1. 和華蘭(Wakaran)ラジオ
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2024-08-09 32:42

毎熊奈々恵「8月9日と祈りの花瓶」

京都・長崎・アムステルダムを拠点に活動するPeace2Peaceプロジェクトがお送りするポッドキャスト番組「和華蘭(Wakaran)ラジオ」です.

第1回目のゲストは「祈りの花瓶」プロジェクトの毎熊奈々恵さんです.

祈りの花瓶👉 https://vtp.jp/

毎熊奈々恵さんのTEDxトーク👉 https://youtu.be/hVlaXrjkBHI

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BGM:

Kevin MacLeod の Almost in F - Tranquillity は、クリエイティブ・コモンズ - 著作権表示必須 4.0 ライセンスに基づいて使用が許諾されます。 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/
ソース: http://incompetech.com/music/royalty-free/index.html?isrc=USUAN1100394

アーティスト: http://incompetech.com/


サマリー

長崎・アムステルダム出身の東京のアーティスト・デザイナー前沼奈々恵さんが、和華蘭のラジオに出演しています。8月9日の放送では、ポッドキャストの新番組「祈りの花瓶」プロジェクトに関する話題が取り上げられています。佐藤さん、森さん、ユミさんが被爆の意味や重要性、被爆資料について話し合い、ハサミ焼きの特徴なども議論されています。このプロジェクトは海外の方々にも被爆の記憶を伝える機会を提供し、具体的な展望が述べられています。今年3月にオープンしたPWギャラリーでは、祈りの花瓶展が開催され、未来のために平和を願っています。展示では祈りの花瓶や被曝瓶のレプリカに触れることができます。

