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人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう? おはようございます。こんにちは、橋本ゆみです。
今回のテーマは、俯瞰することは明晰性とは違う件。 ということで、ゆるっと覚醒マインドでお届けします。
講座をやっていると、今、マスタークラスが走っている中で、感情と事実を分けることがうまくできるようになりました。
成長したぞ、とご報告をいただくことが多く、私もほにほに嬉しいし、
お話くださる本人も、そして聞いている仲間たちも、うんうんという感じの空気が流れて、いいなあと個人的に感じています。
俯瞰してみるという話とかね、またスピリチュアル好きな人だと、
うーん、なんて言ったらいいのかな、ちょっとその引きすぎちゃうっていう話とかも実はあって、
ヨシヨシじゃないんですけど、引いてみれない人は引いてみれる人がたっかんしていいなあという感想を持ったりするけど、
逆に引きすぎちゃって現実行きにくくなる、こういうのも実はありますね。
講座の中では、俯瞰してみる、メタポジション、メタ認知という俯瞰という部分と、
あとは明石性、明らかに、物事を明らかに見る、つまり色眼鏡をかけないということね、
それをお話したりトレーニングしたりするんですけど、
話を聞いてて、おそらくここを分けて考えている人はあんまりいないのかな、
一緒くたになっているんじゃないかなというのを、この間ふとね、感じたんです。
冷静になってみるとか、俯瞰してみるというのは、一見いいことなんですが、
一見ね、それはそれでやっぱり大事な視点なんですけど、
俯瞰できているようで、ちゃんと物事が見えていないなあということ、
実はね、意外とあるよねっていうのをね、
受講生さんの話から、そういう言い方はしていないんですけど、
結論、そうなっていくよねっていう話をね、
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いろんなエピソードからまとめると、そういう話になるときが、最近ありました。
まずね、俯瞰は何かっていう話からすると、
俯瞰っていうのは、一歩引いてみるとか、全体を見る、鳥さんの目なんて言いますね。
もうちょっと言うと、感情に巻き込まれないポジションからの視点。
これめちゃくちゃ大事ですが、繰り返すけど、
その俯瞰状態は、面積性とイコールではありません。
面積性って何っていうと、これは物事がクリアに見えている状態です。
本質、本音が見えている。
あと物事の状況がそのまんま見えている、受け取っている、歪めていない、
ごまかしてもいない、フィルターがかかっていない。
つまり自分の思い込みっていうのも、そこには含まれていない。
本当にありのまま、そのまんまを見ている、見えている、受け取っている状態。
もう一回言うと、そのまんまが見えている状態です。
何で違うのっていうと、感情から距離を取ると冷静っていうふうに見られるんですね。
そして俯瞰して見ているっていうふうになります。
視点としてはそのように表現ができます。
だけどこれ実際のところ、感情から距離を取ってしまっているがゆえに、
感情を切り離していたり、感情に対して麻痺していたり、
あとは頭の中でただ整理しているだけ。
こういうことがあるんですね、こういうことがある。
よくある話なんですけど、人間関係とかで相手と嫌な相手がいたときに、
例えばそれがお年を召した方だったりしたら、
まあもう年だからしょうがないよね、とか。
あとものすごい頑固な人で、あの人頑固だから仕方がないよね、とか。
あとは相手にも何かこうなった事情があるよね、とかね。
これってある種、俯瞰している高い視点から見ている、
目の前の嫌だなあということだけじゃない、
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その裏側も見えているちょっと高めの視点なんだけど、
それはそれで別に悪いことではないが、
その視点であるっていうことは仕方ないよね、相手にも事情があるしね。
そう言っている状態は感情から距離を取っていると言えます。
頭の中でそういう理由づけをして自分を納得させようとしている状態。
そうすると何が起きているかって、
その人は我慢をしている状態に入っちゃうんですね。
