2024-02-02 1:03:01

【インタビュー1】訪問介護ヘルパー&家事代行のあんこさん❣️

90名もの皆様にライブでお聴き頂きました。
ありがとうございました。❤️✨
ライブ中に頂いたコメントも沢山!
嬉しかったです。
その全てにリアクションできず、
申し訳ありませんでした。
サポートして下さったサラダさん!
他の皆さん!ありがとう!
感激です。

https://ripple0568.net/ass/
👆あんこの家事サポートサービス

#あんこ #介護福祉士 #訪問介護 #訪問介護ヘルパー #家事代行 #家事サポート

00:00
8時ちょうどから始めます。予告どおり、あれだね、花頭さん一着だね。
特等席。
すごい。さすがですね。さすがですね。
レンさんも遊びに来てくださって、ありがとうございます。
あ、陽子さんだ。ありがとう。
ありがとうございます。かおりさんもありがとうございます。陽子さんもありがとうございます。
ね、嬉しいです。あ、羊のエミリーさん、ありがとうございます。
ウェストさん、ありがとうございます。
あ、こちょうさんだ。
こちょうさん、初めまして。
めっちゃ緊張するね。
緊張する?
あんこさん、一人でライブやってる人が何を言ってるんだよ。
アテリマさん。
アテリマさんだ。こんばんは。
嬉しいですね。
皆さん、続々とお入りいただいてありがとうございます。
ちょうど20時になりましたので、始めていこうかなと思います。
今、陽子がお送りする毎日がちょっと楽しくなる3分フリートーク。
3分で今日は終わりません。
終わったら怒られてしまいます。
今日はスペシャルゲスト、あんこさんをお招きして、私がねほり、はほり、いろいろ教えていただこうと思っています。
さっそくあんこさん、よろしくお願いします。
たもこさん、ありがとうございます。遊びに来てくださったみなさんもありがとうございます。
ね、嬉しいね。
嬉しいですね。
今、27名ぐらいいらっしゃるんだよ。すごいね。
そうなんですか。
あんこ人気すごいな。
ありがとうございます。
めちゃめちゃすごい。
今日は本当にたくさんの方がお越しくださる予定なんですよね。
だから皆さんのコメントを追えないかもしれないんで、追い切れないかもしれないんで、もしそうだったらごめんなさいということで。
はい、でも皆さんチャットでね、ぜひ合流をしていただけたらと思います。
すごいよね。このライブやってて、チャットでみんなが合流する文化っていうのはさ、すごくスタイル独特のものだよね。
そうですよね。
リスナーさん同士が挨拶できるんですもんね。
そうそう。
これまた楽しいんですよね。
そうなんですよ。その文化って、でもなんかすごくいいなと私は思っているんですけれども。
いいですね。そこで広がりますもんね。
音声大丈夫ですかね、皆さんね。ちょっとライブは私あんまり慣れていなくて、若干心配だったんですけれども。
ガイさんがいらっしゃいました。ありがとうございます。
ガイさんこんばんは。嬉しいですね。
続々と皆さん入ってくださって。
すごいですね。
31人ぐらいに今なってるかな。
そうなんですね。そっかそっか。田岡さんわかりますもんね。
03:00
そうなんです。ということでね、今日はあんこさんのスペシャルインタビューということなので。
いつもの自分の放送の時のBGMはあんこさんじゃないなと思って、まずBGMを探すところからやりました。
これで合ってるかどうかはわかんないけど、私的には。
明るくなりますね。
BGM意外と大事ですよね。
私ね、使ったことないんですよBGM。
あんこさんそうですよね。
いつも何かかかってますもんね。
なごたくさんありがとう。音声大丈夫ですね。
なごたくさんもありがとうございます。
皆さん本当にありがとうございます。
なんかね、あんこさんって言うとやっぱり皆さんがおっしゃってたみたいに笑顔が素敵とか、家事代行や介護って言うとさ、あったかい感じじゃないですか。
なので、ゆう子さんがBGMかわいいって言ってくださってるけど、なんかあったかいのだなって思ったんですよ。
だから、ボラボラっていっぱい入ってるじゃない、スタイルも。
その中でいろいろ選ぶのも私には楽しい時間でした。
そうですよね。この背景もね、ふうかさんが作ってくださってね。
すごくかわいくて。
めっちゃセンスいいからね。
ぱっと特徴をつかんで、その人に一番合ってるのをね、いつも作ってくださるっていう。
キンドル本の表紙とかもすごくいろいろなの、いろんな人が作ってらっしゃいますもんね。
なんていうことなんですけれども、今日の主役はあんこさんということでですね、私が事前にちょっと教えていただいたところをまず話させていただきますね。
あんこさんって訪問会のヘルパーと今は家事大会っていうことですよね。
で、そのヒストリーですけれども、学校でまだ学生の時代に、会社さんでアルバイトをしてましたと。
で、そのまま。
時給が良かったから。
時給が良かった。
時給が良かったから。
で、そのバイト先にそのまま就職して、しばらく会社さんで働いてたんですよね。
そうなんですよ。歯科女子をやっていまして。
ね、それ私初めて聞きました。
で、その後、学童保育の指導員なんかもなさってたんだよね。
そうなんですよ。子供たちね、放課後の居場所を作って、5年ぐらいやってましたかね。
結構楽しかったです、それも。
そうですね。
そんな感じの経歴で、その後また色々あったんだけれど、30歳の時にお母様が倒れちゃったっていう話でしたね。
そうなんですよ。なんかお友達と食事をしてた時に、脳梗塞というか仮脳梗塞で倒れてしまって、
06:01
で、たまたまお友達が看護師さんですぐ応急処置というかなんかやってくれて、
まあ麻痺にはならなかったんですけど、そこからどんどんどんどん色んなところが悪くなり、
それをきっかけに、ちょっともう母の介護は多分しなきゃいけないんだろうなと思って、
ヘルパーの資格を取りました。
あっ、そうだったんだ。お母様がそういう状態になられたから、
なんだろう、自分がやらなきゃなっていう感じなの?
