今週も慶應大学大学院メディアデザイン研究科教授の石戸奈々子さん、そしてJoiさんの妹で文化人類学者のMimi Itoさんのお二人をお迎えしています。
3人はそれぞれニューロダイバーシティについて研究をしているんですよ。先週のお話ではこんな話題が出ていましたよね。
例えば当事者の困っている方々の何かサポートになる技術をってことがあるんですけど、でもそれの技術が導入されていくに従って今まで自分たちが当たり前って捉えてた常識の方が当たり前にしとくのにはちょっとおかしかったんじゃないの?
こっちの技術を導入したこの新しい世界の方がこれからの当たり前としてすべての人にとってより生きやすい環境になるんじゃないのっていう気づきがあって
ニューロダイバーシティの場合、人種関係ともつながってるんですけど、やっぱり一般社会とか組織を変えないでただ変わり物をそこに入れるっていうのはすごく間違ってるっていうか、
新しい文化仕組みをマイノリティ中心に考えて作り直さないと、メインストリームの文化を変えないとそれは新しい社会は作り上げられないので。
できるだけみんなが感じることでサポートしようって言うんだけども、ちょっと僕心配するのが障害とか特徴によってはその人しかやっぱりマイノリティの人しか感じないものもあって、
ニューロダイバーシティインクルーシブにするのは僕基本的にいいと思うんだけど、やっぱりこの脳の多様性の中でもいろんなタイプがいるので、
だからちょっと全体を引っ張りながら、やっぱり個別にムーブメントを作ってアライアンスをするとか、その辺のちょっと細かいことも必要なんじゃないかなっていうのもちょっと思うんだけどね。
今日はニューロダイバーシティ運動の中でも、当事者に関する話題を中心にお届けします。
まずは先日行われたニューロダイバーシティのイベントに登壇した当事者であり研究者のジェイミー・ガルピン博士の発言についてジョイさんが話をしています。
少し聞いてみましょう。
今回海外から呼んだ2人は当事者で、やっぱり当事者の意見聞いててやっぱりすごく面白いなと思ったのは、ジェイミーも言ってたんだけど自閉症とかうつとかっていう名前つけちゃうと、
一緒食たんでそういう人たちはみんなこれを困ってるだろうって思っちゃうんだけど、全部違うんだよね。
自分が何が嫌で何でうつになってるかって一番本来わかってるのは本人で、意外に本人の話聞かないんだよね。
医者もそうだし技術者もそうで。
やっぱり当事者の話を聞いてると、僕らに聞いてとか僕らに作らせてっていうのは結構大きくて、
アメリカの当事者ムーブメントは、例えば当事者が役員に入ってない組織ともやらないとか、
当事者の権利っていうのはやっぱり当事者が一番わかってるんだからっていうんで全部対応だから診断してそれで決めないでくれっていうのは結構動いてると思うんだよね。
どうしても日本ってまだそこまで来てないような気がしていて、
メディラブもあったんだよね。やっぱりテクノロジー作る人たちってツールがないからどうやって聞いたらいいかもわからなかったりコネもなかったり病院に実は入ってないところの人がデバイスを作ったりするので、
そこをもう少しどうやってやっていくといいかなっていうのは思ったね。
やっぱりコネクションを作らなきゃならないんですよ。
IKEAプラス文化系でも障害者コミュニティーとそういう研究コミュニティーでそのリレーションシップ関係がないとそのつながりを作れば自然とお互いわかり合ったり一緒にデザインしたりする可能性があると思うんですけど、
やっぱりそういう社会的バリアーとか割にあって石野さんがやってるようなイベントとかそういうしっかりしたアウトプットがないんですよ。
なかなか研究費だな。
結構これって国とか大学の生もあるよね。論文を書けるためには自分の学問にはまってなきゃいけないし、博士を取るのにはあまり応用と近づいちゃいけないとか、お金も結局それぞれの縦割りにお金が出るからなかなかコラボレーションしづらいよね。
ついこの間新しく食力検査っていうのを今作ってるんですよ。それは何かっていうと、視力検査ってみんな学校行くと全員やって、視力が悪いともしかしたらこの子国番組見てないかもしれない。
メガネかけたらどうですかとか前の方の席にしようかとか対策をするじゃないですか。