無理をしているってことです。
納得しなきゃ。
もうちょっと深く言うと、
嫌だっていう感覚は傷ついているってことです。
でもこの人はしょうがないよなって合理的に考えることで、
傷ついている自分をこれ以上傷つかないように守っている、防衛している。
でも傷ついたその事実は残るんです、残るんです。
つまり、面積性、面積であるということは、
その部分までもが明らかに見えている、そういう状態を面積性と呼びます。
なので、俯瞰した状態は結構実は危険で、
俯瞰して見れているからいいっていうのはプロセスとしてね。
まずは事実と感情を分ける、俯瞰した認識を持つ、これ大事。
その次、その次があります。
その次は結局自分の感情、感覚っていうのもしっかり目を向けるっていうことです。
それなくしてただ俯瞰しているだけは片手打ちなんですね。
俯瞰して見ているだけってなっちゃいます。
それは明らかに物事を見ているとは別物なので、
どんどん感情を置き去りにして麻痺してしまう。
あるいはその状態で人と接していると人とのコミュニケーションに不具合が起きる。
本人は気にしていないと周りがその人とやりづらいってなるし、
本人がそこには気づいていると人との関係が苦しくなる。
このようになっていきます。
よく起こるのがスピリチュアル好きな人あるあるなんですよね。
よく宇宙人ぽいって言ったり、スピリチュアルでもいろんな畑があって、
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高い視点、悟りとかそういうのを目指したり、興味がある人だと、
その高い視点とか俯瞰っていうのを意識しすぎて、
感情を置き去りにして、自分は本当は傷ついているのにもかかわらず、
そこから距離を置いているから傷ついていることにも気づかないで、
物事がこういうことが起きているんだなあ。
異常みたいな。
そこを感情がそういう俯瞰した状態に慣れてしまうと、
感情とか感覚が湧かなくなってくるんですね。
だから本人はいい状態になる。
だって、嫌な感じも別に湧かないし、
特に生き自由もしないし、ある種フラットな状態。
それにすると悟ったかのような。
でも悟りって差がない、差をとって悟りだから、
まあ差がないっていうところでは確かに悟りなんだけど、
本質的な仏教の意味の悟りとはちょっと違うっていうことが実は起きます。
実は起きます。
だから感情、感覚っていうのを無視してしまうと、
これ本当の意味では全然クリアーではないんですね。
違和感が出る。
本人は違和感ない。
なぜなら、そこを見ないようにしているというか、
もう無意識に蓋をされているから麻痺しちゃって、
見ていないことすら分かっていないっていう状態に入っちゃう。
でもそれを本人は苦しんでいないんですよ。
だいたい苦しんでいない、そういう人たちっていうのは。
蓋を開けると色々出てきたりします。
それはアンバランスなんですよね。
スピリチュアルの一つ落とし穴とも言えなくはない。
それが繰り返しになりますが、
良い悪いではありません。
本人が痛みを感じていないというのは、
それは楽だし、一方で知らないほうが幸せなこともあるからね。
別に構わないわけ。
だから本人がそこで本質を見極めたい、
自分らしく生きたい、本当の自分はどうだろうか、
こういうことに興味を持ち始めたとき、
アンバランスさっていうのを目の当たりにすることになるので、
その時もしかしたら踏み込まないかもしれないね。
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そこでよく起きるのは、
知ったつもりでループするか、
あるいはまだまだたどり着かないっていうゲームをループさせて、
数学者とか学者さんでたまにあるのが、
答えを求めるんだけど、答えが見つかってしまったら終わってしまうから、
ずっと答えを探し続けるみたいな。
ある種、答えはその都度仮定があるわけ。
仮に定めるの、仮定ね。
仮定を作って、それを証明してっていうのが、
学術的な考え方といえばいいのかな、
だと私は考えてるんですけど、
もちろんそうじゃないっていう人もいらっしゃると思うんですけどね。
まあまあまあ、そこは置いといて。
だから俯瞰っていうのは簡単に言うと、距離を取る。
高いところから見るってことですね。
距離を取る、そこを俯瞰と言います。
明石性っていうのは、本当に見えてる、明らかに見てること。