そうですね。きっかけは母ですね。
それで資格を自分で勉強して、ヘルパー、ヘルパーっていうのはなんていうの?正式名称。
その時ね、ヘルパー2級っていうのがありまして、今はないんですけど、そういうのがあって、
何ヶ月か学校に通って、実習をしていけば取れるっていう資格で、ちょうどね、介護保険がスタートした時だったんですね。
学校に通ったんだ。
そう、働きながら通って、その時はね、本当にヘルパーがすごい募集っていう感じで、いろいろ優遇をされてですね、
今はないコムスンっていうところで就職して、
コムスンってありましたね。
コムスしてますか。
そこで半年働いたら、その授業料は免除しますよっていうのが美味しい感じだったんで、
もうそこにすぐ就職して、授業料はただというか。
そういうことだったんだ。
懐かしいよね、三宅さんも言ってるけど。
懐かしいでしょ。めっちゃハプリが良かったです。
なるほど。
解禁書を取ると、東京まで呼ばれて、
中正に行ってもらったりとか。
なるほど。そんなことがあって、ご結婚されて、出産もあって、
で、お母様は残念ながらいろいろ出てきちゃったんだよね。
そうですね。
長男出産するぐらいからかな。
だからそれで、介護をお母様のされて、
で、その後もう介護の世界に入っていったっていう感じ?
一度ちょっとやめてというか、ちょっと訪問介護ができないといってね、
子育てをしながらっていうので、熱が出たりとかいろいろで、
時間もそれができないなと思って、一回離れたんですね。
で、全ては母の介護をしながら、知的障害者の施設で働いてたんですよ。
施設だと自分が風邪をひいたり、子供が風邪をひいても、
なんとか他のスタッフができるんで、
ヘルパーはやっぱり一人だから、何かあった時に誰も対応できないので、
それはちょっとできないなと思って、
なるほど。
施設で働いて、その間に母を見送って、
何年かしてから、私やっぱりちゃんと、もうちょっとちゃんと介護したいな、
介護の仕事をしたいなっていうふうにふっと思って、
09:00
ふるすに戻り、今に至るって感じですかね。
なるほど、そういう経緯のあんこさんなんですけれども、
ちなみにね、ちょっと話をとるんだけど、
この介護の仕事に入るまでのあんこさんは、
片付けは得意だったんですか?ってことを聞きたいのよ。
全然ですね。
いつも母に怒られてるぐらい、汚い家だねって、部屋だねって言われて、
布団は、万年寝床って言うんですかね。
万年床?
布団とかもぐっちゃぐちゃで、足の踏み場もなくって、
母も片付けできない人なんですけど、いつも怒られてましたね。
あんたの家は、本当に泥棒が入ったような家だとかね。
それは何々?結婚した後の話ですか、今の。
今はね、独身の話で、
独身の話?離れて住んでたんだっけ?
独身の時は、一緒に住んでた。
一緒に住んでて、あんこさんの部屋が汚いって。
汚いって、もううるさいなと思って、
家を出て、友達とシェアハウスで3人で暮らしてたんですけど、
誰よりも汚い部屋で、私が。
そんな時代があったんだ。
もう明け日の部屋さっていうぐらい。
生農みたいな。
よくさ、ゴミ屋敷とかいうじゃない。
どんな感じなの?
例えばさ、飲んだ牛乳パックがそのまま置いてあるとか、
飲みかけのものが置いてあるとか、
食べかけのものが置きっぱなしとか、そのレベル?
そう、ペットボトルの途中のが置いてあったりとか、
とにかく後でやればいい、後でやればいいって。
ゴミも今だったらすぐ片付けるけど、
とにかく後でやろう、何でも後回しにしてたから。
いつも探し物してた。
いつも探し物してて。
で、3人の友達とシェアした時も、
私、すべて押入れに全部入れて、人が遊びに来る時は。
で、何事もなかったように。
本当そういう。
で、夫と付き合ってた時も、着てる時だけは中綺麗にして。
でも絶対押入れ開けないで、みたいな感じで。
押入れ開けたら、なだれが起きるってこと?
ダーって。
そうそう。
で、服とかも買っては捨てないから、どんどんどんどん増えてて。
ちょっとさ、その時の写真ないのかな?
見てみたい。
ないんですけど。
で、私、今のマンション引っ越す前はダンチだったんですよ。
ダンチって押入れがものすごく奥行きがあって、
いっぱいいれてて、引っ越し会社の人が最初パッと見て見つまりするじゃないですか。
で、あまりないですねって。
12:00
全部入れてたから。
押し入れ入れたら、わー!みたいな感じで。
お互いに笑いで、いや、実はここに。みたいな感じで。
隠してあったんですって。
そうそう。で、夫もあまり言う人ではなかったので。
思ってたかどうかわかりませんけど、別に。
絶対綺麗にしろとか、そういう風に言わない人だったので。
信じられないですよ。
本当です。
本当に。
それ本当あの。
信じられなかったし。
申し訳ないけど、ゴミ屋敷に近い状態ってことだよね。
そうですそうで。だって実家がそうだったから。
今、兄たち実家で暮らしてますけど、兄たちもゴミ屋敷ですね。できない人。
ひえー。
ひえー。
そのあんこさんがですよ。
なんで片付けようって思ったの?
あのね、でもやっぱ常にさ、雑誌とか見ても、そのとき、結婚したてのときにインスタとかあんまりなかったから、ネットとかあんまりいなかった。
雑誌とか見るとさ、きれいな家とか見るとさ、私もやりたいとか、そういう本を買っては、買って満足して、
できないわーってきて、あんなの特殊な人だわーみたいな感じで、やっぱ住む世界が違うわーみたいな感じで、私は私でいいわーみたいな感じで。
なるほどね。雑誌だときれいな家いっぱい出てますもんね。
なりたいなーって思っても、私には無理って思っちゃったっていうのの繰り返し。
悪態をつくんですよ。
悪態?
私、髪持ってるからだよとかさ、言って。できないことをすごくね、ぶちまけてました。雑誌とかで。
でね、雑誌とかに出てくる奥さんがまた、
それさ、別人じゃないの?今のあんこさんからさ、想像できないんですよ。
だってさ、みんながね、笑顔が輝くあんこさんの秘訣を知りたいわっておっしゃってるのよ。
そのあんこさんが悪態つくなんて。
悪態ついてましたね、いつもね。
そんな悪態つく、なんで私、こうなのよ、どうせできないわよ、みたいな状態が、なんでスイッチ入ったの?
