1. とらえろ!in the sky
  2. ep110.5とらソロ回「生かされ..
2025-08-31 22:20

ep110.5とらソロ回「生かされている」 #8月31日の夜に

spotify apple_podcasts youtube

高円寺とらんぽりん店主ソロ回

「とらえろ!in the earth」#とらアス 

https://linktr.ee/tolaerointhesky

 

#8月31日の夜に

https://www.nhk.jp/p/ts/99V13GPQQV/schedule/

 

 

 

『僕の卒業』

作詞:風太郎(とら)

2007年作

 

「いい天気で良かったね」

 

ホントだよ

ようやくこの道とお別れできる

 

ただなんとなく通ってた通学路

他に行く所も無かったから

 

寂しいねとか言ってるけど

どうせ今日っきりの人もいるんでしょ?

 

あの憎らしい笑い声とも

吐き気がする笑顔とも

今日でバイバイ

 

きっと僕の存在は消されてく

そして僕も消してゆく

 

「最後に写真撮ろうよ」

突然声をかけてきた

君はクラスのムードメーカー

 

この3年で僕はすっかり

愛想笑いが上手くなったよ

 

部活の後輩から貰った花束

帰り道に捨ててきたかった

 

それでも僕は捨てずに帰り

花束を親は喜んでいた

 

ごめんね

本当は学校が嫌で嫌でしょうがなかった

 

それでも僕は言えなかった

あなたたちを困らせたくなかったから

 

母さん僕は東京に行くよ

そしたら僕に困らなくなるでしょ?

 

 

 

#とらアス 側のお便りも待ってます📮

https://forms.gle/4TpdfKrtAiYys3f6A

サマリー

ポッドキャストのエピソードでは、8月31日の夜をテーマに、10代の悩みや生きることの辛さについて語っています。過去の経験を通じて、現在は人生を楽しむことができるようになったことも述べられています。このエピソードでは、友人の思い出や人との関係について考察し、人生での視野を広げることの重要性が強調されています。また、幸せの探求やポジティブな視点を持つことについても触れられています。

