1. F1ファンの物語 #f1log w/z 桐野美也子
  2. Fandom 005 – 2000年代に出会..
2024-12-01 1:04:34

Fandom 005 – 2000年代に出会ったF1の全てが不思議「このクルマ何を目的に走ってるんだろう?」(Guest:じいふさん)

今回のゲストは、じいふさんです。セナ死去のニュースを最初期の […]

サマリー

じいふさんは2005年にF1に興味を持つようになり、大学生活の中で趣味として始めたエピソードを振り返ります。F1の魅力や独特な文化についての感想が語られ、若いファンとしての経験が重視されます。このエピソードでは、F1ファンとしての出会いや経験を通じて、2000年代のF1の魅力やツイッターの影響が述べられます。また、鈴鹿サーキットへの訪問やF1観戦の楽しみの変化にも触れています。2000年代のF1については、特に日本人ドライバーやホンダ、スーパーアグリに関する思い出や現状の期待感が語られています。新たなロゴの導入やグッズ展開の変化も取り上げられ、F1の進化を感じさせる内容となっています。さらに、じいふさんは2000年代のF1について話す中で、自身のF1への思いや歴史を振り返りながら、視聴者と共に考えを共有します。また、F1コミュニティの多様性やファン同士の交流に関する興味深い視点も提供されています。

じいふさんのF1との出会い
桐野美也子
さて、それじゃあ10時になりましたんでね、のんびり始めていきたいと思います。
今日はF1ファンの物語ですが、今日はゲストじいふさんです。おはようございます。
じいふ
おはようございます。よろしくお願いします。
桐野美也子
じいふさんはいつも番組にもお便りいただいてますが、このライブにもよく参加していただいてますけれども、
今日は若手、若手?若い?若手のファン。
じいふ
これは若手なんですね。
桐野美也子
若手に高齢感著しいリスナーの若い人もたくさん聞いていると思うが、
お便りをわざわざ書くとなると、年齢層高めな印象があるんで、
その中では比較的若いらしい。
じいふ
なるほど。まだ30代ですからね。
桐野美也子
アラサーですからね。
いや違うでしょ。アラサーって34くらいまでの大人じゃないの?25から。
じいふ
そうですか。30代はアラサーだと思ってましたけど。
桐野美也子
アラサーなんでね。アラサーにこれから切り込んでいこうということで、じいふさんに来ていただいてます。
じいふさんとは普段自転車でも付き合いがありますんでね、よく会ってるんですけど、
ズームで話すのはもしかして初めてではないかっていう感じなんですけど。
じいふ
そうですよね。たぶん桐野さんとは10年くらいの付き合いだとは思うんですよ。
初めてお会いしたのが確か2014年の島の鈴鹿。
桐野さんが焼きそば食べてるときにこんにちはって言って、私が突っ込んでって仲間入れてもらったっていうのが始まりだったと思うんですけど。
でも結局ね、島の鈴鹿、自転車のレースで年1回、日本グランプリで年1回、だから年に2回ぐらいですか?直接お会いするのって。
桐野美也子
そうですね。確かに。基本だから鈴鹿サーキットで会ってるわけですね。
じいふ
そうですそうです。だからこうやってしっかり時間を使ってしゃべることって、たぶん初めて。
桐野美也子
そうですよね。だってイベントごとで会うからその後飲み会とかもないしね。
じいふ
そうなんです。我々ね、自転車乗ってるとお酒飲めないから。
桐野美也子
お酒飲めない。ジーフさんが自走で途中まで帰るとかそういうこともあるんで。サーキットでお酒飲むわけにもいかないし。
じいふ
あとね、日本グランプリのときはそもそも会わないとかもあるじゃないですか。
桐野美也子
会わないケースもありますね。
じいふ
今年の日本グランプリだってお会いしてないですよ。
桐野美也子
会ってないですよね。同じ空間にはいたっぽいんですけど。
じいふ
土曜日に声かけられて、共通の知り合いから。で、僕ちょっと行けないなって言って断って、
でもどうせ決勝日来るだろうと思ったらキリンノさんがまさか決勝日に来ないっていう。
桐野美也子
そうか。病欠。
そうそうそう。
あったな。
じいふ
なのでね、年に2回も会ってない年も結構ありますよね。
桐野美也子
ありますね。
という間柄でもあるんですけど、あんまりF1について喋ったことないなっていうまで。
ちょうどいいのではないかっていうことなんですが。
F1を知るきっかけ
桐野美也子
入ります。
とりあえずお決まりの必ず最初に聞いてる質問があるので、そのことから雑談していこうかなと思うんですが。
じいふ
F1に興味を持ったのはいつ頃のことでしょうかっていう昔話なんですけど。
興味を持ったのはこれはっきり言えて、2005年。
2005年。
なんかちょっと今若い感じに出ましたよね。2000年代でしょ。
そうか。2000年代を挙げるっていうところで。
2005年に、僕大学の2年生ぐらいだったかな。
当時、大学の勉強とサークルは一生懸命やってたけど、あんまり趣味がないっていうことにふと気づいて、
周りの友達とかは大学の勉強、サークル以外にもアルバイトに熱心になってたり、自分の趣味持ってたりとかって結構色々忙しそうにしてるのを羨ましいなと思って。
桐野美也子
じゃあ俺もちょっと趣味作るかと思って一年発起して。
じいふ
でも趣味作るって難しいんですよ。
桐野美也子
それ考えてやるの難しいと思いますよ。
じいふ
で、その時テレビをつけてて、じゃあテレビザッピングして映ってるものを無理やり趣味にしてみようっていうのを試したんですよ。
桐野美也子
やってみたんだ、それを。
じいふ
そうそうそうそう。当時東京にいたんで、12チャンネル全部回して。
で、映ってたのが結局夜だったんでね。
ほとんどニュースとか、当時だとバラエティ番組とかばっかり。
で、その並びでたまたまF1が映ってて。
桐野美也子
これか。
じいふ
いやいやいやいや。
桐野美也子
ならんでしょう。
じいふ
いやな、ならんですよね。
桐野美也子
ならんでしょう?
