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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社エル・ティー・エス代表取締役社長 樺島弘明様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
慶応大学卒業後、ING生命保険株式会社にご入社。その後、株式会社IQ3株式会社 ラーニングテクノロジーコンサルティングを経て、
このエル・ティー・エスの設立に参画し、その年には代表取締役社長にご就任なさっていらっしゃいます。
そして、2017年は東商マザーズ、今のグロース市場に上場し、その後、2020年には東商一部、今の東商プライム市場に上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
樺島社長さん、本日はよろしくお願いいたします。
お願いします。
まず最初のご質問なんですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
生まれも育ちも神奈川県横浜市で生まれ育ちました。
小学校も横浜ということでよろしくお願いします。
小中高、横浜ですし、父は公務員で母は看護師で、2つ上に兄がいて、とにかく兄のコミュニティでめちゃくちゃ遊んでたので、
勉強もスポーツも要領よく何でもできるみたいな、そんな小学生時代でした。
なるほど。浜子としての小学校時代はどんな少年だったなんて思えてございますでしょうか。
やっぱり2つ上に兄がいたので、兄の友達と遊び、自分の台とも遊び、
比較的中心にいたし、クラス対抗でサッカーとか野球とかやると、自分のチームが勝てる状態になるまで延長延長とか言いながらやってたりとか、そんな感じでした。
なるほど。学期大小的とか優等生的とかそういうのはございましたでしょうか。
そうですね。学期大小ってほどではないんですけど、比較的中心にいて勉強もスポーツもできて、
ただ小学校6年生の時に担任の先生と折り合いが悪くて、ちょっといじめられるみたいなことがあって、
ちょっと何でもかんでも思ったことを発言したりとか、仲間にいろいろいうことにも少しちょっと自分も気を付けなきゃいけないことがあるのかな、
ということを6年生の時に初めて気づいたっていう、そんな感じですね。
なるほど。ありがとうございます。中学時代はどんなことして過ごしたなんて思いでございますでしょうか。
中学受験して、またこれも横浜の新学校に入って中高1課年。そこは本当に勉強ができるんですが、結構自由な学校でした。
小学校の時まで結構サッカーが得意で、神奈川県とか横浜市とか、どこでも優勝とか準優勝とかっていうレベルにいたんですけども、
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中学入るとサッカーのレベルがちょっと落ちて、あまりサッカーに時間をかけることもなくなった一方、僕はもっともっとやりたかったというので、
放課後もずっと部活が週3日かな、それを週5日なんて言いながらめちゃくちゃ練習してサッカーして、勉強はたまにしてあっという間に6年が終わったって感じですね。
サッカーはどんなポジションをよくやってらっしゃったんですか。
サッカーはミッドフィールダーだったり、あとやはり1回戦2回戦勝っても3回戦で強いチームに当たると守んなきゃいけないので、
そういう時は一番後ろのセンターバックというか、当時スイーパーみたいなポジションでやってましたね。
中心人物でやってらっしゃった感じですね。
はい。
ありがとうございます。高校時代はどんなことをして過ごしたなんて思い出がございますでしょうか。
中高1か年だったんで、そのままサッカーやって文化祭の準備したり、あと勉強したり、
そうですね、語ることがあまりないぐらいサッカーと勉強と友達と遊ぶ。
当時のサッカー部の2個上にはO6の高島さんとかもいたりとかで、同級生には大西卓也君っていう宇宙飛行士になった人もいたりとかで、
結構その新学校でありながら個人個人のキャラクターというか、いろんな人がいてすごい友達と遊ぶのも楽しかった。
そんな高校時代でしたね。
はい。
なるほど。ありがとうございます。大学は慶応大学にお勧めになってらっしゃるんですか。
慶応大学を選ばれた理由は何かございましたでしょうか。
基本クラス200人ぐらいで3割ぐらいが東京大学入る学校だったので、
当然私も東大に行くんだなと思ってたんですが、ちょっと落ちてしまって、