和華蘭)ラジオの始まり
こんにちは、いちです。
こんにちは、ゆみです。
この番組は、京都・長崎・アムステルダムを拠点に活動する
Peace to Peaceプロジェクトがお送りするポッドキャスト番組、和華蘭)ラジオです。
今回が第一回目の放送になります。
ついに始まりましたね。
ところで、和華蘭って何ですか?
和華蘭は、和風の和、中華の華、オランダの蘭の3つをつないだ言葉で、
日本の江戸時代に文化が混じり合ったことを表す言葉なんです。
なるほど。
というわけで、ついに始まりました。和華蘭)ラジオ。
第一回目のゲストは、東京のアーティスト・デザイナー、前沼奈々恵さんです。
それではお聞きください。
ゲストの前沼奈々恵
さて始まりました。ポッドキャストの新番組です。
記念すべき第一回のゲストとして、今夜は東京から前沼奈々恵さんをお呼びしています。
奈々恵さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
そして、ホストもう一人、由美さんです。
よろしくお願いします。
さて、早速なんですが、奈々恵さんに自己紹介をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。
私は前沼奈々恵と申しまして、長崎出身です。
私の祖母が長崎で被爆しておりまして、私自身は被爆産生という立場になります。
そして私は23歳の時に、デザインを勉強するために、東京のデザインの専門学校に行ったんですけれども、
現在は東京で広告だったり、グラフィックのデザインのアートディレクターとして働きながら、
あとはライフワークとして、長崎の平和をテーマにしたアート活動を行っております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
東京でアートディレクターをされながら、アート活動もされているということですね。
はい。
8月9日の意味
この番組はですね、2024年の8月9日に放送されるんですが、
8月9日といえば、今から79年前、長崎に原爆が投下された日です。
長崎では8月9日が投稿日にもなっているんですが、
七江さんが小学校とか中学校とかの学校に通われてた時っていうのはどんな感じだったんですか。
はい。今でも鮮明に覚えているんですけれども、
毎年8月9日っていうのは、本当にすごく天気がいい日で暑い日なんですけれども、
毎年8月9日、学校に投稿して体育館に集合することが多かったです。
そこで、例えば被爆者の方が体育館に出向いていただいて、
その方から直接被爆体験の話を伺ったり、
あとは11時2分っていうのが、長崎で原子爆弾が爆発した時間なんですけれども、
その時間は必ずみんなで黙祷を行っていました。
黙祷が終わった後には、あと平和の歌ですね。
いろいろあるんですけれども、特に青い空はっていうタイトルの曲は今でも覚えていて、
やっぱり同い年の友達とかに聞いても、あの曲は今でも歌えるっていうふうにみんな言ってるので、
やっぱり長崎で小学校とか中学校、高校を過ごした人たちは、
やっぱり日常の中に、
8月9日っていうのが、やっぱり強く根付いているっていう感覚が今もあります。
なるほど。
ありがとうございます。
由美さんいかがでしたか。8月9日って、僕は大阪で育って、由美さんは?
はい、私は愛知県です。
そのような経験というのはほとんどありませんでした。
ないですか。
具体的に、おばあさまからお話を聞かれたことというのはあるんですか。
はい、祖母は今94歳でまだ元気なんですけれども、
そうですね、もう毎年といっていいほど、実家がおばあちゃんの家に近かったので、
毎年、夏とかお正月、家族が集まるときに、
おばあちゃんから原爆の話を聞いたりとか、
あと普通に遊びに行ったときも、そういう話を聞く機会がすごく、
私のおばあちゃんが多かったので、
人にもよるんですけれども、やっぱり本当に口にしたくないぐらい、
辛い体験をされた方とかは、なかなか話すのも難しくなったりとか、
そういう話を聞いたりとか、
おばあちゃんの祖母は今も元気で暮らしているところもあって、
ちょっと爆心地から離れたところで被爆しているので、
本当に人が道端で亡くなっているのとか、実際に目の当たりにはしているんですけれども、
比較的過去のことを話してくれるおばあちゃんが多かったりとか、
そういう話を聞いたりとか、
比較的過去のことを話してくれるおばあちゃんだなという印象です。
今から79年前なので、おばあさまもすごく若い、
少女時代ということになると思うんですが、