なんで、あのね、子供が生まれてから、子供にこのまま背負わしちゃいけないなんて、汚い家が当たり前だと思っちゃダメなんだって思って。
子育ての本とか、いろいろ見てると、やっぱり地域っていうか、片付けができる子は頭がいいとか、よく寝る子は太らないとか、いろんな雑誌とかに書いてあって、
自分だったらどうでもいいんだけど、子供のことになると、子供のためにいろいろやらなきゃって。
やっぱ太らせたくない、頭悪い子にしたくないから夜を早く寝かせたいとか、ご飯もちゃんと作んなきゃとか、
15:00
自分のことはさておき、子供たちにはすごい力が出ますよね。
もくさんもきっとそうだと思うんですけど、子供のためならやらなきゃって。
このくちゃくちゃでイライラしているのを子供にぶつけちゃいけないとか、いろんなことを子供のこと考えたらこれじゃいけないと思って。
いろんな人のアメーバブログを見てですね、いらっしゃるのは広島の秋子さんとか、
大阪の石坂京子さんとか、いろんな人の今でも活躍していらっしゃる方とか、
片付けのブログとか本とかガーって読んで、自分なりにやるんですよ。
でもやっぱり本を読んでも結局できないんですよね。もともと綺麗な家に育ってないから、わからないんですよ。
それこそ本真似さんのときめきとかも意味がわかんなくて、何回も読んだんですよ。
あの人シリーズありましたよね。シリーズも読んだんだけど、畳み方とか一生懸命やったんだけど、結局いつもできないんですね。
で、講演会とかも行っても、私はやっぱり片付けできないんだって、自己肯定がもともと低いんで、
そういう講演会行ってもずっと泣いて終わりっていう、そんな感じだったんですね。
本当に広島とか行ったりとか大阪行ったり東京行ったりとか、それこそお金いっぱい出してですね、追っかけですよ。
その先生の話を聞いてすごくメモするんだけど、いざ自分の家に行くと実践できないんですね。
なので、本当に自己肯定感が低いので、もう本当にできないんですよ。またできない。
で、ケースを買っては収納ケースって買ったら買った時にまた場所を取るから、全然余計狭くなっちゃって。
あ、言われた通りに収納ケースを買ったけど、かえって場所を取って汚くなるってそういうこと?
場所を取ったり、だって結局さ、捨てたいからさ、ダメなんだよね。
確かに。
で、何回もリバウンドですかね。すごいリバウンドばっかりって。
で、また悪端つく。かなり悪端ついてました、いつも。
あんこさんにもそんな時代があったんだ。
ありました。
相当イライラしてる感じですよね。
相当イライラしてて、介護って先が見えないんですよね、母の介護でしたけど。
子育てってある程度したら子供が成長するから手が離れるけど、介護って特に家内の場合は自分も感情が入ってしまうし、
母はすごい学校の先生でものすごくしっかりしてた人なんですよ。
はいはいはい。
厳しくって。で、私は父を早く亡くしてたから、もう叱って、だからってバカにされないように私はものすごく…
18:01
頑張ってらしたのね、お母さんはね。
そうなんですよ。今、母があるから今あるんですけど、すごく嫌で、勉強もできないし、兄たちは勉強できたんですけど、私はできないし。
で、母はね、学校の先生もやりつつ、母子家庭だからいろんなことやってたんですよ。
内職したりとか、洋裁の学校の先生やったりとか。
相当忙しいね。
洋裁を習わせたかったんだけど、私も全然不器用で、全然できなくって。
母のね、気持ちに応えられない不良娘でしたね。
それでまたイライラして。
私はなんでってか。
よくも悪くも、母の言葉ってダイレクトにくるじゃないですか。
母に褒めてもらいたいから、いろんなことやるけど、もう世に行かないし。
でも唯一、料理だけは褒めてくれたので、そこはすごい頑張ったんですけど。
そうなんだ、料理は上手にできるように当時からなってた。
できるようになったけど。
そうなんだ。
片方もぐちゃぐちゃだし、片見方も下手くそだし。
できたのは料理だけみたいな感じだったよね。
そうですね。
それがどこでできるようになったの?
どこでできるようになったの?子供のことですよね。
子育てしつつ、母のこともしつつ、やっぱり片付けをきっちりやりたい、きれいに暮らしたい子供に、
穏やかにリビングで過ごしてほしいとか、いろいろ考えてましたね。
できないけど頑張ろうっていうか、子供のためには頑張った。
頑張ったけどリバウンドして、何回も何回もダメで。
そんな感じで、ある日、筋力と一緒で、ある日何回もやりつつ失敗しつつ、
でも多分始める前より少しずつ一歩ずつ進んでたんですよ、亀のことじゃないか。
少しずつ少しずつできてきてたんですね、物とかも。
だんだんこれは必要か必要ないかって毎回問いかけをして、私全部いるっていう人だったんだけど、
それが、でもこれ1ヶ月も使ってないよなとか、だんだん少しずつできるようになったんですね。
いい言葉だね。
筋力と一緒。皆さん聞きました?片付けは筋力と一緒。
少しずつできるようになって、誰かの講演会で、手を動かせば必ず片付けはできますからっていうことを何回もおっしゃってて、
手を動かせばできると。
とにかく自分で何か1つ1個でもいいから、1日どこかでもいいから掃除したら綺麗になるとか、片付けできますとか、
21:06
何回も何回も教えてくれて、その人の講演も追っかけのように東京、広島などいろいろ行ってたんですけど。
何追っかけてたんですか、あんこさん。
行けば綺麗になれると思った。だから自分でやろうっていうより、行けばなるんだっていうアホな考え方をして。
なるほどね。行って聞いたらできるようになるんだみたいに思いますよね。
うん、できるようになる。
そうですね。だからこんな感じで少しずつ、本当に少しずつですよね。掃除をするとなんだか気持ちよくなってくるんですよ。
なるほどね。試行錯誤してイライラしてたけど、できてくると綺麗になるから気持ちが良くなるってことか。
そうなんですよ。
片付けの向こう側、誰だったっけな、私も先生の石澤京子さんが、片付けの向こう側、片付けが終わるといい景色が見えますよみたいなことをよく講演会でおっしゃってて、
それに何年かかけて頼りといたっていう。何年かかけて。
すごいね。
これでわかりますかね。
講演会、パヤチこっち行ったりっていうのって、何年くらいやったの?
何年くらい。子供たちが教育園児の時に、これはやばいって思っていろいろやりつつ、でも人が遊びに来ると全部ロシーレに入れたりとかして、結局全然掃除はできていなかったんだけど、でもスタイフ、じゃなかった、インスタに上げるようになってからですかね。
え?
だから2、3年前?3、4年前?
スタイフに上げるっていうのは、ビューティフルなお部屋のことでしょ?
ビューティフルな、あ、そっか、そうじゃないか。でも息子が中学生くらいだから、下の子が中学生になった時だから、普通もっと早くできると思うんですけど、5、6年はかかったと思いますね。
5、6年、足掻いて足掻いて足掻いて、やっとちょっとずつきれいになると気分がいいなっていうのがだんだんわかってきて、で、インスタに自分の部屋だとか、きれいになったよっていうのを投稿できるようになったのが、数年前ってこと?
