2024-11-13 1:08:00

【インタビューLIVE12】バイオリニスト森裕美さん🎻

バイオリニストの森裕美さん(通称Sallyさん)をお迎えしたインタビューLIVEです。

⭐️タイムスタンプ

ご経歴
2025年3月15日のコンサートについて
なぜ音大へ?
毎日学生コンクール第3位
手は大きい方が良い
ご主人との馴れ初め
お嬢様のこと
バイオリン再開!
500人規模の会場でのコンサート企画の動機
音楽への初恋はいつ?
この道で生きていく決意はいつ?
練習中のリフレッシュ方法
可愛すぎるお孫さんについて
一番好きな曲など
Finale

子供は親を選んで生まれてくる
経験したことが音に出る
どれだけ苦労したかが音に出る
生きるとは、楽しむか、学ぶか
苦しい時は、学ぶ時
楽しくて続けていると、ご縁に恵まれる

など、印象に残る言葉を沢山頂きました。

ライブではお伝えできなかったSallyさんの2025年3月15日のコンサートは、
こちらからチケットをお求めいただけます。
どうぞご家族、ご友人にもお声がけいただき、今からご予定くださいませ~♡

https://teket.jp/8104/40936

Sallyさんへの沢山の応援、ありがとうございます。
00:00
毎日がちょっと楽しくなる3分フリートークということで、今日は番外編インタビューシリーズの、なんとこれ第12弾、厳密には13弾ぐらいになってるんだと思うんですけどね。
本日のゲストは、バイオリニストの森裕美さんです。いらっしゃいませ。
こんばんは、お邪魔します。よろしくお願いします。
こちらこそ。今ね、皆さんが続々とお入りいただいているようなんですが、
森裕美さんもありがとうございます。まずはですね、サリーさんのホームページだったかブログだったかにあるご経歴をね、私の方からちょっと軽くご紹介しようと思いますが、いいですか?
はい。
森裕美さん、大学時代のニックネームがサリーさんということで、私たちはみんなサリーさんと呼ばせていただいてますけど、
今日もサリーさんって呼んじゃっていいですか?
分かる人と、それで分からない人といると思うんですけれど、まあね、その方がね、いいです。
森裕美さんとかいうのにちょっと違和感がありますよね。
でもどっちでもいいんですけどね、サリーさんというのが森裕美さんの皆さんニックネームということで、ご理解いただければありがたいなというところでございます。
福岡県出身、そして福岡女子学院高等学校音楽科、それから東方学園大学音楽部演奏学科、バイオリンをご専攻でご卒業されました。
そして毎日学生コンクール西日本大会高校の部第3位を受賞された。
これはサリーさんすごいことですよね。
私ピアノをね、昔やってたんで、毎日コンクールに出ろ出ろとかね、それを出るためにどんだけ練習しなきゃいけないかってものすごい記憶にあるんですよね。
だからそこで賞を取るっていうのは、もう本当になんていうのかしら、音楽家として活動していくための投入門というかね、最初の一歩っていうかそういうふうに私は思ってたので、そこで3位に入るっていうのはすごいことだと思うんですよ。
いや、あの、単なる運だと思います。
もちろん運もありますけど、それも実力の地と言いますよね。
いや本当にね、これは素晴らしいことなんですよ皆さん。
そして、4歳よりまずピアノを始められた。
そして11歳からバイオリンを始めて、数々の名だたる先生方に支持されましたということで、
ご結婚を機に福岡から茨城へ移動じゃなくて、そういうのはなんだっけ、引っ越しを引っ越しされて、ということなんですが、
お嬢様がいらっしゃって、障害が終わりになるということで、障害者の認定っていうのを持ってたんですよね。
03:07
障害の区分みたいな、介護の区分っていうのが1から6まであって、
高齢者の場合は1から5なんですけど、数が増えるほど重いのね。
うちの娘は障害者の区分の中の、だと6まであって、6なんですね。
一番上ってことですよね。
本当はできることたくさんあるんですけど、
転換放射で急に倒れて、何回も骨折してるので、去年の6月は頸椎まで骨折とか、大変なことになったので、
車椅子生活で歩くときは両側着くとか、
食べるのも自分でも食べるけど、
割と半分は手伝うとか、トイレとかお風呂とか全部解除が必要なので、
そうなるとほぼ全解除になるので、6っていう認定になってますね。
それは大変なことですよね。
ということで、お嬢様がそういった状態になってしまったということで、
10年間は音楽活動を休止されていましたと。
2005年から、これはお嬢様が10歳ぐらいの時ですよね。
そうですね。
またバイオリンを再開されて、地元の茨城の森屋を中心に、
今は意欲的にコンサートを開催されているという、そんなサリーさんでいらっしゃいます。
そして来年の2025年3月15日土曜日ですよ。
スターツ大高の森ホールでコンサートを開催予定ということで、
これ来年の3月なんでね、あと5ヶ月後ぐらいになるわけですけれども、
ぜひぜひ皆さんお越しくださいということで。
ぜひぜひお越しください。とてもいいホールなので。
ここが大高の森ホール、これ最寄駅はどこになるんですか?
あのね、筑波エクスプレスの流山大高の森っていう駅がありまして、
秋葉原からだと25分ぐらいかな。
駅からすぐ直結なので、すごく行きやすいホールなんです。
なるほど、なんかね、筑波とか流山とか聞くと東京の人はですね、
遠いんじゃないっていうイメージを持っちゃうんですけど、聞きました皆さん?
筑波エクスプレスで秋葉原からたったの25分、これ余裕で行けるじゃないですか。
でも駅から直結なんですね。
06:01
これは皆さん行くしかないですよね。
ありがとうございます。ぜひぜひお待ちしてます。
今日はもうすでに35人の方が入ってくださってるんですけれど、
今聞いてらっしゃる35人の皆さん、3月15日土曜日、これ何時ですか?決まってます?
2時開演です。
14時開演ということなので、皆さんご寄ってください。
東京銀行の方はもう十分行ける距離ですよね。
というさりぃさんのご経歴を少しご紹介したんですけれども、
ちょっとさりぃさんのヒストリーから軽く触れさせていただきながら、
皆さんからも事前にご質問をたくさんいただいているので、
そんな順番で進めていけたらなというふうに思っておりますけれども、
そもそもね、女に行こうって思ったのはどういう背景からなんですか?