そうすると多分、感受性もものすごく豊かな時期でもあるし、
すごくショックな出来事だったと思うんですよね。
多分同世代の方でも話したくないという方もいらっしゃると思うし、
被爆者であるということを認めたくないという方もいらっしゃったと思うんですが、
七江さんはそうやってラッキーなことに聞いて育ったわけなんですよね。
はい、そうですね。
長崎市の小学生、中学生はみんな一応は聞いてはいるんですね。
そのご家庭で聞かなくても学校では聞いているということなんですかね。
そうですね、本当に周りの友達とも話してて、
ちょっと自分たちが高校生とか大きくなった時に初めて県外の人たちは、
8月9日に学校に行っていないという事実を知ったぐらいで、
本当に長崎市内の子どもたちは8月9日に学校に行って、
被爆者の方からお話を聞くというのは本当に当たり前だったので、
みんな8月9日学校に行っていないんだという子どもなので、
その頃はそこが驚きだったというのを今でも思っていますね。
子どもの頃、お友達とお話をする中で何か印象に残っているということはありますか。
そうですね、本当に子どもの頃は小学1年生からなんですけど、
毎年平和学習があって、それこそ原爆資料館に行ったりするんですけれども、
受けている側なので、あまり自主的に発言するということは少なかったのかなと思います。
本当に勉強の一環、授業の一つとして行っていて、
そのことについて話し合うみたいなことはなかったかなと思うんですけれども、
毎回被爆者の方からお話を聞いて、結構つらい話なので、
泣いちゃったりする。私も泣いた記憶があるんですけど、
やっぱりそれをなかなかその後に話すっていうのは難しかったのかなと今でも覚えています。
用紙に被爆者の方から聞いたお話を感想文として毎年書いたりするんですけれども、
そういう何かを書いたりするっていうところは毎年してたと思うんですけれども、
それを日頃、日常、他のことを共有して話すかっていうと、
そういうところができていなかったのかなと思いますね。
ありがとうございます。
七井さんご自身も後でじっくりお伺いしようと思うんですが、
この被爆体験、あるいは被爆したということを後世に伝える活動をなさっていらっしゃるんですが、
長崎で、多分広島でもやってると思うんですけれども、
被爆したということ、原爆ってこういうものだということを語り継ぐ理由って何かというと、
教育の中で聞かされてきたりとかはありましたか。
そうですね。
その頃からなんですけど、やっぱりその被爆をされた方ってやっぱり年配の方が多くて、
今だと特にも本当にお話ししていらっしゃるんですけれども、
やっぱりその原爆に関しては、
本当にお話ししてくれる方々も本当に85歳とか平均になっているので、
なかなかこの後もずっとその人たちから直接お話を聞けるかというところはやっぱりそうではないので、
そこが一番大きいかなと思っています。
被爆者の方からお話を聞くだけじゃなくて、資料館に行って、
被爆したものですね、被爆資料っていうんですけれども、そういうものを見たりとか、
あと本を読んだりとか、そういう過去の事実みたいなのが記載されているものがあったり、
記録されているものですね、そういうものを見て、
私たちの次に、また次にというふうに継承していかないと、やっぱりその被爆者の方からのお話を聞くだけじゃなくて、
そういう本当に忘れたいぐらい辛い思いだと思うんですけれども、そういう思いがまた2度3度と起きないように、
やっぱり後世に伝えていくというところが大切というところで、
そういう毎年絵の学習というのを行っていたというふうに記録しています。
【佐藤】この平和の絵の学習というのは、
例えば長崎の人、あるいは日本人に原爆でこんな悲惨なんだよって、原爆の被害でこんな悲惨なんだよって伝える方へ語り継いでいくっていう、
大切さは分かると思うんですけれども、
原爆を落とされた側ですよね。落とした側にも言わなきゃいけないんじゃないかなとか、ちょっと思ったりもするんですけれども、
その原爆の被害でこんなに悲惨なんだよって、原爆の被害でこんなに悲惨なんだよって伝える方へ語り継いでいくっていう大切さは分かる一方で、
そういう話っていうのは教育の中で出てきたりとかするんですか?
【藤井】そうですね。
【佐藤】特にそういうことは?
【藤井】結構そういうことはありますね。
【佐藤】特にそういうことは?
【藤井】特にそういうことはありますね。
結構被爆者の方の話とか、そういうところにフォーカスすることが多かったんですけど、