で、その時何?ザッピングして、何F1やってんだみたいな、車走ってんだみたいな?
じいふ
自分で決めたことだからしょうがないから、これを趣味にしてみるかと思って。
1年間で頑張って見続けたら趣味になるだろうと思って。
見始めたのが、そのF1が出会ったきっかけですかね。
きっかけだね。
もうきっかけだね。
桐野美也子
だって、例えばそれがプロレス中継だったらさ、プロレス見てみようかなとか、そういう可能性ももちろんあったわけなんだけど。
じいふ
ありますあります。
桐野美也子
ありますよね。
でもプロレスはさ、見ればさ、あ、プロレスだと思うけどさ、F1はさ、見てもさ、F1っていうのをある程度知ってないとさ、
これ何かなみたいなとこから始まる気がするんだけど、そこはスッとF1っていうふうに行けたわけですか。
じいふ
いや、行けないです。行けないです。
桐野美也子
行けないよね。
うん。この車、何を目的に走ってるんだろうとか。
はいはいはいはい。こいつら何してんだろうっていう。
じいふ
そうそうそうそう。で、なんだろ、そもそもさ、F1グランプリって毎戦毎戦優勝者が出るじゃないですか。
うん。
あれの意味が全くわかんなくって。
桐野美也子
あー。
じいふ
野球とかサッカーだと、毎戦毎戦、勝者は出るけど優勝って言わないじゃないですか。
あー、なるほど。
うん。
桐野美也子
確かに。
じいふ
もう、なんだろう、F1の言葉自体が全部が不思議で。
面白いな。
そういう意味ではね、今まで自分が見てたスポーツの価値観では見れないコンテンツだなって思って。
桐野美也子
うん。
じいふ
ある意味では面白さを感じたっていうのはありますね。
桐野美也子
もう言葉言葉が全て違うのがわかんないんだ。
走ってる車とかには全然かっこいいとか親しみとかもなく、変な車が走ってんだみたいな感じなの?
じいふ
あー、でもそうそう、変な車が走ってるなっていうのは面白さを感じたところではありますね。
当時って、空力パーツがどんどん追加されていった走りぐらいじゃなかったかな。
桐野美也子
2005年ね。
じいふ
その流れが2008年ぐらいまで確か続くんだけど、毎年見れば見るほどパーツが増えていくっていう時代で。
で、やっぱりチームごとの個性も結構出てたんじゃないかな、当時。
なるほどね。
なんでこの車こんな形してんだろうとか、他のチームは別の形してんだろうとか。
そういうのがはっきりわかる時代だったんで、それも見た目的にはとっつきやすい頃かなとは思いますけど。
桐野美也子
パッと見ても、いろんな車があるんだなーみたいなのはわかりやすかったというか。
そこは確かによかったかもしれないですね。
それは興味を持ったと言えるのかね。
じいふ
どういう、きっかけですね。
きっかけだね。
桐野美也子
そこでだから、ジーフ学生はこれを趣味にしてみるかみたいな感じで、とりあえず毎戦?
当時は2週間に1回ぐらいなのかな。
じいふ
そうですね。まだ20戦はない時代だったと思いますけど。
桐野美也子
今より全然少ないよね。
じいふ
でも新聞撮ってなかったんで、いつ放送されるかわかっておらず。
たぶん2005年の最終戦とか見てないんじゃないかな。
見逃してたんじゃないかな。
桐野美也子
でも別にそんな真剣に追いかけてるわけでもないんでしょう、別に。
じいふ
そうです。たぶんフルシーズンを見始めたのはその次の年の2006年とかじゃないですかね。
情報収集とファンとしての成長
じいふ
うん。アロンソ強そうな感じの時代ですね。
そうそう。だから僕、シューマッハが強いとかってよくわかってないですよね。
そうなんだ。見始めたときにはっていう感じか。
もうシューマッハの時代が終わって、アロンソの時代に入ってたから。
桐野美也子
じゃああれだね。背などごろの騒ぎじゃないね。
シューマッハってエルセレスで復帰してたおじいちゃんみたいな感じなのかね。
じいふ
さすがにおじいちゃんとは思わなかったですけど、
あの当時のミハイルをおじいちゃんって言っちゃったら、今のアロンソなんなのっていう話になるんで。
桐野美也子
仙人っていう感じですかね。
じいふ
そうそう。だから今回のF1ファンの物語の過去の方の、もうちょっと聞いてきましたけど、
セナプロ、ナイジェルマンセル、シューマッハ、ミカハッキデンとかっていう歴々のドライバーのお名前が出てきましたけど、
僕からしたら全部教科書の人。
俺そいつ会ったことあるよみたいな人がまだ生きてるぐらいの。
桐野美也子
ギリギリ生きてるぐらいの感じか。
確かにそうだよね。ギリギリ会ったことある人がいる程度のね。
そうだな。歴史上の人。
そうだね。田中角栄とかだね。
じいふ
そういう意味ではちょっと若手感出せる話かもしれないですね。
桐野美也子
若手感は出せそうですよね。
じゃあ見始めて、一応きっかけとしてはザッピングして、F1見てみるかみたいなので、
見ていくと何か変わっていくのを自分の中で、全く興味のないものを義務的に見ていくっていう、そのステップ。
じいふ
でもやっぱりレースのドラマチックな展開とかっていうのが分かり始めると、
このコンテンツ面白いなっていうのにまず気づき始めるかな。
当時はやっぱり分かってなかったので、とりあえずフェラーリ追っかけとけばいいだろうみたいな安直な考えもあってフェラーリ見てたんですけど、
やっぱり2007年、8年とかってフェラーリ来年が入ったりとか、
マッサの最終戦でチャンピオン取れなかったりとか、あの辺の動きがあって、
結構その年間通してもフェラーリ中心にダイナミックに動いてた印象がありますよね。
そういうのを見てたら、一個一個のレースだけでは語れない、年間通してのストーリーっていうのを見る面白さっていうのがだんだん分かってきましたかね。
桐野美也子
なるほどね。
フェラーリを軸に置いてみたっていうのも良かったかもしれないですね。
その時はまだレースの展開とかも実況が教えてくれるって感じ?テレビで。
じいふ
そうですね。僕見てたのは富士テレビの地上波ですか、当時。
桐野美也子
地上波やってたかな、まだね。
それでなんとかついてくって感じでしたね。
他の雑誌とかウェブとかそういうので勉強するっていうか、情報を仕入れる的なことはやったんですか。
じいふ
雑誌は買ったことほとんどなかったんですけど、ウェブっていうかインターネットはもう日常的になってたので、助けてもらったのはインターネットですね、本当に。
2056年ぐらいはまだこちらから調べに行く、熱心なF1ファンが作ってくれてるウェブサイトとか情報サイトとか見に行くぐらいだったんですけど、
2008年ぐらいからかな、もうちょっと後かな、ツイッターとか出てきたり、あとはまさに桐野さんの前世のコンテンツとかを聞いてましたね。
あれが結構助かりましたし、後の自分のF1ファンとしての考え方に結構影響を受けたことではありますね。
桐野美也子
最初の頃の自分から探しに行ってみたいなときって何?