なんかあります?
私が行ってた女子高・中高一貫教育なんですけど、
高校に音楽科っていうのがあったので、
高校を普通科に行くか音楽科に行くかどうしようかなと思った時に、
私一番好きなの音楽だから音楽科に行こうかなっていう、
その時点でバイオリニストになるとかそんなことじゃなくて、
一番好きなのが音楽だから音楽勉強、一番勉強したいのが音楽っていう、
そんな感じですね。
なるほど。それで音楽科に行って、
大学を音大に行こうっていうのはやっぱり、
勉強が楽しかったからってことなんですかね?
他の勉強してないのでっていうか。
そりゃそうでしょ。
実際その音楽科の先生で、
芸大の学理を出た吉岡陽子先生っていう方が、
分析の授業とか音楽史の授業とかもものすごく面白かったんですね。
大学の授業以上に面白いくらいで、
同級生は今もうちの学年の何人かで吉岡先生のお宅にいて、
勉強会やってるなんていうのはこの間ちょっと聞いて羨ましいなとか思う。
その先生はすごく私の人生でまず印象に残っている方で、
でも音楽科に高校に行ったってことは大学も普通だよね。
他の選択肢を選ぼうっていう流れにはやっぱりなりづらいんだろうなっていうのは
イマジネーションできますけれどもね。
その吉岡先生っていうのは高校の時の先生ですか?
そうなんです。
あとは高校から九州交響楽団のコンサートマスターをしてらっしゃった
09:01
岸辺桃音先生って方にバイオリンを教えていただくようになって、
それで先生が出られる九州交響楽団の演奏会を母とずっと聞きに行ってるうちに、
すごくオーケストラが好きになって、
高校時代はバイオリンの曲は聴かなくて、
とにかくオーケストラの有名な曲をずっと聴いてましたね。
オーケストラが盛んな東宝学園に行きたいっていう。
あと小澤聖司さんがボストン交響楽団と一緒に福岡に来られたんですよ。
で、その時にうわーってすごい大感激して、
それで小澤先生がいらっしゃる東宝に行きたいみたいなのも、
東宝しか考えられません。
1個しか受けなかったって今考えたらすごい恐ろしいんですけど。
でもそれで合格するのは素晴らしいことですよね。
だからエチュードで止まったら落ちると思ってめちゃくちゃ緊張しましたよね。
エチュードって早い感じの曲ですよね。
曲以外にその時はコンシェルトとエチュードを弾くのが実技の試験でしたね。
東宝って2つあるんですけど、霧の方の東宝ですよね。
そうです。
さりさんが進学されたのは霧の東宝の方なんですけれども、
それでさっきお伝えした毎日学生コンクール西日本大会高校の部っていうところは、
高校時代にチャレンジしたっていうことじゃないですか。
そうです。
これどうでした?練習相当大変だったでしょ。
それがね、私始めたのが遅いし、
小学校5年から始めてピアノは割と弾けたんですよ。
耳が良くて手が小さいから、
あなたバイオリンに転校したらってソルフェージでお世話になった先生から言われて、
はぁーみたいな感じでバイオリンは始めることになってしまい、
でもやってみたら、バイオリンって最初特に大変じゃないですか。
自分の音程とかも聞きたくなくて、練習も1日20分ぐらいしかしなくて、
なかなか最初やっぱり上手にならず。
でもね、高校から着いた岸辺先生は、
生徒をみんな学生コンクールに出す先生だったんですよ。
それで一気に自分が今弾いてる曲よりずっと難しい課題曲をやることになって、
1から岸辺先生で、高2、高3とコンクール出たんですけど、
高2のコンクールでバッハの無伴奏、
そなたの一番の二楽章のフーガっていう難しいやつを初めて弾いたときに、
12:06
あまりの自分の下手さが嫌になって、
そこから、下手なのにがもう嫌だみたいな感じで、
コンクール前は朝5時40分から1時間練習して、
5時から?
5時40分。
なんで40分だったのか分かんないんだけど、
5時40分に起きれば1時間練習して、
ご飯食べて着替えて出かけられると思ったの。
朝1時間。
クリーさんなりの時間の組み方ですね。
で、夜も12時くらいまでとか練習して、
その時に先生からね、
こんなに上手になると面白いでしょとかって言われて、
そこら辺からバイオリンを一生懸命練習するようになって、
なるほどね。
これね、私の密かな疑問はですよ。
最初はピアノをやってたんですか?
手が小さいから、じゃあバイオリンにっていう話だったってことは、
やっぱりピアノよりはまだそこまで手の大きさは要求されないっていうことであってる?
と思ったんだけど、実は違って、
小さい手だとバイオリン苦労するんですよ、左手。
いっぱい動かすもんね。
広げなきゃいけなくて、
手が小さい上に私あんまり広がらないんで、
それですごいやっぱり相変わらず苦労してるんですね。
ピアノよりはまだバイオリンの方が手が小さかったらいいのかもしれないけど、
本当はバイオリンは広がる人の方がもう絶対、
指が広がって音程が安定するとか、
指に重音がつかめるとかね、いろいろあるので。
そうなんですか。
よくね、ピアノだと、
手を広げた時の指と指の間のところを切って、
指に長くするってよく聞いたんですよ、私。
痛ーと思うけど。
その話聞くけど、本当なのかな。
やってる人あまりいませんでした?
聞かないですよね。
なんか都市伝説っぽくない?とか思って。
そうなんですか。
実際にやったっていう。
本当にそう聞いてましたよ。
でも私はちょっとそこまでやるほどののめり込み度ではなかったので、
これはダメだわと思ったし、
そんな手術をするような勇気もないしっていう感じで終えちゃったんですけどね。
なんかよくそう話を出てましたね。
じゃあそれは都市伝説かもしれない。
分からない分からない。
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ちょっと周りの友達に聞いてみます。
いやいやいいですいいです。
もう私ピアノ専門家じゃないから。
ちょっと興味が湧いたので。
時間が本当に1時間だけなのでどんどんやらないと多分ね、
質問が全部終わらなくなっちゃうじゃないかという、
そういう恐怖に今日は駆られてるんですけども。
大学をお出になりましたと。
今のご主人との慣れそめを聞いていらっしゃる方がいたと思うんですけど、
これどこで、どのタイミングで出会ったんでしたっけご主人は。
私大学卒業して九州公共楽団のオーディションにちょうど会って、
それで受けて2人合格した1人だったんですけど、
もう4年目?5年目?4年半いたので、
その後半の最後の方にお見合いなんですうち。
主人も同じ福岡出身なので、
うちの主人の家族ってクラシック好きで、
主人の両親は合唱団で知り合ったカップルで、
うちの主人も昔ちょっと原宿の方のバロックアンサンブルっていう
合唱団の団長をやってた時期もあったりして、
みんな絶対音感もあって、クラシック好きっていうところで、
話が通じる、クラシックなんか全く興味がないって言われると、
縁はなかっただろうなって思うんですけどね。
だって自分が一番好きなものをふーんって言われるんじゃ。
そうですね。つまんないよね。
なるほど。今ご主人のお仕事ってどんな感じなんですか?会社員?
