1. 八風の十音(やふぅのねいろ)
  2. めんそーれ!ちゅら島にて、平..
めんそーれ!ちゅら島にて、平和の樹の下での話をさせてもらいました。
2026-04-18 30:00

めんそーれ!ちゅら島にて、平和の樹の下での話をさせてもらいました。

ゆめのたね放送局
ちゃんぷるー58財団 地域応援チャンネルに
出演させてもらいました。


note記事 平和の樹の下で制作秘話
https://note.com/yafoo8385/m/m13e7da8f1120


ミューサイドの毎日投票のお願い🙏4月22日まで。
みなさんのおかげで現在8位。ですが、
まだまだ協力が必要です。
https://note.com/yafoo8385/n/n4c0c0fe40e89



平和の樹の下で  【合唱参加・拡散のお願い】
https://note.com/yafoo8385/n/n4f2c9310a8ec



6月23日 セットリストアンケート
https://forms.gle/j7VB1ziSSS1cXkAV6



4月23日のライブ、5月23日のライブ、6月23日のライブチケットはこちらから。
https://corom.app/mp/FW209



4月1日から新しいInstagramでの運用になります🥺
ぜひフォローお願いします!!
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オープンチャット「八風の音楽を広め隊」
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00:00
心地よい目覚めの中で差し込む光のシャワー
優しい風が頬を撫でる
確かに感じたんだ
ハイサーイ、ぐすーよーちゅーがなびらー
こんにちは、皆さんいかがお過ごしですか?
この番組は沖縄の地域応援をテーマにお届けする
めんそーれちゅら島です。
今日お届けするのは、ジャンプル五八財団のパーソナリティ八風がお届けいたします。
オープニング曲は沖縄パーソナリティみみぃさんの作詞・歌、ゆいの心です。
応援してくださいね。
この番組は、応援・貢献をテーマに夢ある番組をお届けする
夢の種放送局沖縄スタジオからお送りいたします。
信じてる信じてる
遠く離れていても
あなたの声あなたの言葉
心の声を
叶えたい叶えよう
固く結んだ絆
生けに受け取ったよ
あなたの想い
ゆいの心
Living a dream
さて、八風ちゃんこんにちは。
こんにちは。
今日は沖縄スタジオにパーソナリティの八風ちゃんに来ていただきましたが、
八風ちゃんはシンガーソングライターでございます。
ちょっと簡単に自己紹介お願いします。
八に風と書いて、八風という名前でシンガーソングライターをやっております。
私自身は京都出身で、今沖縄に住んでおりまして、
5歳の男の子を子育てしているママです。
去年の6月から音楽活動を始めて、
11月にこの夢の谷間放送局のパーソナリティデビューをしております。
なのでまだまだ新人なんですが、
今回は平和の木の下でという音楽を広めたいということで始めたので、
そちらのお話をさせていただければと思います。
ありがとうございます。
今、八風ちゃんからもご紹介がありました。
平和の木の下で。
どんなテーマで作った歌でしょう?
私の旦那のお父さんが戦争を経験しておりまして、
私がナイチャーですね、いわゆる本土の人間なんですけれども、
03:01
そのナイチャーの私が、なかなかセンシティブな平和の話題とか、
戦争のことって聞きづらいと思うんですね、今。
だけど、もう亡くなってしまったらお父さんがね、
誰も伝え続けられる人がいないなという中で、
私ができることって何だろうって言った時に、
私は音楽をずっとやってきたので、
それで歌を作って、
後世に受け継がれるような、
そういう歌を作っていきたいなというので始まったというか、そんな感じですね。
お父さんは今、おいくつ?
今ね、今年6でまだ5だよって言われたんですけど。
そうなんだね。
お父さんを見てると、何かの形で残さなきゃってやっぱり思ったんだね。
そうですね。
がっつりお父さんとこの戦争、沖縄戦のことって話したことはある?
そうですね、ちょうどですね、2024年とか3年とか、
それぐらいの時期って月1回ずっと病院の付き添いを、
お父さんの付き添いをやっていて、
その時に待ち時間がすごく長くて、病院のね。
そんなにお父さんとも関係性が良くなくて、その時期は。
なので、どうやったらこの人の心が開かれるのかなっていうのをずっと考えてて、
その中で毎年6月になると新聞記者さんがお父さんにインタビューしに来る季節が来るんですね。
その時に戦争の話とか平和の話とかっていうのを自分で喋っているところとかを見て、
