10歳で怪我されたっていうのは、
私が小学5年生10歳の時に受けた
母の恋人からの性的虐待を考えたことです。
私の家庭は、私が小学3年生の時に
両親が離婚していて、
年子の兄がいたんですが、
兄も両親の離婚から間もなくして
事情があって異常な状況になっていて、
私の家庭は、私が3年生の時に
その間もなくして、両親の離婚から間もなくして
事情があって家出をして、
もう本当に1年足らず、そんなところで
私と母、4人家族が私と母の2人家族になってしまったんですよね。
その後、母がお付き合いをしていたパートナー、
あと恋人のおじさんから
最初はそれこそ良くしてくれる人っていうふうに思っていて、
私もすごく懐いていたんですが、
今思うとそれは、おじさんからするとグルーミングなんて呼ばれる
絵付けのような、本当に果たしたい目的のために
可愛がっていたっていうようなものだったのかなとは思うんですけれども、
その後、母の目を盗んで、目的虐待と呼ばれる体を触られたりだとか、
実際におじさんの男性気を見せられたり、触らせようとしてきたりだとか、
そういった経験を受けたのが、小学5年生、10歳の時でした。
思ったんですね。ありがとうございます。
これはだいたいどれくらいの期間続いてしまったんですか?
期間でいうと1年ほどですかね。
1年ほどした頃に、母がおじさんとの関係が解消されたというか、お別れしたんでしょうね。
どんどんそういう被害からは遠ざかることはできたんですが、
性的虐待から逃れられたのは、決して私がやめてほしいと言ったからとかではなかったので、
本当にお別れしてくれたことは良かったなとは思いましたね、当時も。
そうだったんですね。おじさんにはこのことの相談とかはできたんですか?
やっぱりできなかったですね。身内だからこそ。
やっぱり話しづらいですし、学校の友達だったり、学校の先生とか、
本当に周りの方にも何一つ言ってなかったですね。
そうだったんですね。
では、お母さんはこのことについては知らない状態ですか?
そうです。ほとんど、つい最近まで何も言ってこなくて、
ただ私が起業したのが20歳の時で、2020年なんですが、
その時に精神疾患も患ってまして、その精神疾患を患い始めたことで、
私のこれまでの20年間をざっとまとめたいなと思って、
一つノートを書いたんですよね。そのノートで両親が離婚したこと、
兄が家出したこととか、私の身の上話を少しお話しさせていただいてたんですが、
その中で初めて性的虐待を受けたことっていうのを言葉にして、
そのノートを見たのが先なのか、そのノートをきっかけに、
メディアさんからお話をいただいて取材を受けることとかが続いたんですが、
そのメディアで知ったのか先なのかは分からないんですけど、
そのノートを発信したことをきっかけに、母の耳にも
その性的虐待を受けたことがあるっていうのは入ったんだと思います。
どうだったんですね。その時は結構いろいろとお母さんとお話しすることができましたか?
いやー、その当時、2年前、3年前になりますか、3年前は、
そうは言っても、お互いに顔を合わせてそこについて話そうっていうのはしてこなくて、
本当に母と腹を割ってというか、きちんと母に対して
私、おじさんから性的虐待を受けてたんだよって言ったのは、1ヶ月前の話です。
どうだったんですね。本当につい、やっと20年越しに、
お母さんも耳となったというか、お話しすることができたっていうかなんですね。
そうですね。10歳の時なので、13年越しに。
ちなみに、家ってすごく楽になった日とかってするんですか?
それともちょっと逆に、やっぱり言わなかった方が良かったかなっていうふうな
面倒さとかを感じてしまったりしますか?