本当にもうGoogleとかでとりあえず検索して出てきたところを見るみたいな感じなわけ?
じいふ
そうですそうです。
桐野美也子
なんか覚えて記憶に残ってるコンテンツあります?ファンが作ってたやつで。
じいふ
いや、どうだろう。あんま覚えないですね。
何があったんだろうね。たくさんあったんだろうけどね。
でも当時からF1ゲートはありましたね。
桐野美也子
F1ゲートってそんな時からあるのか。
じいふ
うん、ありましたありました。
桐野美也子
すごいな、F1ゲート。ニュースサイト的にはF1ゲートがあったの?
じいふ
あれは見てなかったんですよ。某巨大掲示板は見てなくて。
あそこにはまると抜け出せないような気がしていて、はまってなかったんですけどね。
桐野美也子
ああいう掲示板もコミュニティにはなってた。
当時だから、ツイッターがない時代は実況って言ったら、ああいう巨大掲示板でやってたんですよね。知らないけど。
じいふ
大きいところだとそうだよね。ちっちゃいところもたくさんあったと思うんですけどね。
もしかしたらミクシーとかもあったんですか?
桐野美也子
ミクシーにコミュニティはそれあったでしょうけど、そこでなんかやったっていう記憶はないな。
じいふ
ミクシーのほうも見てなかったな。個人がやってるようなウェブサイトというかブログみたいなのを追いかけてたのがほとんどだったかな。
なるほどね。
F1ファンとの出会い
桐野美也子
なんか、それこそ2056、結構経ってるもんな。昔だったらパソコン通信ぐらいのつながりでずっとコミュニティを維持してる人たちもたくさんいただろうから。
じいふ
だいぶ世代が分かれる。
桐野美也子
そこでね、そういう人たちのやってるウェブっていうのとまた違うんだろうね、2005年。
じいふ
いやもうその世代はあれですよ、セナフロストの時代の人たちですよ。
桐野美也子
田中核兵の時代の人たちだから。そこはそこでコミュニティがウェブであったんだろうね。あるんだよね。
じいふ
あったんでしょうね。
そこにババッと入っていくっていうかね、そういう感じでもないっていう感じなんだよね。
桐野美也子
むしろ2チャンネルみたいなね、そういう違うところのほうがフィットし得るっていう感じはあるかもしれないけど。
じいふ
まあだからツイッターはデカそうだね。
ツイッターはデカかったですね。やっぱり個人が発信するメディアで、こんなにF1ファンがいるんだっていうのを自覚したのがやっぱりツイッターだったな。
桐野美也子
確かに。
見えないもんな。
じいふ
どうしてもF1ファンがやってるプラットフォームに集まってくるっていう構図でしかそれまではなかったのが、
なんか一人一人がね、F1ファンがクラスターになってそこにいるって、今まで見えないファンの見え方できたのがツイッターだった気がしますね。
桐野美也子
だから本当に通りすがりでF1って言うだけの人だって引っかかってくるわけだからね。
この人F1のこと喋ってんだみたいな。
じいふ
それまでは僕ずっとテレビ中継家だったので、鈴鹿サーキット自体に行くのはそれからかなり飛んで2014年が初めてなんですよ。
桐野美也子
そうなの?
