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2023-03-27 24:56

683話 【最終回】仕方なく起業する

「挫折続きの人生だが後悔はない」というお話。


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00:04
Michael Hasegawaの聴くだけでゴルフが上手くなるラジオ。この放送は幕張ゴルフ上達センターアークゴルフの提供でお送りいたします。
はい、ということで今週も週が明けましたが、この3月もですね、残りわずかとなってきました。
このエピソードの話をしていたんですけれども、今深堀さんと出会って、日本オープン優勝まで話もしましたけれども、
なかなかこの話も、私も最初までお話ししていたんですが、次々と昔のことを思い出して、懐かしかったというのもあって、どんどん話してきたんですが、
聴くだけでゴルフが上手くなるラジオですから、もう少し学びを減そうということですね。
ということで、この後の話を、ざざっと今の現在まで、今日は話をしていきたいと思います。
前回は日本オープン優勝したところまで話したんですけど、その後ですね、僕は大問題、大問題というかですね、問題を起こすわけですよ。
というのが、国内外でやっていたので、深堀さんも海外の試合に出るということがあったんですが、初の海外の試合だったんですかね。
合宿ではハワイとか、団体で動いて、例えば中国とかの申請に行ったりとかしていたんですけれども、
ピンデというかですね、深堀さん個人の動きとして、アメリカ本土に初めて行った試合があってですね、3週間の日程で行ったんですよね。
僕は初めてのパスポートですよ。パスポートもそのために取って行くみたいな話だったんですが、
あ、違うわ、パスポートは前からハワイとかで合宿していたのでパスポートは持っていたんですけど、
まあちょっとそこで問題を起こすわけです。
スケジュール的に言うとですね、行ってですね、最初の週にビューイックオープン、皆さん聞いたことあると思うんですけど、
トーリーパインズっていうね、有名なゴルフ場がありますよね。
で、1週開けて次ツーソンオープンとか、なんかそんなようなあれだったと思うんですよね。
ちょうど田舎の方に行ってやる試合だったんですが、3週間で2試合出るっていうことですね。
真ん中の1週間はファームスプリングスっていうところで合宿を張って練習をしていくっていう流れだったんですが、
最初の試合は良かったです。ビューイックオープンの時にはですね。
あれはですね、初めてアメリカツアーの難しさを知ったっていう感じなんですが、
03:05
僕が知ると深堀さんめちゃめちゃ上手いっていうか、本当にもうピークの時の深堀さんなので、
もうボールなんか全然曲がんないですね。
で、通常ですね、タイガーウッズの時も出てきて、当然もう勝ちまくってて、
タイガーウッズも前世紀の時ですよね。
Tショットを打って、セカンドを打って、ちょっとグリーン外したんですよ。
そしたらね、ちょっとよく分からない芝の上にボールが乗っかってたんですけど、
中橋さんがね、今でも覚えてるんですけど、
てつやこれどうやって打っていいか分かんないっていうわけですよ。
え?深堀さん分かんなかったら分かりませんよね?みたいな話で。
だからちょっと芝質が違うんで、どうやって入れていいかイメージが分からなかったみたいなんですが、
そのぐらいやっぱり難しくて。
当時、丸山茂樹さんがよく言ってましたけど、
やっぱなかなかスポットだと厳しいアメリカツアーって、
やっぱり芝のコンディションに合わせる能力っていうのが必要になってくるんで、
やっぱりスポットだと難しいよねって言ってたのはそういうことなんだろうと思うんですけど、
まず芝の違いが一個あるのと、あともう一個はね、
なんかあの、やっぱりとにかく距離長いんですよ。
距離長くて、でグリーンは日本ツアーの方が早い感じがするんですよね。
ただ固いんですよ。
だからボールが止まらないんですよ。
長くて固いんで止まらないんですよ。
なんかすごい奥行きのある三段グリーンみたいなところの一番奥にピンが切ってあって、
深堀さんがどうするという話で、
ピンまで突っ込んでいっちゃうと止まらないと。
で奥行ったらもうダボ確定みたいなね、ピンポジだったんで、
まあもうピン狙えないんですよ。
本当にあの三段グリーンの一番下を狙うっていうことになったんですよ。
でそこは乗ってそこからパター頑張ろうかみたいな感じで、
まあパー取ったんですけど。
