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2024-03-31 38:44

やりたいことが見つかっても実行できない本当の理由

こんにちは、魚住たけしです。

このラジオではぼくが

・ブログSNS歴4年で年商3000万円
・心理学の学びに300万円を投資した

経験をもとに
「夢を叶えるSNSマーケ術」をテーマとして
SNSで好きなことを仕事にして自己実現するコツを発信していきます!

その背景にあるぼくの願いは「ひとりでも多くの方が、自分の人生に夢中に生きれるようにする」こと。そのために発信していきますね。

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おはようございます、魚住剛司です。このラジオでは、僕がブログSNS歴を念で年賞3000万円を稼ぎ、心理学の学びに300万円を投資した経験をもとに、夢を叶えるSNSマーケティングをテーマとして、SNSで好きなことを仕事にして自己実現するコツを発信していきます。
はい、ということで、本日は3月31日日曜日ですね。明日から4月1日ということで、大体の方は新年度を迎えるという時期になると思います。
今日はね、ゆっくりする方もいれば、思い思いの過ごし方をされると思いますので、今回は勉強みたいな話はあんまりするつもりはないんですけれども、
今回はですね、ちょっと面白い話をしていこうと思います。
テーマはですね、題して、やりたいことが見つかっても実行できないたった一つの理由というテーマでお話ししていこうと思います。
はい、やりたいことって色々あるじゃないですか。
何でもいいんですけど、旅行に行きたいだとか、こういうことを仕事にしたいだとか、自分の得意なことを仕事にしたいとか、色々あるわけじゃないですか。
やりたいことの見つけ方みたいな本っていうのはたくさんあって、その内省を深めて、自分はこういうことにワクワクするだとか、こういうことをやっている時が一番夢中になれるっていうのがたくさんあると思うんですけれども、
それがね、見つかったとて、なかなか実行できないもんなんですよ。
で、基本的になんで実行できないかっていうと、大きく理由は二つ、まとめると一つなんですけど、まず一つっていうのがお金の問題っていうところ。
お金がないっていう問題ではなくて、お金が不安だからできないっていう、ただそれだけの話なんですね。
本当はお金って別に人から借りることもできるし、稼ごうと思えばお金を稼いで、その稼いだお金でやりたいことをやれるわけじゃないですか。
本当は別に、でも将来のお金が不安だからといって貯金を増やしていったり、老後がどうだとか物価がどうだとかっていって、
お金のためにやりたいことを犠牲にして時間を費やすっていうことがあると思うんですね。
やりたいことを先延ばしにして我慢してっていう感じで、別にそれは悪いっていうことではないんですけれども、
やりたいことができない理由の一つかなっていうのがあります。
もう一つが他人の評価ですよね。お金の不安っていうのも結局は他人の評価にめちゃくちゃ結びついてくるんですけど、
なんで不安かっていうと人よりも生活水準が劣るのが嫌だからっていうところと、
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あとお金を借りるって言っても人に迷惑をかけるというか、義理立てができるっていうのが嫌っていう方もいると思いますし、
でも大体は基本的には人よりも、人っていうのは基本的に自分の周りにいる人たちとの生活レベルで格差が生まれるのが嫌だっていうところがあると思うんですね。
なので、他人の評価が気になって自分のやりたいことがあったとしてもやれないっていう現状があると思います。
ここにすごい視察的な、これまで心理学を学んできてですね、やりたいことをやってほしいんですよ。
僕は自分も含めてこの世界の全ての人に。
でもそうなっていない理由は何だろう。どうして人の評価とか比較競争とかがそこまで気になってしまうんだろうっていうところをかなり掘り下げて考えて考察してきたんですけれども、
今回そこで参考になる書籍を一冊紹介させていただこうというふうに思います。
それがユサミカコさんという方が体系立てて書かれた、ザ・メンタルモデルっていう本があるんですよ。
ぜひその本を読んで少しでも内省するのが楽しいと思った方は、ぜひザ・メンタルモデルワークブックっていう本、この2冊の本を手に取って読んでみていただきたいんですけど、
このザ・メンタルモデルって何のことかっていうと、メンタルモデルっていうのは人の心の構造のことを言ってるんですけれども、
