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どうも、たいきです。いつもありがとうございます。
はい、続けていくんですけど、
もうこの番組を聞いている方に関わらず、僕と関わったこと、少しでも関わったことある方なら思うと思うんですけど、
僕はね、言語化が非常に苦手なんですね。
だから言語化できる人のことを、本当にすごいと思っているし、不思議でしょうがないですね。
その語彙力だけじゃなくて、そうやって見ているのかっていう視点にも気づけるし、
その角度から、すっごい臨戦態勢の鎌切りがいる。
そういう視点にも気づかされるし、
本当に尊敬するというか、僕にない能力、僕になさすぎる能力なので、
そこを目指したい気持ちももちろんあるんですけど、
若干諦めているんですよね。
そこを目指したいというのは言語化したい欲はもちろんあるんですよ。
多分今この僕の思いも言語化できてないんですけど、
それと反対に言語化をしてしまったせいで、
僕が言語化できずにいることを言語化してくれたおかげで、
確かにそういうことだってなるんですね。
ありがとうございますってなるんですけど、
全く一致してるかどうかが分からないというか、全く一致してないんですね。
なので、確かにそうかもしれないって思うんですけど、
僕じゃない人の言葉で僕の考えていることを言語化してもらったときに、
確かにそうかもしれないってなるんですけど、
それに似た何かなんですよね。
だから80%とか90%とか60%ぐらいの時もそうありますけど、
それぐらいは確かに合ってるんですけど、
合ってる間違ってるっていうよりも、
僕が全然言語化できてなかったものをすごく固めてくれて、
他の人にも伝わりやすいような形に整えてもらったときに、
だから言語ができない僕からすると、
言語化してくれてありがとうっていう気持ちはもちろんあるんですけど、
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本当はそうじゃないっていう思いもあるんですね。
で、これってなんでしょう、
言語化どれだけできるかっていうのはもちろんグラデーションですけど、
あらゆるところであると思っていて、
持っているんですけど、
例えば直近で嫌だなって思っている人、
今の日本の形というか日本の国のあり方になんか嫌だなって思っている、
その部分をそうじゃない、本当はそうあるべきじゃないとか、
本当はそうじゃない形で言語化してる人に対して、
すごい吸い寄せられてる気がするんですよね。
吸い寄せられてるというか、
僕が感じた本当はそうじゃないけど、
まあ確かに言われてみればそういう感じなのかもなっていうのの、
もっと本当はそうじゃない版。
だから何か嫌だと思っていることに対しての解決策が、
自分が言語化できなかった分、できなかったことを言語化してくれてありがとうっていう思いは確かにあるかもしれないんですけど、
何て言うんでしょう、
やり方として180度とは言わない100度ぐらい間違っていることに対しても、
私僕そう思ってたんだ、そう答えて、そういうふうに発信してくれてありがとう、あなたのことを信じますってなっているように見えるんですよね。
それって言語化できる人が言語ができない人よりもその言語化する能力においては火出てるっていうのはもちろんそうなんですけど、
なんかすごい発信力とか言語化力とかを持った人の言葉をどれだけ信じていいかっていうのは、
自分の言語化できる能力とは別で、
あの人は私が考えていることを僕が考えていることを思っていることを言語化してくれてるって思いすぎない方がいいんじゃないかなって思ってます。
まあなんかそれで思って本当の本当に思ってたとしても、
その解決策を疑うことだったり、その人が言ってる他のことも無理に信奉しなくてもいいと思いますね。
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だからあの人は言語化がすごい得意だからこうに違いない。
僕が言語化の能力がなさすぎるが故に言語化してくれる人ありがとうとか言語化ちゃんとできてすごいなってよく思うんですけど、
それと同時にその疑いの心も持ちたいなって思ってるって話ですね。
てことで最後まで聞いていただいてありがとうございました。
じゃあまた次回もガンガンカッコつけていきたいと思います。
じゃあまた次回。