でも、私はやはり家って良かったなと思っていて、
もちろん言ったことで、その経験がなかったことになるわけではないですし、
傷が癒えたなっていう実感もないんですけど、ただ、きちんと母から
守ってあげられなくてごめんなさいという言葉をいただいたんですが、
ごめんって謝ってもらえたことが結構救いになりましたね。
ある意味で、性的被害、性的虐待に関わらず、
女性の性被害っていうのって、自責的になりがちな面も多いんじゃないかなと思っていて、
私自身も性被害、性的虐待の後にも、社会に出てからセクハラを受けたりとか、
学生時代もすごく男の子にからかわれることも、
そういった性的な部分でからかわれることも多かったがゆえに、
私が悪いんじゃないかっていう、私の立ち居振る舞いのせいだったりとか、
キャラクターとか、お身体的な特徴のせいで、
そういうふうに言われるんじゃないかって、すごく自分を責めてしまう節があったので、
それについても、おじさんに心を許してしまっていた私が悪いんじゃないか、
みたいなふうに思っていた時期もあったので、
ただ、やはりそうではなくて、ごめんなさいって言われたことによって、
罪がどこにあるのか、といっても私は母が悪いとは思っていないんですけれども、
母が守ってほしかったという子ども心は確かにあったので、
そこに対する謝罪をもらえたことは、
どれだけ時間が経っても、やっぱりもらってよかったものだなとは思います。
うーん、よかったです。
今まで感じてしまった自責感情は、
そこからもお母さんから謝罪を受けたことによって、
すごく解消された部分もあったということですよね。
そうですね、はい。
自分が悪かったなというふうに、
13年間の間で思ってしまったことは何度もあったということなんですかね。
そうですね。
すごくその当時は特に自分を責めていた気がします。
うーん、ずっと続いてしまったものほどに、
自分の態度とかが原因だったんじゃないかということですか。
そうですね。
よく性被害を受けた女性に対して、
なんで嫌って言わなかったんだっていう意見って、
もう本当毎度毎度。
本当に多いですよね。
多いですよね。そういうふうにおっしゃられる方多いと思うんですけど、
うーん。
本当に当事者から言わせていただくと、
もう99.9%に近いぐらい、なかなか嫌とは言えないですし、
やっぱりそれって、その状況に対する恐れ、怖いなっていうのもそうですけど、
やっぱり、加害された相手との関係性にもよりますし、
例えばそれが社会で起こった上司と部下の間で起こったセクハラとかだったとしたら、
やっぱり嫌って言ったことによって仕事をなくなってしまうんじゃないか、
辞めさせられてしまうんじゃないかとかもあると思いますし、
私の状況で言うとやっぱり、
おじさんはどういう面はあっても、私に対して性的な視線、行動をするっていう面はあっても、
母のこと、母の精神状態を支えてくれていたっていう側面もあったのは確かなので、
私が嫌って拒むことによって、母にも母に対する優しさも失われてしまうんじゃないかと思うと、
私一人の話ではなかったんですよね。
なので、嫌って言えなかったっていうのもあるので、
本当に嫌って言ったらよかったじゃないかとかっていう意見はすごく悲しい言葉だなと思います。
本当にそう思います。
嫌っていう二言を言うために、思いなきゃいけないハードルの思考とか感情とか環境っていうのがすごくたくさんありますよね。
本当にその通りです。
それを当時の13歳でできるっていうのはなかなか難しいことだと思うんですよね。
そうですね。当時10歳で。
受けてたことが性暴力だっていうふうに最初に認識されてたりしますか?
いや、してなかったですね。その当時は。
そうですね。
実際自分の身に何が起こっているのかっていうのは今一つというか、
とはいえ私は結構成せた子供だったのかなと思うので、その当時のことを思うと、
なんとなく男女が交わすそういった体の関係っていうのがふわっとした認識ではありつつも、
実際私に行われたそれがふわっとした男女の関係の認識とイメージがすごく違いすぎて合わなかったんですよね。
そこがリンクしなかったっていうのはあって、
私が想像してたものってすごくロマンチックでドラマチックでムードのあるいいものだと思ってたんですけど、
ただ実際私が生まれたものっていうのはすごく支配的だったし暴力的だったし、
萎縮してしまってた感覚っていうのは本当にすごく今でも覚えてるんですけど、
私が想像してたそれじゃないっていうので、なんとなく分かりつつも実際のところやっぱり分かってなかったとは思いますね。
この認識がずろっとというか、これが性暴力だったんだなっていうふうに気がつけたのはいつ頃だったんですか?