じいふ
うん。だからF1ファンっていう人に遭遇したことがほとんどなかったんですよね。
桐野美也子
なるほど。いるんだろうけど。
じいふ
そうそう。
桐野美也子
ブログとか掲示板とかいけばまあそれはいるし、ポッドキャストとかもあるからまあ人はいるんだろうなだけど、
実際にそのF1ファンですよっていう人に会うってことがなかったってことね。
じいふ
個人としてのF1ファンっていうのを認知したのがまさにツイッターだった気がしますね。
桐野美也子
なるほど。子としてね。
ツイッターの衝撃は大きそうっすね。
じいふ
じゃあ2005年頃見始めて、周りでF1の話をするっていうこともなかったってことだね。
ほとんどなかったですね。
桐野美也子
大学で先輩が一人昔見てて、なんか僕が見てるって聞いたから最近見始めたよとかって復帰してくれた人もあるとか、
じいふ
あとは当時研究室の指導教員というか指導してくれた助教の先生が、女性の方だったんですけど、
昔付き合ってた彼氏がF1好きで、一緒に見させられて。
見させられて、シューマッカーが好きになり、その流れで君ライコネンが大好きになったって。
その助教の先生とは毎週話してましたけど。
でも本当にそのぐらいですね。
熱心に会えばF1の話をするっていうのは、本当に現地に行き始めて知り合いができてから。
桐野美也子
2014とかじゃないですか。
じいふ
はい。だから10年間はほぼ一人でF1を淡々と見続けるっていう。
桐野美也子
すごいけどそういうもんか。でもそうだよね。
そういう人多いような気はするな確かに。
言われてみれば周りで別に全体で社会がF1で盛り上がってる感じもないし、
鈴鹿サーキットのハードル
桐野美也子
2000年代淡々と見てるっていうケースはありそうだよね。
じいふ
鈴鹿サーキットに行くってやっぱりハードル高いんですよね。
桐野美也子
どんな感じのハードルです?鈴鹿の鈴鹿井幹線に行くっていうのは。
じいふ
まず、いつやってるかわからないっていうのが一番最初にあって。
桐野美也子
なるほど。
じいふ
我々みたいに興味関心常にF1の情報を追っかけてる人は、
もう今の時点で翌年度のカレンダー見るじゃないですか。
桐野美也子
見ますよね。
じいふ
でも何にも分かってないと、F1見に行きたいなって思ったら、
もう終わってるとかっていうのもざらにあるわけじゃないですか。
だからタイミング逃す。
なるほど。
それでハードルがまず超えられないっていうのがありますよね。
イベント自体のPRはめちゃくちゃ代々的にやってくれるのに、
チケット販売開始のPRを前もってやってくれないと、
気づかない人は気づかないですよね。
桐野美也子
言われてみれば、そう、気づかない。
じいふ
入り口ちゃんとPRしてもらわないと、
既存のファンしか気づかないですよね。
桐野美也子
じゃあ、ジーフ生命もあれだね。
2014年の鈴鹿はだいぶ意識してチケットを取ったってこと?
僕ね、2014年は、
じいふ
鈴鹿サーキットに僕初めて行ったのは、
自転車の島の鈴鹿が先だったんですよね。
桐野美也子
そっか、あれ8月ですもんね。
じいふ
そうそう。
で、その後で現地で会った人に、
日本グランプリ来るの?って言われて、
チケット取ってないんで、今年はパスしようかと思ってますって言ってたら、
でもまだあるから来ないよって。
いろいろ揺さぶられてですね。
で、たまたまその直後ぐらいに、
ツイッターのフォロワーさんから、
行けなくなったので買い取ってくれませんか?っていうツイートが流れてきて、
じゃあ、それ買い取ります。
で、初めてその年に急遽F1見に行くっていうことになったんですよ。
桐野美也子
そうなんだ。
じいふ
結構行き当たりばったりで決めました。
桐野美也子
でもその身内のリセールというかね、
回ってきたチケットがあったっていうのは、
それを買おうっていうところがね、
なんかモチベーションが上がってたんだなって感じはしますけどね。
じいふ
あとやっぱりそれ、鈴鹿サーキットへの行き方も、
なんとなく想像がついたからっていう部分で、
ただハードルが下がったのかなっていうのはありますね。
あー、そっか。
桐野美也子
1回自転車のイベントで行ってるし。
じいふ
そうそうそう。
現地の行き方、やっぱ難しいですね。
どうやって行っていいのかわかんない。
桐野美也子
どうでした?最初というか。
じいふ
いや、あのー、近鉄乗るっていうのがまずわからない。
僕近鉄派なんですけど。
はい。
なんだっけ、JRで行く方法もありますよね、電車だと。
どっちがいいの?とか。
その辺でもうね、行ったことない人は悩むんですよね。
僕は近鉄白湖行き乗って、白湖からバスで、
鈴鹿サーキットというルートで毎回行ってるんですけど。
それがね、わかってないと、やっぱり本当に大丈夫かしらっていうのは。
不安がね、大きくて。
桐野美也子
やっぱ21世紀でもそこなんすかね、やっぱ。
F1運営への興味
じいふ
うーん、そうでしたね。
桐野美也子
21世紀。
ウェブに感染サポート情報とか溢れてるような感じもあるが。
じいふ
いや、だって当時って2014年でしょ。
ようやくiPhoneが、4とか4Sとかが定着し始めたぐらいじゃないですか。
まだそういう時代か。
スマートフォンがね、まだそんなに定着してなかった気がしますね。
情報はあるんですよ。インターネットで。
なんかトラブルが起きたときに、手元で通信機器を使って解決しようっていう手段はないわけですよね。
桐野美也子
子供のときはスポーツも全然見てなくてってこと?
じいふ
子供の頃はもう全然、少なくともモータースポーツの物事もなかった。
桐野美也子
めっちゃ流行ってもいないな。
じいふ
僕がF1を、F1っていう言葉を知ったきっかけが、セナの事故でしょ。
桐野美也子
そこで一応セナは出てきた。94年ですね。
セナの事故のニュースを、朝のニュースで見たのかな。
じいふ
これ話長くなりますけどいいですか。
桐野美也子
ここまで聞いたら聞きましょうよ。
じゃあ続けますけど。
じいふ
僕出身が山口県で、そもそもF1富士テレビの放送なかった地域なんですよ。
桐野美也子
そういうことなんだ。
じいふ
でも、四条波の地元のニュースというか、朝の全国ネットワークのニュースで、
桐野美也子
F1のセナの事故のニュースっていうのが、小学校低学年ぐらいの頃にパークに流れるわけですよね。
じいふ
もちろん両親は見てなくても、やっぱりそれが流行ってるってことは知ってるから、
食い入れるようにそのニュースを見てたっていうのが印象的で、
それが多分僕が初めてF1っていう言葉を知った最初の体験なのかな。
桐野美也子
ニュース。
じいふ
そこからもちろん大学生までは自分が積極的に見るわけもなかったんですが、
周りの友達が、何人か見てる人がいて。
中学校のときに好きだったって言ってるやつは、2000年よりちょっと前かな。
1999年とか2000年とかそのぐらいだから、
シューマホかデタテスが一番ノリに乗ってる時期かな。
そういうノリに乗ってる時期だと思いますよ。
まだその当時はやっぱりフジテレビ入んなかったんで、
その子は広島のおじさんに録画頼んで。
桐野美也子
ビデオ?
