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こんばんは、たけのむです。
今日はですね、自分のイデオロギーですかね、政治とかそういったものに対するポジションを考察してみたいと思います。
きっかけはですね、今日だったかな。
かんなさんが放送してた内容に触発されているところで、政治というかポジションどりというか、右翼左翼という考え方がありますよね。
人によって右翼と左翼って考え方というか定義も違うので一概に言えないんですけど、
自身の過去を考えると、昔は結構右寄りだったなって思うんですよね。
どこからそれが始まったかっていうのを考えてみると、中学生のときですよね。
中学生のときに、今も作品を書いてると思うんですけど、小林よしのりっていう漫画家ですよね。
おぼっちゃま君とか書いてた漫画家です。
あの人の作品を当時読んでいて、ゴーマニズム宣言っていう罪深い作品ですよね。
今も連載してるかちょっとわかんないんですけど、そのゴーマニズム宣言っていう漫画ですね。
それを地元の図書館に置いてあったんですよ。
おぼっちゃま君っていう漫画は昔、小学校のときかな、読んでたので、その繋がりでゴーマニズム宣言に手を出すんですけど、
これが自分の黒歴史の始まりというか、最初のエリオロギーに染まった瞬間というところですね。
ゴーマニズム宣言の作者小林よしのりさんっていうのは、まあまあの右寄りな思想なんですよね。
右翼と言っていいのかどうかちょっとよくわからないんですけど、
そんな中ですね、図書館で借りてゴーマニズム宣言を読み出すんですよね。
いろんな記事を取り扱っていて、当時だとオウムとかHIVの話、薬害エイズの話だとか、いろいろあるんですけど、
そんな中で、戦争ですね、国家間、天皇、それについてのね、記事というか漫画コラムですね、それが載っててですね。
で、中学生っていうたかんな時期で触発されてですね、見事に今でいうネトウヨみたいな思想を持つことになるんですよね。
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もちろん今の日本っていうのがあるのは、当時ですね、戦った結果、多くの人が亡くなって、
今の日本っていうのが守られたというか、築かれたということなんですけど、
ゴーマニズム宣言の中でのね、その戦争感っていうのは、今思うとですよ、やっぱりちょっと偏ってるんですよね。
で、ゴーマニズム宣言のね、その戦争系の話ばっかりを集めた、たしか戦争論だったかな。
ちょっとタイトル忘れましたけど、ゴーマニズム宣言の特集本みたいなもの、戦争論という結構太い本、漫画ですけどね、それを買うんですよ。
あれ中学2年生とかですかね、ちょっと忘れたんですけど、それを読むとね、見事に偏った思想のクソガキの誕生する瞬間っていうですね。
これがね、私の政治とか、それに紐づく思想を持った瞬間だったと思うんですよね。
小学校のときはね、そんなことを考えたことも多分なかったと思うんですよ。
父親がね、わりかしそういうテレビを見てたりもするので、横でね、見たりはしてたかもしれないんですけど。
父親はね、どちらかというと、両親がね早くに結構離婚してて、多分父親は、私からしたらおじいちゃんですよね。
顔を知らない中育って、母親一つの手で育って、家も結構貧乏だったんじゃないのかな。
ちょっとそこまではね、はっきりわからないんですけど、苦労してね、たぶん育ってると思うんですよ。
で、苦労して育つと、どうしてもね、左に寄ってくるというか、やっぱり弱者に手を伸ばしてくれる政党とかっていうところに行けつくんですよね。
なので、はっきり明言されてるわけじゃないんですけど、父親はね、投票ですね。
たぶんね、ずっと共産党に入れてると思うんですよね、うちの父親は。
うちの父親はね、いわゆる体制側が嫌いなんですよね。
たぶん自民も嫌いですし、維新とかもね、たぶん大嫌いだと思うんですよ。
うちの家族の中ではどこに投票したかとかっていうのはね、もともと会話する方ではなかったので、はっきりわからないんですけど、うちの家族はね、もうずっと共産党に入れてるんだと思うんですよね。
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共産党員というわけではないんですけどね、党員だったらね、たぶん赤旗取ってると思うんで。
ただね、思想はずっとそちらに寄ってるんじゃないのかなという感じですね。
テレビとか見ててもね、結構ね、踊らされるというか、ネットはね、父親は見るんですけど、自分で調べてっていう感じじゃなくて、情報をそのまま取り入れるっていう感じですかね。
なので、テレビのワイドショーなんかでやってることをそのまま、どうしてもね、うのみにしてしまいがちというか。
まあ別に父親がね、間違ってるとは言わないですけど、それでね、余計ややもすると左に寄りがちな感じなんですよね。
で、うちの母親はどちらかというと、成人に興味がない。まったく。
なので、右も左も寄ってないというか、そもそもそれに対して考えてないっていう感じの印象を受けますね。
なのでね、そういう意味だと、私の父親も母親も体制寄りではないというか、
どちらかというと父親は左、母親は中道というか無関心ですよね。
そういう家庭で育ってきました。
で、弟たちはね、まったく政治に興味がなくて、
そういうニュースとか記事とかをね、興味持って見てるのは私だけっていう感じですね。
で、ちょっと話を戻すと、ゴーマギズム宣言、戦争論なんかを読んで見事に右側にかぶれてしまった中学生の私なんですけども、
そこからもね、右とは言わないですけど、どちらかというと体制側の考えを持つんですよね。
いつぐらいからですかね。
どちらかというと左にウィングを広げたという地点っていうのは、
社会人になってからもね、民主党、確か当時民主党政権で2009年とか手前ぐらいでしたっけね。
それぐらいのときもね、ネットで結構民主党系が笑いものにされるというか、ネットでネタにされるんですよね。
そういうのをネットで見て笑ってたっていう時代もありまして。
ただ圧倒的に知識とかは特になかったんで、
