚悟というか。
その時はおいくつだったんですか?
26か7かな。
辞めた時点で6で、入学した時は27になってたと思います。
じゃあ周りはもう20代。
そうなんですよ。
同級生が20歳か21歳とかなんで、7個ぐらい離れてました周りと。
面白いですね。
グラフィックデザイン学科ですよね。
その時っていうのは戻る予定だったんですか?デザインを学んで。
少なくとも周りにはそう言ってました。
会社の同僚には広告のデザイナーをやりたいから、デザインを勉強し直して、
卒業した後にもし広告デザイナーになれたらいいなと思ってますって言ってて出た。
それは70%くらい本気なんですけど、残りの3割くらいで、
でも本当に子供の頃になりたかったのは漫画家だったなっていうのはありました。
だからもしかしたらデザインに縛られず他のことも美大でチャレンジするかもしれないな。
基本はデザイナーだけどみたいな。
それくらいの気持ちでしたね。
結局根本的には一筋の道なわけですよね。
子供の頃から見たら一応筋は取ってますけど、
結果を振り返るとかなり右を曲折というか。
でも最終的にはちゃんとうまいぐらい着地してるもんね。
物として。
形として残してるっていうのは素晴らしいですよね。
素晴らしいですよ。
美大でグラフィックデザインを学んでたということで言うと、
たまびの師匠もわかんないですけど、漫画家みたいなんないんですか?
漫画学科はなくて、グラフィックデザイン学科の中もそんなに細かく分かれてないんですよ。
だから本当に言ってしまうとみんな平面上でできることなら何やってもいいよみたいな。
なんなら平面以外のことやってもいいんですけど立体物作ったりとか。
でもかなり本人なんですよ。
だからイラスト描きたきゃイラスト描きゃいいし、アニメーション作りたきゃアニメーション作ればいいしみたいな感じで。
僕も実を言うと4年生の途中くらいまでは普通にデザインをやってたんですよ。
なぜかというと入ってすぐ就活みたいな感じだったんで。
3年生から入るから。
なので再就職することを考えてたんで、普通にデザインの勉強としてポスター作ったり、パッケージデザイン考えたりとか。
そういうことをずっとやって、就活も一段落して、4年生の後半に卒業制作っていう。
本当に自由です。
もう何でもいいから一作品作って提出しろみたいな。
フェーズになった時に、じゃあ漫画を描いてみようかなっていうことに。
そこでやっと、めちゃめちゃ時間かかったですよ、漫画を描くまでに。
卒業制作の漫画
卒業制作で漫画を作ったんですか?
そうなんです。
それはゾワワの先駆け的な?
先駆けっていうことでもないですけど、最初に全然関係ない漫画を描きました。
それは家に出るんですか?
出てはいます。僕のノートとかに上がってますけど、ちゃんと出版とかされてないですよ。
チェックしてない。
それもでも完成しなかったんですよ、全然。
2話分くらいしか描いてない。それで卒業させてくれるたまびが本当に優しいんですけど。
概要欄に貼りましょう。概要欄に貼っていきましょう。
めちゃめちゃ、でももう超つたない。
いやいや、もう大事な、この一番最初の種のところですからね。
そうですね。
それは題材は何だったんですか?
それは、としまえんの漫画だったんですよ。
面白い。
広告の授業だったんですよ、僕が撮ってたのが。
担当教授が、これ言われるとびっくりされるんですけど、大抜きさんだったんですよ。
大抜き拓哉さん。
なるほど。
実はたまびの学科長なんですよ、グラフィックデザイン学科の。
それで大抜きゼミっていうのがあって、すごい人数いるんですけど、そこに入って。
別に広告に絡める必要もないんですけどね。
本当に大抜きさん何やってもいいよって言ってくれる人なんで。
でもなんとなくやっぱり広告会社にいたっていう、自分の身元もあったので。
漫画と広告で何かできないかなと思って、
としまえんを舞台にした漫画みたいなのを書いたんですけど、
全然完成しなかったです。
2話分しか完成しなかったです。
再入社とデザイナーとしての働き
でもそれはもちろん大抜きさんも読んで。
はいはいはい。
偶然なんかフンフンみたいな感じで読んでました。
まあこれがやりたいならやればって。
経歴からしてみたら飲んできたの?みたいなこと言われるわけじゃないですか。
そうでしょ。
君はおかしいねって言われました。
だってみんなが入りたい箱音ですよ。
そこを一回抜けて。
はい。
自分で5人でそこで書き始めて、
で、その後の話が実はあんまり多くは触れられてない。
ごちゃごちゃしてるんで。
報道に実は再入社してますその後。
それはデザイナーとして。
一応デザイナーサイド。
それってすごい聞きたいんですけど、人事部の人も
え?来た?みたいな感じの反応?
