1. タイクツナゴゴ
  2. 異国日記、感じたことをそのま..
異国日記、感じたことをそのまま声に
2026-08-04 24:12

異国日記、感じたことをそのまま声に

spotify apple_podcasts

アニメ【異国日記】

全エピソードを見終えた私の

心から溢れだした声をそのまま流します

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このポッドキャストは、アニメ「異国日記」全話を視聴した感想を語るものです。主人公の朝や、彼女の叔母である牧夫のキャラクターに自身の経験を重ね合わせ、孤独感や自己肯定感、人間関係について深く考察しています。特に、登場人物たちの繊細な心理描写や、詩的な言葉遣いが心に響いたと語り、作品全体を通して、人生における様々な視点や感情の機微を豊かに感じ取った体験が共有されています。最終的には、作品から得た「なるようにしかならない」という諦観にも似た境地が、生きやすさにつながったという結論に至っています。

アニメ「異国日記」との出会いと視聴体験
タイクツナゴゴ、2026年8月の2日。
今、娘を朝の学校へ行く電車の駅まで送ったその帰りです。
今、ずっと見ていたアニメの異国日記の最終回を見終わりましたというお話。
非常に胸に残る作品でしたね。
こちらの作品は、個人的にもずっと気にはなっていたんですけれども、
リアルタイムでの視聴はしていなくて、
私が仲良くさせていただいているポッドキャスターの3AMOTAKさんが紹介されていたものを聞いて、
改めて見たくなって、見たという作品になるんですけれども。
いつも娘と一緒に、長女ですけれど、いつも一緒にアニメを見ることが多い私ですが、
こういう日常系のものはどうも好きじゃないという話で、
本当は娘と見たかったんですが、
最終的には途中から一人で見たんですけど。
言語化をするのがすごく難しいので、
多分今日のお話は日本語的にはあまり分かりにくいお話になるのかなとは思っていますけれど。
主人公「朝」に重ねる自身の過去と孤独感
何が心に残るかというと、
まず登場人物の中に自分というものを見ることがすごく多くてですね。
これは別に異国日記の紹介でもなければ、
自分自身の微暴力みたいなポッドキャストなので、
気になる方は異国日記を見てくださればと思うんですけれども。
まず主人公の14歳、15歳、高校1年生の朝という女の子については、
僕も自分になりたかったんですよね。
考えてみたらおそらく30…じゃないな。
40歳近く、40歳超えるぐらいまでかな。
自分の居場所みたいなものが見つかってなくて探していた気がしますね。
学生時代の自分を思い浮かべると、
小学校の時の同級生の男が3人、
実質4人なんだけど1人学校来てなかったので3人ずっと保育園から一緒の子がいて、
運動できる子が2人と、僕。
僕はあまり運動できてなかったので、
仲悪いわけでもないし一緒に遊ばないわけではないんだけれども、
どこかこうやっぱり一人ぼっちをずっと感じていた。
当時で言うとよくね、親友なんていう言葉でアニメとかで、
主人公の近くには必ずそういう人がいて、
自分の身の回りを見渡すとそういう親友と呼べるような友達はいなかったのかなと。
中学校に入ると一つ年上の先輩が気にかけてなのか気に入ってなのか、
家に来るようになって。
その時に僕の同級生の一人も誘って3人でね、
そこから毎週のように家に来てはみたいな、
そういう学生生活に変わっていって、
なんか自分にもそういう親友と呼べる友達がこれでできたのかなっていう
安心感を得たのを覚えてますね。
だからそうなってくると自分自身の中にある自分っていうものが、
その一個上の友人、この人は割と自己主張も強かったですし、
やりたいことがいっぱいある人だったので、
ついていくような形が多かったのかな。
その中で自分が主張卓越していくような付き合い方だったとは思うんだけれども、
その人の考え方だとかいろんな影響っていうものをもろに当時受けていたなということは思いますね。
後々それが良くも悪くもすごく自分の中に残ってきてるなというのは感じますね。