そうですね。それで家族に伝染して、一男もすごくきれいになりましたね、部屋が。
伝染するんだよね、そういうのってね。
ちょっと、長男はまだまだなんですけど、でも、やっぱりどんどん伝わるんだなと思って、そうするとね、だんだんね、リビングでね、しゃべる回数が増えたんですよ。
うん、なんかリビングできれいに過ごしてほしいってさっきおっしゃったけど、なんかそこにみんなが集まるようになってきたっていう感じなのかな?
24:00
そうなんですけど、家族断乱っていうのができるようになったのがそうですね、子供たちが。
反抗期もあったけど、僕は5歳になってからか。
すごい道のりだったと思います、私、本当に遅くて。
このいろんなね、追っかけをしたり、セミナーをしたりね。
お金払ったか。
そう、いくら使ったの?
いくら使ったんだろう。まず、追っかけにはものすごく計算してないんだけど、計算すると怖いから。
あと、プロの方に来ていただきました。
10万くらいかかったかな。
自分の部屋、掃除してもらう?
家族、家を。
5万くらいかけて、10万くらいかけて。
でも、ああいう人たちってプロだから、パズルのように全部パパパパって入れるんですよ。
で、一見きれいになるんですね。
だけど、自分でやってないから、どこに何があるかがわかんないんですよ。
それ困らない。
後から、あれ、どこに入れてくれたの?って言って、めっちゃ探さなきゃいけない。
全部出しちゃってるから、戻せないから。
誰かもね、芸能人の方が言ってましたけど、プロの方、全部組み立てれるように、いろいろ掃除してもらっても、
掃除っていうか、組み合わせですね。
本の折り方とか。
それは困るよね。
だから、結局自分でやらないとダメなんです。
なるほど。片付けたっていうことは、もちろん10万円でやってくれたけれども、
それは自分では絶対にできないっていうことですよね。
だから、自分でできないといけないなって、そこでまた気がついた。
そうなんですよ。パズルですもん、本当に。
きれいにパパってやるけど。
そうだったんですね。
押し入れを開けたら、なだれが起きていた人が、5、6年かけて追っかけをやり、
10万円払って、家を片付けてもらったりして、やっと片付けると気持ちいいなってことに気がついた。
そうですね。
エルパンの時も、片付けをちゃんとやらなきゃいけないって最後は言われるんですけど、
本当にちょっと時間がない、ぐちゃぐちゃになったりとか、夜は悪かったですね、本当に。
時間オーバー、昔は今みたいに。
アプリで時間を正式に申請するんじゃなくて、紙だったんですよ、何時から何時って。
だから、いつも例えば8時半から9時までっていうのを、片付けが遅いから30分ぐらい時間オーバーなんだけど、
そこは請求できないから、30分でやりましたっていう、済ました感じで会社に出すけど、
実際開いてたっていう、夜は悪いから。
27:02
そうですか、じゃあその分これから取り返していただかないといけませんね。
そうですね。
写真を撮っておけばよかったですね。
本当ですよ。
今聞いても信じられない。
だって最近でも投稿してらっしゃるあんこさん家のキッチン、皆さん見てらっしゃると思いますけど、
何なんですかあれ、モデルルームっていうぐらい物がないし、本当にいつもピカピカ。
本当にびっくりです。
それでこれをね、仕事にしようって思ったのは、何かきっかけがあったんですか。
家事代行ですか、じゃなくてヘルパーをってことですか。
いや、今は家事代行、それも仕事にしよう。
これは確か去年の7月でしたっけ、始められたの。
そうですね、始めたのはそうですね。
私ヘルパーをずっとやりたいと思ってたんですけど、
みんなと一緒のヘルパーだったら多分生き残れないって勝手に思ってて、
自分の強みを活かしたいなっていうのを思っていたんですよ。
どれかがわかんなくて、たまたまスタイフのライさん、
さっきねいらっしゃったライさんの座談会っていうのに参加させてもらって、
そういう話を終えて強みをしたいんだったりっていうことを言ったら、
その座談会で、そういう家事とかやってみたらどうですかみたいな感じで言われて、
私もしかして好きかもと思って、すぐパラレルワークとして、
ベアーズって大手のところに就職したんですよ。
やったら、研修がめちゃめちゃ厳しかったんですけど、
全然私自分でクリアしちゃったんですよ。
研修中に辞めていく人とかもいて、こんな私できませんって言ってて、
その日に帰っていっちゃう人とかもいたんですけど、
私は時間内に掃除も終えたし、合格点をもらったんですね。
すごいね。お金を投資した意味があったね。
過去5,6年のもがいた成果がそこで出たってことじゃないですか。
そうですね。本当はまだ全然撮ってないんですけど。
そこでもお客さんにすごく褒めてもらって、
以上のことをやってくれるねっていうことをすごく言われて、
すごく気が付くねっていうこともすごく言ってくださったんですよ。
介護の現場ではない、家事代行に入ったお客様から。
なるほど。お願いした以上のことをやってくれるねって、
お褒めの言葉までいただいちゃったんですか。
そうなんですよ。あんまり褒められたことがなかったので、
それはすごく嬉しくて、介護の現場もやっぱり褒めるっていうよりも、
皆さん余裕がないから、そこまで褒めてくださる方あんまりいなかったんですけど、
30:01
家事代行ではお客様が本当に褒めてくださって。
ということはね、さっき強みを生かしたかったっていう言葉があったんですけれど、
あんこさんにとって家事代行をやるっていう、家事のサポートするっていうことは、
強みってことなんだよね。
そうなんだよね。ダダンカで入ったとき、
あ、私これ強みになるんだっていうふうにすごく思って、
自分でびっくりするからすぐ動いたんですよ。
ダメなときってものすごく自分で急ブレーキかけるんですけど、
いいときっていうか、ときはもうめちゃめちゃアクセル踏んじゃうんですね。
そこでバーンって動いて、自分でもびっくりする、バーンって動いて、
すぐお客様に担当して、
あ、これは強みなんだって褒められてもらって。
これってさ、例えば介護ヘルパーの方の仕事はずっとやっていきたいっていうのがあって、
ヘルパーだけだったら差別化できないから、人と。
だからそこに家事代行の強みを入れよう、加えようっていうことじゃなくて、
家事代行は家事代行でやるという考えなのかな。
そこら辺どうですか。
そこら辺がまだ迷うところなんですけど、両方あってもいいのかなと。
例えば高齢者の方のところに介護しつつ掃除できないんだったら、
家事サポートとして入ったりとか。
そこは迷い中。
迷い中ですね。
誰もできないことを自分の強みでいろいろやっていけたらいいのかなっていうふうに思っています。
そうね、そうね。
ライさんの座談会っていうのは私は出たことがないんですけれども、
どんなふうにおっしゃってたんですか。
ずいぶん前だから忘れちゃったんですけど、
もともとあんこさんが好きな強みをやったらどうですかみたいなことを言われて、
私はそこで家事代行だみたいな感じで動いたんですよ。
例えばいろんな話をしてくださって経験豊富なので、
私はやっぱり介護の世界しか知らないので、
話しててこれだって思って動いちゃったかなって思いました。
反射的にこれ行こうっていうそういうことですよね。
そうですね。
じゃあやっぱりあんこさんは好きだし強みなんだね。
家事代行っていうのはね。
そうですね。きれいになっていくのがやっぱり良くなりますよ。
気持ちいいですよね。
利用者様も嬉しいって言ってくださる。
それこそ今入っている方もお風呂がだんだん明るくなって嬉しいって言われたら、
33:03
もっとやりますみたいな感じになるし、
もっとやらせてくださいって思うし。
今日も訪問介護だったんですけど、
ずっと夜間が汚いのが気になってたんですよ。
夜間?