まあまあそうでしたよ。
まあそうですね。
ちょっとだからそういうのもあって撮ってくれたってのもあると思いますよ。
もともといたヨシミで。
まあなんか上原がんばってるみたいだからもう一回入れてやるかみたいな。
そういう感じだと思います実際。
だって5人いたら結構もうみんな知ってるでしょ。
そういうお人柄だと思う方も全然残ってたんで。
2年いなかった?
箱本を辞めて、で帰ってきた?
箱本じゃなくてもよかったっけ?
あ、もう電通でもよかったんですよ。
デザインを主軸にしてるっていうところもありますよね。
その時は箱本以外も受けたの?
電通だけ受けましたね。
で、箱本の方が先に内定が出たんで。
ハコード時代からデザイナーとしてのキャリア
僕は受けて電通行ったら相当怒られちゃうと思ったし。
僕としてはゆかりがある会社の方がいいと思ったんで。
それで電通は途中で辞めてそのまま。
その時のコピーライターをやってた時の制作質と
デザイナーとして入った時の質は一緒じゃなかったの?
じゃなかったですね。別の部署に行きました。
だけどその2年半の間にシャッフルがあって
コピーライターの人が近くにいたとか知り合いのコピーライターがいたとか
知り合いは全然いなかった。
だって今まではコピーライターの上原さんと接してた人が
今度はデザイナーの上原さんと接するっていうことですよね。
なんかみんな混乱してましたよ。
着前としない顔してましたみんな。
ちなみにコピーライティングやってよって言われたことはしなかったんですか?
入ってからですか?さすがにそれはなかったかな。
でもお一人で完結できるわけじゃないですか。
一応やろうと思えば。
そこはだってスキル的には5年のコピーライティングの経験と
デザインをちゃんと学ばれたっていうだけで
他の人にないスキル。
じゃあそうですけど。
でもちょっととっても中途半端だったんで。
でもそこで当時はコピーライターとしてデザイナーとキャッチボールをしてた人が
2年半経ったらデザイナーとしての自分がいて
漫画家への転身と苦悩
コピーライターとキャッチボールする人になるわけじゃないですか。
なんか思うことはあったんですか?
コピーライティングやってた時のデザイナーの方のコミュニケーション
逆の立場になって
自分の振り返るというか思うこととかってあったんですか?
結構一個思ったのは
コピーライターよりデザイナーの方が
より完成物に近い位置にいるので
逃げ場がないなって思いました。
コピーライターは自分でコピーとか企画とか考えて
形になるまでにすごいステップがいっぱいあるじゃないですか。
その過程でやっぱりちょっと変えましょうとか
細かいところ修正したりとかできるんですけど
デザイナーはもう自分が完成させた瞬間に
もうそれがそのまま確定するというか
入稿されてもうポスターになる
最後の成果物を作ってるじゃないですか。
ここで自分が手を抜いた瞬間に
それがもうそのまま出ちゃう。
みたいなスリルは
コピーライターとちょっと違ったなって思いますね。
特にグラフィックに関して
今はCMにもアートディレクションという意味に関しては
入ってきている部分もあるけど
主にグラフィックのところに
ここのロゴをあと2ミリずらそうとかという権限は
アートディレクターにしかないからね。
それこそ造話の神様でお話されていた
美術館でしたっけ?