どうして人はここまで、僕なりの言い方で言うと他人の評価を気にしてですね、社会の常識にやりたいことではなくて、社会の常識に自分を迎合させて生きていかなきゃいけないんだっていうところの構造、その心の構造っていうのを解き明かした本なんですけれども、
ゆさみかくさんのメンタルモデルっていう本の中では、この世の中の常識だとか自分が評価されているもの、これ人によるとは思うんですけど、
例えば僕だったら収入の多さだったりフォロワー数だったり、仕事のできるできないだったり、暮らしの豊かさぶりだったりっていうところを僕はこれまでずっと気にしてきたんですけれども、
そういう常識的な他人塾ですよね、他人塾に従って生きることを適合するっていうふうにゆさみかくさんは言っていますと、じゃあどうしてその適合的な生き方、社会に適合するような生き方をするのかっていうのを解き明かした方でして、
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仮説的にこれが正解っていうことを断言するんじゃなくて、心の構造上おそらくそうなっている可能性が高いみたいな、どうやらそうなっているらしいっていうのを解き明かした方で、
別にこの内部メンタルモデルっていうのはゆさみかくさんがすごい僕的には的を置いて的確にまとめられているなというふうに感じるんですけど、いろんな心理学の本を読んでいてもやっぱり同じことを言っているんです、
だいたい全部心のどうしてこの世界に適合して自分がやりたいと思っていることよりも常識に的な生き方をしようとするのかっていうところはね、実はもう心理学的にはもう分かっていて、多分これエイリヒフロムあたりから始まって、
加連法内っていう方がですね、かなり体系的にまとめられたのかなっていうところがありますと、日本ではそういう心理構造について一番率先的に最前線で発信しているな、本とかね、本を書かれているなって思うのが和世田大学の教授だった加藤大蔵さんっていう方ですかね、
すごいたくさん本を書かれているんですけど、加藤大蔵さんっていうのがどうして常識的な生き方をして人と比較して劣等感を感じたり嫉妬したり、脅迫観念的に仕事に追い立てられたり、ワーカホリックとか言うじゃないですか、
とか、あとはもうこう、自分は愛されないんだみたいな、そういう感覚になるのかっていうことを解き明かした人、解き明かしたというか、いろんな本でまとめている方なんですけども、ちょっとうだうだ長いこと書籍の紹介みたいなのをしてきましたが、
適合的な生き方、他人塾に合わせた生き方で自分がやりたいことができない理由っていうのは、結論を言うと心の中に痛みがあるからですということをメンタルモデルでは言っています。痛みです。
痛みって言われてもよくわからないじゃないですか。痛みとは何かっていうことをメンタルモデルで書かれていることをお伝えすると、これでもまだよくわかんないとなると思うんですけど、ちょっとお伝えさせていただくと、この世界にあるはずだったものがないっていう状況っていうのが痛みなんですね。
イサミカクさんのメンタルモデルによると。あるはずだったものがないという痛みを感じるのには大きく4分類しかないらしいんですね。つまり人って4つの痛みのどれかを感じて自分がやりたいことよりも適合する生き方を選ぶみたいです。
その4つとは何かって気になりますよね。この4つっていうのは全員グラデーション的に濃淡はあるけど、全員持っていて、大からず少なからず、全員持ってるんですけれど、その中で一番強い痛みを抱えているのがその人のメンタルモデルの痛みっていうことになります。
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その4分類って何かっていうと、1つが価値なしモデルって言って、つまりありのままの自分には価値がないっていう世界を生きています。
ありのままの自分には価値がない。自分には価値があるはずなのに価値がないので、価値がある自分にならなければいけないっていうふうに努力し始めるんですね。その努力がくじかれたときに卑屈になるんですよ。諦める、努力をしなくなる。
結局、努力をすることも努力をしないことも両方やっていることは同じなんです。つまり何かっていうと痛みを克服するっていうことです。痛みを克服するために努力するか逃げるかっていうことです。諦めるかっていうこと。
こういう痛みを回避する行動のことを回避行動っていうふうにメンタルモデルでは言っていて、回避行動には2つの行動しかありませんよと大別すると。1つが克服、逃走ですね。戦うっていうこと。
2つ目が逃避。これも逃走ですね。逃げるっていう意味の逃走。どっちかしかないんですよ。克服しに行くか逃避しに行くか。基本的に人はどんな人でも絶対に両方やっています。