じいふ
VHSテープを送ってもらってそれで追っかけてた。
桐野美也子
すごいな。
じいふ
そういう子いましたね。
桐野美也子
だから時差があるわけだよね。
じいふ
そうでもしないとF1にアクセスできない。
という地域だった。
その後にケーブルテレビが引かれたんで、
九州の福岡の放送でフジテレビ見れるようになったんですけど、
これ完全に蔵出しなんですが、
僕が高校生のときに付き合ってた女の子がF1が好きで。
桐野美也子
その子のお父さんがF1出てる会社のディーラーにお勤めだったらしく。
お父さんがF1見てて、それに付き合って自分も見てたらF1好きになったって言って。
じいふ
それを聞いた当時の僕は、
全然車に縁がない少年時代というか。
桐野美也子
彼女エピソードそんだけ?
じいふ
そんだけそんだけ。
その後だって大学進学と同時に別れましたから。
F1の絡みそんだけ?
桐野美也子
そんだけだけどすごい歴史上重要な人物だね。
じいふ
たしかに2005年にF1っていう出会いをしたときに、
桐野美也子
ちょっと頭をよぎりましたけどね、一瞬。
じいふ
これかって。
桐野美也子
やっぱよぎるよね、そこで。
じいふ
まあまあね、よぎるよね。
桐野美也子
よぎるよね、それはね。
ちょっと運命感じなくもないですけどね、そこでね。
これかって。
すごいなんかさっきの女教の先生もそうだけどさ、
たまたま久しくなった人がっていうので。
その彼女さんもそうか、お父さんがだもんな。
お父さんが車関係の仕事でだし。
そこからGFはなびかなかったってことですね。
じいふ
あんまりN数は少ないですけど、
男性は自分でそのF1と出会うきっかけを勝手に見つけてくるけど、
女性はやっぱり周りの環境から入ってくるっていうのは、
今までは多かったのかな。
桐野美也子
今話の中だと。
皆さんNっていうのはこの母数っていう数字のことです。
N2だぞ。
N2で全女性を語るなよ。
申し訳ございません。
ずっと一人で孤独に見ててもよく続いたよね。
その間っていうのは、途中でツイッターが出てくるから結構いいのか、そこは盛り上がれるのか。
じいふ
そうですね。途中でF1の見方がちょっと変わったっていうのは大きかったかもしれないですね。
さっきも言いましたけど、最初のうちはフェラーリ中心に追いかけてて、
フェラーリ勝てなかったで一騎一遊する楽しさがあったんですが、
ある時から推しのチームとか、推しのドライバーとかじゃなくて、
F1の運営というか、F1公式自体に興味を持ち始めて、
見方がだいぶ変わったんですよ。
それが多分きっかけになったのは2009年だと思ってるんですけど、自分では。
2009年って調べてもらったらめちゃくちゃF1変わった時期で、
まずレギュレーション、空力パーツを取っ払おうぜ。
いわゆるチリ取り型?フロントウィングが広くなって、リアウィングが狭く高くなって、
今で言うところのDRSとか、あとはカーズ、あのあたりのシステムが導入されて、
F1がガラッと変わったシーズンだったんですよね。
なるほど。
で、名前だけはF1って続くけど、スポーツとしてはレギュレーションがガラッと変わる。
これで同じスポーツって言えるんだと思うと、その変化を楽しむこと自体がF1なんじゃないかなって、
桐野美也子
なんか気づき始めたんですよ、当時。
じいふ
で、その2009年の一番大きな出来事が、
桐野美也子
ホンダが撤退した後、1ポンドでロスブラウンが勝った、
じいふ
ブラウンGPがワールドチャンピオンを取るっていうね。
桐野美也子
そうでしたね。
で、しかも成り物入りで導入されたカーズではなく、一番肝になったのはダブルディフューザーっていう。
2000年代のF1と日本人ドライバー
じいふ
いわゆるハイブリッドのね、ところではなく。
桐野美也子
結局空力やんけっていう。
じいふ
だから、ブラウンとかレッドブルとかが強かったんですよね、あの年ってね。
そうです、そうです。
強いチームが勝つっていうわけじゃなくって、
F1のレギュレーションを制するチームが勝つっていうのが分かったのと、
桐野美也子
あとこれ本当に純粋なスポーツじゃなくて、エンターテイメントとして見たほうが楽しいなって。
一歩引く感じ?どういう感じなんだろうね。
じいふ
それ結局、元となったのはキリノさんの前世の活動で言ってたキャッチフレーズですよ。
なるほどね。
F1を斜め45度から見るっていうフレーズを使われてたかと思うんですけど、
それにかなり影響されたところはありますね。
桐野美也子
そこにね。
じいふ
斜めから見てみるっていう。
桐野美也子
正面から見てるときっていうのは本当にフェラーリを応援してたら、
勝ったー負けたーみたいな喜びというか、残念みたいなのが結構あるんだよね。
それをそこからちょっと離れてというか、斜めになると、
じいふ
チームの勝ち負けすらちょっと俯瞰して見れるようになるっていう感じなのか。
僕今、星チームはフェラーリが好き、レッドブルも好きだし、
桐野美也子
マクラーレン、メルセデスは一段落ちますけどなぜか。
なんかフェラーリの格好してるイメージはあるよね。
じいふ
グッズはね、フェラーリのグッズ持っとけば間違いないなみたいなダサン的なね、モチベーションで。
フェラーリとレッドブルのグッズ持っとけば間違いないなみたいな。
桐野美也子
鈴鹿で浮くことはないよね。
じいふ
そうそうそう。
桐野美也子
確かに。無難なところで。
じいふ
ドライバーグッズとか僕持ってないですよ。チームグッズは持ってるけど。
桐野美也子
あれは全部チームなんだ。
じいふ
なるほど。いいですね。古くなることもないし。
どっちかいうと、最近はチームグッズよりも公式グッズの方が欲しいですね。
桐野美也子
なかなか数も出てないですけどね。
じいふ
F1のロゴが入ったね。
桐野美也子
そう、F1のロゴのね。
一応ストアでもたくさんあるんだけど、サーキットの現地ではほとんど見ないですね。
じいふ
あれ聞いてくださいよ。
僕がね、2019年ぐらいに鈴鹿サーキットのアンケートに、
F1の公式グッズ売らないんですかって回答したら、
次の開催から公式ショップが出てくるようになったんですよ。
桐野美也子
何それ?GIFが時代を変えた説?