夜間。
大概ご高齢者の家って、こんなのくれたってわかります?
ジフじゃん。
前あったよね。
筒状のやつに穴が開いててそこからシュッシュッと出してゴシゴシってやるやつね。
あったね。
それを、じゃあこれちょっと使っていいですかって言って、
もう絶対全然使ってない、中が固まってる感じだったんですけど、
使っていいですかって言って、
夜間がこれできれいになるんですよって、
実験みたいなように見せて、こうやってやったらきれいになりますよって、
ピカピカになって、利用者様の顔が映るくらいきれいになって、
まあ嬉しいって言ってくれたから、
本当に気持ちいいですよねって、
二人してわーとかって言いながら、
ありがとうねって言ってくれて、
ちょっと気になってたんですよ、
今日時間があったからやりますねみたいな感じで、
自分で時間を組めるようになったんですね、
何分にこれくらいやればいいとか、
買い物もこれくらい時間があればすぐ買いに行けるとか、
毎回行くスーパーだと場所がわかるんですよ、
玉がここだっていうのが、
無駄な動きをしなくなるんですよ、
だから大体30分くらいに全部バーって買えるから、
今日は15分くらい余るなと思って、
帰ってきてからちょっと洗うねとか、
なるほど、
ピカピカになって、
スピードがすごいよね、あんこさんね、
手際がいい、
本当にすごいと思いますよ、
もう限られた短い時間の中で、
スタイフじゃなくて、
フェイスブックで投稿されてた写真の中でも、
本当に限られた時間の中で、
冷蔵庫にあるものでシャシャシャシャッと料理して、
もうほとんどこれってさ、
レストランの食事じゃんみたいな、
そういうレベルのものが出ていて、
その手際の良さっていうのも、
やっぱりさっきの暗黒の5、6年間から、
培われたノウハウなのかな、
これは多分介護の現場、訪問介護の現場でも、
ものすごく鍛えられました、
何分でしかやらないといけないっていうか、
ものすごく結構短い時間で、
いろんなことをやらなきゃいけないんですよ、
30分の間にご飯作って、
提供して食べてもらって、
航空ケアをして、
出てくっていうのが普通にあるんですね、
信じられないですよ、私絶対できるでしょ、
自信あるね、
もうだから入った時点で、
おむつとかも取りつつ、
タオルを濡らしてレンジに入れてから、
部屋に入るって感じで、
レンジに入れてる間に、
毎回チェックをするんです、
ケース測ったりとか、
ネタ測ったりとかして、
36:00
チンっていったら、
めっちゃ暑いじゃないですか、
3分くらいやると、
チンチンだから、
それをやったら、
やけどしちゃうから、
とにかく振って、
ある程度のいい温度にさせて、
顔を拭いていただくっていうので、
無駄な、
顔を拭いてる間にご飯を出すとか、
こんな感じで、
こんな感じで、
ものすごくテレパでやってる人は、
わかると思いますけど、
時間とかがかかりなんですね。
だから、そこで、
すごい気合いが入られました。
鍛えられたんだ。
なるほど、なるほど。
あの、今ね、
えっと、
もっくんさんっておっしゃるのかな。
あ、はい。
あ、ごめんなさい、
見てなかった、ごめんなさい。
いいの、いいのよ。
訪問介護は調理が苦手なので、
施設で働いていますって、
おっしゃる方がいて、
それってさ、そういうことなんだね。
訪問だと、
決められた時間の中でも、
ガッツリやらなきゃいけないことがあるけど、
ガッツリやらなきゃいけないんですよ。
でも、施設だったら、
そこまでの時間の決まりみたいなものがないっていう、
そういう違いなのね。
そうですね。
調理がないんですよ、施設は。
ね、もっくんさん。
なるほど、
そうだったんだ。
そうだったんですよ。
なるほど。
訪問介護はいろいろやらなきゃいけなくて。
はい、はい。
だから、あれだよね、
訪問介護っていう仕事も、
家事代行っていうのも、
なんか似てるというか、
重なるところがたくさんあるんだね。
あ、そうですね。
大手会社の家事代行で学んだ研修で、
さらに自分の中で掃除の気づきがいっぱいあって、
だからそれを訪問介護の仕事のときにやると、
えっ、そんなこともやってくれるの?