最終的には大人になって働くようになってから、
ちょっと疎遠になるというようなことがあったりするわけですけれども。
叔母「牧夫」のキャラクターと発達障害の考察
だから何が言いたいかというと、
朝がね、一人きりで孤独を感じて砂漠を歩いていたりだとか、
孤独って砂漠だっていうような言葉が出てくるんだけれども、
その孤独っていうものを感じていた自分をだぶらせて、
そして自分が何かになりたいんだけれども自分には全く才能がなくて、
やりたいことをやってみるんだけれどもうまくいかなくてっていうようなね、
自分をすごく思い浮かべて、
そして周りに時にはたり散らかしてっていうね、
あの10代特有の姿がすごく自分に重なって見てました。
それから朝と一緒に暮らすおばの牧夫という小説家の人は、
この方も変わった人で、
言い方がとても詩的な言葉遣いで朝に語りかけたり、
それから自分のことが全くできない、
おそらく何かしらの後半性発達障害なんだろうと思うようなね、
自分の診断こそ中で自分の自己診断ではADHDというようなね、
特性が自分の中にあるんだろうなと、
片付けができないものを言われたことをすぐ忘れてしまうし、
整理整頓というものができないし、
約束したことをあまり覚えるのが苦手、
きちっとするっていうことが苦手。
そもそも友達が欲しいというくせに、
人付き合いがあまり得意ではなく、
一人でいるっていうことに対して、
どこか居心地の良さっていうものを感じているというようなね、ところ。
それから自分の得る感覚が、
比較的周りの人と共有しにくい、されないことが多い。
多いって言っても相手次第なのかな。
うちの妻なんかはすごくしっかりした人なので、
そういうところがね、自分にない部分。
一緒に人生を歩んでいく上で、
とてもお互いのことを補完し合えるんじゃないのか、
っていうようなことも思ったわけですけれども、
必ずしもそうはならないっていうのがね、
難しいところですけれどもね。
だからそういう妻からすると、
理解ができないっていうことをよく言われてます、今でもね。
なんでできないのって、
そうそう、なんでこんなこともできないのっていうね、
朝の母親の言葉。
マサイも言うんですけど、巻き尾に向かってね。
なんであなたはこんなこともできないのっていう、
あの言葉のね、自分を傷つける、
あの鋭利な切れ味というか殺傷能力っていうものをね、
久しぶりに、いや日々だな。
改めて客観的に見たっていう感じかな。
そう、この言葉ってすごく傷つくし辛いよねっていうのを、
その巻き尾を通して、
巻き尾はそういういろんなことをいっぺんに言われる朝にね、
そういう場面があるんですけれども、
あまりいっぺんに言わないで怖いっていう言葉が出てくるんだけど、
朝じゃなかったかな、弁護士の人だったかな、どちらか。
傷ついてしまうというか怖くなってしまうっていう、
場面についての共感っていうのはすごくありましたね。
いっぺんにいろんなこと言われるんですよね。
やつぎ早にね。
そうすると消化しきれなくて、
分かってるんだけど、ってなるっていうところは、
なんかこう巻き尾のそういった、
弱い自分にどうしても理解をしてくれない人に対しての嫌悪というかね、
そういう感じはすごく分かりますね。
その巻き尾の、特に朝に対してしゃべるときの言葉のチョイスだったり、
その独特な詩的な言い回しみたいなものは、
僕はとても好きで、
どちらかというと自分一人で物を考えているときに、
頭の中でしゃべっているのはそういう言葉遣いな気がします。
だから巻き尾はきっと朝に話しかけているときに、
自分の頭の中、心の中で考えて考えてしゃべっているんだろうなぁと思うわけですね。
友人としゃべるときなんかは割とそのあたりはフランクな言葉遣いをしているところを見ると、
心を許しているというか、考えずに思ったことをしゃべっている。
だから笠町くんっていう男性が出てくるんですけど、
笠町くんに対する話っぷりってどちらも出てくるような気がするんだよね。
これがまたいい。
というか巻き尾さんみたいな人って本当に実際に目の前にしたら違うなかもしれないけれども、