8月31日の夜に
高円寺とらんぽりん、店主のとらです。とらのソロ回とらえろin the earth エピソード110.5になります。
久々のソロ回を撮っていますが、配信日は8月31日になっていると思います。
SNSでね、あの吉村ジョナサンという、もうこのポッドキャスト始める時にやり方とか、いろいろそうあった人がいてね、
とらんぽりんのお客さんでもあるんですけど、8月31日の夜にをテーマに、ポッドキャストを配信しませんか?っていう呼びかけをしていて、
で、まあ僕ちょっと勉強不足で、8月31日の夜にっていうのをあんまり知らなくて調べたんですけど、NHKの番組で10代の皆さんが夏の終わり、
夏休みの最終日ですね。学校に行きたくない、生きるのがつらい、学校や友達、生き方に悩む10代にとって、新学期が始まるこの季節は憂鬱かもしれません。
そんな気持ちを語り合うという番組があって、それをテーマにどうですか?ということで、
僕も10代の時はやっぱりいろいろ悩んでたので、ちょっとそれを、自分のことを話してみようかなと思っています。
今回の配信は、人が亡くなった話とか、自分の生きるのがつらいっていう気持ちが当時あったので、そういう話をしていくので、
ちょっとそれを聞くのが今、テンション的にしんどいなとかそういう方は、配信は聞くのを無理なさらずにしていきたいです。
そういう時期を経ての、今43歳なんですけど、僕は今生きるのがすごい楽しいっていうところに行き着けたので、
まあそういう過去があったんだな、この人にもっていうのを思ってもらえたら一番嬉しいかなっていう感じで撮っていこうと思ってますので、よろしくお願いします。
10代の悩み
僕出身が北海道札幌市なんですけど、8月31日の夜にはあんまりピンとこなかったっていうのは、北海道って夏休みが8月20日くらいまでなんですよ。
夏休みと冬休みが25日ずつ、なんかトータルで50日で、多分関東とかの人は30日20日とか、なんか40日10日、冬休みがめっちゃ短いところもあるっていうのを聞いたことあるんですけど、
なので8月31日の夜にというのは、桃色クローバーのワニとシャンプーという歌の歌詞で、
8月31日が夏休みの最終日ってところもあるんだ、みたいなのを思った記憶が当時あったりして、って感じなんですが、
僕の10代は、やっぱりセクシャリティがゲイなんですが、中学くらいにもゲイなんだろうなーって気づいて、
すごくなんかゲイだということにネガティブな気持ちを持っていました。
みんなと違うんだっていうことをね、思ってました。
で、やっぱり親にも、女性と結婚して子供を育てるっていうのを見せてあげれないんだなーみたいなのを、子供ながらにやんわり思っていたし、
そっかーと思っていて、みんなと違う、なんか正常じゃない、そんな思いを持っていましたね、当時は。
これが大人になってね、なんか変なプライドとか変な自信とかがつくと、いや俺はなんか逆にみんなと違うのは選ばれてるんじゃないか、みたいなのを思ってた時期もあったんですけど、
今はね、そんな思ってないです。もう自分も何も変わんないっていうか、自分もみんなと変わんないっていうか、みんなそれぞれ変わってるなーっていうのを今特に感じているので、
これは本当に10代、20代、前半やっぱり2丁目に行く前にすごい悶々としてた時でしたね。
テレビで事故とか事件とかに巻き込まれた人のニュースを見ると、
なんかなんでこんな優等生の人とかね、インタビューとかですごく真面目な人で勉強もできて、みたいなのを聞くと、なんでそういう人がぽっといなくなっちゃって、自分は悶々と生きているんだろうって思ってました。
はい。で、高校を卒業してどうするかで、専門学校に行きたい、東京に行きたいと親に言ってみて、
これは僕はね、親がありがたいことに、多分、東京に行って一人暮らしたいってことをOK出してくれるような環境だったので、そこは本当にありがたいことなんですけど、
東京に行きたいっていうのも、やっぱりゲイだということに悩んで、まず親もと離れたいっていうのと、
東京ね、僕高校の時放送局に入ってて、当時その学校が結構強い学校で放送局の中ではNHKでやっているコンテストで番組作って全国大会で選ばれるようなところだったんで、
自分が携わったドラマも全国大会に選んでもらって、それで東京に来たりして、
東京、札幌も都会の方ではあると思うけど、東京の人の多さが尋常じゃなくて、
東京ってすごいなみたいな、こんだけ人がいたら紛れるかなみたいなのと、逆に言うとのたれじねるなみたいな、
東京に出てきちゃえば、あんまりバイト経験もほぼなくね、生命力が多分当時はそれこそネガティブだったのでなかったし、
友達も高校とかほぼ放送局の中での友達はいたけど、クラスの友達とかもできず、修学旅行とかであぶれちゃうみたいな、そういうのがあって、
逆に言うとそういう意味では決断が早いというか、周りに止める人もいない、親が大丈夫かなと言ってくれたけど、それでも
ちょっと行ってみたいんだって話をして、
東京に来ましたね。東京に来てから専門学校の2年間はほぼ芸活をせず、
高校くらいから父親のパソコンをね札幌時代にこっそり借りて、まだISDNとかADSLとか
そんな時代ですよ。だから多分すごいパソコン代がぶち上がっちゃっただろうな、当時は何も言わずにいてくれて本当ありがたいなと思って