努力型のエリートみたいな人は克服型かと思いきや、実は自分が本当にやりたいことからとにかく逃げているっていう可能性もあるんですね。エリートになることに邁進することによって自分がやりたいということをやらないっていう逃避になっているんですよ。
つまり絶対に両方やっているし、絶対両方やってるんですよ。エリートの人が克服が強いって言うとそうでもないし、逃避、逃げている人が克服が弱いっていうわけではないんですよ。
こんな感じで痛みを避けるために人は回避行動をとっていますよっていうのが一つの考え方で、痛みの中でありのままの自分では価値がない。
だから価値がある自分と認めてもらうためには、例えば有名人の友達、知り合いにならなきゃいけないだったり、例えばですよ。
会社で出世しなきゃいけないだとか、卒なくこなせる主婦で、家事を卒なくこなせる主婦でなければならないだとか、例えばですよ。
いい母親でなければならないとか、いい父親でなければならないとか、社会的地位を上げなければならないっていう風になっていくんですよ。
これが価値なしモデルの人で、基本的には書籍の中で軽く書かれてるんですけども、基本的には会社のエリート層に多いみたいですね、価値なしモデルっていうのは。
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もちろん傾向はあるんでしょうけど。
もう一つ、二つ目のメンタルモデルが愛なしモデルです。
これはありのままの自分では誰からも愛されないっていうメンタルモデルになります。
なので愛されるために何をするかっていうと、自己犠牲的に他人に寄り添います。
なぜならありのままの自分では愛されないので、相手に気に入ってもらうような行動をしないと愛してもらえませんっていう感じの行動。
あくまでも傾向の話で絶対そうってわけではないんですけども、そういうメンタルモデルになっています。
だから基本的に他人を傷つけたくないので、なぜなら傷つける自分は愛されないので、基本的に相手をできるだけ傷つけないような言い方。
ひたすらに気を使ったりだとか、めくらばせしたりとかですね、するんですよ。
これが愛なしモデルです。
いるよね、そういう人っていう感じしますよね。
3つ目が一人ぼっちモデルって言われていて、つまり自分はいつもありのままの自分では一人ぼっちになってしまう。
つまり仲間がいないっていう痛み。仲間がいるっていうはずだった世界で仲間がいないっていうメンタルモデルになります。
でもこれちょっと分かりづらいかもしれないんですけれども、これ実は僕が一人ぼっちモデルなんですよね、多分。
どうせ自分は一人なんですよ、何をやったところでね。
だから人に執着しないし、何なら人からこっちから離れていくみたいな。
一人ぼっちモデルっていうのは本当は心から通じ合う仲間が欲しいんですね、本当は。
でも仲間ができたら今度別れのリスクが発生するじゃないですか、離れてしまう。
だから離れるっていうリスク痛いんですよ。
一人ぼっちモデルにとってせっかくできた仲間と離れるっていうのが痛いので、
そういう痛みを味わうぐらいであれば自分から最初から仲良くならないみたいな。
面倒くさいんですけれども、一人ぼっちモデルっていうのはそうで、
ありのままの自分では価値がないというか、ありのままの自分では受け入れられない。
どうせ一人ぼっちになってしまう、仲間外れになってしまうと思ってしまう。
仲間に入れてほしいんですよ、本当は。
だから自分はもっとできるやつにならないと、例えばですよ、仲間に入れてもらえない。
だからもっとスポーツのできる自分になるとか、もっとおしゃれな自分になるとか、
頭のいい自分になる、仕事ができる自分になる、収入の高い自分になる、
暮らしが豊かな自分になるみたいな感じで、ありのままの自分に何かを付け足そうとしてですね、
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仲間に入れてもらおうとするんですけれども、
でも所詮人は生まれてくる時も一人、お母さんから出てくるけど、
へそのを切られるじゃないですか、その時に孤立するんですね、一人になると。
死ぬ時も一人で死んでいくわけじゃないですか、
見とってくれる人はいても死ぬっていう体験をするのはたった一人しかできないですよね。
だから人はどうせ生まれた時から死ぬ時まで一人なんだから、
どうせ自分は一人ぼっちなんだよっていうのを強く持っている人なんですと。
で最後がですね欠陥欠損っていうモデルでして、
ざっくり言うと自分には何か足りないっていうポンコツであると、
自分はなんかポンコツっていうメンタルモデルになります。
簡単に言うと自分は何をやってもダメだっていう感覚を持っているってことです。
この世界にはできる自分とかできるっていうのがあるはずなのに、