まあそんなこんなでですね、
まあいやすげえこんなのどうするんだろうなと思って、
まあ僕たちは早い午前スタートだったんで、
で帰ってホテルに着いてゴルフ中継見てたんですよテレビで。
そしたらタイガウッズがそのホールに来て見てたんですよ。
あのピンポジどうやって攻めるのかなと思ったら、
もう真上からドーンってピンをデッドに攻めてきてて、
考えられないんですよ。
だからもう僕ら今さっき回ってきたんで、
物理的にあそこに止まるんだって思ってますね。
だからやっぱりボールの球の高さとか、
そういうのがやっぱり必要なことになってくるということなんですよね。
なんでね、もうなんかすごいアメリカツアーのすごさっていうのをね、
06:02
ちょっとまざまざ感じてですね。
まあ一周目はね、でもなんだかんだ、
神戸さん調子良かったんですよね。
ドライビングディスタンスも30位ぐらいだったんですよ。
で、向こうに入っているコンベンサーも背がちっちゃくてですね。
で、なんであんなに飛ぶんだっていう話になって、
まあ飛ぶほうですよね。
飛ぶほうの選手になってるわけですよね。
で、まあなんかもうその当時から、
高反発禁止みたいなルールの規制が、
初速制限が出てて、初速がまだ出ちゃいけないっていう、
高反発が流行ってた時期だったんで、
まあそれ使っちゃいけないって言われた時期で、
もうさすがにあれですね。
チェックが入って、
まあまずそのドライバーのテストをね、
呼ばれてドライバーのテストされたんですよね。
だからそのぐらいボールは飛んでたんですが、
そこでまあ結構事件が起きて、
で、なんかね、その週は、
まあ当時ナイキと契約してたんですけど、
新しいボールを投入したんですよ。
で、普通ありえないんですけど、
カブさんこれ2試合で2ダウンスしかありませんっていうわけですね。
あんまないんですよ、そういうことって。
で、えーと、
まあ2ダウンスしかないんで、
まあ大事に使ってくださいってことなんですけど、
まあ普通にボールなんかなくさないから、
あれなんですけど、
大体カブさん3ホールに1個ぐらい買えるんでね、ボールはですね。
まあ1ダウンスじゃ全然、2ダウンスじゃ足りないんですよ2試合ですね。
練習ラウンドも含めるとですね。
そう、だからまあ結構ボールのマネジメント結構大変で、
で、まあそれはロッカーで保管するんですけど、
まあアメリカツアーって、
そのクラブハウスにキャディが入れないんですよね。
まあキャディはキャディのテントがあってそこで食事したりするんですけど、
まあそこは選手しか入れないんですよ。
で、その選手のロッカーにそのボール入れといたら、
それもね、なんか3日目ぐらいなくなっちゃったんですよね。
そう。
で、なくなっちゃった騒ぎになったんですよ。
えーとか言って、ないないないないって言ってて、
誰か持ってない感じで、持ってるわけないですよね。
だってクラブハウスの中にボールが置いてあって、
そのロッカーの中にあるんですよ。
で、後に分かったんですけど、
いや抜き打ちテストもされまわって、
ロッカーガチャって開けられて、
それをボールの中に入れて、
で、抜き打ちテストもされまわって、
ロッカーガチャって開けられて、
それをボールの中に入れて、
それを持ってかれちゃったらしいんですよね。
まあそれがテストなのか何なのか、
よく分からないんですけれども、
まあそんなようなことがありました。
で、バタバタしながらまあなんとか、
まあでも終わってみたら、
えーまあやっぱり2、3、
30位とかそのぐらいだったのかな。
で、終わって、
それで次は、
まあそのね、終わって、
まああの時は何やったのか。
09:03
あ、そう。
まあそれこそマリアマシゲキさんのね、
その、
まあロサンゼルスの家に行って、
まあロサンゼルスの家に行って、
いやなんかあの時のこと覚えてますね。
なんかあのすごいこう、
あのー、
なんて言うんですかね、
んー、
もう、
カーペットが、
ふかふかなんですよ。
もうものすごい足の、
もう足のくるぶしくらいまで埋まっちゃうくらい
でなんかテレビ見たら上からガーッと水面が降りてきて
なんかもうめちゃくちゃあれですよ
ビバリーヒルズ
景色がいいわけですよ
景色がいいところに上からダーッと降りてきて
なんかスクリーンが降りてきて
そこでテレビ見たりしてですね
いやこれアメリカンドリーム
でその当時ほら
マリオさんもプライベートジェットで移動してたりするんで
いやーなんかこれすごいな
でやっぱアメリカってすごい
またアメリカってすごいなみたいな