じいふ
そうそうそうそう。知る。
桐野美也子
GIFが時代を変えた説ある?
じいふ
知らないけど。
桐野美也子
確かにあるよね今ね。
じいふ
あれ昔なかったですよね。
なかったなかったなかった。
桐野美也子
確か見かけ、あるなと思うようにはなったのは確かに覚えているが、
その裏にGIFがいたっていうことには全く今まで思いもいらなかったね。
じいふ
F1ストアには結構F1公式グッズってパーカーとかTシャツとかホロシャツとか、
子供用のベビーウェアとかあったりとかね。
結構豊富なんですよ。
でもこれ海外通販できる人はいいけど、
気軽に現地で買えたらもっと嬉しいなって思って、
鈴鹿のアンケートに書いたら翌年からちょっとずつ出てきたんで、
あれ良かったなと思いますよね。
桐野美也子
F1のロゴもリブランドされて、
あれいつから変わったのかな、ちょっと覚えてないけど。
グッズ展開も広まったところはあったよね。
じいふ
リバティが変わって、2017年にはもう変わってますね。
桐野美也子
F1のロゴが変わって、
本当それまではろくなグッズなかったけど、
2018年から変わったのか。
じいふ
18か。
桐野美也子
2017年に発表されて、
2018年から今のロゴになっただから、
そのGIFリクエストが鈴鹿に入ったのはいつだっけ。
じいふ
2019です。
桐野美也子
じゃあその新ロゴの時代ですよね。
じいふ
その名前だったからね、確か。
桐野美也子
なるほどね。
じいふ
このロゴが変わったのもグッズの展開が一気に増えた感はあるから。
桐野美也子
同じF1っていう名前だけど違うスポーツになっていくっていうのは確かに言われてみればそうだよね。
定期的にリセットされて、もう一回みんなゼロからというかね、もう一回頑張ってくださいみたいな。
じいふ
2009年がだからハイブリッド元年っていえばハイブリッド元年なんですかね、F1の。
角田選手への期待とファンの思い
じいふ
そういうことなのかな、数が入ってたから。
桐野美也子
ハイブリッド元年か。
じいふ
本当は2026年に変わりますしね。
桐野美也子
またもう一回やり直しですもんね。
じいふ
今度はあれでしょう、出力が5050なので本当に電気の方、パワーが重要になってくるっていう話じゃなかったでしたっけ。
そうですね。だからまた分かんないですよね。
それによってパワーユニットもまた提供する会社が増えますよね。チームが入れ替わるっていうのもあるけど。
ホンダ、メルセデス、フェラーリが続きで、あとはGMとか、アウディとか、ルノは残念ですけど。
桐野美也子
そうですね、ルノは辞めますけど。
じいふ
そうやってチームも入れ替わるし、ドライバーも入れ替わるし。
桐野美也子
ルールも変わるんだけど、でもF1っていうコンテンツだけは生き残るっていう下高さというか。
確かにあんまり野球とかサッカーとかで滅多にないことなのかな。
そんなガラッと中身が変わるっていうのは。
来年から野球は3類がなくなりますとか言われたら結構衝撃だもんね。
じいふ
そういうことはないもんさ。
桐野美也子
でもF1はね、なんとかコーナーは死刑員にしましたみたいなのもありますしね。
球場の形変わってるやんみたいなね。そういうことは当然あるけど。
鈴鹿の130R、130Rじゃなくなったんだけどまだ130Rって言ってるみたいだね。
Rとは。
じいふ
面白いのが、F1やっぱり面白いのが、こうやって物事は変わってくけども、来年75周年ですか?
その75年のレガシーが詰まってるっていうのがいいですよね。
桐野美也子
これは一応、それを75年を同じものとして認識してるっていうところからだよね、まずね。
本当は違うんじゃないかっていう。
これもレガシーと言い切ってしまえるところであるんだからね。
絶対違うよね、1950年のときのF1と今のF1。
それも魅力だということになるんでしょうか。
じいふ
それを受け入れてしまうとですね、よくF1ファンの人で、ドライバー推しの人たくさんいらっしゃるじゃないですか。
でもどうしてもドライバーって入れ替わり、引退とかあって、他のカテゴリーに移動しちゃう。
例えばWEGに行ったりとか、インディカーに行ったりとか。
桐野美也子
そうするとそのファンの人たちって、ドライバーを追っかけて別カテゴリーに行くっていうケースもよくあると思うんですよ。
じいふ
僕はもうドライバー推しとかじゃない、公式推しだから、それはそれとして受け入れてずっとF1を見続けられるっていう謎の自信がある。
桐野美也子
周りでどうですか、F1のファンを辞めていった人というか、そういう人はチラチラ見てきました、今まで。
じいふ
でもやっぱり推しドライバーいなくなってから、この方ちょっと活動最近見なくなったなとか、
他カテゴリーに行っちゃった人は、F1のほうではあんまり動いてないなとか、最近のF1事情なんか知らないんだけど、という人もいますね、何人かは。
桐野美也子
なんかツイッターとか見てると謙虚ですよね。つぶやき内容が変わっていくというかね。
そういうのを感じるときはありますよね。
じゃあ、そんな自負はどうですかね。日本人ドライバーとか、ホンダとかトヨタとか。
その辺はこのF1のシステムの中でどう位置づけられてるんですかね。
じいふ
日本人だからっていう理由で日本人ドライバー、日本チームを応援することは、決して変なことではないと思っているので、僕は普通に応援してますけどね。
今年の4月はホンダRBPT応援席に座る予定ですけど、人並みに応援してます。
F1の進化とグッズ展開
桐野美也子
人並みに応援。ちょうどだって見始めた頃も、誰が走ってたんだ?2000年?