自分は何をやってもダメだよねって。
この世界にはもうありのままで受け入れてもらえるはずなのに、
自分はダメだなっていうふうに思ってしまうと。
こう言うと若干愛なしと若干似てるような部分は、
似てるというかそうですね、愛なしと通ずる部分があるかもしれないんですけど、
欠陥欠損っていうのはまたちょっと違っていて、
どうせ自分はダメっていう感じなんですよね。
愛なしはありのままの自分では愛されないっていう感じですけど、
欠陥欠損っていうのはポンコツ、私ポンコツですみたいな。
だからここにいて大丈夫なのかなとか、
私ポンコツなんだけどこの人の期待に応えられるかなみたいな。
だからこれやってくれませんかって言われた時に、
相手の期待に応えられるかどうか不安なので、
いてもたってもいられなくなるというか、
逃げるかやったとしてもそのプレッシャーが強くて、
すごい嫌みたいな。
多分ね、これ僕の妻がそうなんですよね。
僕の妻が欠陥欠損モデルっぽいところがありますと。
で、僕の妻は今専業主婦をやってくれてるんですけど、
もともと美容師さんをやっていてですね。
で、美容師がもう嫌で嫌でたまらなくなったらしいんですけど、
で、理由っていうのが、
人にこういう髪型にしてくださいっていう要望を受けて、
受けるじゃないですか。
で、期待値上がるんですよ。
で、そこで失敗したらどうしようだったり、
この人の期待に自分は沿うんだろうかっていうところが
ものすごくプレッシャー不安になって、
嫌になると。
だから妻は美容師の仕事で一番好きだったのは、
髪を洗うことだと。
頭皮マッサージをしてあげることだと。
で、基本的に美容師、美容室の期待値って、
おしゃれな髪型とか、自分好みの髪型にしてもらうことじゃないですか。
で、それを終わった後の髪を洗うっていう作業はですね、
別に何のプレッシャーもないというか、
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その人の期待には入ってないわけなんですよ。
だから多分気楽にできるんだろうなっていうところがあります。
そう、だから期待されてもないのになぜか人の役に立とうとしちゃうっていうのが、
基本的には欠陥欠損モデルの人の形になりますと。
で、これをね、ザ・メンタルモデルっていう本の中では、
こういうそれぞれのモデルの特徴だったり、
じゃあどうやってそれを軽くして痛みを統合って言ってるんですけど、
痛みって自分はないものにしたい。
痛みの経験ってやりたくないんですよ。
一人ぼっちになりたくない。
価値がないっていうやつって思われたくない。
愛がないっていうことを感じたくない。
自分はポンコツだっていうことを感じたくないっていう、
そういう自分の痛みを覆い隠そうと人間はするので、
基本的に痛みを感じそうな行動をとる自分はダメな自分だと言って、
その痛みを克服できそうな行動をする自分のことを
イケてる自分っていうふうに言うんですね。
例えば僕の場合だったら一人ぼっちになりたくないっていうモデルなんですけども、
ダラダラしてたら一人ぼっちになっちゃうんですよ。
ダラダラしてるときも一人ぼっちなんですけど、
つまり何かできる自分にならないと一人ぼっちになってしまうと思っているので、
例えば朝なかなか起きれないでゴロゴロするだとか、
スマホを見てずっとゴロゴロするだとか、
体に悪いジャンクフードとかを食うみたいなところはですね、
僕にとってはダメな自分なんですよ。
じゃあイケてる自分は何かっていうと、
コツコツと努力できている自分だとか、
運動習慣みたいな生活習慣をちゃんと立てていることができるみたいな、
こういうふうにイケてる自分とダメな自分っていうのを分離していくんですね。
どんどんどんどん。
イケてる自分っていうのはつまり社会に適合して生きやすい自分。
ダメな自分っていうのは社会に適合して生きやすい自分。
そのダメな自分、評価されそうにない自分っていうのが
自分の中で分離していくんです。
イケてる、いい自分とダメな自分って感じですね。
っていうふうに分離していきますと。
結局その痛みを完全になくすことっていうのはできなくて、
痛みをなくすってことはつまり恐れをなくすことなので、
痛みって恐れなんですよ。
こういうことをしてしまうと人に嫌われるんじゃないか、
人から評価されるんじゃないか、
自分が一人も劣って馬鹿にされて見下されて
一人ぼっちになっちゃうんじゃないかみたいな。
痛みって恐れなんですね。
恐れって嫌じゃないですか。
恐れを感じていることすら、そのものすらが恐れですし、
恐れってなかなか感じたくないものなんですけども、
その恐れを手放すために
イケてる自分とダメな自分っていうのを切り分けるんですね。