だから距離を取ることによって全体が明らかになる。
全体が明らかになったときに、
ただ距離を取って眺めてるのではなく、
一つずつ感情も事実も、感情と感覚ちょっとセットでね、
その体感と直感っていうのを私は分けるんですけど、
その二つがやっぱりしっかりある。
ちょうどね、チャンネルリングとかの話をするときに、
宇宙につながってとかなんとか言って、
別にバカにしてるわけじゃないんだけど、
つながったらつながったでね、いいんだけど、
結局そこに体感、体が置き去りにされて宇宙とつながってても、
ただ気持ちいいだけ、ただエッツに入るだけで、
そして物事をすべて理解したと思っても、
理解したものを現実活用できてんのかっていったときに、
私はできてる人は素晴らしいと思いますが、
それでできてる人はあんま見たときないんですよね。
あんま見たときない。
やっぱり現実も、
ちゃんと自分のお役目というか使命というか、
やることがわかってやっている人っていうのは、
本当にどっしりしていて、
安定感がある、違和感がないんだよね。
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ズレがない。
でも上ばっかりつながって、
現実のことがよくわかってないというかね、
現実に対して考え方が浅かったりすると、
なんて言ったらいいのかな、
ちょっと例えになるかわかんないんですけど、
なるようになるさっていうのは、確かになるようになるんですよ。
天に任せたり、エリクソン的に言えば無意識に任せたら全てうまくいく。
もうね、その通りなんですよ。
その通りなんだけど、
違和感がない人、つまりちゃんと三次元的にも
肉体を持ってそれを体現している人は違和感がないので、
もう本当にその通りだなって納得するんだけど、
安心して全てはなるようになるさと、
任せればうまくいく、その言葉が安心して入ってくるんだけれども、
現実はそうじゃなくて、
頭の中でそうだって思っている人とお話をすると、
非常にずれがあるので違和感しかないんですね。
だから本物、偽物っていう話をしたいわけじゃないんです。
私は単純に違和感があるかないかなんです。
ずれていると違和感がある。
自分の中でも違和感があると、あれなんだこれって、
自分自身もその時何が起きているのかな、もちろん俯瞰をして、
かつ、明石に見るためには、
しっかり感情も味わい、向き合い、何が起きているかという事実と、
あとは体で感じていること、
あとは体の構造上、仕組み上、そうなってしまう何か、
というのが絡んでいるので、そういうところを見ていくわけなんですね。
そうすると感情論ではないよな、
これ体で例えば忙しくてあまり寝ていないから、
それはネガティブにもなるよね、とかね、例えば。
体はどっしりしているけどネガティブになる時、
これは考え方の癖だったり、あるいは幼少期からのパターンがあって、
その状況によって何らかザワザワすると。
ちょっとしたミスですごいザワザワが強い時とかは疲れているか、
あるいはその出来事によって過去何らかの学習、反応を得たか、
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そういうのを紐解いていく、これがある種の明石性というところになりますね。
だからね、本当に人生が変わっていく、
本当の自分を生きるっていう時っていうのは、
ただ俯瞰して見るっていうのでは片手落ちなんです。
明石に見る、これができた時に、
本当の自分の人生の選択っていうのがベストになっていくっていうことがありますね。
俯瞰して物事が見られるようになった人は、
そこで見落としやすいことがあるっていうのを頭の隅に置いておくといいし、
冷静であることと明石性は全く違うということも覚えておくといいんじゃないかなと思います。
明石性っていうのが一番大変だよね。
身につけるのにやっぱり時間がかかるというかね。
何だっけ、ソロモン王だっけ、何のエピソードだったっけかな。
ちょっと誰だったか忘れちゃったけど、
試練だか何かの時に1個だけ願い事を、
よくあるでしょ、どんな神話とか物語とかでも、
1個だけ願いを叶えてやるみたいな、
そういう手のやつ。
それで確かソロモン王だったと思うんだけどな。
その時に何が欲しいかって言って、
単語がちょっと正確ではないんだが、
明石性とか明石であること?