父親が慶応出身でもあったので、平岸というか、そういうので慶応も受けてて、
私は浪人はしたくなかったのでそのままに慶応入ったと。
消極的な選び方だったんですが、めちゃくちゃ入ってよかったなっていう、
いろんな友人とか先輩後輩との出会いっていうのはありましたし、
そこで出会ったメンバーがCFOとしてうちに入ってたりとかですね、いろいろありまして、
結果慶応入ってよかったなと思ってます。
なるほど。慶応大学時代の思い出とか、こんなことしたなんてことございますでしょうか。
テニスサークル入ったり、金融とか投資の勉強をしたりとかして過ごしました。
ただよくわかったのが、小中高ってすごくサッカーを一生懸命やっていて、
なかなかプロに行くようなレベルではなかったと。
大学入って何やろうわからない、勧誘されるままにテニスサークルに入って、
いい先輩もいるからそのまま居つつ、でもなんか自分の居場所じゃない気がする。
もっと集中して目標を持って時間を使っていきたいなっていう、
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そういう楽しんだけどもやもやした気持ちがあって、
それを就職活動のときに自分で気づいて、
社会人になったらとにかくこれだっていう目標なり夢を見つけて努力する。
そんな過ごし方をしたいなっていうのは、大学時代楽しかったけど何か物足りない。
そんな4年間の中で醸成されたかなと思います。
なるほど。ありがとうございます。
新卒でING生命にお入りになったんですが、こちらを選んだ理由というのは何かございますでしょうか。
就職活動をしているときにテレビ番組でベンチャーキャピタリスト、
アメリカの西海岸でYahooさん、eBayさんとかいろいろベンチャーが起きて発展してたと。
その裏にはキャピタリストの存在があると。
そんなテレビ番組を見まして、自分でベンチャーやることはイメージ湧かなかったけど、
そういう企業化、企業を支える仕事は自分に向いてるんじゃないかと。
日本でベンチャーキャピタリストになるために今どの会社に入ればいいんだと。
いろいろ回った結果、アドバイスをいただいたのが、新卒でベンチャーキャピタリストに入るのもいいけど、
コンサルや金融や中小企業やベンチャー企業で働いた経験、こういったことをしながら
30歳過ぎてからベンチャーキャピタリストになるのもいいんじゃないかという先輩の意見を聞き、
なるほどと。なので金融、コンサル、あとは中小ベンチャーで働いた経験をどの順序でやろうかなって中で、
たまたま外資系の保険会社でヨーロッパなので結構家族的で、でも教育がすごくしっかりしていて、
その保険会社のお客さまは中小企業、中堅企業が多かったので、
金融と中小中堅に対する支援ということで、その会社を選んだっていうところですね。
なるほど。ありがとうございます。
NG生命というのは思い出なんて何かございますでしょうか。
思い出は丸の内支社配属だったんですけれども、2年目に茨城の水戸支社を作るって話になって、
鬼軍曹みたいな課長と先輩社員が2人でやってたんですが、その先輩社員が根を挙げたというか、
しんどいということで、急遽私が2年目ですかね、丸の内支社に配属されながら、
週4日朝7時上野駅発スーパー日立、これに乗って水戸駅に行くと。
レンタカー借りて金融機関とか会計事務所とか、いろんなところを回りながら代理店とか、
あとはお客さまの開拓ってのをやったと。だから丸の内勤務だけど、ほぼ水戸みたいな、
日立とか鹿島とか行ってましたね。
成績もよろしかったんじゃないですか。
1年目はすごく良かったので、多分先ほど言ったように夢とか目標を見つけたいから、
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とにかく食わず嫌いせずにハードワークしようってことでやってたから、
おそらく川島だったら、この水戸支社作るっていうミッションで鬼軍曹みたいな課長がいても大丈夫だろうって多分判断されて、
急遽アサインされたと。なので1年目は成績良かったんですが、2年目は成績を出しづらい環境だったんですが、
1年終わってみたらそれなりのトップないみたいな感じだったんで、成績は良かったかなと思います。
なるほど。ありがとうございます。その後、IQ3さんという会社さんに応募になっていらっしゃいました。
これは何か経緯とかございますでしょうか。
先ほど言ったように金融の経験、LG生命にいながら企業金融とか個人金融の勉強もさせてもらいましたし、
あと中小企業の現実っていうのもよく見えてきてたと。
次はコンサルを経験したいなってことで、外資系のコンサルティング会社さんを回って、