個人的にはとても素敵な人だなぁと思うんだよね。
そのあたりは笠町くん的な感じがあるのかな。
でも笠町くんのようにしっかりいろんなことができるわけではない。
でも笠町くん自体もそんなことはない。
心を壊しているので。
作品の構成とキャラクター描写の魅力
東洋人物みんながそれぞれ何かしらのことを抱えているっていうのはね、
見ていてキャラクターの魅力、作品の魅力なのかなぁということは思いますね。
最終回の1話前に風呂敷をわっと広げるあたりも、
どう回収するんだろうって思ったんですけど、
例えば、全然それまで出てこなかった野球部の子が、
先輩からのいじめだったり、バッシリみたいな扱われ方だったり、
そういうことに対して反発をして野球部を辞めるっていう場面が出てくる。
でも全然本筋のキャラクターとの絡みはないんだけども、
こいつ今更こんな話を出してどうするんだろうって思うと、
ちゃんと最終回のところでそれなりの回収をされるっていうところ。
その風呂敷の広げ方と畳み方がとても独特だったなぁというふうなことは思いますね。
そうだなぁ。
あとその3Mオタクさんに送ったお便りの中にも書いたことがあったりするから、
そのあたりの微暴力は3Mオタクさんのポッドキャストを聞けばいいのかなって思うので、
詳しくは、その時感じたことを喋っているので、
今多分振り返って喋っても鮮度が落ちてしまっているというか、
その時の言葉じゃなくなっちゃっているから、あまり言う価値っていうものがないのかなと思うので、
今は今感じていることだけを拾って喋るんですけど。
そして牧尾さんが朝を育ててきた、成長を見る中で育ててきた自分の姉、
犬をしている姉について、姉はすごい人だっていう場面があって、
僕はその姉がすごいっていう牧尾の心の変化があっていうことよりも、
自分も同じように子供を仮にも親として、
それこそ朝の父親ぐらい、あそこまでじゃないかな、
母親に育児をいろんなことを丸投げしてきたとまでは言わないですけど、
頼って育ててきたことを仮にも16年間かな、
今日も朝送り迎えしてますけれども、
それをやってきた自分に牧尾さんから声をかけられたような気もするし、
果たして自分はそんな言葉を受けられるような父親だったのかというような気もするし、
なんかこう、親の立場、それから自分の子供だったときというか、
一人の自分というもの、それから第三者みたいないろんな視点から感じることができた作品だったなと思います。
本当に朝がね、自分の部屋を片付けたりっていうところ、
卒業式の場面が前半に出てくる、そこでは本当に涙が出てきて、
グッとくる画面があったんだけども、だんだん見ていくうちに物語の中に入り込むというよりは、
どんどんどんどんなんか視点がメタになっていくというか、
一日帳になっていく、なんかこう、いろんな視点が混ざってきて、
すごい生理が全くさせてもらえない感情の起伏というものを作品を見ながら、
あるときは自分、過去の自分、今の自分、親の自分、
それから視聴者、第三者としての作品を味わう自分みたいなね、
そういう目まぐるしい心の感じ方がたくさんだったんで、
一気見しようと思っても3話ぐらい見ると、本当に胸がいっぱいになって次見れないっていうような作品、
あまりないんですけど、でした。
いいか悪いかとかっていう作品じゃないな。
これは人を選ぶのかもしれないけれど、
何かしら心の感受性が豊かで、何かしら感じることができる人にとっては、
意味のある作品なんだろうなと思います。
具体的に何かっていうことではなくて、
これはよく、なんかこう作品、小説なり映画なり、
僕はそういう味わい方をする作品が好きなんだけれども、
心に何かよくわからない形のものが残っているっていう作品、
それが何なのかとか、この作品を見たからこう思ったからこういうふうに自分を変えていこうと思ったとかっていう人もいるけれども、
僕はそんなことあんまりなくて。
あってもね、映画のコンスタンティンを見た後に劇場を出たら、
とりあえず丸ボロに火をつけたくなったっていうことはあっても、