会社員なんですけども、一応定年退職後の再雇用で、
今年の12月には完全定年になるんです。
でも、ご結婚当初は転勤があるようなお仕事で、わりと動いてる?
ずっと最初は取り出にいて、会社のすぐそばなんですけど、
それからこっちの森屋に引っ越して、転勤。
最近1回、タイに不妊の話があったんですけど、
その打診があって、
返事をする期限が、うちの娘の生後1ヶ月の子ども病院の診察結果の翌日だったかな。
それで、この子なんかちょっと怪しいかもねっていうのがあったので、
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医療が必要とか何かの時を考えて日本にいることを選んで、タイには行かなかったんですが、
ずっとここにいます。
ということは、お嬢様が生まれた時からずっと会社員で働いていらして、
サリーさんが10年間音楽を休まなきゃいけなかったっていうのは、
その間、やっぱりお仕事がご主人はあったから、
お嬢様を、お一人でっていうのはちょっと違うかもしれないけど、
メインで見るっていう、そういう時代だったっていうことであってます?
そうですね。
そうかそうか。ご主人との慣れ添めお願いしますって、このぐらいでいいかしらね、回答としてはね。
ありがとうございます。
で、1995年の12月でしたっけ、お嬢様が生まれたとき。
そうなんです。
97年かな。
あれ、なんだっけ。
あれ、私に送っていただいためっちゃ長いヒストリーだと、
95年の12月って確か書いてあったよ。
じゃあそうだよ。
すっごい多くて。
娘の生まれだとしようか。
今年、29になる子なのでね。
なるほど。
これはね、ちょっと待ってね。
まず、お嬢様なんだけど、その上にお兄ちゃまがいらっしゃるんですよね。
そうなんです。
上の子は3歳8ヶ月上で、
3つ上なんだ。
ほぼ4歳上ぐらいかな、8ヶ月のね。
で、お兄様がいらして、で、現在もお兄様の方はご結婚されて、
そしてサリさんから見たら、お孫さんもいるっていう、そういう状態なんですよね。
で、お話戻って、95年にお嬢様が生まれましたと。
最初からいろいろ大変だったようにお聞きしてますけれども、
簡単に言うと、
どんなお子さんだったんですか?
簡単にって言っても難しいですけど。
簡単にがね、私の人生、音楽よりうちの娘のことの方が大きいので難しいんですけど。
生まれたときに、
普通に生まれたんですけど、ちょっと胎児化身になってて生まれて、
ふにゃっとした感じで生まれて、
体重も1910グラムしかなくて、
障害がありそうなと思ったのは、4ヶ月経っても首が座らないあたりから、
21:07
すごい不安になって、毎日いろんな、当時までインターネットなかったので、
本とか読みながら、いつまでに首が座ったら天井なんだろうかって、
そんなことばっかり考えて。
インターネットないか。95年。
そうですよね。
何か本を読むとか周りに聞くとかしか、情報収集の手段もなかったっていうことなので、
今と違いますもんね。
しかもこの家を娘が生まれる1年前に建てて引っ越してきてて、
近所付き合いとか友達がないんですよ。
もう何かね、一人で悩んでるみたい。
で、またね、うちの主人が生後4ヶ月くらいから、
海外出張だった。
アメリカに出張に行っちゃって、
だいたい首は座らない。
で、アトピーはひどい。
で、体重も増えないとかね。
で、中時炎で毎日、午前中病院で過ごすとかね。
何かそんな感じで、あの頃大変だったなぁと思いますね。
本当ですね。
で、その後に6ヶ月の時に初めて転換発作が、大発作が出て、
6ヶ月って小さな赤ちゃんじゃないですか。
そうなんですよ。
発作って言っても、何だろう、分かりました最初。
怖いですよね。
そう、転換発作って言葉で言っても、
いろんなタイプの発作があって、
うちの娘は複合型なんですけど、
ただかくんってするだけとか、
腰が抜けちゃったりとか、バタンって倒れるとか、
一番大発作って言ってるのは、
たぶん熱性痙攣っていうのと同じなんだと思うんですけど、
全身ガクガクになって、
本当に見てるのが辛い発作なんですけど、
それがいきなり来て、最初の時とか、
もう苦しくて体がエビぞりになって、
顔つきが変わっちゃって、
そんな小さい赤ちゃんがそうなってるわけですよね。
怖いよね。
なぜかね、救急車呼ぶんじゃなくて、
タクシー呼んでね、病院に行ったの。何でだろう。
入院して検査して、
薬を飲み始めたのは1歳ぐらいからかな。
それまでも病院の療育センターとか行ってたんですけど、
たまにしか行く、月に1回とか行くぐらいで、
24:01
何が変わるとかって思うと、
たまたまね、
ドーマン研究所っていうのがフラデルフィアにあるんですけど、
そこの、親こそ最良の医師っていう本を、
なぜか持ってたんです、私。
それは、障害のある子を自宅で訓練して、
回復させていくっていうプログラムが書かれてあって、
他に情報がないから、
家でできるならこれしかないみたいな感じで、
ドーマン研究所っていうのを始めて、
それをものすごくやったのは、
集中治療プログラムっていうのは2年間やった。
その前もたくさんのボランティアさんに家に来ていただいて、
とにかく1日中、機能回復訓練付けみたいな感じで、
倍率なんか低い、もう余裕がないんですよ。
そりゃそうですよね。1人でも無理ですよね、そんなのね。
ご飯作る暇もないじゃないですか、そうなっちゃったら。
ご飯はなんとか適当なものを作ってましたけど、
ご飯を考えるのももうちょっと、
気力がないかなみたいな感じでしたね。
ですよね。だってね、私なんかは娘1人なんですよ。
でも、その1人育てるのだってもうアップアップで、
仕事行って帰ってきてご飯作ってなんでいかんねんって、
もう本当に大変だったとしか、
あの時代は言えないかなって思っちゃいますし、
やっぱり今の世の中、皆さんだいたい共働きじゃないですか。
でも、2人でやるって言ってもそれでも大変だって、
普通に言いますよね。保育園に行って迎えに行って、
ご飯作ってとか大変だって。本当にそれは大変だって、
真実だと思うんですよ。だけどそこに輪をかけてね、
お嬢様がこういった状況だっていうことって、
めちゃくちゃご心配でしょうし、
そこに対するそういったトレーニングとか、
同盤研究所のやり方で毎日訓練するとかリハビリするとか、
いやそれはもう想像でしますよね。
どうしてやってこれたんですか?