ちょっと過去の話とかを順番に、一気に聞いたわけではなくて、毎週毎月毎月、
その病院の待ち時間にずっと聞いていったみたいな順番に。
兄弟は何人だったのとか、戦争中どんな暮らしだったのとかっていうのを、
ちょっとずつ聞いていったっていう感じですね。
なんかお父さんから聞いた話で、印象に残っている話はある?
歌詞の中にも一真伶、真順っていう言葉を入れてるんですけど、
実はお父さんも障害を持っていて、一番上のお姉ちゃんも目が見えないっていう障害を持っていて、
お父さんと3人で逃げてたみたいなんですね。
戦火が激しくなってきた時に、お姉ちゃんがもう十何歳だったのかな、
お父さんと結構年が離れてたので、お姉ちゃんがもう目が見えないっていうので、
もう私たち2人おいて、先に逃げてちょうだいってお父さんに言って。
で、お父さんがその時逃げた時に、生きる時も死ぬ時も家族はずっと一緒なんだよみたいな話を、
幼いお父さんとお姉ちゃんに言ったっていう話があって。
それは誰が?
06:01
お父さんのお父さん、おじいちゃんが言ったっていうのがあって、
そのことをどの新聞記者さんにも絶対その話題は言うんですよ。
お父さん自身はその頃5歳とかそれくらいだったから、まだお話はできる。
けどやっぱりそこより5校上10校上の人たちはやっぱり悲惨すぎて話したくないっていう人がほとんどみたいで、
だから自分を話していくんだっていうので、いろんな取材を受けてるっていう思いも聞いてきたので、
そういうことってやっぱり伝えていかないといけないなっていうふうに思った感じですね。
お父さんはその戦争がちょうどあったときってどのあたりの地域に住んでたんだろう?
ナハオロックの近くに住んでたけど、でもやっぱり戦火って南部に下ってきて、
南部に下ってきたときに中部の方に石川の方に移動して、
どうやって移動したかちょっともう今はわかんないんだけど、
でも歩いてかな、おぶって手繋いでみたいなことを言ってたから、
3人でずっと移動してて、途中でおばあちゃんがいなくなって探しに行ってとか、
そういうエピソードもあったりとかして。
その当時のことをさ、自分たちの身に置き換えてみたら、
食べるものもない、飲むものもない、毎日寝るところがあって探さなきゃいけない、
暑い、着るものも着替えもない、シャワーもない。
そんな中で普通に考えたら沖縄戦って2ヶ月ぐらいって言われるんだけど、
2ヶ月きっちりではい終わりって終わったわけじゃないから、
ずるずると9月終わりぐらいまで引っ張ってるから、結局とっても長いよね。
しかもやっぱり戦中も大変だったけど、
お父さんは戦後が一番大変だったっていう話をよく聞いていて、
もう貧しいどころじゃなかったみたいなことを言われていて、
お父さん自身も車椅子とかできたのも、障害者元年って言われる元年があって、
そこまでは本当に外に出れない、障害者っていうのでもすごく差別される時代だったし、
お父さんは足が悪かったの?
そうですね、足が悪くて、
やっぱり人家族に障害者が2人いるっていうので、ものすごく差別を受けたみたいな話もあって、
歩けないからずっと地べたを這うようにして、
そしたらそこのお家には障害者の方がいるよっていうので見に来たりとかね、
09:00
物満たさみたいな感じで、そういう時期もあったっていうので、
自分はもう20年くらい外に出てこなかったから、
今でいう引きこもりみたいな状態で、っていうのは言ってましたね。
じゃあちょっと、その2人の子供を守りながら戦火を逃げ惑って、
命を繋いだおじいちゃんの存在は大きいと思う。
戦後まで生きてらっしゃったみたいですね、そのおじいちゃんも家族も全員。
戦中、10人兄弟だかな。
1人は戦中に、赤ちゃんの時に亡くしてるんですけど、
その他は、たぶんね、話によると全員生き残って、戦後に亡くなった人がほとんどっていう話なんで、
たくさんの兄弟だったんだね。
そうそうそう、っていう話がありましたね。
もうこの平和な時代に生まれて育ってる我々は、想像もできないよね。
1日我慢できるかなって、自分の身に置き換えると思うでしょ。
やっぱり食べ物がないとか、やっぱりお風呂に入れないとか。
だってもう焼き野原にされちゃったから、木の葉っぱもないんだよ。草も生えてないんだよ。
ということは日陰もない。夏の暑い季節だよ。水もない。
どんなステーキ伸びたんだろうなって、今でも想像すると胸がギュッてなる感じですね。
ちょうど今のヤフーちゃんが育ててる息子くんが5歳だもんね。
思ったら、
しゃべりはできますし、だけどまだまだ全然子供だから。
当然だけど、だからお父さんの経験はすごかったんだね。
そこから戦後、物のない大変な時代を一生懸命生き抜いてきていて、
どっか途中で妻になってくれる方との出会いがあったんだね。
そうなんですよね。お母さんと出会って、たぶん人生が変わったんだと思います。本人自身のね。