そのご自身が初めて考えられたものが形になった。
あれはいい話。
あれコピーライターはああいう風に思うんでしょうね。
自分がアウトプットしたものが
いろんな人の手を交えて世に出る。
逆にデザイナー、アートディレクションの方になったら
そこの過程の中のより最後の方に近い。
そうすると喜びとか
その種類が違いますよね。
デザイナーは自分が作った
間違いなく自分の手で作ったものが
大きく張り出されたりする喜びみたいな感じかもしれないけど
コピーライターは確かにちょっと
半分自分が作ったけどもう半分
他人にも見えるみたいな
不思議な感覚がある気がします。
距離がありますもんね。
納品物に対して。
アートディレクターを目指したってことなんですか?
一応そういうことになりますかね。
デザイナーやって
そこから漫画家っていうステップでやってますか?
一応やってます。
その間にどれくらいデザイナーを
ハコードでやられてたんですか?
めっちゃ短いんですよ。半年です。
これは本当に申し訳ないです。
本当に頭を地面につけて
謝るしかないんですけどこれに関して。
あれ?また離れちゃうの?
上柳くんみたいな感じですよね。
相当ため息ついたと思いますよみんな。
管理層の人たちは。
もう一回デモ取りで入ってもらったけども
そこはもうちょっと違うかなというか。
まさに卒業制作で漫画に手を出してしまったばかりに
入社してからずっと
自分は漫画なのかデザインなのかっていう
葛藤がずっとあったんですよ。
一方で
広告会社で求められている僕の能力って
デザインだけじゃなくて
コピーライターもやってるデザイナーっていう
独特な経験も評価してもらってたところがあるので
ただ僕コピーライターで入社したときに
先輩に言われたのが
何でもやになっちゃダメだよって言われたんですよ。
何でもやって結局何でもできるように見えて
何にもできない人とも言えるから
何でもマルチにやれますより
もうこれしかできないけどこれなら誰にも負けません
の方がいいよって
結構いろんな人に似たようなこと言われてて
意外と確かに冴えたるものですね。
なのでデザイナーで入り直したときに
これ何でもやるとじゃんってちょっと思った節はあって
あの頃絶対になんない方がいいと思ってたものに
今ちょっと自分が変なキャリアを歩んだ結果なんですけど
なっちゃってるから
それよりだったらもう
全然その時点ではまだ初心者だけど
漫画家として漫画だけでもいいから
それを突き詰める道の方がいいかもなっていう風に
ちょっと思ったってのがありました。
自分の思う道をこう
セレクトし直したってことですよね
そうですね
じゃあそこからもう漫画家になったんですか?
ハコード時代ですか?
ハコードを辞めて
辞めて実は一回だけ転職をしていて
それは一体どこに行ったんだろうと
それはサイバーエージェントという会社に
すごいですね
入れていただきまして
それはデザイナーとしてってことですか?
その時はデザイナーですね
ただ正直その時点でも心の中では
もう漫画家を目指そうっていう風に決めていたので
それ面接とかでも説明しましたし
だからいずれ漫画家としてうまくいったら
辞めるかもしれないみたいなことは
最初から話してました
その時のデザイナーの枠って
あそこっていろんなデザインをするところがあるじゃないですか
そうですね
テレビもアベマもあるし
自社の広告もあるし
ゲームのデザインもあるし
様々なデザインがあるじゃないですか
その時は上田さんはどこのデザインだったんですか?
広告部門でした
やっぱり前の職種に近い
ウェブの広告とかを配信したりしてる部署の
広告デザイナーをしてました
そうなんですね
漫画家になるって気持ちで決めてたけども
その前に広告デジタル広告の方に行ったのはなんでなんですか?
これはもう完全に食いぶちというか
もう生活です
さっきもおっしゃってたけど面接でそれしてたんでしょ?
めちゃめちゃ絶対辞めますみたいなこと言ってたんですけど
そして面接官ももともとちょっと面識ある方だったんで
そういうことしてることも知ってくれてたんですよ
採用してくれた方も
なので理解がすごくあったので
若い会社だ
すごいですね
そこに何年間いらっしゃったんですか?