でなんかじゃあご飯食べに行こうかみたいな
そこからご飯食べて
そこから深森さんレンタカーで動いてますけど
ねえあのー
丸山さんはですね
その時にね
あのハマーってあるじゃないですか
ハマーでブブブブブブ
ハマーをカスタマイズしたやつで乗ってて
最初僕ハマーとかその時代知らなくて
たぶんハマーの出始めだったら
まだ日本は走ってなかったと思うんですけど
なんだこの車みたいな
そう
でもうあんなの見たらさ
プライベートジェットに乗ってさ
やっぱこう夢あるなー
と思いましたね
もうプロゴルファー
こういうのテレビとかでやったほうが
なんか子供たちもなんか夢があって
プロゴルファーになろうっていう人たちも
出てくるんじゃないかなっていう
あの本当にこう生活されていて
まあ見てて
本当に気持ちが良かったですね
気持ちが良かったです
丸山さんはちょっとするとですね
もうすごいんですよ
みんな食べさせろみたいな話で
もうじゃんじゃん頼むんですよ
ご飯食べに行ってもですね
頼んでみんな食べさせろ
みたいな感じで
すごいおもてなししてくれる方なんですよね
すごいお世話になったんですけど
まあまあそれはそれで終わって
真ん中の州は
あそこですよ
パームスプリングスか
これまたいいですよね
行ったことある方はわかると思うんですけど
そこの
止まってるところから
カートで常用カートでボーっと出てって
変な話
家のバルコニーでそこからも
芝で打てたりするんですよね
そこからも打てちゃってる
それで
まあ練習をして
次のね
ツーソンに行くんですけど
そこツーソンでですね
問題が起きるわけなんですよね
そこからも
えーとね
12:01
なんかここバーって回ってて
僕はその州キャディやってたじゃないですか
キャディやっててバーって回ってたら
なんかこう後半の10番ホール
なんですよねで右に池があって
こうなんかこう
右側にバンカーがある
で右側のバンカー入れるとちょっと厄介なーって
右のバンカー注意
っていうことでやってたんですけど
で毎週
毎ホール風邪って言うんですよねルーティンでね
ピンポジはここで風邪はこっちからです
って話するんですけどそこに
池があって噴水があったんで
前のホールも反対側から来てるんで
風が右から来てるなって分かってたんですね
右からだなと思ってて
えーと
まあバーンって打ったんですよ
深井さんがね右からですって言って
バーンって打ったらそれからスライスさーって
右に切れてその
入れちゃいけないバンカーに入ったんですよね
で深井さんが
風邪左からじゃんって言われて
いやもうなんかなんだろうね
やっぱアメリカツアーの3週目に来てたって
いうのもあってなんか俺もなんか
イライラしてたのか
なんか普段だったら絶対
そんなこと言わないんですけど
めっちゃくちゃ頑固になっちゃったんですよ
自分でも
びっくりするぐらい頑固
まあまあもともと頑固なんですけど
いや
風邪間違ってないっすみたいな話で
いやみたいな話で
えっってなったわけですよ
いや深井さん見てくださいよ
右のほらあの
噴水だって右から左に触れてるじゃないですか
風邪絶対左から
左からなってことはないですみたいな感じで
言ってたんですね
深井さんもだから
いきなりそんなこと言われたもんだから
ちょっとアゼンとしちゃって
でもうそこから
なんか虫の居所もあるかっていうのもあって
なんかあのそっからまあ
普段ないっすよ
でもキャディってやっぱ気持ちよく
選手を回すっていうことも
仕事だし
おそらく深井さんがあそこで
今はだから思うけど
あれだけの選手が
ちょっとあのぐらいの風で
ちょっとドローで当てていってるはずなんですよ
でドローっぽく打ってて
ドローっぽく当たってるのに
あれがボールが右に切れていくっていうのは
確実にその瞬間で左から吹いてたと思うんですよ
現実でいうとですね
ただ基本風はこう
右から左で吹いてたかもしれないですけど
あそこは左からの風もあったよね
ちょっと微妙なジャッジだったと思うんですよね
だから多分深井さんの感想が合ってるんですよ
よくよく考えるとですね
だけどなんか知んないけど
頑固派生が出てて
もうなんか言っちゃったもんだから引っ込めらんないみたいな
みんなそういうことあるじゃないですか
なんかあるんですよ僕はね
それでなんかあの
すごい殺伐した雰囲気で
そこで1ラウンド終わって
でなんか1ラウンド終わった後に
やっぱちょっとそういう話になるわけじゃないですか
なった時も
なんであんなタイトルみたいな話になって
いやもう申し訳ないと
だからもうとりあえず
キャリーとしては失格なんで