どうしてってやっぱりね、なんかね、
なんていうのかな、
どうして障害を持って生まれたのかってわからないけど、
母としては、なんかこう、
私のせいでっていう言い方ともまた違うんだけど、
なんかね、母親として責任があるみたいな捉え方をしちゃって、
この子が私と同じことができるようになるまで私、
引けないってその時思ったんですね。
えーちょっと待って、つらすぎます。
そういうふうに思わなくてもいいんだろうけど、
27:01
当時の私はそういう思考をするタイプだったので、
ちょっと本当に、なんていうのかな、
ごめんなさいみたいな気持ちがうちの娘に対してあって、
だからアトピーもひどかったし、動けないと、
やっぱ私娘を見てる顔が全然笑ってあげられなくて、
うちの息子は、あの時は一人育てるだけで、
しかも私家で何人か生徒さん来るぐらいで、
専業主婦だったんで余裕があったから、
息子はね、よく笑う子だったんです。
でも娘はね、私がいつも悲しそうな顔してるせいか、
なかなか笑った顔を見ることができなくて、
最初かわいそうっていう気持ちがすごく大きかったのかな。
要はご自分を責めちゃったわけですよね。
将来のあるようにね、産んでしまってごめんなさいって。
そう。
いやー、きついわ。
そういう時にね、どうやって乗り越えたんですか?
座右の銘ってありますか?って質問が来てましたけど。
私ね、座右の銘ってなんだろうなーと思って。
なんかいろんなことはあるんですけど、
これっていうものは特にはないんですけど、
ちょっとね、何だっけ。
どういうふうに気持ちの持ち方を、自分の気持ちを維持してたんですか?
っていうようなご質問だと思いますけどね。
やるだけやってあげたいっていうことですよね。
もう私の満足で、私が償えるだけやりたいみたいな、
そんな気持ちだったかな。
でも転換になったのは、ちょっとね今、
飯田なんとかさんっていう、生きがいの創造っていう本がBHP出版から出てて、
その人がね、の本に出会った時に、
子供は親を選んで生まれてくるっていうような、
親を学ばせてくれるんだみたいな話が載ってて、
選んできてくれたんだと思った時に、
自分の視点が変わって楽になったっていうのかな。
私だけが引っ張っていくんじゃなくて、
一緒に頑張っていこうね、みたいな。
もしかしたらその体を選んで、私のところに来てくれて、
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チームとして一緒に成長していこうねっていうことなのかなっていう風に、
その時に思えたんですね。
その本に出会ったっていうことがすごく大きくて、
本読むこと好きなんで、やっぱりこの本に出会ってよかったっていうのが、
それぞれいろんな時期にあるんですけど、
うちの娘については、飯田さんの生きがいの創造っていう。
なるほど。飯田なんとかさん。
お名前わかんないけど、その方の。
アンビミニで出てたのをチラッと見た。
そうですか。
飯田さんという方の生きがいの創造という本に、
子どもは親を選んで生まれてきたんだよっていうことが書いてある。
それが支えになってできたかなっていう、そんな感じですかね。
そんな感じです。
わかりました。
それで本当に今、美奈子さん、お嬢様ね。
うん。
29歳だっけ、30歳でしたっけ?
今28で、今度もう。
はいはい。その人生28年間、
本当にこの小さい時からのいろいろなリハビリとか薬を飲むとかね。
あとまあ、骨が弱いって教えてましたよね。
骨折が何回もあって、そして大きな手術もありましたよね。
そういう親子共々、いろいろ試行錯誤しながら生きてこられたっていう、
そういう長い28年間を経て、今もお元気で?
最近ちょっと落ち着いたっておっしゃってましたけど。
そうなんです。この夏本当に周りの同じ通所施設の方が転換発作が多くても、
うちの娘はすごく安定してて、本当に良くなったねって職員さんからも言われてたんですけど、
今ね、実は台風が4つもいるんで、ちょっと調子悪くって。
台風が4つもあるとっていうのは要は、自然のね、天候で具合がすごく左右されるってそういう意味ですよね。
そう、うちの娘はね。他の方、そういう人もいるけど、全然気圧とかそういうの関係ないっていう、
その人によって何が誘因になるかは違うので、うちの娘は台風に弱いんですね。
特に台風。天気が悪い時に気圧が低くなると、私なんかも頭痛いとかってありますけれども、
それがもっと敏感でいらっしゃるっていうことなんですね。
33:01
そうなんです。
今朝もね、10時20分まで起きられなくて、それで目が覚めて大丈夫かなと思ってから、
お昼前に施設に送って行って、私ちょっと外の用事して帰ってきたみたいな。
なるほどね。なので、今はあれですか、お嬢様はそういった施設に通って、
そこではお仕事じゃなくて、何かそういう方向けの活動をするみたいな感じですか?
そう、生活対語っていう分類なんですけれど、
何か手作業をやったり、運動させてもらったりとか、
あとは施設の中でカレンダーを作って、
本とかおとといとかカレンダーを売る金庫版をやりましたとかって、
お釣りをこれ渡してねって言われたのを渡して、
なぜか金庫の上にずっと手を置いてきたみたいな。
真面目にちゃんとお金がなくならないようにって気持ちなんですよね。
ここは守ってますよみたいなことなの。
何かいろいろ話ができないんですけど、
転換の状態が悪くないときはいろんなこと結構よくわかってるんで、
心の動きがすごく表情や態度に出るんですけど、
それを職員さんたちがよくわかってくださって、
連絡帳に返ってきてくれるのを読むのがめちゃくちゃおかしくて、
よく爆笑してます。もう顔が目に浮かぶみたいな。
なんかね、そういうお話聞いてると非常に微笑ましい感じがしますけれども。
サリさんはそんな感じで10年間全くバイオリンに触れないで、
そしてお嬢様が10歳になったときにもう一回再会されてっていうことなんだけど、
再会されたときって、何かバイオリンに向かう自分って昔と違うなっていうことはありましたか?