どちらかというと今でいうネットミームみたいな感じで民主党を笑ってたっていう感じですよね。
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まあそれもね、なんていうか嫌な、子供時代じゃないですけど、嫌な時代だなっていう感じはするんですけど。
やっぱりあれですかね、災害とかそういうのを通じて助け合いの精神というかそういったものに触れるというかね、
記事とかネットで読んだりして、どちらかというとそちらの意見を取り入れるようになったっていうのがいくつぐらいですかね。
30になる手前とかですかね、ちょっとはっきりはあれですけど。
根底にあるのは、私も妻もですけど新自由主義なんですよね。
なんか自慢っぽくなっちゃうかもしれないですけど、
2人ともサラリーマンとして平均収入よりも賃金を稼いで、妻は独立してさらに年収的には上がってっていうところで、
2人とも経済的には苦労してないんですよね。
苦労せずに育つと、どうしても新自由主義、自己責任論で物事を考える大人になってしまう気がするんですよね。
なので、2人とも投票する政党とかも、どちらかというと体制よりそちらに近い考え方になってる気がしますね。
どうしてもリベラル政党に入れる気がしないというか、
そこはどうしても私はアレルギーというかね、そのへんがあるんですよね。
もちろん一人一人の政治家に対してはそういう思いはないんですけど、
どうしてもその政党のまとまった意見というところで見ると、ロジカルじゃないなっていう考えになってしまうんですよね。
かといってね、今でいう体制側ですよね、そちらも100%支持できるかというともちろんできないので、
ここはね、鼻をつまんでどちらを選ぶかみたいな選択をするときもありますね。
なので考えてみると、父親がどちらかというと左だったから、
逆に父親のことを嫌がってそうなったのかなとか考えなくもないんですけど、
あんまり親の政治の考え方に依存しないというか、どうなんでしょうね。
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公明党支持の家庭に育つとやっぱり子どももどうしてもそっち側に流れがちな気はするんですけど、
うちの場合はね、どちらかというと逆の方向に育ってしまったというか。
それでもね、ある程度知識とかその辺はついてきてるので、
支持政党もそれなりの理由を持って支持してるっていう感じですね。
なのでそこは多少なりとも自分の考えで投票するようになってきてますし、
野党に入れることももちろんあるんですよ、そのときそのときに応じてですけどね。
自分で考えて投票するっていう行動。
友人はね、全然そういう会話をする友人がいなくて、なんででしょうね。不思議なんですけど。
選挙もたぶん行ってない友達いるんですよ。
それは個人的にはどうなのかなと思うんですけど、いちいち言わないですけどね。
なので、政治の話を友人とすることって別に悪いことじゃないと思うんですけど、
あんまりしないんですよね、私の場合。
なので、音声配信とかで政治のニュース取り入れて、
コメントを入れたりとか、こうして発信するっていうのが自分の政治に関わる唯一の、
と言ったらあれですけど、活動になってるんですよね。
妻と政治の話をすることもあまりなくて。
妻とはね、投票してる政党とかはほぼ一緒で、あまり考え方違わないんですけど、
妻もそこまで興味がないというかね。
なんとなく現役世代重視の政党に入れるっていう感じですかね。
妻もリベラルではないかな。
どちらかというと、体制側、新自由主義に近い考え方を持ってる気がしますね。
ただ私も妻も、どちらかというと妻は弱者にというか、
そこに配慮するっていう考え方を持ってて、そこはすごいリスペクトしてるので、
妻の考え方とかにも触れて、私の自己中心的な考え方が変わって、今に至るという感じですかね。
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年齢的にはもう40過ぎたので、
そんな幼稚な話を言ってられるわけでもないんですけど。
音声配信なんか聞いてるとね、衆議院議員そのものというかね、
その人自身が発信したりもしてて、
やっぱり考え方に触れる機会っていうのがあるんですよね。
やっぱりこのワイドショーとかテレビとかで切り取られてるシーンだけ見ると、
どうしてもリベラル側というか反対性側に寄ってしまう気がするんですけど。
またネットの右のネトウヨみたいなところに触れると、
ややもするとネットウヨくになってしまう気がするので、
そういう意味だと今バランスがいいかもしれないですね。
テレビも最低限というかあんまり見ないですし、
ネットも昔ほどネットウヨくじみた記事をストレス発散的に見ることもなくなっているので、
今がちょうどいいバランスな気がしますね。
なのでここはバランス感覚、どこから情報を取り入れるか、その配分ですね。
テレビとネットと、私の場合は音声配信聞いたりもですけどね。
このバランス感覚が崩れるとどうしてもそのイデオロギーが変説するし、
扇動されるっていうんですかね。
今日はそんなようなことを日中考えてたんですけど、
放送するタイミングがなくて夜寝る前に考えるっていう感じになりました。
また考え方って変わってくると思うんですよね。
でも自分が苦しい状況になると、そこに手を差し伸べてくれるような生徒とか、
そういうところに寄っていくっていうのはあるんでしょうけど、
変説すること自体はね、別にダメなことでもなんでもないので、
そこは別にね、一回右に触れたからずっと右でいないといけないっていう理由もないですし、
それの逆もね、特にずっと一本木でいく必要はないと思ってるので、
これからも自分の選択、自分の考え方っていうのをじっくり、
今ね、熟慮っていうキーワードが流行りですけど、熟慮しながら、
ある意味自分のイデオロギーを楽しんでいきたいと考えてます。
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あまりまとまりがない話でしたけども、
今日は自分のイデオロギーについて考えてみました。
お聞きいただいた方ありがとうございました。
おやすみなさい。