でも一方で制服が着れない、触覚の過敏性がある子とかって、全然そういう配慮がなされなくて、コロナ禍でもマスクができないとか、でもそれって自己中心的な行動なんじゃないかって言われてしまったり、
例えば聴覚過敏とかもノイズキャンセリングしてると日本だとなんかサボってるように、音楽サボってるように見えるからダメだって言われてしまったり、全然理解が進んでないので、
じゃあ視力と同じように他の国はもう全部みんな数値がセンサーが違って多様だから本当に苦しい子もいるんだよってことを定量的にやろうとしたんですね。
その時にそこの分野の専門家の先生たちとツールを作ってたんですけど、専門家的には一般論ではこういう風になるっていう仮説があったんですけど、
一方でそれを当事者の方々と集めて体験してもらうと全然違うデータが出て、そうすると専門家たちからしてこれはサイエンスとしてもすごく大きな発見につながるかもしれないって話があって、
当事者にとってもより生きやすい社会、そして研究者にとっても新しいデータや新しい発見につなぐるみたいな循環を作れたらいいなと思って、いろんな人をつなぎ合わせてそういう動きを作っていこうかなと思ってます。
やっぱり石戸さんみたいな引き寄せる力があるところで始めていかなきゃいけないんだよね。ミミィも言ってた、英語でポジティブディビアンスっていうメソッドがあって、
これリチャード・パスケルっていう先生が作ったんだけど、社会全体を上から変えるんじゃなくて、社会の一部の人たちが変なことして、でもそれがすごくうまくいってるのを見て、そこを活性化した方が社会が変革するよねって。
国の文句とか大学の文句よりも勝手にやっちゃうっていうのが一個あるし、あとは石戸さんが今回表彰してアワードするっていうのも、これもすごくやっぱり馬力がある発言の仕方なので、そっちのほうがポジティブだよね。
ポジティブのことを、英語でポジティブディビアンスっていうのは、ポジティブなディビアントの人たちを変人を活性化する。多分これが正しいんだろうなと思うよね、聞いててね。
そして3人のお話は、アイデアを社会全体に広めていく社会変革の話題に。どうやらこの変革、石戸さんのこれまでの取り組みにヒントがあるみたい。ちょっと聞いてみましょうか。
教育の分野で活動を始めたときにも、一番初めに始めたのがメディアラボにいたときに始めたんですけど、子供にデジタルを使うなんてけっしからんとか、クリエイティビティ?何言ってるの、子供たちみんなアーティストにしたいんですか?とか、ワークショップ?日本だとワークショップって言葉も全然知られてなくて、何のお店始めるの?とか。
すごい言われて、私は初めから学校に入りたかったんですけど、これは無理だなと思って、学校外で草の根的に始めたんですね。そうこうするうちに、イベントとかやると、そういうことを伝えるイベントやると2日で10万人くらいの子供たちが来てくれるようになったりとかして、学校外の動きとしていろいろモリアが出てきた。
でも一方で、私たちがその時点で提供できた子供の数って50万人くらいで、日本だと1千万人の小中学生がいる。1千万人に届けようと思ったら、やっぱり学校に入ってきちんと制度を化してくれないと困るなっていうフェーズが来て、プログラミング教育を必須化してくれとか、一人一台を入れるようにしてくれとか動きをしたんですけど。
今まさに私はニューロダイバーシティに関しては、まだそうおっしゃったみたいに、とにかくやる気がある人たちでいろいろな事例を作って、それいいかもしれないなっていう共感を作っていくフェーズかなと思って。
確かにそのフェーズ大事だよね。リード・ホフマンがよく言うのは、海賊から海軍になる。
そうですね。まさに次のフェーズでは、もしかしたらきちんと社会の制度として、何らか一等にしなくてはいけないフェーズも来るだろうなと思うし、アンテナの高い人しか来れない場所でやってても、届く人って限りがあると思うので、やっぱりみんなできるだけ多くの人に行っても、もっとどっかしらで次のフェーズにはいかなきゃいけないなと思うんですけど、まだニューロダイバーシティに関しては前者かな。