やっぱりね、とにかく弾けるのが嬉しくて楽しくて仕方ないみたいな感じでしたね。
なんかその一旦自分で封印してたんですよね。
しかも封印を解く前には、なぜかピアノを遊んで弾き始めてて、
バイオリンはなかなかケースから出して、調弦してとかいろいろあるでしょ。
でもピアノ蓋開けたらすぐ弾けるから、大学時代に弾いてた曲とか、
あとは弾いたことはなかったんだけど、革命のエチュードを練習し始めて、
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自分の中に革命を起こすのか?みたいなことを思いながら、
ピアノをわりと弾いて遊ぶようになったときに、
うちの息子がね、お母さん、僕の卒業の前に学校でコンサートしてよって言ってくれて、
それで、なんで私が学校に乗り込むかっていうと、
同じ小学校の子たちで集まった少年サッカーのチームの6年生のときの、
うご学年代表とかやって、サッカーの男の子たちはみんな、
自分の子供みたいな感じがしてたんですよ。全員を応援してるみたいな感じで。
それで、うちの娘も、私、小学校は全部付き添いで行ってたので、
学校に私がいることが普通で、先生方も、でもね、面白い体験いっぱいできたんですよ。
修学旅行とか宿泊学習とか全部一緒にね、貴重な体験をね、いろいろできて、
うちの娘の学年の子も、全部私、親戚のおばさんみたいな、親戚のお母さんみたいな感じで思ってたんですが、
そんな感じで、私がいつも学校にいるのが息子も普通だったので、そう言ってくれたのかなと思って。
息子さんの小学校の卒業の時ってことでしたっけ?
そこで、バイオリンママ弾いてよっていうふうにおっしゃったから、
それを本当に小学校で卒業のお祝いにっていうことで弾きに行きましたというのが、再会のきっかけでしたっていうことであります。
そうです。
これは、しばらくやってなかったけど、でも本当に好きなことだからきっと、
弾けるのがすごい嬉しくて楽しいっていうのはすごくわかるんですけれども、
そこで自分の奏でるバイオリンの音色って、昔と違うなっていうのはありました?
まずは、楽器が鳴らないとかね。もう20分弾くだけで背中が疲れるとかね。
要するに、前とは違う、衰えの方が先にある。
そう!
ギャップとかハンディも10年弾いてないとやっぱり筋肉落ちてるし、感覚もやっぱりおかしいんですよね。
結構使いますよね、バイオリンってね。想像しかできないけど。
そうなんですよ。筋肉と感覚と弾くって一方ではアスリートみたいな要素があるので、
それはやっぱり10年走ってないサッカー選手って使えないでしょ。
39:05
そこがなって先だったわけですね。
ただ弾けるのが嬉しいっていうのと、下手になってるよりも弾けるのが嬉しいだったんですけどね。
でもそこって多分だんだんまた復活してくるわけじゃないですか。
昔のトレーニングしていたこともあるから、だんだん復活してきて、
そのだいぶ戻ったなっていう時って何かが違うとかってありました?
どこら辺でだいぶ戻ったと思えたかな。
でもね、やっぱり楽器屋さんとかに言われるんですけど、
バイオリンってその芸術ってやっぱりどんだけ苦労したかっていうことが表現に出るんだからって何回も言われて、
何も辛いことを経験していない人の音は届かないんだみたいなことを言われて、
それを言われる前から全部経験していることは音になるってずっと思ってたんです。
思い続けては弾いてるんですね。
自分がどう変わったかっていうのは、よりもうちの主人がやっぱり、
結婚してから弾いた曲とそれから20年以上経って弾いた曲全然違うねって言ってくれたことがあって。
どう違うっておっしゃるんですか。
やっぱり味が違う?味わいが全然違う?
年取ったらほら、誰だって若い頃の方がバリバリ弾けるけど、味わいは少ないかもしれないけど、
年取れば味わいは出てくるんですけど、より私なりの中ではね。
なるほどね。だからその経験したこと、それはもうまさにやっぱり一番多くの時間を費やしたことっていうのは、
美奈子さんお嬢様のお世話とかリハビリとか病院に行ったとかいろんなことがあるわけで、
それがやっぱりサリーさんのバイオリンの中には入ってるから、
だから多くの人の心を打つっていうことにつながるわけですよね。
これはもう納得ですね。
皆さん聞きました?経験したことが音に出る。どれだけ苦労したかが音に出る。
だから私たちは楽器をやってないとしても、やっぱりそういう経験したこと、
特に苦労したことっていうのが何か自分の表現するものに絶対出てくる。
それが味わいになってるよっていう、そういうことなんですね、きっとね。
42:04
そうなんです。なんか最近聞いたのが、生きてるって楽しむか学ぶかのどっちかで、
辛い経験をしてる時は学んでる時なんだっていう、楽しい学びもあるんですけど、
やっぱりね、振り返ってみるとあんな大変なこともあった、こんな大変なこともあったっていうのが、
その時はもうどうしようなんだけど、やっぱり経験できて良かったなって今ではどれも思ってますね。
なるほど。辛い経験っていうのは、学んでいる時なんだよっていうことですね。
確かに。すいません、私皆さんのコメントを全然追えてなくってごめんなさい。
生き甲斐の想像あんりみにありましたってありがとう、なごたくさん。
URL貼ってくださってるけど、これ飛べるんだっけな。ちょっと私も後で探してみますね。
ありがとうございます。あともうずいぶん遡ると、来年の3月15日皆さん行きますってたくさん入ってます。
ありがとうございます。
本当にありがとうございます。いやいやいや本当に名言が飛び出したなっていう感じですけれども、
ちょっとじゃあまた皆さんのご質問の方に行こうと思うんですが、
どこから行くのがいいかな。結構今度は音楽に関するご質問が多いかなというふうに思うんですが、
まずは来年その3月15日大きな会場で講座とやりますけれども、それを決意したきっかけとか思いとかってありますかってご質問です。