なのでイケてる自分とダメな自分ってどう思っているんですかね。
イケてる自分とダメな自分っていうのは
イケてる自分とダメな自分ってどう思っているんだろうっていう風に見るだけでも
かなり自分の内部モデルの構造っていうのが分かってくるので、
ぜひ今日とか時間がある方は
イケてる自分とダメな自分ってなんだろうって考えてみてほしいんですけど、
21:02
痛みを手放すってどういうことか、
痛みをやらげるってどういうことかっていうと、
この分離をどっちでもいいよねっていう風に統合してあげることです。
イケてる自分ももちろんいいし、
いい悪いなくてもう許すって感じですね。
イケてる自分もあっていいし、
ダメな自分もあっていいんだよって。
で、痛みも恐れもあっていいんだよ、怖くていいんだよっていうことです。
そういう風に受け入れることができれば、
内部モデルが統合されて、
いつの間にか痛みをなくすためとか痛みを感じないための行動ではなくて、
その裏にある自分の願いに基づいた行動ができていくんじゃないっていうことを言っているのが、
ユサミカコさんのThe Mental Modelっていう本になります。
最後、それぞれ4つの分離があるじゃないですか。
さっき言った価値なし、愛なし、一人ぼっち、欠陥、欠損っていう。
この4つのモデルにはですね、
それぞれその痛みの裏にある願いがあるんですね。
しかも強烈なそれは願いであって、
死ぬまでずっと諦めきれない願いになるんですけれども、
この僕たちのやりたいことっていうのが、
一体どっちから派生しているのかっていうところで、
冒頭の話に戻ってくるんですけどようやく。
やりたいことをやっても、恐れを回避するために、
つまり痛みを感じないためにやりたいことをやっても、
結局それってしんどくて苦しいだけなんですよ。
結局何をやっても満たされない。
何をやっても満たされないっていう状況になるのが、
やりたいことを見つかっても、
結局それってやりたいことにならないよねっていう話になってきます。
今回の冒頭のテーマにやっと戻ってきたんですけれども、
やりたいことってあるじゃないですか。
例えば旅行に行きたいだったり、
こんな家に住んで仲間と一緒に過ごしたいとか、
僕にもあるんですけども、
その思いっていうのが一体恐れの克服から来てるのか、
それとも自分の願いから来てるのか、
どっちなんですかっていう話なんです。
基本的には、これ僕の仮説ですけど、
両方から来てます。両方から来てます。
自分がやりたいなって心が動くことって確かにやりたいんです。
でも恐れを克服するためでもあるし、
自分の願いを叶えるためでもあるんです。
で、この見分けっていうのはめちゃくちゃ難しいので、
もうやっぱり仮説ベースでね、
これやりたいことなんだって
一回腹をくぐるしかないのかなっていうふうに思っています。
その腹をくぐるために耐性をする必要があって、
いつまでもいつまでもこれじゃないかな、
あれじゃないかなって考え続けるのはめちゃくちゃもったいないというか、
損というか機械損失なので、
一旦心はこう言ってるなら、
一旦心はこう言ってるなっていうので、
24:01
仮説を立ててそれに踏み出しましょう。
で、結局はその恐れみたいなものを自分を統合しない限り、
ずっと痛みを克服するための行動になって、
回避か、痛みを回避するための行動になってくるので、
やりたいことってなかなかできないよねっていう話になってきますと。
ですし、そのやりたいことって、
これって本当に自分のやりたいことなんだっけってなりやすいっていうことですと。
で、じゃあ最後にその裏にある、
価値なし、愛なし、一人ぼっち、欠陥、欠損の裏にある願いっていうのは、
どういうものなのかっていうのもね、
ちゃんと書いてくれてるので、
そこもお話ししていこうと思います。
あ、そうだ、ちょっと補足的にもう少し面白い話があってですね、
その願いの入る前にすみません、
ちょっともったいぶって申し訳ないんですけども、
そのね、代償もあるんですね。
価値なしモデルはありのままの自分で、
ありのままの自分では価値がないっていう風に思っているので、
それを克服しにいこうとするんですね。
つまり自分に価値があるっていう風に認めてもらおうとするわけなんです。
だからブランド品を身にまとってみたりだとか、
高い年収を稼ごうとしてみたりだとか、
あと社会的地位を上げてみたりだとか、
暮らしとか車のグレードとかを上げてみたりとか、
一定の人はそれを獲得できると思うんです。
でも、獲得できる裏で実は大きな代償を払っていて、
それは何かっていうと、
価値なしモデルの人はですね、他人軸で生きているため、
自分がなくなるっていう代償を払っています。
自分がなくなります。
自分って本当何が好きなんだっけ?