2006年にスーパーアグリが確かできてたんだっけ。
じゃあタクマが走ってた時代か。
じいふ
だから見始めるにはちょうどいい時期だったっていうのはありますね。
トヨタが走ってて、ホンダが走ってて、スーパーアグリが走ってて、
あれハンガリーで確かジェンソンがホンダ第3期で勝った?
勝った。
だから日本人として日本チームを応援するにはいい年だったかなと思いますね、私は。
なるほどね。
桐野美也子
でもそこをあんまり気合を入れて応援するというか、肩腹で応援するぐらいの感じ?
じいふ
うん。フェラーリ応援してましたから、当時。
桐野美也子
だってフェラーリだもんね。
それこそ富士テレビの実況を聞いてると、やっぱり日本を軸にした実況になってたんじゃないの?
じいふ
そうでしたかね。どうだったかな。
もう2006年、7年になると、フェラーリマクラーレン2強の戦いが注目されてて、
ホンダ、トヨタが結構下の方に沈んでたから、あんまり取り上げられたかな。
そんなに覚えてないですね。
桐野美也子
記憶にない。
じいふ
記憶にないぐらいには興味なかったのかもしれない。
失礼な話。
桐野美也子
記憶にないから興味ないんじゃないっていう話ね。
見始めた時代にもよるかもしれないしね。よくわかんないんだけどね。
じいふ
でもやっぱりその後の小林可夢偉君出てきたときは、
桐野美也子
この人だったらもしかしたらなんかやってくれるかもしれないみたいな期待感はありましたね。
じいふ
なるほどね。
可夢偉が、でもその後しばらくいなくなるのか、日本人ドライバー。
スノーダンガーでいないのか。
桐野美也子
可夢偉は、そうだね。
そっか、2012年で日本で3位になってるから、
そうだね、ちょうどシーフさんが見てる時代の活躍したドライバーですね。
じいふ
残念ながら現地では見てないですけどね。
そうですね。
やっぱり現地に行かれた方は可夢偉の表彰台を忘れられないってよくおっしゃってますけど、
その話を聞くたびに羨ましいなと思います。
桐野美也子
なるほどね。じゃあ最近はどうですか?
じいふ
ツノダは、ツノダも結構期待の欲しいな感じはあるんですけど。
僕、ツノダ君は実はF2の頃から見てるんですよ。
DAZNがね、F2放送してくれるようになって、
たまにF2も見てたんですけど、
彼ね、やっぱり今乗ってるチームがちょっとかわいそうかなっていうのはあるんですけど、
桐野美也子
F2の走りを見てると、すごいんですよ、彼。
じいふ
タイヤマネージメントうまいうまいって言われてますけど、
それがよくわかるレースが、F1に上がる前の年かな。
あの年の最終戦だったかどこかで、ほぼほぼ最後尾くらいから、
タイヤ交換した後にどんどん車を抜いていって、
表彰台に登っちゃうっていう、確かそういうレースがあったかと思うんですけどね。
めちゃくちゃうまいんで、F1上がった時には、
こいつだったらって、また可夢偉と同じようなことを。
よく期待するんですよ、誰に対しても。
桐野美也子
一応ちゃんと期待してるね、なんかね。
一応期待しますよ、それはね。
すごい期待するんだね、なんかね。
あんまり表に出さない感じ?そういう期待感を。
どこで出すんだったらしいよね、でもそれを。
じいふ
期待はしてるけれども、じゃあ角田くんの応援Tシャツとか買って、
角田応援マフラータオル買って、
桐野美也子
現地で旗振って応援するまでの熱狂感はないというか。
そうですよね。
ギリギリ応援席に座るぐらい。
じいふ
全体面白い。
角田くんに関しては、くん付けしてるレベルで、
かわいい弟キャラなんですよね。見守っててあげたいみたいな。
桐野美也子
確かに。なんで角田くんなんだろう。
じいふ
みんな角田くんって言いますよね。
桐野美也子
もうファンが高齢化して、
可夢偉は可夢偉って言うじゃないですか。
じいふ
佐藤拓磨は佐藤拓磨って言うじゃないですか。
角田くんはみんな角田くんって言うんで、
桐野美也子
多分F1ファンがだいぶ高齢してるんじゃないかな。
じいふ
どんなスポーツでもさ、ある瞬間から自分より年下の選手が出てくるじゃない。
桐野美也子
もうF1の場合は大部分がみんな年下だっていうことなんだろうな、多分な。
そういうことなんですね。
角田くんって言うな、みんな。なんでだろう。
角田くん現象はあるよね、確かに。
まあでも、角田、角田くん、角田くん、そうだね。
ジーフさんは角田くんって言ってるもんね。ナチュラルに言ってるから、
これはもう本当に弟ぐらいの扱いなんでしょうね。
じいふ
弟にしてはだいぶ年離れてますよね。
F1の視点の変化
桐野美也子
そうだよな、子供でも言うぐらいだよな。
子供も言いすぎか、親戚のおじさんぐらいだな。
なるほど。
だいぶ途中でF1の見方が変わりましてみたいなんで、
そこから人生スイッチ変わった感じですね、ジーフさんはね。
じいふ
今の目標は、F1100周年までは見続けるっていう。
桐野美也子
あと25年。
じいふ
5年、5年。
桐野美也子
すぐだね。
今までF1をずっと見てる人が25年以上見てんだもんね。
だって鈴鹿で80年代とかに見た人だったから。
じいふ
キリノさんF1見続けてる年で何年目ですか。
そう言えたことなかったな。
桐野美也子
嘘ですよね。1900年。