それで、写真付き出会い系のサイト見て、本当に世の中にゲイの人はいるんだな、もう世界でゲイは自分だけなんじゃないか、みたいなのも思ってたと思う、当時は
あんまりね、テレビでもオスギースとピーコさんとかが出てて、でもなんかちょっとそこと一緒なのかな、みたいな、そこもわかってなくて
本当にそのゲイということにポジティブな感情が何一つ10代の頃はなくて
なんで正常に生まれれなかったんだろう、みたいなのを思ってました。 年とともにね、そんなことないのにねっていうのは
思ってはいるし、これは多分それこそそういう出会いが自分をポジティブに変えてくれたことではあるんですが
東京出てきて専門入って、専門卒業してから会社員になって、会社員時代からやっとゲイ活動をしだして
出会い系であったりとか、二丁目に飲みに行ったりして、本当にこんなにゲイの人っているんだ、みたいな
年もね、50代のママの店とかも行ってたんですけど、こういう方もいて、みんな楽しそうだったんですよね
その尾根言葉を使ったりとか、尾根言葉を使われると自分とはちょっと違う人なのかなって思うんだけど仲良くして
よくしてもらってたんで、そういう人の話を聞くと一緒かもみたいな、自分も私もすごい悩んでねみたいな
そういうのを聞いてて、みんなそういう悩みを経て強くなっていったというか
古いただせて、自分で自分を守るための尾根を身につけた、尾根言葉を身につけたみたいな人もいたりして
なんかすごく新宿二丁目っていうのは生命力にあふれている街であり、でもちょっと影もありみたいな
そういうね、そこに行き着くまでに時間もかかったけど、でも東京出てきたことでこうやってねいろんな出会いができたなぁと思います
札幌だとやっぱ地元ってこともあって、きっと鈴木野にも芸場があるんですけど、やっぱちょっとハードルが高かったかなぁみたいなのは思っていて
やっぱり高校までは自分のセクシャリティーのことを誰一人として言ってなかったので、友達もいたけど
彼女早く作んなよみたいな、まぁ実際彼氏もいなかったので、パートナーを作りなよって意味では心配をねしてくれてる人もいたけど、でももうそんなモードにもなれない
そもそもなんか、ゲイの彼氏作りはね、その一般社会だととてもハードルが高いというか
彼氏作り体力も当時は本当に、なんでゲイなんだろうみたいな、女の子好きになればいいのにって言って女の子を好きになろうとした時期もあったけど、僕はもう本当に
そもそものコミュ力が高くなかったので、そこまで女の子と仲良くなってみたいなのもできなくて
そんな時代でしたね、夏休み中に友達と遊ぶとかも多分してなかったんじゃないかな
だからこそこう、カメラ片手に一人で、札幌の観光施設とか、箱建てにバスで行って写真撮って帰ってくるとかそういうのをしてたんだよな
それが今の自分に繋がってはいると思うし、飲みに出れば友達なんてすぐできるよみたいなポジティブには思ってない
ゆえんみたいな、からこそ言えることがあるかなって今は前向きに捉えているんですけど、ちょっと明るくない
生かされているという思い
思春期を過ごしている身としては悩むよねーみたいな、ちょっと10代超えて20代30代も最近までなんですけど
僕はこう
結構仲良くしてた人に
先越されちゃうというか、親しい友人が亡くなってしまうことが
多々あって、今となっては人付けも多いし
トランポリンという飲み屋のお客さんとかもね多いし、そういう人と関わることが増えたからこそかもしれないけどそれでも
多いなって思うんですよね、同世代だったり年下に先立たれちゃったこともあって
本当それで参っちゃった時期もあって
自分と仲良くしたら
そんなすぐいっちゃうの?みたいな、自分は死神なのか?みたいな、それも中二病みたいで嫌なんですけど
でも本当に思った時期があって、これはもうみんなと仲良くしない方がいいんじゃないか?みたいな
ことも思ってました
今は思ってないけど、これ多分トライロー・イン・ザ・スカイ一緒にやってる、ミエ・イン・ザ・スカイが
私たちは生かされてるだけだからねって言ってて、当時はなんかちょっと
ん?って思ってたんですよ、なんかすぴってんな、みたいな
でも年々生かされてるという思いが僕も強くなってきて
生かされてるというのは、もう先に死んじゃった友達とかの話も
今はSNSとかこういうポッドキャストでもね、したりとか
こうその思い出を語り継げる存在にはなっていると思っているので
そうやって生かされているからこそ、僕は先に
次のステージ行っちゃった友達たちの話をしていきたいと思ってます
それが聞いててしんどいなって人もいるだろうし
やっぱ亡くなった人の話を
友達が多かった人が亡くなった時とか
SNSもバーって書かれた時に
やっぱ僕も知らない人だとしたら
なんか誰か亡くなっちゃったんだなっていうので
ちょっとこうしんどくなっちゃったりもする気持ちもわかるし
友人との思い出
だからこうね、難しいなとは思いつつ
ただそのね、すぐの時は結構感情的になると思うけど
こう時を経つと
その友達の話をする時に
亡くなった友達ってよりも
こういう素敵なところがたくさんある友達なんだっていう
一番最初に来るその友達の説明の時にも
亡くなってしまった友達じゃなくて
こういう人で友達が多くて
こういう時にこういう言葉をかけてくれた
優しい友達なんだよねって言えるようでありたい
っていうのがあって
