インタビュー文字起こしの音声概要
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!
サマリー
このエピソードでは、高齢者向けeスポーツの革新的な取り組みを紹介します。ケア・Eスポーツ協会は、当初タブレットのオセロから始め、「いくつになってもやっぱり勝ちたい」という高齢者の根源的な欲求を発見しました。その後、反射神経が求められる格闘ゲーム「鉄拳」を導入。アーケードコントローラーや職員の熱狂的なプレイが参加への障壁を取り除き、高齢者たちは勝利の喜びと自己効力感を取り戻しました。特に「エールの逆流」という現象は、失われがちな尊厳と社会とのつながりを再構築。将来的には、独居高齢者の安否確認や、年齢・身体的制約を超えた社会インフラとしての可能性を探っています。この取り組みは、私たち自身の固定観念を問い直し、情熱を再燃させるきっかけを与えます。
高齢者レクリエーションの常識を覆すeスポーツ
あの、突然なんですけど、リスナーのあなたにちょっと質問させてください。
お年寄りのレクリエーションって聞いて、真っ先に何を思い浮かべますか?
まあ、普通はそうですね。静かな部屋でテーブルを囲んで和やかに折り紙をしているとか、そんな感じじゃないですかね。
そうそう。あとはゆったりとした音楽の中で体操をしているとか。そういう穏やかで、まあちょっと単調な風景を想像すると思うんですよ。
ええ。一般的なイメージは間違いなくそうですよね。誰かが激怒して机をバンバン叩いたりとか、歓喜の叫び声を上げて抱き合ったりするような、そういうヒリヒリする勝負の世界とは無縁の空間というか。
平和で静かな時間が流れている場所ですよね、普通は。でももしその静かな空間に突如としてド派手なエフェクトが飛び交う最新格闘ゲームの爆音が日付き渡っていたらどうでしょう?
それはちょっと想像するだけで異様というかすごい光景ですよね。
ですよね。画面の前でアーケードコントローラーを力強く叩く90歳のおばあちゃんが見事な必殺技を決めて、周りのギャラリーとハイタッチしてガッツポーズをしているとしたらって話なんですよ。
いや本当に。今日はそんな私たちの凝り固まった固定観念を根底から打ち砕くとんでもなくエキサイティングなテーマを深掘りしていきます。
今回のディープダイブで私たちが目を通した資料は、一般社団法人ケア・Eスポーツ協会の広報を務める浜新平さんへのインタビュー音声記録です。
聞き手はポッドキャスター配信者の高道英さんですね。
はい。この対話を通じて見えてくるのは、何というかお年寄りが珍しく最新ゲームで遊んでいるっていう単なる微笑ましいニュースではないんですよね。
ないですね。私このインタビューを聞いた時本当に打ちのめされたんですよ。
なぜ高齢者の介護施設に寄り寄ってゴリゴリの格闘ゲームが導入されたのかって。
そこが一番の疑問ですよね。
そしてそれが施設の中でどれほどの熱狂と人間関係の化学反応を起こしているのか。
その裏側にあるロジックがあまりにも爽やかだったんです。
そうなんですよ。これは表面的なテクノロジー導入の話を超えていて、人間が本能的に持っている根源的な欲求とか年齢を重ねることで失われてしまう尊厳。
さらにはこれからのコミュニティのあり方そのものに迫るテーマにつながっていくんです。
まずはこの一見すると奇想天体なプロジェクトがどうやって賛応を挙げたのか。その原点から探っていきましょうか。
「いくつになってもやっぱり勝ちたい」オセロが引き出した本能
はい。ケア・イースポーツ協会の活動は2019年、今から7年前に始まりました。
アミーゴクラブという介護施設の入居所を対象にスタートしたんですよね。
でも最初から格闘ゲームの火花がバチバチ散っていたわけではないんですよね。
そうですね。活動の第一歩は実はタブレット端末を使ったオセロ競技などから始まりました。
ハマソンも最初は軽い気持ちだったと語っています。
オセロですか。
ここで注目していただきたいのは、高齢者のレクリエーションとして定番である将棋や囲碁ではなくて、なぜタブレットのオセロだったのかという点なんです。
えっと普通に考えたら元々ルールを知っている将棋や囲碁の方がお年寄りもとっつきやすい気がするんですけど、
わざわざタブレットを使うのはハードルを上げるだけのような気がして。
あ、もしかして実力差の問題ですか。
ああ素晴らしい視点です。まさにそれなんですよ。
将棋や囲碁のような伝統的なゲームってこれまでの人生でどれだけ経験してきたかという実力差が残酷なまでにはっきりと出てしまうんです。
経験の差がそのまま出ちゃうわけですね。
ええ。施設という閉鎖されたコミュニティの中でそれをやると、一人だけすごく強い人がいて、その人だけがずっと勝ち続けるっていう固定化されたヒエラルキーが生まれてしまうんです。
なるほど。勝つ人は楽しいかもしれないけど、負け続ける人は全く面白くないですよねそれじゃ。
そうなんです。だからデジタルの力を使ってその固定化された人間関係を一度リセットしたわけですね。
タブレットなら全国の知らない人とランダムに対戦できるから、身内の強い人にボコボコにされ続けることもないと。
まさにそういう意図がありました。そして横八市にある施設で8人から10人ほどの小規模なオセロ大会を開いたところ、教会のメンバーたちも全く予想していなかった劇的な光景を目にあたたびするんです。
何が起きたんですか?
