1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #401 なぜヒトは話せるのか?..
2021-12-21 10:12

#401 なぜヒトは話せるのか?(生成文法) from Radiotalk

参考文献
『ベーシック生成文法』 (岸本秀樹、ひつじ書房)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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志賀十五の壺です。この番組は言語学の番組ということで、過去に400本ぐらいトークというかエピソードを配信しているんですよね。
中には言語学と全く関係ない話をすることもあるんですけど、大抵言語学の話をしています。
その中でずっと欠けていた話題が一つあるんですね。それは生成文法というもので、言語学をやる人間、学んだことある人間だったら一度は聞いたことあるような分野というか理論ではないかと思います。
当然、僕自身も勉強したことはあるし、面白いなと思うところもある反面、一つは僕自身ちょっと納得できていないようなところもあるし、面白いんですけど苦手だと感じているところもあって、この収録トークでは扱っていなかったんですね。
もう一つはね、なかなか音声だけで生成文法の話をするって、僕にとっては結構難しくてですね、ざっくり言うとね、生成文法ってよくね、樹形図を書いて文の構造を説明するっていうことがよくあるんですよね。
りんごを食べたっていうのを、りんごをと食べたっていうふうに二つに分けて、さらに食べたの部分は食べとたに分かれるしみたいな感じでね。
そうやって樹形図を用いて説明されることが多いので、それを音声だけでやるっていうのは結構難しいので、結構樹形図を使って文の構造を表すっていうのが生成文法の一つ面白いところなので、それがまず難しいなっていうのがあったんですね。
ただまあ言語学の番組と歌っている以上ですね、生成文法は避けては通れないということで、今回はこの生成文法について本当に軽くお話ししていこうと思います。
この生成文法という一つの言語の理論、分野はノーム・チョムスキーというアメリカ人言語学者によって作られたものです。
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言語学やってない人でもチョムスキーっていう名前はもしかしたら聞いたことがあるかもしれません。
そもそもこの地球上で人間という種だけが言語を操ることができますよね。一応そういうことにしておきますけど、それは何でかっていうと、我々人間の生まれつき持った能力として言語を扱う能力を持っていると。
これはもうどんな人間にも備わっているもので、その言語能力の基盤というかね、土台となっているものとして、普遍文法というものを想定するんですね、生成文法では。
普遍文法っていうのは英語でユニバーサルグラマーって言って、UGっていう風に略語を使うこともあります。
この普遍文法っていうのはどんな人間でも持っているもので、その普遍文法が周りからの刺激、親とか兄弟とか、周りの人が話している言語や社会や共同体の刺激を受けることで、別語の言語の英語なら英語、日本語なら日本語っていうそれぞれの言語として実現しているっていうのが生成文法です。
これが生成文法の大まかな考えなんですね。
もともとは我々の脳の中に共通した普遍文法というものがあるんですけど、ただ周りからの刺激によって違う形で、つまり違う言語で見た目は現れているというか、実現しているということなんですね。
まあそういう考えも納得できると言えばできますよね。
そういう風に生まれつき、普遍文法っていうものを持っているからこそ、子供っていうのは少ない刺激で、実に様々な文っていうのを発話することができるんですね。
子供に限らずかな、この僕が今話している文っていうのも一度も僕自身は耳にしたことがないものですけど、自分自身で作り出して口からどんどんどんどん出ていっているわけですよね。
で、皆さんが日常を行っているのもそういうことです。
自分が聞いたことがない文であっても、どんどん作り出すことができる。
それは土台として普遍文法というものが想定されるからということです。
だからインプットに対してアウトプットの方がはるかに凄まじいっていうことですね。
それは普遍文法のおかげであるということです。
さらにこの普遍文法というのは原理とパラメータっていうものからなると考えられているんですね。
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この原理とパラメータっていうのは生成文法ではかなり基本となっている考えで、原理っていうのは文字通りっていうかね、どんな言語にも共通した変わらないものを指して、パラメータっていうのは変数って言われることもあるかな。
これは各言語によって現れ方がある程度幅があるというかね、様々であるみたいなものです。
例えば動詞と目的語の語順っていうのは、英語や中国語みたいな言語だと動詞、目的語っていう順番で出てくるんですけど、日本語とかあるいはお隣の韓国、朝鮮語なんかでは目的語、動詞という順番で出てきます。
こういうふうに普遍文法の中にも言語によって現れ方が変わってくるものがあるんですね。それをパラメータと呼んでいるということです。
あるいは疑問文で、英語だと疑問詞っていうのが必ず文頭に出てこないといけないですよね。WhatとかWhereとかWhoとか。
ただ日本語の場合は、あいつは何買ったの?みたいに、もともとの位置に何?みたいな疑問詞が出ることがあります。
つまり疑問詞が文頭に現れなきゃいけないわけではないんですね。
こういうふうに疑問詞が移動するかどうかっていうのもパラメータの一つで、言語によって現れ方が異なるということになっています。
この先生文法の考え方って結構魅力的といえば魅力的ですよね。
人という種に固有の能力として言語を扱う力があって、その土台として普遍文法というものがあると。
面白いといえば面白いですけど、ちょっと本当かなっていう気もしないでもないですよね。
我々が扱うことができる、耳に触れたり目に触れたりすることができる言語は、実際の言語しかないというか、それぞれの個別の言語しかないので、
その大元となっている普遍文法っていうのは、ある意味人間の心とか脳の中にしかないわけなんですよね。
それを直接いじるっていうか調べることはできないので、僕自身はちょっと納得できない部分もあります。
ただ先生文法にはいろいろね、もっと面白い面はあって、さっき言ったように樹形図で文を分解していくとかすごく面白いんですけど、
その中の一つにバイナリープリンシプルっていうのがあって、これ何だろうな日本語だと二股の原理とか、
二股分かれの原理みたいに言われるもので、文っていうのは2つに分かれてそれがさらに2つに分かれてっていう、どんどんどんどん2つ2つに分かれていくという原理なんですね。
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だから他動詞みたいに、私は本を読んだっていうのは、樹形図で3つに枝分かれするんじゃなくて、
まず私はと本を読んだの2つに分かれて、でさらに本を読んだの中身が本を読んだに分かれるっていう、そういう原理があるんですね。
僕はこの二股分かれの原理っていうのは非常に魅力的だと思ってるんですけど、やっぱりちょっと樹形図とか書かないといけないので、説明はかなりしづらいということになっています。
興味のある方は参考文献を概要欄に載せているので、ぜひ読んでみていただけたらと思います。
というわけで今回のトークはここまでということで、最後まで聞いてくださってありがとうございました。また次回のトークでお会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。
10:12

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