僕がそのね、10代の頃は結構生きるのしんどいってなってたけど
今そんなに思ってないのは
そうやっていろんな人との思い出を
それからお若参りだって
そうだしそういうことをできる
自分の順番が来るまでは
そういうことをできる側でいたいなとは思っていて
今生きてますね
このポッドキャストを10代で聞いてる人は
間違いなく一人思いついてるんだけど
やっぱり見てる視野が狭いと
より自分って異常なんだって思っていたんですね
僕はそうやって東京出てきたりとか
二丁目に行ったりとかして
どんどん視野を広げていくと
あれなんか自分が悩んでたことって
みんな悩んでることなんだなみたいな
専門学校に行った時に
これは別に関係なく
芸とかを専門の時も当時行ってなかったけど
クラスメイトと飲んだ時に
ぶっちゃけ話しようよみたいな展開だったかな
そういう時にその展開の中では
かなり的外れだとは思うけど
いや僕なんか
なんで自分生きてるんだろうって
ずっと思って生きてるんですって話をしたら
え?なんかそんなのみんな思ってんじゃんみたいな
っていう結構軽く流されたみたいなのがあって
え?みんな思ってるの?みたいな
それ結構当時衝撃だったんですよね
僕やっぱり今もそうなんですけど
キャピキャピしてないっていうか
結構ネクラなのをずっと明るくもする気もない
みたいな生き方をしていて
やっぱそう
え?なんか全然俺もそういう時あるよ
死にたい時あるよみたいなこと言ってる人は
めちゃめちゃムードメーカーで盛り上げてる人で
こういう人もそういうこと思ってるんだ
だとしたら自分はちょっと頑張ってないのかな
みたいなのを当時思いました
これはでも頑張る頑張らないっていうのは
それも人と比べてしまってるからで
もっとできるだろうって
僕も若い頃思っちゃったんですよ
自分にも周りにも
でもそれってその人のキャッパーがあるので
それもまた視野が広がって分かったことで
それぞれの人間ができるキャパシティがあって
この人はこれがここまではできる
この人はこれしかできない
これしかできないって言い方あれですね
これとこれができる
これとこれとこれができる人と
これができる人みたいな
その差があること
人それぞれの差があることっていうのを
徐々に気づけていったというか
それに気づけただけでもね
とても幸せ者だと思うし
この自分が幸せじゃないかっていうことも
僕は幸せだと思いたいんですよね
ポジティブな視点
ご飯とか行く時も
マックスまずいご飯だなみたいな
のを思ってもなんか
食べれる大丈夫みたいな
自分の中でこう
まずいご飯を食べたって思わないように
まずいご飯を食べ
まずいなと思った時は
なんか別のこと探そう
でもご飯美味しくなくても
ついてるからダラダラできていいな
みたいなそういうその場面の
何か一つでもプラスを探して
なんか全部マイナスのことを探してると
やっぱめいっちゃうので
少しでもこういい方を探そうかな
っていう感じですね
今周りに気が合う人がいなくても
自分が動き回れば
気が合う人に
いつか出会えるかもしれないから
そういう宝探しを人生していければ
一番いいなって思ってます
これはTRFのボーイミーツガールの歌詞の一部です
そんな感じの配信にさせてもらいました
トラエロインジアースの方でも
ソラノ会の皆様からのお便りを募集しています
ソラノ会はこのポッドキャストを
聞いてくれているリスナーさんの総称です
概要欄のURLからお便り送ってみてください
ハッシュタグ
トラアスひらがなトラカタカナアスで
感想ポストしていただいても嬉しいです
励みになります
番組の最後なんですが
あの僕がその悶々としていた時期のことを
思い出して書いた
思い出してっていうか
この時期まだ悶々としてるな
えっと2007年に書いた詩があって
それをちょっと朗読して終わろうかと思います
恥ずかしいですけど
2007年3月31日に
ミキシのコミュニティに書いてますね
こんな時代もあったよと
そんなに変わってないんだけど
タイトルは僕の卒業というタイトルです
たぶん卒業式の日
もう東京に来るのが決まってる時とかのことを
思って書いたのかな
読みます
いい天気でよかったね
ほんとだよ
ようやくこの道とお別れできる
ただなんとなく通ってた通学路
他に行くところもなかったから
寂しいねとか言ってるけど
どうせ今日っきりの人もいるんでしょう
あの憎らしい笑い声とも
吐き気がする笑顔とも
今日でバイバイ
きっと僕の存在は消されていく
そして僕も消えていく
最後に写真撮ろうよ
突然声をかけてきた
君はクラスのムードメーカー
この3年で僕はすっかり
愛想笑いが上手くなったよ
部活の後輩からもらった花束
帰り道に捨ててきたかった
それでも僕は捨てずに帰り
花束を親は喜んでいた
ごめんね
本当は学校が嫌で嫌でしょうがなかった
それでも僕は言えなかった
あなたたちを困らせたくなかったから
母さん僕は東京に行くよ
そしたら僕に困らなくなるでしょ
当時は風太郎という名前で
詩を書いてました
9月1日ドアが重かったら
開けなくてもいいです
ドアを開けたくなったら
どうぞ行ってらっしゃい
開けれても開けれなくても
一緒に頑張っていきましょう
本日以上です
高円寺カフェ&バー
トランポリン店主のトラでした
ありがとうございました
22:20

コメント

スクロール