なんと優勝した入居者の方がボロボロと泣いて大喜びして、逆に負けた方は同じように泣いて悔しがったんです。
え?泣いて悔しがった?まるで近所の公民館のゆるいビンゴ大会だと思って覗いてみたら、ワールドカップの決勝戦さながらの熱量で戦っていたみたいな衝撃ですよね。
本当にそうですね。ただのタブレットのオセロ大会で大の大人がそこまで感情を爆発させるなんて、一体何が起きていたんだって話になりますよね。
何が起きていたんでしょうか?本当に。
この出来事の背後には非常に重要な心理的メカニズムが働いているんです。
協会はこの時の光景から活動の核となるあるキャッチコピーを生み出しました。
キャッチコピーですか?
はい。
いくつになってもやっぱり勝ちたい。この一言が全てを物語っています。
いくつになってもやっぱり勝ちたいですか?なんかすごく胸に刺さる言葉ですね。
高齢になって介護施設に入居すると、日々の生活はプロの手によって安全で穏やかに保たれるじゃないですか。
はい、お世話をしてもらって。
でもそれは同時に、誰かと本気で競い合い、勝負をして感情をあらわにするという機会が日常から完全に消え去ることを意味するんです。
ああ、そうか。守られているからこそ戦う場がないんですね。
ええ。社会的な競争から降りた彼らにとって、自分の力で勝利をつかみ取るというヒリヒリした経験はもはや過去のものになっていたはずなんですよ。
そこにオセロタイタイという戦いの場が提供されたことで、心の奥底で眠っていた闘争心に火がついたと。
そういうことです。だからこそその勝利はただのゲームの勝敗を超えて、自分の存在証明そのもののように感じられたんだと思います。
彼らは安全に保護される存在から、自分の力で勝ち負けを争う一人の競技者へと一瞬で戻ったんです。
格闘ゲーム「鉄拳」導入の舞台裏と自己効力感
なるほど。それが涙の理由なんですね。オセロでの熱狂の理由はすごく腑に落ちました。でもここからが今日一番の謎なんですが。
はい、なんでしょう。
教会は2025年の第11回大会から、オセロのようなボードゲームから方向性を思いっきり変えますよね。なんと格闘ゲーム、具体的には鉄拳8に切り替えたんですよね。
はい、そうですね。
オセロの静かな盤面から、いきなりド派手な3D格闘ゲームへの大転換じゃないですか。
ええ、この思い切った転換は一見すると無謀に思えるかもしれませんね。
いや、無謀ですよ。リスナーのあなたもそう思いませんか。いくら闘争心があるといえ、格闘ゲームって反射神経の世界じゃないですか。お年寄りには操作が複雑すぎますし。
まあ、そう思いますよね。
あの殴り合う激しい映像や音は、刺激が強すぎて心臓に悪いんじゃないかって心配になりますよ。スイカゲームのような可愛らしいパズルゲームとか、自分のペースで進められるゴルフゲームなんかの方が圧倒的に安全で適しているはずですよね。
実はその疑問は、協会のメンバーや介護施設のスタッフも含めて現場の全員が抱いていた大きなハードルだったんです。
やっぱり皆さんそう思ったんですね。
ええ、濱さんご自身も格闘ゲームへの意向には当初かなり渋ったと率直に語っています。誰もが高齢者には不向きだと考えていたんです。
じゃあどうしてあえて鉄拳を押し通したんですか。
ここには現実的な裏事情と、ゲーム体験としての絶対的な強みという2つの要素が絡んでいるんです。
まず裏事情として、広報の濱さん自身が別のプロチームに所属する鉄拳のプロゲーマーだったんですね。
ああ、なるほど。
そしてケア・イースポーツ協会がそのチームのスポンサーだったという縁がありました。
ゲームを公共の場でイベントとして使う場合、最大の障壁となるのは著作権や許諾関係なんですよ。
ゲームの実況とか大会を開く時のあれですね、あまたま鉄拳だったというわけですね。
でもいくら許可が下りても、実際にプレイするのはおじちゃんおばあちゃんたちですよ。
そうですね。
あのPS5の標準コントローラーなんて、私たちでもボタンの多さに一瞬迷いますし、
両手で握って親指と人差し指で複雑なコンボを決めるなんて絶対に不可能じゃないですか。
