こんにちは、プロ社畜とサイコパスの部屋にようこそ。
ここは、プロ社畜とサイコパスの2人が皆様からお寄せいただいた、
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こんにちは、アシスタントのマサです。
本日もよろしくお願いしまーす。
よろしくお願いしまーす。
お願いしまーす。
学2に戻りました。
ヘッドフォン外して聞かないようにしたんですけど。
よかったです。
今日も頑張っていきましょう。
いきましょう。
ラジオネーム、たいきさん。福井県20代男性からのお便りです。
いつも楽しい配信ありがとうございます。
初回から最新話まで一度も聞き逃したことありません。
嬉しいですね。
ありがとうございます。
早速ですが、お二人に質問です。
私にとって、準備とはこうである。嫌だとはこうである。
自分の中で明確な定義をつけている単語はありますか?
そして、会話の中で自分の定義とは違った意味で使われたりした場合はどうしますか?
例えば、僕の場合は、努力するという言葉は、
無理してやる気を出してやりたくないことをすると意味付けています。
待機辞書には、頑張るもほとんど同じ意味で書いてあるのですが、
僕の辞書を読んだことない人から頑張ってくださいと言われたり、
努力したいと思います。
え?
僕の辞書を読んだことない人から頑張ってくださいと言われたり、
努力したいと思います。
など、おそらく僕の捉えている意味ではない使われ方をしている場合の返事に戸惑います。
ですね。
スルーすればいいということにしているのですが、なんとなくモヤモヤが残ります。
誰との会話でスルーして、誰に対しては辞書を渡したのかも忘れていますし、
待機辞書は回転しまくりますので疲れます。
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。
是非お答えいただけると幸いです。
頑張ってください。
多分失礼いたしました。
です。
ありがとうございます。
はい。
はい、という感じですが。
お便りいかがですか?
ありますかね。
まず、あれですね。
ちょっとお便りが長かったので、
要約すると、
まず、自分の中で明確な定義をつけている単語ってありますか?
っていう言葉ありますか?
これが1個目の質問。
もしもあるんだとしたら、その定義と違う言葉で誰かが使ったときに、
どうしてますか?
っていうのがこれは2個目の質問ですよね。
うんうん。
定義付けている、はっきりと明確に定義付けている言葉っていうのは多分ないと思いますね。
少なくとも自分で認識している中ではないと思う。
明確に定義って言われたらね。
そうそう。明確に、そのなんか完全に明示するような形で定義付けている言葉はないと思います。
ただ、こういうふうに自分の中の語感があったりとか、こういう言葉を捉えているっていう言葉を違う言葉で使われたときに、
その引っかかることはそれもよくある。
まあよくあるというかありますよね、それは。
うん。
だからそういう意味で言うと1個目はNOなんだけど、
2個目の会話の中で自分のその持っている言葉の意味とか定義みたいなもの、
ぼんやりと持っている定義みたいなのと、
周り基準では決められなくなると、
不特定多数になった瞬間ね。
それぞれのこだわりがあるから。
そういう意味で言うと、僕は全く今、
上美さんに言われるまで覚悟してせずに喋ってたなって。
1対1対人とかの時は気にするんだけれども、
こういうところで、覚悟せずに喋ってるなって感じですね。
あ、そうですか。
僕はもうサバンナに生きてないんでね。
僕そういう感覚がないから、
今言われるまで全然覚悟してなかったし、
なんならそんなことは僕は言わないと思ってるっていう、
変な自信を持ってすらいるんじゃないかと思っちゃった今。
なぜそんなことを考えたことがないのだろうっていうことを、
上美さんの言葉をきっかけに僕考えてたんですけど、
そんなことは言わないのではないかっていう、
全く何の根拠もない変な自信を持ってる。
まあでもその社会の規範から逸脱したようなことを
言わない自信があるみたいな感じですよね。
いやでも、さっき上美さん言ってた通り、
ある人にとっては規範なんだけど、別の人にとってはそうではない
みたいな状況っていうのは普通にあるわけじゃないですか。
まあそうですね。
僕は規範だと思ってるし、何の問題もないと思ってることが、
ある誰か1人、特定の誰かみたいな人を傷つけることっていうのは、
十分にあり得るじゃないですか。
あり得ますね。
僕はそういう想定を全くしてなかったっていうのが、
相も変わらずだなって思った。
何回言われても俺はサバンナに生きてないなって思った。
なるほど。
なるほど。
確認しますね、そういう意味では。
どっかでまた話できればいいなと思うんですけど、
だからそのサバンナ志向に対して僕は動物園志向だって思ってるんですけど、
僕はぬくぬくと動物園で飼われてるなっていうのは、
相も変わらず、
俺はそうだなってちょっと思ったって感じですね。
くしくも。
全然違う文脈でこれが出てきたんで。
松田さんもなんかある?定義つけてる言葉あったりします?
定義つけてる言葉ですか。
でもほとんどないですけど、
この大輝さんが書いてる頑張るっていうことに関しては、
なんか自分が頑張るって何々してねって依頼されたときに、
わかりました頑張りますって言ったとするじゃないですか。
例えば。
そしたらなんか頑張りますって言ってことは、
少なからずなんかストレスがかかってるってことを自分には、
と思ってるんですね。
なるほど。
何パーセントか嫌とは思ってるってことじゃないですか。
頑張りますって。
自分で頑張りますって言ってるっていうことイコール、
頑張んなきゃいけないことを今受けたみたいな風に思うってことね。
なるほどね。
って思うんだなって最近思いました。
言うまでもないことを言っているみたいなこと?