っていうふうに言ってくださるようになって。
なるほど。
勉強にもなりました。
そうだよね。
だからこれからどっちが軸足で、
どっちのスキルを生かしていくかみたいなところが、
あんこさんの今後の展開で、
興味深いところですよね。
どっちもできるんだもんね。
そうですね。
楽しみですね。
楽しみ。
うちに本当に一人、欲しいもん、あんこさん。
あ、あんこさんと来たり、
そんな綺麗な声でね、
いつもささやかれちゃったら、
うち働きますよ。
いやいやいや。
はい、何でもやります、みたいな。
いやいやいや、
それはさ、
例えば仮に声が良かったとしても、
うちなんかぐっちゃぐちゃだったら、
意味がないじゃないですか。
本当に。
全然気にせないで、
私は掃除できるのが嬉しいので。
そうか。
この仕事をして、やっぱり他人を家に入れるのが嫌だ。
介護の現場でも最初はそうなんですけど、
一般なんかに来てもらいたくないとか、
来てもらいたくないってはっきり言う、
男性の方とかもいたんですけど、
だんだん慣れてくるんですよ。
来るの待ってるみたいな感じで。
そうなるよね。
そうなんですよね。
初回こそそうやって帰ってけとか言う人もいますけれど、
あ、そんな方もいるんだ。
そんな方もいるし、
俺は頼んでないとか言って、
家族がね、心配で頼んだんですよ、みたいな。
そこはなかなか辛いよね。
そうなんだ。
39:01
なるほど。
なんかさ、いろんなキーワードが出てきましたけれども、
あ、そうですか。
汚かったところが綺麗になるところが、
気持ちいいっていう、
それがあんこさんのモチベーションなんだね。
そうですね。
色が変わったんですよね。
若かれし頃はね、
万年床で足のフランがない家でしたけど。
信じられないよ、あんこさんの万年床。
たぶん兄がいたら、
あけみはこうなったよって言うと思いますけど、
それいいね。
今度さ、お兄さんにインタビューしてみたいね。
妹さんはどうだったんですか?って言って。
びっくりしてましたもんね。
それもね、五十過ぎて、
そんな火事だよ、一人でやって。
やっぱりそうなんだ。
ものすごく心配してました。
なんかね、この前、
お兄さんを訪問されたって、
おっしゃってたと思うんですけど、
やっぱりお兄さんはびっくり予転って感じで、
びっくりしてました。
千葉にいる兄は、
実家に帰ってくるたびに、
黙って掃除してくれてた人なので、
きっちりきっちり、
服とかもちゃんと畳んでくれてた人が、
面白いよね。
私兄弟でもさ、
上手な人とそうじゃない人がいて、
本当にみんな個性が違うんですよね。
そういうことか。
なんかそうだな、
皆さんからご質問も、
本当に山盛りいただいているんですけれども、
でも私は今日は、
一番聞きたかったことは聞けた。
どうしてお部屋だったところから、
こうなったのかっていうのは、
だいぶわかりましたね。
片付けられない人の気持ちは、
すごい痛いほどよくわかります。
なんかあれですかね、
あんこさんの笑顔っていうことをね、
おっしゃってる方がすごく多かったんだけれども、
それってやっぱりさっきから話に出ている、
気持ちよくなるっていう、
その充実感、
汚かったところが綺麗になるとか、
っていうところから来てるのかな、
自分ではどう思います?
自分はですね、
母の介護と子育てが、
ものすごく辛かったんですよ。
子育て辛かった。
どんどん引きされそうですよ。
母の介護は本当にもう、
嫌でした。
崩れていく母を見るのが嫌だったので、
それはそうだよね。
本当に、母の下の世話とか、
本当に嫌々やってたんですよ。
でもきっと一番嫌だったのは、
母だと思うんですけど、
全然優しくできなかったし、
最後はその、
母はね、元気な頃、
延命処置とかはやってほしくないわ、
っていうようなことをはっきり言ってたし、
42:01
子供の世話なんかなりたくないわ、
って言ってた人が、
どんどん崩れていくわけですよ。
それも静止できないし、
仕事だったら、
感情もとりあえずそこは、
なかったんですけど、
母に対しては、
昔厳しかった人がこんな風になるのが、
本当に耐えられなくて、
でもやる人が私しかいなくて、
子供も、
やっぱまだ小さかったから、手がかかるし、
夫もいるけど、
ワンオベだったし、
母さん頑張ったよね。
そうなんです。
母を今後どうするか、
っていうのでですね、
母の人生を子供が、
選択をしなきゃいけなかったんですよ。
あの、延命処置をするのか、
慰労にするのか、
定間慰労にするのか、
っていうのを、
あれはもう刻ですよ、
決めなきゃいけないの。
それは兄弟会議があったってことね。
うん。
兄弟って言っても、
兄たちは結構離れていたので、
私の意見は、
ほぼほぼ聞いてくれなくて、
兄たちはやっぱり何が何でも生きててほしい。
どんな形でも。
私は、
喋れない母に、
耳穴を開けてまで栄養を入れてほしいと、
思ってみない。
穴から栄養を入れてほしくない、
っていうのを、
言ったけどやっぱり、
泣けちゃう。
兄たちは、
生きててほしかったんだよね。
結局でも、
穴から栄養を入れたとしても、
3ヶ月で、
父の元に旅立ったわけですよ。
あの3ヶ月は何だったのかなっていうのが、
まだ私の中にはあって、
そういう決めなきゃいけない、ずっと悶々しなきゃいけない、
あんな苦しいことに比べたら、
今全然何も苦くない。
つらいことはないですね。
何が起きても、
全然本当に、
笑っていられます。
たとえ現場で怒鳴られても、
下の世話でぐちゃぐちゃになっても、
全然、
大丈夫です。
あんこさんの強さは、
そこから来てるんだね。
笑っていれば全然、
過ぎてありますし、
介護の世界も、
2時間、2時間過ぎれば、
その現場から離れるから、
気持ちは、
親のことは、
誰かがそういう質問、
いただいてたんですよね。
ストレスがね、
たまることもあると思うけれど、
どうやって切り替えてるんですか?
解消してるんですか?
っていうのを聞いてくださった、
成子さんだったかな、
私は冗談で、
それは決まってるじゃないの、
とかって言ったんですけど。
忘れてた、竹助様のこと、
常に聞いてたよ。
もちろん聞いてた。
なんだ、当たってるんだ。
毎日毎日、毎日聞いてますよ。
45:01
なるほど。
アッキーさんのハビットドラッガーにも毎日、
サザンは聞いてるっていうふうに、
書いてあるのね。
毎日、日課になってるんだ。
プランクは続かんけど、
サザンは毎日続くんですよね。
そうか。
私はでも、
お母様はもしかして、
お話できないようになってしまっていたかもしれないけれど、
絶対、成子さんに感謝してらっしゃると思うな。
でもね、私のことね、
私、気づいてたのかなって思いますね。
気づいてた?
もうね、
私って思ってなかったんですよね。
うん。
次男が生まれた時に、
次男を見て、私の名前を呼んで、
おむつ変えたりとか、
おむつも全然変えれないんだけど、
お世話してましたね、名前を呼んで、
次男を見て。
だから、その時ね、
母はお風呂入れない人だったんです。
日常あるあるなんですけど、
だけど、私がもう職員になりきって、
お風呂一緒に入りましょうって、
一緒に我が家にお風呂入って、
っていう風で、
私がお風呂入って、
母を体洗ったりとかして、
綺麗にしてから、
兄の家に送るっていうのを何回も続けてて、
次男は母に入れてもらい、
夜は夜で夫も入れたいわけですよ、
だから、一日2回お風呂入ってて、
だから今でもすごいお風呂好きという感じですかね。
うーん、
でもそのね、
病院の時に看護師さんに、
もうきっと私娘だと思ってませんよね、
とか言って涙を上げながら寝たら、
いつも来ると、
目で追ってるから、
多分わかってらっしゃるんじゃないかなとは
言ってくださったんですけど、
私もそう思うよ。
うーん、やっぱりね、
おかげんが悪くてっていうところで、
いろいろな症状が出てしまうんだけれど、
でもやっぱり一緒にいることとかさ、
なんかこう触れ合うことってあるじゃない、
手を握るとか、
そういうことできっと伝わってるって、
私は信じてるけどね。
そうですよね。
そうか、そのね、
お母様の介護って、
どれくらいの期間だったんですか?