自分は本当は何がやりたいんだっけ?っていうところがわからなくなります。
で、愛なしモデルの人は、
人に過剰に尽くすので、
自分の真実、つまり自分の本音みたいな部分、
自分が本当に思っていることみたいなものを生きれなくなります。
代償です。
で、一人ぼっちモデル、僕はですね、
常に自分や人、世界を割り切って捉えて、
決してなくなります。
自分や人、世界を割り切って捉えて、
決してなくならない孤独を抱えています。
これ面白いですね。
常に自分や人、世界を割り切って捉えています。
うわ、めっちゃ割り切って捉えてますね。
そう言われると、どうせみたいな。
最初ね、僕ね、価値なしかと思ったんですよ。
他人軸で生きるため、自分がなくなるって。
最初価値なしかなって思ったんですけども、
どうやらね、僕はね、一人ぼっちみたいですね。
うん、そう。
結局一人だなっていう感じがやっぱ強いんですよ。
で、一人ぼっちモデルの人の特徴としてはですね、
自然や動物など非言語の感じられる世界が好きっていうのと、
あと人に対して好きにしたらいいよっていうのが
27:00
口癖っていうところがあってですね。
いや、まさに僕自身のこの、なんて言うんですか、
口癖だなって。
人がこうしたい、基本的にやっぱね、
自由に生きてほしいっていうのがあるので、
好きにしたらいいよっていうのがね。
そう、妻とかに僕よく言うな、
好きにしたらいいんじゃないって。
そうそうそう、言っちゃうんですよね。
常に自分や人、世界を割り切ってっていうのは、
つまり違うものとして捉えてっていうところですね。
なので、あいつと俺はこういうところが違うっていうところにね、
めっちゃ目がいくんですよ。
だからね、友達が欲しいと思いながらね、
相手は友達と思ってても、
自分が欲しいみたいなことがよくあります。
欠陥欠層は何かっていうと、
人の中で安心して自分でいられないですね、
心の平安がなくなります。
だって役に立たないと自分ってポンコツだと思われると思ってるんで、
何か足りない自分は人に何かやってあげないと、
役に立たないとダメだなって思うし、
他人と比較して自分の足りない点がめちゃくちゃ気になりだすというところがあります。
で、そういう代償を払ってるんですね。
そういう代償を払いながら、
僕たちはね、それぞれ勝ちなし、あいなし、
ひとりぼっち、欠陥欠層はですね、
それぞれに作り出したい世界っていうものがあるんですよ。
これがね、すごく心に陣ってくるというか、
僕、このメンタルモデルっていう考え方の大好きなポイントなんですけども、
勝ちなしモデルの方はですね、
作り出したい世界、つまり願いです。
勝ちなしモデルさんが抱いている、心に持っている本音の願いっていうのは、
何ができてもできなくても、自分はいるだけで価値がある。
誰もがいるだけでいいと認められる、
存在する価値で全ての人の価値が認められる世界ですと。
つまりその人も自分もありのまま、
この今、ここに存在しているだけで価値があるよねっていう世界を作りたいんです。
だから、あの人価値があるとか価値がないっていう分断の世界ではなくて、
誰もが、もう今存在しているだけで価値があるよねっていうことが認められる世界を実現したいですと。
でもこれってね、もうね、何て言うんですか。
もう事実なんですよね。
と言ってももう既に事実なんですよ。
勝ちなしモデルさんが抱いている願い。
つまりこの世界に全ての人がありのままで価値があるっていうのはもう事実なんです。
だって僕たちってこの世界を循環してるんです。生きているだけで。
まあ別に循環してなくてもいいんですけど。
はい。存在しているだけで循環を生んでるんです。
僕たちは酸素を吸って二酸化炭素を吐いてますよね。
で、この二酸化炭素ってあの、
木々のね、呼吸にもなってるんですよね。
例えばですけど、大気に僕たちは二酸化炭素を排出することによって空気の循環を生み出しているんです。
例えば。
他にも普通には生命活動として摂取、食物の摂取と排出をするだけでも生命の循環っていうのを司ってますし、
30:06