そこで彼らはインターフェースを根本から変えたんです。
家庭用の小さなコントローラーではなくて、ゲームセンターに置いてあるようなアーケード用コントローラーを持ってきたんですよ。
ああ、あのゲームセンターにあるやつですね。
はい。大きなレバーと手のひら全体でバンバン叩ける大きなボタンが並んだ箱型の協定です。
ああ、あのガチャガチャ動かすやつ。それなら細かい指の動きは必要ないですね。
とにかくこの大きなボタンを叩いてみてって言われたら直感的にポンと叩けますね。
そうなんですよ。
そして格闘ゲームが持つもう一つの絶対的な強み、それが非日常の爽快感なんです。
爽快感ですか?
鉄拳というゲームには攻撃が当たった時のドカーンという派手なエフェクト、画面が揺れる演出、そして圧倒的な重低音のフィードバックがありますよね。
ええ。
ええ。これってオセロの画面では絶対に味わえないし、静かな介護施設でも絶対に味わえない強烈な刺激なんです。
なるほど。大きなボタンをただポンと叩いただけで、画面の中の屈強なキャラクターがとんでもない必殺技を繰り出して、光と音の嵐が巻き起こるわけですね。
そうなんです。高齢者の方々は自分にはこんな複雑で新しい機械は扱えないと思い込んでいます。我々周辺の人間もそう決めつけているじゃないですか。
そうですね。勝手に限界を決めてしまってますよね。
でもアーケードコントローラーという直感的なツールを与えられて、ひとたび派手な技が出ると、私でもこんなに画面の中の世界をダイナミックに動かせるんだというすさまじいまでの自己効力感を得られるんです。
自己効力感?
ええ。テストプレイをしてみたところ、彼らの想像を遥かに超える熱狂が生まれたそうです。
できないと勝手に限界を設定していたのは、お年寄り自身ではなくて、実は私たち周囲の人間の方だったというわけですね。
本当にその通りですね。
強要しない導入術と「エールの逆流」
でもまだ大きな疑問が残っているんですよ。いくらアーケードコントローラーが叩きやすいといえ、新しいテクノロジーを施設に持ち込んで、さあやってくださいと言っても、私なんて機械は無理よとか、俺じゃ恥ずかしいって遠慮されて終わりじゃないですか。
はい。そこも大きな壁ですよね。
どうやって彼らをゲーム機の前に座らせたんでしょうか?何か魔法のような裏技でも使ったんですか?
この導入プロセスが実は非常に巧妙で心理学的に理にかなっているんです。彼らが徹底したのは、絶対に強要しないことでした。
強要しない。
お膳立てをしてノートレのためにやってみましょうみたいに進めるようなことは一切しなかったんです。その代わり、まず介護現場の職員が勤務時間内に本気でゲームを楽しむ時間を設けたんですよ。
職員が仕事中にお年寄りの前で堂々とゲームで遊んでいたんですか?
はい、そうなんです。職員同士で小さなトーナメントを開いて、わーわーと大声を出して本気で熱狂している姿を見せつけたんです。
それはすごいですね。
すると、そのただならの盛り上がりに惹かれて、気づけば入居者の方が20人ほどギャラリーとしてずらーっと集まったんです。
まるでトム爽也の冒険ですね。ペンキ塗りをやらされているトムが、あえてものすごく楽しそうに作業をすることで通りかかった友達が、俺にもやらせてくれって言い出すあの見事な心理戦と全く同じだ。
まさにそのアプローチです。言葉で説得するのではなくて、大人が本気で楽しんでいる熱狂を転生させるんです。
なるほどなー。
ギャラリーが十分に集まって興味津々で見ているタイミングで、一緒に戦おうよって声をかけると、みんなごく自然に嬉しそうに参加し始めたそうです。
愛知県駒岸市の施設でもこの手法を用いることで、施設全体を巻き込む大きな熱狂を生み出すことに成功しました。
これはリスナーのあなたにとっても、誰かに新しいことを教えたり進めたりするときの大きなヒントになりますよね。
無理に説得するより、自分が心の底から楽しんでいる背中を見せるのが一番強力なアプローチだと。
さらに、この熱狂が個人の内面をどう変えたかを示すソース内のとても印象的なエピソードがあるんです。
どんなエピソードですか?