認知症発症してから、
長男が生まれた時ですので、
亡くなったのが長男が10歳の時でしたから、
10年ですかね。
え!?10年!?
10年、発症してからですから。
10年間、あんこさん一人でやってたの?
一人でというか、発症して、
重たくなるまではまだまだ一人で、
できることもあったし、
私の家に来れたりもしたけど、
だんだん迷子になったりとか、
48:01
いわゆる徘徊、戻れなくなっちゃったりとかして、
警察から呼ばれたりとか、
そういうのがどんどんどんどん続いて、
それから5年くらいで、
グループホームに入れたんですね。
認知症専門のグループホーム。
でもその時は、
そこのグループホームは
医療行為とかできないところだったので、
病院に連れて行ったりとか、
おむつを買いに行ったりとかするのは、
家族がやらなきゃいけなかったので、
そういうのはやってましたね。
兄たちはおそらく、
自分の上の介護をしているというのは、
会社というか公務員ですけど、
言ってなかったんです。
言えなかったのかもしれないので、
多分普段は私がほぼ行ったり、
子どもたちと一緒にお部屋に行ったり。
厳しいね。
子育てしながらそれを。
いじわるじゃないけど、
優しくできなかった。
本当に子どもたちには申し訳なかったなと思います。
いやでもそれは、
人間キャパがありますからね。
それをどっちも完璧になんて、
それはきついよ。
そうですか。
だっちゃんがね、
お父様の介護をして、
今いらっしゃるのかな、
分かるなって書いてくださって。
そうだよね、だっちゃんさん。
壮絶な、
いろいろなことがあったよっていうのを、
コメントしてくださってますけれども。
いやーそうだよね。
でもなんか私すごい、
腑に落ちました。
そういう厳しい、
10年間というか、
お母様の介護があって、
それに比べたら、
今起きてるいろんなことって、
へでもないよってそういうことだよね。
そうなんですよ。
それがあんこさんの強さであり、
とみんなが言う、
輝く笑顔っていうところに、
つながってるんだなって私は思いますね。
なるほど。
だいぶ消化できた気がするんですけれども、
あとは、
いっぱいご質問いただいてる中で、
今までのね、
これは介護の方なのかな、
心に残る出会いとか別れがいろいろ、
終わりになったと思うけれども、
そこの中で、
最も印象に残っているようなことってありますか?
みたいな、
そんなご質問が来てますよ。
さっきちょろっと言った初日に、
帰ってけって言った人がいたんですけど、
男性の方で、
20年ぐらい一人暮らしをされてて、
80代後半ということで、
ご家族が、
こういう私たちみたいな介護士を入れた方がいいということで、
ヘルパーとして派遣されたんですけれど、
最初はすごい否定をされて、
誰の世話にもならんとか言いながら、
だんだん回数を重ねていくうちにですね、
51:00
待ってるんだろうなっていう仕草とか、
さりげない優しさとか、
私たちが、
私が帰る時に、
ジュースでも飲んでけーとか、
ちっこいジュース飲みに来てくれたりとか、
ずいぶん変わるようじゃない?
一緒に料理、
そうそうそう。
で、一緒に料理、
お前も分からんのかっていう、
なんか上から目線で言いつつ、
私も分かってるんだけど、
できないから教えてくださいとか言って、
一緒に料理とかしてた人がいたんですね。
で、だんだんだんだんちょっと弱っていかれて、
苦しい時は病院まで一緒に行ったりとか、
なんかいろいろしたんですけど、
突然亡くなられたんですよ。
びっくりするぐらい。
週に3回行ってたから、
割とコンサートに行ってたんですけど、
で、亡くなった後ね、
人って急に亡くなるんだなと思ったんですけど、
娘さんからね、
娘さんが訪問するたびに、
私のことをずっと話してたらしくて、
そういえばいろんなことを教えてもらったなとかって思うと、
その人の出会いは良かったですね。
私父親もいなかった、早く亡くしたから、
亡くなった父親ってこんな感じかなと思い、
ちょっと甘えたりとかして、
一緒にいる時間がすごく楽しくて、
料理も今でも教えてもらったことを
時々家族に提供したりとかして、
私の心の中ではまだまだ生きてるんですけど、
ご家族から直接、個人的にお礼を言われたのが
その方が初めてで、
この仕事やってて良かったなって、
あと人は、
突然亡くなるから、
毎日大切に生きなきゃいけないんだなっていうのを
教えてくれた人がその方ですかね。
ずいぶん前のスタイフでそのお話しされてましたよね。
たぶんね。
私それ覚えてる。
とっても印象に残るお話しだったから、
そんなことあるんだなって思いましたね。
でもね、その方との交流、関わりが、
今のあんこさんにすごく活かされてるっていうのかな、
なんかそんな気がしますけど、
ご自身ではいかがですか。
そうですね。
いろんな人の出会いとか、いろんな気づきというか、
叱りが多かったんですけど、
そういうのがね、今の仕事に伝わっているかなって思いますね。
なるほどね。
なんかこうね、人間はみんな平等じゃないですか。
みんな誰しも年をとっていくわけで、
私たちの前に自分の良心が、
徐々にそうなっていくっていうことがあって、
今日聞いてくださっているリスナーの皆さんも、
もう星になっちゃった方もいらっしゃれば、
今まさに介護してるよっていう人もいらっしゃれば、
いろいろじゃないですか。
そういう時の流れの中で、
私たちは恒例に向かう自分の身内に対して、
どういう準備、もし準備ができるとしたらしたらいいのかとか、
54:02
どんな気持ちでいたらいいのかとか、
この辺、専門家のあんこさんとして、
何かアドバイスをいただけることってありますか。
私、日々感じるのは、だんだん年を重ねていくと、
人との触れ合いってもうなくなってっちゃうんですよね。
これは母がよく言ってたんですけど、
長く生きると寂しいなって、
要は友達がどんどんどんどん死んじゃうから、
寂しいっていうことをよく言ってて、
だから本当にいろんな人とつながってた方がいいなって思います。
年代を超えて、同じ歳じゃなくて、
同じ歳だとみんな同じように死んじゃうから、
若い人とかとか、
でも本当にいろんな人と触れ合ってた方が元気になる。
それはありますよね。
本当にね、私が来て、
今日初めて喋ったのあんこさんとかさ、
2、3日誰とも喋ってないとかっていう人もいるから、
やっぱ誰かと喋ると、私もそうですけど元気になるし、
みなさんそうだと思うんですけど、
