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おはようございます。詩吟ユーチューバーのheyheyです。このチャンネルは、詩吟に役に立つ内容であったり、子育てと会社員と副業の中での悩みや有益な情報を配信していこうとしているチャンネルになります。
今日3本目ですね。平日、会社が今日で終わるんで、休日がどこまで収録できるかはなはだ疑問なんでですね、
喋りたいところはもう喋り尽くしてしまおうということになります。3本目は完全に雑談になるんですけれども、年末年始の僕の思い出ですね。
それは、新聞配達で年越ししたことっていうのが僕の思い出になります。なかなか人に話すタイミングもないんですけれど、話しときたいなーっていうところなんで、暇な方はお付き合いください。
僕はですね、小学校5年生の時から中学校3年生まで新聞配達をやっていました。僕の母方の方ですね、祖母ですね、僕の祖母が新聞配達をやっていたので、僕にある意味社会経験とか、お小遣い増額も含めてですね、
あとは生活習慣とか、たぶん諸々のことも含めて母親が勧めてくれたんですよ。ただ、直接僕が新聞配達をやるとアルバイト的にいろいろあかんことになりますので、僕はおばあちゃんのお手伝いという名目で、祖母がやっている分の一部を分けてもらって、それを配っていたという。
お小遣い、祖母のいただいている給料の一部を僕へのお手伝い賃みたいな形でいただいてたもんですね。その分けてもらった新聞もですね、一般家庭の方はやっぱり朝4時とかに配らないといけないので大変なんですけれども、会社とかですね、会社がメインですね。だからそこらへんは朝6時とかに別に投函しても何の問題もないんです。
しかも一部の一箇所で何冊も何束もいろんな新聞を求めているところとかもあったりするので、効率はいいし遅くてもいいという非常に条件のいいものを集めて祖母が僕に与えてくれたという形です。
始めたばかりの頃はですね、月5000円もらいました。その時の僕のお小遣い500円だったんですよね。小学校5年生だから500円だったんです。
小学校6年生の時は600円のお小遣いだったんですけれど、新聞配達やったことでだんだんと伸びていったんですね。
物数もちょっとずつ増やしていってもらって、最終的に中学生で終わった頃は月15000円かな、15000円とか2万円いくかいかないかとかでした。
その間はずっと朝5時半とか、寝坊すると6時に起きたりなんですけど、そこから1時間かけて新聞配達をやっているっていう、そういう生活タイプでやってました。
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僕は北陸出身なんでですね、雪降るときは降るんですよ。だいたいひどいときは1メーターぐらい。ひどくなくても数十センチとかはザラに降ると。
そんな中でですね、自転車で無理やり新設の除雪されていない道をゴリ押しで行ったりとか、そこに新聞載せてますから、自転車は離せないんです。
長靴履いて、まだ道がなさすぎるんで、そこにぼっさぼっさと歩いていきながら新聞を配るみたいな、そんな生活をしてました。
で、年末年始の話に戻るんですけれど、年末年始はですね、新聞めちゃくちゃ分厚いんですよ。知ってますかね。
広告が凄まじいことになるので、通常の新聞の分厚さの3倍から4倍ぐらいになるんですよね。知ってますかね。
今新聞撮ってるところ多分少ないんで何とも言えないんですけど、本当に4倍ぐらいになるんですよ。
なのでそれを配ることも大変だし、あとそもそもポストに入らなかったりとかでね、色々大変になります。
だから通常であれば朝6時とか5時とかに行って受け取ってみたいな感じになるんですけど、年末年始だけは別枠でですね、まず広告とかが山ほど入っているんで、
それをラッピングするというか、専用のところにガションって入れたら袋がピッと出るような、ピッと袋がかかれて縛られるようなやつですね。
そういうところにまず新聞配達屋さんの営業所内でガションガションする作業があります。
これが夜10時か夜11時、だから大晦日の夜10時11時ぐらいにそこに行ってですね、ガションガションする作業が始まって、
そこから自分の分の新聞をですね、なんとか自転車に積んで、もしくはダメな場合、さすがに親にもちょっと手伝ってもらう、車出してもらうときも場合によってはあったんですけれど、
自分のときその頃なんとかカゴに積んでましたね、こぼれないようにやっていて、それでふらふらしながら、いつもの4倍ぐらいの重さですからね、それでふらふらしながら新聞を配っていると。
配っているうちに年を越すみたいな、だから僕は北陸電力の営業所前あたりで新聞を置いているところらへんでボーンとなって、あ、年越したなーみたいな、そんな感じで年越した小中学生の頃の記憶がいまだに残っています。
あと新聞配達、中学生終わった後もですね、母親は新聞配達をいまだに続けているので帰省するのが当たり前の時期はですね、母親の新聞配達を年末に手伝うっていうのも、それも恒例になっていました。
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そうですね、まあ母親の場合は車あったりするし、今は事前にそこまで頑張らないですけど、とはいえ朝2時ぐらいに起きてか、だから9時ぐらいに寝て、紅白もあまり最後まで見ずに9時ぐらいに寝て、朝2時ぐらいに起きて、母親の車に乗ってガションガション作業をして、それから車に乗りながら一緒に新聞を配っていくと。
で、新聞がポストに入らないでですね、もうあの北陸の家とか本当に無用心なんでですね、玄関を開けて、開くんですよ、玄関開けて新聞ですみたいな感じで、3時4時に行ったら受け取ってくれる人もいれば玄関にただポイっと置いとくみたいな、そんなこともやったりして、そういう年越しも何年も過ごしていました。
だから僕の場合年末年始っていうのは結構新聞配達のイメージがすごく強くてですね、そんな季節になったなぁと、ただ子供が生まれてからはなかなか規制も難しくなったし、そういった親孝行も難しくなったし、母親も新聞配達がですね、なんか母親はまだ続けられるんですけど、なんか営業所の方が人が変わって、なんか続けるのが難しくなりそうだとかね、なんかいろいろ移り変わっていくなぁというのをしみじみ感じる話でした。
何のオチもないんですけれども、まあ強いて言うなら皆さんのこの年末年始どんな記憶が残ってますかね、コメントで書いてくださったら嬉しいです。
では今年もコロナにはかかったけれどインフルにはまだかかってないですね、何も起こらないように年末を過ごしたいなぁと思っております。
では最後まで聞いてくださってありがとうございました。
一押し早いですけれども、良いお年を。