今は障害者のB型事業所の代表をしていたので、そこでちょっとずつ自分が外に出ていくみたいな。
結構ひょうきんだったりするし、冗談も好きなお父さんではあるから、そういうのが向いてたんでしょうね。
手先もすごく器用で、時計の修理屋さんから仲をしていて、ものすごく手先は器用だから、
これできそうにないなって思うことができてたりとか、
水道の蛇口とか結構遠いんですけど、お箸とかでキュッキュッとかやって出てきたりとか、器用な一面もあったりとかしますね。
12:05
お母さんとの出会いがあって、子供が生まれて、その息子がヤフーちゃんの夫ってことだもんね。
お父さんに少しずつ聞いた戦争時代のお話を、ヤフーちゃんは何とか残そうと思って、この歌を作ったっていうことだよね。
これをですね、今このオンエアは4月なんですけど、6月23日は沖縄にとったら慰霊の日なんですね。
この日に戦争が終わってしまったわけじゃないんだけど、ここで一旦区切りがついたんだよね。
そこからまだまだ3ヶ月、4ヶ月ずっとこういうひどい時期が続くんだけど、しかもアメリカ統治時代もそこからまだ27年も続くんだけど、
でも一旦ここで終わりっていう、命からがらに逃げ惑うっていうのは、だんだん落ち着いてくるわけだもんね。
じゃあ、その6月23日への沖縄の慰霊の日への思いを込めて作った歌が、平和の木の下でですね。
じゃあここでしっかり皆さんに聞いていただきましょうね。
あの日聞けるかし話してるかな
山と私には
言いたくないかもしれない
15:02
限界でなく日々を
それでもここで生きてく決めてはいたんだけど
どこかで息づらさを感じながら暮らしてた
あなたと話したくて
あなたと笑いたくて
あなたを知りたくて
家族になりたかった
あの日の思い越しして
病院町へ
あなたは遠い目をしては
ぼつりと話し出す
悲しみわき
平和の木
笑顔あふれる日々
そんな日が
あなたの影の涙
もうはおいてかねと言った
それでもそんな自分に
いちまりまじゅう
平和の木の
18:02
何気なく過ごす日々
そんな日が
あなたの言葉の影
6月23日
正午のあの丘
降り注ぐ光の日だ
駆け抜ける青い風
見守る広い空
美しい松並み
ありがとう
胸に続く未来を信じて
平和の木の下で
笑顔あふれる日々
そんな日があるの
あの日の影の涙
平和の木の下で
当たり前の幸せ
あなたが繋いだ
キラララララ
ラララララ
ラララララ
ラララ
ラララララ
ラララ
ラララララ
ラララ
ララララ
ありがとうございます
なんかじっくりなんかこう
歌詞に耳を傾けながら聞くと
やっぱ感動しました
ありがとうございます
この曲はどんなイメージで降りてきたの?
これは実は私の曲の
私のブルーっていう曲があるんですけど
その曲の元曲なんですよ実は
その頃にたくさん曲を作ってたから
ちょっと保留にしてたんですよずっと
だけどある日突然朝4時くらいに
歌詞がバーって出てきて
それでやってるうちに
もしかしたらこの間作った
私のブルーの曲が
いけるかもしれないなと思って
当てはめてみたらちょうどぴったりあって
これはいけるかもしれないと思って
ずっと書き綴った曲ではありますね
さっき言ってたね
おじいちゃんが言ってた言葉もね
ここにこうやって入ってたんだなとか
いつもこの番組のエンディング曲で書いてるんだけど
だいたい最後1分ぐらいしか
かかってなかったからね
じっくり最後まで聞けてとても良かったです
21:01
ありがとうございます
実際にその平和の木っていうのが
富津久市にある海軍号司令部の
ふもとにある木が平和の木なので
私はそこで子供を遊ばせたりとかしてたんですけど
子供が1歳とか2歳の時とか
でもやっぱりものすごい騒音で
いまだにやっぱりその丘に立ってても
オスプレイが飛んでるとかっていうのが
すごい真っ青な空と海が見えて
綺麗な景色なのに
そこにやっぱり戦闘機が見えてるっていう違和感がすごくあって
それをちょっと歌にしてみたっていうところでもありますね
その海軍の司令部号
私も行きました
衝撃でした
もう槍1本で掘り進めていてっていうので
あんなものがあんなにしっかりと残されている
ぜひ沖縄の戦績をですね
見に来ていただくとすごくリアルに
ドキンとするよね
そうですね
自決された場所とかも見れますし
あの空間にもっと暗いところで
昔だったらね
だって空気が通るようなところはどこもないし
もう大地見つかったらダメっていう
だからどれほど掘り進んでるか
もう蟻の巣のように
なんかあっち行ったりこっち行ったりみたいな感じでは
あんな中にもうすっごいたくさんの方がギュギュ詰めに入ってたから
ほとんど最後は武器も持たずに
そこから出て行ってみたいなこと書かれてて
みんな立ったまま寝てたって言ってたよね
いやもう本当に
姫百合の塔だけじゃないんですね