じいふ
大幅に今盛られた感じがあるんですけど。
桐野美也子
今日の話をしてると、西暦が全て2000年代から始まるからさ。
じいふ
とりあえず2000って言ってみたって感じなんだけど。
今日の狙いがいいですね、若手の。
桐野美也子
ちょっと待ってくれよっていう。
僕は1992年から全部追ってるという計算になってるんで、
32年?嘘でしょ。
じいふ
僕2005年から見始めてるんで、僕ですらもうF120年見てるんですよ。
桐野美也子
そうだよね。
これはみんな角田くんづけするはずですよね。
じいふ
20年30年経ってもまだ日本人ドライバーがポディウムの真ん中に乗ってくれないっていうこの辛さ。
桐野美也子
多分これ25年後にも言ってる可能性あるでしょ。
しんどい。
75年でこれなんでね。
じいふ
しんどいな。
桐野美也子
びっくりですが。
さて、結構今日はのんびり喋ってますが。
じいふ
もう1時間経ったのすごいですね。
桐野美也子
これはね、たぶん我々のノリもちょっと緩いからだと思いますよ今日。
じいふ
これで大体僕30年くらいの歴史語れたとは思うんだけど。
あとはあれですね、やっぱり最近F1見始めたこの意見を知りたいですね。
桐野美也子
どれくらいが最近になるの?もうほんと2,3年って感じ?
じいふ
僕がセナ・シューマッカーなんか知らんって言ってるのと同じように、
桐野美也子
ベッテル上昇時代とか、ミルトンが強かった時代すら知らないっていう。
じいふ
そういう人たちの今のF1見てる印象とか、
昔を語ってるこのおじさんたちの印象をどう見てるかっていうのは非常に興味があるところですね。
F1ファンコミュニティの探求
桐野美也子
なんだろうね、どういうところに集ってるんだろうね、みんなね。
それこそお兄さんの話じゃないんだけど。
集ってる場はあるんだろうと思うんだけど。
じいふ
ポッドキャストはもちろんあるでしょうし、
桐野美也子
他にもニコニコ動画とかYouTubeとかでも配信されてる、コンテンツ提供されてるF1ファンがいらっしゃると思うんだよね。
じいふ
いくつかコミュニティはあるんでしょうけど。
桐野美也子
結構ね、YouTubeとかでもレースごとに実況しててもあるから。
そういうところにカジュアルにいろいろ集まってるのかなーって気はするんですけどね。
じいふ
不思議ですよね、F1ファンコミュニティ同士がさなり合わないというか、
住み分けられてるというか、あんまりね。
そうなんですよね。
オーバーラップしてる人とかもいるんですかね、もしかしたら。
桐野美也子
こっちからズカズカ入ってこうかなと思ってさ。
ここに出てもらうっていうね。
あなたなんですね、YouTubeで毎戦毎戦実況してすごいですよねみたいな話を聞くとか。
こっちから入ってこうかなとか思ってるんだけど。
じいふ
いいですね、F1ファンオーガナイザーバトル。
桐野美也子
別にバトルっていうか、おいちょっとここでCUを消しようみたいな話ではないんだけど。
本当話聞きたいなと思うんだけどね。
それは面白そうですよね。
すごい大変な努力されてると思うし。
それもやっていきたいなと思ってるんだけど。
確かにあんまりオーバーラップしない。
一箇所見つけるとそこにみんな居つくのかなっていう感じなのかな。
じいふ
僕なんかまさにそうですね。
桐野美也子
そんな別に複数に属することで何かメリットがあるかっていうと別にそういうことでもないんでしょ?
毎回楽しめればいいわけだし。
そんな気はするんだけど。
じいふ
僕ね、喋るコンテンツってF1が中心になっちゃうからどうしても内容自体が切なっちゃうこともあるだろうし。
結局自分の発祥に合うようなコンテンツというかプラットフォームにしついちゃうんですかね。
桐野美也子
その辺の話もまたそういうことを主催してる方に聞いてみたいなと思ってますけども。
こんなもんか。これで94年までG2歴史を遡ってたからなかなか。
じいふ
そうですね、ほんと30年遡りましたね。
桐野美也子
だいたい年表的なものはできたような気がしますけどね。
じいふ
若手代表としてはなかなか濃いお話がご提供できたのではないかな。
桐野美也子
あとはこれを聞いてる方がこの人を若手と判断するかどうかですよね。
アラサー。
長ぇじゃんみたいな。
じいふ
アラサーだって。いやもうシューマッハ走らなかったら若手ですって。
桐野美也子
シューマッハ以前、ミハイルね。
じいふ
ミハイル以前。
桐野美也子
ミハイル以降。自分はポストミハイルだということですよね。
じいふ
まあぐっつりメルセデス時代のミハイルは見てるわけですけど。
桐野美也子
そっちはね、カムバック後は見てるけど。
そうだね、ちょっとその辺もまた話を繰り返していくと区切り目が見えるかもしれないですよね。
F1ロゴは来週ですが、またインタビューのファンファンの物語がまた2週間後に予定されてますので皆さんよろしくお願いしますということで。
はい、じゃあジーフさんどうも今日はありがとうございました。
じいふ
ありがとうございました。
桐野美也子
ありがとうございます。
01:04:34

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