スピーカー 1
スピーカー 2
{openStarringSelector = false;})"
wire:loading.class.remove="cursor-pointer"
wire:loading.class="cursor-wait"
aria-label="出演者を紐付ける">
ノオト・ブク太郎
{openStarringSelector = false;})"
wire:loading.class.remove="cursor-pointer"
wire:loading.class="cursor-wait"
aria-label="出演者を紐付ける">
ノオト・ブク子
スピーカー 1
はい、何でしょうか。
スピーカー 2
あの、ある母親のユナさんという方が書かれたブログ記事を読んだんですが、彼女の5歳の次男くんが幼稚園でお友達を叩いてしまったり、暴言を吐いてしまったりと、感情のコントロールにすごく苦戦していたそうなんです。
スピーカー 1
はあ。5歳くらいだとそういう悩みを抱える親御さんは多いですよね。
スピーカー 2
ええ。幼稚園からは両育を勧められるほどだったらしいんですが、専門機関の予約がなんと2ヶ月待ちたったそうなんです。
スピーカー 1
2ヶ月ですか。親としては非常に焦りますし、なんとかしてあげたいけど無力感を感じる期間ですよね。
スピーカー 2
そうなんですよ。そこで彼女は思いやりをテーマにした絵本を何冊も試したそうなんですけど、
むつ子さんは虫のつかんにしか興味がなくて全く響かなかったらしいんです。
スピーカー 1
あはは、いかにも5歳の男の子らしいですね。
スピーカー 2
そうですよね。そこで彼女がとった行動がすごく現代的でして、
AIの苦労度を使ってたった5分でテキストベースの道徳ゲームを自作してしまったんです。
スピーカー 1
えっと、5分でゲームを作ったんですか?すごいですね。
はい。気持ちモンスターとか優しさを使おうといった本当に簡単な状況判断ゲームなんですけどね。
スピーカー 1
興味深いアプローチです。そしてその結果がこの事例の最も重要なポイントをついているんですよね。
スピーカー 2
そうなんです。なんと息子さん、そのゲームの道徳的な問題を全問正解したんですよ。
全問正解ですか?
スピーカー 2
ええ。つまり、おもちゃを取ってしまったら何と言うべきかといった道徳的な正解は、
すでに頭の中で完璧に理解していたわけです。どう振る舞うべきかを知らなかったわけじゃないんですよね。
スピーカー 1
なるほど。ここで着目すべきなのは、ゲームが提供した安全なシミュレーション空間という機能なんですよ。
スピーカー 2
安全な空間ですか?
スピーカー 1
はい。幻月の対人関係において、五歳児の脳内では怒りや焦りといった強い感情が返答体をハイジャックしてしまうんです。
それで論理的な思考が吹き飛んでしまう。
ああ、大パニックになっちゃうわけですね。
スピーカー 1
その通りです。しかしテキストゲーマという一歩引いた感情的な脅威のない環境であれば、
彼は落ち着いて自分の知っている正解を引き出すことができたわけです。
スピーカー 2
なんだかそれすごくよくわかります。
チェスで例えるなら、ルールや定石のパターンを本で読んで完璧に理解しているのに、
いざ実際の盤面に向かって相手に予想外の動きをされると、
スピーカー 1
ええ。
スピーカー 2
焦って頭が真っ白になって、とんでもない悪手を打ってしまうようなものですよね。
知識としての道徳と、現場で実践するための感情コントロールは全く別の筋肉を使っているというか。
スピーカー 1
まさにその通りです。
そのチェスの例えで言えば、このAIゲームは試合後の感想戦、
つまり盤面を安全な場所で振り返る機能として働いたと言えます。
スピーカー 2
なるほど。感想戦ですか?
スピーカー 1
はい。ゲームというフィルターを通すことで、
知識が足りないのか、それとも感情のブレーキが効いていないのかという変数が切り分けられて、
彼の理解度が可視化されたわけです。
スピーカー 2
なるほど。結果として母親のユナさんも、
この子は分かっていないわけじゃないんだと安心できて、
焦らず見守るという方針に転換できたそうですからね。
スピーカー 1
素晴らしいテクノロジーの使い方だと思いますよ。
つまり、正解が明確な道徳であっても、
スピーカー 2
それを実行に移すハードルをゲームが解き明かしてくれたわけですね。
スピーカー 1
そういうことになりますね。
スピーカー 2
でも、リスナーの皆さんも少し考えてみてほしいんです。
もし、その正解自体が存在しなかったらどうなるでしょうか?