一応内定もいただいたんですが、そのときにアドバイスいただいた先輩方が2000年前半だったので、
のきなみにベンチャーを起こしたり、ベンチャーに転職していったんですよね。
それを見たときに、コンサル経験も積みたいけど、ベンチャーで働いてみたいなっていう思いも出て、
なおかつ誘われもしたので、一回ここでベンチャー飛び込んでみようと。
なおかつそのベンチャーがB2Cのコンシューマー向けのビジネスだけではなくて、
大手企業向けのコンサルティングに近いものもやっていたから、
そこでベンチャーであればベンチャー経験とコンサル経験両方詰めるんじゃないか。
なおかつコンサル出身の方もたくさんいたり、インド人エンジニアもたくさんいたり、
コミュニティとして面白そうだなってことで、IQ3っていうベンチャーに転職したというところですね。
ING生命のほうから先輩とか上司から止められたりはしなかったんでしょうか。
それは止められましたけど、そういう企業内の、オランダが本社なんですけども、
そういう教育、9ヶ月間の教育プログラムあるからいかないかとか、
いろいろありがたいお話もいただいたんですが、やっぱり当時25歳とか6歳とかで独身で、
一回やりたいなと思ったらもうなかなか止められなかったっていうのもあって、
そのまま転職しました。
なるほど。IQ3さんでの思い出なんてございますでしょうか。
やっぱり一つは、37億円調達して始まった会社で、コンシューマー向けのビジネスがうまくいかなくて、
しっかり利益を稼げるB2B、大手企業向けのコンサルも含めたビジネスをやろうという、
事業をピボットしている状態ですから、結構組織が荒れてるじゃないんですけど、
いろんな感情がうごめいてる中に私は転職していったから、
一つ面白かったのは、そういう局面、事業をピボットしたり、
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うまくいかなかった事業と、しっかり稼ぐ事業と、そこに集う人たちの感情みたいなのは、
こんなふうに動くんだと。トップのコメント一つで、プラスにもマイナスにも大きく社員の気持ちが動き、
その結果パフォーマンスが変わるんだっていうのは、一社員ではあったんですが、
すごく感じることができて勉強になりました。
なるほど。ありがとうございます。その後、株式会社ラーニングテクノロジーコンサルティングに
お移りになってますが、これは何か経緯とかございますでしょうか。
IQ3が事業をピボットしたものの、コンサルティングでこれからの事業をやっていくのは難しそうだと。
なので、大株主や当時の経営人が、一旦この事業を止めていきたいと。
そうなると、そのお客さまと一緒にプロジェクトをやっていた我々は、じゃあどうしましょうってなると、
受け皿の会社を作ってても、プロジェクトをやりきらなきゃお客さまに迷惑がかかると。
そのために、ラーニングテクノロジーコンサルティングっていう会社を作ったり、その後LTSを作ったりっていうのがあって、
起業したというよりも、当時ご支援していたプロジェクトをやりきるための器として会社を必要として、
そこにプロジェクトメンバーが役員、社員、契約社員、業務委託で移っていったっていう、そんな起業の背景になります。
なるほど。そちらのラーニングテクノロジーコンサルティングでの思い出なんてございますでしょうか。
そうですね。当時、インキュベーション施設、家賃とか抑えたかったんで、インキュベーション施設に入ってたんですが、
その中には今のレノバさんかな、当時リサイクルワン、あとアイスタイルさんとかもいて、
皆さん上場されて大きくなっていくみたいなこともあったので、当時っていうことよりも、
あの時少し顔虫になった方と、その後5年、10年先に再会して、ああ、みたいな、それは何かいい思い出だったなと思ってます。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
KAノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
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皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいてます。
ぜひネット検索でKAノートスペース社長インタビューと入力いただき、
KAノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。