はい、えっとね、私ね、いつもね、ただ単に思いついちゃうんです。
思いつきの人?思いつきでやろうと思ったら申し込んじゃうみたいな。
そうやっぱね、もちろん思いついて考えるんですよ。でもなんかね、ひらめくというか、
今の自分にはちょっと無理でしょってことでも、なんかこういうことやってみたいっていうのが思いついたら、
もうあとはそれを実現するために、実現するまでには必ずすごい苦しむんですけど、
もうあとはやるしかないみたいな感じで毎回やってますね。
なんか思いついちゃったんですね。
思いついちゃったんですよ。っていうのが、いつも前使ってたアルスホールっていうのが、今週末しか空いてなくて、
しかもその抽選に行くのに、今年1月も主催コンサートアルスホールでやったんですけど、あれ4回ぐらい行ったかな。
なんかね、10人とかのくじ引きとかで何回行っても当たらなくて、それを9時に行かなきゃいけないのを、
45:10
平日だとうちの娘を連れて8時前に家を出るっていうのが結構ハードルが高くて。
それは大変ですよ。
そうなんですよ。だからなんかちょっとその大変っていうのもあって、
今度特別ゲストでまた素晴らしいチェリストに来ていただくので、
この町名さんっておっしゃるんですけど、町名さんのチェロを聴いていただくのに何もアルスじゃなくても、
もうちょっと大きいところでやりたいなと思って、
本当は今まで100でやってるから200ぐらいにチャレンジしたいところが、
隣ののばホールは1000人なんですね。
森屋にある中央公民館っていうホールは400なんですけど、
そこは何年か前に反響版とか立ってホール自体はだいぶ以前より良くなったんですけど、
ピアノが家庭用のサイズの小さいグランドピアノしかなくて、
やっぱりスタイリングがあるとか、いい楽器がいいピアノがあるホールでやりたいなと思って、
スターツ大鷹の森ホールを思いついちゃったんです。
サリさんってストレングスの着想ありましたっけ?
あります。
あれからできるんですよ。実は私もあるんですけどね。
着想あるのを思いついたら、あれとあれとこれをくっつけて、
こうしたらいいんじゃないかみたいなの出ますよね。
そうです。
マダマサゴさんそういうことですよ。
着想特急の車掌さんって書いてある人がいるけど。
そうそう。
コウイチさん。ありがとうございます。
なるほど。よくわかりました。
キャパ500だそうですので、皆さん来年の3月15日よろしくお願いします。
応援お願いします。
それからですね、もっともっとハイレベルを探求してしまう。
それはきっと恋のようなものと、サリさんが名言をのたまったと。
音楽への初恋っていうのはいつ頃でしたでしょうか?ってありますけど、
音楽への初恋はさっきの話だと、やっぱり高校とかですか?
バイオリンはね、つい最近まで苦しかっただけで。
母がクラシックが好きで、母の時代ってピアノがあるお家ってよっぽどのお金持ちだったので、
ピアノとかなくて、学校のピアノとかを放課後弾いてた人なんですね。
それでレコードを買って、私長女なので、私だけの時はレコードかけながら掃除機かけてたらしくて。
48:09
それで私が4歳の時にピアノを習いたいって言ったらしくて、もちろん自分は覚えてないんですけど、
もうそこら辺で音楽が大好きって思ってたんだったの。
ご家庭の環境ですよね。
お母様がそうやってレコードかけながら掃除機ってなんかおしゃれですね。聞こえるのかなと思うけど。
でもね、妹とかが生まれたら、そんなレコードとかかける余裕は全くなくなったって言ってましたけど。
でもそういうお母様だったから、そこからも影響を受けて、いつの間にか音楽が好きになっちゃったっていう。
なんかその時が初恋っていうことなんですかね。
そうそう。
はい、OKです。
あとはこの道でやっていこうと決意した、確信した時期やそのエピソード。
決意したっていうのはあります?バイオリンでやっていこうみたいな。
それがね、私ね、こんなこと言うと怒られそうなんですけど、バイオリニストになりたいって思ったことがなかったんですよね。
どんどん声が小さい。
音楽が好きなだけで、歌も歌うことも好きだったんですね。
で、大学の頃とか青年海外協力隊とかに憧れたり、
今だとアフガニスタンに行かれた中村哲さんのドキュメンタリー見てもう号泣したりとかで、
世の中を良くしたいみたいなことの方に憧れてて、
音楽っていうのはすごい自分にとって個人的なことだったんですよ。
しかも入った東宝学園が周りがもうめちゃくちゃ優秀でソリスト目指してるような方たちばっかりだったので、
その中でちょっと最初小さくなりながら、
でも学生時代、友達と仲良く過ごしてすごい楽しかったんですけどね。
レッスンは大変つらかったんですが。
だから九州交響楽団に入れたのも、私が辞めるまでオーディションがなかったので、
すごくタイミングだったし、コンサートマスターの先生についてなければ東宝学園とか考えなかったし、
九州交響楽団に入りたいとか思わなかったしっていう感じでね、
ご縁とかまるで導かれてるみたいにつながってるなっていうふうに今までのことを
見るとそんなふうに思って。
まあだから、
51:00
バイオリストになりたいっていうんじゃなくて、好きだから続けていたらご縁が寄ってきたっていう感じですよね。
そうですね。
あとは、音楽ってほら、
そうなんかね、私の中ではちょっとそう思ってたの。
例えばお医者さんとか教師とかの方が職業としては素晴らしいみたいに思ってて、
あとは例えば農業やってる方とかも職業としては素晴らしいみたいに思ってて、
うちの父がすごく田舎の出で、音楽は河原小敷のやることとかってよく言ってたんですよ。
え、え、え、まってまって。お父様がですか?
そうなん。うちの父はクラシックバンドをやってたんですよ。
クラシックバンドをやってたんですか。
そうなんですよ。
そうなんですよ。
そうなんですよ。
そうなんですよ。
そうなんですよ。
え、え、え、まってまって。お父様がですか?