そうですよね
各地あるんですけど
海軍号司令部も
手裏城と同じくらい多分
肝っていうか
になった場所なんだなって
実際に自分が見に行って思いましたねそれは
最後本当にそこから飛び出して行って
そしてみんなもう
守りきれないから自分の命は自分で守れ
解散みたいなね
ことだったからね
出て行ったのが正解だったのか
号に残ったのが正解だったのか
もう分からない
本当にそうですね
はいっていうことで
ヤフーちゃんのですね
この平和の木の下で
を主にした
ここから先のヤフーちゃんのイベント情報をお願いします
今ですね6月23日に
コロムっていうところで
オンラインライブをするんですけれども
そのために毎月毎月1回ずつ
ライブをしてまして
4月は23日
5月は23日で6月23日に向けて
動いてます
毎月1回のオンラインのライブなので
24:02
全国どこからでも
つないで見ていただけるので
ぜひご覧いただきたいなと思っています
見ようと思ったらこのコロムっていうところの
アプリをダウンロード
していただいて
登録とかもあるので
そこになんと300人くらいのアーティストが
登録されて
そのうちの1人がヤフーなので
携帯でもパソコンでも
トブレットでも
見ていただける
ライブが見れるという
ぜひ応援してください
それからですね
この曲を
ぜひ夢の種
だから
だから広まる
全国15カ所に
スタジオがある夢の種
だからこそ
他のスタジオの皆さんにも
この平和の木の下でを聞いていただいて
ちょっと心に響いた
方々に
皆さんの地域で
皆さんの番組の中で
できたら応援のためにかけていただきたい
と思ってるんですね
なので
ヤフーちゃんの番組
ぜひホームページに
まずはコメントをいただけたら
その方が所属されている
スタジオのリーダーさんと
私宗俊が
連絡取らせてもらって
スタジオに音源を送らせていただきますので
じゃあヤフーちゃんの
番組紹介をお願いします
毎週金曜日
REDチャンネル21時から
放送しておりまして
ヤフーの音色という番組でございますので
インスタとか
Xとかリットリンクから
飛べますので
ぜひご連絡いただきたいなと
思っています
夢の種のパーソナリティの皆さんはですね
夢の種放送局の
ホームページの番組を探す
虫眼鏡マークのところを
タップして
ヤフー蜂の風です
漢字で蜂風って入れて
検索してもらったら
ヤフーちゃんの番組ホームページが
出てくるので
そこにコメントを
ぜひ寄せていただいて
送信ってしてもらったら
ヤフーちゃんがちゃんと確認させて
いただきますので
よろしくお願いします
もしくはですねもうすでに
夢の種とつながっている方がいたら
メッセンジャーに直接ご連絡
いただけても大丈夫ですので
ヤフーちゃんの歌
平和の木の下で
をかけたいです
音源くださいと連絡
くださったらとてもありがたい
と思います
ぜひ6月23日
の沖縄の
慰霊の日に向けて
ヤフーちゃんがコツコツコツコツと
毎月毎月積み重ねていっている
この歌を広めたい
この曲でみんなに知ってもらいたい
お父さんの思いを
どこかで途切れさすことなく
次の時代にも残したい
いろんな思いがこもった曲ですので
ぜひ皆さんかけて
いただければと思います
よろしくお願いします
ヤフーちゃんからリスナーの皆さんに
27:02
最後にもう一押し
メッセージをお願いします
私も
6月23日が
お仕事も
職場も役所も
学校も全部お休みになる
というのを移住してきてから
知ったんですね
それくらい沖縄の人は
そこに思いを馳せて
戦争のことを思い出す
1日として
やってらっしゃるので
そこに自分たちが何も関心をせず
過ぎていくのは
ちょっと違うかなと思っているので
ぜひ皆さん
平和について考える1日を
過ごしていただきたいなと思っております
ぜひヤフーちゃんの平和の木の下で
皆さん覚えていただいて
あちこちのスタジオで
あちこちの番組でかけてくださいますように
お願いします
よろしくお願いします
エンディング曲も
平和の木の下で
これをかけながらお別れしたいと思います
ヤフーちゃんに
エンディングトークをお願いします
さてお送りしてきました
面相でチュラシマ
そろそろエンディングの時間となってきました
お楽しみいただけましたでしょうか
エンディング曲は
私の作詞作曲歌
6月23日の
沖縄慰霊の日
のために作った
平和の木の下でです
ぜひ応援してくださいね
ぜひ次回も
土曜日13時にブルーチャンネルで
お会いしましょう
それではまた
面相利用
この曲聞きながらお別れです
ヤフーちゃんありがとう
ありがとうございます
私は
言いたくない
かもしれない
限界で
泣く日々を
それでも
30:00

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