その中で二度と同じ思いをしてほしくないっていう思いで伝えられてる方が本当に多いので、
そうなるとやっぱり落とされたこの日本だけ、長崎とか広島だけじゃなくて、やっぱり海外の人たちにも、
伝えていかないといけないというところはあると思うんですけど、
事業の中で海外だと、原子爆弾を落としたから戦争が終わったとか、
そういう教育をされているところもあるんだっていう話は聞いたりして、
そこは国によってやっぱり認識が違うんだなっていうところが勉強するときに、
被爆の意味と被爆資料の重要性
聞いてちょっとショックだったりしたんですけども、そういう事実があるんだっていうのはやっぱり平和学習とかで知らされるというところはありますね。
なので私も今個人的に活動してるんですけど、やっぱり海外の人に知ってほしいなという思いはすごくよくあります。
【佐藤】逆に当事者であっても、
日本人たちがこんな目にあったんだって言わないことには、
アメリカ含め海外の原爆を落とされたことのない国の人たちは想像もつかないことなんだ。
だから日本人がまず語り継いでいかなきゃいけないっていうことなんでしょうね。
【森】やっぱりこういう思いを、同じ苦しい思いをしてほしくないっていう、本当に責めるというよりは、
本当に話すことも辛い思いをして、私たちに伝えてくれている海外の人にも伝えたいっていうのは、
以降で責めたいとかそういう気持ちじゃなくて、本当に海外の人に伝えてほしくないっていう思いをしてほしくない。
本当に毎年、平和学習とか被爆者の方の声とかを読んでいると、やっぱりそういうところを感じますね。
やっぱり責めたりする方もいらっしゃると思うんですけど、やっぱりそれじゃやっぱりこう、
自分の思いを伝えてほしくないっていうのが、本当に大事だと思うんですよね。
【佐藤】はい。
【森】はい。
【佐藤】ユミさんいかがでしたか?
【ユミ】そうですね。
長崎ご出身の方からのお話を聞きながら、思うことは、
やっぱり海外の人にも伝えてほしくないっていうのは、本当に責めたいと思うんですよね。
【佐藤】はい。
【森】はい。
【佐藤】はい。
【森】はい。
長崎ご出身の方からのお話を聞きながら思うことは、やっぱりそうでない私たちは、
客観的にいろんな物事を捉えることもできますので、
もちろんその悲惨さを語っていただき、後世に伝えていただくということの役割は、
中心人物といいますか、主体になる方たちしかできないんですけれども、
そうでない側の私たちは、どうしてやはりこれいうことが起こってしまったのかという原因も含め、
教育の中に取り入れていきながら、他方向から考える機会を作ることが大事だな、
それと、どうして広島や長崎に教育が留まっているのかと、
他の都道府県に、もしくは世界中にあってもいい学問であろうにと、私はすごく今回感じました。
祈りの花瓶の制作と展示活動
【佐藤】ありがとうございます。
七江さんの活動についてもお伺いをしたいなと思うんですが、
祈りの花瓶というプロジェクトをされていると思うんですけれども、詳しく聞かせていただけますか。
【七江】はい、ありがとうございます。
祈りの花瓶というのは、ちょっと映像がないのでわかりづらいかもしれないんですけど、
白くて小さな片手に乗るぐらいの花瓶の作品なんですけれども、
その花瓶は形が有機的にぐにゃっと曲がっているものなんですけど、
その元となったものが、長崎の原爆資料館に保管されている被爆瓶という被爆資料の瓶になります。
私がその作品を作るきっかけとなったのは、東京で通っていたデザインの専門学校なんですけれども、
卒業するときに卒業製作品展という、自分のデザインの勉強をしてきた集大成みたいなものを発表する場があるんですけれども、
そこで私はやっぱり東京で初めて8月9日を過ごして、長崎との差をすごく感じたんですね。
普段長崎にいると、8月9日木刀の鐘が街中に鳴り響いて、みんな止まって木刀をするっていうのが当たり前だったんですけど、
東京に行ったときに気づいたら11時2分を過ぎていて、そういえば木刀してないっていうふうに気づいたんですけれども、それがちょっと1個ショックだったことで、
そこから3年間デザインを勉強していくうちに、課題を解決するとかそういう側面がデザインにはあるので、
私が学校で培ってきたデザインのスキルで何か長崎の平和の文化っていうのを伝える活動ができないかなっていうところが、作品のスタート地点になっています。
なかなか多分、ご存じない方も多いかと思うんですけど、被爆したとき、爆弾が爆発したときにすごい熱風が吹いて、