僕らって本来弱肉強食の世界の中で生きてきたんですね。
で今はもうそれをもう99.9%くらい克服してるんですけれども、
もともと僕らの肉体って誰かの食事だったんですよ。
もともとね。これも命の循環を与えてるんですよ。
嫌ですけど知るのは。嫌なんだけど、でも命の循環をやってるんです。
で、滅びた肉体というか死んだ肉体っていうのは土に帰っていきますよね。
これも命の循環になっていますと。
僕たちはこの今瞬間、もう生きているこの時だけで価値があるっていうのはもう事実なんですよ。
そう。だからこの資本主義社会になって勉強ができる奴が価値があるだとか、
仕事ができる奴が価値があるだとか、お金を稼げる奴が価値があるだとか、
いろいろあるじゃないですか。新しい商品を生み出せる奴が価値があるだとか。
今で言うとね、多分ね、若い年齢の60%以上の人が恋人を作った経験がないっていう人がいるんですね。
だからその彼女とか彼氏がいる人の、特に彼女ですね。彼女がいる人のことをよくね、勝ち組とか言ったりするじゃないですか。
つまりそういうのって裏には恋人がいない自分は価値がないっていうね、思い込みがあると思うんですけれども、
そういうのも一切関係ないんですよ。だってあなたが存在しているだけで喜んで安心感を持っている人って絶対にいると思うんですよ。
で、あなたが死んだっていうので大変なショックを受ける人っていると思うんですね。
だからあなたはもうそもそも何をしなくても価値があるんですよ。本当の意味で。
社会にとってね。っていうのはもう事実だなっていうのはちょっと余談ですけど思いました。
で、あいなしモデルさんの願いは何かっていうとですね、
誰もが自分を無条件に愛し、真実からありのままを受け入れられ、理解し合える関係性で人間同士がつながっている世界ということですね。
愛を基軸に誰もが愛されて、自分も含めて誰もが愛されて、無条件にです。
無条件に誰もが愛されて、その人間関係同士がつながっている世界っていうのがあいなしモデルさんが実現したい世界ですと。
まあ愛っていうのは基本的に無条件って言われますと。
で、見返りを求める愛、例えばこれをやったんだこれぐらいやったんだからあんたも返してよっていうのはこれは愛ではなくてただの取引です。
ただの尊徳感情から来る取引なんですね。面白いことに。
だから与えることは確かに愛って思われるかもしれないんですけど、だから自己犠牲的な愛って続かないんですよね。
なぜなら見返りを求めてそこに取引が起こるので、取引が起こっているとですね、信頼関係って気づけないんですよ基本的に。
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だって取引だから。信頼関係っていうか愛ですね。愛は育めない。
そう、だって取引だからです。
自分が何かしないとこの人は何も返してくれないっていう、何も与えてくれないっていうのになってくるので、
愛を与えたら愛を返してよっていうのは愛じゃないので、無条件っていうのが愛になりますね。
で、一人ぼっちモデルの願い、これね僕がめちゃくちゃ大共感できることなんですけど、
人が命の全体性の一部、つまりワンネスですね。
この世界は命として全て繋がっているよっていう感覚の中で、
誰もが自由に自分の人生を生きている世界のことです。
もうこれね僕なんですよね。僕がそうしたいし、そういう世界作りたいっていやマジで思います。
やっぱりだから僕一人ぼっちが強いなっていう風にやっぱり思うんですけども、
僕らって地球が誕生して48億年ぐらい経つとか言われてますし、
宇宙は138億年くらい前にビッグバンから生まれたっていう風に言われてますけども、
つまり何が言いたいかっていうと、僕らってもともと一つじゃねっていうことなんですよね。
今でこそ僕、大墨たけしって言いますか、僕とか今聞いてる方々と分離してるわけじゃないですか。
違う個体としてね。でも本来よくよく元をたどっていけば僕らって絶対どっかで一つだったはずなんですね。
どっかで一つだったんですよ。進化の過程で哺乳類が、爬虫類が陸に上がって哺乳類になりみたいな風になっていって、