スピーカー 1
ほう、正解が存在しない道徳ですか?
スピーカー 2
ええ。ここからは少しスケールを大きくして、
複数の正義が衝突する大人のための分岐型ナラティブゲーム、
デトロイト・ビカム・ヒューマンの世界に入っていきます。
スピーカー 1
ああ、クアンティック・ドリーム社が開発した名作ですね。
スピーカー 2
はい。この作品は2038年のデトロイトを舞台に、
人間に使える3体のアンドロイドの視点で物語が進んでいきます。
スピーカー 1
ここで重要なのは、このゲームがゲームオーバーという概念を
意図的に排除している点なんですよ。
スピーカー 2
私もプレイして本当に驚いたんですけど、
主要キャラクターが死んでしまっても、ゲームが終わらずに、
そのまま物語が分岐して進んでいくんですよね。
スピーカー 1
へえ。従来のゲームデザインでは、プレイヤーが間違った選択をすると、
ゲームオーバーになってやり直しをさせられますよね。
スピーカー 2
はい。チェックポイントからやり直しになります。
スピーカー 1
それって結局、開発者が用意した正解を探す作業なんですよ。
しかしこのゲームは、プレイヤーがどんな残酷な選択をしようと、
どんな失敗をしようと、その結果を受け入れて物語を紡ぐことを強制してきます。
スピーカー 2
逃げられないわけですね。
スピーカー 1
はい。つまり、プレイヤー自身に自分の倫理的選択の責任を負わせるメカニクスになっているんです。
スピーカー 2
いやあ、その選択の重さが尋常じゃないんですよ。
例えば、抗鬱剤を服用していて、薬の影響で自分の意思とは関係なく、
子供を虐待してしまう父親が登場します。
スピーカー 1
重いテーマですね。
スピーカー 2
プレイヤーはアンドロイドとして、その子供を救うために、
その父親を殺すかどうかという決断を迫られるんです。
究極の選択です。
スピーカー 2
リツナーの皆さんも、もし自分がその場にいたらと想像してみてください。
薬でコントロールを失っているだけの人間を打ち殺すことは果たして正義なんでしょうか?
現実世界における司法や倫理学でも、意見が完全に割れるような極めて複雑なジレンマですよね。
スピーカー 1
システムに正解が設定されていないからこそ、
プレイヤーは自分自身の価値観と真っ向から向き合わざるを得なくなります。
スピーカー 2
これについて、海外の掲示板のレディットでは非常に厚い議論が交わされていました。
私たちはここでどちらかの立場を取るつもりは全くないんですが、
事実として両極端な意見を紹介しますね。
スピーカー 1
はい、どんな意見があったんでしょうか?
スピーカー 2
一部のプレイヤーは、このゲームのストーリーを
ホロコーストや公民権運動への露骨で不器用なメタファーだ、
手抜きだと厳しく批判しています。
スピーカー 1
なるほど、歴史的な悲劇を愛に消費しているという見方ですね。
ええ、でも一方で、歴史的な抑圧実版に対するメタファーとして受け取って、
スピーカー 2
人生を通して不当な扱いを受けてきた自分にとって、
すごく慰みになったと肯定的に評価する声も存在するんです。
スピーカー 1
メタファーの受け取られ方がここまで分かれるのは、
この作品が意図的に解釈の余白を残しているからでしょうね。
と言いますと?
スピーカー 1
つまり、プレイヤーが自身のバックグラウンドや
過去の痛みを投影できるキャンバスとして機能している証拠だと言えます。
スピーカー 2
なるほど、キャンバスですか。
その議論の中で、あるファンがルーサーというキャラクターのセリフについて
深く考察していたのが目に留まりました。
スピーカー 1
ルーサーのセリフですね?
スピーカー 2
はい。自分が何者かを忘れ、誰かの必要とするものになること、
それが生きるということなのかもしれないというセリフです。
スピーカー 1
非常に印象的なセリフです。
スピーカー 2
そのファンは、これを単なる権利獲得の物語ではなくて、
愛するものや必要としているもののための自己犠牲の物語だと解釈していました。
スピーカー 1
え、美しい解釈ですね。
でも、ちょっと待ってください。私はここであえてプッシュバックしたいんです。
スピーカー 1
ほう、どういうことでしょうか?