15:00
ちょっともうできないみたいな話で
今思うとすごい
甘ちゃんなんですよね
もうちょっとそこから逃げ出すみたいな感じで
結局そこでいろいろ話して
周りの人にもね
止められたんですけれども
1人でアメリカから帰ってくるっていうことになっちゃったんですね
でそこで深堀さんとは
1回縁が切れるという
話になっちゃったんですよね
そうで
えーなんか
まあ今でこそね
今はすごくまた仲良くさせてもらってるんですけど
そこから3年ぐらい
もう会えなくて
えーまあ
ちょうど一間にね人が入ってもらって
まあそろそろ会いに行けばみたいな感じで
言ってもらう方がいて
その方と一緒に
1回行って
そしたらまあ第一声ね深堀さんは
まあ遅えよとか言われたけど
まあほんとね優しい方ですね
なんかあれだけいろいろ
ギリっていうかね
あれだけのことをしても
なんかこうまたね
暖かく迎えてもらって
今でもねいろいろこう教えてもらったりとか
あのーしてるんですけど
まあそんなこんなね
まあ今はそうなんですけど
あの離れてしまった
ということなんですよね
そうそうですね
まあ今の会社に繋がってくるんですけれども
これがまあしょうがなくね
まああのー
なんていうんですか
えーと
しょうがなくっていうかしょうがなく
まあ今の会社をつくったみたいな話じゃないですか
そうで
えー
当時だからもうその空港で
一人で帰るときに
僕の会社はディパーチャーゴルフって言うんですけど
うーん
空港で飛行機回ってるときに
ディパーチャーとかアライバルとかあるじゃないですか
ディパーチャーかまあでも明日から
明日から無職ですから
あーと思ってまあ出発だなーって言って
ディパーチャーって
なんかすごい頭にあってその後会社
っていうかね最初はなんか
法人にはしなかったんですけど
個人事業にして始めたときにディパーチャーっていう
野後をつけて始めた
っていうのがまあきっかけだったんですかね
はい
そこからまあ僕の今度
えーまあ
企業家というか事業やるっていう
人生が
始まったんですよね
えーまあ
そこから今に至ってくるんですけど
そこはね会社の上って
結構運営局数いっぱいありますから
これはまたあるんですけど
まあゴルフとは関係ないから
まあこのぐらいにしておきますけど
まあでもゴルフインストラクターに戻ったんですよ
そこで
まあやることなくて
実家に帰って
実家の人はもう
謝ってもう一回戻れみたいなこと言われたんですけど
なんかほら頑固になっちゃってたんで
そうもう自分でやるっていう話で
やって
なんかいろいろ
18:00
やったんですね
まあでもレッスンしかできないなーと思ったんで
まあ本当にチラシ
今でこそチラシを作って
なんかいろいろやってましたよね
僕の最初のあれでっていうのは
まあ当然レッスンする場所もないので
まあ練習場で潜りでね
お客さんと一緒に行って
そこでレッスン費だけもらって
帰るみたいなことをやってましたね
はい
お客さんのその
なんていうの
いつも言ってる練習場に
何時に集合みたいな感じで
何時に待ち合わせて
そこでレッスンするっていうスタイルですよね
うん
これはこれですごい
また始めたらですね
結構流行って
流行ってっていうか
多分個人の練習としては
多分あの時が一番稼いでたんじゃないかな
と思うんですよね
うん
3桁万円1ヶ月で稼いでましたからね
でもその代わり
ずっと移動してましたから
寝る間申しんで移動してたんで
もうこれ体壊すよねみたいな話があったんですけど
やっぱゴルフインストラクターって結構
やっぱり自分の中では転職だったのかな
って未だに思いますよね
そう
もうなんか
でもなんていうのかな
でもお客さん新規のお客さんもね
ほんとゼロからどこのかのうまいお兄ちゃん
ゴルフのちょっとうまいお兄ちゃんが教えてる
みたいな感じだったんで
うーん
じゃあどうやってお客さん探そうかなと思ったんですけど
あの当時
今でこそ幕張でやってるのは何でかっていうと
当時ね
幕張プリンスっていうホテルが
あの要はあって
幕張に
47、50階建てぐらいの
すごい高層のマンション
ホテルだったんですけど
そのね47階にお寿司屋さんがあったんですよ
あるお客さんに一回そこに連れてってもらって
そこでお寿司食べて
その対象と仲良くなって
そこからそこの寿司屋に入り浸るようになったんですよ
でレッスンフィーで稼いだものを
そこで寿司食って
えーともう毎晩行ったぐらいじゃないですか
昼も行ったぐらいですよね
もうなんか近くにいるときは
だから行って
まあそれ投資ですよね
行って行くと千葉市