本当に誰かとつながっていた方がいいなって。
そこはね。
たまこさんの声が来た。
今日も元気でいらっしゃる。
今日こういうことあったんだ。
また続いて、すげーとかそういうのわかるじゃないですか。
そういうのってすごいいいつながりだなって私は思うんですけど、
ありますね。
そういうつながりをね。
やっぱ変化についていけなくなっちゃうんですね。
かなり歳を重ねると。
その変化にも、もがいてというか、
そこは少しは努力した方がいいのかなと思うんですけど、
柔軟に人と付き合っていた方がいいですよね。
そうだよね。
それはすごくわかります。
私は喋るのが仕事なので、
やっぱりね、ずっと1日、1日じゃだめだな。
もっと長いことずっと喋らないと、声って出なくなるんですよ。
なぜかというと、生体って筋肉なので、
動かしてないと機能しなくなっちゃうんですよね。
でもというと、喋るといくらなんでも顔の表情筋って動くじゃないですか。
だから、やっぱり話してることって表情筋を動かすことにもつながるので、
チェージングなんですよ、きっとお喋りっていうのは。
そうですね。
表情筋トレーニングってやっぱりやった方がいいんですけれども、
そこまでいかなくても、喋ってると口の周りの筋肉だけは、
最低でも動かさざるを得ませんよね。
そうですね。
それってやっぱり若さの秘訣だなっていうふうに思います。
57:00
そうなんですよ。
ほんと誰かと関わったりとか、
誰か、自分のこと気にしてる人がいるっていうだけでも元気になるし、
本門先で昨日眠りましたかとかっていろいろ聞いたりすると、
なんかすごい皆さん嬉しそうですもんね。
なんか自分のこと聞いてくれてるんだみたいな。
やっぱりそうなんですよね。
そう。だからそうか、眠れたんですねとか、食欲あるからいいですねとか、
なんかいろんなお話もこれも仕事なんだなと思って、
いろんな方に聞いてるんですけどね。
私もお喋りの仕事をしていると、
基本的に人っていうのは誰しも自分の話を聞いてほしいんだなっていうふうに思います。
そうなんですよね。
トークのセミナーなんかをやるときに、
最初は自己紹介の代わりにちょっとお題をあげて、
なんかこう喋ってねみたいにするときがあるんですけれど、
そうすると、お題があるにも関わらずやっぱりみんなすっごい話すんですよね。
なんか、今日ちょっと嬉しかったこととかってお題をあげると、
今日こういうことがあって、こうでね、あでねって、
すごい盛り上がるんですよね。
だからやっぱりみんな自分の話は聞いてほしいんだなってことを感じるので、
それはね、きっといくつになっても同じなんですよね。
そうなんですよ。子どもじゃなくてもいいので、
本当にお友達とかいろんな人との関わりがあったほうがいいんだろうなって思います。
そうですよね。
いやいやいや、なんかいい話いっぱい聞けた気がしますけれども、
よしこさんがね、母の人生を子どもが選択する、本当につらいよねって、
私も母の人生を選択してるって、涙が止まらないってコメントをくださってますけど、
いやここはね、本当にちょっと言葉もないです。
でもね、よしこさんの活動もすごい素晴らしいなと思ってます。
デイサービスのほうに行って、高齢の方を元気に、お化粧で元気にするって。
そうなんですか。
すごいいつも応援してます。本当に素晴らしいなと思って。
素敵なお仕事ですね、それはね。
そうですよ。女性の方90でも口紅塗った写真見せてくれて嬉しそうですもんね。
孫とご飯食べに行ったとかって言って。
そう言いますよね。そういうのはよく聞きますけれども、実際そうなんだね。
そうなんですよ。
なるほど、いやーちょっともうあっという間に、あと2分でくじっていう時間なんですけど。
いろいろ聞いてください。ありがとうございました。
いやいや、とんでもないです。
さすが田本さん。
いやいやいや、もうこちらこそですよ。
今日一番なんか残ったことはですね、やっぱり片付けも筋力と一緒。筋力を鍛えるのと一緒。
誰でもできると思います。
1:00:01
手を動かせば。
そうやってやっていけば誰でもできるよっていうこと。
そしてやっぱりいろいろ汚かったところがきれいになるっていうのが、あんこさんのモチベーションになってるっていうこと。
そして、こんなきっとね、いろいろつらいお客様とかもいらっしゃる中で、
それを言葉を切り替えてパッパッとやっていかれるっていう。
その背景にはあんこさんがお母様を10年にわたって介護されてきた、それよりつらいことはもうないっていう、そこに強さがあるっていう。
私はもうめっちゃ風に落ちました。
さすがです。
いやいや、何言ってるんですか。話したのはあんこさんですからね。
私のように片付けできないから自分を責めるのは本当に無意味なことなので、それはね。
筋力と一緒ですよ、皆さん。
はい。ということで、そろそろお時間になりましたので、
今日のところはね、これでお開きにしたいと思いますけれども、
あんこさん、本当にありがとうございました。言い残したことないですか。
本当に皆さんお忙しい中来てくださりありがとうございました。
そして、たまこさんの、やっぱさすがプロだなってすごく嬉しかったです。
何をおっしゃいます。
そう言っていただけると嬉しいです。
ありがとうございました。
本当に今日ね、すごいよ。88名とか、すごい勢いで。
皆さんに聞いていただいて。
あんこ人気は素晴らしい。
これはさ、やっぱり、他人事じゃないってことでしょ。
みんな自分事として聞けるお話だと思うのね。
だから、本当に私も今日勉強になりました。
本当にこういうようなラッパーを作ってくださって、
本当にたまこさんありがとうございました。
いやー、本当です。
ということで、本日はあんこさんをゲストにお招きして、
ねほりはほり、いろいろ聞かせていただきました。
聞いてくださった皆様、本当にありがとうございました。
あんこさんもありがとう。
たまこさんも本当にありがとうございました。
それでは、そろそろこのあたりで、
お開きにさせていただきます。
あんこさんも皆様もどうぞよろしく。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
また皆さんスタイルでお会いしましょう。
はい。失礼します。
おやすみなさい。
おやすみなさい。
おやすみなさい。
失礼します。
01:03:01

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