これは多分中学生とかですかね。やっぱりその頃になると学校でもそういった性教育というか、
今の時代ほど充実した性教育は受けられなかった世代だとは思ってるんですけど、
ただそれでもなんとなく先生だったり保健室の先生とか、
あとは周りの子たちも、ませた方だともうすでにそういう関係をしたことがあるとか、
そういう状況からが、私が受けたのは不正的なものであり、
それが性行為とか同意のあるものではなくて、
性暴力、性加害なんて呼ばれるものだったんだっていうことを、
その性に対する2つの側面、その同意のあるセックスとかっていうのと、
同意のない性暴力、性被害っていう2つあるんだっていうのを知ったのは、中学生ぐらいの時だった気がします。
逆に生きてからの方が精神的にすごいきつくなってしまったこととかありますか?
そうですね、本当に、幼少期に受ける性被害の怖さっていうのは本当にそこだと思っていて、
当時は何が何だかわからないっていう状況の中で、
ただ大人になればなるほど、その行為の意味をやっぱり知っていくわけじゃないですか。
年々傷が癒えるどころか、その傷の恐ろしさっていうのを知っていく被害なので、
本当にあってはならないものだなと年々思いますね。
逆ですよね、浅くならないですよね。
そうなんです、どんどん深まっていく傷ではありますね。
実際に学校の時に、中学生の時に性暴力だと気づいてから、
変化であったり生活とかにどんな動きがありましたか?
私は特に家庭環境自体が複雑だったっていうのも大いに関係しているとは思うんですが、
先ほどもお話ししたように、私が性的虐待を受けるまでの流れが
父と母が離婚し、兄が家出しっていうふうに、
近しい男性がいなくなってしまったっていう状況がまずあって、
その後に来た男性に性的な行動をされたっていうので、
本当におかしな話ではあるんですけれども、
父と兄を失ったことによって、やっぱり寂しさももちろんありましたし、
親しくしてくれる、優しくしてくれる、頼れる男性っていうものを、
やはり幼いながらに求めていたんだとは思うんですよ、私も。
ただそういう心の状況がある中で、
自分の状況に関しては、自分の状況に関しては、
自分の状況に関しては、自分の状況に関しては、
ただそういう心の状況がある中で、
次に来たおじさんに性的な行動されたことで、
私が性的な対象でいれば、男の人は優しくしてくれるんだ、
よくしてくれるんだっていう、本当にねじ曲がった法則みたいなものができてしまったんですよね。
それによって、中学生、高校生、思春期の時期には、
エロい女を演じることによって、男の子から優しくされるんだっていう、
そのねじ曲がった法則の答え合わせのようなものを、
自分自身で知ってしまっていた気がしていて、
ただやはり、エロい女でいたら優しくされるなんていうのは、ない話というか、
あってはならない話。エロい女だから優しくされるわけではなくて、
やはり男性はそういった下心があって、
すごく軽い言葉にはなってしまいますが、都合のいい女みたいな感じで、
上辺の優しさをかけられていただけだと気づくのは、もう少し後ではあるんですが、
ただ、そういった上辺のものであっても、当時の私はすごく寂しかったし、
一人でいることが怖かったし、男性に頼りたい、失った兄と父の影をどこか追っている不死はあったので、
やはりそれが性的な視線であったとしても、それでもいいから、
男性に好かれたいという思いは一番強かったんじゃないかなと思います。
本日のエピソードはこちらで経ちさせていただきます。