2年弱くらいかな
昼間はデザイナーやって夜は漫画を描くみたいな生活を続けて
2年後くらいにそろそろいいかなと
そろそろお邪魔しましたみたいな
おいてもさせていただきますと
結構文化違いますやっぱ
違いますね
サイバーエージェントっていう
全然違いますそれは
何が違うかな
そこを聞きたいです
結構世の中のイメージ通りだと思いますけど
サイバーエージェントの方がより作能よりというか
データとかを信じていて
作法ではもうちょっと有能的な
今は分かんないですよ
僕も辞めて結構経ってて
もうちょっと人間の感覚とか感情を考えながら
ものを作ってる感じでしたね
さっき始まる前にいろいろ伺いましたけど
スーパー有能最強メンバーとお仕事されてるわけじゃないですか
より僕の周りにそういう人が多かった
そうですよね
思考が深い方々とお仕事されてたと思うんで
それがね急にデータ行っちゃうからね
そこって自分の中でどう解釈
処理してたんですか
処理しきれないところはありましたねやっぱり
僕の周りにも結構そういう従来の
漫画家としての独立と代表作の重要性
一般的な広告代理店で仕事したり
関係会社にいた人がサイバーエージェントに来てた人がいたんですけど
なかなかみんなそのやり方が違うので苦戦したり
してた人たちは多かったかな
まあでも普通に一生懸命
ちょっと言葉が平たくなっちゃいますけど
一生懸命デザインしてもしくはコピーを書いて
わーってやって
このPブースあがったらこれなしっていう感じでしょ
すぐ数字で結果が出ちゃう
そうですよね
それを一番の大事なポイント
そうだよね
すごい経歴ですねそうすると
脳みその使い方が
そうですね
右から左にいって
そして漫画家の世界
これは僕は右なイメージですかね
どちらかというとそうかもしれないです
どうなんですか今もう漫画家の世界
漫画家の業界なわけじゃないですか
漫画業界っていうんですかね
まあ一応あるのかな漫画業界が
ここはだからもう20年
20年
そっか20年からですよね
もう3年目
一応そうですね4年目になったのか
あれ4年目になっちゃったのか
面白いですよ
平たすぎるかもしれないですけど
でも裁判にいる時から
昼はデザイナー夜は漫画
みたいな感じをしていらっしゃると思うんですけど
そこで2年間勤めて2020年に入って
いざ漫画家って言ってなるじゃないですか
営業をしなきゃいけない
なんか書かなきゃいけない
ネタはもう腐るほどあるんだみたいな
感じの万全の状態で
ドーンといかれたんですか
ある程度ストックがあるみたいな
全然そんなことなかったです
これは本当に僕の悪い癖だったんですけど
それまで普通に会社員をやっていたので
常に生活に対する不安が
頭にあったんですよ
なので漫画家として独立するにしても
自分で食えるようにならないとダメだろうと思って
分かりやすくお金になるような仕事ばっかりやってたんですよね
会社員いながら
それ例えばタイアップとか
そういう案件漫画って呼ばれるような
クライアントが分かりやすくいるような漫画の仕事とかばっかり
そういうのやってたんですね
業界的にもそういう仕事を取ってきやすいので
ツテとかを伝って
やりますよとか
だから普通漫画家志望の人って
雑誌のショーに応募するとか
そういうことをやるべきだったんだと思うんですけど
あんまりそれより分かりやすくすぐ成果が出るような仕事を
取ってしまった結果
生活できるめどを当たったんですけど
金銭的な意味で
でもその時点でちゃんと代表作とかあるかと言われると全然ないっていう
タイアップ案件で代表作にはなりづらいですよね
謎の状態でいきなり漫画家として独立したので
むしろ独立してから
ちゃんとこういう像は?みたいな
作品として代表作になるようなものを
重点的に描き始めたっていう感じだったかな
それは謎でしたね今思えば
うえはらけいたさんの漫画家経験
でも大事ですもんね先立つものがないと
美大の学費でだいぶ貯金がもう
ギリギリになっちゃってたんですよ正直言うと
副学生で
副学生みたいになっちゃってたんで
奨学金が
そこが気になっちゃって
それがないとやっぱ独立というか