ある程度事例とかがわかりやすくできてからの方がいいのが、法律作り早くやりすぎちゃうと途中でグニョってなっちゃうときあるんだよね。アメリカなんかでもすごく重要なムーブメントあったんだけども、結構いいこともたくさんあるんだけども、でも例えばそのセラピーの方法もちょっと古いものにしかお金が出ないとか、そういうのにすごいファンドが投資しちゃってプッシュして、新しい考え方っていうのが出なくなるとか、
そういう法律とか予算が着陸するときに、ちゃんと何が欲しいか明確に説明できないと権力で横にギュッて持っていかれちゃうっていうのもパターンとしてあるので、だから石戸さんみたいに50万人もハッピーな子供たちができて、でしょって見せられるっていうのはすごく重要なんじゃないかなと思うんだよね。
そうですね。結構今ニューロダイバーシティとかも、まだまだ日本ではそんなに多く言われている言葉ではないけども、同時多発的に生まれ始めているなと感じていて、それはやっぱり社会の世界の流れも踏まえてのことだと思うんですけど、その点をいかにまず線として面としてつないでおくか、それなりのソーシャルインパクトを作った上で、もうちょっと大きな社会変革へっていう流れかなって思ってます。
そして話題は広い意味でのダイバーシティについての話に、多様性を実現するには日本ならではのあるものが鍵になるかもしれない、なんて話が飛び出しました。
ニューロダイバーシティのムーブメントの話、今あったんですけども、この女性のムーブメントってもうずいぶん前からやっているのに、まだまだだよね、日本。で、今どんな感じに感じていて、どうしてもっともっと変わらないのかっていうのはあります?
どうなんでしょう。私自身は女性のダイバーシティに関する専門家じゃないので、ですけど、私はむしろダイバーシティって言った時に、日本でダイバーシティって言った時に、いまだに男女のことだけのダイバーシティを議論することにすごく違和感があって、
それこそ教育の話に使えると、先ほどミミさんおっしゃったみたいに、例えばプログラミング教育とか一人一台とかも、日本はずっと後進国だった。けれども、ちょっとコロナがあって、これはやばいんじゃないか。いざ導入が決まったら、もう全国2つぐらい一斉に入って、一気に世界ナンバーワンに踊り出る力があったりするんですよね。
そういう意味では、コロナが幸いしたところもあったというか、そういう強い外からの力があると結構変わるのかなって。
一周遅れのフロントランナーって。
そうですね。まさにそうですね。だからコロナが来て、CCIが来て、社会全体が壮大な社会実験に巻き込まれているような、このタイミングっていろいろなことを変えるチャンスじゃないかなと思っていて、このチャンスをいかに活用して、社会全体を次のフェーズにアップデートできるかに、ここから先の日本はかかっているのかなと思ったりしますけどね。
そういう意味で、フロントランナーが強いアメリカと、一周遅れのフロントランナーの日本と、昔からコラボレーションあるよね。ビデオゲームアメリカで発明して日本で仕上げるとか、だからこのネオディバーシティなんかも、もしかすると女性の権利もアメリカの方が結構乱暴にやって、それをもう少しテイストフルに日本で仕上げると、結果オーライなのかもしれないよね。
そうですね。改善も上手なアクリなので、なんかいいところ取りしてうまく。
今、アメリカから来る当事者の話ってすごく面白いし、日本人に喋ってるの聞いてると、日本人にもちゃんと刺さっていって、アメリカはやっぱり被害があったから、すっごいやっぱり怒ってんだよね。で、その怒りがあるから、アメリカだとなかなかこの両側が一緒にならない。で、女性もそうだったよね。やっぱり女性はアメリカって暴力だったり、いろんなこう被害があったから、やっぱり女性のパワーって結構乱暴になっちゃう。で、日本に来るまでにそれが少しソフトになって。
日本って他国の文化、食べ物を含めて甘くするよね。
そう、食べやすそうですね。
僕も高校時代かな、なんか原宿歩いてて、モヒ缶して、バッカーフェンダーって書いたボタンしたウニちゃんが歩いてて、ぶつかっちゃったら、あ、すいません、ごめんなさいって言ってて。
なんか、全体あり得ないぐらいこう、やっぱり日本人ってそこがあるので、もしかするとそれが今の今度のムーブメントの役割で、で、その文系理系もうまく合わせて、ちゃんとこう使えるテクノロジーが生まれたら面白いんじゃないかなと。