千葉市のまあそれなりの人たちが
やっぱそこ来るんですよね
安くないですからねそこでのお寿司ってね
そうするとそこの人たちに
対象がこう紹介してくれたりして
そうすると一緒に飲んだりなんかしながら
お客さんをもうそこで
そこでお客さんを集めるみたいなね
まあだからいろいろ商売のね
いろいろそこでも
そこでもまた発揮してですね
まあ新規のお客さんはそこの
わかりプリンスの47階のね
寿司屋さんで
新規のお客さんを集めてですね
まあそれをレッスンしてですね
最高月収まで持っていくということなんですけど
まあ意外とそういうことやってるとですね
もうすごくマンパワーでやってるので
まあ体こわいしたりなんかして
21:00
えーと
まあこのスタイルダメだよねっていうことで
まああの今のね
インドアを作ってとか
まあ前からねスイング分析を腰をすいてやりたかった
っていうのもあったんで
まあ今のマカリゴルフ上達センター
ねを作った
っていう流れになってるんですよね
まあ僕はだからそうやって
まあ今に繋がってるんですけれども
まあなんかいろいろそこまで
今ここまで来るのは
うよきょくせついろんな方の支えがあってきた
あのゴルフを始めるって言ったときに
心よく受け入れてくれた
あの松尾ゴルフ練習場の
あのご家族のみなさん社長も含めてですね
みなさんだったりとか
まあ両親もそうですし
まあ当然僕の中で大きかったのは深大さん
であったり
まあ一番最初のねゴルフインストラクターとして
まあ勇気をね与えてくれた
あーさくらのね
レッスンしたときの生徒さんだったりとか
まあそれこそ今のね
お客さんもそうなんですけど
いろんな人の支えでですねここまで来たっていうのはね
あのほんとに
人に支えられてここまで来てる
っていうここまでですよね
うーん
まあでもその中でもやっぱり今はでも思いますけど
僕の人生って
すっごいここまでずっと挫折続きの
あのー
人生なんですよね
何一つ成し遂げてないんですよ
自分がこうやってなりたいなーとか
なりたい自分があったときに
まだ一つも叶えられてないんですよね
小プロゴルファーの道
だったりとか
まあいろいろとありますよね
うーん
だけどなんか
今思うと
あのー
これ若い人たちも聞いてるとするならばですね
まあ僕はまあ
その挫折の人生を歩んできてるんだけど
まあ後悔だけはないなと思うんですよね
まあやりたいことやってこれたから
まあ
いいのかなって
思いますね
全く思ってあの時はこうしなきゃいけない
プロなんか目指さなきゃいけない
って一瞬も思わないしね
逆にやってなかったとしたら
多分今頃多分
やっときゃよかったなーって多分思ってると思うんですよね
だからそういう意味では
なんかこう本当に
いろんな人生の機能に立ったときに
そう
なんていうのかな
自分で選んだ道っていうのはやっぱり
その
それに残らないっていう風に
思いますので
ぜひ思い切ってやってもらいたいなと思います
無責任に言ってるけどね
無責任なんて自分で考えてやらなきゃダメなんですよね
自分で考えてやるんですけど
まあやっぱり結局のところ
自分一人じゃなんもできないわけですよ
困ったときに挫折して困ったときって
必ずやっぱり
誰かがね
助けてくれたりするんですよね
深堀さんとこれやめたときだって
まあ本当に
分かったんですけど深堀圭一郎のところの長谷川だったんですよね だからもういきなりもう人脈ほぼゼロになっちゃったんですよ
だからああやって挫折するもしたりするとやっぱり当然マイナスにもなるんだけど だけど何人かは僕のことをそれでも応援してくれたりしたんですよね
24:06
今ねだからそういう方たちがいるから今があるわけで まあ本当にちょっと困ると誰かが手を差し伸べてくれたりするんで
あの本当にそういうことなんだろうなっていうふうに今思いますよね うん
まあそんなわけで今があるわけですよ そんででまぁ今最近youtubeとかなんかちょっとまたやっていろんなことやってますけどね
まあだからいろいろとあのこの後もですね ちょっとまたまあとりあえずこのストーリーを今日で終わりにしたいなと思うんですが
明日からまたねゴルフ上達のヒントをですね 毎朝5分から10分
毎朝6時からねやっていきたいと思いますのでぜひお付き合いいただければと思います そんなわけで長々と僕のねなかなかのストーリーを聞いていただいてありがとうございました
はいそれでは今日もいってらっしゃい
24:56

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