それで建物だったり、あとはそのケツとか、今回私が題材にしているガラスの瓶ですね、そういうものも高温の熱風が吹くことで溶けてしまっているんですけれども、そういうものが今も資料館に残っていたりして、
その貴重な被爆資料として保管されている瓶ですね、その瓶をお借りしまして、そこから3Dデータを取りまして、
実際にそのデータをもとに長崎のハサミ焼きという陶磁器の窯元があるんですけれども、そちらに協力していただいて、実際にその作品として白い小さな祈りの花瓶というものを作っている。
それを東京とか長崎で展示をするというアート活動を行っております。
ありがとうございます。祈りの花瓶はこれはウェブページでご覧いただけるんですね、写真とか。
概要欄にリンクを貼っておこうと思います。
僕も見させていただいたことがもちろんあるんですけれども、これは戦争中、被爆前普通のガラス瓶だったものが原爆の熱風でクニャーと変形してしまって、なんかちょっと溶けたような形になった瓶があるんですね。
その瓶がもちろん原爆資料館に保管されているんですけれども、それをお借りになって3Dスキャンされて、ハサミ焼きという白い陶器に焼いて、これハサミ焼きだから何体も焼けるんですよね。
ハサミ焼きは丈夫で使い勝手がいいというもので、長崎の人にも親しまれているんですけれども、3Dの型があるのでたくさん複製して作ることができる作品になっています。
ちょっと余談なんですが、そこがちょっとデザイナーさんぽいなという、ちゃんと量産を考えているというのがデザイナーさんぽいなと思って伺ってたんですが、なので花瓶として使っていただける大きさで、家に買ったら持って帰れるので、被爆っていう記憶があります。
被爆資料が家に持ち帰れるっていう作品ですよね。
そうですね。被爆資料をなかなか持って帰るということはもう本当にできないのと、あと触ることもできなかったりするので、そういうものに触れることでより記憶に残ったり、あと私が長崎で過ごしてきて、日常の中に平和学習というのがあったので、長崎、広島に住んでいると日常の中でそういう過去の実情に触れたりすることがあるんですけど、やっぱりそうじゃない。
海外の方とか長崎、広島以外の方って日常にそういう機会がないので、一つ日常の中にある花瓶というものに被爆資料という要素を落とし込むことで、お家だったり違う場所でもふとした瞬間にそれを見て、過去のことを思い出すというきっかけになったらいいなというところで、花瓶という作品にしております。
その被爆したガラス瓶の形っていうものが、これは不謹慎な言い方かもしれないんですが、すごく有機的で柔らかいフォルムで、被爆っていうことを知らなくてもちょっと可愛らしい、変わった、ちょっと凝ったデザインだなみたいな受け止め方もあるのかなと思って。
なんか気がついたら記憶の中に入ってくるっていうメッセージもあるのかなというふうに僕は見ているんですが。
ユミさん何か質問ありますか。
そうですね。
その被爆のフラワーベースは小さいものなんですか、それとも大きいものなんですか。
サイズはどのぐらいなんでしょう。
サイズは片手に乗るぐらいなので、本当に小さいもの。高さも10センチもないぐらいなんですけど、一輪挿しにちょうどいいようなサイズになっています。
一輪挿しというのも何か小さな世界の中からまた自分たちの想像によってまた大きな世界につながっていくものを表すような気がして、とてもユニークな作品だなと思います。
ありがとうございます。
ハサミ焼きの特徴と認知度の向上
ハサミ焼きって長崎の出島からオランダだとかポルトガルとかに輸出された時に使われた器であったりとか、
僕は大阪出身なんですけれども、大阪の十三という船着き場があって、京都に上る船の船着き場なんですね。
その船で旅人が船に乗っていると、ご飯を売りに来る船が横付けされるんですけども、そのご飯だとか煮付けだとか入ってたのに使われた器がハサミ焼きだっていうのを僕は何年か前に知って、
長崎と大阪ってこういう関係があったんだとか、無印良品なんかもハサミで焼いてたりとか、どっちかっていうとお隣のイマリとかと違って庶民のお皿とか庶民の器っていう日常使いの焼き物なんですよね。
それだけ丈夫で、白が基本ですけれども、白がすごく綺麗ですよね。
そうですね。
なるほど。
七江さんは祈りの花瓶の展示をこれまで何回もされてきたと思うんですが、どんな方が見に来られてたんですか。
まず一番初め、東京の千代田区にある3331アーツ千代田という場所で展示を行ったんですけれども、その時はコロナ前でしたのでバックパッカーのお客さんとかがお越しくださって、やっぱり日本のお客様もいらっしゃるんですけど、海外からいらっしゃった方の反応がすごかったんですね。