言いちゃおうみたいにならないですもんね
言葉を選ばずに言うと案件漫画家
そうそうまさにそうです案件漫画家だったんですよ
サイバーエージェント時代は
サイバーエージェントを辞めるタイミングぐらいで
この像は?とかを動き出そうかなみたいな
1個別の1個この前に書いたコロナが明けたらしたいことっていう
ちょうどまさに2020年4月だったんですけど
辞めた直後ぐらいに緊急事態宣言とかになって
追い鳩
そうなんですこの状況で何書けばいいんだろうと思った時に
ちょっとそのコロナ禍を舞台にした漫画を書きまして
それは本当にどっかで連載じゃなくて
自分のSNSに上げてただけなんですけど
幸運にもちょっと本にしませんかって言ってくださる出版社さんがいて
でそれを
本にしていただいて1個できたし
「ぞわわの神様」の制作背景
次はもうちょっと前々から書きたかったものということで
始まったのがぞわわって感じです
でぞわわ自体をノートに上げてらした
あーそうですね
でそれを商電社さんがうちで今書きませんかって話になったってことですね
ちょっと複雑なんですけど実はここに関しては
ぞわわは一応その掲載媒体が他にあるんですよ
それがこの本の帯にも書いてあるんですけど
マスナビっていう広告業界就活サイトなんですね
そこからお話しいただいて最初はその就活生が
広告業界をより志したくなるような漫画を書いて連載してほしいって言われたんですよ
でそれでただ就活生だけにモロに絞って書くと
狭い話になりすぎちゃうかなと思ったんで
より広く広告業界全体の話みたいなのにしようと思って
書き始めたのがぞわわって感じです
なるほどね
いやというちょっともう結構盛りだくさんの言うかがあるんですけど
ここで一回切らさせていただいて
入り口話していただきましたけど
ぞわわの神様について
次回のエピソードでいろいろお話を伺いたいなと思っております
それでいうと今回は上原さんについていろいろお話を伺わせていただき
うよ曲折っていうところですかね
漫画家になられたと
うようようよ曲折
今思えばどうだったですか
後悔というかここはショートカットできたなとか
思うことはあるんですか
報道に採入者のくだりはいらなかったかなと
完全に僕の気の迷いというか
いやちょっとよくなかったな本当に
そこはね
ゲスト反省させてください
すごいでも僕は全部
結局上原さんがしたいことが軸
うようよとおっしゃってましたけど
なんか軸は決まってた
結局そうですねそこで悩んだから
追い詰められたからこそ漫画家という決断ができたっていうのは
めちゃめちゃポジティブに捉えればあるっちゃあるんですけど
漫画家ってめちゃくちゃハードル高くないですか
人生において
でもみんな一回はたぶん人生になりたいと思ったことあるはずなんですよね
それを体現されたことがすごいなと思ってて
僕は常々と思っているんだけど
SNSとかに漫画家さんがノートとかにあげていて
要はそれをリサーチしている編集の人がいるわけじゃないですか
そうですね
広い海にバッて釣りを投げて
お魚が引っかかるっていう
ポイントとか
ポイント
ポイントだよ
意識してたこととか
僕は排水の陣だったので
確かに自分のプロフィールはおしげもなく描きましたね
それぐらいしか他と差別化できるようなポイントがなかったね
漫画家としては
なるほど
絵もだってすごい年取ってから描き始めてる
絵うまい人って死ぬほどいるわけじゃないですか
だからそれと戦うにはやっぱりこの謎の
うようよ曲折人生すらもネタにしていくしかないかなっていうのは
正直思ってました
それが一番のアピールだった
何か一つでもね
こいつちょっと変だなって思ってもらえることから始めるしかないと思ったんで
面白い
あんまり隠したりはしなかったですねその子に関しては
ありがとうございます
というところで今回切りまして
次回は憎悪の神様出版された本ですね
についてお話伺えたらなと思います
今回は以上となります
ありがとうございました
いつも聞いてくださってありがとうございます
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