ある施設にご家族が面会に来ても、普段ほとんど無口な入居者の方がいたそうです。
でも、このeスポーツの取り組みが始まると、その無口だった方がご家族に対して、私今日こんだけ買ったんだよって、自分から生き生きと話すようになったというんです。
うわー、それは鳥肌が立ちますね。
ゲームが単なる暇つぶしを超えて、失われていた家族とのコミュニケーションを取り戻して、自分に自信を持つためのスイッチになったんですね。
ええ、ここでケアeスポーツ協会が掲げているもう一つの重要なキャッチコピーを紹介させてください。
エールの逆流という言葉です。
エールの逆流ですか?どういう意味を含んでいるんでしょうか?
少し想像してみてください。
私たちの人生において、頑張れとか負けるなとか、周囲から大声でかつ無条件に応援されるのって、運動会で走っている子どもとか受験生とか圧倒的に若い世代の特権じゃないですか。
ああ、確かに。大人になると減りますね。
ましてや、高齢になって介護施設に入って車椅子に乗るような生活になると、他者から頑張れって熱狂的にエールを送られる経験は日常から完全に失われるんです。
危ないからゆっくりね、とケアされることはあっても、勝利を期待して応援されることはないんですよ。
言われてみれば、お年寄りに対して手に汗握って、行けーって叫ぶようなシチューションは普通に生活していたらまだありませんね。
でも、ゲームの対戦席に座ってアーケードコントローラーを握った瞬間、周囲の入居者やスタッフたちから、行けーとか、そこで必殺技だ、負けるなーって割れんばかりの声援を浴びることになるんです。
この本気で応援されること自体が、失われかけていた人間の尊厳を回復させて、社会との強烈な繋がりを再構築していくんです。
圧倒的な生き甲斐を生み出すこのメカニズムこそが、エールの逆流の正体なんですよ。
誰もが心の奥底で求めている承認欲求とか、コミュニティへの所属感を、コントローラー一つと周囲の熱狂が完璧に満たしているんですね。
これはもう福祉の枠を超えた一種のサラピーですね。
本当にそうだと思います。
eスポーツが描く未来:社会インフラとしての可能性
さて、ここまでは介護施設という閉ざされた空間の中で起きた奇跡について見てきました。
では、この取り組みはこれからどんな未来を描こうとしているのでしょうか。
現在、教会が最大の目標として掲げて、同時に直面している大きな課題があるんです。
それは、施設という枠を飛び越えて、独居、つまり一人暮らしの高齢者へとこのプラットフォームを展開していくことなんですね。
施設に入っていない地域で孤立しがちなお年寄りたちですね。
はい。彼らが自宅からオンライン大会に出場することで、
今日も元気にゲームにログインして戦っているなっていう監視カメラに頼らない、非常に自然な安否確認のツールとして機能するんです。
なるほど。ゲームのログイン状態が生存確認になるんですね。
また、オンライン上で顔を合わせて対戦を通じて社会交流の場を作ることもできます。
実際に愛知県香南市では、自治体と連携した取り組みとして、1年間、eスポーツを使ったフレイル予防、つまり介護予防の教室が開催されたんですよ。
へー。
初対面の高齢者同士がゲームを通じてスコアを競い合って、見事に交流を深めていった実績があります。
自宅にいながら地域と繋がれて、しかも熱狂できるなんて最高じゃないですか。でもちょっと待ってください。
はい。
一人暮らしのお年寄りの家とか地域の古い公民館みたいな場所で、最新のオンライン格闘ゲームってスムーズに動くものなんですか。
非常に鋭い指摘ですね。そこがまさに今最大のハードルとして立ちはだかっているんです。IT設備とネットワークの壁ですね。
やっぱりそこが壁になりますか。
はい。最初に取り組んだアミンゴクラブという施設は、偶然にも20年近く前から施設全体に有線LANなどの強固なネット環境が整っていたという奇跡的な口音があったんですよ。
それはすごいラッキーですね。
でも一般の区民センターとかコミュニティスペースに設置されているWi-Fiは家庭用ルーター程度の簡易な設備であることが大半なんです。
オンラインでリアルタイムに格闘ゲームを動かすには致命的な遅延や接続不良が生じてしまいます。
まあそうですよね。独居の高齢者宅となれば、そもそもネット回線すら引かれていないケースも珍しくありませんから。
回線工事の手配をして、ルーターの設定をして、最新のゲームをつなぐって、それをお年寄りにやれというのはあまりにも酷な話ですね。
そのため現在は協会側がコントローラーからPS5本体、さらには通信環境に至るまで全ての機材を用意して持ち込むという、かなり労力のかかる力技で一歩を積み出している状態なんです。
全て持ち込みですか。それは大変な苦労ですね。でもそこまでしてこの仕組みを地域に広げようとしているのには、単なるお年寄りに最新のおもちゃを提供したいという以上のもっと大きな理由がある気がします。
おっしゃる通りです。これはもはやゲームの導入ではなくて、ゲームという媒体を使った年齢や身体的制約を公越できるプラットフォームの構築という、壮大な社会インフラづくりのプロセスなんですよ。
社会インフラですか?