そうなん。うちの父はクラシックとか全然興味がなくて、
本は好きでよく読む人だったんですけど、そんなこと言われてたから、
その職業としてこれを選ぶっていうことに自分の中でこう。
うーん。
そう、ひけ目っていうのかな。自分の職業。
もう一回言って。お父様はなんて言ってたんですか。音楽なんて。
河原小敷。
河原小敷。
いや、だからね、父の中ではそういうイメージだったのかもしれないけど、
でも実際やってると本当にお金に乗らない仕事なんですよね。
芸術系はね、難しいですよね。
本当に親も例えばレッスン代投資してくれたとか、
自分もとにかく学ぶためにどんどん投資してるばっかりで、
自分の出演料とかって本当に人に言えないぐらい、
え、たったそれだけなんですかっていう世界で、
もちろん超一流になったら素晴らしいんですよ。
でも超一流になるってことは、
本当にサンドのご飯よりも楽器が好きでもなれないような世界なので、
だから父の言葉はあれはお前にはそういう覚悟があるのかっていうことだったのかなって今は思えるようになって、
それだけ大変なんだぞっていう。
そうですよね、そうですよね。
えっとちょっと前にMさんが初めて聞いてくださっているということでですね、
急遽の方なんですね。
時々聞きに行くので嬉しいですってコメントくださってるんですが、
もっと急遽見ましたっていう。
急遽って言うんですね。
そうなんです、向こうではね、略して急遽です。
はいはい、ということで、
なんか今の話はマダムアサちゃん最上志向って入れてくれてるけど、
54:02
本当そうですね。
なんかストレングスで全部解説できそうな流れになってきちゃいましたけど。
はい、ありがとうございます。
えっとそうですね、そんなところで、
あとはですね、音楽系のご質問だと、
バイオリンの練習で疲れたときのリフレッシュ方法がありましたら、
ぜひ教えていただきたいですね、これはどうですか?
あのね、まずぶら下がり健康器にぶら下がるとか、
ぶら下がり健康器。
あとトランプリン飛ぶと、飛んでる間に空中でなんか整ってくる感じがあるんですね。
そうなんだ、やっぱり体を動かすっていう方法なんですね。
そうですね、あとストレッチポールを使って腕の付け根とか、
いろいろグリグリすると、なんか溜まったものが流れてくる感じがますね。
あとはうちの娘とハグするとか、文章と遊ぶとか、
あと外ウォーキングで歩くとか、本読むとか、
いくつもありますかね。
なるほど、ありがとうございます。
あとはですね、ちょっと大体全部できたかな。
ちょっとあの異色系の質問ですが、
シャリーさんのお孫さんはかわいすぎて有名ですが、
誰に似たのだと思いますか?
これは息子さんのお子さんですよね。
私、さっきお写真をこの質問のおかげで送っていただけたんですけど、
まあ、かわいいなんてもんじゃないですよ。
ちょっと劇団入った方がいいんじゃないですかっていうぐらい、
めちゃめちゃかわいいです。
まだ多分4歳ぐらい?
いや、まだね、もうすぐ3歳。
そうなんですね。
とにかくお目目まん丸で、もう食べちゃいたいぐらいのかわいい感じなんですけど、
誰に似たんだと思いますかって、どうですか?
お目目まん丸はママにで、
全体の雰囲気はやっぱパパかな。
じゃあ息子さんに似ているお孫さんってことですよね。
とにかく本当に愛らしい感じのね、なかなかいないですよね。
CMに出ても何の遜色もない感じがしましたけれども。
はい、ありがとうございます。
ご質問だいたい私もうらしましたよね。
忘れてないかな。
あとね、なんだっけ、
一番好きな曲はとか、
ごめんなさい、それが抜けてましたね。
ヴァイオリニストはというのがありますね。
さりぃさんが聴くのが一番好きな曲、
それからご自身が演奏するのが一番好きな曲、
一番好きなヴァイオリニストはどなたですかっていうのが3つですね。
えーとね、一番好きな曲ってね、
結構ね、オーケストラの曲だったりするんですね。
57:01
あのブラームスの一番のシンフォニーの修学章とか、
こないだのイベントで行った英雄の修学章も好きですし、
なんかね、ちょっとだけフーガが入ってるみたいなものが
割と好きだったりしますね。
で、自分のお葬式には、
自分が弾いたロンドンデリーを流してもらおうって、
もうずっと。
決めてるのね。そういうの大事ですよね。
そう、もうそれだけは決めてる。
で、演奏するのは、やっぱりね、
賞品よりそなたの方が物語になってて面白いので、
2枚目のCDで出したブラームスの一番のそなたや、
オーレンの一番のそなたも好きだし、
リハルド・ストラウスのそなたも好きですね。
はい。バイオリニストはどうでしょうか。
そうですね。これは色々変遷してきて、
中学の頃はパールマン、温かい歌心のパールマン。
で、大学の時は赤い精神性のオイストラフ。
で、オーケストラ時代は独創的な天才のクレーメルが好きで、
ずっと聴いてない時期があって、
バイオリンを再開したあたりからは、
オーギュスタン・デュメイがすごく自由で情熱的で好きで、
その次はギルシャハムが魅力的とか、
で、割と最近は繊細な表現をするアリーナ・イブラキモガとか、
楽譜の読みが深いイザベル・ファウストとか、
とっても自然に弾くジェームス・エイネスとか、
一番近いところでは、3月からアウグスティン・ハーデリッヒが
ものすごい集中力と情熱で圧倒されるなと思って、
そんな感じで、好きじゃないバイオリニストは聴かないんですよね。
買っても。
それはありますよね。
これはもういいと思ったら、それ単なる好みなので、
好きな人はかなりありとあらゆる集めるみたいな感じになるんですけど。
こういうのってあれですか、サリーさんだと何で聴くんですか?