そうですね。頑張りますってことは少なからず100パーセント、
なんていうんですかね、ハッピーな状態でやるっていう感覚では
僕はないのかなって思いました。
なるほど。
やっぱこの無理してるみたいな要素が、
大貴さんの定義に近いニュアンスがあるってことか。
近いのはそうですね。
それはなんかわかるなって感じです。
ほんと元気出すぐらいのニュアンスしか持ってないんだよな僕は、
頑張るって言葉に。
多分無理してやらないからだと思う。
そうだね。
僕は全く逆の意味なんだけど、無理してやることが当たり前だと思ってるってことなんでしょ。
僕も全然そういう、
そういう風に大貴さんとか今政さん言ったような風に捉えないけど、
もうニュートラルっていうかナチュラルに、
無理してやることしか前提にしてないっていう感じかな。
そうだよな。
頑張るは結構分かれますよね。
結構ね、頑張れっていうのは、
ちょっとその日頃に使えるワードじゃなくなってきてるなっていうのは僕は思います。
この20年の間において。
分かります。
なんか昔はもっと気軽に頑張れって言ってた気がするんですけど、
今なんかその頑張れっていう時には一回考える感じですかね。
昔のその頑張るみたいな言葉の使い方、結構広かったと思うんですよね。
本当にその要は無理してでもやりきれよみたいな頑張れと、
なんかちょっと元気出したりとかいうレベル感の頑張る、
ライトなやつから重たいやつまであったと思うけど、結構広く使えたと思うんですけど、
それが逆にもうそれ自体が使えなくなってきてる時に、
頑張るに変わる言葉って今なんかあります?
その使いやすいなって使ってるやつみたいな。
例えば今この頑張れっていう、
例えば僕が部下とかに、
彼が頑張ってほしいって思った時とかっていうのは、
よし一緒にやろうぜみたいな感じで、
僕も一緒にやるぞみたいなのを乗っけますね。
なるほど、一緒にって。
一緒にみたいな言葉をニュアンスとして乗っける。
なんか頑張れっていうと背中を押してるような感じになるじゃないですか。
そうじゃなくて肩組んで一緒に行くぞみたいな感じを出すようにしてますね。
めっちゃいいっすね。
なんかどこかのタイミングでは擦り合わせをするみたいな感じじゃないですか。
でもその後であれから誰に対しては辞書を渡したのかも忘れるって言ってるからね。
しかも改定されまくるらしいですよ、辞書。
定義も変わんのか、改定されまくるのか。
定義めっちゃ変わる。
それは疲れるというか。
そっか。
大輝辞書も改定されまくるのか。
結構難易度高いですよ、これ。
そっか。
自分辞書だっていうことは認識してるわけじゃない。
だから自分辞書はそうだって認識してるんだったら、
それは自分辞書と他人辞書は違うよねっていうことまで認識できんじゃないかな。
ねえねえ、できそうですよね。
もう一歩じゃんっていう感じですよね。
自分辞書だっていうところまでわかってんだったら、
人の辞書との擦り合わせっていうのが多分違うということを前提にできるんじゃないかなって思いますけどね。
改定されまくるって自分で認識、自分で思ってんだから、
改定されまくる辞書と相手の定義と擦り合わんことが普通だろって思うじゃんねって思うけど。
だから自分の辞書に合わないことにもやもやしてるってことですよね。
だからそんな自分の辞書を信じなかったらいいだけの話ですね。
自分の辞書が絶対だと思ってなきゃいいんじゃないっていうことかな。
だって自分辞書なんだからって感じ。
もうすぐでこのもやもやはなくなるような気がするけどな。
世界にはいろんな辞書があるって終わりですよね、そこまでいけたら。
だから自分辞書が持ってるっていうところまでわかってんだったら、
ヤビーにもヤビー辞書があるしウェイズ辞書があるしマサ辞書があるっていうところまでも
必然的にたどり着くとそれぞれに書かれてる定義っていうのは当然違うものだっていう風になると
そこの間に違うことが書いてあるっていうことにもやもやしなくなるんじゃないって思うけれども
それでももやもやしちゃうのかな。
自分自身の辞書が改定されてるから過去の自分と今の自分でも辞書が違うから
その変わるということとか違うということに対する手も認知できてるはずなんですよね。
だからあと一歩って感じですね、本当に。
自分の中で明確な定義をつけてる単語で自分の中の定義すら変わるっていうことも後の方では認識してるわけだから
やっぱその明確な定義をつけてる単語自体ないんじゃないっていう
確かに。確かに。
今その瞬間の大輝さんの定義であり
ひょっとしたら10分後の定義は変わってるかもしれないよねって思うと
そりゃ自分の中でもそうなんだけど人は違うよねってなると
もやもや残らないかな。
なってほしいね。
なってほしい。
ね、やっぱりなんかもやもや残ることがあんまり良くないような気がしてるってことでしょ。
もやもやがなくなればいいんだとしたらね。
もうちょっとでもやもやがなくなりそうな気がするんだけどな。
もうこんなところじゃないですか。
こんなところですかね。
確かに。じゃあもう少し頑張って。
頑張ってって。
ちょっと待ってよお前。そこで頑張って使うの。
今最後の最後でもやもやして大輝さんをもやもやしてこの番組に。
失礼しました。
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それではまた次回お会いしましょう。ありがとうございました。