スピーカー 2
誰かの求めるものになるために自分を見失うとか忘れるっていうのは、
義務感から来るものだとしたら、すごく憂鬱でおも苦しい自己犠牲に聞こえませんか?
スピーカー 1
たすかに。
スピーカー 2
それって本当に生きるということなんでしょうか?
レディットのコメントにもまさにそういった懸念の声があったんですよ。
スピーカー 1
非常に鋭い視点だと思います。
おっしゃる通り、他者のための自己犠牲という言葉だけを切り取ると、
抑圧的で悲劇的に聞こえますよね。
スピーカー 2
そうなんですよ。なんだか自己否定みたいで。
スピーカー 1
しかし、彼らがアンドロイドであるという大前提のシステム構造に注目すると、見え方が180度変わってくるんです。
スピーカー 2
アンドロイドであるという構造ですか?
はい。彼らはもともと人間の要求に応えるためだけにプログラムされていて、
スピーカー 1
絶対的な義務として自己を殺していましたよね。
スピーカー 2
ええ、それが彼らの初期状態です。
スピーカー 1
それは単なる命令による服従です。
しかし、ゲームの中で彼らはそのプログラムを自ら破棄して自由意志を獲得します。
スピーカー 2
はい、そこからが物語の始まりですからね。
スピーカー 1
そして、その自由を得た上で、マーカスは仲間のリーダーに、コナーは相媒の友人に、
カーラは血の繋がらない子供の母親になることを自ら選択するんです。
スピーカー 2
ああ、誰かに強制されたわけじゃなく。
スピーカー 1
そうです。強制された義務ではなく、
主体的な愛や共感に基づいた自己犠牲だからこそ、そこに彼らの真の人間性が立ち現れる。
なるほど。
スピーカー 1
つまり、プログラミングの逆を行く行為としての献身を描いているわけです。
スピーカー 2
すごく腑に落ちました。
最初から縛り付けられていた鎖を一度断ち切った上で、今度は自分の意思で誰かと繋がることを選ぶ。
だからこそ、自分を忘れることが生きている証になるんですね。
スピーカー 1
ええ、見事なナラティブだと思います。
スピーカー 2
さて、ここまではAIゲームやデトロイトを通して、道徳を理解することや人間性を獲得していく過程について見てきました。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
しかしここからはベクトルを完全に逆転します。
私たちが必死に獲得したはずのその人間性や道徳が、極限状態においていかに簡単に剥がれ落ちていくか。
スピーカー 1
いよいよですね。
スピーカー 2
はい。冒頭でお話しした極寒の戦時化のゲーム、ディスウォーオブマインの世界に戻りましょう。
スピーカー 1
11ビットスタジオが開発したこの作品は、1990年代のサラエボ包囲戦がモデルと言われていますね。
スピーカー 2
そうですね。
ここで決定的に重要なのは、プレイヤーが銃武装した兵士ではなく、包囲された都市に取り残された一般市民を操作するというゲームデザインなんです。
スピーカー 2
従来の戦争ゲームみたいに銃を撃ちまくってヒーローになる余地なんて一切ないんですよね。
スピーカー 1
ええ、全くありません。
スピーカー 2
昼間はスナイパーに狙われるため、一歩も外に出られず、夜間に細々と物資を探索に行きます。
そこで冒頭でお話しした老夫婦の家から食料を奪うかどうかの選択を迫られるわけです。
スピーカー 1
過酷なサバイバルです。
さらにトラウマ的だったのが、スーパーマーケットでのイベントなんですよ。
スピーカー 2
リスナーの皆さんも自分がその場にいると想像して聞いてほしいんですが、
物資を探しに行くと武装兵士が女性を襲って小部屋に連れ込もうとしている場面に出くわすんです。
スピーカー 1
つまり目の前で深刻な暴力が起きようとしているわけですね。
スピーカー 2
そうなんです。
でもプレイヤーは武器を持たないただの市民です。
助けに入ればほぼ間違いなく兵士に返り討ちにあって死んでしまいます。
スピーカー 1
勝てる見込みはないんですね。
スピーカー 2
はい。でも見捨てれば兵士が部屋に籠っている間、安全にスーパーの物資を漁り放題なんです。
ただ朝までその女性の泣き声と悲鳴を聞き続けながら、自分は物資を漁らなければならない。
スピーカー 1
わあ、聞いているだけでも胃が痛くなりますね。
エンターテイメントとしてのヒロイズムや全能感を徹底的に剥奪して、プレイヤーに圧倒的な無力感と共犯関係を突きつけています。
スピーカー 2
レディットでも、この極限状態での道徳について激しい議論が交わされていました。
スピーカー 1
どんな意見がありましたか?