ジョンさんみたいに、ジョイもそうなんだけど、アメリカで学んで日本に戻っていって、いろいろ文化の調和っていうのはすごく重要だと思う。
でも石戸さん、やっぱり最初は大変だったんでしょ。だから日本も、そう簡単ではないよね。だからそのタイミングとかいろいろあるけど、怒ると意外に負けるので、怒らないで頑張るっていうのって、もしかしたら日本で成功するのには重要なのかな。
そうですね。そういう意味では、先ほど外でやってるとき2日で10万円くるようになったって言ったんですけど、そのイベントするときにもなんとなく教育っていうと堅苦しかったり、ちょっと閉鎖的なイメージがあるから、なんかファッションショーみたいにぽっぷり楽しくやろうと思ったんですよね。
ニューロダイバーシティも同じで、すっごい思い入れを持ってないと入れない空気感を出すのはやめて、なんかもうちょっとライトにみんながあれちょっと面白そうかもしれないっていう形で関われるような、できるだけオープンに多くの人たちが入れるような場を作るっていうことを、私は結構大事にしてます。
重要だと思いますよ。やっぱりそういう文化を考えるっていうのも日本の特徴で、クリエイティビティとか文化をいろんなロボットだのニューロダイバーシティのところに持ってくるっていうのは、石戸さんの日本人的なところじゃないですか。強み、ストレングス。日本の文化的アセットだと思うんですよ。
で、それをなんか人を惹きつけるような楽しいデザインだのメッセージ、アメリカでも最近はゴタゴタってカルチュアウォーズとかって呼んでるんですけど、いろいろメッセージとか考えて、ストレティジックコミュニケーションとか、でもそれはやっぱり言葉で表してるっていうのが多くて、こういうフレームとかこういうコミュニケーションで、石戸さんがやってるようなスタイルとか文化を考えて、
それは言ってる言葉だけじゃなくて、誰が言ってて何を着てどういうムードをどういう感情で伝えてるかっていうのは、日本のスペシャルスーパーパワーじゃないですか。
あと日本の職人とか伝統工芸とかオタクとか結構自閉症っぽいんだよね。ちょっと前オタクってもう少しネガティブなイメージだけど、今すごくポジティブで、英語なんかでも結構オタクみんな愛されて、なんとかオタクっていうのは今結構褒め言葉になってきたじゃない。
やっぱりそこもすごく日本の特徴だよね。一方すごく標準化された普通の人たちの社会もありながら、結構変なオタクたちをちゃんと支える文化もあって、それを海外に、ゲームとかアニメとかミミもちょっと研究してたのもそこだよね。
それ、昨日加藤光平先生と岡部大輔先生、そういうファンダムとかオタク文化を研究してる研究者とご飯食べてたんですけど、やっぱり私も前にそういうオタク文化岡部先生と研究してたんですけど、学習の場として。でもオタク文化っていうのはある意味ユニバーサルデザインなんですよ。自閉症とかADHDの子も居心地いいファンダムコミュニティなんですけど、考えてみたら楽しい。
ポケモンなの?なんだの?誰でも楽しめるタイプの文化。そのエージェンシーが強くて、自分が好きなように組み合わせてクリエイティビティで発言できたり、同人誌作ったり。で、実は日本だけじゃなくて、全国がそういうオタク文化が好き。
だからそういう日本のオタク文化って、そのコンテンツだけじゃなくて、そのコンテンツとどう関わるかっていうプラットフォームっていうのは、ある意味文化的ユニバーサルデザインのすごい強い例だとみんなで話してたんですよ。
で、今のソフトウェアのシステムっていうのは、自閉症じゃない人も書けるように作ってあるって言ってて。で、アメリカで何が起きたかっていうと、自閉症の人が足りなくなっちゃったから、普通の人もソフトウェア書かなきゃいけないので、バカっぽいシステムで作ってるんだけども、本来は自閉症の人しか作らせちゃダメだっていうのが彼の意見だった。
なるほど。非常に面白いですね。そういうふうに考えると、なんか日本の今おっしゃるといろんな文化とニューロダイバーシティってすごく親和性が高くて、なんか日本から新しくニューロダイバーシティの在り方を定義して発信できるかもしれないなと思いながらお話し聞いてました。