例えば私に握手を求めに来たりとか、ちょっと涙を流される方だったり、作品を手に取って写真に撮ったり、すごい興味深く壁に飾ってある文章の一言一句まで読んでくださる、そのような勢いで作品を熱心に見てくださるという方が多かったですね。
その後も東京だったり長崎で展示を開催してるんですけれども、やっぱりそのコロナ前に行った展示が一番海外の方がいらっしゃってくださって、その時の反響がやっぱり今も忘れられないので、やっぱり海外の方にもっとたくさん見ていただきたいなという思いがあります。
今が2024年なんですけれども、ユミさんも先に言っちゃいますね、七江さん今度アムステルダムで展示が決まっているということでおめでとうございます。
ユミさんのお力添えで。
海外は初めての展示会ですか。
そうですね、単独で行うのは初めてで、企画展にどういう企画を出してもらうとかそういうものはやったことあるんですけれども、この花瓶の展示として海外で展示するのは初めてになります。
やっぱりオランダも、ユミさんオランダ経験すごく長くいらっしゃるんですが、やはりその平和教育とか、戦争の悲惨さっていうのは日本と同じぐらい体験している国なので、もちろん原爆使われたことはないですけれども、
国全体が占領されてしまったこともあるので、関心は高いのかなと思います。
ユミさんオランダって、アムステルダムってどんな感じなんですか。
そうですね、アムステルダムはもう本当に自由開放区というように、多様な人たちの多様な表現が行き交うような街で、本当にいろんな刺激に満ちた街だなというふうに思いますし、ストレートにものを表現することが受け止められるような気分を感じる街ですので、
七井さんのうちにあるその思いをストレートに、大胆にかつ表現していただけると嬉しいというか楽しいなというふうに感じますね。またそういうものを引き出す街こそがアムステルダムかなというふうに思います。
港町で若干長崎にも似ているところがあるのかなというか、多様性の街な気がします。
さっきのアムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダムに関しては、アムステルダム
のかなっていうふうに感じています。
ありがとうございます。もうちょっと、あっという間に番組終了の時間になってしまったんですが、この放送が8月9日で、
七重さんが今、長崎で展示をされているところなんですが、ご説明していただいていいですか。
はい、ありがとうございます。
PWギャラリーでの祈りの花瓶展
そこに今年3月にオープンしたPWギャラリーという アートギャラリーで 祈りの花瓶展を開催しております。
今回のタイトルは「祈りの花瓶展2024 8.9 長崎から紡ぐ」というタイトルにしておりまして、
やはり未来のために、この8月9日から平和の花瓶展を開催しております。
そして毎年なんですけれども、祈りの花瓶を触れるような展示スタイルにしてまして、
それとは別に今年は被曝瓶のレプリカというリアルに被曝瓶の色だったり、形を再現したものというのも触っていただけるような展示になっております。
なので、ぜひ買いに来てください。
はい、ありがとうございます。あと1個ね、僕から宣伝させていただくと、
七江さんがトークされている動画が、テッドの長崎、
長崎の花瓶展を開催しております。
はい、ありがとうございます。あと1個ね、僕から宣伝させていただくと、
七江さんがトークされている動画が、テッドの長崎デジマ版、テッドXデジマというチャンネルで、
YouTubeのテッド公式チャンネルの中にテッドXデジマというタグがあるので、
そこでまた概要欄にリンクを貼らせていただきますが、七江さんのトークもあるので貼らせていただきます。
実は由美さんも京都でテッドXトークをされているので、その苦労とかはまたどっかで裏番組でお話を聞かせてもらえたらなと思います。
はい、じゃあそういうことで、この新番組、ごめんなさい、まだ名前はまだないんですが、多分オープニングとクロージング別撮りするので、
その頃には番組名決まってると思うので、そちらでタイトルコールをさせていただくんですが、
新番組第1回のゲストをお迎えした回終了したいと思います。
ゲスト、流行る第1回は東京からアーティスト、デザイナーの前熊七江さんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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