ウィズダム?H?違う。
ごめんなさい、ちゃんと調べてから言えばいいんだけど、
今思いついちゃったから。
思いついちゃったから、調べて。
単純に何が言いたかったかっていうと、
たった一つの願いが明石性であると。
それでそれを得て王になったとか、
そんな話だったような気がするが、
ちょっと正確じゃありませんけれどね。
それほど明石性っていうのは、
人生を左右、大きく左右します。
つまり明石性があれば判断する力もあるっていうことだから、
特に王とか経営者とか、
なんていうのは判断、選択の連続ですからね、
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決断の連続ですから、
そこで物事を見極める力っていうのは、
俯瞰とは違うんだよね。
とはいえね、私自身は俯瞰してみるっていうことが、
やっぱり感覚が優位だったゆえに、
相当トレーニングを積みました。
そして明石、明石かどうかっていうのはね、
自分自身はもちろんまだまだ研ぎ澄ませていきたいと思っていますが、
自分の人生を振り返ったときにね、
やっぱり明石性っていうのをどんどん磨いてきているなというふうに感じます。
今が完璧ではないです。
しかし過去を振り返ったらね、
やっぱり10年前、20年前の見ていた世界とは全然違うし、
人の話を聞いていても見え方が変わってきた。
そして反応も変わってきた。
ということがね、本当にありますね。
なので、もしね、スピリチュアルとか自己啓発とか、
何かそういう探求するものとかを好きな人はね、
俯瞰していく。
つまり俯瞰って結局意識の拡大なので、
意識を拡大するといろんな情報、ピュアな情報が入ってくるようになるから、
いい感じなんだよね。
いい感じなんだけど、明石性とは異なるよということと、
本質的なものを得たいのであれば、
俯瞰だけでなく明石性を持つということが非常に重要です。
もうちょっと砕いて、もうちょっと近くで言ったら、
自分の感覚、感情をいかに意識に挙げられるか。
それを純粋にありのまま見られる力ということです。
これはね、結構苦しいよ。
見たくない自分も明らかに見ていくということだから。
結構抵抗が出る人が多いんですよ。
ここが大きな抵抗なんですよ。
なんだかんだ言ってもここが抵抗が出ます。
マジで。いっぱい見てきている。
自分もすごい抵抗をしましたね。
でもここが本当に明らかになってくると、
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その抵抗がいかに幼稚だったかということにね、
私自身ね、気づきまして。
まあそれでやっぱりね、
人としての成長というのはね、
人とは比べられないんですよ。
自分の人生の中を振り返ると、着実に歩んできたなと。
これからも歩んでいくと思いますけどね、年齢に応じてね。
なのでね、面積制っていうことが今日テーマでしたが、
面積を得るっていうことは意外と苦しいこと。
自分の感覚的なものを言語化するっていうのとも等しいので、
感覚を言語化ってみんな苦手なんですよ。
コストかかるんですよ。苦手だからね。やりたくない。
大人になればなるほど、できないイコール、
自分には能力がないというふうに捉えがちなので、
こういう思考の癖、思考の仕組み、これを構造というふうに読んでます。
そういう構造があるんです。
そういうふうにさせる構造、そういうふうにさせる力が働いているので、
それを断ち切ると人生が楽になってくるんですよ。
判断とか、あと人とのご縁とか、自分がやるべきこととかが明確になっていきます。
なので、今募集している人生読み解き講座、
その体験説明会が5月、6月開催されますので、
概要欄から人生読み解き講座の案内、URLをクリックするとメール登録できますのでね、
そちら登録いただいて、ぜひ、これは無料レッスン6回読めます。
そして体験説明会においでいただくとね、
本当これ始まったばかりですが、参加された方はみんな、
これが私の構造かって言ってね、
ここをやっていけばいいんだなっていうのが見えてくるので、
いよいよ本当に人生変えようっていう、そこまでの意気込みがなくても、
なんかやっぱりうまくいくようになりたいなっていう人はね、
途中で出てくるこういった抵抗とかも乗り越えられる、楽に乗り越えられるプログラムで作ってますので、
ぜひぜひ体験説明会においでください。
意外とね、自分はできてると思ってしまったときが落とし穴。
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私自身はずっとそれ自分に言ってるんですよね。
できたと思ったら、そのときはできて嬉しいから、できるようになったら嬉しいってなるけど、
まだ先があるで、みたいな。
平時的な、平時みたいな、コナンくんの平時みたいな感じで、まだまだやで、みたいな部分がね、あるわけです。
それは自己否定とかネガティブな話では、自分を否定しているのではなく、
もっと先、もっと良くなりたいな、もっと成長したいなという意識の現れなので、
それはね、私自身は自分で歓迎していることなんですね。
昔はね、同じ言葉でも否定の方で使ってました。
今ね、それが別ベクトルになっているから、このね、本当自分を我慢させる、自分が俯瞰して、
俯瞰するのはいいが、感覚との切り離しが起きているって場合は、本当にそこの部分を取り戻さないと、
結構なんだかんだ変なところで、なんだろうなーっていうことがね、割と起きがちです。
ぜひぜひ、人生読み解き講座、おいでになってみてください。
というわけで、本日も長々とご視聴いただきありがとうございました。
今日のお話があなたの人生の扉を開くヒントになりましたら嬉しいです。
それではまた皆さんお会いいたしましょう。ではでは。