どっかのタイミングで人類、ホモサピエンスっていうのができてきたんですよ。
それを元をたどっていれば個体数っていうのはめちゃくちゃ少なかったわけで、
どっかから僕たちはスタートしているわけで、つまり一つだったんですよね。
聖約聖書ではそれがアダムとイブっていうところになってくると思うんですけど、
人類の始めですね。アダムとイブと。
蛇にそそのかされて、イブかな?忘れちゃったんですけどイブがリンゴを食べて、
知性を手に入れたけど恥ずかしいってなって、そこで性別が生まれて、もともと性別あったんですけど、
性別っていう人間が生まれて、そこから人類がスタートしたみたいなことをね、
多分聖書に書かれていると思うんですけども、
僕たちってもともと一人じゃないですかっていう感覚。
だから人と繋がってないんですよね。人と一つになりたいみたいな。
あなたと合体したいみたいなね。そういう感じがありますね。
本当に。で、その中で自由に生きたいんですよ。
自由に生きてほしいみんなにっていう願い、これあるな。
別に活躍しようか活躍しないかどうでもよくてですね、
自由に生きてほしいんですよ、全ての人に。だから好きにしてほしいんです。
僕も自由でいたいので、何かに縛られたくないんですね。
そうそうそう。わあすごい供養感できるなっていうところです。
最後、欠陥欠損のですね、願いは何かっていうと、
36:03
凸凹のままで、つまりできない、人によって能力とかできることとか個性に凸凹があるじゃないですか。
その凸凹のままで、人はもうすでに完全であって、
誰もがその世界でありのままの自分で安心して存在していられる世界を作りたいらしいんですよね。
欠陥欠損も。これも何かわかるな。
人って凸凹があってそれでいいというか、それで完成してるんですよね、人って。
で、その中でありのままで安心して、別にダメな自分とか思わなくていいから、
存在していられる世界であってほしいなっていうのが願いになりますよ。
で、この世界、価値なし、愛なし、一人ぼっち、欠陥欠損、それぞれ願いは違いますけれども、
この作り出したい世界っていう、ちょっと抽象的じゃないですか。
その世界を実現するためにやりたいこととか、
自分が得意とすることっていうのが変わってくるっていう感じですね。
そう。
うん。
でも、どっか人、どっかの人は何かね、
やっぱ共通して繋がってるって感覚が僕はあってですね。
そう、こういうことを実現するために、その僕たちは生きていますよって。
そう、だからまあ、結論として今回お伝えしたかったのは、
やりたいことをやれないのには痛みが原因があって、
で、痛みの裏には願いがあって、願いから基づく行動ができてくればですね、
人ってその、あの、自分が本当の意味でやりたいことを自由にやっていけるんじゃないかと。
で、別に痛みがあることがダメではなくてですね、
痛みを受け入れながら、あの、あっていいんだよっていう風にやっていくと、
自然とこの活力が湧いてくると。
痛みがある、でもやるっていう感じ。
傷ついてもいいから、やる。
バンジージャンプも怖いからやったら、
ドーパミンが出てめっちゃ楽しいわけじゃないですか。
そう、そういう感じで、あの、
やりたいことをやりたいと思って、
痛みを抱えながら、痛みがある自分を許しながらね、
なんていうんですか、生きていく、やりたいことをやっていくっていうのが、
いいという風に思います。
ということで、こんな感じで、僕のラジオでは、
夢を叶えるSNS巻き術をテーマとして、
自分、SNSビジネスで好きなことを仕事にしたり、
自分らしく自己実現することをやっていきたいと思います。
SNSビジネスで好きなことを仕事にしたり、
自分らしく自己実現することを発信していきますので、
今回の話が少しでも参考になったら嬉しいです。
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それではまた次回の放送でお会いしましょう。
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