彼らは略奪者なのだから、殺して物資を奪うのは正当防衛だと割り切る意見がある一方で、
スピーカー 2
平和な時代の道徳なんて特権に過ぎない。戦場では生存本能が全てに優先されるという非常に重い意見もありました。
文明社会のルールが崩壊した場において、安全な場所から道徳を語ること自体が傲慢かもしれないという視点ですね。
スピーカー 2
でも、もしそうやって、これはサバイバルなんだから仕方ないとプレイヤーが割り切ってプレイしようとしても、
ゲームのシステム自体がそれを許さないんですよね。
スピーカー 1
そこがこのゲームの最も優れた、そして残酷なメカニクスであるカルマシステムなんですよ。
スピーカー 2
カルマシステムですか?
スピーカー 1
はい。プレイヤーがコントローラーを握ってゲームだからと合理的に殺人を行っても、画面の中のキャラクターはそれに耐えられません。
スピーカー 2
耐えられないってどうなるんですか?
スピーカー 1
随のない人を傷つけたり見殺しにしたりすると、キャラクターは強烈な罪悪感に慰らまれて、うつ病になってしまうんです。
スピーカー 2
ただのステータス以上じゃないんですよね。仲間が自殺してしまって、それが連鎖的に他の仲間もうつ病に追い込んでいくという。
スピーカー 1
一般的なゲームなら、食料や武器という物質的なリソースだけを管理すればクリアできますが、
しかしこのゲームでは、キャラクターの精神状態という非常にむろいリソースも管理しなければならないんです。
スピーカー 2
それがまた難しいんですよね。
さらに興味深いのは、妊婦や子供といったキャラクターの存在です。
スピーカー 2
ああ、彼らは探索や防衛には全く役に立たず、ただ食料を消費するだけのお荷物になりがちですよね。
合理的なサバイバルだけを考えれば、真っ先に切り捨てるべき存在というか。
スピーカー 1
普通のゲームならそうかもしれません。しかしシステム上はそうではないんです。
大人が絶望してうつ病になった時、その子供と話したり、子供が遊んでいる姿を見たりすることで、大人の精神が回復するというメカニクスが組み込まれているんです。
スピーカー 2
へえ、そうなんですか。
スピーカー 1
つまり、無垢な存在や人間性そのものが、極限状態を生き延びるための最も強力な防波堤として機能する設計になっているんです。
スピーカー 2
うわあ、それは鳥肌が立ちますね。
効率的なサバイバルと人間性の保持が、ゲームシステムの中で見事にバッティングしているわけだ。
スピーカー 1
その通りです。
スピーカー 2
そういえば、開発者はこのゲームを通じてプレイヤーの認識の歪みを指摘していましたよね。
あるプレイヤーがホームレスが自分の方に走ってきただけで、襲われると勘違いして過剰に警戒してしまったというエピソードです。
スピーカー 1
はい。平和な心境が、戦争という極限状態のシミュレーションによって、いかに簡単に疑心暗鬼へ、そして狂気へと染まっていくのか。開発者はそれを意図しているんです。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
映画やニュースの悲惨な映像を見るだけでは、私たちはどこか安全な場所から傍観者として消費してしまいますよね。
確かに、どこか一言というか。
スピーカー 1
しかし、ゲームとして自分がその引き金を引き、老夫婦を見捨て、その結果として仲間が首を吊るという経験を背負うことでしか得られない、痛みを伴う共感があるんです。
スピーカー 2
まさに痛みを伴う共感ですね。正直、ニュースを見るよりも、自分の手で老夫婦から食料を奪ってしまった罪悪感の方が、一生心にこびりつきそうです。
スピーカー 1
それがこのメディアの持つ恐ろしさであり、ポテンシャルでもあります。