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たまここと今陽子がお送りする、毎日がちょっと楽しくなる3分フリートーク。
友人がフェイスブックでですね、「幸運の法則」という本を紹介していました。
面白そうなタイトルだなと思ってですね、読んでみようかなーとアマゾンを開いたところ、その値段を見てぶっ飛びました。
16,500円。すごい値段じゃないですか。これ、いや読んでもいいけど、どうかな、ちょっと古い本でもあるしね、なんていうことでですね、私はこの同じ著者の最新の本、それをとりあえず読んでみようというふうに考えました。
そこで、多気力、他人を喜ばす力、という本が去年かな、2023年でありましたので、とりあえずそれを買って読んでみました。
まあ、いい本だなと思いましたけど、その中にですね、強烈な一文がありました。
世の中は、操られる人と操る人の2種類しかいない、って言うんですよ。
操る人と操られる人。で、操る力というのが結局、他人を喜ばせる力だ、とおっしゃってるんですね。
まあ、確かに言われてみればそうかもしれませんよね。
他人を喜ばすのが上手な人って、他人が喜んで、じゃあこの人のために何かをしてあげようとか、協力しようとかっていうふうに人間だからなるわけですよね。
だから、他人を喜ばす力が強い人というのは、他人を操れる人だと、そういうロジックになっているわけで、それは間違ってはいないなというふうに感じます。
操るなんて言うと、なんかちょっと腹黒い人みたいな印象があってですね、言葉としてはどうなのかなっていうふうには思うけど、まあでも確かにそういう面はあるなというふうに思いますね。
操られる人でいる時って、操っている人を何か否定したりとか反論したりとかしにくいと思うんですよね。
かなりにその人に何か失礼なことを言われたりしても、なんかその関係性を維持しなきゃというふうに思うからか、それひどいですよねっていう言い返すということができないんじゃないかなというふうに感じたんですよね。
私、結構最近非常に失礼なことを言われたことが1回だけあるんです。で、その時に私は、は?と思ったけど、言葉を飲み込んだんですよ。
でもそこで、あ、私ってこの人に操られそうになってたんだなっていうことに、もし気が付けば、にっこり笑って何かちょっと反論することはできたんじゃないかななんていうふうに思ったわけですよね。
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いやー強烈ですね。世の中は操られる人と操る人の2種類しかいないって、自分がどっちなのかということについて、ちょっと振り返ってみようかななんて思いました。
今陽子がお送りしました。それではおやすみなさい。