レコードいっぱい持ってらっしゃるの?それとも何か。
CD買いますね。
でもこの頃はYouTubeも聴いてますけど、
YouTubeだとどうかするとコマーシャルなんか入ると、
もう最悪とか思っちゃうので、CDが多いですね。
ありがとうございます。
もうなんかあれですよね、そのバイオリニストの名前が
つらつらといっぱい出てきましたけど、
私はもうそういう方面さっぱりなので、
さっぱりわからない人ばっかりでしたけど、
ちょっと今度探してみようと思います。
はい。
ありがとうございます。
いやいや、だいたい網羅できたかなと思うんですけれども、
本当にね、サリーさんのヒストリーからちょっと皆さんのご質問まで
1:00:02
一通りお聞きできたかなというところでございます。
やっぱりね、障害を持って生まれてきたお嬢様に
最初はそんな風に生んでしまってごめんねっていう思いがあった。
だけどそれはやるだけやっていこうっていうことを
思われて、そして生き甲斐の創造という飯田なんとかさんという方の本の中に
親を選んで子供が生まれてきたんだよっていう一節があって、
それがちょっと励みになって頑張れましたっていうそんなお話でしたね。
そして息子さんの卒業式、小学校の卒業式の時に
ママが弾いていようと思ったんですけど、
ママが弾いていこうと思ったんですけど、
息子さんの卒業式、小学校の卒業式の時にママが弾いていようということで、
またバイオリンを持ったのがきっかけで現在に至っているっていうことですけれども、
とにかく弾けるのが嬉しくて楽しかったけど、
やっぱりアスリートと一緒で、
本聴室のところまで戻すのは結構大変でしたと。
でもやっぱり軌道に乗ってくると、
今までのいろいろな経験してきたことだってお嬢様と
もう月きりで24時間介護したり、
いろいろな薬を飲んだり手術もしたり、
もう本当に想像を絶する経験をなさってきたと思うんですけど、
そういった経験したことが全部音に出る。
そしてどれだけ苦労したかっていうことも音になって、
そしてそれがその人の音楽の味わいになってるよって。
20年以上経ってやっぱり昔と違うねってご主人もおっしゃったっていう、
めちゃめちゃいいお話をお聞きできたと思ってます。
そして特にバイオリニストになりたいと思ってたわけじゃなくて、
好きだからこうなんとなく続いてきたっていうことが、
さまざまなご縁に恵まれていて、
現在に至ってるんですよっていうようなお話もすごく印象的でした。
そんなところで、はいサリーさんありがとうございました。
もうサリーさんね、引き出しが多いので、
1時間でこれ収まるのは厳しいなってずっと思ってたんですけど、
なんとかちょっと2分ぐらいで開きにできそうな感じがしてまいりました。
ある方からはね、本当だったらこのライブの中で可能だったら、
生演奏してほしいなっていうご希望もあったんですけれども、
ちょっとそれは音質的にどうなのかなっていうサリーさんのご希望もあって、
今日は私、お音楽を流しながらサリーさんの演奏のCDを
ずっとかけながら今日のライブをやったんですけど、
これね難しかったどうしても音楽聞いちゃうんですよ。
いつもはこのスタイフの中に入ってる音楽から選ぶので、
結構もうちょっと小さめにしてたかなと思うんですけれど、
今日はねちょっと状況が違うのでね、
ちょっとどんな感じで入ってるか後で聞いてまた調整したいと思いますけれども、
1:03:00
でもね、いい音楽聴きながらこういったインタビューをご本人に伺うっていうのは、
またとない経験だったなっていうふうにも感じていました。
あれちょっとまた皆さんのコメントが飛んでしまった。
CDを流してのサリーさんライブすごく良いわって。
ありがとうるんさん。
それからサリーさんの声とても素敵です。
私もそう思います。
音楽家の人ってすごい柔らかいですよね。
そして艶のある声がいいなっていうふうにいつも思いますが、
お話が上手って入ってます。
CD流しながらのお話素敵でした。
良かった。ありがとう安さん。
優雅な音楽の中、娘さんの話、バイオリンの話も貴重な機会をありがとうございました。
こちらこそゆかさんありがとうございました。
本当に聞いちゃう。寝そうでしょ、朝ちゃん。
私ね音楽半分聞きそうになって結構今日大変でした。
いかんいかんそっちに耳が行っちゃうみたいな感じで。
だけどねやっぱりサリーさんにお話聞くんだったらこれ以外ないだろうと思って
ちょっと頑張ってやってみたところでございます。
なんかちょっと1回じゃ足りないなっていう感じなんで、
また機会があればね、ぜひこういった機会をまた設けたいなというふうに思いますが。
では、サリーさん何か最後に締めの一言ありますか。
ただ好きでやってきた人たちに、
ただ好きでやってきた人なんですけど、今はこの人生先何やるかなと思ったら、
私やっぱり娘や孫たちが私が死んだ後も安心して暮らせる世界であってほしいなっていうのが一番。
それはありますよね。
ですからね、もうサリーさんの1枚目のCDタイトル祈り、
これはご自身が将来ね、またお嬢さんより先に欲しいなっちゃった時に、
お嬢さんに聞いてほしいっていうそういう祈りっていう意味なんですよね。
それもそうなんです。途中からね、最初はそう思って企画したわけじゃないんですけど、
企画してる途中に、これは何かうちの娘のためにも作りたいなと思って。
なので、これからどっちかっていうと好きで弾いてた人なんですけど、
より音楽を届けて、社会がホッとする場所になるために演奏できたらいいなと思ってます。
全く同感でございます。
やっぱり自分の得意なことで世の中に貢献するっていうのが一番あるべき姿なんじゃないかなって私も思っていて、
まさにサリーさんはそこをやってらっしゃる方だなっていうふうに思っています。
CDもしかしてと思いながら聞いていました。
様々なお話を聞かせていただきありがとうございましたと、
ちょっと名前が私背景が、あ、キーさんだ。ありがとうございます。
1:06:00
サリーさん素敵なお人柄が感じられました。
小田猫さんありがとう。
サリーさんの願い心に響きます。
本当ですよね。楽しく聞かせていただきました。
ありがとうございます。
途中うるうるしながらって、
なごたんくさんありがとう。
素敵でしたって拍手がいっぱい入ってます。
これからのご活躍ますます楽しみにしています。
るんさんありがとう。
そらまめさんもありがとうございます。
ちょっとね、皆さんのコメント読めなかったかもしれません。
ごめんなさい。
でもね、サリーさん今80人聞いていただいてるんですよ。
あ、そんなに?
ありがとうございます。
今日はちょっと半分サリーさんのCDの曲に耳が行っちゃって、
ちょっとチャレンジングな感じでしたけれども、
名言も飛び出しました。ありがとうございます。
ということでまた機会があればサリーさんやりましょうね。
はい、ありがとうございます。
そして来年3月15日のコンサートを皆様ぜひお運びください。
ありがとうございます。
ということでこちらでお開きにしたいと思います。
皆さん聞いてくださった方々ありがとうございました。
サリーさんありがとうございます。
皆さんありがとうございました。
それではおやすみなさい。
おやすみなさい。
01:08:00

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