はい。浜さんはインタビューの中でこう語っています。やってみて分かった課題を少しずつ直していく方が正しいやり方なのかなと思う。プロゲーマーの端くれではそう感じると。
なるほど。完璧な計画と設備が整うまで待つのではなくて、まずは走り出して、バグが出たらその都度修正していく。まさにアジャイル開発のようなプロゲーマー的思考法ですね。
ええ。そしてこのプラットフォームが完成して視野をさらに広げた時、対象は高齢者だけに留まらないんです。
どうにますか?
例えば、身体に障害を持っていて外に出られない子どもたちとか、不登校で部屋に引きこもっている若者たちがこのシステムを通じて外の世界とつながって、年齢や立場を完全に超えた交流を持つことができるんです。
ああ、確かに。オンラインゲームなら年齢も関係ないですからね。
誰もが平等に戦って応援し合えるインフラになる可能性を秘めているんです。
私たちの情熱を問い直すeスポーツの教訓
いや、本当に興奮する探究でしたね。今回の話を少し振り返ってみると、全てはタブレットのオセロ大会で流れた悔し涙と嬉し涙から始まりました。いくつになってもやっぱり勝ちたいという人間の本質的な欲求。そこから操作の壁をアーケードコントローラーで破壊して、テッケンの圧倒的な視覚的カタルシスを提供する。
そうですね。そして決して強要するのではなくて、職人が自ら全力で楽しむことで熱狂を伝染させるという見事な導入アプローチ。その結果として生まれるエールの逆流が高齢者の生き甲斐と尊厳を取り戻していくわけです。
テクノロジーを使って人間の情熱をどう引き出すかという本当に優れたケーススタディですよね。
ゲームが世帯や環境の壁をつないで孤独を解消する最強のツールになり得るという鮮やかな証明でしたね。
はい。リスナーのあなたにもぜひ考えてみてほしいんです。次にあなたがゲームのコントローラーを握るとき、あるいは身近な年の会の方と接するとき、今回の話を思い出してみてください。
年齢を理由にしてもう遅いとか、そんなの似合わないとか、無理に決まっているって勝手に限界を決めていているのは、実はお年寄り自身ではなく私たちの方なのかもしれません。
この事例は単なる高齢者福祉の成功例にとどまらず、私たち自身の生き方に対する深い問いかけでもありますよね。
そうなんですよ。最後になりますが、今回の議論を通じて私からあなたへ一つの問いを投げかけて終わりたいと思います。
もし90歳のおばあちゃんがド派手な格闘ゲームで闘争心を取り戻して、目を輝かせて生き甲斐を感じられるのだとしたら、
私たちがもう大人だからとか、いい歳だからと世間体を気にして無意識のうちに心の奥底に封印してしまった情熱を燃やせるものは他に何があるでしょうか。
日常の穏やかなルーティーンに甘んじて、本当は全力を出したいアリーナから逃げ出しているのは私たちの方かもしれないですよね。
あなたが心の奥底で本当はやっぱり勝ちたいと熱く願っているものは一体何ですか。
今回の情報探索はここまでです。次回もまた未知なる知識の世界でお会いしましょう。
21:00
コメント
スクロール