自分を変えたいとかっていうことはなかなか思うタイプではなくて、
よくわかんないものが胸の中にコロンと残っている。
それがゆくゆく何か知らないうちに自分の発言だったり考え方だったり、
選択肢の影響を与えるというか、選択肢、考え方を作る栄養になっているっていうようなことがほとんどなんですけれども、
この作品はそういう意味ですごいたっぷりいろんな栄養が入っていた料理だったなと思いますね。
非常にだから味わい深かったし、とても美味しかった。
何が美味しかったかっていうと今言ったような形なんだけども、
でもそういった言葉で表せない美味しさっていうものがこの作品にはあったなと思います。
すごく良かったですね。
エミリーちゃんって朝の同級生の幼なじみの女の子。
おそらくは彼女は彼氏を作らない。
理由は同性の子の方がっていうことなんだろうと思うんだけれども、
なんかあの辺の葛藤も幼なじみの朝にも言えない葛藤を抱えていたりだとか、
本筋にはほぼ関係がないっていうような、
その人物の心の揺れ動きというか、
そういった部分の描写がいろんなところに出てきて、
またそれがいいんですよね。隠し味のような形でね。
味わいを深くしている。
いろんな人物に心を投影する。
作品から得た人生観と生きるためのヒント
だってほら、チッチでしたっけ?
医者を目指す女の子に本を借りた男の子がいて、
その男の子がその女の子に本を返したいっていうところの描写。
別にその男の子がいなくても成立するんだろうけど、
その男の子がその本を返したいっていう思いを持って、
LINEの連絡先を聞き、LINEをするかどうかをすごく悩みっていう場面を、
わざわざそこに入れてくるっていうのも、なくても別に全然いいんだけど、
それがあることによってまた味わいが深くなるっていうね。
本当に自分の、みんなに聞いてもらうためのポッドキャストでは、
絶対に喋らないような話の構成。
何のまとまりもない思いつきで、
ただただ胸から出てくる言葉を垂れ流しているようなエピソードではありますけれども、
微暴力として残させてもらいます。
もし興味があって聞いてくれた人の中で、
この異国日記、ネットフリックスで見れますからね。
よかったら見ていただけると、
特に感受性の強い方とかね、
よくいろんなこと悩んじゃう方とかは見てみるといいのかなと思いますね。
まきょうさんが言ってましたけれども、考えて考えて考えて最後は考えないっていうね。
あれはね、真理に近いものがあるなとは。
と言っても僕もやっと40過ぎてそういう気持ちに気づいたというか、
そういうマインドに慣れたというかね。
それまではずっと考えて考えて考えてで言ってたから、
すごく苦しかったんだけれども、
ある時、どこかで割り切るというか諦めるというかね、
なるようにしかならないなっていう、
そういう何だろうな、希望に対する諦めみたいなものを持って物事には望んだりだとか、
結果を受け入れるようにしてからは少し生きやすくなったのかなとは思います。
きっとまきょうさんもすごく息苦しい人生を彼女なりに送ってきた中で、
自分が生きやすい心の在り方だったり気持ちの置き方みたいなものを探してきて、
今あそこにいたんだろうなと思いますね。
最後の最後にね、まきょうさんが朝のことを犬に例えてっていう場面も出てくるんだけれども、
そういうところがねすごくよくわかるというか、
素直に言葉をかけられないんだけれども。
何か残したい。まさに僕がやっているポッドキャスト、
特にこのたいくつな午後っていう、
この誰にも見られることがないであろう
何のPRもしないこの配信は僕にとっての 牧尾さんの詩だったり小説に近いものがあるなぁ
ということを感じつつですね つれづれと喋ってみました
全くまとまりがないひどい ひどいひどいエピソードになったかもしれないですけれども
まあよかったらまた聞いてくれた人がいたならね 感想なんかコメントに書いてもらえたりすると
なんかこう自分の気持ちを共有していただいたっていう感じが 嬉しいかなぁと思っております
はいちょっと長くなっちゃったかな今日はこの辺でおしまいですでは
24:12

コメント

スクロール